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日本企業幹部研究員の反乱

(C) 有限会社ISP企画代表取締役  山本尚利



1.幹部研究員の特許提訴事件  

2002年9月15日付け朝日新聞スクープ記事は「味の素の元研究所幹部が自社を特許 提訴 する」というショッキングなニュースです。味の素は研究開発主導の優良企業で、筆者の 所属するSRI(スタンフォード研究所)にも味覚センサー研究委託をしていました。  

今回の提訴内容は人工甘味料アステルパーム(パルスィート)の外販ライセンス収 入20 0億円の10%、すなわち20億円支払訴訟です。訴訟者は同社の研究所元幹部で、人工甘味 料開発者本人です。この事件で思い出すのは、青色LED特許を巡り、自社を提訴して いる中村修二博士(元日亜化学研究者)の事件です。本件訴訟はこれに触発された行動の よう に見えます。このような事件が今後頻発する可能性がでてきました。まさに飼い犬に 手を 噛まれるとは、このことです。さて、そこでこのような訴訟は応援すべきか、控えるべき かについて、筆者の意見を述べてみます。

2.問題はどこにあるか  

この訴訟者の行為は、これまでの伝統的日本企業の研究開発体制に対する重大な挑 戦で あるといえます。大袈裟に言えば戦後日本企業の経営思想を根幹から揺るがす大事件 とみ なせます。今後、本件に関心をもつ関係者から賛否両論が渦巻くでしょう。この訴訟 を支 援する専門弁護士が存在するでしょうから、訴訟者と会社の間で特許権利に係る文書契約 が交わされてなかったと思われます。もし契約があれば訴訟に勝ち目はないからです。中村修二氏事件以降、日本企業は社員特許に関する契約整備を進めていると思います。

私は 法律の専門家ではありませんが、本訴訟では訴訟者が勝つような気がします。判決は 恐ら く20億円支払命令ではないにしても、上記訴訟者が自社からすでにもらっている特許 報奨 金1000万円では少なすぎるので、報奨金として2〜3億円くらいは支払えというような 判決 を下すかもしれません。企業側は当然、控訴するでしょうし、今度は逆に、会社の信 用を 汚したというような理由で別件反訴される可能性もあります。例えば、訴訟事件が原 因と 思われる株価の値下がり率(ブランド資産の劣化)などが根拠とされるでしょう。反 訴の 訴訟金額は比較的簡単に算出されるでしょう。さらに、特許報奨金を支払う代わりに 会社 がこれまで訴訟者に支払った生涯賃金(2〜3億円)と発明に使った研究設備費や経 費を 返せと訴えられるかもしれません。結局これで喧嘩両成敗。なんのことやら。  

もし、原告研究者に勝訴の判例がでたら、大変!日本全国で類似訴訟が続発し、技 術大 国(?)日本は大混乱となるでしょう。日本企業経営者はこぞって被告の味の素を応 援す ることでしょう。

3.訴訟の是非  

もし、会社と社員の間に特許権利に関する契約が存在しており、会社が契約違反を 犯し ているならば、当然訴訟すべきですが、もし、そうでないなら、まず示談にすべき。 仮に 示談が決裂しても訴訟は起すべきでないと考えます。今回は訴訟をあきらめるべきで した。 そこで本事件では特許報酬に関する明確なる契約がなかったという前提で、それなら ば、 なぜ訴訟すべきでないかという理由を以下に述べます。

企業にとって研究開発とは一種のギャンブルであり、勝ち負けの投資ゲームです。 研究 員は競争馬のようなもの。これまで日本企業は勝つ研究員にも負ける研究員にも、雇 用契 約を遵守して平等に給与を支払ってきました。特に味の素のような日本の大手優良企 業は 負け組の研究者にも十分に処遇してきたと思います。この研究開発ポリシーはまさ に、証 券ポートフォリオ投資や競馬投資と同じです。味の素は負け組の責任を研究者個人に 負わ せてはいないでしょう。味の素の場合、研究開発ポートフォリオ投資戦略が奏効し、 幸運 にも何百人かの研究者から超優駿馬(本件訴訟者)が出現したということです。超優 駿馬 研究者がプロスポーツ選手のように超高額報酬を要求するなら、逆に成績不良者はプ ロス ポーツ選手のように容赦なく解雇されなければなりません。研究開発はギャンブルで ある 以上、負けるリスクを誰が負っているかが問題です。日本企業の多くは企業側がリス クを 負っています。成功リターンはリスク負担者のものです。味の素も例外ではないで しょう。  

そこで、味の素が過去、成果をださなかった研究者(負け組)を、成果をだしてい ない という理由で解雇していなければ、研究開発投資リスクを会社が負ってきたとみなせ ます。 したがって味の素は本件訴訟者の雇用時になんらかの契約していない限り、本件訴訟 者に 巨額の報酬を支払う義務はないと結論づけられます。

4.訴訟者の根本的錯誤  

本件訴訟者は一流大企業の研究者幹部であったにもかかわらず、研究開発は投資行 為で あることを認識していないようにみえるのは驚きです。裁判官や法律専門家も研究開 発は 投資行為であると認識できているかどうか甚だ怪しい。しかし、これはやむを得ない でし ょう。日本の研究開発文化の大問題は日本の大企業や公的機関の研究者にエリート意 識の 強い研究至上主義者が多い点です。ところで投資行為には損失がつきもの。多数の損 失を 少数の成功リターンで補うのが投資です。本件の場合、200億円のライセンス収入 は、人 工甘味料開発コストのみならず、他の無数の研究開発失敗の損失に補填されているの です。 そこで、もし、企業研究者が企業と研究開発成功時に巨額の成功報酬をもらう契約を 交わ すならば、逆に信賞必罰、毀誉褒貶の原則に基づき、成果が出せなければ、当然、解 雇さ れるのみならず研究開発投資失敗の損失を弁償することになります。この場合は、研 究開 発投資リスクを被雇用者の研究員個人が負っていることになります。これがプロの世 界で す。  

本件訴訟者が成功報酬10%を要求するなら、理屈上、研究開発で失敗した場合も、 損失 額の10%を弁償させられます。ただし、企業が研究者にインセンティブを与えるため、成功したら何%報奨を与えると規約を設けるのは企業の自由ですが・・・。  

本件訴訟者は日本企業がショックを受けて研究者待遇を改善してくれる効果を期待 して いるかもしれません。前述の中村修二氏からも同様の発言があったと記憶していま す。そ の意味ではショック療法として効果抜群の訴訟といえましょう。ただし、その場合 は、勝 訴したら、味の素の研究所仲間の組合や慈善団体などに寄付すると宣言すればよいの です。 そうすれば全国から応援者が出るでしょう。

5.日本企業の技術経営緊急課題

今後日本企業は、プロ研究者や社内起業家など技術経営プロフェッショナル人事制 度の 導入が必要です。この訴訟はその警鐘であると思います。プロフェッショナル社員は 希望 選択制にし、成功したら、プロとして巨額の配当をもらうような契約を交わしておけ ばよ い。その代わり、失敗したら、それなりの責任がかかります。場合によっては会社を 辞め ることになります。ご都合主義やつまみ食い(クリームスキミング)の甘えは決して 許さ れません。プロの世界はそれなりに厳しい。  

しかしながら、すでに業績人事制を導入している日本企業は多くの問題を抱えてい ます。 幸運にも成功報酬を受けた人や抜擢された人に対する妬みの問題や、評価公平性に対 する 疑問、成果の取り合いによるチームワークの喪失などが起きています。投資リスクや 競争 原理に対する社会通念が未熟な社会において、社員の意識改革なきままに日本企業が 外資 企業を真似て業績主義を導入すると副作用が許容値を超えて大混乱するのです。 たとえば、自他ともに認める有能研究開発者本人は自分の手柄と思いこんでいても、 周囲 の目は違うことが多いのです。井の中の蛙では困ります。特に研究開発は先人・先輩 の苦 闘の歴史から得たストック・ナレッジ(無形知的財産)や周囲の協力が成否を分かち ます。

21世紀にはナノテクノロジーのような異分野融合の先端技術分野ほど、グローバルス ケー ルでの知の結集と総合化が不可欠となります。そこで有能研究者ほど、おのれの知に 対し て奢ることなく謙虚になる必要があります。金儲けに関心ある大企業研究者はスピン オフ すればよいのです。ちなみに1960年代末、インターネット・コンピューティング基本 技術 の多くを発明したSRIのダグラス・エンゲルバート博士はSRIから報奨金2万ドルしか もら わなかったそうです。1994年にMIT大賞50万ドルもらいましたが・・・。彼は Collective IQ(知の結集)を提唱しています。  野球やサッカーなど団体ゲームでは、好成績のプロ選手ほど個人成績よりチームの 成績 を優先させます。これは万国共通です。おそらく企業の研究開発(団体投資ゲーム) にも 当てはまるでしょう。 http://gatecity.gaiax.com/home/hisa_yama



本稿は 山本尚利 「テックベンチャー No.111」 http://gatecity.gaiax.com/home/hisa_yama よりご許諾を得て転載させて頂いたものです。ご快諾を有り難うございました。