2010.10.15 up 



NR出版会連載企画 書店員の仕事4
社会やお客様が求める棚づくりを
堀内徳之さん(ACADEMIA港北店/神奈川県横浜市)


 今年の五月に早川書房から『これからの「正義」の話をしよう』という本が出版された。この本はマイケル・サンデルという政治学者がハーバード大学で記録的な受講者を集めて行なった人気講義をもとに書かれている。アメリカ本国では「JUSTICE」、日本では「ハーバード白熱教室」という題名でNHK教育テレビで講義の模様が放映され、大きな話題を呼んだのでご覧になった方も多いかもしれない。タイトルの通り、主題は現代社会における「正義」の在りようを、哲学的議論をベースに書いたものだ。章ごとのテーマは卑近な事例をもとにしており、専門的なタームの使用やわかりにくい言い回しは極力避けられているため難解というわけではないが、進むにつれて哲学や政治学の本質的な部分にかかわってくるので、一章を読み通すだけでもかなりの時間と根気が必要とされる。

 この、決して読みやすいとはいえない本が売れている。私が勤める店の二〇一〇年七月までの単行本売上ランキングではあの『超訳 ニーチェの言葉』に大差をつけて堂々の五位である。都心の大型書店でも最初に仕入れた数百冊が瞬く間に消え、発売から二ヶ月経っても売れ続けているというのだから、その勢いは驚異的とすら言ってよく、「堅い本が売れない」と嘆き続けてきたわれわれ書店員にとっては嬉しいかぎりである。政治が混迷している現在にはまさにうってつけの書籍なのだろう。しかも、驚くべきことは『これから〜』の購買層の中心がビジネスマンであるということだ。『もしドラ』や自己啓発書と一緒に買われていくのは見ていてなかなか面白いものであった。

 しかし、この本が書店にもたらしたものは売上だけではないように思う。それにもまして、書店が構造的に抱えている棚分類の問題をあらためて浮き彫りにした、という点で非常に重要な本だったのではないだろうか。

 周知のように、ほとんど全ての書店において「人文書」のなかに「哲学」や「歴史学」がある、といったように棚は既存の学問領域ごとに分類されている。そのため「哲学」の棚にビジネス書や経営書が入り込むことはまずない。分類を誰が決めるかについては書店によって大きく異なり、店ごとに担当者が話し合って決めているところもあればチェーンで一括して決めているところもあるが、既存の分類に則っていればよほど学際的な本でないかぎり似たような分類になる。

 では、『これから〜』がどこの棚に分類されているかというと、ほとんどの書店では「政治学」か「哲学」に分類されている。これは著者のマイケル・サンデルが政治哲学者であることや、内容から考えれば適切な分類だといえるだろう。しかし、実際の購買層が哲学や政治学に馴染みのないビジネスマンが中心であるとなれば、果たしてこの分類が適切だったといえるだろうか? おそらく、答えは半分イエスで半分ノーだ。内容が哲学的だから「哲学」という分類にするには購買層とあまりにもかけ離れているし、購買層に合わせて「ビジネス」あるいは「経済」に分類するには内容があまりにも哲学的過ぎる。それに、もし「ビジネス」に置いたとしたら浮いてしまうだろう。とはいえ、実際には私のお店でもビジネス書や経済書のコーナーで『これから〜』を探しているお客様を見受けられたし、他の書店でも同様のことが起こっているという。

 おそらく既存の分類に依拠している以上、内容や購買層を考慮した上でこの本の適切な分類を見つけ出すことは難しい。以前からいわれていることではあるが、現代の社会で求められているのは、一つの学問の中で完結するものではなく、様々な領域を横断して論じているもので、『これから〜』がヒットしたのも根源的な問題を特定の学問だけにとらわれることなく論じているからともいえる。しかし今の分類法ではその傾向を掬い取ることが出来ない。

 電子書籍の普及が着実に進むいま、分類の見直しは真剣に考えなければならない問題なのだと思う。もし電子書籍がこのまま受け入れられる一方、書店が立ち止まっていれば二〇年後いや、一〇年後には書店は大幅に減少しているかあるいは、消滅しているかもしれない。これという答えが私の中に明確にあるわけではないし、書店ごと、担当者ごとに違う答えがあっていい。だが、社会やお客様が求めていることを的確に捉えて棚に反映させるというごく当たり前のことがより重要になってくるのではないだろうか。



▲今年5月に開催したNR出版会フェア


堀内さんには8月初旬に原稿をいただきました。それ以降、『これから〜』の売上はさらに加速し、発売から5カ月経った現在も売行きは衰えない状況です。原稿依頼におうかがいしたのは、ちょうどサッカーで盛り上がっていた6月。堀内さんは「ワールドカップが終われば寝不足も解消されるので、原稿を書く時間を作れると思います」とにこやかに引き受けてくださいました。(事務局・天摩くらら)


(「NR出版会新刊重版情報」2010年11月号掲載)

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