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知床半島の誕生

知床連山     

知床半島は千島列島火山帯に属しております。 地図を見ていただくと知床岬に始まり、遠音別岳、海別岳、斜里岳とつらながり、その南西部には、屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖が一列に並ぶ様子に気がつかれると思います。 これが、北海道内の千島列島火山帯なのです。 太古の昔約二百万年前から火山活動が激しくなり、この連なった山々は、火柱を空高く突き上げていました。そして、25万年前頃より活動はもっと激しくなりました。阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖などの元になるようなカルデラが形成されたようです。火山活動により形成された土地ですから道東地区は数多くの湖や温泉に恵まれているといえましょう。

知床とは

アイヌ民族は文字を持たない民族でした。 琉球民族と同様にその過去というものが詳しく残されていません。 ですから分からないことがたくさんあるのです。 しかし、250年前 津軽藩による「津軽一統誌」という文献に初めて登場します。しかし、これも信用度の高いものではなかったのです。  ところが約150年前、アイヌ民族を愛していた松浦武四郎という一人の武士が北海道よりさらに樺太までを徒歩と一部舟により、ほとんどくまなく歩き、紀行集を作りました。 その中に「知床日誌」というものがあり、アイヌ語による地図を漢字に置き換え、地形を地図に残しました。

知床国立公園とは

1964年(昭和39年)指定・総面積38、533ha 日本国内では有数の国立公園です。 小笠原諸島の海洋公園と一緒で、美しい自然を見せてくれています。 しかしながら全世界各国の国立公園と比較して規模的な面などでナショナルパークとして認められてはおりません。 ところが全世界の中で唯一すごいとされている点は、人口密度の濃い中に猛獣が生息していることがあげられます。 つまり人間と動物が一線を引きながら共存しているといえるのではないでしょうか。 それは、山厳しく、谷深く、なかなか人間が立ち入れなかったこともその一因でしょう。しかしながら、過去知床には2〜3度の開拓が試みられました。 大正時代より現在の国立公園の入口の幌別地区・知床横断道入口の岩尾別地区・知床五湖周辺にかなり開拓の過去があります。 ただし、今のように機械はなく人間対自然、人間対動物の対決は人間側の敗退で終了しました。国立公園指定後は、この人間が破壊した自然をまた元に戻そうとする運動が起こりました。 「100平方メートル運動」というのがそれです。 公園内に残された民有地を買取り、そこに樹木を植えて自然に返すという運動です。 日本国内では初めてのナショナルトラスト運動です。 また昭和60年前半、国有林を伐採する動きをみせた林野庁と自然保護団体との衝突がありました。 その後は国有林とて伐採することができないようになり、国立公園を守るかたちになりました。 この日本という国には、環境庁という役所があるにもかかわらず予算面・管理官・権限がともに乏しく、難問題を抱えて苦しんでいる状態です。 また、旅行者の一部には自然というものへの思いやりのない人がいたり、地元民でも国立公園としての意識の低い人がいたりという現状が悲しいです。 世界的には認められていなくても、日本の国立公園としては自然をより多く残している素晴らしい場所には違いありません

知床という場所は地図の記号が全て揃っているという不思議なところです。 人間の入れる場所はわずかですが、腰をおろしゆっくりと自然を楽しんでほしいものです。