書を捨てよ、旅に出よう 書は捨てなくてもかまわない。旅に持っていく本をあれこれ選ぶのも楽しみだし、旅の目的地に着くまでの臨場感あふれる本の読みかたというものもある。 もちろん、本のなかに書いてあることが虚構で、目に見えるものが現実だと思っているわけでもない。 ただ、ときどき毎日の生活とちがう場所に自分をおいて、ちがった風に吹かれてみるのも悪くないかなあと思う。
ぬちどぅたからの島へ 賢治ワールドへ 赤毛のアンの島へ
ぬちどぅたからの島へ
2001年4月×日 3回目の沖縄は、ちょうど「うりずん」と呼ばれるさわやかな初夏の季節だった。「ウリズン若夏」という沖縄特有の季語があることを、大石芳野『沖縄・若夏の記憶』(岩波書店/1997)という本で知った。
「やや濃いピンク色で小ぶりのカンヒ桜が咲き終って、野山が若草色に萌えるころになると雨の日が多くなっていく。やがて、真赤なデイゴの花が咲き始め、大地が潤うという意味のウーリーの季節がやってくる。緑に包まれた短いこの時期を、ウチナーンチュは情感を込めてウリズンと呼ぶ。」
観光ガイドブックやツアーの案内パンフレットには「海びらきは三月下旬から四月上旬、もう泳げます」などと書いてあるが、確かに沖縄本島北部やんばる地方のジュゴンのいる海は涼しくて泳ぐどころではなく、おびただしい種類の蘭やめずらしい南国植物が見られる海洋博公園はどしゃ降りの雨のなかだった。けれども、高い木のてっぺんに咲く不思議なかたちをした県花「でいご」が見られ、ざーっとくるスコールのような雨のあと、からりと晴れて涼しい風が吹きわたるこの時期にこられたのはうれしかった。
宜野湾市にある「佐喜眞美術館」をたずねた。ここは佐喜眞道夫さんという人が、米軍基地内にある自分の土地を返還してもらって建てた個人の美術館だ。まわりには普天間基地の金網のフェンスが続いている。そのフェンスから1メートルも離れていないところに民家があって、洗濯物がぶら下がり、子どもたちが遊んでいる。米軍基地が沖縄の人々の暮らしのなかにここまで食い込んでいることに、あらためて驚かされる。
まず美術館の脇にある沖縄独特の巨大なお墓、亀甲墓を見てから、建物の屋上に登った。石段の登り口に、(正確な言葉を書き止めてこなかったのが残念だが)展望台として使われることに米軍から抗議があった、よって単なる屋上として利用してください、というような意味の、奇妙な掲示が出ていた。そのわけは、屋上に出てみるとよくわかる。屋上の真ん中からコンクリートの階段が伸びていて、建物の端でぽつんと途切れているのだ。そこまで登りつめれば、普天間基地のなかが見おろせるようになっているのだから、明らかに用途はそれしかないだろう。
しかしパンフレットの説明によると、この石段はまず6段あって、狭い踊り場があり、そこから23段作られている。つまり沖縄戦で亡くなった人々を悼む「慰霊の日」6月23日を意味していて、その日にはちょうど階段の先に日が沈むようになっているのだという。午後7時には、美術館の東の窓と西の窓と太陽が一直線に並ぶそうだ。うーんと思わずうなる。なるほど、このどこにも続いていない階段は、目の前に茫々と広がる広大な普天間基地を眺め、その先にある54万8000人の米軍艦隊で埋め尽くされたという海と、そのあとに起こったことに思いをはせるのにふさわしい静かな空間だ。
この美術館の最大のコレクションは、丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」である。4メートル×8.5メートルという巨大な絵が突き当たりの壁いっぱいにかけられていて、その激しさに見る者は言葉を失う。日本人として沖縄の同胞を見殺しにしただけでなく、日本兵による沖縄住民の大虐殺があったという事実を見つめ直し、伝えずにはいられなかった夫妻の力作だ。受付で、丸木俊・位里『おきなわ 島のこえ』(小峰書店/1984)という絵本を買った。副題に「ヌチドゥタカラ(いのちこそたから)」とある。係の若い女の人が、絵本のページをめくりながら、どの絵もみな先ほど見た「沖縄戦の図」のどこかに入っているのだと教えてくれた。悲しいが、とても美しい絵。
イクユサン シマチ、ミルクユン ヤガティ (せんそうはもうじきおわる、へいわでゆたかなときがくる) ナギクナヨ シンカ、ヌチドゥ タカラ (なくなよ みんな、いのちこそ たから)
佐喜眞美術館 宜野湾市上原358(上原児童公演となり) (098)893-5737
静かなティールームもいい感じ。マンゴーとさとうきびと紫いものアイスクリームがおいしい。お客が入ると、美術館の受付のおねえさんが走ってきてサービス係に変身する。帰りのバスの時間や地図まで調べてくれて、とても親切。
<その他の沖縄に関するお薦め本>
*『沖縄がすべて』筑紫哲也・照屋林助(河出書房新社/1997)
「軍事、政治、経済のすべてにわたった絶対的な異民族支配において、なぜ沖縄が沖縄であり続けることができたのか」その「簡単にして唯一の理由」は「文化」だと考える筑紫サンと、沖縄大衆文化の第一人者で、りんけんバンドの照屋林賢のお父さんである照屋林助さんの沖縄独自の文化をめぐる楽しい対談。
*『透きとおった魚――沖縄南帰行』大竹昭子(文藝春秋/1992)
「あらゆるものを引き入れて融和してしまうが、それでも固有の文化を失わない島」と「人々の優しさ」に引かれて1980年代後半から沖縄通いを続ける筆者の沖縄便り。トラベルジャーナリストらしく徹底的に取材をし、加えてそこに住む人々と個人的に深く関わっているので、内容に深みがある。映画『ウンタマギルー』の撮影同行記録も、この映画を見た人には面白い。
*『「全県FTZ」感情的反対論』真喜志 治(ボーダーインク/1998)
橋本政権の支援のもと、沖縄県は全県をフリー・トレード・ゾーン(FTZ――自由貿易地域)にしようという「国際都市形成に向けた新たな産業振興策」構想を打ち出した。それに対して宮古島で家畜診療所を営む筆者は、「なぜ沖縄の農家のオジー達を、全国に先駆けて、グローバルなスタンダード化という未知の荒波に、先陣を切って突撃させねばならないのだ」と怒る。泡盛片手に気炎をあげているような、冗談めかしたノリがあっておかしいが、沖縄の特殊な現実に即した反対論はなかなかに説得力がある。
*『沖縄文化論――忘れられた日本』岡本太郎(中公文庫/1996) *『琉球布紀行』澤地久枝(新潮社/2000) *『沖縄式風力発言』池澤夏樹(つづく)
賢治ワールドへ
1998年5月×日 東北自動車道にのって久々の花巻へ。今年は異常に暖かくて、例年なら5月中旬を過ぎないと見られない白いりんごの花が、もう道の両側を埋め尽くしている。宮澤賢治記念館は十年ほど前に一度きた。緑に囲まれた落ち着いた建物で、文学者としての賢治、科学者としての賢治、教育者としての賢治、宗教家としての賢治、音楽家としての賢治のそれぞれの面に焦点を当てて、なかなかよく考えられた展示になっていた。
それよりさらに前に、この新しい建物が建つ前の記念館にきたことがある。高村光太郎の山荘から山道をだらだら下ったところにぽつんとある、廃校になった小学校の建物が記念館のようなものになっていた。小さな教室の壁にかけられた古い写真や黄ばんだ原稿のはしきれ、当時の民具などを見て、理科の実験器具をしまっておいたような戸棚のなかの絵葉書と「アメニモマケズ」の詩をプリントした手ぬぐいを買ってしまうと、あとはもうすることがなかった。なかなかこないバスを待ちながら、稲を刈り取ったあとの田んぼとてっぺんに実が5つ6つ残った柿の木を眺めていたのを覚えている。あれはあれでよかった。
2年前の1996年、賢治生誕百年祭ということで花巻は大にぎわいだったようだ。オリンピックやEXPOやさまざまなブームが通りすぎたあとのたいていの都市の無残なようすが頭にあったので、こわごわ出かけてきたのだが思ったほどひどいことにはなっていなかった。もちろん、新しい建物や施設はたくさんできていた。駐車場の左手には「注文の多い料理点・山猫軒」というレストランができていた。表に「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」と書いてある。本気で遊んで、せめて入口から狭い通路を2、3枚ドアを開けてたどりつくくらいに作って欲しかったが、中はふつうの軽食堂。それでも「いま、Wild Catは留守です。安心してお入りください」とフォローしてあったし、すいとんはさっぱりしていておいしかった。
坂道を下って国道459号線を少し北に行ったところの右手には、宮沢賢治童話村というのができていた。記念館と共通券で入れるようになっている。ここもやっぱり観光スポットにするために無理やり作った「なくてもよい」というよりは「ないほうがいい」施設かなと思ったが、「賢治の学校」というのがけっこうよくできていて感心した。「ファンタジックホール」のシュールなインスタレーション、「宇宙の部屋」の一瞬めまいのする大きな万華鏡、強化ガラス板の上にのると、はるか足下に岩手の風景が流れて、風の又三郎になったような気のする「天空の部屋」、シックな手ざわり、かたち、色の大きな動物や花のぬいぐるみでできた「大地の部屋」などがあって、規模は小さいがなかなか楽しめる。これらは確かに賢治からインスピレーションを受けて作られたものかもしれないが、賢治とは関係のない独立した美術作品なのだから、きちんと作者名を表示しておくべきじゃないんだろうか。
遅い山桜が見つかるかもしれないと思って鉛温泉のほうまで走っているうちにおなかがすいたので、そばやを探す。もらった花巻観光協会発行の市内案内図に「やぶや」という、それらしき名前があったので行ってみたら、ここは賢治がよく「ブッシュへ行こう」と言っては、好んでてんぷらそばを食べにきた店だったという説明書がはってあった。ふーん、やぶやでブッシュねえ…。 うしろの席のお客が「イギリス海岸には何があるんですか?」と聞いている。「なーんにもないんですよ。イギリスのドーバー海岸に似ているから賢治がそういう名前をつけただけで、なーんにもないんですよ」と、店員さんが「なーんにも」に力をこめて言っている。さすがに賢治百年祭を経ただけあって、町の人たちがみなガイドになっている。
実際に「イギリス海岸」と呼ばれるところに行ってみると、賢治の途方もないところがよくわかる。石灰岩がそそり立つあのドーバーの白い壁を実際に見たはずもないのに、岩手の片いなかを流れる北上川の白い泥岩の河原を「イギリス海岸」と呼んでしまう、その途方もない想像力! 池澤夏樹が賢治の用語からとったという『未来圏からの風』という本のなかで、チベット仏教の儀式に参加するためにヒマラヤへ旅したときの印象を、賢治の『インドラの網』の一節を引用して次のように書いている。
「夕刻、日が沈んだ直後のひんやりしたガラスのような大気。ここに来たこともないはずの宮澤賢治がこの雰囲気を巧みに描写している−−『希薄な空気がみんみん鳴っていましたがそれは多分は白磁器の雲の向ふをさびしく渡った日輪がもう高原の西をかぎる黒い尖尖(とげとげ)の山陵の向ふに落ちて薄明が来たためにそんなに軋(きし)んでいたのだらうと思います』。この『インドラの網』の一節はそのままジスパの日の入り後に使うことができる。」
この本のなかで池澤夏樹は、科学者のフリーマン・ダイソン、リン・マーグリス、トーマス・レイと人間の未来について対話しているが、人間は無限の宇宙のなかの生命の一つにすぎないという彼らのとらえかたと宮澤賢治の言葉が一致すると言い、「要するに宮澤賢治はこんなことまであの時代に考えていたのだ」と驚いている。この本は、いい写真がたっぷり入った魅力的な旅の本。(『未来圏からの風』文・池澤夏樹、写真・垂水健吾/PARCO出版)
地学、農学、化学、天文学など、はば広い分野にまたがる深い知識を基盤にして、そこから時空間の限界を一気に超えて自由自在にはばたかせることのできる想像力と深い洞察力を持ったひと。まさしく宮澤賢治というひとは天才だったが、生きていたころは、このあたりの人々にとって相当な奇人・変人だったんじゃないだろうか。岩手県を勝手に「イーハトーブ」などと呼び、時代を50年も60年も先を行っていたような賢治の話を聞いても、まわりの人には何を言っているのか、ほとんどわからなかったにちがいない。現に「イギリス海岸」の土手わきの畑では、「なーんにもない」川っぷちを見にときどきやってくる物好きな観光客たちには目もくれず、手ぬぐいをかぶったおばさんが黙々と何かの種を蒔きつづけていた。
今回のおみやげは、本物の貨車を利用した「白鳥の停車場」という売店で買ったCD。「ポランの広場」など、自身の作詞作曲も含めた宮澤賢治の愛唱歌が集められている。
1998年8月×日 年くった少女たちで、『赤毛のアン』のふるさと、プリンスエドワード島をたずねた。ケベックからカナディアン航空の国内線に乗り、モントリオールで乗り換えてハリファックスに向かう。そこからエア・アトランティックの、左側座席一列・定員30人のカタカタ揺れるプロペラ機に乗り換えて、ようやくプリンス・エドワード・アイランド州(PEI)の州都シャーロットタウンに着く。ほぼ一日がかりだ。去年、本土からコンフェデレーション・ブリッジという橋がかかって、車でくる人には便利になったらしい。
この島の産業は、農業、観光、漁業の順だという。じゃがいも、ロブスターがとくに有名だ。セントローレンス湾にはムール貝の養殖棚が見える。シーフード・レストランでロブスターのセットメニューをたのむと、1ポンドのゆで立ての真っ赤なロブスターが丸ごとと、皿いっぱいのムール貝と、でっかいベイクド・ポテトがどーんと出てくる。これで2000円ちょっとの安さ。次々に新しいモノ、便利なモノを追い求める消費的なライフスタイルさえ断念すれば、地元で採れるもので豊かに暮らしていけるところが世界にはまだたくさんある。
二番目に重要な産業の観光は、『赤毛のアン』でもっているのかと思ったら、そうでもないらしい。海岸沿いに並ぶヨットクラブや広々としたゴルフコースがけっこうにぎわっていて、リゾート地として人気があるようだ。短い夏が終われば、一年のほとんどはひっそりした島の暮らしなのだろう。ヨットハーバー周辺の数軒のおみやげ屋さんとアイスクリーム屋、ダウンタウンの“アン・グッズ”の店2、3軒と地元の人がショッピングするモールを離れれば、夏でも通りはしんとしていて州都とは思えないほどだ。
アン詣でをするために、シャーロットタウンから30kmほど離れたキャベンディッシュに向かう。足がないので、アンゆかりの場所をめぐる小型のツアーバスに乗ってしまったが、これが忙しかった。どこも15分から20分ぐらいしか止まらないので、ゆっくりと見ているひまがない。じっくり展示物を見たい人、原作の雰囲気を味わいたい人は、キャベンディッシュに泊まって、せっせと歩いてまわるか、カナダの交通規則を勉強してきてレンタカーを使ったほうがいいだろう。日本のガイドブックにはよく「レンタサイクルもいい」などと書かれているが、あの雲一つないぬけるような夏空の下、起伏の多い赤土の道をえんえんと自転車でゆくには、よほどの体力と根性が要る。
『赤毛のアン』はもちろんフィクションだ。だがこの島で生まれ育ち、この島の風景をこよなく愛した作者ルーシー・モード・モンゴメリの自伝的色合いの濃い小説なので、彼女の足跡をたずねることが即、『赤毛のアン』紀行になる。そういうわけでバスはまずアンが初めて降り立った駅「ブライト・リバー」を思わせる、今は廃線になった鉄道のケンジントン駅をたずねる。そこからアンがグリーンゲイブルズに行く途中で見た「輝く湖水」を眺め、モンゴメリの生家や、いまはグリーンゲイブルズ博物館になっているモンゴメリの親戚キャンベル家の住宅の一部、モンゴメリの墓をまわり、郵便局長だった祖父を手伝ってモンゴメリが働いていた小さな郵便局に寄って記念の絵はがきを投函し(夏のあいだだけ開いていて、ここのポストに郵便物を投函すると、Green Gablesのスタンプが押されるらしい)、最後に物語のアンの家を再現したグリーンゲイブルズをたずねる、という具合になっている。
『赤毛のアン』の原題 "Anne of Green Gables" のグリーンゲイブルズは、「緑の切妻屋根」という意味だ。その名の通り、小高い丘の上に緑色のとがった屋根の白い家が建っている。もとはモンゴメリのいとこが住んでいたらしい。『赤毛のアン』を読んでわざわざこの島をたずねてくるファンへのサービスなのだろうが、 家の中はアンの部屋、マシュウの部屋、マリラの部屋が物語のすじ通りにしつらえられている。古ぼけたその当時のものが置かれているので、ふと現実にあったことのように思えてくる。このあたりをモデルに小説を書いたのだから当然なのだろうが、家のまわりには本当に「恋人の小径」や「おばけの森」があって、ぶらぶら歩いているとつい「ああ、ここだったのか」などと思ってしまうのが妙な気分だ。ちょうど、ベルサイユの城を歩いて「ここで、オスカルとアンドレが出会ったのね」などと思ってしまうのと同じようなものなんだろう。
「バルサム・ホロウ・トレイル」という立て札の立った散歩道の入り口で、ピンクのポロシャツにリュックを背負ったグレイヘアの日本女性に出会った。去年もきたが、まわりのゴルフ場に押されてだんだん森が狭くなっているようだと言っていた。おばけの森も明るくて、とても「昼でも通るのが恐ろしいよう 」には思えなかったが、トウヒの大部分が立ち枯れになっていて日光がよく通るせいだろう。「トウヒは十年くらいで枯れてしまうらしいですよ」とその人が言っていた。何か調べものがあってきているということだったが、彼女は何を調べていたんだろう。
むかし、本当の少女だったころに『赤毛のアン』を読んだときは、すごくおもしろいけど、こういう人と友達になったらちょっと疲れるなあ、と思ったものだった。いま読み返してみると、ひどくいじらしい話に思える。恵まれない淋しい育ちかたをした少女が、思い通りにいかない現実を想像力で飾りたて、失望や落胆をやりすごして、なんとか明るく元気に生きていこうとする物語だ。だから、同じように思い通りにならない現実をもてあまし、かといってそれを変える力のない少女たちは共感し、励まされるのかもしれない。やがて、現実へのそういう対処のしかたは「合理化」にすぎないわけでさ、などとこまっしゃくれたことを言うようになると、もう『赤毛のアン』の魔法はきかないのかもしれない。いまどきの少女たちは『赤毛のアン』を読むのだろうか。
横川寿美子『赤毛のアンの挑戦』(宝島社)は、「長年にわたってこれほど高い人気を保ってきた不朽の名作でありながら、文学的価値を認められなかったこの作品の人気の秘密を解き明かし、文学史のなかにきちんと位置づける…」という意気込みを語っているが、どんな「文学的価値」があるのかということは、あまりはっきりと伝わってこない。このことが「文学的価値」かどうかはわからないが、この作品が他の英米文学作品からのおびただしい引用をちりばめた一種の教養小説であることを発見して、出典を突き止めようとしたのが、松本侑子の新訳『赤毛のアン』(集英社)だ。その引用出典を調べる作業のなかで、活字の原本からCD-ROMの参考資料へ、さらにインターネットへと発展して、「電子書斎作り」という「未知の分野へ」へ乗り込んでいく過程を記録した松本侑子『赤毛のアンの翻訳物語』(集英社)は、いま翻訳という仕事にインターネットがどれだけ強力なツールになるかをリアルタイムで描いていておもしろい。
電子版の『赤毛のアン』もある。プリンスエドワード島の"Two Sisters"という店でCD-ROM版 "Anne of Green Gables"(Renaissance Interactive Studios Inc./ハイブリッド版)を見つけた。全文ではなくて要約なのが残念だが、いかにも二言語国のカナダらしく、クリック一つで英語とフランス語に切り替わる。挿絵をクリックすると、絵のなかのアンが動き出して舞台劇の一場面に変わり、アン役の女優がせりふを言う。コンピュータ絵本のようでなかなか楽しいが、ミュージカルや映画の『赤毛のアン』と同様、原作とはあまり関係のないものかもしれない。まあ、コレクター向きアン・グッズのひとつ。