韓国DMZ区域内の「華川ダム」訪問記


2005/12/15
、いきなり韓国にゆくこととなり、まず近場のダムバスターズ(VA(F)-195)戦跡見学に出向きました。正しくは「華川(ファチョン)ダム」といい、ソウル地下鉄の河辺(ガンビョン)駅前の「ソウル東バスターミナル」からファチョン行き直行バスがほぼ毎時出ています。ソウルも繁華街を抜けるとハングル100パーセントで多少不安でしたが、30分の待ち合わせでバスに乗りました。待合室の食堂で「ウドン」を食べ、薄味のダシでおいしかったです。

バスには外国人は一人も乗っておらず、前部には子供を含む一般人、後部にはおそらくソウル外出帰りの10名ほどの迷彩服の兵隊さん(兵役についている若者たち)たちが比較的行儀正しく乗っていて、私もそのあたりに混じって座っていました。比較的若くスリムな女性も乗っていましたが、なんと座席に胡坐していました。

途中は信号停止もほとんどなく、バスはバンバンとばして目的地を目指します。途中ドラマのロケで有名な春川(チョンチョン)で20分停車、休憩、いよいよ軍事色のちょっと匂うエリアへと入ります。春川で私服のジーンズをはいたオニイサンふうの若者が乗車してくると、周りに座っていた兵隊さんたちはいっせいにピシッと起立(すなわち無帽、室内での敬礼)。その若者は彼らのハンチョーさんと思われます(つられて私も起立しそうになり・・・「敬礼」と分からなければ立ち上がっていたでしょう)。

途中で気づいたのですが、行き先の道路案内標識には行き先と方面は示してあるものの、距離は書いてありません。また春川から先の路上には各所に赤いハングルで「撮影禁止」とあり、そこここに陸軍のキャンプがあり、M-60と思われる戦車が例の迷彩で多数並べてあります。バスの座席が高いので塀の中もよく見えますが、それらビークル類はまったく模型と同じ感じです。

バスの運転手さんはそうとうベテランらしく、途中の峠道の上り直線坂道でトラクターか何か低速車両のうしろに2台ぐらい乗用車がおとなしく追従しているその車列を、そのバスで反対側車線に堂々とはみ出して追越しをかけるのには正直ぶったまげました。対向車がちょうど来てうまくすれ違えましたけれどもねぇ・・・。

そして峠のボトルネック部道路両側に、数十トンもありそうな立方体コンクリートが迷彩塗装で細い柱に乗っかっているのが複数並べてあります。すなわち状況において味方が退却通過後、柱を破壊してコンクリート塊を路面に転がし、道を閉塞させる手段です。すごいですね。途中の山野は決して高くはありませんが、山そのものの傾斜はきつく「この付近でいろいろの国の人が寒い中で訳もわからず彷徨したのだな」との思いに駆られました。ともかく12月なのに空が澄んでいて車内では陽光まぶしく、サングラスが役に立ちました。

ソウル東ターミナルを出てほぼ3時間近くで、やっと目的地に到着です。ファチョンのターミナルはほんとに田舎で都市部との格差が相当感じられます。表示や看板はすべてハングルだったのでともかく腹をくくります。ダム湖はすぐそこにあるのですがダム本体はまったく分かりません。それでターミナルに止まっているタクシーで、ひとこと「ダム」といって行ってもらいました。運転手さんと途中筆談で意思疎通は十分でしたが、なんといってもファチョンダムを見に来る日本人観光客など皆無らしく、最初は「ダムぅー???」といってしきりと首を傾げていました。

道は湖を離れて山中に向かいますが、途中とても細いコンクリ道に分かれ入り、いったん川床に降ります。その道は水の流れていない川床のコンクリート道を通ってまたまた山にのぼり、ちょっと先を回るとドス黒い巨大なダムがいきなり現れました。深い峡谷はいったん右に180度ターンしていてダムはその尾根の向こう側に位置するため、直近になるまで見えなかったのです。

ダム頂上の右岸の袂にはちょっとした広場があり、管理人さんが2名いて「写真はだめです」といわれましたが、見ること自体はOKでした。すでに時刻は1615、運転手さんに「10分だけ待っていてください」といって車を降りました。ダムの峡谷はおおむね西に向かって開いていて、ちょうど夕日が差し込んでいました。光人社NF文庫「クリムゾンスカイ」 pp211の写真のとおりのものが目前にあります。当時の写真から、そのとき立っていた場所の足元にも魚雷が炸裂していたことが分かります。
ダムの上流側峡谷も1000メートル足らず。その先の谷筋は左に鋭くターンしていてアプローチは長く取れそうにありません。「あの岬の先からAD-3たちが鋭く右旋回して来たのだな」と一人だけで感慨にふけりました。12月のその日は水位も10メートル以上低く、鋼鉄の水門自体は完全に水面から出ていました。

ダムは高水位で185メートル、コンクリート部分の頂上は180メートルなので、水位差はたった数メートルにしかなりません。写真によれば攻撃が行われた当時は満水にちかく、魚雷の深度調定をぎりぎり浅くしたのでしょう。そうでなければ水門には命中しないでしょう。ちなみに現在のダムの呼称は「平和ダム」となっています。

約束した10分間はあっという間に過ぎ、薄暗く、寒くなってきたので再びタクシーの世話となりました。道すがら「あれが揚水式発電所」などと手振りで案内を受け、ターミナルまで戻ってから代金を少しまけてもらって「往復28000ウォンでいいですよ」とのこと。1000ウォンを御礼にと差し上げて名刺をもらっておきました(ハングルなので読めない)。
夕方で付近の道には人影も少なかったのですが、おじいさんが親しそうに話しかけてきました。こちらもにこやかに「日本人です。お世話になります。さようなら」と一言二言交わしました。思えば昔から韓国の田舎をひとりでほっつき歩いてみたいと思っていたのですが、ひょんな形で実現してとても嬉しかったです。帰りも同じ運転手さんによりバンバン進むバスに揺られ、充分な暖房の中で居眠りしてしまい、気がつくとソウルのターミナルに戻っていました。

 

韓国は非常によろしいです

今回偶然とも言えるチャンスで韓国に行くことができましたが、結局は安価なツアーで行くよりもお金を使ってしまいました。宿泊したのはミョンドン(明洞)にある上級ホテルで、質も高くサービスはまったく問題ありません。ホテルの従業員さんたちにも非常に快適にやってもらいました。

急な旅行で言葉はほとんど覚えることはできませんでしたが、どこへ行っても日本的に相手を立てて頭を下げて「気を遣う」ことで通じるので、かえって気を使うことがありません。なので半日足らずで現地に慣れることができました。どうせなので、日本語の旅行ガイドブックをむき出しで持ち歩いていました。

ミョンドン地区自体非常に栄えていますが、渋谷新宿とは雰囲気で明確に一線を画しています。平日の2100すぎにまぶしく照明された繁華街の小路が若者と観光客で溢れかえっているのには驚かされます。ソウル市内の交通は地下鉄がとても便利です。「Tマネーカード」というのをいったん窓口で購入すれば、スイカのようにチャージして何回でも使えます。各駅には番号がついており、さらに漢字とローマ字でも表示されているのでちょっと慣れれば便利です。地下街も真冬で冷凍庫のように寒く、プラットフォームでベンチに座っている人など誰もいません。

訪韓初日の12/14は日中でも軽く氷点下4度ぐらいでした。陽光がさんさんとまぶしかったのですが、素手ではすぐに感覚が無くなります。日陰でも日向でも同じに寒く、風がない分ジンジンと冷やされます。

まずは日中地下鉄でキンポ空港(戦跡:K-14基地跡)まで行きましたが、国内線ターミナルから屋外を10分歩いて国際線ターミナルに達する間、とっても寒さに我慢ができず、途中にあるアウトレットで手袋とマフラーを買わざるを得ませんでした。雪中登山も含めこれまでマフラーの必要性を感じたのは初めてです。キンポ空港の使わなくなった施設をアウトレットに活用しています。そのなかPCショップもありましたが、変わったことにどの店も値段の表示がありません。

気づいたこと

 

太っちょとか中年太りの男女が一人もいないこと。「ネバー」という形容が使え、いまの日本とは大違いです。たぶん遺伝子と食生活の違いでしょう。韓式レストランでは野菜でお腹いっぱいになります。全般に薄味になっていて高血圧も少ないのだろうと思えます。あと、ビールとかお酒類はあまり飲みませんでした。

羽田空港からの国際線


そもそも羽田空港から手荒く近く、キンポ空港の国際線ターミナルも非常にすいているので非常に便利であっけなく現地に入ってしまいます。これまでの海外渡航で、まずご大層に成田まで出向いて、それから延々と飛行機に詰め込まれ、揺られてゆくのとは大違いです。体力的にもひじょうに楽であり、これまでの海外旅行で最高の経験でした(韓国式サウナ(完全に乾燥していて壁面からの赤外線を浴びる方式)もよかったですぅぅ....)。

全般的な感想:寒さと澄み切った空のせいか「清い」