燃え尽きた夢の果て

-Naoki Mayama-





 僕がフリードリヒスハーフェンの海軍造船所に入ったのは一九一六年九月。奇しくもドイツ軍が行ったロンドン大爆撃と同じ月だった。
 飛行船艦隊が総力を結集して行ったこの爆撃を、僕は工場でボルトの締め方を教わっているときに聞いた。
「おい、坊主! 聞いたか!」
 三年先輩のノルトホルツさんが顔を紅潮させながら部屋に駆け込んででくるなりそう叫んで、主任のクワストさんに怒鳴りつけられた。
「うるせぇぞ、ぐだぐだ騒ぐんじゃねぇ!」
 この造船所が建設された当初から飛行船建造に関わっているクワストさんの声は威厳にあふれていて、皇帝だって一歩譲るんじゃないか、と僕は感じていたけれど、ノルトホルツさんは慣れているらしく一向に意に介さない。かえって声を高めて、
「でもおやっさん、これが叫ばずにいられますか! 俺らの作った飛行船が、ドーバー海峡を越えてイギリス野郎の鼻っ柱叩き折ったんですぜ!」
 ……全長一五〇メートルにもわたる空飛ぶ巨船、ツェッペリン飛行船。それがドイツ各地の基地から勇躍飛び立ち、空中で艦隊を結成。夜間の雲間に見え隠れしながら、大英帝国の領域へ侵入。そして帝都ロンドン上空で繰り広げられるイギリス軍との死闘。投下される爆弾。燃えさかる炎の照り返しを受けて、赤黒く輝く雲。
 まるでその場にいたかのように語り続けるノルトホルツさんの一語一語に僕は引き込まれるように聞き入っていたが、クワストさんは処置なし、といった様子で僕たち二人の様子を見ていた。
「……どうだ坊主、おまえのこれから働くこの造船所は、すげぇものを作ってるだろう?」
「は、はいっ!」
 いつの間にかぎゅっと力強く握りしめていた両手は汗ばみ、僕の顔もノルトホルツさんのように紅潮していたと思う。勢いよく返事を返したその反応に、ノルトホルツさんはにやり、と笑顔を返してくれた。
「その意気だ。早く一人前の、自分の飛行船を作れるように、しっかりと勉強しろよ」
 そういって僕の頭をぽん、と叩く。僕とノルトホルツさんは年齢がそれほど違う訳じゃないのに、やっぱり三年も僕より早く働いているからだろうか。そこには年長者としての余裕があふれていた。
 自分の飛行船。
 その言葉に、僕は再び興奮してきた。
 自分のこの手で、飛行船を作ることができるんだ!
「わかりました! がんばって、一刻も早く一人前の技術者になります!」
 僕のその台詞を聞いて、ノルトホルツさんがクワストさんに目配せをした。
 ――後々考えれば、飛行船の活躍を熱っぽく語ってくれたり、あんな風に励ましてくれたのは、工場に入ったばかりの僕にやる気を起こさせるため、というわけで、僕は見事にその術中に陥ったわけだ。しかしそのときの僕はといえば、ノルトホルツさんが目で「まあ、こんなもんでしょう」とクワストさんに笑っている様子に気づかないほど、想像をたくましくしていた。
 自分の作った飛行船が、どこまでも広がる空を悠々と飛んでいる姿を。



 毎日が、まるでお祭りのような忙しさだった。
 ボルトの締め方からアルミニウムの加工・切断方法。溶接の仕方や、はては飛行船の設計・操縦方法まで。クワストさんは普段は優しい人だったけど、こと飛行船のことになると目の色を変えて僕をしごいた。
「なにをちんたらしとるんじゃ!」
「そんなあまっちょろい技術者はこの造船所にはいらん! さっさと田舎へ帰れ!」
「駄目だ駄目だ! 坊主、いったい何回同じことを言わせればわかるんだ!」
 一日に幾度も叱咤が飛び、時折それに混じって鉄拳も飛んできた。
 そのたびに僕は泣き出しそうになったけど、それでもそこを逃げ出そうとはしなかった。しなかったし、逃げようと考えもしなかった。
 飛行船がなにより好きだったし、クワストさんが好きこのんで鉄拳をふるうような人じゃない、って知っていたからだ。
 それが証拠に、仕事が終わった後の彼は、まるで人が変わったかのように僕の世話を焼いてくれた。
「儂が坊主くらいの年齢の頃、まだ飛行船なんざ空を飛んじゃいなかった。シュヴァルツの作った飛行船の雛形みたいなのが飛んだ、ってニュースを聞いたときゃぁ、こいつぁすげぇや、と思ったくらいだからな」
 毎日の楽しみにしている白ワインをちびちびやりながら、クワストさんは昔話をしてくれる。決まってそれは飛行船に関わるもので、僕は紅茶を飲みながら(ノルトホルツさんに、「坊主にはまだ早い」と酒を取り上げられていた)その話を聞いていた。
「飛行船は儂の夢だよ」
 クワストさんは最後に決まって、この言葉を吐き出す。
「なににも、誰にも負けない飛行船を作ること。それが、儂の夢なのさ」
 また、ノルトホルツさんにもいろいろなことを教わった。
 飛行船というのは、ある種工芸品のようなものだ。
 全長二〇〇メートル近くの巨体が、高度四〇〇〇メートルを時速一〇〇キロ以上のスピードで飛んでいく。距離は五〇〇キロ以上。これだけでも十分すぎるほどの性能を求められるというのに、そこに一〇トンを越える爆弾を抱えていくのだ。一つのミスが致命的な結果に発展しかねない。
「いいか、このネジ一本が」
 そういって、ノルトホルツさんが油まみれの手に握ったネジを僕に見せていった。
「このネジ一本が、たとえば竜骨からぽろりと落ちたとしよう。その下に飛行船の命ともいえる、水素ガスを満載した気嚢があったとして、だ。運悪くネジがその気嚢を破ってしまう。そうすると、ガスが漏れ出すわけだ。ガスが漏れだしたら、いうまでもなく飛行船の浮力は落ちて、飛び続けることができなくなる。これだけでも大変なところを、どこかで火花でもあがってみろ。たちまち、空飛ぶ船は空飛ぶ棺桶に早変わりだ」
 このころの飛行船は、今と違って浮力を得るために安全性の高いヘリウムではなく水素ガスを使っている。水素は引火性の高いガスなので、扱いには細心の注意がいる。
「むろん、そうそうそんなことが起きるわけがない。でも、だ。常に最悪の状況を考えるのが、俺たち技術者の仕事なんだよ。わかるか、坊主」
 ノルトホルツさんはネジを放り投げては手の内に握りながら、僕にむかってそう言った。
「これくらいでいいだろう、なんて言葉はこの造船所にはない。念入りにやってまだちょっと足りない。そこまでやるか、でようやく及第点すれすれだと思って、作業をするんだぞ」
 ある意味、ノルトホルツさんやクワストさんとのこういった雑談の一つ一つが、僕を育てる糧になっていったんだと思う。
 だから、僕は厳しいながらも必死に勉強を続けた。「一人前の技術者」になって、「自分の作る飛行船」を実現させるために……。



 クワストさんの表情が、日を過ぎるごとに重いものになっていった。
 カレンダーは、一九一七年も半ばにさしかかっている。
「儂の息子たちが」
 そういって、また口をつぐんでしまう。僕もノルトホルツさんも、クワストさんの苦悩の原因が分かっているから、なにもいえなかった。
 飛行船の損耗が、激しくなっている。
 爆撃行のたびに、ボルト一本から作り始め、愛情を注いで作った飛行船が撃墜されているのだ。
「なににも負けない、誰にも負けない飛行船」を作ったはずなのに、とクワストさんがふさぎ込んでいく様子は痛いように分かった。
 ……なぜ、そんなにも急速に飛行船が撃墜されるようになったのか。
 理由は、わかっている。
 兵器の進化……より詳しく言えば、航空機の発展が、その原因だった。
 航続距離や積載重量は飛行船に遙かに及ばず、大きさも二〇〇メートルに対して一〇メートル程度。まるで象と犬程度の大きさの差がある航空機が、クワストさんだけでなく、このフリードリヒスハーフェンの飛行船造船所すべて、ひいては飛行船部隊の頭痛の種となっているのだ。
 飛行船が航空機にかなわない二つの性能…速度と旋回能力を使ってちょこまかと飛び回り、飛行船の利点であると同時にアキレス腱でもある気嚢の収まった胴体に機銃を撃ち込んでいく。中には当然危険な水素ガスが収まっているから、弾が当たって火でも吹こうものなら、たちまちずどん、だ。
「だめだだめだ! 儂の飛行船が、あんな不格好な蠅ごときに負けるわけにはいかんのだ!」
 クワストさんの目が日に日に血走ってきた。ほとんど不眠不休に近い状態で、新たな飛行船の図形を引いているのだろう。
 僕もノルトホルツさんも何度か忠告したのだが、クワストさんはそれを歯牙にもかけず、まるで生命を削るかのように設計にいそしんでいた。
「まずいな、ありゃぁ」
 ノルトホルツさんが、ぽつり、とつぶやいた。
 仕事を終えて、帰る途中の酒場でのことだ。ここにきてから一年。ようやく仕事も覚え、ノルトホルツさんの片腕としてある程度の仕事を任されるようになった僕は、彼に認めてもらった酒を飲みながら、その言葉に耳を傾けた。
「おやっさん、かなり張りつめていやがる。今はまだ身体がついていっているからいいものの、精神的にはやばい状況だ。これで倒れてでもみろ。どうなるか、わかったもんじゃないな」
「しかし、親父さんが飛行機に負けない飛行船を作ろう、ってがんばっているのもわからないでもないですけど……」
「そりゃ、はじめっから無理な話なんだよ」
 そういって、ノルトホルツさんはビールをぐいとあおった。
 僕は、とっさにその意味が理解できなかった。
 何を言い出したのか、と思った。
「いいか、坊主」
 ノルトホルツさんが考え事をしながら僕を呼ぶときは、いつも昔のように「坊主」と呼ぶ。だから今、僕にはノルトホルツさんが表現を選びながら話をしようとしていることがすぐにわかった。だからビールのジョッキををテーブルにおいて、僕は姿勢を正して話を聞き始めた。
「飛行船と飛行機、っていうのはな、おなじ基準で扱うべきものじゃないんだよ」
「同じ基準?」
「そうだ。飛行船が飛行船たる利点はいったい何だ? 言ってみろ」
「ええと……長い航続距離と、搭載量が大きいこと」
「じゃあ、飛行機の利点は?」
「飛行機は……速度が速いのと、小回りが利く、ってことですか?」
「そうだ、その通りだ」
 いくら僕でもその程度のことは知らないことじゃない。ある意味確認と自分の頭の中を整理するために、僕に質問したのだろう。ノルトホルツさんは表情一つかえることなく、さらに言葉を続けた。
「そもそも同じ空を飛ぶから、って、この二つを同列に考えること自体間違いなんだ。戦争で飛行船が飛行機に勝つためには、防御性能を上げ、かつ速度と小回りを利かせなきゃいけなくなる。でもよ、その二つを生かすためには、逆に今まで持っていた利点、航続距離と搭載量を犠牲にしなきゃいけないんだぜ。そうしたら、飛行船が飛行船である理由なんて、どこかにとんでいっちまう」
「……飛行船には飛行船の仕事を、ってことですか?」
「その通りだ」
 確かに、ノルトホルツさんの言うとおりだろう。
 揚力で「飛ぶ」飛行機と、浮力を得て「浮かぶ」飛行船は、ある意味馬とロバほどに違う。馬には馬の、ロバにはロバの利点があり、それを同じ縮尺ではかることなど誰も考えないだろう。
「しかし……こっちがいくらそういっても、イギリス野郎が飛行船の相手に飛行船を出してくるわけがないんだしな」
「じゃあ、ここの飛行船は……僕たちの作ってる飛行船は、役に立たないって言うんですか!!」
 我知らず、声を荒げている自分がいた。ここにきてから、一生懸命に覚えたことが、そしてその覚えたことを生かして作っていったものが、すべて無意味なことだったとしたら……。そんな思いが、顔と声にでたのだろう。
「だから、どうしておまえはそう短絡的に考える」
 だん、と勢いよく空のジョッキをテーブルに置き、ノルトホルツさんは新たな一杯をバーテンに頼む。そして小さく声を落として僕の耳元でささやいた。
「ここだけの話にしろよ」
「あ、え、ええ……」
「たしかに俺も、おまえと同じく飛行船が役に立たないということを認めるのは悔しい」「だったら……」
「まあ話は最後まで聞け。俺が言いたいのは、なぜ飛行船が戦争に強いものでなければならないんだ?」
「……は?」
「戦争に強いものが役に立つもので、戦争の役に立たないものが駄目だ、なんて法則はどこにもないだろう?」
「……」
 新たな一杯を一気に半分近くあおると、ノルトホルツさんは酒臭い息を吐きながらさらに言った。僕はもはや温くなったビールに手をつけることなく、その言葉に聞き入る。
「おやっさんは必死で飛行機に勝つ飛行船を作ろうとしている。でも俺は、そんなことをしなくても、飛行船は十分役に立つものだ、と思っているんだ」
 確かに、ノルトホルツさんの言うとおりだった。
「この戦争が永遠に続く訳じゃない。いつかはきっと、平和が訪れる。そのときこそ、俺たちの飛行船が真価を発揮するときなんじゃないか。俺にはそう思えてならないんだ」
「じゃ、じゃあ、この戦争にはもう飛行船の意義はないって……?」
「戦争の中では意義がなくても、戦争が俺たちに与えてくれる金には立派な意義がある。これだけ山ほどの金を使って飛行船を作れるのは、戦争あってのことさ。それに、新しい技術もなにもかも、実際に作って試してみなければ進歩はない」
 ノルトホルツさんは、一段と声のトーンを落とした。
「いいか坊主。おまえはこれから、平和になったときの飛行船を見越した勉強をしろ。兵器やらなんやらの、よけいなことは考えなくていい。とにかく役に立つだろうと思ったことだけを学び取るんだ」
 言外に、この戦争はそう長く続かないであろうことを、ノルトホルツさんはにおわせていた。「この戦争は負けだ」と、その顔は語っていた。
「おやっさんには悪いが……俺だって、飛行船をこの戦争の犠牲者にはしたくない」 絞り出すように、ノルトホルツさんはそう言った。ジョッキを握る手に、ぎゅっと力がこもった。
「おやっさんだって、いつかはそれがわかってくれる……そして、平和な時代の飛行船を……作ってくれるさ……」
 飲み過ぎたのだろうか。ノルトホルツさんのろれつが、だんだんと怪しいものになっていく。そして最後に、机に突っ伏しながら、つぶやいた。
「わかって、くれるよな……」
 僕は、黙ってその姿を見つめるしかなかった。



「冗談じゃない!」
 怒声が、造船所いっぱいに響きわたり、働く人々が一瞬その手の動きを止めて、声のする方を振り向いた。
「おやっさんが何でわざわざ飛行船の爆撃についていかなきゃらならないんだ! そんなこたぁ他人に任せておけばいいんだよ! おやっさんの仕事は、危険を犯して戦争に行くことじゃなく、ここで飛行船を作り上げることだろう!」
 ノルトホルツさんが真っ赤な顔で、クワストさんにむかって怒鳴り散らしている。ともすればその胸ぐらをつかみそうな勢いを、僕は背後から抑えるだけで必死だった。
「おまえの言うことも確かに一理だ。でもな、儂はどうしてこんなにも儂の作った船が墜とされるのか、原因をさぐらにゃならんのだ。より強い、何にも負けない船を造るためにはな」
「だから前から言ってるとおり!」
「だまらんか!!」
 今度は、作業をしていた人たちはこちらを振り返ろうとはしなかった。ただただ、みんな首をすくめてしまうばかりだった。それほど、クワストさんの声は怒りにあふれていた。
「飛行船が飛行機に勝てない。確かにそうかもしれない。戦争で必要ないからといって役にたたないというわけではない。それもそうだろう。しかし、じゃあ誰が飛行船は飛行機に勝てないと決めたんだ!! 儂は信じとる! 飛行船はあんな蠅どもには負けんのじゃよ!」
 クワストさんは強い口調とともに、しわくちゃになった設計図を振り回す。何度も何度も書き直し、そしていま操船場で船体を休めている新鋭飛行船。その性能に、絶対の自信があるように僕には見えた。
「だから何度も言っているだろう! おやっさんの考えているように、飛行船じゃ飛行機に勝つことはできない、いやその二つを戦わせるなんて無意味なんだよ!! どうしてそれを認めようとしないんだ!」
「ええい、うるさいうるさい!」
「いい加減に目を覚ましてくれ! このままじゃ、おやっさんはいつか死んじまうぞ!」
「だまれ、若造に飛行船のなにがわかる! なににも負けない飛行船は儂の夢なんじゃ! その邪魔をするんじゃない!」
 そう言い放つクワストさんの顔に、いつしか涙が光っていた。
 土気色でしわくちゃになったクワストさんの顔。飛行船……より正確には、戦争に勝つための飛行船に全力を注いできたこの人は、ノルトホルツさんの言うように戦争における飛行船を否定することができないのだろう。
 ――と、操船場の方から出港用意を告げるラッパが聞こえてきた。
「もうおまえらと話している暇はないんじゃ。儂は行くぞ」
「おやっさん、頼むからいい加減にわかってくれ!」
「くどい!」
「クワストさん!」
 僕とノルトホルツさんは、あくまでもクワストさんを引き留めようとした。
 しかし、結局は無駄だった。
「……なあ、坊主」
 クワストさんの乗り込んだ飛行船が雲間に消えた後、ノルトホルツさんがぽそり、とつぶやいた。
「おやっさん、まさか死ぬ気で行ったんじゃないだろうな……」
「ま、まさか」
 僕はその台詞を笑い飛ばそうとして、失敗した。
 クワストさんは、死ぬ気で行ったんじゃないか。
 それは僕も、なんとなく感じていたからだ。
 戦争における飛行船は、もはや死に等しかった。
 自分の孫のように手塩にかけて育て上げたものが役立たずの烙印を押されるのだ。クワストさんにとっては、その最後を見るくらいなら……と思ったのだろう。
「頑固親父だが、俺らにとっては本当の「おやっさん」だからな…。無事に、帰ってきてくれるといいんだがな……」
「そうですね……」
 僕は、空の一転をずっと凝視したままだった。
 一九一八年八月。夏の日差しの厳しい、昼のことだった。


 ドイツ飛行船部隊の象徴ともいうべきペーター・シュトラッサー大佐が陣頭指揮を執った八月五日のロンドン空襲は、最新鋭の旗艦L七〇以下六隻が舳先を連ねて大英帝国の勢力圏に侵攻した。その搭載する爆弾がすべて投下されればロンドンは甚大な被害を被っただろう。しかしながら、彼らの前に立ちふさがったのは、もはや飛行船にとって天敵以上の存在になった航空機の群だった。鮫の群に襲われた鯨のように飛行船は無様に逃げ回り、何とか目標に爆弾を投下しようとする。しかし速度と旋回性能に勝る航空機が何度も何度も食らいつくように攻撃を仕掛ける。
 そして何度目かの攻撃で、夜空に大輪の花が咲いた。
 水素ガスを満載した気嚢を貫いた銃弾によってガスが引火爆発、そこに加えて搭載爆弾が誘爆したのだ。
 旗艦と、クワストさんの乗っていた船の二隻が空に散った。その他の飛行船もほとんどが傷つき、よろめくように基地に帰ってきた。
 事実上、ドイツ飛行船艦隊はここに終焉を迎えた。クワストさんは、その終演を見ることなく亡くなった。
 ノルトホルツさんはそのニュースを聞いても顔色一つ変えなかったが、以前のように軽口を叩くこともなくなった。
 淡々と、クワストさんの抜けた穴を補うように、飛行船の新技術開発に心血を注いでいた。僕も今までよりももっともっとノルトホルツさんの片腕として設計やその他重要分野に関わるようになり…。
 そして、戦争は終わった。
 飛行船は、兵器として失格の烙印を押された。


「これから、どうするつもりだ?」
 終戦に伴って閉鎖が決定した工場。最後の夜に、ノルトホルツさんが聞いてきた。
「どうする、って……家に帰っても実家は兄が継いでいますから。ここでの技能を生かせる職業につければ一番いいんですけど、終戦で兵隊さんたちがたくさん社会に帰ってきますからね。職にありつくのも大変じゃないかと……」
「だったら、俺についてこないか?」
「ノルトホルツさんに?」
「ああ。おやっさんのつてで知り合った奴が飛行船の会社をやっていてな、そう、ツェッペリンの会社だ。エッケナーって奴なんだが、飛行船の定期航路を作るんだとか結構おもしろいことをやるそうだ。で、技術者がほしいと俺のところにきてな、めぼしいやつを連れてくれば飯と給料は保証するってな。どうだ、おまえさえよければ、なんだが」
 僕は、迷うことすらなかった。。
「是非、お願いします!」


 戦後の混乱についてはとやかく言わない。
 戦争に負けた国というのは、悲しすぎる。
 町にあふれる失業者、莫大な賠償金。虚脱感に襲われた国民。
 そんなありふれたもの以上に僕にとってショックだったのは、戦争をかろうじて生き抜き、国内の民間航路に利用されている飛行船をイギリス・アメリカなどの戦勝国が接収するということだった。
「彼らは何の権利があって、僕たちの作った飛行船を持って行くんですか!」
 引き渡しが近くなったある日、僕は酔っぱらってノルトホルツさんにそう絡んだ。ノルトホルツさんはそれに対して、
「仕方がないのさ。戦争に負けた国はどこもこんなものだ」
「でも、だからといって」
「それに、飛行船を作り続けるためには、いまこの産業基盤をつぶさせる口実を与えるわけには行かないんだよ。今の数隻を我慢すれば、将来的には世界の空を、俺たちの飛行船が埋め尽くすことができるんだ」
「世界の空を……」
「どんなにがんばったって、イギリス野郎やアメリカ人に俺たちの技術が習得できるわけじゃない。それに、残っているのは大抵が老巧艦ばかり。くれてやっても、別段惜しい訳じゃない」
 僕はいささか忸怩たる思いでそれを聞いていた。
 しかし、一番悔しかったのはノルトホルツさんだろう。
 老巧艦、というが、それはつまり、死んでしまったクワストさんや多くのドイツの技術者が心血を注いで建造したものだ。その思いですら、僕らは奪い取られるがままになっている。
「今に見ていろ。俺たちの飛行船の技術力を。おまえたちの作ることができないようなすばらしい船を、作って見せてやる」
 それが、おやっさんに対する最大の供養だ。
 物言わぬ唇が、そう語っているように僕には思えた。



 時は、瞬く間に過ぎ去っていく。
 一九二九年八月。僕たちは得意の絶頂にあった。
 アメリカ合衆国。レイクハースト。
 大地を埋め尽くした群衆の中に、一隻の飛行船が巨体を休めている。
「どうだ、アメリカ人が度肝を抜かれているぞ」
 ノルトホルツさんが、窮屈なタキシードには不釣り合いな無骨な笑いを僕に向けた。同じように、僕も笑いを返した。
 全長二三六メートル。六〇トンの貨物積載力を持ち、二五〇〇馬力の牽引力で最高時速一三〇キロを誇る、最新鋭の飛行船。
『グラーフ・ツェッペリン』
 巨体の真っ白な船体側面に、その文字が誇らしげに踊っていた。
「ドイツ人が作った、ドイツ人の船が、アメリカ人にここまで衝撃を与えたんだ。おやっさんも、これでうかばれるだろうな」
 確かにその通りだった。ここまでの大きさの飛行船を作った国は、未だかつてない。加えて言えば、この『グラーフ・ツェッペリン号』ですら、将来的な大型旅客飛行船のための実験機にすぎないのだ。
「どうだ、坊主。「自分の飛行船」を設計した気分は?」
「まだですよ。あの船の設計に関わったとはいえ、それは僕一人の功績じゃないですからね」
「おいおい、あの雛っ子がずいぶんといっぱしの口を利くようになったなぁ」
「誰がそう育てたんですかね。少なくとも自分のせいじゃないはずですけど」
「まあそうだろうな。こいつはきっと、あのおやっさんのせいだろう」
「じゃあ、おやっさんの下でずっと働いていたノルトホルツさんは、僕以上にこういう性格なんですね」
「うぐっ……」
 言いこめてやった、とばかりににやりと笑い、僕は再び飛行船の方に視線を戻した。 スマートな流線型のライン。力強い尾翼の伸び。つり下げられた最新鋭のマイバッハエンジンが、時々暖気運転を行う音が聞こえる。そのたびに、観衆の間から熱狂にも似たどよめきが聞こえ、今更ながら僕はこんなものを作っていたのか、と感動した。
 しかし。
「まだだ、まだ、俺の夢は実現しちゃいない」
 表情を改めたノルトホルツさんが、僕の横でそうつぶやいた。
「どんなにあの船がすばらしくても、あれ一隻じゃどうにもならない。俺の目的は、この空のすべてをドイツの飛行船で埋め尽くすことなんだ」
「すべての空を……」
「そうだ。以前にも言っただろう? 世界の空を、俺たちの飛行船で埋め尽くすこと。それが俺の夢だ。今日までは、おやっさんの夢のためにやってきた。たしかにドイツは……飛行船は戦争では負けたが、こうやってあいつらに見せつけてやることができたんだ。だから、ここまでだ。これから先は、俺は俺自身の夢に生きさせてもらう」
 ぐっと感情を込めて、ノルトホルツさんはそう言いきった。
 エンジン音がひときわ高く鳴り響き、出港が近いことを伺わせた。


 いっそう、仕事は忙しくなった。
 就航した飛行船のメンテナンスから、新型飛行船の設計、開発。エッケナーさんが奔走して資金を調達し、それを元にノルトホルツさんと僕が二人で開発を進める。
 まさに身体がいくつあっても足りないと行った状況だった。
 毎日が工場の設計室泊まりで、世間の事情など全くわからない。だから、
「ヒトラーが、ついに政権を握った」
 などと言われても、それが何のニュースか理解するのにしばらく時間がかかった。
 エッケナーさん……ノルトホルツさんの知り合いという、この飛行船会社を経営する人はヒトラーを嫌っているらしく、事情をよく知らない僕らの前で愚痴をこぼしていた。
「政治家気取りのごろつきどもが飛行船を宣伝道具に使うだなどと、はん、気が狂っているとしか思えん。あんな醜悪な国旗を船尾に描いて飛べとは、飛行船への侮辱だ。そもそもあれはヒトラー個人のものでもナチスのものでもない。いや、ドイツという国ひとつに収まるべきものですらないのだ」
 忙しいノルトホルツさんに変わって必然的に相手をする羽目になった僕だったが、エッケナーさんの言うことはよくわかった。
 飛行船は、ドイツ一国のものであるべきじゃない。
 世界中のどこの人、どんな人のものでもなければ、飛行船は意味がない。
 僕は、そう思っている自分に気づいていた。
 しかし……ノルトホルツさんは、「ドイツ」の飛行船で世界中の空を埋め尽くすことを考えている。だからというわけではないが、政権を握ったヒトラーとナチスに対しては比較的好意的だった。
 自然、エッケナーさんとノルトホルツさんは亀裂を深めていった。
「エッケナー、おまえの言うことはわかる。確かにわかるが、俺の夢を実現させるためには、どうしてもドイツは強い国でなければならないんだ!」
「貴様は夢を政治の道具にするつもりか! 儂はそんなくだらんことのためにおまえをここに引き込んだのではないし、クワストだってそんなことを望まんかった! だいたい貴様の夢は、「自分」の飛行船で世界の空を埋め尽くすことではないのか! どこで考え違いをしている!」
「そうかもしれないが、俺の作った飛行船といったって、実際のところその資金を出してくれているのはどこだ? 誰だ? このドイツを統治するナチスと、その下にいる資本家じゃないか。『俺』の飛行船はすなわち『ドイツ』の飛行船なんだよ! 彼らがいなければ資金もない、土地もない。そんなのでは飛行船を作るなど夢のまた夢。それがわかっているのはなによりおまえ自身だろうが。なら、すこしでも反抗的な態度をとるのをやめて気前よく資金を出してもらうようにしろ!」
「儂は政治家や金持ちにおべっかを使ってまで飛行船を作ろうとは思わん! いいものは必ず認められる。その信念はこの会社の創始者だった伯の頃から変わらん! だいたい考えてみんか! おまえの今回の新型飛行船にしても、浮力ガスのヘリウムはアメリカからでないと手に入らんのだぞ! 国際航路を開くんのなら、世界中の国に飛行船の発着場を作ってもらうことも必要だ。そんなところにドイツドイツと力を振りかざして、いったい何の意味がある!」
「ドイツが弱小国ならば船の発着場など作ってくれん! それ相応の畏怖と敬意をうけなければならないのだ!」
「力の押しつけがいい結果を生むわけがないというのが、なぜわからん!」
 ……深夜まで、二人の議論は続いていた。
 そして僕は何をしていたかというと、その議論に背を向けるようにして、設計図と格闘を続けていた。
 逃げたのかもしれない。ただ単に、飛行船だけを楽しんで作りたいという思い。そして心情的にはエッケナーさんの方にある僕が、ノルトホルツさんと対立することを。
 僕は二人の会話から耳をふさぎ、目を閉じ、そして図面を引き続けた。
 新型飛行船の設計図。エッケナーさんが怒鳴っていたそれを、僕はひたすら作り続けていた。 全長二四五メートル。積載重量六〇トンの化け物ともいえる飛行船。クワストさんの飛行船が全長一二〇メートル、積載重量二〇トンあまりであったことを考えれば、倍以上の性能を持つ巨船になる。骨子をノルトホルツさんが設計し、細部の細々とした部分を僕がつめていく。『グラーフ・ツェッペリン』で培ったノウハウと、そして多くの新機軸を盛り込んだ、最新技術の結晶。
「こいつが完成して、国際航路に乗り込めば、また俺の夢に近づくんだ」
 ノルトホルツさんが、このときばかりは昔のように無邪気な瞳で、僕に語ってくれた。「しかも、ヘリウムガスは安全面で水素ガスとは比較にならないほどの信頼性を持っている。これで、飛行船はさらに安全なものになるんだ」
 今回の飛行船の設計から、水素ガス……少しの火花で大爆発を起こす危険なものから、ある程度浮力は落ちるものの格段に安全なヘリウムガスを積み込むことを考えていた。『グラーフ・ツェッペリン』に比べて船体が大きくなったわりに積載重量が増えていないのはこのためだが、それでも僕やノルトホルツさんはかまわなかった。
「墜ちるよりはましさ」と。


「…で、今回の飛行船、完成したらなんて名前になるんですか? ノルトホルツさんなら知っているんじゃないですか?」
 すべての設計図を書き上げた夜。祝いをかねて一杯やりながら、僕はそれとなく聞いてみた。
 ノルトホルツさんは今回の新型飛行船に技師長として同乗し、さらに新しい船のための気流や機関、バランスなどのデータを集めてくることになっていた。といっても、今後の長期運行を見込んでのことで、期間は二年ほどの間だ。その間僕は、同型艦の建造を監督することになっている。
「ん? ああ、でもなぁ。こいつは秘密だからなぁ」
 案の定、ノルトホルツさんは秘密を隠している子供のような笑みを返してきた。
「どうせそのうちわかるんですから、今教えてくれてもいいじゃないですか」
「でも、そいつはやっぱりなぁ」
「なに言ってるんですか。それに、聞いたところで機密を漏らしたわけでもないし、いいじゃないですか。教えてくださいよ」
 そう言いながら僕は、新たな酒を一杯、ノルトホルツさんのグラスに注いだ。
「まあ…いいか。おまえとのつきあいも長いし、何より一緒にこの船を造ったんだからな」
 目の前におかれたグラスを一息にあおり、ノルトホルツさんは酒臭い息とともにその名前をつぶやいた。
「『ヒンデンブルク』だよ」
「『ヒンデンブルク』……」
「俺の命名じゃない。エッケナーがそう名付けた」
「エッケナーさんが?」
「そうだ。上からは、いろいろと圧力がかかっていたんだがな」
 ナチスの存在を暗ににおわせながら、ノルトホルツさんは僕からワインの瓶をひったくると、荒々しく新たな一杯をグラスに注いだ。
「彼らは飛行船の名前を『アドルフ・ヒトラー』にしろ、と言ってきた」
「そんな……」
 僕はあきれてものも言えなかった。
 ドイツの船や飛行船に、人物の名前を付けることはよくある。しかし、それは大抵において亡くなった過去の偉人から命名するのが常で、今生きている人間からとるなどと言う愚挙をやった例は全くなかったからだ。
「前例にこだわっていては駄目だ。これからのドイツは変わっていかなきゃならない。それをエッケナーは、個人の崇拝になるからだめだ、とはねつけやがって……」
「でも……」
「いや、俺だって『アドルフ・ヒトラー』にするのは正直賛成できない。こいつはナチスの船じゃなく、俺の船なんだからな。ただ、だ」
 白銀色の液体をじっと眺めながら、ノルトホルツさんは言葉を続けた。
「『ヒンデンブルク』はいかん。あいつは戦争で英雄になり、その人気で大統領となり、そして平和になったおかげで消えていった男だ。飛行船の未来を担うこの船につけるべき名前にしちゃあ、悪すぎるんだよ」
「……」
「まあ、迷信といっちゃそれまでだがな。それより、今夜は飲もうぜ、坊主。飛行船の未来と夢に、乾杯だ!」


『大変です! ヒンデンブルク号が火を噴きました! 本当です、これはいったいどうしたことでしょう! ああ、ヒンデンブルクが燃えています!!』
 ラジオから流れてくるアナウンサーの悲痛な叫びを、僕は呆然と聞いていた。
 足下がともすればぐらつきがちになる。かろうじて、机に手をついて自分の身体を支えた。目の前が、かすむようにぼっとしていた。
 ヒンデンブルクは、順調に航海していたはずだった。
 数度の大西洋横断飛行をこなし、その間トラブルらしいトラブルは見つからなかった。先日帰ってきたノルトホルツさんは、様々なデータを手に嬉々としてこの船の素晴らしさを語っていた。
 そして数日前に、「んじゃまた、ちょいといってくるわ」と笑いながら研究所をでていったノルトホルツさんの背を見送って、彼の乗った飛行船がアメリカに到着する様子をせめてラジオで聴こう、と思ってスイッチをひねったとたん……この台詞だった。
 ――原因はいろいろあったけれども、そのひとつは、やはりガスだった、
 ヘリウムガスを使用することを前提に設計を進めたものの、最終的にガス自体が手に入らず、結局以前の水素ガスを浮力として利用するしかなかったのだ。
 ノルトホルツさんやエッケナーさんは、必死に関係局にヘリウムガスのアメリカからの輸入を要請した。彼ら自身、アメリカに直接赴いて合衆国政府に申し出た。
 答えは、いつもノーだった。
 ナチスは、飛行船を兵器として使う可能性がある。兵器となる飛行船に使用するヘリウムガスを、合衆国は輸出することはできない。
「皮肉なもんだ。兵器として失格の烙印を押されたはずなのに、その烙印が未だに足を引っ張るなんてな」
 何度目かの陳情がいつものように失敗した帰り道、ぼそりとノルトホルツさんがつぶやいていた。
「おやっさんの亡霊でも、でたかなこりゃ……」
 飛行船を政治の道具なんぞに使うから、罰が当たったんだろうか。
 言外にそんな雰囲気を漂わせるその言葉に、僕はなにも返事を返せなかった。


 一九三七年五月六日。
 アメリカ合衆国、レイクハーストで『ヒンデンブルク』は墜ちた。
 ノルトホルツさんの夢と、彼自身を紅蓮の炎に巻き込んで。


「……いったい、僕は何をしていたんだろう」
 一九四四年末。
 呆然と、僕は考えていた。
 飛行船を作っていたかった。ただ、それだけだった。
 クワストさんに飛行船についての初歩を教わった。ノルトホルツさんの下で、それをさらに発展させることを教わった。教わってばかりだった。
 二人が亡くなった今、僕がそれを……飛行船のこと、そしてそれ以上の何かを、誰かに伝えなければいけないはずだった。
 しかし、その伝えるべき飛行船を作ることは、もうできない。
 『戦争に、飛行船は何ら寄与しない。故に、資材を回すことはできない』
 一九三九年の開戦後しばらくして、空軍省のお偉方は工場に来るなりそう言ってのけた。
 『飛行船に関する国家補助はうち切られる。現在保有している飛行船も、即刻解体してもらおう』
 その資材を、航空機の製造に回すのだという。エッケナーさんと僕は必死に抵抗したけど、それも無駄だった。
 彼らの関心はすでに別のものへ、航空機という新しい技術へと移ってしまった。
 一九四〇年五月。
 工場にあった飛行船はすべて爆破され、資材は軍隊が持っていってしまった。
 そして今、僕の目の前には焦土が広がっていた。
 ベルリン。
 アメリカ軍のB−17爆撃機による爆撃で、すべては吹き飛ばされてしまった。
 飛行船よりも安価で、飛行船よりも機敏で、そして飛行船並みの爆弾を搭載した爆撃機の編隊が、毎晩のように爆撃を加えた結果だ。
「飛行船の存在価値は、何なんだろう」
 そんな思いが、僕の胸を去来していた。
 戦争の道具としては失格の烙印を押された。国の威信としては不適格とみなされた。空は、飛行機の支配するものとなった。
 もう、飛行船の意味はないのだろうか。飛行機さえあれば、全ての飛行船は否定されてしまうのだろうか。
 ――いや、ちがう。
 僕は頭を大きく振った。
 レイクハーストで『グラーフ・ツェッペリン』を見たときに人々が見せた熱狂。
 ドイツ各都市を飛行して回ったときの、市民の歓迎ぶり。
 それほどの意識の高揚を、飛行機が与えることはない。そこにこそ、飛行船の価値はあるんじゃないのか?
 そこまで考えて、僕ははたと気づいた。
 飛行船は、夢見ること、夢を与えることにこそ存在価値を持つのではないのか?
 クワストさんは最強の飛行船を。ノルトホルツさんは空を埋め尽くす飛行船を夢見た。 僕が夢見ていたものは、もしかしたら、『自分の手で飛行船を作ること』ではなく、『自分の作った飛行船で、人々が熱狂すること』ではないのだろうか?
 今までのように、巨大な飛行船を作ることはできないだろう。しかし、飛行船はなくとも、飛行船のことを語ることで、人々に夢を与えることはできる。
 人々の心の中では飛行船は何にもかえ難いものになり、また世界中に飛行船の夢は広がっていく。僕やクワストさん、ノルトホルツさんと同じ夢を見る人がでてくるかもしれない。そしてその夢が形になったとき、もう一度、船は空を飛ぶのではないか。
 そう思うと、僕の胸の内はなんだかすっきりした思いだった。
「わかった、わかりましたよ」
 僕はそうつぶやいた。誰かに、何かに。返事はなかったけど、それでもかまわなかった。僕の顔は先ほどまでと違って、晴れ晴れしたものだったに違いない。

 

「おじいちゃん、ほら、飛行船!」
 その言葉に、私は空を仰いだ。
 街を見下ろす丘の上。私の傍らで、孫娘がうれしそうに空の一角を指さしている。
「ほらほら、あそこあそこ!!」
 最近すっかり衰えてしまった目を皿のようにして空を探すと、街の教会の上の方、そこに一隻の飛行船が見えた。どこの会社かは忘れたが、なにやら広告を側面に張り付けた飛行船だった。
「飛行船、おそらを飛んできもちよさそう……」
「ああ、そうだね」 
 にっこり笑って、孫娘の頭をなでた。それを彼女はうっとうしげにはらうと、再び飛行船へと視線を注ぐ。私はその様子を苦笑いとともに眺めながら、自分も飛行船へと再び目を向けた。
「ほんとうに、気持ちよさそうだ」
 流れる雲と併走するように、その飛行船は私の視界を右から左へと流れていく。
 ……戦後、飛行船開発は私の予想と裏腹に再開された。こじんまりとした、ノルトホルツさん、クワストさんたちが作っていた巨大なものではないにしても。
 しかし、私はそれに参加することはなかった。その代わりに、私が飛行船に関わってきたこと、飛行船に関わってきた人のことを、私はドイツ各地で講演して回った。エッケナーさんが生きている間は彼と共に。彼が亡くなってからは、私一人で。
 各地で、私は多くの人々の歓迎を受けた。私の話す一言一言に誰もが聞き入り、そして瞳を輝かせていた。
 飛行船の夢は、多くの人に共有された。
「ねえねえ、またいつものお話、きかせて!」
 飛行船から目を離した孫娘が、私の方に向かってそう言った。
「またかい? いい加減飽きないのかい?」
 口ではそう言いながらも、私はうれしそうに顔をほころばせた。
 この子の心の中にも、飛行船は生きている。
 クワストさんの夢も、ノルトホルツさんの夢も、そして、僕……私自身の、夢も。
「わかったよ。さ、おじいちゃんの膝においで」
「うん!」
 孫娘は草の上に腰を下ろした私にぴょんと抱きつくと、膝の上に座って、わくわくした様子で私を見上げた。
 私は孫娘を抱き上げながら、飛行船の方に目をやった。
 悠々と空を飛ぶ飛行船。その脇に、私やノルトホルツさんの作った巨大な飛行船が見えたような気がしたのは、一瞬の幻かもしれない。
「そうだね……昔、ドイツはイギリスと戦争をしていて、おじいちゃんもそれにかり出されて、工場で働くことになったんだ。おじいちゃんが飛行船の工場に入ったのは、ちょうどその飛行船が遠くイギリスまで爆弾を落としに行ったのと同じ月のことで……」






*『燃え尽きた夢の果て』は、1997年、同人誌にて発表された同名タイトルを加筆、修正したものです。