BACK

いっしょに戦争遺跡を守りませんか

              鈴鹿市の戦争遺跡を保存・平和利用する市民の会

                   (共同代表 加藤二三子・竹内宏行)

 あなたが勤めている会社・工場、あなたが通っている学校、あなたが買い物しているショッピングセンター・・・。60数年前、そこには飛行場や兵器生産工場などの軍事施設がありました。太平洋戦争さなかの1942年12月1日、河芸郡、鈴鹿郡の2町12村が合併して誕生した鈴鹿市は「軍都」だったのです。軍都として生まれた市、それを基盤に戦後、平和産業が立地した市。そんな歴史を、実は私たちもよく知りませんでした。長年、戦争遺跡の調査、発掘、記録をされてきた研究者から話を聞き、実際に現地も見たりして、無知を恥じるとともに、後世にきちんと伝えていかねばならないと考えました。そこで立ち上げたのが「鈴鹿市の戦争遺跡を保存・平和利用する市民の会」です。研究者によれば、鈴鹿市の軍事施設は3つのグループに大別されます。第一のグループは市の中央部、平田町、算所町、岡田町、道伯町、住吉町、庄野町、平野町、国府町にまたがる鈴鹿海軍工廠を中心とするものです。ざっと1万人が働き、機銃と弾薬を製造していました。いま、ホンダ、旭化成、ベルシティーなどが立地しています。第二のグループは市の東部、旭が丘町から玉垣町にかけての鈴鹿海軍航空基地と三菱航空機製作所の航空機関連施設の一群です。航空基地で飛行兵を養成、三菱の工場で飛行機を組み立てていました。いま、NTT研修施設跡地のほか、白子中、旭が丘小、千代崎中、鈴鹿高専、富士電機、味の素ゼネラルフーズなどになっています。第三のグループが市の北西部、鈴鹿川左岸の陸軍の諸施設。陸軍第一気象連隊(石薬師町)、陸軍第一航空軍教育隊(高塚町)、北伊勢陸軍飛行場(広瀬町から亀山市能褒野町にかけて)などがありました。敗戦後、農村地帯に戻りましたが、跡地に石薬師高校、県消防学校、古河電工、白鳥レイクタウンなどができました。

 こうした旧軍施設にかかわる戦争遺跡はいまでも市内各所に多く残っています。中でも敗戦後、電気通信学園(NTT西日本鈴鹿研修センタ)として再利用された白子町新地の第一鈴鹿海軍航空基地跡には、第3から第5までの3つの格納庫と滑走路跡、射撃場、正門、番兵塔が残っています。一見して分かるまとまった戦争遺跡で、軍都の面影をはっきり残しています。とくに3棟の格納庫は当時の格納庫の建築様式が完全に残っており、巨大な3棟が連なる景観とともに全国的にも稀で貴重な戦争遺跡であると、研究者らは評価しています。しかし、「NTT西日本鈴鹿研修センタ跡地利用計画」が策定され、開発の名のもとに、格納庫群、滑走路跡、射撃場などが取り壊される恐れが出ています。貴重なこの戦争遺跡を、経済効率優先で失うとしたら、将来に大きな禍根を残すと考えます。よそから移り住んだ人が多くなり、しかも戦後生まれが大半を占める今日。鈴鹿市が軍都であったことを知る人は少なくなる一方です。戦争は遠い過去のものとなり、その苦難の歴史を受け止めることが難しい時代となりました。しかし、それだからこそ、いまある平和も発展も悲惨な戦争の結果であること、将来にわたり二度と同じ過ちを犯してはならないことを学び、若い世代に伝えていかねばなりません。それを実物として教えてくれるのが、戦争遺跡です。

 私たちはこの6月、鈴鹿市と鈴鹿市文化財調査会に「旧第一鈴鹿海軍航空基地格納庫群他の文化財指定及び保存に関する要望書」を、8月には西日本電信電話会社に「保存と平和利用」を求める要望書を提出しました。三畑町の北伊勢陸軍飛行場掩体は国の登録文化財になっており、こうした実績を踏まえた要望です。格納庫は小栗康平監督の映画「埋もれ木」のロケに使われ、小栗監督は映画センターとしての活用を提起していました。もし格納庫が平和博物館として活用されれば、全国でも珍しい「戦争遺跡を活用した平和博物館」が実現することになります。

 ささやかなメンバーがささやかな活動を始めたばかりです。多くの人たちの賛同を得て、大きな力にしていきたいと願うものです。 

「鈴鹿市の戦争遺跡を保存・平和利用する市民の会」                         

 事務局連絡先                      

〒510-0254 鈴鹿市寺家1−2−47

пEFAX 090−388−6508

メール ta818hi@mecha.ne.jp

竹内宏行 方

 

※この会にご賛同いただける方は住所、名前、連絡先(電話、メールアドレス)などを上記に連絡してください。

年会費は1000円。講演会、見学会の開催、会報の発行などにあてます。