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伊勢国府跡

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1.国府とは

 古代の日本の律令国家では地方の行政組織として国(嶋)、郡(評)、里が置かれたが、その行政官庁が国では国庁(国衙)、郡では郡庁(郡衙)であり、その所在地を国府、郡家と呼んだ。大化の改新以前には国や県が置かれ、その長官として国造(くにのみやつこ)や県主(あがたぬし)があったが、大化の改新以降、中国の律令制度を見ならい、中央と地方の組織が改編され、701年の大宝律令によって国郡里制度に整えられた。国府の機能は14世紀まで存続し、形式的制度は明治維新まで続くことになる。国は奈良時代には58国3嶋、平安時代には66国2嶋を数え、「延喜式」によれば各国はその規模・生産性などにより大国、上国、中国、下国の4等分された。

全国の国・郡・国府一覧

 全国に国府には中央から役人が派遣された。大国と上国には上から守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の4等官の役人が任命された。この4等官を広義には「国司」とよび、狭義には守だけを「国司」という場合もある。通常は大国の守には従五位上、上国の守には従五位下の位の下級貴族が任命された。国司にはその地域の徴税権や訴訟権が与えられ、古代日本の政治と財政の基盤的役割を担っていた。

 

2.伊勢国府