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近世史の授業改革

〜 貧 農 史 観 ・ 鎖 国 史 観 か ら の 克 服 〜

 














 

         目    次

  T.近世史でどのような歴史認識を育てるのか
  U.社会科教科書の問題点
  V.授業の工夫
  W.指導計画と授業のながれ
    ・指導計画
     ・授業の流れ  1.江戸幕府の成立
                2.江戸時代の産業と文化
                3.百姓一揆と政治改革
  X.授業の反省とまとめ
   Y.おわりに
 

 

T.近世史でどのような歴史認識を育てるのか

 近世は一般的には封建社会の後期、織豊政権の成立からそれが解体する明治維新までをいうが、ここでは江戸幕府の成立からペリー来航以前の江戸時代を扱う。

 江戸時代とは政治的には、後期封建時代にあって、江戸幕府を中心とした幕藩体制というひとつの連邦国家体制であり、身分制度に見られる上からの支配が隅々まで浸透、強化された時代である。また経済的には大部分を米というモノカルチャー経済に基盤を置きながらも、多くの産物を生産し商品経済を介して農村工業や貨幣経済が発達した時代であり、商工業、金融、運輸の発達もみられた。民衆史の視点からは、政治的な支配や経済的な諸情勢に苦しめられながらもたくましく生産と生活改善に取り組み、支配者への要求を怠らない姿勢は前近代直前の歴史の中で特筆すべきである。

 一方現代との関係でいうならば、江戸時代は現代の「日本的」文化の原型ができあがった時代でもある。現代の言語(口語)、食文化、服装(和服)、農業、宗教(特に仏教)、伝統芸能などは直接的に江戸時代の文化の流れを組むものであり、前近現代の歴史を扱う中では最も身近な時代である。しかし一般的には文学やTV、映画などのメディアを通した江戸時代のある種の特定のイメージが定着しているのが現実であるが、実際の江戸時代の政治や生活とはかけ離れており、それはこれまでの一般的な貧農史観や鎖国史観というドグマを離れて、近世史を再構築していく必要があろう。そこで近世史を教材化し授業実践するにあたって、次のことに留意して基本方針をたてることにした。

 

1.貧農史観からの転換、「生きる」「まもる」「闘う」民衆史像への再構築

 江戸時代の農民に対する一般的なイメージは武士身分からいじめられ、高率の年貢により搾取され、あらゆる生活が制限、統制された「悲惨」で「窮乏」した農民像である。これは時代小説やTV・映画のドラマの影響もあろうが、これまでの社会科歴史教科書の記述とそれを無批判に教えてきたわれわれ社会科教師の責任もあろう。

 実際の江戸時代の農民が本当に「悲惨」で「窮乏」した農民であったのかどうかという疑問が以前からあった。「慶安の御触書」にみる農民像は土地に縛られて、年貢を納めることにのみに生活を強いられる「悲惨」なものである。しかしよく考えてみると、「酒や茶を買って飲んではならぬ」というのは茶や酒を買って飲む農民がいたからこのような法令がでたのではないかとの疑問があり、必ずしも実態に添うものではなく、これらの史料は領主側の一方的な「期待される(理想)の農民像」ではなかったかと考えるようになった。また、触書は農民の自給自足を促しているが、実態は年貢の金納や商品作物の生産、生活様式の変化によって農村には想像以上に貨幣経済が浸透し、流通が活発化していたのではないかと推察した。このような観点にたてば、徳川家康の言葉とされる「百姓は生きぬように死なぬように」とか、勘定奉行であった神尾春央がいったとされる「百姓とゴマの油は搾れば搾るだけ出るものなり」も農民の実像を表したものではないことがわかる。免(年貢率)にしても一般的には「4公6民」とか「5公5民」などと高率のイメージがあるが、実際には定免法の実施や生産力の向上、年貢には含まれない商品作物の生産や出稼ぎによる収入などを勘案すると実質年貢率は10〜20%になるとの研究成果もあり、現在の所得税率と何等変わらない。また「悲惨」の象徴とされた水呑百姓もすべてが「悲惨」な生活に喘いでいたわけではないことも明らかになっている。

 こういった江戸時代のこれまでの貧農史観を転換し、より実像に近い新しい農民像を構築する必要がある。一般的に百姓一揆や打ちこわしのイメージから「闘う」農民像があり、しかもその一揆の対象がすべて武士身分であるかのような錯覚があるが、物価高騰や高金利を理由とした豪商や豪農を対象としたものも多いのであり、逃散、逃亡など武器をもたない「闘わない」一揆もある。こういった「行動を起こした」百姓と同時に、目だたないが日々の生活の改善に向けて「生きる」百姓、自分たちの権利や生活を「まもる」百姓が大半であったことを地域の生きた資料を通して考えさせていきたい。また、百姓=農民という虚像も合わせて考えさせていきたい。

 

2.開かれた江戸時代、「平和」ではない江戸時代

 江戸時代の農民像と同様に鎖国についても一般的な虚像があり、それは「諸外国といっさいの外交関係を絶ち、そのために世界の進歩から取り残されたが、一方で平和な時代であった」というものである。自分自身の過去の授業でも「キリスト教禁教のために鎖国を完成させ、長崎のみにて幕府が独占してオランダや中国と細々と貿易を行っていた。しかし250年間一度も戦争を経験しなかった平和な時代だった」という認識で、閉ざされた一面だけを強調してきた授業であったように思う。はたして江戸時代は「閉ざされた」しかも「平和」な時代であったのであろうか。

 日本列島が周囲から孤立した島国であるとの一般的な認識には重大な欠陥がある。陸上交通のみに目を向けるのではなく、海上を介した交流・交易は有史以来活発に行われていたのであり、これは基本的に江戸時代においても同様である。江戸時代は対外的にも「閉ざされた」時代ではない。確かに貿易や貿易港、貿易相手は幕府によって管理、制限されてはいたが、朝鮮国とは唯一正式な国交を結んでいて「交流・交易」をおこなっていたし、長崎を通して世界の情勢は逐一幕閣に伝えられ、「蘭学」「唐物」としてヨーロッパや中国の文化が一般に広まっていった時代なのである。鎖国によって「停滞」「遅れた」のではなく文化と富を「蓄積」した時代であるとの認識が成り立つ。

 また約250年間、一度も対外的な戦争を行っていない「平和な時代」だったとするにも疑問が残る。国内的には支配者の「武士」は「戦争を行う人々」であり、武器(あるいは暴力)によって支配したのであり、対外的にも琉球王国やアイヌモシリ(蝦夷地)への侵略、諸外国への防備などを怠らずに実行してきた。そして何より江戸時代の身分制差別社会が「平和」な社会であるはずがない。江戸時代は決して「平和な時代」などではなく、「戦闘態勢の状態」あるいは「戦前の状態」なのであって、これは第2次世界大戦後約半世紀の今日の状況に似ている。

 校区内の東玉垣町には150年以上も続く伝統芸能の「唐人おどり」が伝えられている。これは直接的に江戸時代の朝鮮通信使の影響を受けたものであるが、このような地方にあっても「外国」を強く意識するものが伝えられていたという事実に直面し、江戸時代は「閉ざされた」時代ではなく「交流」のあった時代であるという印象を強く持つに至った。また、校区内の若松町は大黒屋光太夫の出身地であるが、彼とその乗組員は海外渡航が禁止されていた時代にあってロシアという「外国」を見た数少ない日本人である。世界史的に見ても彼の帰国はロシアの対外政策や日本の鎖国政策に多大な影響を与えることになるが、何より地域出身の光太夫が鎖国体制の中にあって外国と「交流」を持ったという事実は大きな意味あいをもつ。授業では地域史である「唐人おどり」と「大黒屋光太夫」を手がかりとして、「開かれた江戸時代」について考えさせていきたい。

 

3.地域史から全体史を観る、地域史そのものの学習

 江戸時代は高度に支配体制が整えられた時代であり、地方の隅々までその支配は行き届いている。全体史(通史)は地方史の集合体であり、従って一地方の地域史をみればあらためて全体史を見なくとも全体史を見れるのではないかとの仮説が成り立つ。また鎖国体制下といえども世界の情勢は幕府や諸藩の国内政策に反映されるから、地域史から世界史を観ることも可能である。しかも江戸時代はそれ以前と比べ、藩政史文書や地方文書など圧倒的に地域史料が豊富な時代であり、多くの場合、市町村史などによってその成果が刊行されている場合が多い。特に鈴鹿市地域は江戸時代にあっては神戸藩をはじめ紀州藩、津藩、幕府直轄領などに分かれ、それらの関係の史料も豊富で、「大黒屋光太夫」をはじめ「白子」「東海道」といった全国区的な地域教材もある。

 これまで地域(史)教材は投げ入れ的な扱いの実践が多かったが、「地域史を中心に授業を組み立てる」という基本方針で授業に望むことにした。それまでに日本の旧石器時代〜古墳時代を基本的に地域史教材で組み立てた実績があり、今回、史料が豊富な江戸時代の教材化に取り組んだ。しかし実際問題として自分自身の教材化の能力の問題や地域史教材だけでは不足するものもあり、「地域史から全体史(通史)を観る」という視点を原則としながらも、不足分を全体史(一般史)教材で補うという授業内容にしたいと考えた。

 地域史、地域教材の導入や教材化についてはこれまで興味づけを中心に論議されてきた経緯がある。確かに身近な地域教材を使えば子どもは興味を持って意欲的に学習を行う。地域教材を通してどのような社会認識や歴史認識をつけさせるかに授業研究は集中してきた。しかし地域史や地域教材の教材化ははたしてそういった「導入」や「手段」だけの問題であろうかという疑問を以前から抱いていた。一定の社会認識や歴史認識をつけさせるためには何も地域教材を使わなくとも授業方法の工夫で楽しく意欲的に取り組ませることができる。地域史や地域教材の教材化には大変な労力と能力が必要である。地域を取り上げる意義を地域そのものに求めてはどうであろうか。すなわち地域(史)学習は興味づけを行う他に「地域そのもの」の学習に意義があるのではないかとの思いがある。子どもたちは地域の変化や教育の多忙化によって地域から「疎外」され続けており、地域への所属感

は確実に薄くなってきている。今日の「地方」ブームで「郷土」の人物や事蹟の「顕彰」がさかんである。しかし現在の地域を見直すことは決して戦前の「郷土愛」の復活とは異なる。戦前の「郷土愛」は特定の人物や事蹟を「顕彰」して国家(天皇)への忠誠を誓わせ、「忠臣愛国」の道徳観を養う道具とされたものであり、今日の「地方」ブームも戦前の「顕彰」の復活である場合が多い。しかし今日的な地域学習の意味あいは、自分たちが住む地域の環境(歴史的環境を含む)を大切にして、地域への積極的参加を前提としたものである。戦前からの「郷土」と今日的な意味あいでの「地域」をはっきりと区別する必要があり、そういった点を授業の中でも気を付けていきたい。

 

4.被差別民衆や独立した文化に視点をあてた授業

 現在の部落差別の問題は「過去の封建制身分差別の残りかす」などというものではなく、現実に多くの人々が差別されているゆゆしき社会問題である。本質的に現代の部落差別(社会的差別)は封建時代の制度的身分差別が近代以降も解決されないまま存続してきたものであり、現代の被差別部落の多くが近世の被差別身分(特に「えた」部落)に由来しているのも事実である。近世において幕府や諸藩はなぜ被差別身分を置いたのか、被差別身分の人々はどのような差別を受け、生活をしてきたのかを解明することは現在の部落問題を考える上できわめて重要である。

 ここ数年来同和教育において「部落史の転換」ということが問題提起され、部落の起源の問題をはじめ、これまでの「悲惨」で「貧窮」した暗いイメージからの払拭が叫ばれている。部落の起源についてはこれまでの「近世政治起源説」が見直されて、「中世起源説」に立つ学者が増えてきている。このことで教育の現場に混乱がみられるが、ここで肝要なことは両説どちらの立場にたつかではなく、「被差別身分が近世に至って制度的に固定化された」ということであり、「皆がつくって皆で差別してきた」という観点にたつことである。また従来、被差別身分が百姓や町人身分よりも「低い」身分であると言われてきたが、最近の研究によって「身分外の身分」あるいは「社会より排除された」身分と捉えるほうがより実態に近いものとされている。また一方、近世の被差別部落の人々の生活が「悲惨」で「貧窮」したものであったいう固定観念も最近の研究によって皮革の特権や農業生産の向上で比較的安定した生活を送っていたことが明きらかになってきている。また、工芸や芸能などの文化面での優れた業績や、差別に立ち向かう行動(一揆など)などを積極的に評価して、プラス指向の部落史を目指したい。

 部落差別と同様に、現在の人権問題につながるのが近世のアイヌと琉球の人々の問題である。独立した文化や国家をもちながら、一方的な侵略と略奪を繰り返して圧迫した生活を強いられたことは直接的に現在の不当な差別的状況へとつながっている。先住民の文化や生活を否定することがいかに不合理なことかを、高度な文化や交易、抵抗の事実などを踏まえて「違う文化を尊重する」や「違いを認め合う」社会認識を育てていきたい。

 

 

U.社会科教科書の問題点  

 現行の社会科教科書は1997年度改訂となったが、実践時に使用した旧版の教科書(大阪書籍)を分析してその問題点をさぐってみたい。なお改訂版においてもその問題点は改訂前とほとんど変わっていない。

                   教科書の指導内容の配列(時数は指導書による)


   
 
   
   
   

   
   
   

   
   
   
   
   
 

1.江戸幕府の成立(全3時間)
  @「江戸幕府の成立」「将軍と大名」「武士の生活」
  A「農民と町人」「江戸時代の身分制」
  B「鎖国と島原の乱」「琉球と蝦夷地」
2.産業の発達と元禄文化(全3時間)
  C「農業の発達」「漁業と鉱山開発」
  D「江戸と大阪」
  E「元禄文化」「学問と教育」
3.百姓一揆と幕府政治の改革(全6時間)
  F「商品作物と農村の変化」
  G「綱吉と白石の政治」「享保の改革」「田沼の政治」
  H「百姓一揆と打ちこわし」「寛政の改革」
  I「国学と蘭学」「外国船の接近と幕府政治の批判」「化政文化」
  J「大塩の乱と天保の改革」
  K「薩摩藩と長州藩」「工場制手工業」
 
















 

1.百姓や町人などの民衆をどのように記述しているか

 江戸時代の身分として百姓身分をすべて「農民」として記述している。百姓=農民ではない。山民や海民をはじめ鉱山、製塩、商業など様々な生業に従事した「百姓」がいたのであり、江戸時代の社会があたかも「農業生産」だけで成り立っていたかのような錯覚を与えている。さすがに「士・農・工・商・えた・ひにん」といったようなピラミッド的序列から身分制度を説明するということはしていないが、「年貢を負担する農民をもっとも重視し、町人と区別しました」とあり、百姓(農民)身分が序列的に町人身分より上であったような印象をあたえている(百姓身分と町人身分は制度の上で序列は全くない)。百姓(農民)身分の村役人、五人組制度、年貢の負担、倹約や生活の統制について記述して江戸時代の百姓(農民)すべてが貧しく、悲惨な生活を送っていたかのような暗いイメージを与えている。これは百姓一揆の原因を「年貢のきびしい取り立て」とすることで尚一層その悲惨さを増幅させているように感じる。当時の百姓(農民)すべてが「慶安の御触書」に見られる農民像や「百姓とゴマは搾れるだけ搾れ」に代表される貧農であったのかどうかは疑問が残り、授業の中で検証してみたい。町人身分については「江戸と大阪」や「元禄・化政文化」などで取り扱っているが、何れも特定の大商人や文化人であり、一般町人の生活のようすの記述は少ない。

 百姓一揆や打ちこわしなどの原因については「年貢のきびしい取り立て」や「ききん」などをあげており、単に武装した暴動であるかのように描いている。しかし百姓一揆や打ちこわしには地域によって様々な原因や形態があり一様ではなく、何より百姓や町民の人々が自分たちの生活を守り(生活防衛)、生活を少しでも良くするため(生活改善)に共同で行動したという視点に欠けている。

 農業の発達について、新田開発や農具の改良、米以外の作物の生産について記述しているが、それが武士など支配者に「やらされた」ものではなく、民衆によって「つくりあげてきた」ものであるという観点が欲しい。

 

2.被差別身分やアイヌ民族、琉球をどのように記述しているか

 被差別身分については「さらに農民・町人の下に『えた』や『ひにん』などの身分がおかれました」として、農民・町人より「低い身分」と位置づけ悲惨な暗いイメージを定着させている。しかし最近の研究では「社会より排除された身分」というのが実態に近く、そういった観点からの記述が望まれる(改訂版では「農民・町人のほかに・・・・」とやや改善されている)。「自分よりまだ下の者がいると思わせて、その不満をそらす役割をはたした」として分断政策については記述しており、その具体的役務や差別の内容についても記述しているが、「えた」身分と「ひにん」身分の違いについては不十分であり、その他の被差別身分についての記述は見られない。差別は他の百姓・町人身分の人々も受けており、同一身分内身分も含め、当時は「総差別社会」であるとの観点が欲しい。

 従来の「悲惨と貧困」という暗黒のイメージは、これも最近の研究によって生活そのものはそれほどの貧困ではなかったのではないのかということが徐々に明らかになってきており、差別の中にあっても一日一日を力強く生き抜き、社会を支えてきたという「生産」と「労働」意欲のプラスイメージの記述が望まれる。また差別と闘うということで、「渋染一揆」についてはかなりの記述あり評価できるが、一揆の原因や結果についてやや簡潔すぎる。

 アイヌ民族については、武士(松前藩)による支配とそれに対する族長シャクシャインの抵抗の記述が見られ一定の評価ができるが(改訂版では銅像の写真を掲載)、場所請負制などその具体的搾取の様子や、アイヌの人々の優れた文化についての記述は無く、「蝦夷地」という和人側の蔑視した名称ではなく「アイヌモシリ(アイヌの静かな大地)」というアイヌの人々の土地(先住民)であるという観点での名称でありたい。

 琉球王国については、薩摩藩による武力支配と中国による二重支配に触れ、別ページで「琉球使節」を扱って琉球王国と薩摩藩・幕府との関係を記述して琉球の人々の苦しみについて描いている。しかし琉球の人々の独立した優れた文化についての記述は無い。

 

3.鎖国などの対外政策をどのように記述しているか

 鎖国の原因について、キリスト教禁教にかなりの重点を置いて記述しており、幕府の貿易独占や世界情勢の変化からの視点がほとんどない。朝鮮との国交については記述しており、「朝鮮通信使」についても別ページで記述している。また、諸外国の通商要求とそれに対する幕府の態度とその鎖国批判については簡単に記述しているが、世界史的な視点が欠如しており、世界の中の日本の情勢が見えてこない。「島原の乱」の「乱」は支配者側から見た考え方であり、民衆の立場に立てば「天草・島原一揆」がよいのではないか。

 

4.江戸時代の文化をどのように記述しているか

 「元禄文化」と「化政文化」に大別して記述しており、やや不足観を感じないわけではなく、最近では「寛永文化」や「宝暦・天明文化」の必要性も主張されている。しかし何より全体の記述が(以前に比べ改善されているとはいえ)、人物とその作品(あるいは芸能名)などの羅列によって構成されており、文化がおこってきた背景やその文化の担い手とその享受についての説明が極めて少ない。文化はその時代を象徴するものであり、どういった人々がその時代の文化を創り上げ、継承していったのかの視点が重要である。

 教科書は1社だけの検討であり、他社と比較していないので確かなことは言えないが、全体として、(以前の教科書よりは大部少なくなってはいるが)為政者中心の記述がまだまだ多く、歴史的事項の羅列によって文章が構成されている観は否定できない。民衆とその文化に視点があたる教科書であってほしい。

 

 

V.授業の工夫

 「楽しく」「わかる」授業をめざして、歴史学習では次のような工夫をこらして授業を進めることにしている。

1.政治史の精選化と民衆史・文化史の充実

 「支配者の歴史」を払拭するため、政治史は必要最小限に留め、常に民衆との関わりの中で捉えさせ、なるべく民衆の動きや生きざまが見える資料を中心として授業を組み立てることにした。また、その時代性を最も象徴的に表われるのがその時代の文化であるので、人物や作品の羅列ではなく、具体的な作品(なるべく地域と関わりのあるもの)の内容を通してその時代の文化の特色を把握させようと試みた。

 

2.「もの」教材の導入

 教室に積極的に「もの」教材を持ち込むことにした。下手な説明をくどくど言って面倒がられるよりも、その「もの」をずばり見せるだけで子どもは授業にのってくる。「もの」はしゃべらないけれど、「もの」は学者以上に歴史を語ってくれる。写真ではわからない「質感」や「歴史の重さ」はその「もの」を見て、触って初めて認識されるものである。しかしあくまで「もの」は歴史認識をつけさせるるための「手段」であって「主役」にならないように心がけてはいるが、子どもの印象は教師の思いとは裏腹に「もの」に興味がいくようである。「もの」教材を単に見せるだけのもの(確認や興味づけ)と、「もの」から何がわかるのかの中心教材とするものとに分類して使用することにした。

 「もの」教材は教師の「集めるぞ」という強い意志が必要である。お金も少々(?)かかるが、旅行や博物館・資料館、古書店、コイン店、遺跡等に積極的にでかけ「これは教材になる」と思えば買うなり、貰うなり、拾うなりして確保しておくことである。「もの」教材はなるべく「実物」であることにこだわっているが、不可能な場合は「複製」や「類似品」でもよく、購入や手に入らない場合には自分自身で「つくる」ことにしている。(「歴史もの」教材一覧参照)

 

3.「歴史通信」の発行、「歴史新聞」の取り組み

 歴史の授業を補足し、歴史の興味づけを行うために月2回程度で「歴史通信」を発行している。題材は授業で扱えなかった地域史や歴史のトピックス的なものを中心に構成していおり、授業の資料として使う場合もある。また、夏休みの「地域に関する自由研究」と冬休みの「歴史新聞」を学習課題として出している。「歴史新聞」は1つの事象や人物を現代の感覚で捉えて「楽しく」歴史を学ぼうとするものである。子どもの発想の豊かさや可能性を改めて認識させられる課題である。

 

 

W.指導計画と授業の流れ

 近世史の授業で教えたいこと、教科書記述の問題点、子どもの実態などを踏まえ、江戸時代(江戸幕府の成立〜ペリー来航以前)について指導計画をたて実践を行った。

 

【指導計画】

 1.江戸幕府の成立(全7時間)                      


   題    材

     指   導   内   容


(1)江戸幕府の成立と神戸藩

(2)江戸時代の身分制度
  @百姓と町人         
  A被差別身分の人々
(3)島原・天草一揆と鎖国

(4)アイヌモシリと琉球王国

(5)朝鮮通信使と唐人おどり         (2時間)


・幕藩体制の構造を神戸藩の歴史や組織、神戸城の構造などを通して理解させる。

・神戸藩の百姓の生活を通して幕藩体制下の身分制社会の支配構造を理解させる。
・市内の被差別部落の資料から差別の実態や構造と差別の不合理性を読み取らせる。
・鎖国に至る理由をキリスト教、幕府の貿易統\制世界情勢から捉えさせる。
・幕府や諸藩によっていかにアイヌや琉球が侵略されたかを独自の文化を大切にして見ていく
・朝鮮との文化交流を唐人おどりなどの学習から考え、開かれた鎖国について認識させる。
 








 

                                        

 2.江戸時代の産業と文化(全5時間)                   


   題    材

     指   導   内   容


(1)農業の発達と新田開発
(2)都市と商業の発達
@江戸、大坂、京
                                 A石薬師宿と神戸城下町     
                                 B白子の繁栄
(3)綱吉の政治と元禄文化

 

・亀山藩の新田開発を通して百姓の生活安定や生活改善への努力を理解させる。

・三井の商法、神戸藩藩米の流れなどを通して三都と商業の発達を理解させる。
・石薬師と神戸の町並みを通して宿場町と城下町の政治的、軍事的、経済的な構造を探る。
・松坂木綿の流通経路、伊勢型紙などを通して白子が繁栄した理由について考えさせる。
・芭蕉や西鶴の作品、神戸藩藩校などを通して元禄文化の特色や学問の発達を理解させる。
 


    1

                                        

 3.百姓一揆と政治改革(全9時間)                    

     題     材   指   導   内   容

(1)白石、吉宗、意次の政治と民衆

(2)亀山明和の百姓一揆

(3)大黒屋光太夫と鎖国(2時間)

(4)寛政の改革とアイヌモシリ

(5)農村の変化と工場制手工場

(6)差別の強化と渋染一揆

(7)国学と蘭学、化政文化

(8)大塩の乱と天保の改革

 

・幕府政治の推移を百姓や町人など民衆側の視点から検証させる。

・亀山藩の百姓一揆を通して百姓への支配の荷重や生活を守る闘いについて考えさせる。
・光太夫の足跡を見る中で、交流のすばらしさと鎖国体制の矛盾について考えさせる。
・寛政の改革を民衆の側から捉えさせ、アイヌモシリの置かれた立場について理解させる
・神戸藩の百姓や桐生の織物業を通して農村の変化を理解させる。
・差別への怒りと解放への展望を渋染一揆の人々の行動を通してもたせる。
・国学と蘭学の発達と生き生きした民衆の文化を具体的作品の中から感じ取らせる。
・大塩の乱に参加した被差別民や新しい思想を知る中で封建体制の矛盾について考える。
 


















 

 

【指導の流れ】

1.江戸幕府の成立(全7時間)

(1)江戸幕府の成立と神戸藩

  目標 「江戸幕府が武力を背景に大名や民衆を支配したことを神戸藩の成立や組織の中から理解する」


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

この城絵図(神戸城)はどこの城
の絵図だろうか?
1.江戸幕府の成立
・江戸幕府はどうやって成立し
たのだろうか?
・徳川氏はどれだけの経済力が
あったのだろうか?
・県内の大名配置図をみる。

2.神戸藩の成立
・神戸城の大名は誰か?
 神戸藩の石高と支配地域は?
 神戸藩の組織と支配は?


・神戸の大名に1年置きに課さ
れた幕府の命令とは何かを考え
る (→参勤交代)

なぜ幕府は参勤交代の制度
 を強要したのだろうか?
3.神戸城
・神戸城は今の神戸のどこにあ
ったのだろうか?

・武家屋敷はどこにあったのだ
ろう?

4.まとめ

・かなり規模が大きかったことに気
付かせる。

・年表を使って関ヶ原〜幕府の成立
〜豊臣氏滅亡までを簡単に説明する
・全国石高のグラフを使ってその経
済力の豊冨さに気づかせる
・御三家、譜代、外様についても説
明を加える

・藩主の変遷と共に、校区も含まれ
る藩領についても理解させ、村単位
の支配であったことに気づかせる
・支配図から武士による百姓、町人
支配であることを読み取らせる
・武家諸法度についても触れる
・神戸藩の大名の江戸までの日数や
人数についても知らせる

・将軍への忠誠、経済的負担の側面
から考えさせる

・縄張りと共に現在地と比較させて
規模を把握させる。また校区内の寺
に移築された太鼓櫓について触れる
・城に近い方から家格によって居住
が決まっており、足軽は城下の縁辺
に居住していたことを押さえる。
 

神戸城絵図


年 表

全国石高表

県内大名配置


神戸藩の歴史
江戸後期の藩
領図
神戸藩の組織

武家諸法度






神戸城図





 
到達目標
  江戸幕府は大名(藩)による武力支配とその上にたつ幕府の大名支配の幕藩体制からなり、百姓を武士から切り離すことによって成立した。
 

 

(2)江戸時代の身分制度

@ 百姓と町人(神戸藩を中心に)                        

  目標 「百姓・町人身分は武士身分によってあらゆる生活の上で統制されてはいたが、一定の生活レベルは守っ ていたことが神戸藩内の民衆をみる中でわかる。


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

検地帳をみて、検地の意義につ
いて復習する。
1.百姓の生活
・江戸時代の百姓はどこに住
んでいて、何を仕事としていた
のだろうか?





・百姓の人口は?

・武士身分にとって百姓はどう
いった存在だったのか、「神戸
藩の下知状」を読んで考える。


・年貢はどれだけだったのか、
校区の村の石高と年貢率をみて
考える。



百姓は本当に悲惨な生活を
 送っていたのだろうか話合
 い発表する。





2.町人の生活
・町人はどこに住み、どんな仕
事をしていたのだろう?
・百姓と比べ生活はどうだった
のだろうか?


3.まとめ

・農民を土地に縛り付け、兵農分離
をさせたことに留意する。

・自分たちの町(村)と重ね合わせて
考えさせ、武士・町人と分離させら
れたことに気づかせる。
・農業以外に漁業や山の仕事など様
々な仕事をもつ人たちがいたことを
知らせる。
・村役人、本百姓と水呑の相違につ
いて説明を加える。
・わずか7%の武士が84%の百姓を
支配していたことに留意する。
・「年貢を納めさせる対象」であっ
たことを読みとらせる。そのために
様々な生活統制があったことを「慶
安の御触書」を補足資料として考え
させる。
・0.5〜0.6というかなり高率である
ことを読み取らせる。石高には屋敷
地(地子)や漁獲高(浜年貢)など米以
外のものも含まれていることに留意
・年貢納入のために五人組制度を整
えたことを説明する。
・年貢は定免法、生産力の増加、新
田開発、米以外の商品作物の栽培な
ど実質年貢率は低いことに触れる。
・「酒、茶をのむな」という命令の
裏にはそれを飲む百姓がたくさんい
たということを考えさせ、法令の真
の意図(期待される農民像)と実像の
百姓との相違に気づかせる。

・神戸城下の「鍛冶町」「十日市町」
などの地名から考えさせる。
・町役人、家持と借家人の区別につ
いても触れ、百姓に比べて統制がゆ
るやかであったことの理由について
も考えさせる。
 

椿世村検地帳










身分別人口表

神戸藩の下知

慶安の御触書


村高と年貢率














神戸城下町





 
到達目標
  百姓身分には色々な人々がおり、武士身分の年貢徴収の対象として様々な生活統制を受けていた。しかし生活は考えるほど悲惨なものではなかった。
 

 

 A被差別身分の人々

  目標  「武士身分は百姓や町人身分の不満をそらせるために『えた』や『ひに』な どの被差別身分をつくり、あらゆる身分から差別、排除されたが、被差別 民の人々はたくましく生き抜いていったことを理解する」       


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

宗門人別帳記載の「えた」身分
を見る。

1.被差別身分の成立
・検地帳記載の「かわや」「か
わた」が何か考える。


・どういった人々が被差別身分
にされたのだろうか? またど
ういった名称があったのか?



・どういった差別をうけていた
のだろうか?

なぜ支配者は被差別身分を
 おいたのか話し合う。

2.被差別身分の生活
・「えた」身分の人々はどういっ
た役目を課されていたいたのか
亀山藩の命令を見て考える。




被差別身分の人々の生活は
 どのようなものであったの
 か、人口動態グラフを見て
 考える。
3.まとめ

・「えた」身分がいた事実を実感さ
せ、あらゆる身分から差別されてい
身分がいたことを知らせる。

・織豊期に単なる職業を表していた
「かわや」が17世紀後半に賎視観が加
わった「かわた」に変化したことを知
らせる。
・中世の被差別民や「かわや」などの
特定の職業、農民の一部などが支配
者によって組み込まれたことを説明
する。
・「西林崎村差出帳」や「江戸時代の
被差別民の名称」で確認させる。
・具体的な法令の中で考えさせ、差
別と共にあらゆる生活や行事から排
除された側面を重視させる。
・年貢納入者である百姓や町人の不
満をそらせる目的で、ケガレ観をう
まく利用したことにも触れる。

・身分の成立が17世紀末であったこ
とと、死牛馬の処理がケガレ観を利
用したものであることに留意する。
・普段は主に農業に従事し、年貢の
負担もあったことに触れる。
・その他、「ひにん」身分の役目など
も補足説明を行う。
・なぜ人口が増加しているのかを経
済力と信仰心の側面から考えさせ、
想像以上に豊かな生活を送っていた
ことに留意させる。
 

宗門人別帳



市内A・B村
検地帳




西林崎村差出

江戸時代の被
差別民の名称
各藩の差別法






亀山藩の命令






大坂と渡辺村
の人口増加指
数の比較図

 
到達目標
  武士身分(支配者)は大半の年貢納入者である百姓や町人身分の不満をそらせるために被差別身分をおいた。被差別身分の人々は差別され排除される対象ではあったが、差別に耐えたくましく生き抜いていった。
 

 

(3)島原・天草一揆と鎖国

  目標 「鎖国体制に至った経緯をキリスト教、貿易、世界情勢の視点から理解するこ とができる」                            


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

踏絵を見て何かを考え発表する


1.江戸初期の外交と貿易
・江戸初期の貿易はどこへどの
ような形で行われたのだろう?


・オランダ船の日本渡航の経緯
について考える
・この頃、キリシタンは全国に
何人ぐらいいたのだろう?
  (1605年→約70万人)
・1612年キリシタン禁教令を読む
なぜ幕府や諸藩はキリスト
 教を禁止したのだろうか?
2.島原・天草一揆
・一揆の原因は何だったのだろ
うか?
・「一揆の経過」を読む。

3.鎖国の完成
・鎖国令を年代順におい、その
経過について知る。
なぜ幕府は鎖国をしたのだ
 ろうか?


4.鎖国以後の社会
・長崎での貿易の様子はどのよ
うなものだったのか?

・キリシタン禁教制札、寺送り
状を見て幕府や諸藩はどのよう
な政策をとったか考える。
5.まとめ

九州地方で使用されたことを知らせ
せ、キリシタンが九州地方に多かっ
た理由についても問う。

・朱印船貿易について、国家として
保障された貿易であったことを押さ
える・また大湊の角屋七郎兵衛の活
躍についても触れる。
・東インド会社設立やヨーロッパで
の情勢を説明する
・九州地方を中心になぜギリスト教
が広まったのかも考えさせる
・メダイ、ロザリオを見せる

・思想的理由(平等思想)よりも団結
力という視点で考えさせる

・松倉重政の重税、キリシタン弾圧
などの側面から考えさせる
・天草四郎のエピソードも交え、徹底した抗戦の模様にせまる。

・日本人の海外渡航禁止が幕府にと
って重要であったことを押さえる。
・キリスト教禁止、幕府の貿易独占
に加え、世界情勢の変化、貿易のも
つ意味(武器などの輸入の必要性)な
どに注目させて考えさせる。

・きびしい監視と、オランダと中国だけが貿易の関係をもっていたことを強調する。
・生活の隅々までキリスト教禁教が
徹底していたことを読み取らせる。

 

踏絵











メダイ
ロザリオ



キリシタン迫害の

島原地方の図
天草四郎の図








出島図


キリシタン禁教制札
送り一札状
 
到達目標
  幕府は初期には貿易を行っていたが、キリスト教の広がりへの警戒、幕府の貿易独占、世界情勢の変化から鎖国体制を実施していった。
 

 

(4)アイヌモシリと琉球王国

  目標 「高度の文化と民族性を有するアイヌ民族と琉球の人々が、幕府と薩摩・松前両藩によって侵略、略奪されたことが彼らの思いを考えて理解することができる」


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

アイヌのムックリ、チッポ、ア
ットゥシを見る
1.アイヌモシリ
・蝦夷地にはどのような民族が
すんでいたのだろう?
・このアイヌモシリに和人がど
のように侵略していったのか年
表を見てみよう。
・アイヌの人々がどのように苦
しめられたのか「アイヌへの不
正行為の様子」を読んで考える
そのような侵略に対してア
 イヌの人々はどのような抵
 抗をしたのだろうか?「シャ
 クシャインの独立戦争」を読み
 考える。
・戦争後、アイヌモシリはどうなって
いったのか、「場所請負制度」
を見て、その支配の様子を理解
する。
2.琉球王国
・琉球は日本の室町時代にはど
んな様子だったか(復習)?


・なぜ薩摩藩は琉球を武力支配
したのか?「掟15ケ条」を読ん
で考え発表する。
幕府はなぜ薩摩藩の支配を
 認め、また逆に琉球を異国
 として置いたのだろうか?

・支配下の琉球にはどのような
産業や文化が発達したのだろう
か?

5.まとめ

アイヌ民族の高度で独特な文化、自
然を大切にした文化を知らせる

・先住民であることを強調する

・和人の一方的な侵略であり、秀吉
家康によって認可されたことを確認
させる。
・無知からでなく、アイヌの人々の
やさしさに付け込んだ悪質なやり方
に憤りをもたせる。
・和人(武士)の徹底した弾圧とそれ
に対する勇敢に抗戦したアイヌの人
々の思いを考えさせる。


・以前より増して略奪された様子を
高田屋嘉兵衛などを例にして説明を
加える。


・中国や東南アジアとの交易で栄え
ていたことを思い出させる。また、
「琉球の年表」で歴史の概略を説明
する。
・中国貿易に着目してその利益を独
占しようとしたに触れる。

・日本、中国、琉球の3国の関係に
注目させ、中国貿易の継続のために
は「異国」であったほうが都合がよ
かったことを知らせる。
・さとうきび(黒糖)、琉球いも(さ
つまいも)、染色・織物(紅型、琉
球かすりなど)、芸能(組踊りなど)
など具体的に説明する。
 

ムック、
チッポ、
アットゥシ   (写真)

蝦夷地の年表


アイヌへの不
正行為の様子

シャクシャインの独立戦争



場所請負制度






琉球の年表

掟15ケ条





写真




 
到達目標
  幕府や松前藩、商人は先住民・アイヌの土地を侵略したが、シャクシャインを中心とするアイヌの人々の抵抗があった。また幕府と薩摩藩は琉球王国を侵略し中国貿易の利益を独占したが、一方で高度な文化が育んでいった。

                                        

(5)朝鮮通信使と唐人おどり

 目標 「朝鮮は江戸時代唯一の国交のある国として貿易や文化の交流があったことを朝 朝鮮通信使や唐人おどりを学習する中で理解する」             

〈第1時〉                                   


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

写真(唐人おどり)を見て何かを
考える

1.朝鮮通信使
・秀吉の朝鮮侵略の後、日本と
朝鮮の関係はどうなったのか?
・鎖国の中で日本と交流をもっ
ていた国はどこか?

・朝鮮と日本(対馬)との貿易は
どのようなものだったのか?
 朝鮮から→木綿、人参など
 日本から→銀、銅など
・「江戸時代の朝鮮通信使」を
見る。


・どういったルートでソウルか
江戸まできたのだろう?

・通信使はどうゆう時にどの規
模できたのだろうか?

通信使の来日によってどの
 ような交流が行われたのか

2.唐人おどり
・この踊りはいつからはじまっ
たのだろうか?
・「唐人おどりと朝鮮通信使」
概略をつかむ
・全国では現在どれだけ残って
いるのだろう?
・なぜ通信使のルートから外れ
たこの地に伝わったのか?

3.まとめ

・地元、東玉垣の踊りであり、これ
が江戸時代の朝鮮通信使に起源を持
つことを知らせる

・侵略の様子や陶工などの強制連行
などを思い出させる。
・中国とオランダは通商の国、朝鮮
だけが唯一の国交を結んでいた国で
あることを押さえる
・釜山の倭館のようす、日本から唐
からしが伝えられたことなどを補足
する

・対馬(宗氏)の関係修復の努力に
ついても気づかせる
・日本、朝鮮両国にとってどういう
意味あいがあったも考えさせる
・各地での大名による接待や朝鮮人
街道を設けたことなど最大級の待遇
が与えられたことに触れる
・正使、副使以外に儒学者、医者、
曲芸師、音楽隊など一大文化使節団
であったことを押さえる
・街道添の人々が外国人に触れるこ
と、学者が競って交流を深めたこと
を福善寺の写真をもとに考えさせる

・江戸時代の終わり頃から続く伝統
ある民間芸能であることを押さえる


・津(唐人行列)、牛窓(唐子踊り)の
3つしかないことを強調する
・当時の異国に対するあこがれと尊
敬の上に成り立っていることに気づ
かせる
 

唐人おどり写








木綿
朝鮮人参


江戸時代の朝
鮮通信使


朝鮮人街道道
標の写真




鞆浦、福善寺
の対潮楼


唐人おどりの
写真
唐人おどりと
朝鮮通信使
唐人行列、唐
子踊りの写真



 
到達目標
  江戸幕府は朝鮮との国交をはかり、計12回も通信使を迎え、学者なども親しく交流した。その交流の跡が現在も各地にのこっているが鈴鹿にも唐人おどりとして地元の人たちが100年以上も伝えてきた。
 

〈第2時〉

 ・ビデオ鑑賞      @東玉垣の唐人おどり(10分)                                   

               A朝鮮通信使(辛基秀 編、映像文化社)(35分)   

 

2.江戸時代の産業と文化(全5時間)                      

(1)農業の発達と新田開発                            

  目標  「新田開発が農民達のどのような願いで進められたがわかる。江戸時代の漁業の発達と鉱山開発の概略がわかる」                 


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

1.亀山藩の新田開発
・5万分の1地形図(鈴鹿市)で
「○○新田」と名がつく地名を
捜し出して発表する
(伊船新田、国府新田、長沢新
  田、京新田など)
・なぜ西の丘陵地に多いのだろ
うか?
・地形図から「ため池」の分布
について見てみよう。

・新田開発にとって水の確保が
いかに大切か「真弓長右衛門と
龍ケ池」を読んで考える。
・新しく開墾された新田にはど
のような特典があったのか「国
府新田開発文書」見て考えてみ
よう。
・開発に使用した農具や技術は
どうだったのだろう。
・耕地面積増加グラフを見て気
づく点を発表する。

なぜ新田開発が行われたの
 か農民の側から考える。


2.漁業の発達
・江戸時代に若松港から水揚げ
された魚は何だったのか?


3.鉱山の開発
・鉱石(金銀銅)を見て産地を当
てよう。

・精錬された金銀銅は何に使わ
れたのだろうか?

4.まとめ


・すべて江戸時代に亀山藩内の農民
によって開発された新田であること
を知らせる。


・低湿地はすでに古代から開発しつ
くしていることに留意させる。
・新田の地域と重なっていることを
見てとらせ、新田開発は一方で干漑
施設との闘いであることを告げる。
・単に人物を顕彰するのではなく、
民衆の願いという視点で捉えさせる

・増収と共に、減免という農民の切
実な願いを読み取らせる。


・農具の改良や農書の普及で、効率
のアップ化が図られたことに触れる
・前期に約2倍に増えている点と後
期にはほとんど増えていない点に注
目させて考えさせる。
・生産への意欲、生活の安定という積極的な働きに重点を置く。
・支配者側にも増収につながるとい
う積極的な政策があったことにも触
れる。

・いわし、さば、あじなど沿岸漁業
での漁獲であったことを説明する。
・その他、日本の沿岸で獲れた魚類
についても触れる。

・江戸時代に開発された金(佐渡、
土肥)、銀(石見、生野)、銅(足
尾、別子)について説明する。
・貨幣として流通した他、長崎・対
馬・琉球貿易によって海外に流出し
たことを知らせる。


5万分の1地
形図(鈴鹿)








真弓長右衛門
と龍ケ池

国府新田開発
文書


老農夜話挿絵

耕地面積増加
グラフ












金・銀・銅鉱石




 
到達目標
  百姓など民衆は重い年貢にあえぎながらも新田開発、技術の改良などにより生産向上や生活の安定にむけ絶えまない努力を積み重ねていった。
 

 

(2)都市と交通の発達

 @江戸、大坂、京                               

  目標 「江戸や大坂など都市が発達し理由を農業、商業、交通などの側面から理解することができる」                           


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

江戸時代の貨幣を見る
(小判、1分金、長銀、1分銀
  銅銭、藩札など)
1.両替商と三井
・両替商では両替以外にどのよ
うな業務があったのか?


・三井越後屋の引札を読んでど
のような商法であったのかを考
える。


2.江戸、大坂、京
・江戸、大坂、京の三都を比較
しながらまとめ、発表する。




・大坂や江戸にはどのような物
資が運ばれていたのか? 「大
坂へ運ばれ、出されたもの」を



・神戸藩の年貢米はどうなるの
か「神戸藩の年貢米の流れ」を
見て考える。
江戸時代の都市と交通の発
 達は経済的に何が原因と考
 られるか考え発表する。
3.まとめ

・金貨、銀貨、銅銭を両替する商店
があったことを知らせる。


・両替商はむしろ利貸付業務が中心
であったことを押え、大名貸しを行
う三井、住友、鴻ノ池などの両替商
が現れたことを知らせる。
・現金掛値無しの他、店先売り、反
物の切売り、引札宣伝など当時の斬
新な商法を紹介する。
・三井が伊勢商人であり、伊勢商人
が江戸で活躍したことを補足する。

江戸・・政治の中心、将軍のおひざも
 と、大名江戸屋敷、五街道の起点
大坂・・経済の中心、天下の台所、全
 国の諸物資の集散地、蔵屋敷
京・・・・文化の中心地、西陣織・清水
 焼などの伝統文化
・当時どのような物が生活物資とし
ていたのかも把握させる。
・菱垣回船、樽回船について触れる
・西、東回り航路について説明し、
伊勢出身の河村瑞軒について補足説
明を行う
・年貢米の換金が地元と大坂の商業
に深く関わっていることに留意する

・農業の発達、商品経済の流通と不
過分であることに注目させる。

 

江戸時代の貨



両替商の看板



三井越後屋の
引札




三都の錦絵





大坂へ運ばれ
出されたもの

航路図


神戸藩の年貢
米の流れ




 
到達目標
  農業や商業、交通の発達は江戸や大坂の都市を繁栄させる結果となった。
 

 

 A白子の繁栄

  目標 「白子の繁栄を木綿の流通や回船の様子を通して理解することができる」  


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

伊勢型紙を見てこれが何でどこ
で作られたのかを考える。
1.松坂木綿
・これ(綿の実)は何か?
 何処で栽培していたのか?



・伊勢地方で栽培された木綿は
どうされたのか、「松坂木綿が
江戸で売られるまで」を見る。
・木綿が反物になるまでどうい
う過程をふむのだろう?

2.白子の繁栄
・「江戸時代の白子」「伊勢街
道絵図」を見て、白子はどのよ
うな状況だったのかを考える。
・どれだけの木綿が白子から出
荷されたのだろう?
・回船や江戸で白子の商人がど
のように活躍したのだろう?


 なぜ白子が繁栄できたのだ
 ろう。次の点から考える
  ・地理的位置
  ・支配した大名

3.まとめ

・簡単な説明と現在でも伝統技術と
して保存されていることを知らせる

・鈴鹿地方(神戸木綿)の他、松坂地
方(松坂木綿)、津地方(伊勢木綿)で
商品作物として栽培されていたこと
他に河内や三河地方でも栽培されて
いたことを説明する。
・知多地方産を含め総て白子から出
荷されることに気づかせる。

・問屋制家内工業について説明し、
当時の農民の農閑期の機織について
理解させる。

・回船を中心に繁栄していた様子を
読み、見てとらせる。

・当時、日本最大の出荷量を誇って
いたいたことを押さえる。
・「松坂木綿が・・」を見させて、具
体的に説明を加え、特に竹口家につ
いて、江戸大伝馬町の伊勢商人の活
躍と交えて説明する。
・木綿の産地、伊勢街道、伊勢湾で
の位置から考えさせる。
・御三家の紀州藩の権力を背景に浦
賀(海の関所)も素通りできたことに
も触れる。
 

伊勢型紙


綿の実




松坂木綿が江
戸で売られる
まで




江戸時代の白

伊勢街道絵図
江戸への木綿
入荷量

竹口家の持船







 
到達目標
  地理的位置と紀州藩の権力を背景に、白子は松坂木綿の回船を中心に伊勢型紙と共に繁栄した。
 

                                        

 B石薬師宿と神戸城下町

  目標  「宿場町と城下町の構造を石薬師宿と神戸城下町を見る中で理解し、それが支配者にとってどういう意義があるのかがわかる」            


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

歌川広重「庄野」「石薬師」を
見る。
1.石薬師宿
・鈴鹿市内を通っていた街道に
は何があったか?
・「石薬師宿軒別図」を見て気
づく点を発表する。
 何という街道を通っているか

 何の職業が多いか

 本陣とは何か

 問屋場とは何か


・五街道についてまとめる

2.神戸城下町
・「神戸城下町」を見て気づく
点を発表する。

 なぜ武士と町人の居住区域が
 分かれているのか・

 なぜ街道添いに町屋があるの
 か?

 なぜ寺院が集中してあるのだ
 ろうか?

城下町はだれのために作ら
 れた町だったのか?

3.まとめ

・極めて芸術性が高いことに留意す
る。

・東海道と伊勢参宮街道が通り、重
要な街道であったことに触れる。


・市内には石薬師と庄野の2ケ所の
宿場町があったことを知らせる。
・宿場町が宿泊を主とする町である
ことを読み取らせる。
・東海道が参勤交代による大名の通
り道であったことを確認させる。
・役人のための馬や助郷の事務所で
あり、一般人は使用でなかったこと
を知らせる。
・すべて江戸が起点であり、将軍の
ための街道であることを知らせる。

・武士と町人の居住区域の分離や街
道添いに町屋があること、寺院の配
置などに目を向けさす。
・身分制社会である。町屋では商人
と職人の居住の区別はほとんどない
ことを知らせる。
・商業上の理由であり、町屋の中で
も旅篭や問屋が集中している区域が
あったことを補足する。
・軍事的理由で合戦の時の臨時の基
地になったり、宗教的な統制ができ
る利点に気づかせる。
・すべて支配者に都合よく作られ、
軍事的、政治的、経済的に考えられ
た町であることに気づかせる。
 

広重「庄野」
 「石薬師」

市内を徹街道

石薬師宿軒別





庄野宿本人間
取図、本陣利
用状況


街道図


神戸城下町図














 
到達目標
  江戸時代には宿場町や城下町が発達したが、それは支配者の武士に都合が良いようにつくられた町であった。
 

 

(3)綱吉の政治と元禄文化

  目標 「綱吉の政治を理解すると共に、元禄文化の特色や学問・教育の発達を一般民衆の側から捉えることができる」                   


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

赤穂義士図(錦絵)を見る。

1.綱吉の政治
・5代将軍綱吉の政治について
まとめる。

・幕府の財政破綻は単に贅沢な
生活をしたためだけだったのだ
ろうか?
2.元禄文化
・「奥の細道」を見る。


・井原西鶴「日本永代蔵」を読
む。


・菱川師宣「見返り美人」を見
る。


3.学問と教育の発達
・「神戸藩藩校・教倫堂」を見
る。どのような教育が行われて
いたのだろう?

 なぜ朱子学が武士の間で学
 ばれたのだろうか?


4.まとめ

忠臣蔵について簡単に説明し、元禄
時代の時代感について考えさせる。

・武断政治から文治政治への転換を
儒教による思想統制を例にとって把
握させる。
・生活様式の変化、貨幣経済の浸透
の割には年貢の増収がなく、長崎貿
易での金銀流出などを考えさせる。

・伊賀出身の松尾芭蕉について俳諧
を芸術までに高めた功績を1句紹介
しながら説明する。
・上方を中心とした町人の生き生き
とした生活の様子を読み取らせる。
・その他、人形浄瑠璃や歌舞伎につ
いても若干触れる。
・人間の美しさを追求したその内面
性を捉えさせる。
・その他、豪商や大名好みの俵屋宗
達の装飾画を紹介する。

・各藩では藩校を作って藩士などの
教育にあたっていたことを説明し、
学問が朱子学であり、その他武芸も
含まれていたことに留意させる。
・幕府が昌平坂学問所を創設したこ
とに触れ、朱子学が秩序を重視し、
それが支配にとって都合のよい学問
であったことを押さえる。
 

赤穂義士図


年表
生類憐れみ令





奥の細道
  (冊子)

日本永代蔵

浄瑠璃本
(竹田出雲)
見返り美人

風神雷神図


神戸藩藩校・
教倫堂






 
到達目標
  綱吉は幕府財政の破綻を促したが、一方で上方の町人を中心に芸術性の高い文化が創造され、学問も発達した。
 

 

3.百姓一揆と政治改革(全9時間)                       

(1)白石、吉宗、意次の政治と民衆                        

  目標 「白石、吉宗、意次の政治を百姓や町人など民衆の側から理解することができる」                                


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

1.新井白石の政治
・綱吉の政治は幕府財政にどの
ような結果を招いたか?
・白石が行った幕府財政再建の
政策をまとめる。

2.享保の改革
・TV等での吉宗のイメージは
どうか?
・財政再建のためにどのような
政策を行ったか、民衆の側から
見ていこう。



享保の改革で吉宗は何を目
 指そうとしたのか?

3.田沼意次の政治
・田沼意次の政治をまとめる。

・意次は何を利用して財政再建
をはかろうとしたのか?

4.まとめ


・寺院建築、生活様式の変化などで
財政破綻をきたしたことを押さえる
・長崎貿易統制、貨幣改鋳など物価
高安定に努力したが、結果は芳しく
なかったことを知らせる。

・イメージ通りの将軍であったかど
うかを検証で変えていく。
・百姓→年貢率アップ、一揆の弾圧
    定免制、新田開発、等
 被差別身分→差別の強化
 町人→質素倹約、風俗の取締り
・その他、足高の制、公事方御定書
目安箱について若干補足する。
・財政再建のために武家支配を強化
させ、身分のひきしめや百姓からの
収奪強化を行ったことを押さえる。

・株仲間の奨励、新田開発、アイヌモシリ
の開発などを説明する。
・商業資本の利用に注目させる。
・この頃、各藩でも専売制の導入な
どで財政再建を図ったことに触れる
 




年表
小判の金含有
量の変化













年表




 
到達目標
  白石、吉宗、意次は幕府財政再建にむけての諸政策を行ったが、それは身分統制の強化や貢租のアップなど民衆の支配強化へとなっていった。
 

 

(2)亀山明和の百姓一揆                             

  目標 「百姓一揆の原因を年貢などの生活への負担という点から捉え、生活闘争という視点から百姓一揆を考えることができる」                


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

1.亀山明和の百姓一揆
@「一揆関係年表」を見る。
・年表より一揆の原因と考えら
れる箇所に下線を引く。

A「藩御用商人・西村源兵衛の
意見書」を読む。
・永荒田とは何だろう?

・なぜ米を他に売らないことを
進言したのだろう?

・この進言が実行されれば一番
困るのは誰か?
B「百姓たちの訴状」を読む。
・代官や庄屋をなぜ辞めさせた
かったのか?

・年貢の免税の要求についてど
のように感じるか?
・なぜ米ではなく現金で支払っ
てもよいように要求したのだろ
うか?

C「一揆の経過」を読む。
・回文で差出人がなぜ「源太夫
狐」になっているのだろうか?
・何ケ村から何人が参加したの
だろうか?

・百姓らは誰を襲っていったの
だろうか?
・百姓側の要求は聞き入れられ
たのだろうか?

D「一揆の結果」を見る。

亀山藩内の百姓たちはどん
 な思いで一揆を起こしたの
 だろう?

2..まとめ



・藩主の交代、朝鮮使節の接待、河
川の修築などには莫大な資金が必要
とすることを知らせる。


・洪水の危険性がある土地で、洪水
であれば当然収穫はできない。
・専売制によって藩内の米を一手に
高く売却して利益を上げることがで
きる点を考えさせる。
・年貢の荷重でますます生活困難に
なってしまうことを想像させる。

・直接の担当者しか辞めさせること
ができなかった当時の支配体制の限
界について補足説明する。
・生活を守るための当然の要求であ
ると感じ取らせたい。
・米以外の作物(商品作物)を多く栽
培しており、現金収入が比較的あっ
た当時の貨幣経済の浸透について説
明を加える。

・匿名であり、一揆の首謀者は処罰
されることを知らせる。
・83ケ村、約5600人が参加し、校
区の若松村からも多く参加したこと
を知らせる。
・庄屋や御用商人など百姓への課税
を認めた側であったことを押さえる
・ねばり強い交渉によって勝利をか
ち取ったことを読み取らす。

・百姓側も藩側も処罰されたことに
留意する。
・自分達の生活を守り、良くしてい
こうとする闘いであり、それだけ百
姓たちにも力がついてきたことを考
えさせる。
 


一揆関係年表



藩御用商人・
西村源兵衛の
意見書






百姓の訴状









一揆の経過










一揆の結果





 
到達目標
  亀山藩の百姓たちは自分達の生活を守るために百姓一揆を起こして闘い、勝利をおさめた。
 

                                        

(3)大黒屋光太夫と鎖国                             

   目標 「大黒屋光太夫のシベリア横断と日露関係を見る中で幕府の鎖国体制の本質がわかる」

〈第1時〉                                   


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

写真(光太夫と磯吉)を見て誰か
を当てる。またどこの出身だろ
うか?
1.鎖国の完成以後の日本
・幕府の鎖国の目的は何だった
のか(復習)

・18世紀以降、日本に来航した
外国船についてまとめる。
2.大黒屋光太夫
・「大黒屋光太夫」を読む。
 @漂 流



 Aシベリア横断



 Bペテルブルグへ



 C帰 国


 D幽閉生活



 

・校区内の若松生まれであり、その
遺跡が数多く残されていることに触
れる。
・キリスト教禁教、貿易独占、世界
情勢の変化の3点を押え、特に日本
人の海外渡航禁止が幕府にとって重
要であったことを留意する。
・特にロシア船の来航が頻繁である
ことに注目させる。

・項目ごとに区切って読ませる。
・白子が紀州藩の威光で繁栄してい
たことを思い出させる。
・供養碑を見させて、その家族の思
いを考えさせる。
・光太夫らが日本人講師として引き
留められたことを強調する。
・シベリアの自然の厳しさについて
補足する。
・当時の帝政ロシアの状況について
若干の補足説明を行う。
・滞在中に色々な人と交流があった
ことを強調する。
・なぜ新蔵と庄蔵がキリスト教に入信し
たのかを考えさせる。
・帰国時の幕府の対応に注目させる
・なぜキリスト教のことは口にしなかっ
たのかを考えさせる。
・故郷の若松に帰った光太夫らの思
いを想像させる。
 

光太夫と磯吉






年表





供養碑の拓影



シベリアの写

エカテリーナ肖像
宮殿写真




漂民御覧の図

光太夫帰郷文

 

 

〈第2時〉                                   


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

1.ビデオ鑑賞
「鎖国の世にロシアを見た男・
大黒屋光太夫」(15分)を見る。
2.光太夫と鎖国体制
・次の課題について話合い意見
を発表する。
 @ロシアはなぜ光太夫らを帰
  国させたのだろうか?


 A帰国した光太夫と磯吉を幕
  府はなぜ幽閉したのか?



 B幕府はなぜ諸外国の通商要
  求を拒否して鎖国体制を守
  ろうとするのだろうか?

 鎖国体制は日本にとって何
 をもたらしたのだろう?



3.まとめ







・単に通商要求ということだけでは
なく、ラクスマンの努力など人道的
な側面と光太夫の強い帰国意思があ
ったことに留意させる。
・鎖国令への違反、キリスト教流布
への恐れ、幕府の情報管理などを押
さえるが、幽閉中は学者などが頻繁
に出入りしかなりの交流があったこ
とを補足説明する。
・幕府がオランダを通じ世界の情勢を
的確に把握しており、侵略を恐れて
いたことを知らせる。
・「平和だった」ということが出る
と考えられるので「差別社会が本当
に平和か」と切りかえす。
・「世界の発展から取り残された」
の意見に対して、「国内では独自の
発展はなかったのか」と考えさせる
 


ビデオ










オランダ正月図、北槎聞略










 
到達目標
  鎖国体制の中にあって大黒屋光太夫はロシアの人々と交流し、強い帰国の意思の結果、帰国がかなったが、幽閉生活を余儀なくされた。
 

 

(4)寛政の改革とアイヌモシリ              

  目標 「寛政の改革前後の日本を国内と国外の情勢から理解することができる」  


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

1.ききんの発生
・「百姓一揆発生件数グラフ」
からどの時期に百姓一揆が多い
のかを考える。


・享保、天明、天保の3大きき
んはどういったききんなのか?
ききんは天災だけが原因な
 のであろうか?
2.寛政の改革
・松平定信の政治改革について
各身分ごとの対策としてまとめ
る。



・狂歌「白河の清きに魚も住み
かねて元の濁りの田沼恋しき」
からこの政治改革について考え
3.アイヌモシリへの関心
・光太夫と共に来たラクスマン
は何処に何を要求したのか?


・アイヌモシリへの和人の探検
について調べる。

 なぜ幕府はアイヌモシリに
 関心をよせたのだろう?




4.まとめ


・3大ききんと幕末に多いことを読
みとらせる。
・亀山の百姓一揆を思いださせ、必
ずしも「ききん」だけが原因でないこ
とも補足する。
・原因、地域、餓死者数などについ
てまとめる。
・備蓄や年貢率の問題など多分に人
災に原因があることに気づかせる。

・百姓→倹約令、出稼ぎ禁止、備蓄
    制度導入、
 町人→華美の禁止、風俗取締り
 被差別民→差別の強化、人足寄場
    の設置
 武士→棄捐令、寛政異学の禁
・町人だけでなく、あらゆる身分の
者から反発をかったことを知らせる


・ロシアがラクスマン以前からアイヌモシリに関心を寄せ、その後、レザノフが信牌を持って長崎にやってきたことを確認させる。
・間宮林蔵、最上徳内など以外、伊
勢出身の松浦武四郎がアイヌの立場
からの探検であったことに触れる。
・意次のロシア通商計画や定信の鎖
国維持政策など幕府側の動揺などを
踏まえ鎖国政策について考えさせる
・ナポレオン戦争以後、ロシアが南下政策に転じたためアイヌモシリへの関心が薄らいだことを知らせる。
 


百姓一揆発生
件数グラフ








年表









年表
北海道地方地


松浦武四郎の
肖像写真







 
到達目標
  ききんや百姓一揆が頻発する中で、松平定信が寛政の改革を行ったが、各身分からの反発を買い失敗した。また同じ頃、ロシアがアイヌモシリへ関心を寄せ幕府もその対策を講じた。
 

                                        

(5)農村の変化と工場制手工業                          

  目標 「江戸中期以降、農村の分解が進み、貧富の差が拡大したこと、また工場制手工業が成立したことを農村関係の中で理解することができる」       


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

1.商品作物の栽培
・貨幣の農村浸透で貨幣収入を
得るためには何をしたのか?

2.農村の分解
・「借金証文」を見る。なぜこ
んなに借金をするのだろう?


・「寺家村の質地証文」を見る


借金や質入れなどが進むと
 農村はどうなっていくのか

・藩側は財政に関しどのような
状況だったのか「神戸藩の財政
難」を読み考える。
3.工場制手工業
・まゆと生糸を見る。

・「桐生の絹織物業」を読む。
 ・下線「百姓の農業・・・・」と
  は何か?
 ・下線「機屋では・・・・」とは
  何か?

・問屋制家内工業と工場制手工
業の違いはどこにあるのか?




4.まとめ


・木綿栽培の学習を思い出させ、そ
の他、茶、菜種、たばこなどの商品
作物が栽培されていたことに触れる

・年貢への荷重、貨幣経済の浸透、
生活の多様化、高金利など諸般の理
由について考えさせる。貸し主が庄
屋であることに留意させる。
・田畑を質入れすることは実質的に
田畑を売却したと同じであることを
知らせる。
・貧富の差の拡大、小農民が減少し
地主ー小作関係の寄生地主制が拡大
することを説明する。
・ほとんどの藩で財政難が深刻であ
ったことを知らせ、多くの藩で年貢
の増加が行われたことを押さえる。

・江戸中期以降、甲信越や関東北部
で養蚕が盛んとなったことを説明。

・問屋制家内工業であることを説明
 する。
・工場制手工業であることを知らせ
る。その他、醸造業などでも発達し
たことに触れる。
・付近の農民を作業所に集めて賃金
労働させる新しい形態であり、分業
と協業によることを説明する。
・経営者が農村の分解で出現した富
裕農民や商人であることに気づかせ
る。
 






肥田村の借金
証文


寺家村の質地
証文




神戸藩の財政



繭、生糸

桐生の絹織物











 
到達目標
  年貢の荷重、貨幣経済の浸透により農村が分解する一方で、商品作物の栽培が進み、工場制手工業も成立した。
 

 

(6)差別の強化と渋染一揆                            

  目標 「渋染一揆を差別からの解放運動として捉え、解放運動の大切さを理解することができる」                             


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

渋染のTシャツを見る。

1.差別の強化
・百姓一揆や打ちこわしが頻発
してくると武士たち支配者はど
のような対策を考えるのか?

2.渋染一揆
「渋染一揆」を読む
@「岡山藩の命令」を読む。
 ・なぜ「えた」身分の人々だけ
  渋染の着物を着ろと言われ
  たのだろうか?
 ・この命令に対して「えた」身
  分の人々は黙っていたのだ
  ろうか?
A「嘆願書」を読む。
 ・「えた」身分の人々はどうい
  った要求をしたのだろう?


 ・嘆願書は聞き入れられたの
  だろうか?


B「一揆の経過」を読む。
 ・どれだけの人が参加したの
  だろうか?

 ・一揆の結果はどうなったの
  だろう?

渋染一揆は「えた」身分の人
 人がどういう思いで闘った
 のだろうか?
3.まとめ

・この渋染の着物をめぐって被差別
身分の人々が立ち上がったことを知
らせる。
・百姓や町人への締め付けの強化は
返って反発を招くことを知らせ、不
満をどういった形でそらせたのかに
ついて考えさせる。

・個別に読ませる。

・目に見える形で差別して、百姓た
ちの不満をそらそうとしたことを考
えさせる。
・怒りを感じたこと、「むら寄合」で
調印を拒否したことなどを知らせる


・内容が人間として当然の要求であ
ることを読み取らせる。また始めは
合法的な嘆願運動であったことを強
調する。
・村役人の脅迫や切り崩しが行われ
たことを知らせ、非合法の「強訴」
運動へと変わっていったことへ導き
出す。

・藩内のほとんどすべての53部落、
1500人以上という大規模なものであ
ったことを押さえる。
・差別法令は凍結となり勝利はした
が、指導者の処刑など大きな犠牲を
払ったことを強調する。
・差別への怒り、行動することによ
って不合理を正していくことのすば
らしさ(解放運動)を見据えさせる。
 

渋染Tシャツ







渋染一揆

















「虫明街道」
「常福寺」
の写真






 
到達目標
  百姓や町人への不満をそらすために被差別身分の人々に対する差別が強化されたが、岡山藩では差別解消に向けて多くの人々が立ち上がって闘った結果、差別を撤回することに成功した。
 

 

(7)国学と蘭学、化政文化                            

  目標 「国学と蘭学の発達が封建体制や鎖国体制崩壊へとつながったこと、また町人のいきいきとした化政文化が起こったことを具体的な作品を通して理解することができる」


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

解体新書(序巻)を見る。

1.国学の発達
・本居宣長の肖像画と鈴を見て
誰かを考える。
・なぜ国学が発達したのか?


2.蘭学の発達
・「蘭学の苦闘」を読む。




なぜ蘭学が発達したのだろ
 か? またその影響は?




3.化政文化
・狂歌、川柳を読む。



・浮世絵(人物)を見る。


・「こっけい本」を読む。



化政文化の担い手はどのよ
 うな人々だったのだろう?

4.まとめ

今までにない近代的な医学書であっ
たことを説明する。

・松坂出身であることを告げ、古事
記の研究を行ったことに触れる。
・「儒学」の批判に対する「国学」であ
ることを知らせ、天皇中心の思想と
結び付いていったことを押さえる。

・未知への探求心のその努力と苦心
の様子を読み取らせる。
・解剖に「えた」身分の人々が卓越し
た技術を持っていたことを強調する
・シーボルトの業績について触れる
・洋書輸入の緩和に加え、西洋科学
への関心とそれへの探求心とその努
力があったことに留意する。
・西洋への関心が、直接的に封建体
制や鎖国体制の批判となって現れた
ことを考えさせる。

・幕府政治の批判を皮肉という形で
風刺したたくましい町人の姿を浮か
び上がらす。
・小林一茶、与謝蕪村を紹介する。
・現在のスターのブマイドと同じ感
覚であったことを知らせ、生活の娯
楽性が高まったことを見て取らす。
・地元の神戸の弥次・北八の場面を
通して町人の生き生きとした様子を
読み取らす。
・「南総里見八犬伝」を紹介する
・江戸の町民を中心とした民衆芸能
であり、躍動感あふれる生き生きと
した文化であったことを押さえる。
 

解体新書


本居宣長肖像
宣長愛用の鈴




蘭学の苦闘
 (蘭学事始)


シーボルト肖
像、鳴滝塾図






狂歌、川柳



写楽、歌麿の
浮世絵

こっけい本

南総里見八犬




 
到達目標
  国学と蘭学の発達が封建体制や鎖国体制の崩壊へとつながっていったが、一方で町人主体の民衆芸能(化政文化)が発達した。
 

 

(8)大塩の乱と天保の改革                            

  目標 「大塩の乱がどのような性格の反乱であったのか、またどういった思想が生まれてきたのかが民衆の立場から理解することができる」          


  発 問・学 習 活 動

  指 導 上 の 留 意 点

 資  料

1.大塩平八郎の乱
・「大塩平八郎の檄文」を読み
なぜ彼が乱をおこしたかその原
因を考える。
・どういった人々が乱に参加し
たのだろう?

・大塩は「えた」身分の人々に
対してどのように考えていたの
だろう?
乱に参加した人々の思いは
 どうだったのだろう?

2.天保の改革
・水野忠邦の政治改革について
身分別政策でまとめる。


なぜ天保の改革が失敗した
 のだろうか?


3.新しい思想と海防論
・安藤昌益「自然真営道」を読
んで、彼はどんな社会を描いて
いたのだろうか考える。
・高野長英「海国兵談」を読ん
で、彼は幕府の鎖国政策をどの
ように批判したのか考える。

4.まとめ


・役人の怠慢、天保の大ききんによ
る米価急騰や餓死者の急増など民衆
の側(?)に立った原因を見つけ出す
・総勢約300人ではあったが、百姓
や町人に混じって被差別部落の人々
がいたことを知らせる。
・「咬菜秘記」を読ませ、真に部落
解放をめざしたものでなく、利用し
たにすぎなかったことを押さえる。
・百姓や町人、被差別部落の人々は
少しでも現状の生活を変え、重年貢
や差別から逃れたい一心である。

・百姓→人返し法
 町人→倹約令、風俗取締り、株仲
    間の解散
 大名→上知令
・百姓の出稼ぎ禁止など、民衆の生
活を救うことなく、娯楽の禁止など
民衆側にたった政策でなかったこと
に注目させる。

・現実の身分制社会を批判的に捉え
平等な社会を描いた当時としては画
期的な考えであったことを押さえる
・日本の現状を的確に捉えている点
や鎖国政策の矛盾点を読み取らせる
・幕府がこの後、異国船打払令と天
保の薪水令を出したことを補足する
 


大塩平八郎の
檄文




大塩の被差別
身分に対する
見方




年表








自然真営道
 (安藤昌益)

海国兵談
 (高野長英)
年表

 
到達目標
  大坂では民衆の生活苦から大塩が乱を起こしたが、被差別部落の人々も参加していった。また政治の引締めをはかって天保の改革が行われたが失敗した。そのような中で安藤昌益の平等論や鎖国政策の批判など新しい思想や考え方が登場してきた。
 

 

 

X.授業後の反省とまとめ

 江戸時代ははるか昔でもなく、かといって最近でもなく、小説や演劇、映画、TVドラマでよくとりあげる時代である。「時代劇」といえば普通はこの江戸時代を指すほどである。しかしこれらによって「つくられた江戸時代のイメージ」は大人の世界だけのものではなく、子どもの意識の中にもある。しかもその虚像の定着に手を貸しているいるのは「歴史の授業」を行っている社会科教師ではないのかとの疑問が以前からあった。実像としての江戸時代とはどのような時代だったのかを授業を通して少しでも近づいてみたかったのである。

 歴史文学に関し、藤岡通勝氏は「司馬史観を授業に」ということで司馬遼太郎氏の文学史観を歴史授業に取り入れることを提唱しているが、科学的な社会認識をめざす社会科教育と、文学として特定の歴史を舞台にしたに過ぎない「司馬史観」とは相入れないものであり、文学と社会科学としての歴史を混同してはならない。

 

1.貧農史観からの転換、「生きる」「まもる」「闘う」民衆像の再構築

 「悲惨で貧窮」という百姓の虚像を「生産と労働」のプラス指向の百姓像に変えるため、神戸藩や亀山藩の資料を中心に支配構造や新田開発、百姓一揆などの教材を通して考えさせていった。百姓が生活を守り、より良くするために「日々努力」し「時には闘う」百姓は理解できたのではないかと考えている。しかし、当時の百姓の具体的にどれだけの税負担があり、どの程度の生活を送っていたのかなどはあまり見えてこなかったようで反省している。理由のひとつには藩内の資料の掘り起こしに能力的な限界があったように思う。地域の資料にこだわって今後も探していきたい。

 

2.開かれた鎖国、「平和」でない江戸時代

 「江戸時代は世界から完全に閉ざされた時代」というイメージは一般的に現在でも強く、 ここから「200年以上も内外とも戦争がなかった平和な時代」という認識が定着している現実状がある。前述したように校区に伝統芸能の「唐人おどり」があり、こんな地方に「外国」を感じさせるものが伝えられていたことに驚きを持った。また同じく校区出身の大黒屋光太夫はロシアという「外国」を体験した当時としては数少ない人物の一人であることを知った。幕府の対外政策を「鎖国」と一くくりにするのではなく、海外への渡航や情報が幕府によって管理、制限されていた時代とはいえ、ヨーロッパの一部や中国、朝鮮などと交流を持っていたことは事実であり、そのことをもっと前面に出してもよいのではないかと考えた。「朝鮮通信使と唐人おどり」「大黒屋光太夫」などの教材を中心に実践を行ったが、交流ということに関しては興味を示し、十分理解していたと考えられる。

 「平和でない江戸時代」は「平和」が単に表面的な戦争をしているかいないかで判断するのではなく、支配構造、人権、アイヌや琉球の侵略、戦争準備などを民衆史の視点から判断して江戸時代が本当に「平和な社会」であったかどうか考えてもらいたいと考えた。前近代の授業で「平和論」を考えさせるのはどうかと最初は躊躇したが、民衆史の視点に立てば、民衆にとって「平和な社会」とはどういう社会であるのかを考えてみた場合、差別構造の身分社会の中にあって税負担に喘ぐ民衆を戦争を行うことを役負担とする武士が支配する社会が決して「平和な社会」であるはずがない。これは現代の社会を「平和な社会」であるかどうかと判断する視点と同じであり、このことを考えさせることは現代社会を考えさせる上でも非常に重要であると考えた。授業では特定の時間をとってこのことについて考えさせたわけではないので、子どもたちがどのような認識をもったかわからないが、この後の近代以降の歴史、とりわけ戦後史、現代史の授業の中で近世史の平和認識とリンクさせて考えさせていった。

 

3.地域史から全体史を観る、地域そのものの学習

 以前も地域資料は使用してはいたが、それは投げ入れ的なものであったりして「特別なもの」という感は自分自身にも子どもたちにも免れなかった。しかし、「特別なもの」であっても子どもの食いつきは強く、興味づけには地域教材は最適な教材であることは過去の実践からわかってはいた。そこで地域資料の教材使用を「特別なもの」から「普段のもの」に変える試みを行ったわけである。ほとんど毎時間、地域資料を使用した。しかし「地域史」を学習して「全体史」を再び学習するという「無駄」はなくした。「全体史」を改めて学習しなくとも「地域史」を学習することによって普遍的な「全体史」を観ることができる教材を選択したつもりである。

 そこに地域(史)があるから何でも教材化するのではない。その地域史がその単元や主題を教える上で正しい歴史認識を育てるのに適切であるのかを見極めることが教師の力量である。民衆の生活や動きが生き生きと読み取れる地域教材がベストではあるが、そのように都合がよい資料にはめったにお目にかかれないものである。そこで、例え支配者側の資料であってもその背景に民衆像が見えるものはあるはずで、資料の読み取りの視点を民衆に当てれば何等問題はないと考えた。

 地域史学習の目的は単なる興味付けなどではなく、自分達の地域の先人がどのような歴史をつくってきたかのそのものの学習にも大きな意義があると考えた。ともすれば地域史そのものの学習は特定の人物や事蹟の「顕彰」に終わってしまうことが多いが、地域史を民衆史の視点から眺めることによって「民衆が歴史をつくってきた」という歴史認識に迫れるのではないかと考えた。しかし、今回の実践では、感想文を読む限りにおいて、例えば大黒屋光太夫については、彼そのものの偉大さを賞賛する「顕彰」的な意見が多かったのも事実であるが、学習後、「大黒屋光太夫資料館」や光太夫の足跡を訪れ、改めて光太夫について調査した生徒がいたり、翌年の春に唐人おどりを見に行く生徒もたくさんいて、地域史に対する認識が多少は高まったのではないかと考えている。

 

4.被差別民衆や独立した文化に視点をあてた授業

 本校では同和教育の実践をあらゆる教育活動の中心に据えることを研修目標として指導しているが、社会科教育においては、部落問題を中心とした人権問題を取り扱う中で正しい現状認識及び歴史認識をつけさせようと努力している。近世の被差別部落の形成が今日の被差別部落の問題に直接的に結びついているとの認識に立って、権力者がどういう人々をどんな目的で「おいた(つくった)」のかを近世史の授業で明らかにする必要があった。政治的に「おいた(つくった)」ものなら必ず無くせるとの信念に立って、被差別身分あるいは被差別部落がいかに不合理なものかを考えさせたかった。権力者がどんな目的でどのような人々を被差別身分としておいたのか、あるいは差別をなくすためにどのように闘ったのかはある程度理解できたのではないかと考えているが、「悲惨で貧困」の部落史から「生産と労働」の部落史転換という近世の被差別部落の生活に迫ることは不十分であったようである。これは「生産と労働」を感じさせる資料が不足していたということもあり、地域資料の発掘に今後努力していきたい。この学習以後、「解放令」、「資本主義下の部落」、「水平社運動」と学習を進めていったが、近世部落の形成(起源)の学習がいかに重要であるかが改めて認識した次第である。また道徳等の時間を使った人権学習と常にリンクさせることでより効果のある学習をねらっていきたい。

 琉球(沖縄)とアイヌの人々に対する差別と排除も今日的な人権問題であるが、この問題の直接的原因が、近世の両者の不当な支配に由来することは明らかである。侵略の歴史と文化の高さを明らかにすることにより、侵略の不当性を理解し、「違う民族(文化)を認め合う」態度を養うことを目標とした。侵略の過程とその不当性についてはある程度理解したように思うが、高度の文化の伝達については不十分であったようである。しかしこの問題は地理的分野で既に教材として扱っている他、近代史及び公民的分野でも扱ったので補足した。

 

 

Y.おわりに

 近年、近世史の見直し作業が進んでいる。公式記録に残る表面的なきまりや数字(タテマエ)ではなく、その裏に隠された民衆の真実の姿(ホンネ)を探りだそうというものである。これまでともすれば支配者側の視点から歴史研究が進められていたのが、地域の地方文書の見直しや刊行書籍の検討、近世考古学などの研究が進み、民衆史の視点から近世史を再構成してみようとする動きが活発化している。そういった成果の一部を歴史授業の中で、地域史を通して考えさせてみようとしたのがそもそも本実践のきっかけであった。教えたい歴史認識があるにも関わらず、そのための資料がない(見つける能力がない?)ことが多く、十分満足できる結果は得られなかったが、歴史は支配者ではなく民衆がつくりあげてきたものであるという歴史認識はある程度形成されたのではないかと考えている。

 社会科教育を取り巻く環境は年々悪化している。政治不信、経済界の汚職、安保体制の強化、人権侵害、環境破壊、藤岡史観の登場などわれわれが教えたい(めざす)社会認識とは逆方向の現象(攻撃)が氾濫し、それが直接的に子どもたちの教育不信へとつながっていくように感ずる。これからもあらゆる社会現象に目を向け、自分自身の社会認識を磨いて、平和、人権、環境、民主主義の視点にたって社会科教育を進めていきたい。

      ※本授業実践は1997年 日教組第47次教育研究全国集会で報告したものです。

 

※授業の資料及び本報告を作成するにあたって参考、引用した文献

  ・児玉幸多「近世農民生活史」吉川弘文館 1957

  ・亀井高孝「大黒屋光太夫」吉川弘文館 1964

  ・亀井高孝 編「北槎聞略」吉川弘文館 1965

  ・新谷 行「アイヌ民族抵抗史」三一書房 1977

  ・木村 礎「近世の村」教育社 1980

  ・三重県社会科教育研究会「三重県の歴史」光文書院 1980

  ・仲見秀雄 編「鈴鹿市史(第2巻)」鈴鹿市教育委員会 1983

  ・「九九五集」亀山市教育委員会 1986

  ・嶋田謙次「伊勢商人」伊勢商人研究会 1987

  ・「朝日百科 日本の歴史(近世)」朝日新聞社 1987・88

  ・深谷克己「士農工商の世」『体系日本の歴史8』小学館 1988

  ・竹内 誠「江戸と大坂」『体系日本の歴史9』小学館 1989

  ・青木美智男「近代の予兆」『体系日本の歴史10』小学館 1989

  ・「鎖国の世にロシアを見た男・大黒屋光太夫」鈴鹿市教育委員会 1990

  ・後藤隆之「伊勢商人の世界」三重県良書出版会 1991

  ・藤井譲治「江戸開府」『日本の歴史12』集英社 1992

  ・高埜利彦「元禄・享保の時代」『日本の歴史13』集英社 1992

  ・賀川隆行「崩れゆく鎖国」『日本の歴史14』集英社 1992

  ・辛 基秀、他「朝鮮通信使と日本人」学生社 1992

  ・辛 基秀「朝鮮通信使往来」労働経済社 1993

  ・寺木伸明 編「部落史をどう教えるか」解放出版社 1993

  ・上杉 總 他「部落史を読み直す」解放出版社 1993

  ・仲見秀雄 編「新編鈴鹿市の歴史」鈴鹿青年会議所 1993

  ・高良倉吉「琉球王国」岩波新書 1994

  ・後藤隆之「伊勢湾白子港歴史浪漫」三重県良書出版会 1994

  ・大石慎三郎「将軍と側用人」講談社文庫 1995

  ・斉藤洋一「身分制社会の真実」講談社文庫 1995

  ・佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社文庫 1995

  ・市村佑一「鎖国 ゆるやかな情報革命」講談社文庫 1995

  ・林 玲子「流通列島の誕生」講談社文庫 1995

  ・大石慎三郎「江戸時代」中公新書 1995

  ・寺木伸明 編「部落史学習をどうすすめるか」大阪府同和教育研究協議会 1996

  ・「反差別・人権の視点を教科書に」大阪府、大阪市同和教育研究協議会 1996

  ・歴教協「前近代史の新しい学び方」青木書店 1996

  ・日本史教育研究会「日本史史料」吉川弘文館 1996

  ・辻 達也「江戸時代を考える」中公新書 1996

  ・生田美智子「大黒屋光太夫の接吻」平凡社 1997

  ・網野善彦「日本中世に何が起きたか」日本エディタースクール出版部 1997

 

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