5.戦後の旧軍施設

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1.戦後の旧軍施設の転用方針

 敗戦後、市当局は膨大な軍事関係施設を原則として元の地権者に返還することにしたが、特に広大な施設である鈴鹿海軍工廠及び鈴鹿海軍航空基地関係施設の2つの施設の利用についてはGHQの自賠責物件が多く設定されてはいたが、将来の産業発展を考え、有効な施設に産業転換させるため「臨時復興対策本部」を設置して、軍事施設の転用計画に着手した。計画は平和産業誘致に主体がおかれた。その結果、各施設は次の方針に従って転用されることに決定して進駐軍の許可をとることになった。         



















 

施 設 名

転  用  方  針

鈴鹿海軍工廠
 本 部
 同 第一会議所
 同 第二会議室
 同 宿舎付属施設
 同 平野第二宿舎
 同他の宿舎及住宅
鈴鹿海軍航空基地
                           第二海軍航空廠
三菱航空機関連施設
                           海軍施設部
陸軍第581部隊
三菱関係宿舎
軍病院
海岸兵舎
雁部隊病院
長太海軍送信所

日本再建に必要な中小平和産業工業地帯
工廠の転用工場街へ来訪する者の宿泊施設
市役所庁舎
市立青年学校校舎
友禅染色工場
一般のアパート、転用工場の従業員住宅
目下のわが国の食糧事情緩和上必要な栄養食製造ならびに研究機関、学校教育施設
漁網及び建築資材製造工場など、国家再建上必要施設
国有民営の工場、その他
県醤油味噌統制会社、農機具製造会社など
最高学府の教育機関である京都帝大農学部施設
わかもと製薬及び三重製網の従業員住宅
市国民健康保険病院
市の魚市場
市に払い下げ後、乾燥工場として、その他隔離病院
逓信病院に移管


















 

   転用は方針通りに遂行されたものもあったが、大多数は戦後の不況が影響して計画だけに終わり、実際に進出を決定した企業は16社、従業員数にして約300人に過ぎなかった。また鈴鹿海軍工廠跡の寄宿舎を利用して刑務所設置の話もあったが、地元の反対陳情で立ち消えとなった。戦争の落とし子である軍施設を工業用地に転用して近代工業化をはかろうとした鈴鹿市は、戦前の単なる町村の集合体に逆戻りしてしまったのである。事実、1948年には白子地区と石薬師地区の分離独立問題が表面化して、市の解体論議が活発化した。しかし1950年の朝鮮戦争による特需以降は景気も回復して、土地の提供と税制上の特典によって誘致の促進をはかった結果、1952、3年頃から呉羽紡績、大東紡績など繊維産業を中心に大企業の工場が進出し始めた。また、60年には本田技研工業が鈴鹿海軍工廠跡に進出し、その関連企業と共に今日の鈴鹿市の工業の基盤が確立されるに至ったのである。


2.鈴鹿市の軍事施設その後の推移

  (旧海軍施設)





























  








































    

   
    施 設 名

戦 後 の 推 移 ( )内は年度

    現  在
鈴鹿海軍工廠
 本 部










 同 工員養成所
 同 第1会議所
 同 第2会議所
 同 資材置場
 同 疎開倉庫群
 同 天名地下倉庫群
 同 山手発射場
 同 海岸発射場
 鈴鹿海軍共済病院
 甲号官舎
 乙号官舎
 丙号官舎
 岡田第1・2宿舎
 汲川原宿舎
 平野第1宿舎
 平野第2宿舎
 国府第1・2宿舎
 野田第1宿舎
 野田第2宿舎
 野田第3宿舎
 野田第4宿舎
 住吉第1宿舎
 住吉第2宿舎
 国府住宅
 平野住宅
 大池住宅
 平田住宅
 住吉住宅
 道伯住宅
 地子町住宅

旭ダウ(53)→旭化成
倉毛紡績(56)→鐘淵紡績(64)
本田技研工業(60)
八千代塗装(60)→八千代工業
湯浅電池販売(60)
ホンダ運送(60)→ホンダエクスプレス
日本陸送(60)
ホンダ開発興業(60)→ホンダ開発
清水製作所(60)→増田製作所
日通商事
平田野中学校(63)
平田郵便局→逓信講習所→電話交換局
来賓館→愛宕下に移築(貴賓館)
市役所水道課分室→一般アパート
日本コンクリート(56)
山林→テクニランド→ホンダランド
山林→青少年の森公園、
山林→テクニランド→ホンダランド
農地→鼓ケ浦小学校(80)
鉄道病院(45)→鈴鹿逓信病院(50)
住宅
住宅
住宅



下鴨染色会社







市営住宅(47)
農地
市営住宅(47)
市営住宅(47)
市営住宅(47)
海外引揚者宿舎(46)→市営住宅(47)
市営住宅(47)

旭化成
ベルシティー
本田技研工業
八千代工業
ユアサ電池S
Hエクスプレス
日本陸送
ホンダ開発
増田製作所
日通商事
平田野中学校
NTT庄野電話局
平田2丁目14
平田2丁目10
日本コンクリート
スズカサーキット
(同 左)
スズカサーキット
鼓ケ浦小学校
鈴鹿逓信病院
庄野町3624他
平田1丁目1〜14
平田1丁目15
弓削町500他
ホンダエクスプレ
平野町7716他
平野町576他
国府町2200他
道伯1−12〜24
道伯2丁目4・5
道伯2丁目1〜3
道伯3丁目1・4・6
住吉3丁目1・2
住吉3丁目25
国府新町
平野町1200他
大池2丁目
大池1丁目2〜10
住吉1丁目1〜29
道伯1丁目2〜10
三日市南1丁目
第一鈴鹿海軍航空基地
 鈴鹿海軍航空隊兵舎
 同 滑走路

 鈴鹿海軍航空隊射撃場
 海軍将校集会所(海仁館)

わかもと製薬(46)→電気通信学園(49)
白子中学校(47)、旭が丘小学校(65)
大東紡(53)、市営住宅
鈴鹿警察署射撃場→農地→東海電線
市立工業学校(45)→公民館・図書館

NTT研修センター
(同 左)
(同 左)
住友電装
白子公民館
第二鈴鹿海軍航空基地
 同 滑走路
 雁部隊本庁舎

 雁部隊兵舎及び病院
 若松送信所

川崎電機(62)、味の素(70)
市立工業学校(47)→第7中学校舎(47)
県営鈴鹿開拓団(46)
伊勢湾産業、塩田→塩干魚加工組合
農地

富士電機 、AGF
NTT玉垣社宅、他
暁町
白子1−17〜28
若松西2-7
第二海軍航空廠鈴鹿支廠
 三菱重工三重工場



 同付属病院及び付属購
    買所
三菱航空機鈴鹿整備工場
 三菱従業員住宅
二空廠鈴鹿補給工場


 玉垣宿舎及び住宅
 砂山官舎及び会議所
 砂山工員住宅
 一ノ宮防空砲台

三共油脂(46)→呉羽紡績(52)→
 東洋紡績
千代崎中学校(49)
市営住宅
日赤鈴鹿病院(49)→鈴鹿厚生病院
市立伝染病舎(47)
国立鈴鹿高専(62)
住宅
丸宮鉄工所(46)→パラマウント硝子(62)
三重製網(46)→日東紡績(62)
桜島小学校(83)
被災者収容所(46)→国営住宅(53)
住宅          
市営住宅
住宅

鈴鹿医療大学
トリックス、住宅、
千代崎中学校
東玉垣500番地
鈴鹿厚生病院
鈴鹿厚生病院
鈴鹿高専、住宅
北江島町
パラマウント硝子
日東紡績
桜島小学校
東玉垣団地
岸岡町2528
南若松町砂山
長太新町3・4丁目

 (旧陸軍施設)




    
    






 
    施 設 名

戦 後 の 推 移 ( )内は年度

    現  在
陸軍第一気象連隊

               陸軍航空軍教育隊
北伊勢陸軍飛行場


 同 兵舎
 同 誘導路
亀山陸軍病院
 
中部農場→県立家畜増殖基地農場(52)→一般農場、県消防学校、石薬師高校
農地→ホンダエクスプレス
農地
古河電工(70)
川崎国民学校(46)→川崎小学校
開拓農業共同組合
国立鈴鹿病院(45)→国立療養所鈴鹿病院(53)
石薬師高校、  県消防学校
          白鳥レイクタウン
農地
古河電工、他
川崎小学校
農地、他
国立療養所
 

                                        

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