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日本とブラジル

第1章  ブラジルの地理

1.ブラジルの位置

 ブラジルは南アメリカ大陸にあり、面積854.7万kuは世界で5番目、日本の面積(37.8万ku)の約23倍もある広大な面積の国です。東西は約4320km、南北は約4400kmで、日本から東南アジアのタイまでのに相当します。日本からブラジルは地球のほぼ反対側にあり、鈴鹿からリオデジャネイロまで約2万 kmあります。日本からで約24時間もかかり、アメリカ合衆国など途中で給油しないと直行では行けません。日本とのは12時間で、日本が昼の時はブラジルは夜になります。またブラジルは南半球にあるため、日本とは季節が逆で、日本が夏の時、ブラジルは冬になります(ただしブラジルの大部分はやなので、冬といっても日本ほど寒くはありません)

2.ブラジルの地理

 ブラジルの地形は大きく、北部アマゾン川流域のと南部のに分けられます。アマゾン川は全長6516kmでナイル川についで世界2番目、は70500kuで世界最大のです。アマゾン川には無数のが流れ込み、の流域は熱帯雨林気候で、一年中高温ですが、32度を超えることはになく、平均22〜28度ぐらいです。は20004000mmで、そのためジャングル(セルバ)を形成し、多くのがしています。南部の高原地帯は高度800〜1000mぐらいの高地で(サバナ気候)にしていますが空気がしていてすごしやすい。ここでは雨ばかりふる(12月〜5月)とほとんど雨の降らない(6月〜11月)があります。雨季には緑の草原(カンポ)になりますが、乾季には草がれてしまいます。またアルゼンチンと接するブラジルの南端部ははっきりとしたがあって日本の気候とよく似ています。ブラジルの山で一番高いのはベネズエラとのにある「ピコ・ダ・ネブリーナ山」で3014mあります。

3.ブラジルの住民

 現在、ブラジルの人口は約1億7603万人で世界で5番目に多い人口をかかえています。広大な面積のためは1ku当たり21人で日本(340人/ku)の16分の1にあたりますが、北部のアマゾン川流域にはほとんど人は住んでおらず、東南部の沿いに人口は集中しています。

 サンパウロは760mの高原にあり、を含めると人口1000万人を越える世界でも最大級の大都市です。コーヒーの発展と共に19世紀中頃から急激に発展しました。やの本社も多く、プラジルの経済の中心となっています。リオデジャネイロは首都がブラジリアに移転するまではブラジルのでした。人口は約560万人でブラジルでは第二の都市です。背後を山が囲み、美しい海岸にそってビルが立ち並ぶ様は世界でも最も美しい都市と言われ、リオのカーニバルをはじめ、コパカバーナ海岸、コルコバードの丘(キリスト像)など世界から観光客がやってきます。が移転したからといっても、リオデジャネイロはブラジルの文化の中心となっています。

 ブラジルの人種はヨーロッパ系住民が53%で、ポルトガル系やイタリア系、スペイン系の人々が多くいます。次にヨーロッパ人と先住民インディオのの人々(ムラート)が30%、黒人が11%、あとは日系人などアジア系の住民とアマゾン川流域に住むの人々が住んでいます。言葉は少数民族の人々の言葉を除いて、ほとんどがポルトガル語を話します。人種間、民族間の差別は基本的にはないと言われていますが、インディオや少数民族の人々に対するむ姿勢はあるようです。

 宗教は住民の75%がキリスト教のカトリックで残りはプロテスタントなど他のキリスト教徒です。少数ですが、ユダヤ教やイスラム教、のなどをしている人もいます。通貨(お金の単位)は「レアル」では1、2、5、10、50、100レアルの6種類あり、(コイン)として「センタボ」があり、1レアル=100センタボで、1、5、10、25、50センタボの5種類があります。現在、1レアル=約40円ぐらいです。

4.ブラジルの政治

ブラジルは26州と一つの(首都のブラジリア)によって構成されるで、アメリカ合衆国と似ています。全体としてはブラジル連邦共和国憲法があって、それに基づいたがあり、大統領を中心に国会()のによって政治が行われています。中央政府ではと国民の基本権利に関わることを主に行います。しかし各州はそれぞれ独自の(州憲法)をもっていて、細かい政治などは各州が独自で行うことが認めれており、日本に比べ・の強い国家となっています。

 

      ブラジルと日本の政治の違い

 項 目

      ブ ラ ジ ル

       日  本

国家形態

連邦共和国(各州毎に州政府)

立憲君主制

国家元首

大統領(任期4年)

現大統領(ルイス・イナシオ・ルーラ・ダシルバ)

天皇(総理大臣)

現総理大臣(小泉純一郎)

憲法名

ブラジル連邦共和国憲法(1988)

日本国憲法(1946)

国会

上院(任期4年)、下院(任期4年)

二院制

 (任期4年)(任期6年)

地方区

26州と1連邦区(知事)

48都道府県(知事)

裁判所

連邦最高裁判所、高等連邦裁判所、地方裁判所、選挙裁判所、労働裁判所、軍事裁判所、

最高裁判所、高等裁判所、地方裁判所、家庭裁判所、簡易裁判所、

選挙権

18〜70歳は義務

1617歳と70歳以上は希望のみ

20歳以上の全ての国民

 

第2章 ブラジルの生活

1.ブラジルの学校

ブラジルの教育制度は第1から第4課程まであります。第1課程(T Grau)は7歳から14歳までの子どもが学び、8年間がで、日本の小中学校にあたります。第2課程(U Grau)は日本の高等学校にあたり、入学するには入学試験に合格しなければならないことは日本と同じです。第3課程(V Grau)は日本の大学や短大にあたり、4年間から6年間学びます。第4課程は大学院にあたります。しかし8年間が義務教育といっても、の家庭は学校にいかせないこともあり、また学校には一定のに達しなければがせられ、それをきっかけに学校に来ない子どももいます。

【第1課程(小中学校)の学校のようす】

@教科・・・国語(ポルトガル語)、外国語(「英語」が多い)、歴史、理科、算数(数学)、体育、美術、技術、道徳、宗教(カトリック)

A学期・・・前期(3〜6月)、冬休み(7月)、後期(8〜12月)、夏休み(1〜2月)

B授業・・・朝の部→7時半〜11時半(4時間)

  昼の部→13時半〜17時半(4時間) いずれか1つ部を受ける

  夜の部→18時半〜21時半(4時間)

※ブラジルは人口の割合に比べて学校の数が少ないので、同じ学校で朝・昼・夜の3部に分かれて授業を受けます。どの部かは入学時に親がします。

 

2.リオのカーニバル

キリスト教のカトリックではキリストがする日の前の40日間は肉を食べないので、その直前の日は肉を食べることに感謝して思いっきり楽しみます(「」という)。もともとはヨーロッパの祭りでしたが、19世紀半ばにブラジルでも祝うようになりました。ブラジルでは黒人がもたらしたサンバの音楽が加わり、独特なものに発展していったのです。ブラジルではこれカルナルバル(英語で「カーニバル」)といいます。

 を使うので年によって日は決まっていませんが、だいたい2月か3月のはじめの土曜日から4日間におこなわれます(2003年は3月1日〜4日、2004年は2月21日〜24)。カルナルバル(カーニバル)はブラジル各地で行わますが、特にリオデジャネイロで行われるカルナルバルはその規模が大きく、「リオのカーニバル」として世界的に有名です。リオのカーニバルでは、した人々が踊る行列が中心で、1チームが約3000人ぐらいで、全部で約20万人のリオの人々がカーニバルに参加します。その中でも最もカラフル リオのカーニバルでなをきて踊るのが「サンバ学校」の生徒たちのパレードです。中には踊りが激しくてで死ぬ人も少なくありません。それでもブラジルの人々はこの祭りを一年の中で一番楽しみにしているのです。

3.サッカー王国ブラジル

  2002年のサッカーワールドカップではブラジルが優勝しました。ロナウド、リバウド、ロベルトカルロスなどがしたことは記憶にあたらしいところです。ブラジルは過去、ワールドカップで4回も優勝しており、現在、日本代表の監督をしているジーコをはじめ、ペレなど世界的なサッカー選手を輩出しています。かつての日本代表のラモスや現在の日本代表・アレックスもブラジル出身です。ブラジルのサッカーはヨーロッパなどの組織的プレーではなく、伝統的に個人の技術を重視するサッカーに特徴があると言われています。

  ブラジルではサッカーのことを「futebol(フッチボール)」とよび、プロリーグ(26チーム)を頂点に年齢別にが多数あり、全国で数千のチームがあると言われています。ブラジルの各都市には必ずといっていいほど大きなサッカー場があり、リオデジャネイロのマラカナンスタジアムは20万人で世界最大のサッカー競技場です。ブラジルではサッカーはであり、プロリーグの試合などでは、日本とは比べものにならないくらい応援に力がはいります。では小さな子どもたちがプロになることを夢見て毎日サッカーボールで遊んでいます。また国際試合ではその得点や勝敗ひとつひとつにブラジル全国民がします。その他、ブラジルではバレーボールが世界的なレベルにあり、柔道やヨットレースなどのスポーツでも活躍しています。また鈴鹿でもおなじみのF1のレースなどにも人気があります。F1レースで何度も優勝し、10年ほど前に亡くなったアイルトン=セナもブラジル出身です。ブラジルのに「カポエイラ」というものがあり、二人が向き合い、低い姿勢で、相手のスキをねらって蹴りを入れるスポーツです。日本でも最近人気がでてきました。

4.音 楽

ブラジルを代表する「サンバ」はリオデジャネイロに住む黒人たちが自然発生的に生み出したと言われています。リズミカルでよくそれでいて少し激しいサンバリズムは、とて連れてこられた黒人たちの、のアフリカを思い出す音楽だったのです。ブラジルではサンバは一部の人たちがるのではなく、を問わず踊られています。日曜日にはディスコで踊る人々も少なくありません。またブラジルの音楽として有名な「ボサ・ノバ」は1950年代にサンバとアメリカのジャズがしてできたれのいいクラシカルな音楽で、世界的中で歌われています。

 

5.ブラジル料理

 ブラジルでは一般的に朝食はパンとジュース、果物です。昼食と夕食はなブラジル料理であるフェジョアーダをとる人が多い。フェジョアーダ料理とはとし牛肉、ソーセージ、(耳やしっぽ)をにんにく、チリ、こしょうなどでたもので、ご飯にかけて食べます。

他に代表的なブラジル料理を紹介します。

・ヴァタパ(Vatapa)・・・エビを魚といっしょに細かく切るかすり身にして、デンデ油やコ  コナッツミルク、パンとにみます。ご飯の上にかけて食べます。

・エスフィーハ(Esfiha)・・・ひき肉にタマネギ、ピーマン、トマトを加えていため、それを  パンのでんで焼いた肉入りパンです。

・キビ(Quibe)・・・キビとはひきりのことで、ひき肉とタマネギ、ピーマン、ニンニ  ク、パセリなどにキビを混ぜて、それを油でげたスナックです。

 本場のブラジルコーヒーは日本よりも濃いめに作り、たくさんのを入れて飲みます。またアマゾン川流域で採れる果物ガラナ(guarana)を使ったジュースは最近、日本でも人気がでてきました。また酒類では、ビールは西半球で一番おいしいとされ、昔、本場のドイツから指導をうけて作られています。さとうきびからできるラム酒の一種・カシャッサ(cachaca)も人気があります。

 

6.ブラジルのと

・ブラジルの祝祭日と記念日はキリスト教と独立に関係したものが多い。

・名前の※印のついている祝祭日はブラジル全土で休日となります。その他は州や市によ

 って休みかどうかは異なります。

   月  日

  名   前

日・記

 1月 1日

※元 旦

新年をお祝いします。家族、親戚、友人が集まってパーティーをします。

1月の2〜8日の日曜日

 

 

キリストの誕生を告げる東方の三博士がキリストに礼拝した日。

2月の日曜日から3日間

カルナルバル(カーニバル)

ブラジル最大のお祭りで、土曜日の夜から4日間踊ります。特にリオのカーニバルは世界的に有名。

春分の日後の満月後の日曜

パスコア()

キリストの復活の日で、キリスト教で一番大切な日。パーティーをして祝います。

4月19日

インディオの日

のインディオを思い、敬う日。学校では国家を歌い、詩を朗読して祝います。

4月21日

チラデンテスの日

ブラジル独立にした・チラデンテスをたたえる日。

4月22日

ブラジル発見の日

ポルトガルのカルバルのがブラジルを発見し、到着した日。

5月 1日

※労働記念日(メーデー)

国際的な労働者のための日。労働の意義をかみしめ、労働者をたたえます。

5月の第2日曜日

母の日

アメリカからはじまった記念日で母親に感謝します。母に花を贈り、いっしょに食事をします。

6月 5日

世界環境の日

国連が決めた「世界環境の日」に連動して、学校や職場、地域で環境保護について取り組みを行う。

6月1329

フェスタ・ジュニーナ(6月祭)

13日の聖アントニオの日、14日のから29日の聖ジヨアンの日までの一連のキリスト教の行事。

8月の第2日曜日

父の日

「母の日」と同じアメリカからはじまった記念日で父親に感謝します。

8月15日

の日

聖母マリアが昇天(死んだ)した日を記念し、聖母に感謝し、家族で教会にお祈りにいきます。

8月22日

民話の日

学校で童話やむかし話などを読んだり、聞いたりする記念日です。

9月 7日

※独立記念日

1822年9月7日に、ポルトガルより独立をはたした記念の日。ドン・ペトロが宣言した。

10月12日

子どもの日、聖母アパレシーダーの日

子どもの成長を願い祝う日。学校で行事をしたり、公園でゲームをしたりして祝います。

11月 2日

死者の霊をまつる日で、日本の「お盆」にあたります。お墓まいりに行きます。

11月15日

※共和制宣言記念日

18891115日、フォンセカ将軍によって王政が廃止され、共和制が宣言された日です。

12月 8日

の日

聖母マリアが天使のお告げを受けてキリストを宿した日。教会で行列をしてお祝いをします。

12月25日

※クリスマス

イエス・キリストの誕生を祝う世界的なキリスト教の祝祭日。プレゼントを交換し豪華な夕食で祝う。

 

※日本の祝祭日

月  日

 名   前

日・記

1月 1日

元 旦

年のはじめを祝う。

1月の第2月曜日

成人の日

大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝いはげます。

 2月11日

建国記念の日

建国をしのび、国を愛する心を養う。

321日前後

春分の日

自然をたたえ、生物をいつくしむ。

 4月29日

みどりの日

自然に親しむと共にそのに感謝し、豊かな心をはぐくむ。

5月 3日

憲法記念日

日本国憲法のを記念し、国の成長を期する。

5月 5日

こどもの日

こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかると共に、母に感謝する。

7月20日

海の日

海の恩恵に感謝すると共に、海洋国日本の繁栄を願う。

9月15日

敬老の日

多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。

923日前後

秋分の日

祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ。

10月第2月曜日

体育の日

スポーツに親しみ、健康な心身をつちかう。

11月 3日

文化の日

自由と平和を愛し、文化をすすめる。

11月23日

勤労感謝の日

勤労を尊び、生産を祝い国民が互いに感謝しあう。

12月23日

天皇誕生日

天皇の誕生を祝う。

 

第3章 ブラジルの産業

1.農 業

ブラジルの時代に栽培がはじまった「さとうきび」と「コーヒー豆」の生産は今日でもブラジルの農業の中心的な作物で、サンパウロ州を中心にされています。中でもコーヒー豆は世界の30パーセント近くを生産し、コーヒーと言えば先ずブラジルが思い浮かぶほど、ブラジルの農業のです。これらは大豆やとうもろこしなどとともにとのあるブラジルのに適した作物なのです。またバナナ、カカオ豆など熱帯雨林気候に適した作物がアマゾン川流域で栽培されています。

 ブラジルの南部や東南部の高原地帯では牛や馬、豚、ニワトリなどのをうがさかんです。やのは実質的には世界一の規模を誇り、広大な牧場で自然にまかせた独特なで放牧をしています。

    コーヒー豆の生産(2001年)      カカオ豆の生産(2001年)  

 国  名

生産量(千トン)

国  名

生産量(千トン)

ブラジル

  1,918

26.6

コートジボアール

,200

39.1

ベトナム

844

11.7

ガーナ

410

13.3

コロンビア

656

9.1

インドネシア

340

11.1

インドネシア

377

5.2

ナイジェリア

338

11.0

メキシコ

303

4.2

ブラジル

184

6.0

 

   大豆の生産(2001年)               とうもろこしの生産(2001年)

 国  名

生産量()

国  名

生産量()

アメリカ合衆国

78,671

44.6

アメリカ合衆国

241,485

39.3

ブラジル

37,683

21.3

中国

114,254

18.6

アルゼンチン

26,737

15.1

ブラジル

41,439

6.7

中国

15,450

8.8

メキシコ

20,134

3.3

インド

,880

3.3

フランス

16,476

2.7

 

   バナナの生産(2002年)             パイナップルの生産(2002年)

 国  名

生産量(千トン)

国  名

生産量(千トン)

インド

16,450

23.6

タイ

,979

13.3

エクアドル

,500

9.3

フィリピン

,636

11.0

ブラジル

,369

9.1

ブラジル

,469

9.9

中国

,652

8.1

中国

,274

8.5

フィリピン

,264

7.5

インド

,100

7.4

 

  米の生産(2001年)                 葉たばこの生産(2002年)

 国  名

生産量(千トン)

国  名

生産量(千トン)

中国

179,304

30.1

中国

  2,394

37.7

インド

136,581

22.9

ブラジル

654

10.3

・・

・・・・・・・・・

  ・・・・・・・・・

・・・・

インド

575

9.1

日本

11,320

1.9

アメリカ合衆国

404

6.4

10

ブラジル

10,195

1.7

ジンバブエ

174

2.7

 

  牛の家畜頭数(2002年)                 豚の家畜頭数(2002年

 国  名

家畜数(千頭)

国  名

家畜数(千頭)

インド

221,900

16.2

中国

464,695

49.4

ブラジル

176,000

12.9

アメリカ合衆国

59,074

6.2

中国

106,175

7.8

ブラジル

30,000

3.2

アメリカ合衆国

96,700

7.1

ドイツ

25,958

2.8

アルゼンチン

50,669

3.7

スペイン

23,858

2.5

 

  肉類の生産(2002年)                       にわとりの家畜頭数(2002年)

 国  名

生産量(千トン)

国  名

生産量(百万羽)

中国

67,849

27.7

中国

  3,924

24.8

アメリカ合衆国

39,027

15.9

アメリカ合衆国

,940

12.2

ブラジル

16,605

6.8

ブラジル

,050

6.6

フランス

,564

2.7

インドネシア

870

5.5

ドイツ

,503

2.7

インド

824

5.2

 

 

 

2.鉱 業

ポルトガルが植民地にした頃は金銀などがない、彼らにとってのない土地とされましたが、その後この広大な土地で次々となが発見されていきました。現在、鉄鉱石の生産は1位、マンガン鉱2位、ボーキサイト3位、すず鉱4位、金7位、ダイヤモンド8位などで世界有数の鉱産資源の宝庫となっています。

ミナスジェライス州にあるカパネマ鉱山は65%の優れたをする鉱山で、日本の製鉄会社とブラジルの鉱山会社が共同で開発した鉱山です。1982年から掘られ、すべてりで、年間1000万トン以上も採掘され、おもに日本に輸出されています。この「ミナスジェライス」とは「すべての鉱山がある」という意味で、ここにはこの鉄鉱石をはじめ金やボーキサイト、ダイヤモンドなど多くの鉱山があります。

鉄鉱石の生産(2000年)                         ボーキサイトの生産(2001年)

 国  名

生産量(千トン)

国  名

生産量(千トン)

ブラジル

125,000

20.2

オーストラリア

 53,285

38.5

中国

109,382

17.7

ギニア

17,950

13.0

オーストラリア

97,158

15.7

ブラジル

13,178

9.5

インド

50,683

8.2

ジャマイカ

12,370

8.9

ロシア

49,410

8.0

中国

,900

5.7

 

マンガン鉱の生産(2001年)             すず鉱の生産(2001年)

 国  名

生産量(千トン)

国  名

生産量(トン)

南アフリカ共和国

   ,479

19.5

中国

  93,000

37.6

ブラジル

,430

18.8

インドネシア

56,300

22.8

オーストラリア

948

12.5

ペルー

38,200

15.5

ウクライナ

930

12.2

ブラジル

13,800

5.6

ガボン

830

10.9

ボリビア

12,400

5.0

 

3.工 業

ブラジルはラテンアメリカ最大の工業国です。ブラジルの工業は自国の豊富なやを利用していることに特徴があります。ブラジルの工業のはじまりは植民地時代のさとうきびから取る工業からですが、本格的に発展したのは第2次世界大戦中で、物資の不足をうために、リオデジャネイロ州ボルタレドンダ市で国立の製鉄所が建設されたのがきっかけでした。戦後、クビシェック大統領のもとで、政府が中心となって機械や自動車、電気製品などの発展に力を注ぎました。自動車工業はアメリカや日本などの自動車会社がブラジルに工場をすることですすめられました。また石油の開発や日本などの各国との共同によるの建設など、重工業に力をいれてきました。その結果、現在ではの生産が世界第6位、アルミニウム6位、セメント6位、航空機8位、自動車第11位など先進国にする生産をあげています。工業地帯は東南部に集中していて、特にサンパウロ州は工業生産額の約50%を占めています。

 またさとうきびから燃料になるアルコール「エタノール」を作る技術は世界最高水準で、ブラジルではそれをガソリンと混ぜて自動車の燃料にしています。

1990年代に入るとアメリカやEU、日本などのから多くのがブラジルに集まるようになり、特に化学工業、自動車工業、電気・通信工業、鉄鋼業など重化学工業にされて、多くの工場の建設が進んでいます。

鉄鋼の生産(2001年)                    アルミニウムの生産(2001年)

 国  名

生産量(千トン)

国  名

生産量(千トン)

中国

145,410

25.2

中国

   ,446

14.3

日本

78,836

13.7

ロシア

,302

13.7

ロシア

44,947

7.8

アメリカ合衆国

,637

10.9

・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・

・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・

ブラジル

27,391

4.7

ブラジル

,137

4.7

 

自動車の生産(2002年)                  自動二輪車の生産(2001年)

 国  名

生産量(千台)

国  名

生産量(千台)

アメリカ合衆国

  12,275

20.9

中国

  12367

47.0

日本

10,257

17.5

インド

4324

16.5

ドイツ

,469

9.3

日本

2328

8.8

・・

・・・・・・・・・

   ・・・・・・・・

・・・

・・

・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・

11

ブラジル

,793

3.1

ブラジル

753

2.9

 

セメントの生産(2000年)                  パルプの生産(2001年)

 国  名

生産量(万トン)

国  名

生産量(千トン)

中国

  59,700

37.0

アメリカ合衆国

 52,795

29.4

インド

,923

6.2

カナダ

24,918

13.9

アメリカ合衆国

,785

5.4

中国

17,570

9.8

・・

・・・・・・・・・

   ・・・・・・・・

・・・

・・

・・・・・・・

  ・・・・・・・

・・・

ブラジル

5142

3.2

ブラジル

7405

4.1

 

砂糖の生産(2001年)                    ビールの生産(2001年)

 国  名

生産量(千トン)

国  名

生産量(kl)

インド

20,480

15.5

アメリカ合衆国

 23,300

16.4

ブラジル

20,400

15.5

中国

22,468

15.8

中国

,705

6.6

ドイツ

10,850

7.6

アメリカ合衆国

,140

5.4

ブラジル

,450

5.9

メキシコ

,236

4.0

日本

,185

5.1

 

4.日本とブラジルの貿易

植民地時代のは本国のポルトガルだけが利益をあげる一方的なものでした。独立後はポルトガルなどヨーロッパ諸国との結びつきは強かったのですが、次第にアメリカ合衆国との結びつきが強まり、今日では貿易額の4分の1はアメリカ合衆国です。

 ブラジルと日本の貿易は戦前から戦後にかけては、コーヒーなどの食品類がほとんどでしたが、日本がをとげ、鉱工業での結びつきが強まると、日本からは機械や自動車、鉄鋼、石油製品などの工業製品の輸出が多くなりました。また鉄鉱山の開発がすすむと、ブラジルから日本へは鉄鉱石をはじめ、アルミニウム、鉄鋼などが輸出されるようになりました。現在ブラジルにとって日本は輸出で5位、輸入で4位の貿易相手国になっています。

 

ブラジルの貿易品目(輸出・2000)             ブラジルの貿易品目(輸入・2000)

 品  名

輸出額(百万ドル)

品  名

輸入額(百万ドル)

機械類

,499

13.6

機械類

19,117

32.4

自動車

,368

7.9

自動車

,862

6.5

鉄鋼

,685

6.7

石油製品

,816

6.5

航空機

,575

6.5

原油

,305

5.6

鉄鉱石

,048

5.5

有機化合物

,160

5.4

大豆

,188

3.9

医薬品

,804

3.1

肉類

,927

3.5

プラスチック

,656

2.8

植物性油かす

,653

3.0

精密機械

,554

2.6

パルプ・古紙

,602

2.9

化学肥料

,381

2.3

10

コーヒー豆

,560

2.8

10

繊維品

,115

1.9

 

ブラジルの貿易相手国(輸出・2001)           ブラジルの貿易相手国(輸入・2001)

 国  名

輸出額(百万ドル)

国  名

輸入額(百万ドル)

アメリカ合衆国

  14,379

24.7

アメリカ合衆国

  13,038

23.5

アルゼンチン

,002

8.6

アルゼンチン

,207

11.2

オランダ

,863

4.9

ドイツ

,812

8.7

ドイツ

,502

4.3

日本

,064

5.5

日本

,986

3.4

イタリア

,185

3.9

 

日本の貿易品目(輸出・2000)                日本の貿易品目(輸入・2000)

 品  名

輸出額(百万ドル)

品  名

輸入額(百万ドル)

機械類

228,048

47.6

機械類

92,411

24.3

自動車

88,294

18.4

原油

44,554

11.7

精密機械

26,462

5.5

衣類

19,736

5.2

鉄鋼

14,908

3.1

魚介類

15,303

4.0

有機化合物

11,203

2.3

液化天然ガス

13,035

3.4

船舶

10,268

2.1

精密機械

12,812

3.4

プラスチック

,839

1.8

自動車

10,236

2.7

繊維品

,021

1.5

石油製品

,336

2.5

金属製品

,691

1.4

肉類

,551

2.3

10

ゴム製品

,241

1.1

10

有機化合物

,585

2.0

 

日本の貿易相手国(輸出・2002)                                      日本の貿易相手国(輸入・2002)

 国  名

輸出額(億円)

国  名

輸入額(億円)

アメリカ合衆国

148,733

28.5

中国

77,278

17.1

中国

49,798

9.6

アメリカ合衆国

72,372

18.3

韓国

35,724

6.9

韓国

19,368

4.6

・・

・・・・・・・

・・・・・・・

・・・

・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・

23

ブラジル

,266

0.4

24

ブラジル

,336

0.8

 

日本からブラジルへの輸出品(2002)          ブラジルから日本への輸出品(2002)

 品  名

輸出額(百万円)

品  名

輸出額(百万円)

機械類

121,250

53.5

鉄鉱石

84,889

25.4

自動車部品

19,676

8.7

肉類

35,091

10.5

自動車

10,438

4.6

アルミニウム

33,209

9.9

二輪自動車部品

,656

4.3

大豆

22,246

6.7

有機化合物

,468

4.2

果実

15,011

4.5

精密機械

,018

3.1

鉄鋼

13,888

4.2

金属製品

,412

2.8

パルプ

13,617

4.1

プラスチック

,448

2.4

有機化合物

13,047

3.9

鉄鋼

,121

1.8

コーヒー豆

12,175

3.6

10

船舶類

,688

1.6

10

ウッドチップ

,866

3.0

 

日本のコーヒー豆輸入先       日本の鉄鉱石輸入先     日本のとうもこし輸入先

 国  名

 国  名

国  名

ブラジル

23.4

オーストラリア

51.8

アメリカ合衆国

92.0

コロンビア

21.3

ブラジル

22.3

ブラジル

3.5

インドネシア

14.5

インド

11.8

中国

1.7

グアテマラ

8.4

南アフリカ共和国

4.4

アルゼンチン

1.3

エチオピア

8.1

フィリピン

4.2

カナダ

0.5

    (2002)         (2002)          (2002)

  日本の大豆輸入先

 国  名

アメリカ合衆国

75.8

ブラジル

16.1

カナダ

3.3

中国

2.7

パラグアイ

1.4

 (2002)   

 

第4章 ブラジルの歴史

1.植民地以前

今から約3万5千年前のの頃、アメリカ大陸はユーラシア大陸とつながっていて、アジアから北アメリカに最初の人類が渡ってきたといわれています。さらにブラジルへはそれから5千年ぐらい遅れて、今から3万年ぐらい前から移り住んだであろうとされています。彼らは広いブラジルでりをしたり魚をとって生活をしていました。10世紀にメキシコでマヤ文明が、15世紀にはペルーにインカ帝国が発達しましたが、ブラジル地方にはそういった高度な文明や農業はおこりませんでした。それは豊かな自然の中で生きていくための食料は十分に足りていたからだと言われています。またこれらブラジルに住んでいたの人々は「インディオ」とよばれ、当時、推定100〜150万人ぐらいの人口だったと考えられています。

2.ポルトガル人のブラジル発見と植民地化

ヨーロッパがいわゆる時代に入り、1492年、コロンブスはヨーロッパ人としてはじめてアメリカ大陸に到着しました。それをきっかけとして、ヨーロッパの国々はアメリカやアジアの地域に関心を示すようになり、特にスペインとポルトガルが積極的にのとキリスト教のを目的に海外に進出していきました。

1500年、ポルトガルのカブラルが率いる13の船がインドに向けて出航、途中ブラジルのペルナンブコに、彼らはここを南アメリカとは思わず、大きな島だと思っていました。しかしこれがブラジルに到着した最初のヨーロッパ人でした。かれらポルトガル人は、この地をポルトガルの金や銀などを奪い取る植民地として手に入れようと考え、そのために原住民をキリスト教(カトリック)にしなければならないと考えていました。

 これに先立つ1494年にポルトガルとスペインはをスムーズにするためにトルデシリャス条約を結んで大西洋の真ん中に線を引いて、線の西側をスペイン領、東側をポルトガル領と決めていました。この時点ではまだアメリカ大陸の様子が明らかでありませんでしたが、後にこの線がブラジルを通ることが明らかになると、ポルトガルはこの条約を根拠に植民地にしていったわけです。その後1501年と1503年にアメリゴ=ベスプッチが正式なとしてブラジルを調査し、「自然だけで金や銀のない価値のない国である。ただパウブラジルだけは価値がある。」と国王に報告しました。ポルトガルにとっては金や銀のない土地は「価値のない」国としてうつったのでしょう。この「パウブラジル」とは「ブラジルの木」とよばれ、赤いがとれる珍しい木で、「燃えるように赤い=brass」からこの名前がつけられ、「ブラジル」の名前のとなりました。

3.砂糖の時代

 はじめの頃、この「ブラジルの木」は染料としてポルトガルにさかんに輸出されましたが、だんだんと関心がなくなってきました。それに替わってヨーロッパのや金持ちの人たちの間で普及してきのが「砂糖」でした。砂糖の原料は「さとうきび」で、当時はインドやインドネシアなどの熱帯のアジアでされ、アラビアの商人を通して輸入されていました。しかしその値段は高価で、ポルトガルでは直接、さとうきびの栽培ができるところを探していました。ブラジルがその栽培の気候に適していることがわかり、ブラジルの東部から東南部の海岸地帯(バイア、べルナンブコ地方)にさとうきび畑が開発されていったのです。ブラジルでもっとも砂糖の生産がさかんだったのは1570年代から1670年代にかけての約100年間で、この時代は「砂糖の時代」とよばれ、多くの工場が建てられました。

 これらのさとうきびの栽培から精糖作業の労働にはアフリカのが使われ、アフリカのギニア湾沿岸から多くの黒人たちが奴隷として買われて、ブラジルに強制的に連れてきました。奴隷にされたのはアフリカ黒人だけではなく、のインディオたちも使われたのです。こうして、ブラジルには黒人奴隷がたくさん連れてこられましたが、これはブラジルだけでなく、アメリカなどの北アメリカでもが連れてこられ、16世紀から19世紀にかけて約1000万人から2000万人ほどの黒人がアフリカ大陸からアメリカ大陸につれてこられたと言われています。奴隷は一日中な労働を強いられ、生きていくだけの食料しか与えられませんでした。そこで多くの黒人たちがしたりすることも多かったのです。17世紀の初め、ブラジル奥地に逃亡した黒人たちは、自分たちだけの「パルマレス王国」を建設し、人口 も3万人を超えるほどでした。しかし1695年、ポルトガルによってパルマレス王国がされ、多くの黒人が殺され、王国はしました。

4.オランダの侵略

17世紀にはいり、ヨーロッパではスペイン・ポルトガルが弱まり、代わってイギリスとオランダが力をつけ、海外に進出していきました。1630年、オランダの東インド会社はブラジルのペルナンブコを占領しました。また東部の砂糖の工場や商船も襲い、砂糖を手に入れるためにポルトガルのブラジル植民地をしていったのです。しかし黒人奴隷がして労働力が足りなかったり、ポルトガル人経営者の協力が得られなかったりして、1654年、オランダはブラジルからしていきました。オランダの支配はわずか20数年間で終わったのです。

5.金の時代

これまでポルトガルはブラジル東部の海岸地帯を中心に植民地支配を広めていきましたが、ポルトガル人は先住民のインディオの人たちのキリスト教(カトリック)の目的もあって、オランダの支配が終わって以降は、アマゾン流域など内陸部へのと進出を開始していきました。ブラジルでは「金や銀はない」と言われていましたが、1693年、ブラジル南部のミナスジェライス州でが発見され、以後約100年間を「金の時代」とよばれています。この金鉱のにが使われたことは言うまでもありません。これによってブラジルの中心が北東部から南部に移り、特に金のであったリオデジャネイロはその中心地となっていきました。当時ブラジル南部からウルグアイ・アルゼンチンにかけての草原(パンパ)には多くの野生の馬やラバがいましたが、これらの馬やラバが鉱山から都市まで金を運ぶのに使われました。馬やラバを世話したり使いこなすのはインディオの人々で、かれらは「ガウーショ」とよばれました。

6.ブラジルの独立

 1807年、フランスのナポレオンはポルトガルを占領、支配しました。これをれるため翌1808年、ポルトガルのドン=ジョアンを中心に、その家族、貴族・軍人など約1500人がブラジルに移住し、リオデジャネイロを首都とするもう一つのポルトガル国家を建設したのです。ブラジル政 府はナポレオンの支配に反対していたイギリスとを結んで、ナポレオンに対抗しました。ドン=ジョアンはブラジルにヨーロッパの文化を持ち込み、リオデジャネイロに大学や図書館、博物館などの文化施設を次々と建設していきました。

 しかしブラジルには同じポルトガル人でも何百年も前から住みついている人たちが暮らしていて、彼らはポルトガル人というよりも「ブラジル人」としての意識が強かったのです。ドン=ジョアンたちポルトガル本国からきた人々の支配に対してもとの「ブラジル人」の人たちは反感を持ち、1817年のペルナンブコの反乱をきっかけに各地で旧ポルトガル系住民(ブラジル人)と新ポルトガル人の人々の間で争いがおこっていきました。

 1815年ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れると、フランスのポルトガル支配はなくなりましたが、新たにイギリスがポルトガルを支配してしまいました。そのような中、1818年、本国ポルトガルでは国王マリアが亡くなり、皇太子のドン=ジョアンが「ジョアン6世」としてし、本国とブラジルの国王をねることになりました。しかし1820年、本国のポルトガル国内にが起こり、イギリスの支配をはねのけ、ブラジルにいたジョアン6世を本国に呼び戻されました。ブラジルに残ったのはジョアン6世の子・ドン=ペトロでしたが、彼はポルトガル本国のブラジル植民地化に反対して、ブラジルに残って、ポルトガルからの独立をめざすことにしたのです。

1822年9月7日、ドン=ペトロはサンパウロのイビランガ丘にいました。ここに2通の手紙が届けられ、一つはポルトガル本国からのもので本国にやかに帰国するのもの、そしてもう一通が独立運動の指導者・ジョセ=ポニファシオからで、独立の決断をするものでした。この2通を読んだペトロは、「今だ、われわれはポルトガルと別れたのだ!」と叫び、についていたポルトガルをあらわすリボンを投げ捨て、をき、独立を宣言しました。リオデジャネイロに戻ったペトロは12月1日、正式に「ドン=ペトロ1世」として即位し、ブラジル初代の皇帝となり、正式に「ブラジル帝国」が誕生しました。ポルトガル人がブラジルにきて、300年以上の年月が経っていました。このブラジルだけでなく1820年前後にラテンアメリカの国々はスペインから次々と独立を果たしました。

7.ブラジル帝国の時代

 ポルトガルからの独立を果たしたブラジルは順調に進んだわけではありません。翌1823年にブラジルをする際に、国王のを強めようとする皇帝と、一般市民の自由と平等を保障しようとする議会が対立しました。しかし1824年にできた憲法は皇帝の権限を強く認めたものとなり、制度も残されてしまいました。1825年、ブラジル領であったウルグアイが独立を宣言し、ブラジルとの間に「ウルグアイ戦争」が起こりました。これに破れたブラジルはウルグアイの独立を認めざるをえなくなりましたが、この戦争のをきっかけにペトロ1世の力は弱まり、1830年のフランス7月によって勇気づけられたブラジル市民は皇帝のに押しかけ、皇帝の退位をせまりました。ペドロ1世は仕方なく子に皇帝職をゆずり、自分自身はポルトガル本国に逃げてしまいました。皇帝をした子・ペドロ2世はその時わずか5歳で、政治は成人するまでに任せられることになりました。

 この時代、ブラジルではいろいろな産業が発達しました。1854年には鉄道がかれました。1864年にはブラジルとウルグアイ、パラグアイとの間に「パラグアイ戦争」がおこりましたが、これをきっかけに今度は、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの3国で「」がおこり、最終的にはブラジルが勝利しました。しかしこの戦争で多くのブラジル人が亡くなり、戦争の費用でブラジル政府のを苦しくさせてしまいました。この戦争では多くのが兵士として参加しました。戦争に参加すれば自由があたえられからです。また1863年のアメリカ合衆国のの影響をうけ、ブラジルでも奴隷解放運動が高まってきました。1871年の「から生まれた子は自由とする」という法律を最初に、奴隷貿易が禁止され、1888年ついに奴隷制度が完全に廃止されることになりました。1727年、オランダ領ギアナからブラジルにはじめてコーヒーのがもちこまれました。これが「コーヒー王国ブラジル」のはじまりで、以後「コーヒーの時代」が続くことになります。最初はリオデジャネイロの北部のパライバ川流域でコーヒー豆の栽培が始まりました。19世紀に入り、アメリカ人やヨーロッパ人にコーヒーを飲む習慣が広がると、コーヒー栽培地域も拡大され、生産は急成長、1850年にはジャワを抜いて、世界一のコーヒー生産国となり、現在まで一位をずっと保っています。ブラジルのコーヒー生産はのもとで生産され、ほんの一部の大農場主はリオデジャネイロにを建ててに暮らし、現地には支配人を行かせて、多くの奴隷を使って栽培させていました(プランテーション)。しかし奴隷制度が廃止されると、元の奴隷たちは日雇いで農場に残る者と都市にでる者とに分かれ、コーヒー栽培は一時の道を歩んでいったのです。

8.共和制の誕生

1840年、15歳になったペトロ2世は正式にして2代目皇帝となりました。しかし政治は父・ペトロ1世の時代と何ら変わることはなく、ブラジル国内に不満が高まってきました。1889年、フォンセカ将軍を中心とする陸軍兵士が王宮を占拠してクーデターを決行し、のとのを宣言しました。これによってペトロ2世はポルトガル本国に移り、ブラジル帝国は崩壊してしまいました。1891年、新しいブラジル憲法がされた。これはアメリカの合衆国憲法を手本としたもので、大統領制を採用し、国会議員は国民の直接選挙によって選ばれ、各州にを与えるものであり、正式に「ブラジル合衆国」が誕生しました。初代大統領にはフォンセカ将軍が選ばれました。

9.1930年代以降のブラジル

 1929年のアメリカから起こったはブラジルにも影響を与え、特にコーヒーの価格がして、輸出が減り、ブラジルの経済は大混乱しました。その結果、多くのコーヒー農場の農民や都市の労働者がめさせられたりして失業者が増大しました。そのような中、1930年、政府に不満をもつ人たちの後押しをうけ、農場出身のジェトゥリオ=ヴァルガスが、軍部と手を握ってクーデターで政権を握ったのです。ヴァルガスは独裁政治を行う一方、1934年に新しい憲法を制定して労働者の権利を拡大していきました。1939年に第二次世界大戦が起こると、ブラジルは中立の立場を取りました。しかしアメリカとの関係を壊したくないことから、1942年、日本・ドイツ・イタリアとのをし、アメリカの側に加わってすることにしました。

 第二次大戦後、憲法が改正され、労働運動の自由が保障される民主主義的な内容の憲法に生まれ変わりました。戦後もしばらく続いたヴァルガスの政治も終わり、1956年に就任したクビチェツク大統領によって経済開発優先の政策が進められていきました。1960年、ブラジル高原の真ん中に、全く新しい新首都・ブラジリアが建設され、彼の政策の象徴となりました。彼の経済政策によって工業生産は年10%以上も伸び、大きく経済成長を果たし、ラテンアメリカでは最大の工業国に成長していきました。現在では世界第10位の経済力を持っているといわれます(日本は第2位)。しかし一方で物価が上がってインフレーションになり、の差が拡大していきました。

 1964年、軍部のクーデターによって、軍事政権が誕生し、1985年まで続きました。この間、労働者のストライキ権が禁止されるなど、個人の権利がしく制限されました。1985年、民間の大統領が当選し、軍事政権は終わりました。1988年には憲法が制定され、以後、現在まで民主政権が続いています。現在は2002年に就任したルイス・イナシオ・ルーラ・ダシルバ(Luiz Inacio Lula da Silva)大統領がをしています。

 

        ブラジルの歴史年表

年 代

    ブラジルでのできごと

世界と日本のできごと

35万年前

アジア大陸からアメリカ大陸に人々が移住し始める

約1万年前

ペルーのアンデス高原に農耕が起こり、人々がブラジルに移り始める。

1500年

ポルトガルのカブラル艦隊がブラジルに到着。ポル

・コロンブスのアメリカ大陸発

トガル人によって植民地化が始まる。

   見(1492)

1538年

アフリカから黒人奴隷を連れてくる。

・宗教改革が始まる

さとうきびが栽培され、砂糖の供給地となる。

  (1517)

1548年

総督制度を導入し、ポルトガル国王の直轄地とする

・マゼランの世界一周

1580年

ポルトガルがスペインに併合され、一時的にスペイ

  (151922)

ン領となる(1640年まで)。

・江戸幕府の成立

1763年

リオネジャネイロを首都とする。

(1603)

1817年

ポルトガルからの独立運動・革命が起こる。

・インカ帝国の滅亡

1822年

独立宣言をだしポルトガルから独立する。

ペドロ一世が即位して君主国となる。

 (1633)

・アヘン戦争(1840)

1850年

奴隷貿易が廃止。コーヒー豆の生産が世界一となる

・明治維新(1868)

1888年

奴隷解放令がでて奴隷制度が廃止される。

・大日本帝国憲法発布

1889年

ペドロ二世が退位し、共和制になる。

 (1889)

1891年

共和国第一憲法が公布される。

・日清戦争(1894)

1895年

日本とブラジルの就航通商条約が結ばれる。

・日露戦争(1904)

1908年

笠戸丸にて最初の日本人移民(781)がサントス港に入港する。

・辛亥革命(1911)

・第一次世界大戦

1917年

ドイツに宣戦布告し、第一次大戦に参戦する。

 (191418)

1924年

日本政府が移民に渡航費用の援助を与え、日本移民が急増する。

・全国水平社創立 (1922)

1929年

世界恐慌の影響でコーヒー価格が大暴落。

・世界恐慌(1929)

1938年

移民同化政策がはじまる。

・第二次世界大戦

1942年

第二次大戦でブラジルが日本と国交を断絶する。

・太平洋戦争(1941)

1945年

第二次世界大戦が終わる。

・広島原爆投下

1960年

首都をブラジリアに移転する。

・アフリカ諸国の独立

1980年代

ブラジルの不況により日本への出稼ぎが増える。

・石油危機(1973)

1992年

リオデジャネイロで地球環境サミットが開かれる。

・冷戦の終結(1991)

2002年

サッカーワールドカップでブラジル代表が優勝。

・イラク戦争(2003)

 

第5章 アマゾン川と環境破壊

 アマゾン川はアンデス山脈から発して、大西洋にそそぐ、全長6516km(6300km6770kmという説もある)の世界2番目、流域面積は70500kuの世界最大の河川です。アマゾン川付近の面積だけでも約400万kuもあり、日本の面積の約10倍もあります。付 近では幅が約300kmもあり、もちろん向こう岸は見えず、海とかわりません。がのように流れ、流域は熱帯雨林におおわれ、4、50mのが頂上だけ葉を広げ、うす暗い地上では大小のがしています。アマゾン流域は高低差が小さく、下流から約1200km入った中流域のマナウスでも30mほどにすぎません。気候はで1年中、日中は30度を超えます。とがあり、12月から5月にかけてが雨季でよく雨が降り、アマゾン川の水量も増えます。6月から11月にかけてが乾季で比較的雨は少なくなります。

 アマゾン川はがうようよする「」というイメージがありますが、それは正確な表現ではありません。ジャガーやアナコンダ(ヘビ)、カランゲジェイラ(毒クモ)もいますが、めったに出くわすことはないし、人間や動物の肉をうとされる魚・ピラニアも注意すればわれることはありません。毎年が終わる11月ころになると、アマゾン川流域の熱帯林のあちこちから白い煙が立ち上る。夜の写真から見ると赤く燃えているのがよくわかります。これはケマーダ(山焼き)とよばれ、熱帯林が焼かれ、破壊されているのです。煙は時には数千メートルまで立ち上り、しばしば飛行機のに影響を及ぼしています。昔も熱帯林を焼くとはあり、先住民のインディオが農業で、小規模に森林を焼いて農業を行っていました。しかしそれは「」というべき規模ではありません。それとは別に1970年代からの本格的なアマゾン開発計画によって「熱帯林破壊」は進行されていったのです。1970年から建設されたアマゾンは全長5400kmで、最初の目的は経済的に苦しむ人々をアマゾン流域にさせるためでした。しかし開発した土地はやせているため、その土地を捨ててまた違う土地を焼き払ってつくるということを繰り返していきました。またその後、お金をもった資本家の人たちが、この道路沿いに、一度に何百ヘクタールという牧場をつくるために森林を焼き始めたのです。森林の破壊と共に森に住む動物も焼け死んでいきました。だけでなくや鉄道、ダムといった開発も進められています。こうして年間約2万ku以上の森林が破壊され続けていったのです。開発(破壊)はアマゾン川流域周辺ででした。

 アマゾンのは約5億ヘクタールあり、地球上の熱帯林の約3分の1もあり、二酸化炭素をすって酸素をつくるをしています。現在までにアマゾン流域の10数パーセントの森林が破壊されたといわれ、このままいけばあと2、30年もすればすべて破壊されてしまうのではないかと心配されています。こうやってが進められたことに内外からを求める声が高まってきました。1990年に入り、ブラジル政府も開発に一定の規制をすることにし、環境保護対策をうちだしていきました。その結果、森林破壊は年間1万ku以下になりました。1992年にはリオデジャネイロで、環境と開発に関する国連会議(地球サミット)が開かれ、熱帯林の破壊だけでなく、、、フロンガスによるオゾン層破壊、などの地球規模での環境問題について話し合われました。

 

第6章 日本とブラジルの関係

1.移民以前の日本とブラジル

江戸時代、ロシアにしたのら4人が、日本にされる途中、1804年にブラジルのフロリアポリスに立ち寄りました。これが日本人で最初にブラジルの地をんだ人たちです。明治時代に入り、1889年、ブラジルのアルミランテ・バローゾ号が横浜港にし、ブラジル人が初めて日本に来ました。1895年には、パリで日本とブラジルとの間に「」が結ばれ、正式に日本とブラジルが国交を樹立しました。それをうけて1897年にお互いの国にを、日本はリオデジャネイロ州ぺトロポリス市に公使館を建て、公使が着任しました。

2.はじめての移民

 1850年代頃になるとコーヒー栽培の中心はパライパ川流域から西のサンパウロ州に移り、一つの農場でコーヒーの木100万本を越えるものもでてきました。このサンパウロ州では不足するコーヒー栽培の農民を他国からの移民でまかなう方針をたて、ポルトガル本国やスイス、ドイツなどヨーロッパからの移民(コロノ移民)を受け入れたのです。しかし彼らはブラジルまでのや生活費を農場主からすることになり、生活は極めて貧しく、ヨーロッパの各政府もブラジルへの移民を禁止したり制限してきました。こういった中で、渡航費用だけはブラジル政府が補助することになり、これによってイタリアから多くの移民がブラジルに渡ることになりました。特に1888年の以後は年間5万人以上のイタリア人がサンパウロ州などに家族ぐるみで移住しました。しかし1900年代に入ってコーヒー価格の低下によってが続き、イタリア移民に賃金のいが続くと、イタリア政府はブラジルへの移民を停止しました。そこでブラジル政府はイタリアに代わる移民の国を探したのです。

 日本は当時、明治時代で、明治維新以後、ハワイやアメリカ合衆国本国、メキシコ、ペルーなどに移民が送られていましたが、アメリカ合衆国が移民の受け入れを制限を行うと日本は新しい移民先を探していました。そのような状況の中で、移民を受け入れたいブラジルと移民を送り出したい日本のがし、日本からブラジルに移民が送られることになったのです。当時の日本ではの実施やのなどで農民の生活は苦しく、新天地を求めて海外に移住しようとする農民も多く、特に沖縄県や九州、東北地方など貧しい農民の人々が多かったようです。1908年4月28日、158家族、791人を乗せたは神戸港を出港し、シンガポール、インド洋、アフリカの南端を経て、6月18日にブラジルのサントス港に入港しました。日本人のブラジル移民第1号です。その後、日本からの移民は増え続け、第二次大戦までに約19万人の日本人がブラジルに移民しました。

3.農園での生活

 一つの農場には50万〜100万本のコーヒーの木があり、その中にいくつもの移民の住居地域がありました。移民は1年毎のでわれていました。それぞれの家族には一人1000〜2000本の木が割り当てられ、から、まで責任をもって受け持ち、出荷した数によって(給料)がもらえる仕組みになっていました。一年中、朝から晩まできつい作業におおわれ、もらえる賃金も家族がやっと生活ができる程度のものでした。当時の移民の人々は「移住」するというより、「ぎ」という意識が強く、お金を貯めて故郷(日本)に錦を飾ろうと夢をみて新天地にやってきた移民の人たちとってそこは決して想像していた理想の農場ではありませんでした。言葉や文化の違いからくる苦労も重なって、コーヒー農場を辞めて都市の工場に行ったり、他の国に再移住する人も少なくありませんでした。しかし日本に帰国しても生活が楽になるという保障はなく、ブラジルに残ってするしかありませんでした。

4.戦後の日本とブラジルの関係

第二次世界大戦がはじまるとブラジルは中立の立場をとっていましたが、1942年、ブラジルはアメリカが属する連合国側に入って参戦し、日本とをしてになりました。1945年、第二次世界大戦が終わり、日本は1951年にサンフランシスコ平和条約でブラジルとを結ぶと、翌1952年にブラジルとをし、同時にブラジル移民も再開されていきました。しかし日本が高度経済成長をとげるとブラジル移民は減り、1960年代まででほぼ移民する日本人はなくなりました。戦後は約8万人の日本人が移民しましたが、ブラジルにはブラジル生まれの2世、3世、4世の日系人が住み、現在では約130万人ほどの人が暮らしているといわれ、これは日系人としては世界最大です。日系人はサンパウロ州に多く住んでいますが、ブラジルでは日系人の人たちは「ジャポネーズ」とよばれ、他の国では差別されていることが多い中にあって、ブラジルでは日系の人たちが差別されるということはありません。な日本人はブラジルで日本人だけで集まって住む日系人社会にこだわってきました。サンパウロ市にはベルダージとよばれるがあり、日本語のが並ぶ日本人街の一角があります。しかし現在、 日系人と言っても、日本人一世の人は1割ぐらいで9割は二世、三世、四世の人たちです。三世、四世の人たちは全く日本語が話せず、顔立ちも日本人は異なります。現在では「日系人」と意識する人は少なくなってきています。     

 1950年代からは日本のブラジル進出がはじまり、1958年の(現在の)のウジミナス製鉄所の建設を皮切りに、鉄鋼、造船、製紙、電気など重工業の企業が中心となって工場を建設していきました。1970年代に入ると、日本とブラジルのによる事業も開始され、農業や鉱山の開発、製鉄所の建設などが進められていったのです。

 1980年代に入ると、ブラジルのによって失業者が増加し、仕事をさがさねばなりませんでした。一方日本は当時、好景気で労働者が必要とされ、ブラジルよりも数倍も高いがもらえる日本に多くの日系1世の人々がぎにくるようになりました。1世の人はをもち、自由に帰国できたからです。1990年には及びがされ、これまでを目的としたすべて外国人の出稼ぎを禁止していたのが、日本人の血をひく日系人に限り、就労目的のがされ、多くの2世、3世の日系人が日本に来るようになりました。現在、約二十数万人以上のブラジル日系人の人々が日本で暮らしています。

 

第7章 日本の中のブラジル

1.戦後の外国人の変化

日本は戦前に朝鮮や台湾、中国( )を植民地としていました。や生活を奪われて、多くの朝鮮、中国人が日本に移住してきました。敗戦後、これらの人々は外国人(韓国朝鮮人、在日中国人)として日本に残り、その数は約64万人にも達しました。その中で90%以上(約60万人)は韓国・朝鮮の人々でした。しかし戦後約60年たった現在、観光やビジネスなどのを除き、日本に住む外国人は約178万人に達しています。その中で在日韓国・朝鮮人(多くは二世〜四世)の数は変わっていませんが、割合は35%と低下し、逆に中国人、ブラジル人、フィリピン人、ペルー人などの国々の人々が大幅に増えました。しかもそれはここ15年ばかりの間にです。それはいったいなぜなのでしょうか。日本は戦後、をとげ、アメリカ合衆国についで世界で二番目の経済大国になりました。(給料)も上がり、日本は世界でも最も賃金の高い国のひとつになりました。中国の賃金は日本の賃金の50分の1ぐらいなのです。中国やフィリピンなどアジアの人々、またブラジル、ペルーなど南米の人々にとって日本で働けば、自分の国で働くよりも何倍もの賃金がもらえることになり、家族にもできるのです。

  日本の外国人登録者数(2001年)  

  国  名

  人 数 (人)

韓国、朝鮮

632,405

35.6

中国

381,225

21.4

ブラジル

265,962

15.0

フィリピン

156,667

8.8

ペルー

50,052

2.8

その他の国

292,151

16.4

合 計

1778,462

100

 しかし問題がひとつありました。それは日本はという法律があり、海外から外国人がきて、日本で簡単には働けないようになっていたのです。ずっと日本に住んでいる在日外国人の人々は問題ありませんでした。しかし海外からきて日本で働けるのは特別な技術を持った人(技術者や、芸能人、音楽家など)に限られ、工場などの単純労働はできないことになっています。しかしや企業のとしては長期の入国は認められています。そこで中国の人たちなどアジアの国の人々の多くは、名目は「留学生」や「研修生」として日本にやってきて、実際は工場などでをしている人が多く、それで中国やフィリピンなどのアジアの人々が増えてきたのです。

 しかしブラジルやペルーなどの人々の増加はこれとは異なります。ブラジルやペルーなど南アメリカには戦前から戦後にかけて多くの日本人が移民として移住しました。向こうで成功した人もいましたが、苦しい生活のまま過ごしていた人も多かったのです。ブラジルやペルーでは経済不況で生活は安定しませんでした。1980年代に入り、ブラジルなどに渡った日本人一世の人たちの中には、日本に帰国する人が増えてきました。彼らは海外に行ってもを持っていましたから、帰国しても何の問題もありませんでした。しかし日本の労働不足を補う目的もあって、1990年にがされ、日本人の二世・三世の人々(日系人)に限ってが与えられ、技術者でなくても日本での普通の労働が認められることになりました。二世の人には日本人の(結婚相手)としての資格が、三世にはとしてのが与えられることになったのです。そこで次々と南米にわたった日系の人々がたくさん日本にくることになりました。現在その数はブラジルから26万人、ペルーから5万人などに達しています。最初は日本に「出稼ぎ」にきて、お金を貯めてブラジルに帰るつもりできていた人々も、次第に日本の生活に慣れて、日本に「」する人々がほとんどとなりました。ブラジルの人たちが多く住む町ではブラジル人を対象としたレストランやスーパー、レンタルビデオ店、なども増えてきています。鈴鹿市もその例外ではありません。

 

2.日系ブラジル人の日本での生活

日本の日系ブラジルの人々は日本にまん べんなく、住んでいるというわけではありません。統計でみると愛知県や静岡県、長野県、三重県などに多いことがわかります。中には群馬県町のように人口の12%がブラジル人というところもあります。それはいったいなぜなのでしょうか。これらの県は自動車工業や電子工業の多い県で、ブラジルの人々はこれらの会社や下請け会

ブラジル人の多い都道府県(2000年)

県  名

人 数 ()

愛知県

 47,561

18.7

静岡県

35,959

14.1

長野県

19,945

7.8

三重県

15,358

6.0

群馬県

15,325

6.0

岐阜県

14,809

5.8

埼玉県

12,831

5.0

 

社の工場で働いている人たちが多いからなのです。これらの仕事は単純作業で特別な知識や技術をあまり必要としません。しかし工場とブラジルの人たちの間ではトラブルも多く、言葉の問題の他、が悪かったり(すぐ辞める)、賃金が他の日本人労働者と比べ不当に低かったりして、うまくいっていないところもあります。また文化の違いから来るトラブルも多く、特に住宅地で、週末に友人を集めてパーティーを開く(ブラジルでは普通)ことが、として問題になったり、ゴミの分別やゴミ出しのことで問題になったりするところもあります。これらのことは日本人、ブラジル人がお互いに話し合って、理解しあえば解決することなのです。

ブラジル人と日本人とでは一般的に次のような考えの違いがあります。

@ブラジル人は時間にあくせくせず、という習慣がありません。それは時間 にルーズというのではなく、「時間は自然の流れに逆らわない」という考え方で、自分のペースで時間は過ぎ去っていくということです。1分1秒に厳格な日本人の考えと根本的に異なります。

Aブラジル人は物を大切にするということをあまりしません。それはブラジルがあらゆる資源にあふれ、にも恵まれているからです。食事などは平気で食べ残します。日本人の「米一粒も大切にする」という考えとは大きく異なります

B仕事に関して、ブラジル人は(給料)やがいいところがあったら、仕事はどんどんかわっていきます。むしろ一つの職場に長くいることを恥と考えています。日本では「」が根強くのこっていて、一つの職場で長く働くことが当 然のように考えられています。

「ローマに入ればローマに従え」ということわざがありますが、文化や考え方が異なるブラジルの人たちが日本に来たのだから、日本のに従えという考え方は、現在では通用しません。お互いに相手の文化や考え方に十分に理解し、新しい関係を築いていく必要があるでしょう。

3.終わりに

 鈴鹿市では現在、約4000人のブラジルの人々が暮らしていて、鈴鹿市に住む外国人ではダントツに一番です。それは鈴鹿市にはホンダ技研の工場とそれに関連するけ会社の工場があるからで、ブラジルの人々の多くはそこで働いています。鈴鹿市役所も相談窓口を設置したり、税金やなどのためにポルトガル語のパンフレットを発行したりしてをはかっています。しかし日系二世、三世の人たちには日本国籍がないため、はありません。鈴鹿市はアメリカのベルフォンテン市とを結び、フランスのルマン市ともを結んでいます。本田技研やスズカサーキットなど、世界と結びついていることから鈴鹿市は「」をめざしています。英語やポルトガル語のが多く設置されることが国際交流ではありません。鈴鹿市に住む外国籍の人たちが住みやすい町にするのが真の国際交流なのです。それには互いに違いを認め合い、互いに理解することがその第一歩なのです。

 

 三重県の外国人登録者数(2002年)         鈴鹿市の外国人登録者数(2002年)

 県  名

人 数(人)

国  名

人 数 ()

ブラジル

17,064

46.1

ブラジル

  3,950

57.1

韓国・朝鮮

,933

18.1

ペルー

,014

14.7

中国

,413

9.2

韓国・朝鮮

742

10.7

ペルー

,630

7.1

中国

  279

4.0

フィリピン

,202

6.0

フィリピン

  279

4.0

その他の国

,746

12.9

その他の国

649

9.5

合 計

36988

100

合 計

,913

100

 

  日本とブラジルが姉妹提携している地方自治体一覧

日  本

日  本

北海道遠軽町

バストス市(サンパウロ州)

滋賀県

リオグランデドスール州

青森県

サンタカタリーナ州

滋賀県日野町

エンブ市(サンパウロ州)

青森県鯵ケ沢町

サンセバスチョン市(サンパウロ州)

京都府亀岡市

ジャンジーラ市(サンパウロ州)

宮城県名取市

グアララッペス市(サンパウロ州)

大阪府大阪市

サンパウロ市(サンパウロ州)

宮城県柴田町

アシスシャトブリアン市(パラナ州)

大阪府門真市

サンジョゼドスカンポス市

山形県米沢市

タウバテ市(サンパウロ州)

兵庫県

パラナ州

群馬県

サンパウロ州

兵庫県神戸市

リオデジャネイロ市

群馬県高崎市

サントアンドレ市(サンパウロ州)

兵庫県加古川市

マリンガ市(パラナ州)

群馬県大泉町

グアラチンゲータ市(サンパウロ州)

兵庫県西宮市

ロンドリーナ市(パラナ州)

千葉県

パラー州

兵庫県津名町

パラナグア市(パラナ州)

千葉県袖ヶ浦市

イタジャイ市(サンタカタリーナ州)

兵庫県姫路市

クリチーバ市(パラナ州)

東京都

サンパウロ州

奈良県天理市

バウルー市

山梨県

ミナス・ジェライス州

広島県東広島市

マリリア市(サンパウロ州)

長野県軽井沢町

カンポスドジョルドン(サンパウロ州)

山口県岩国市

ジュンディアイ市(サンパウロ州)

長野県飯島町

フェラースデバスコンセーロス(サンハ゜ウロ州)

山口県下関市

サントス市(サンパウロ州)

新潟県見附町

マイリンケ市(サンパウロ州)

山口県徳山市

サンベルナンドドカンポ市

富山県

サンパウロ州

徳島県

サンパウロ州

富山県富山市

モジダスクルーゼス(サンパウロ州)

高知県土佐市

イタチーバ市 (サンパウロ州)

富山県高岡市

ミランドポリス市(サンパウロ州)

高知県須崎市

カスタニャール市(パラー州)

石川県金沢市

ポルトアレグレ市(リオク゛ランテ゛ト゛スル)

高知県伊野町

コチア市(サンパウロ州)

石川県小松市

スザノ市(サンパウロ州)

佐賀県諸富町

リメイラ市(サンパウロ州)

石川県珠洲市

ペロータス市(リオグランデドスル州)

長崎県長崎市

サントス市(サンパウロ州)

岐阜県岐阜市

カンピーナス市(サンパウロ州)

長崎県波佐見町

マウア市(サンパウロ州)

岐阜県関市

モジダスクルーゼス(サンパウロ州)

熊本県大津町

サレゾポリス市(サンパウロ州)

岐阜県中津川市

レジストロ市(サンパウロ州)

熊本県阿蘇町

イビポラン市(パラナ州)

岐阜県小坂町

サレゾポリス市(サンパウロ州)

大分県

エスプリット・サント州

三重県

サンパウロ州

宮崎県串間市

イビウーナ市 (サンパウロ州)

三重県津市

オザスコ市(サンパウロ州)

沖縄県

南マットグロッソ州

三重県熊野市

バストス市(サンパウロ州)

沖縄県那覇市

サンビセンテ市(サンパウロ州)

 このように日本とブラジルの関わりは深く、日本の各(都道府県や市町村)はブラジルの自治体とを多く結んでいます。現在58の地方自治体が移民と関係の深いブラジルのサンパウロ州を中心に姉妹都市を結んでいます。三重県も戦前からブラジル移民を送り、特にブラジルのサンパウロ州には三重県出身者も多く、二世、三世が現地で活躍しています。そこで三重県はブラジルのサンパウロ州と1973年11月7日、姉妹提携の調印を行いました。これにより交互にをしたり、美術展の、農業の技術指導などを行い、文化面で三重県とサンパウロ州が交流をもっています。三重県ではその他、津市と熊野市がをしています。