2014.4.15 up 



NR出版会連載企画 書店員の仕事 特別編 震災から三年をむかえて2
天職としての本屋〈上〉
大内一俊さん(おおうち書店/福島県南相馬市)


 三年前の三月十一日の震災当時、私は南相馬市内の自宅で、遅い昼の休憩を取っていた。今でも、それまでとは全く異なる揺れに体が硬直したことを思い出す。激しい横揺れの余震がいよいよ強さを増すと同時に縦揺れも加わり、終わりのないジェットコースターに乗った感じだった。とても立ってはいられず、その場にしゃがみこんだ。揺れが少し収まるや部屋中の安全を確認すると、電子レンジがコードを付けたまま床に落下しており、震動でオーブンの予熱スイッチが入っていた。


 念のためガス栓も締めて店に向かった。歩道は瓦や崩れた壁などが散乱しており、ご近所の方も外に出て避難している。店では従業員がレジの中でわずかに残された倒壊物のない空間に茫然と立っており、落ち着かせて帰宅させた。店奥の学参棚は壁から斜めに外れており、三十五坪ほどの店内全ての通路は本で埋め尽くされていた。深い所に人が埋まっているかもしれないと四つん這いになって上がってみたが、沈む所はなく安心した。


 その後も余震が頻繁に発生し、そのつど外に飛び出したが、明日の営業のため家内と二人で店の片付けを開始した。断水はしていたものの電気はついており、地震の状況を確認しようと店のテレビをつけた。ヘリコプターがとらえた仙台平野の映像では、町並みに煙が上がっている所もあったが、河川や耕作地には特に変化はなさそうだった。突然、パイロットが何か変化を察したようでカメラが海岸部を映し出した。ちょうど津波が海から陸地に入り、家々を剥がし土煙を上げる。火の手が上がった家もあり、それらが次々にぶつかりながらどんどん火の手を広げて内陸に進んでいく。渋滞する車列、危機を察して逃げ惑う車も容赦なく次々呑み込んでいく。やがて高速道の土手にぶつかり渦巻いて水かさを増し、高速道に届くかと思えば隣の河川に流れ込んだ。これが今、現実に起こっているとはとても信じられない映像だった。まもなく日が暮れ、紅蓮の炎を上げている三陸の街々は空も真っ赤だった。次々と被害状況が報道されるが、道路も寸断され夜で取材も難航しているようで被害の全貌が見えてこない。いったいどれほどの被害なのか、そう思いながら黙々と明日の開店に向けて夜を徹して作業を進めた。


 明け方、牡鹿半島の海岸線の随所に大勢の遺体が打ち上げられているというニュースが入った。それでも、我が町南相馬市の海岸部も壊滅的な被害を被ったことなど想像すらしなかった。叔母も友人もお客様も大勢失っていたのに……。そんな事態を知る由もなく、懸命に本を棚に戻し、やっと通路がだんだん見えてきた。


 翌日十二日(土)は本の配送こそなかったものの、それ以外は何の変わりもなく開店と同時にお客様が来店される普通の日常が始まった(この時点で既に電話は不通で、娘たちは携帯電話を持っていない我々の生存を確認できず心配していたと言う)。そこに、原発立地地域の双葉地区から避難してきた方が東北地方の地図を購入に来店された。これからなるべく遠くに避難すると言う。南相馬市の全く日常の風景に驚いて、「ここは逃げなくてもいいんですか!」と言い残し出て行かれた。その時でも、これから起こる最悪の状況をまだ想定できなかった。原発の安全神話を信じ込まされていたので「まさか」と、そのことに気付いたのはずっと後のことだった。


 午後、店のパソコンが起動しないことに気がつき、自宅に戻ってパソコンを起動したが同じように作動しない。昨夜はほとんど寝ていないので椅子に座ってウトウトとしていると、店にいるはずの家内が飛び込んできた。原発が爆発したと言う。店の向かいの福島民報社の支社に出向き、職員に声をかけると、本社から退避命令が入り、今から支局を封鎖して本社に向かうと言う。今すぐ逃げるようにと避難ルートを教えてくれたが、津波で国道六号線が不通で北へは向かえない。急いで避難の準備を始め、お隣に声をかけ愛犬二匹も乗せて急いで車を発進させた。すでに道路は車で溢れ、夕暮れに赤いテールランプの帯が山に向かって長く続いていた。進路を西から北に向けて家内の実家の山形を目指す。土砂崩れなどで迂回路が多く、山道で燃費が悪い。背に“青い光”を感じながら何とか福島県境を越え、ホッとしたところでガソリンが残り少なくなっていた。


 宮城県の大河原警察署に立ち寄り、山形までの道路状況を訊ねたが、山形道は不通で再開の見通しが立たず、一般道の冬の峠道は雪崩で夜は危ないと言う。近くに避難所があるのでそこで休むよう勧められ、体育館で毛布一枚を借りて寝た。


 この避難所は電気も水も電話もあらゆるライフラインが止まっていた。避難所のトイレの前には使用後に流すために施設内の池から水をくみ上げたバケツが何十個も並んでいた。トイレ内は電池式のカンテラ数台で照らしているが光度は十分ではなく、そのため床は水浸しで悪臭が漂う。深夜、用を足しに行ったら、扉を開けた状態でズボンを穿いたままの老婆が捻りながら立ち尽くしていた。


 避難所の近くには中核病院があるため、閖上(ゆりあげ)の津波被害にあった人がヘリコプターで運ばれ、比較的軽度のケガの人が収容されていた。靴もなく、服も着のままで、なかには病院で着せられた入院着だけの人も多くいた。昨日テレビで見た衝撃的な映像に映し出されたまさにあの場所で津波に飲み込まれ被害にあった人たちだったのである。右隣に寝ていた一家は三人でおばあちゃんと次男と長男の娘(六歳)だった。津波に遭って家のなかにも浸水し、次男の方が屋根まで引っ張り上げて助けたと言う。また、左隣の方は車で避難中に津波に巻き込まれ、転がってきた大型のタンクローリーの下敷きになる前に間一髪で車から逃げ出し、そのタンクローリーの上で一夜を過ごしたそうだ。そのような方がどんどん運ばれ、広い体育館もいっぱいになってきた。


 避難三日目に山形道が復旧したとの情報が入ったので、翌日この避難所を出ることにした。ガソリンは残り一目盛りしかなく、山形までギリギリなので道路が渋滞する前に出発した。一か八かの賭けでなんとか無事に家内の実家に到着したが、緊張が解け、疲れが出たのか数日寝込むことになった。三月十五日になっていたが、原発事故はますます深刻になり、南相馬市原町区には屋内避難指示が発令された。もう帰れないかもしれないと思った。
(次号につづく)




おおうち書店は、福島第一原発から20数キロ、南相馬市の中心地にある街の小さな書店さんです。震災直後の2011年4月には早くも店舗の再開を決意され、街に残る多くの市民の心の拠り所となりました。震災後、七つ森書館の吉岡氏とともに年に数回、南相馬市を訪れるたびにお店に立ち寄り、つねに変化する街の空気感とお客さんの息づかいに触れさせていただいてきました。(新泉社・安喜)
振り返ってつらくなってしまうのではないかと思ったのですが、この3年間を言葉にして整理することによって前進できそうだと大内さんが仰ってくださり、救われる思いがしました。(事務局・小泉)

(「NR出版会新刊重版情報」2014年4月号掲載)

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