海軍大型機搭乗員のサバイバル

 

2005年の1126日午後東京の航空会館にて、旧海軍甲飛予科練出身で陸攻の操縦者として生き抜き、戦後民間航空で活躍、いまも現役のパイロットの方からじかにお話を聞くことができました。そのときのお話を軸に、そのほかの海上自衛隊の対潜哨戒機のパイロットなどのお話も絡めて、洋上を飛ぶ大型機クルーはいかにしてミッションをこなすか考察します。構成上、次のようにしました:

 

ご本人のお話、記述も含んで:黒字

別に伺った海自パイロットKさんほかのお話、記述:青字

私のパイロット&モケイ愛好者としての考察:赤字

 

1)搭乗員の構成:

 

ご本人:身長180センチと当時にしては背が高いので、天井の低い艦船勤務を嫌い陸上機を志望しました。一線部隊に配置されたときには、試行として5人クルーの編成でした。すなわち:

1)操縦者

2)偵察員(航法、爆撃)

3)搭乗整備員

4)電信(偵察員)

5)尾部銃手

当時の人手不足が分かります。編成を変えることはしませんでした。私の場合、操縦はずっと1名でした。このうち1名でも病欠が出た場合には飛行しませんでした。

 

 

2)チームワーク

サバイバルの根幹がチームワークです。たとえば、爆撃や地点標定などでナビゲーターの偵察員が「チョイ右、チョイ左」とパイロットに修正を要求するのですが、実にこの「チョイ」が個人によって異なります。

 

考察:

海自でも対潜哨戒機のクルー編成は頭をひねるものであるが、部隊に複数あるクルーのどれからも敬遠されるような「ハンパ者」だけで編成したクルーが、これまたよい結果を生むこともある(FAOW#50 P-2V/P-2Jpp70大横田氏の記述)。

 

3)まっすぐ飛ぶには-洋上のナビゲーション(対談):海軍編、海自Kさんとのお話もからめます

 

ご本人:磁気コンパスですけど、あれ1度や2度くらいの誤差すぐ出ますよね。そんなものは洋上の長距離飛行ではあまり宛になりません。

私:そりゃそうですよね。でもコンパスの指示を外さずにコースを飛ぶのは難しいです。

ご本人:まっすぐ飛ぶのはコンパスを維持するのではなくて、「旋回計のハリ」をまっすぐ保っておればよいんですよ。

私:そりゃそうですよね。旋回計の針を保てばまっすぐ水平直線飛行できるわけですね(負けました1)。でも空母や船などで艦載機の磁気コンパスはどうやって自差修正やったのでしょうか?周り中鋼鉄だらけで不思議なんですが・・・。

ご本人:そりゃわたくしもわかりませんね。あと雲上をまっすぐ飛ぶ場合ですが、そのような時はたとえばキャノピーのフレームの影の位置が変わらないよう、それをきっちり固定して飛べば30分くらいは大丈夫です。

 

考察:

「旋回計の針を振れさせない」あたりまえの話で納得するも、そもそも水平直線飛行というのは難しい。私にはそのような技量なし。あたりまえのことを実行する難しさ。

 

4)ナビゲーション

私:で、コース上での修正はどのようになさっていたのでしょうか?天測航法は行いましたか?

ご本人:いや天測はやりませんでした。ですが、コース上で昼間ならば海面に染色マーカーを投下し、その直上を正しく90度で交差して飛行すれば、その高度での風の成分が出ますから、それを何回か繰り返せばほとんど正確な航法が実施できます。夜間は照明炬という灯火を落とします。

私:それで納得しました。

ご本人:それが出来ない場合には「ワレ機位不明」といって未帰還となります。

私:そりゃすごいですね(負けました2)。ところで米海軍は当時パイロットが航法も兼務していました。雷撃機などで後ろに乗っているのは無線手と銃手で兵隊さんです。

ご本人:米海軍の母艦機の行動半径は小さかったのでしょう。

 

海自の場合:

Kさん:最初は飛行場で得られる風の情報を元にして、第1チェックポイントまでのプランを立てる。第1チェックポイントに達したときに天測をサッと行い、予測位置と実測位置との差を出す。これから現実の風の状況を逆算する。事後このように修正して航法を行う。戦後の海自では天測は簡便に実施できるようになった。

 

5)ナビゲーターの技量

ご本人:で、時に敵戦闘機たとえばP-38などに追っかけられるんですが、雲の中に入って逃げます。雲の中でも運動して敵をやり過ごすのですが、たとえば雲から出て逃げ切ったときでも、ナビゲーターはビッタシ機位を出します。運動中の変針をことごとくチェックし、時間を計っていてそりゃ正確なものでした。

私:飛行中に冷静に計算するなんて、とても私には出来ません(負けました3)。

 

海自の場合:

Kさん:P2V-7のパイロットも最初は2PNといって操縦させてもらえず、まずナビゲーター+手伝いをやらされる。航法も慣れないと時間がかかるが、そのうちに要領を飲み込み、そうするうちに副操縦士に昇格する。

機長が操縦している間に副操縦士の私が海面を見て、波頭の感じで風を測りつつ独自にメモ用紙に航法計算をやるが、じきに専任のナビゲーターの出す数値と変わらなくなる。すなわち技量が上がる。

 

考察:

阿川弘之氏の「暗い波濤」の下巻、千島の基地で艦攻がソ連軍に攻撃する場面がある。霧の中の低空攻撃で搭乗員のうち偵察員の下士官が細かく針路を指示する場面があり、自分の経験に照らして疑問を持っていたが、上記で納得。単純バカな操縦員と頭を使う偵察員のビジネスの違いを感ずる。

 

6)燃料のマネージメント

ご本人:一式陸攻には、非常に正確な燃料計が装備されていました。これは燃料タンクの空所に空気を補充する場合にそのボリュームを読むものであって、搭載量から積算すると正確な残燃料量が算出できました。これも含め、動力装備関係はすべて搭乗整備員が受け持ったので、パイロットは飛行に専念できました。

 

7)交戦時の要領 (このあたりから私は声も出ず・・・

 

-編隊を組んでいて敵戦闘機の攻撃を避ける:陸攻で敵機の射撃を回避するときには

A)尾部銃手が敵機が接近するのを認めたならば、距離をブザーで合図する。最初「ブッ」、次は「ブ-」、そして「ブ---」、最後にやばくなると「ブ-------」。

B)それに合わせて機体を滑らせて回避するが、ラダーペダルは重くて踏み込めないので、操縦席の頭上のラダートリムホイールを「ダーッ」とぶん回してラダー操作した。

C)大体米戦闘機は、射撃3パスでタマ、燃料切れとなるらしいので、その間だけなんとか回避に努める。

D)編隊でのポジションは、新人ペアは(冷酷にも)まずカモ中隊カモ番機に配置され、生き残るにつれて徐々に安全なポジションに昇格したとのこと。

E)敵機は編隊の真ん中を突っ切ることはしなかった。

 

-夜間雷撃のときは海面ギリギリの高度で突っ込み、退避する必要があるので、攻撃に前もって高度を下げ、プロペラで海面のしぶきが上がるまで下げたところで精密高度計の針をゼロに調定する。誰かに懐中電灯で海面を照射させて判別します。

 

その状態でわずかにアップトリムにする。そうすることによって高度を保つのに操縦かんをわずかに押えるようにします。そうすれば、飛行中に操縦者がケガした場合などに海面に突っ込まないようにできます。

 

考察

そもそも飛行機の高度計は、その日の気圧に応じて指示をノブで調整し、地上でその飛行場の標高に合わせられるようになっている。

 

8)航空機としての一式陸攻

ご本人:主翼の強度が充分にあり、操縦性も良く航空機として信頼できました。ただし、離陸時には搭乗員を前のほうに乗せて重心を前方に出す。こうしないと滑走中に操縦かんを押して尾部をあげることができない。そうしないと加速できません。

 

逆に着陸時には搭乗員を後ろに移さないと、車輪ブレーキをかけられない。つんのめってしまいます。車輪の配置が本機のひとつの欠点でしょう。

操縦するには、機体の強度範囲であってもなるべく滑らかに操作しなければなりません。舵を荒く使うのはいけません。

 

考察:

「強度が高い」これは当時の関係者ならではの述懐といえる。「燃えやすい」といわれている一般的な評判と異なるものである。

陸攻の構造を検討すれば明解であるが、薄く、長い主翼もボックスビーム構造であり、フレキシブルで強度が高かったことが伺える。そもそも旧海軍の設計強度基準での制限強度数値が高すぎたのだろう。

4発機以上では、強度あるいは安全率を下げないとサイズの効果で重量が増加してしまう。戦後すぐソビエトがB-29の丸ごと完全コピーTy-4を作ったとき、強度基準を別途設定したそうな。

 

8)サバイバルのために心がけたこと

ご本人:旧海軍では実戦に必要な「教範」が整っておらず、そのため先輩方のテクニックや体験をあらゆる機会に「盗んで」自己のサバイバルに応用し、かつ自分自身でも必死に考えました。

また当時の予科練の教官は、いわゆる前線帰りが多くて、本当の意味での飛行教育をまともに受けていません。

今日でも経験豊富なパイロットはそれぞれ考えて「テクニック」を編み出し、実証していると思います。けれども、そのような個人テクニックレベルのお話は、安全講習会などで話してもなかなかうまく伝わりません。飛行安全には、先輩後輩のコミュニケーションが大切だと思います。

 

9)おわりに

ご本人:ところであなたの飛行時間はどのくらいですか?

私:いろいろ含めてやっと1000時間くらい、30年間でです。

ご本人:あなたがどの領域にいるのか分かりませんが、私が見るにパイロットとしてアブナイのは、飛行時間3000-4000時間程度になった頃です。

一通りライセンスも取得して飛行機が思い通りに動かせるようになり、天狗になってしまうととても危険です。どうぞ今後も気をつけてやってください。

私:ありがとうございました。今までで最良のレクチャーでした。気をつけたいと思います。

 

終わりに:

この業界、アマチュアといえどもアホな事故を起こせばおしまいになるという厳しさがあります。本人はともかく、日本では事故を起こせば一般人を巻き込む可能性が大きく、気が許せない。でもそこが航空の面白みでもあります。

ご本人は1940年に飛び始めて、これまでで24000飛行時間を記録されていて、このほかにも興味あるお話が山のようにあるのでしょうが、それは別の機会に聞くことが出来ると思います。当日はこのほか「バタコック」や尾輪式機の着陸に関してもお話を伺いましたが、それは別途記述したいと思います。

 

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