ルーテル・ディアコニアネットワーク in Nagoya
ルーテル環境、平和、人権レポート
このホームページは、おおたりつお(日本福音ルーテル復活教会員)の責任で作成しています。
(2001年4月開始)
目次(下記目次の下線部分をクリックしていただくと文章欄にとびます)
| 1 | 豊かな生きものにあふれた地球 | 2010年6月更新 |
| 2 | 猛暑の夏2010、2011 | 2010年11月更新 |
| 3 | 農業の衰退と日本社会 | 2011年3月更新 |
| 4 | 10万年後の安心 | 2011年6月更新 |
| 5 | 大震災後の人間の生き方、そして教会 | 2011年11月更新 |
| 6 | 東日本大震災地訪問、石巻市大川小学校 | 2011年12月更新 |
1.豊かな生きものにあふれた地球(生物多様性COP10に関連して)
「地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生きものすべてを支配せよ。全地に生える、種をもつ草と種をもつ実をつける木を与えるので、すべて命あるもの(地の獣、空の鳥、地を這うものなどの被造物)にもあらゆる青草を食べさせよ」と神は人に言われた(創世記1章)。しかし、命あるもの(被造物)の食べ物もさえ、自分たちだけのものとしてしまった人をみて「虚無に服しているすべての生きものが、自分の意思によらない滅びへの隷属から解放され、自由にあずかれるようにしなければならない」(ローマ書8章)と神は人に言われた。
聖書は「いのちは支えあう」ことが大切であることを語っています。「個性」と「つながり」が生物多様性のキーワードです。「地球上の生物は、生命が誕生して以来、様々な環境に適応して進化し、未知のものも含めると三千万種ともいわれる多様な生き物が生まれました。これらのいのちは、それぞれの網の目のように様々な関係でつながっており、長い年月をかけて現在の地球の姿をつくりあげてきました。私たち人間も地球という大きな生態系の一員であり、地球によって生かされています。ところが、私たち人間は、世界各地で生態系を破壊し、たくさんの生きものたちを危機的状況に陥らせています。今、地球上の生きものは、恐竜が滅んだ時よりもはるかに速いスピードで絶滅しています。私たちは、人間を含めた地球上のいのちが互いにつながりあい、支えあっていることをあらためて認識し、常に謙虚にそして慎重に行動しなければなりません」(環境省パンフレット)。
2.猛暑の夏2010・2011
「日が昇り熱風が吹きつけると草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです」(ヤコブの手紙1-11)
2010年暑い夏でした。最高気温が更新された2007年に匹敵するような猛暑の夏でした。残暑厳しく10月までも気温高めで最高気温25℃以上の夏日が続きました。秋の期間が短く一気に冬を迎えたような感じすら覚えるほどの今日この頃です。2011年も暑い夏でした。梅雨あけが遅れ、本格的な夏の訪れは8月中旬でしたが、夏日は11月上旬まで続きました。
2010年新聞の見出しは、「最低気温が高め今年の特徴」「熱帯夜、最多更新の勢い」「秋の訪れ、遅くなりそう」など報じていました。ヤコブ書にあるように日が昇り、熱風が吹きつけて青々とした緑も枯れ、その美しさが失われてしまうほどでした。夏の緑のカーテンも成長悪くその役割を果たせないと思わせるほどの夏でしたが、9月中ごろからやっと本来の緑のカーテンの役割を果たしていたような感じでした。2011年夏も同じような暑い夏でした。
私の住む愛知県江南市の2010、2011年の夏は下表のとおりでした。このままいくと2050年頃日本の平均気温が今より1〜3℃上昇(江南市では17〜19℃)すると熱帯夜が50日、真夏日が100日以上と言われますが、わが江南市も予想よりも早いスピードで温暖化が進んでいるのではと危惧させられるほどです。21世紀末の気候予測によると最高気温30℃以上の真夏日が年に100日以上と言われますが、異常気象は常態化しつつあるのでしょうか。
| 年最高気温 | 猛暑日 | 真夏日 | 熱帯夜 | 年最低気温 | |
| 2010年 | 37.3℃ | 29日 | 77日 | 46日 | -2.8℃ |
| 2011年 | 37.0℃ | 17日 | 64日 | 28日 | -3.6℃ |
| 過去事例 | 39.2℃(2007年) | 過去平均13日 | 過去平均68日 | 過去平均24日 | -5.1℃(1996年) |
3.農業の衰退と日本社会(第11回ディアコニア環境・人権・平和セミナー2011.2.11名古屋)
標記ルーテルディアコニアセミナーは、なごや希望教会今池礼拝所において40数名の参加でおこなわれました。講師は静岡大学名誉教授、小鹿教会員 中井弘和先生でした。
次の聖書か紹介されました。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ちなおして鍬とし、槍を打ちなおして鎌とする。国は国に向かって剣をあげず、もはや闘うことを学ばない」(イザヤ書2−4)「何にもまして国にとって益となるのは王が耕地を大切にすること」(コヘレト5−8)
先生のお話しを聞き手の一人として以下のように先生のレビューを箇条書きに抜粋てみました。
1.「次世代のいのちに責任をもつ」倫理観は農業の営みにより生じてきた
2.自然の摂理に従い、土本来の力を生かす自然・有機農法
3.すべての生物は生まれながらにして健康である。この節理は、土・植物・動物・人間を一つの鎖の輪で結ぶ法則に支配されている。最初の輪・土壌の弱体は、第二の輪・植物に影響し、第三の輪・動物を侵し、人間に至る
4.身土不二;しっかりした土壌にはうっとりとするような健康な芳香があるー生命そのものにおいが
5.有機農業促進法(2006年12月制定);目標は10年で日本農業の50%を有機農業へ。現実は平成19年有機農産物流通の割合は0.18%
「傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする。」(イザヤ書42-2)
2011.3.11東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所事故。この事故を受けて原子力発電は安全でなく、安心できないという考えが、50%以上を占めるというアンケート結果報道。裁き(自然の猛威)によって、その思いが(確かなもの)となりました。安心できないという(灯心)を(消すことなく)、これからのエネルギーを考えていく必要がると思いました。
原発から出る高レベル放射性廃棄物、中には半減期が数万年に及ぶものがあるため、何らかの最終処分が必要とされる。高レベル放射性廃棄物を地底深くに埋める「地層処分」日本でも検討されている。フィンランドでは永久地層処分場が建設中で、完成は2100年。人間は10万年の間、この危険な核のゴミを安全に管理できるのかという疑問を最終処分場の当事者たちに問うていくドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」を鑑賞した。
原発の燃料である天然ウランは60年分しかないといわれています。原発から何の恩恵を受けていない世代の人たちがそれを管理していかねばならないということ。今現在の私たちのツケを、未来の人々が長い時間かけて払っていく、それが放射性廃棄物の避けて通れない大きな問題。日本では一度使用した燃料をウランとプルトニウムを抽出する再処理を行おうとしています。現在は再処理をフランスでおこなっている。六ヶ所村ではうまくいっていない。しかしそれでも高レベル放射性廃棄物はでてきます。日本の使用済核燃料は1万3千トンもあるとのこと。使用済核燃料棒は冷却用プールに保管されていることを福島第一原発事故で知りました。万年単位の危険の処理技術がないとき、将来の社会で私たちの子孫が、何の価値も生まない多額の費用を支出することのないよう思いつつ「100,000年後の安全」映画を鑑賞しました。
第20回全国ディアコニアセミナーが9月19日〜20日仙台にある日本福音ルーテル鶴が谷教会でおこなわれました。日本キリスト教団の牧師であり東北学院大学名誉教授でボンヘッファー研究の一人者である森野善右衛門先生が「大震災後の人間の生き方、そして教会」についてお話しをされた。
お話しのポイントは次のとおりであった。「ヒロシマ」、「ナガサキ」から「フクシマ」へ。今や日本は、米、仏に次ぐ世界第三の「原発大国」になっており、日本はこの現実をどう受け止め、3.11.以後をどう生きたらよいのか。そして教会は・・・。キリスト者として、復旧、復興だけでなく、新しい創造が求められている。「がんばろう日本」だけでなく、「考え直そう日本」が大切であると話された。
戦後日本は「強兵」の道を捨てて、「非戦平和」の道を選んだことは正しかったが、「原子力の平和利用」による「富国」の道を選び、進んだところに問題があった。原子力の「軍事利用」(核兵器)と「平和利用」(実は商業利用)とは、根本のところでつながっており、また、放射性廃棄物は、自然の中の「異物」であり、その最終的処理方法が未決であるところに根本問題があると指摘された。
そのうえで3.11以後をどう生きるか(つぎのようにまとめられた)
(1)神の家としての「オイコス」で、神と和解し、自然と共に生きる(エコロジー)
(2)「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ4.4)。豊かさとさいわい。
(3)ゲゼルシャフト)(利益社会)とゲマインシャフト(共生社会)
(4)「神の前で、神と共に、われわれは神無しに生きる」(ボンヘッフー)
6.東日本大震災被災地訪問(2011.9.20)石巻市大川小学校
全校児童の7割近くにあたる74人の児童と10人の教職員が死亡・行方不明となった大川小学校。東日本大震災で、教諭らによる避難誘導でこれほどの犠牲者が出た学校は他になかったと報道された学校をたずねた。
大川小学校は北上川沿いの低地に河口から4キロの地にある。津波で周辺の住宅地は廃墟となり、2階建ての学校がたっているだけであった。坂の上三角地帯へ避難しているときに津波に飲み込まれたという三角地帯は学校からすぐ目の前にあり、校舎の裏手には小高い山があった。大川小学校の避難状況やその悲劇などは新聞報道などに詳しい。
今回の震災を受けて「専門家の社会的責任」がいわれている。「今回の大地震と巨大津波と原発事故によって、日本は未曾有の困難に遭遇している。その中で、この事態を正視しないままやり過ごそうとする関係当局の人間の安易な態度や専門家たる科学者・技術者の社会的責任意識の欠如が目に余る状況にある。はからずも日本人の無責任体質が露呈したといえよう」(池内了、世界2011.5)という言葉に考えさせられた。
津波災害や原発事故にたいして「想定外」と「想定しておくべき」ことが多く論じられてきた。私達が生きるに当ってこの言葉の大切さを感じた被災地訪問であった。