Alice Walkerの部屋
アリス・ウォーカー(Alice Walker)(1944-  )

1983年、小説『カラーパープル』で黒人女性として初めてピューリッツアー賞、さらに全米図書賞(the National Book Award)を受賞した現代のアメリカ人作家。


 ひと
 作品
 参考資料


<ひと>

1944年2月9日、アメリカ南部ジョージア州イートントンに、貧しい小作農民のリー・ウォーカーとミニー・ルー・グラント・ウォーカーの8人の子供の末っ子として生まれる。8歳のとき、兄の一人が撃った空気銃が左目に当たるという事件が起きる。不幸な偶発事故だったのか、故意に狙われたのか、事実はわからないが、彼女自身は「兄が自分をめがけて撃った」ととらえている(NHK放送のインタビューから)。左目の視力はまったくないといわれるが、テレビの画面や写真で見る彼女はすばらしく澄んだ涼やかな目をしている。明るく毅然としていながら、もの静かなたたずまいの魅力的な人だ。

高校を総代で卒業し、奨学金を得てアトランタ市の黒人女性のための大学スペルマン・カレッジに進学、二年後にニューヨークのサラ・ローレンス大学に移る。
卒業後、1960年代半ばから1970年代半ばまでミシシッピー州に住み、公民権運動にかかわる。この間に、娘レベッカをもうけている。この時期の彼女の経歴は、小説『メリディアン』のヒロイン、メリディアンとオーバーラップするところがある。この作品には多分にアリス自身の経験が反映されているようだ。

1968年に"Once"で詩人として、1973年に"The Third Life of Grange Copeland"で小説家としてデビュー。ピューリッツアー賞をはじめ、これまで数多くの文学賞を受賞している。活動家としての彼女は、現在もフェミニストとして活発に発言を続けている。とくに近年は、アフリカやイスラム文化圏の一部で現在も毎年200万人の少女に対しておこなわれているというFGM (Female Genital Mutilation - 女性性器切除)の問題に果敢に取り組んでいる。

現在は、カリフォルニア北部に愛犬と暮らしている…らしい。近作"The Same River Twice: Honoring the Difficult"の裏表紙に、ほっそりした顔の黒い犬と並んで笑っているアリスの写真が載っている。


<作品>

* Once: Poems (1968)
* The Third Life of Grange Copeland (1970)

* Revolutionary Petunias & Other Poems (Harcourt Brace/Company/1973)
 詩集。アリス自身のまえがきによると「これは革命家恋人たちについて、慈悲と信頼の喪失について、有望な戦略の終わりを意味する愛のなかで成長する能力の喪失についての詩である。恋愛あるいは革命の渦中にいるとにかかわりなく。また、銃を突き付けられながらも美と愛に命を賭け続ける、数少ない闘う人々についての(のための)詩でもある」。

* In Love & Trouble: Stories of Black Women(1973)
『愛と悲しみにおいて』(山口書店)

* Langston Hughes, American Poet

* Meridian (1976)
『メリディアン』高橋茅香子・訳(朝日新聞社「女たちの同時代−北米黒人女性作家選5」/1982、ちくま文庫/1989)

* I Love Myself When I Am Laughing... A Zora Neale Hurston Reader (editor)
* Good Night, Willie Lee, I'll See You in the Morning

* You Can't Keep a Good Woman Down: Stories
『いい女をおさえつけることはできない』(集英社/1986)

* The Color Purple (1982)
『カラーパープル』柳沢由美子・訳(集英社文庫/1986)
(1985年に集英社から『紫のふるえ』という題で出版され、その後、改訳・改題されたもの。)

義父、夫から虐待され、家畜のようにあつかわれてきた黒人娘セリーが、宣教師となってアフリカへ渡った妹のネティと、夫の愛人シャグとのふれあいを通して人間としての尊厳を取り戻し、一人の女性として自立していく物語。
りっぱな日本語訳があるが、原書を読んでみるとおもしろい。 セリーの日記と手紙から成るこの物語は、"My mama dead. She die screaming and cussing. She scream at me. She cuss at me. I'm big. I can't move fast enough. By time I git back from the well, the water be warm. By time I git the tray ready the food be cold......" という、不思議に音楽的な、魅力的な文体になっている。学校文法に悩まされた人は、こういう非正統的な語法で、どれだけ豊かな表現ができるかに驚くだろう。

1985年にスティーヴン・スピルバーグ監督が映画化したが、これは小説作品とはべつものだ。スピルバーグは超エンタテインメント大作の合間に、発作的に社会性のあるテーマに取り組みたくなるようだが、やめたほうがいいかもしれない。この映画には、原作とストーリーがちがう、とか、黒人男性が残酷に描かれすぎているという批判が多かったそうだが、問題はそんなところにはない。スピルバーグは黒人女性の存在状況に共感を示してこのテーマを取り上げたのだろうが、黒人の男は単に粗野なだけの、だだっ子のように、女はひどく幼稚で子供っぽく描かれている。原作にある人間の威厳というものがない。

原作の主人公たちは、貧しく劣悪な境遇で教育もないが、深い洞察力を持っている。男性優位主義の男たちでさえ、女たちの反撃にとまどいながら、徐々に変わっていっている。この作品が発表されたとき、黒人男性側から、黒人の地位向上をめざしてともに戦っていかなければならないときに、黒人男性をおとしめ、男女を分断し、運動を弱めるものだという強い非難があったらしいが、黒人の男はそんなふうに、どうしようもないけだもののようには描かれていない。むしろ、ちょっと理想主義すぎるんじゃないかと思われるほどに、誰もが目覚めて前向きに変わっていっている。アリス・ウォーカーというひとは、たぶんいまではめずらしいかもしれないくらいに、人間というものを信頼しているのだろう。

気のいいスピルバーグとクインシー・ジョーンズら映画制作にかかわった仲間たちを愛し、みずから脚本を手がけながらも(結局は採用されなかった)、アリス自身はこの映画に複雑な感情を持っているようだ。小説がベストセラーになって突如として有名人になり、その小説がハリウッドで映画化されるという目くるめくようなできごとのなかで、彼女がどんな経験をし、どんなことを思っていたか、どのような批判・非難の嵐に巻き込まれていたかを、10年後に"The Same River Twice: Honoring the Difficult"に書いている。この本は「メイキング・オブ・カラーパープル」とも言うべきもので、小説を読み、映画を見てから、この本を読むとすごくおもしろい。(下記"The Same River Twice: Honoring the Difficult"参照)

* In Search of Our Mothers' Gardens: Womanist Prose
『母の庭をさがして』(東京書籍/1992)、『続・ 母の庭をさがして』(東京書籍/1993)

* Horses Make a Landscape Look More Beautiful

* To Hell With Dying (1967)
Illustrations by Catherine Deeter (Harcourt Brace Jovanovich, Publishers/1988)
 雰囲気のあるキャサリン・ディーターの絵が文章によくマッチした絵本(1988年出版)。子どものための、というよりは、おとなになって“しまった”子どものための絵本かもしれない。

まともな暮らし、教育、職業を望むと殺されかねなかった南部の人種隔離法のなかで、黒人のミスター・スイートは失意の人生をおくり、つりとギターだけが楽しみの年寄りになった。糖尿病でアル中だが、みんなに愛されている。何度か死にかけるが、そのたびに「死ぬなんて、とんでもない。この子どもたちにはミスター・スイートが必要なんだ」と呼びかけられ、子どもたちの手でこの世に戻ってきている。だがやがて子どもたちがおとなになり、とうとうその魔法がきかない日がくることを知る…。年寄りと子どものあいだの深いつながり、温かいコミュニティがあったころの、貧しいが心ゆたかな人生がテーマ。

* Living by the Word

* The Temple of My Familiar (1989)
『わが愛しきものの神殿(上・下)』柳沢由美子・訳(集英社/1990)

この長編小説には、とりたてて筋というものはない。いろいろな人が家族、友人、恋人、セラピストに向かって語るそれぞれの人生、親や祖父母の思い出、数奇な体験、心に負った傷などのものがたりが連なって全体を構成している。登場人物が多く、語られるものがたりの時期も錯綜しているのでわかりにくいが、たぶんそれは問題ではないのだろう。なぜなら全体として語られているのは、一つの人種としての黒人の歴史だからだ。

アリス・ウォーカーは、個人のなかに生きる民族の歴史というものを強く意識している人のように思う。どの作品にも母、祖母、曽祖母、そのまた母、さらに遡ってアフリカから奴隷として連れてこられた祖先がいていまの自分がいる、という意識が強く出ている。そのつながりを意識し理解することによって、いまの自分が救われ、同時に過去の人々の苦しい人生を救い出そうとしているようなところがある。

この作品のなかでは、ミス・リッシーという人物がそれを象徴的にあらわしている。この黒人の老女は、自分の前世を覚えている。アフリカで奴隷狩りにあい、地獄のような奴隷船に詰めこまれてアメリカに連れてこられたときのことを覚えている。さらに遡って、人間と動物が渾然として暮らしていた神話的な時代、下って男の集落、女の集落と別れておたがいに自由に行き来していた時代から、家族という家父長制の集合形態をとるようになったころにいた自分を覚えている。このあたりがちょっとイデオロギー小説すぎる感じもするが、老女の語り口はおもしろい。

いつだったか、この作品について「黒人の白人に対する憎悪のすさまじさにたじたじとなった」というような新聞書評を読んだ記憶があるが、黒人の歴史を見れば、それはしかたのないことだろう。だがアリス・ウォーカーはそれを乗り越えて、<融合>をめざしているように思う。ミス・リッシーが黒人だけでなく、ほかの有色人種や白人にも、また女だけでなく男にも生まれ変わったことがあり、「白人の男でさえ」あった時代もある、という点がそれを示している。つまり、他人の立場に身をおいてみて、おたがいを理解しあおうという解決策なのだと思う。

* Her Blue Body Everything We Know: Earthling Poems 1965-1990 Complete
* Finding the Green Stone (Illustrations by Catherine Deeter)

* Possessing the Secret of Joy (1992)
『喜びの秘密』柳沢由美子・訳(集英社/1995)

『カラーパープル』の最後で、アフリカに行っていた妹のネティが、生まれるとすぐ殺されたと思っていたセリーの息子のアダムと娘のオリヴィア、アダムの妻のタシを連れて帰ってきたが、この本ではその3人が主人公になる。黒人の歴史という大きなテーマのなかでは一つの流れにのっているが、直接『カラーパープル』の続きの物語というわけではない。登場人物たちの独白というかたちで、だんだん事情が明らかにされていくこの作品では、アフリカの黒人と、奴隷としてアメリカに連れていかれて何世代かすぎた「色のさめた」アメリカの黒人とのあいだのみぞ、アフリカのエイズの問題、神話、文化人類学、精神分析といろいろなテーマがとりあげられているが、もっとも大きなテーマはアフリカの女性性器切除の風習だ。

タシの姉は小さいころに切除を受けて出血多量で死んでいる。タシはアフリカ民族の誇りを自分の体に刻もうと自分から切除を受けるが、このタブーの風習の現実を知り、精神的・肉体的苦痛からしだいに精神を病んでいく。やがては部族の何十、何百人という小さな女の子たちに「女の儀式」をほどこしてきた老女マリッサを殺して処刑される。あるアフリカ系アメリカ女性の学者がこの作品に関して、女が女を殺すというストーリーにしたことに異議を唱えていたが、両方とも犠牲者である女どうしのあいだで、タブーを越えた女が古い伝統に逆らわずに手を貸してきた女を殺すという行為には、間違った残酷な伝統をそこで断ち切るという象徴的な意味があるようが気がする。

アダムの息子のピエールが文化人類学者となり、なぜそんな風習が何百年もつづけられてきたのか、タシの夢にくりかえし現われて彼女を苦しめた「暗い塔」とは何なのかを解いていくのが興味深い。つまりは中国の「てん足」と同様、抑圧者が女の自由を奪うために押し付けた残酷な行為であり、民族の文化などではなく単なる女の子の虐待にすぎないとアリス・ウォーカーは訴えている。女ははるかな昔から神にも天国にも見はなされてきた、とタシは言う。「イエス・キリストが生きていた時代でも、女と小さい女の子たちは性器切除されていたのです。キリストはそれを知っていたのでしょうか。そのことは彼を怒らせたでしょうか。当惑させたでしょうか」。

重いテーマだが、アリス・ウォーカーの作品の結末には、いつも明るい希望がある。処刑場の前でこの風習に対する無言の抵抗を示すアフリカの女たちの群れと、タシの思いと苦しみをしっかりと受け止めて引き継ごうとする子供たち、友人たちの姿がそれを象徴している。

* Warrior Marks (In collaboration with Pratibha Parmar)
 同タイトルのドキュメンタリー映画『戦士の刻印』の制作記録。監督プラティバ・パーマー(Pratibha Parmar)との共著。アフリカの女性性器切除の風習をあつかったこの映画は、1994年国連主催のカイロ人口開発会議で上映され、女性の人権侵害だからやめるべきだという主張と、民族固有の伝統と文化によその人間が口だしするなというアフリカ・アラブ民族、イスラム教徒の一部の主張とが対立して、激しい論争を巻き起こしたという。

* Banned

* The Same River Twice: Honoring the Difficult (1996)
(上記『カラーパープル』参照)

* Anything We Love Can Be Saved : A Writer's Activism 

* By the Light of My Father's Smile/A Novel (1998)
『父の輝くほほえみの光で」柳沢由美子・訳(集英社/2001)

アフリカ系アメリカ人の人類学者の夫婦が、マグダレーナとスザンナという二人の娘を連れて、キリスト教の宣教師としてメキシコの山奥の村に赴任する。そこに住むのは南北戦争時に逃げてきたアフリカ人奴隷とメキシコ先住民の混血ムンドだが、彼らのおおらかな性と生と死の文化と、禁欲的なキリスト教的価値観との葛藤、教会から研究資金の援助を得るために自分では信じてもいないキリスト教の宣教師になった父親の偽善によって、二人の娘たちは傷つき、歪んでいく。

というのが物語の骨組なのだが、これは実に不思議な小説だ。冒頭から語り手は死んで幽霊になった父親で、結局和解できなかった娘たちの、成人後の歪んだ生活をのぞき込みながら後悔に歯噛みしている。死んだムンドの少年マヌエリートの手引きで、生きているあいだに傷つけた人々との関係の修復を学ぶのだが、やがて死ぬマグダレーナもスザンヌも自由にあの世とこの世を行き来して、自分の人生を完結していく。霊になって生きているあいだに犯した間違いや、傷つけた人との関係を修復し、そして初めて本当に死ぬことができる、という考え方が、アリス・ウォーカーらしく希望に満ちていて楽天的だ。

そういった骨子は理解できるのだが、この小説にはかなりの生活レベルにある現代の知的アフリカ系アメリカ人の葛藤から、他民族を「研究」するヨーロッパ人、洗練されたアフリカ系アメリカ人にコンプレックスをもつ貧乏白人移民、ヨーロッパで差別される「ジプシー」、同じギリシャ人に疎外される「小人」、ヴェトナム戦争でしたことに苦しむ帰還兵、ただ働きさせられる刑務所の囚人に至るまで、あまりにも多くの要素が盛り込まれているために、焦点がぼやけてしまっている感じがする。


<参考資料>

*『わたしたちのアリス・ウォーカー/地球上のすべての女たちのために』
河地和子・編著(御茶の水書房/1990)

*『女子割礼:因習に呪縛される女性の性と人権』
フラン・P・ホスケン・著、鳥居千代香・訳(明石書店/1993)
("The Hosken Report: Genital and Sexual Mutilation of Females, 3rd revised edition" by Fran P. Hosken, 1982)

*『アメリカ映像文学にみる愛と死』
日本マラマッド協会編(北星堂書店/1998)
第二章「家族」P.57-74「家族のなりたち−“カラーパープル”」(ジェイムズ・M・バーダマンJr.)



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