| 風が変わった。雲が目まぐるしく動く。まるで、激しい川の流れを底の方から見上げているようだ。鯉たちも、流れに逆らうようにゆっくりと大きくうごめいている。近くで汽笛が聞こえた。構図を確認し露出をチェックする。その時突然「汽車だ!」と、子供が飛び出してきた。私はあわてて「坊や!坊や!」と声をかけた。しかし、夢中で走ってゆく子供には聞こえない。子供が立ち止まった。もう一度声をかけようとした私は、目の前の光景に思わず息を呑んだ。それは、子供の後ろ姿に、幼い頃の自分を見たような気がしたからだ。私は、全神経を指先に集めて、シャッターチャンスを待った。
本文より
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| 夏休みになると田舎で二週間ほどを過ごすのが、子供の頃の私の楽しみの一つだった。着替えと宿題を入れた小さなリュックを背負った私は、田舎へ着くなり、祖父母への挨拶もそこそこに、踏切のある場所へと飛び出して行くのが常だった。
遮断機も警報装置もないその小さな踏切は、埃っぽい道を走り、畑を横切り、蝉時雨の降り注ぐ林を駆け抜けたところにあった。私は、近くの小川で水遊びをしたり、草むらに寝転んだりしながら、汽車が来るのを待った。青い空に、夏の白い雲がぽっかり浮かんでゆっくりと流れてゆく。そしてまた、時間もゆっくり流れてゆく。 やがて、油蝉の声がひぐらしのそれに変わる頃、遠くから汽笛が聞こえてくる。私は大急ぎで踏切に近寄り、線路の先を眺めやる。はるか彼方で煙が揺らいでいるのが見える。 私は、まばたきもしないで見つめている。汽車は次第に接近し、夕焼け空に黒い煙を吐き上げながら、長い貨物を引いて私の目の前をゴトリゴトリと通り過ぎて行く。私は、向きを変えて汽車の姿が見えなくなるまでたたずんでいる・・・・。 夜、開け放した縁側を涼しい風が通り抜けていく。布団の中から蚊帳越しに外を眺めると、星空を黒い木立ちの影が縁取っているのが見える。いろいろな虫たちの、かまびすしい鳴き声に交じって、土間の薄暗い裸電球の下で語り合う大人たちの笑い声が聞こえてくる。トントンと藁を叩く音。ラジオから流れる音楽。そんな時、遠くの方から汽車の汽笛が夜空を縫って聞こえてくる。布団の中で聞く私には、その汽笛がとても寂しいものに感ぜられた。ほどなく私は眠りにつき、夢の中で夜汽車に乗った旅人になって、知らない町や村を訪ね歩いている・・・。 私の遠い遠い思い出である。
本文より |
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1996年(平成八年) JTB 日本交通公社出版事業局より Can Books{追憶のSL C62 〜勇者シロクニに捧げる讃歌〜} として出版。 また「峠に挑む」(迫力のデジタル 税別価格¥2,000− |
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