(訳注:以下は、米国のあるMLに掲載されていたWW2当時欧州戦線でP-38を飛ばしていた方のコメントを翻訳したものです。これはかなり肯定的にP-38を捉えているようですが、別なホームページには、本機の操作が非常に複雑であり、新前パイロットの荷に勝ちすぎるという「直訴状」みたいなのもあって、その評価はまちまちといえそうです)

 

追記(2006.02.05)下記の原文は米国人の誰かさんが幾人かのコメントを合成したものだそうです。当時その場所に存在しないことが判明した人物の名前で投稿されたもので、米国の関連BBS上で物議をかもしたそうです。ただし文章の内容が否定されたわけではありません。上記「直訴状」はいずれ翻訳してみますが、そちらも切実で実感のこもった内容です。

 

P-38の運動性を向上させるためにスロットルを絞るか、あるいは開くかに関するさまざまな意見が出ているが、自分としては、それを試した経験はないとだけは言える。

 

私が戦地にいた1944年および45年、P-38J型で冬から夏にかけて飛んでいたが、敵機を発見して空戦を行う可能性が高くなったならば、まず増漕を落としてからスロットルを入れて、MAP(吸気管圧力)を45インチにセットするのが基本的な手順だった。

 

そして実際に敵機に立ち向かうとなったならば、スロットルを戦闘非常出力(War Emergency Power: WEP)すなわちMAP60インチくらい、プロペラ回転数(rpm)を3000 rpmを越える最高回転にそれぞれセットする。これは戦闘が終了するまでそのままである。戦闘非常出力は容易に20分間継続できる。

 

空戦の運動は速度と高度を非常に消費するので、その間はすべてフルパワーを必要とする。すなわち、パワーがすべてなのである。プロペラエンジンの戦闘機はすべてアンダーパワーなので、旋回をするとどうしても高度が下がってしまう。パワーがありさえすれば高度も下がりにくく、したがって回復も容易となる。 P-38はこの点パワーの余裕が充分にあり、高度15,000ft4,500m)以下で本機から逃げられるドイツの戦闘機はなかった。

 

15,000ftというとずいぶん低高度に思えるかもしれないが、実際高度27,000ft9,000m)で交戦を開始、浅いダイブで何回か旋回すると、10,000ftぐらい失高するのはあっという間だ。 ダイブ・フラップ(エアーブレーキ)を装備していないP-38では、高度20,000ft6,000m)以上で急激な機首下げは行ってはならない(訳注:マッハ数の影響で、昇降舵が効かなくなり、引き起こせなくなる)。

 

ドイツ側がP-38のこの特性を知ると、急降下しても追ってこないことを確信するようになった。だがそれでも充分なのである。P-38の任務は、あくまでも爆撃機を守ることにある。Me-109の大編隊が爆撃機に向かってきても、護衛のP-38が応戦し、結果としてMe-109は低空に逃げてゆく。すなわちP-38は役目を果たす。そうなるとMe-109には、再度上昇して爆撃機を追跡し、攻撃位置につくだけの燃料は残っていない。

 

またもしも109が襲ってきても、P-38は応戦し、敵は降下して逃げるという繰り返しとなる。

 

ドイツ人はすぐに気づいて、まずP-38を攻撃することが必要だとわかったようだ。 敵は高高度まで上昇し(Me-109の場合。Fw-190に高高度で出会ったことはない)、ドイツ機を視認しない場合には高度22,000ft7,000m)くらいを飛行しているP-38に襲いかかる。味方の損害の多くは奇襲攻撃によるもので、敵機はすぐに離脱してしまうため、反撃するチャンスはなかった。P-38の編隊では、旋回して敵を追いかける者が出て隊形を崩してしまい、結果として爆撃機に対する防壁を開いてしまう。

 

護衛機の編隊をより散開させ、爆撃機および直衛隊より数千フィート上空に護衛編隊を配置し、視線を充分にめぐらせて見張りをおこなうことが、この奇襲攻撃への対策となった。単純にいえば、もっと多く護衛機が必要になったというだけだ(このことは、初期の2個航空群しかないP-38にとって大きな問題だった。外野と内野の両方の守備に必要な機数と人員がいなかったのだ)。

 

だが、ドイツの戦闘機が攻撃位置につく前に、連中を発見することが重要な決め手となった。 すなわち、パイロットの視力の良さが重要となったのであり、それは、ダイブ・フラップの装備とか、エンジンの出力向上よりも大きな問題だった。もしも中隊に視力の優れたパイロットが一人でもいれば、まさに救世主だ(訳注:例:チャック・イェーガー)。上空にドイツ機を発見したならば、護衛機を何機かそれに立ち向かわせる。護衛機が敵機を落とす必要はない。敵機の編隊を崩して、降下、離脱させるようにすればよいのである。

 

P-51ならば、それまで我々がドイツ機と交戦していたよりも高い高度で行動できたので、奇襲を受ける危険は減少した。しかし、爆撃隊により指定された高度を守らなくてはならない。 P-38にくらべてP-51の失速特性にはクセがあったので、ドイツ機を追いかけての急旋回中に、失速を起こすことが珍しくなかった。

 

私が最初にP-51で高速失速を起こしたとき、回復するまでじつに13,000ft4,000m)も失高してしまった。脱出さえ考えたほどだ。そのときには、つくづくP-51がイヤになった。 だが高速失速を3-4回経験すると、回復までの高度は500ft以内ですむようになり、失速を起こすぎりぎりまで機体を引っぱり回すのが怖くなくなった。

 

すぐに機体のコントロールを回復できるようになったのだ。失速の前兆を把握できるようになり、機体がわずかに姿勢を崩しただけで、すぐにもとの飛行状態に回復できるようになった。機体の状況を把握し、実際の挙動に対して処置することを習得したのである。 すなわち、多少の訓練によって、頭で考えずともすむようになり、それまでむずかしい操作だと思っていたことが問題なくこなせるようになった。

 

P-51そのものはよい機体だった。 要するに、パイロットはその操作を覚えればよいのである。飛行時間数の差は物を言った。P-38のほうがP-51よりも複雑な航空機なので、パイロットがその操作を習得するのにはより多くの時間を必要とするという連中がいるけれども、私はその逆だといってやりたい。実際、P-51のほうがマスターするのには時間がかかるのである。

 

P-38P-51のどこがちがうかと問われた場合、私ならば、P-38は低空、低速で特に優れている機体だと答える。たとえ飛行時間数の少ないパイロットであっても、P-38には絶対的な信頼を置くことができ、超低空においてさえ、失速ぎりぎりまで引っぱり回すことに恐怖を覚えないだろう。

 

いっぽう、P-51は高高度、高速での性能が優れている。30,000ftをこえる高高度では、P-51にかかっては、ドイツの戦闘機はみな「カモ」となった。ドイツの戦闘機は、運動性でも、速度性能でも、さらに急降下でも、P-51を凌ぐことはできなかったのである。P-51が照準を定めたとたんに、ドイツのパイロットが機体から脱出してしまうという話が伝わっているのも、こういった性能差が理由だ。 ドイツ人には離脱できるチャンスがないのがわかっていて、自分に機銃弾が当たるのを待つ理由はなかったのだろう。

 

P-51の配備が順調になるにつれて、 P-38は地上攻撃を任務とする第9空軍に移されていった。P-38ならば第一に中、低高度でドイツ空軍との空戦につよく、爆弾の搭載量も大きく、かつP-51が非常な苦手とする対空砲の被弾にも耐えた。私がP-51に転換してからP-38で飛んでいたほうが良かったと思ったのは、地上攻撃をやったときだけだった。

 

P-51は被弾にとても弱く、また空中戦闘とも違って、無事基地に帰投できるかどうかは、 当時まったく運次第だった。超低空を保持できて地上に突っ込まないだけの反射神経があれば、操縦の技量には関係なかった。P-38は、超低空を高速で飛行する場合にはとても安定していて、対空砲で落とされにくい機体だった。

 

P-38の操縦輪をしっかりと握って、すべての操縦装置に手が届くようにするには、私の体形ではちょっと前かがみになる必要があった。その姿勢では、急旋回で(Gがかかる場合に:訳注)グレーアウトおよびトンネルビジョンを起こしがちだった(訳注:ともに旋回あるいは引き起こしの際に増加するGのために頭部の血流が減り、視野がグレーにぼやける、あるいは視野がせばまる現象。「G-スーツ」はこれを防止するためにある)。

 

P-51では、ややリクライニングした姿勢のままで、操縦桿とその他の操縦装置にじゅうぶん手が届くため、グレーアウトやトンネルビジョンが急激に起こることはなかった。これが、私がP-51を好む大きな理由の一つである。それに、私が戦闘機相手の空戦を好むというのももう一つの理由になる。もしも私がP-38で飛び続けるとしたならば(選択ができる、という仮定があってのことだが)、その後は第9空軍で地上攻撃に従事しなければならなかっただろう。

 

P-38の操縦席はとても広かった。じっさい、操縦輪はちょっと手を伸ばして握る必要があった。 だから、飛行服を厚く着込むのも支障はなかった。それに、キャノピーを通して日光を受けるので、上半身は暖かすぎるくらいになった。下半身が冷えてくるのが問題だった。その対策はシンプルで、シルクの靴下の上にウールの靴下を重ねて、さらにコットンのソックスをはくということで解決していた。

 

コットンのソックスには水分を吸い出す働きがあった。それで2サイズ大きいブーツをはけば、つま先にも余裕ができる。それでもまだ寒いけれども、どうにかおさまる。雲層の下を飛行するときには、とても寒くなる。 寒いのでもっとも厄介なのは、小便をしたくなることで、じっさい簡単にできることでななかった。

 

反対に、任務が単調でながく、ずっと退屈していて、かつ操縦席が暖かいとなると、居眠りが出てくる。敵機と渡り合って目を開けておくか、あるいは座席で上半身をゆさぶり、足先を暖めるために足踏みを続けるのとどちらがよいだろうか?

 

任務が長時間となるならば、大小とも用便は済ませておかなければならない。夕食は少なめにし、朝食は抜いて、コーヒーをちょっとすするだけにする。 そうすると、ひどい脱水症状に襲われ、帰途の2/3くらいでものすごい空腹感に襲われる。それで、何か食い物を持ってゆくのである。

 

 Fw-190は降下速度がP-38のそれよりも60mph90km/h)も速く、すぐに5マイル(8km)くらいの距離を開けられてしまうとだれかが言っていた。だがそれは、P-38のパイロットがどれだけアグレッシブで、いっぽうFw-190のパイロットがいかに素早く逃げたいか、という2点に依存する問題だ。 

 

 P-38が欧州戦線で長距離護衛任務に配備された当初は、敵機と交戦する場合、そのパイロットは孤独で、かつ基地まで長い道のりを帰らなければならなかった。それにP-38は、爆撃機から離れてはならない、という命令を受けていた。 さらに、当時まだドイツ空軍のパイロットの伎倆は高かった。ほかの敵機がうようよいるはずのところへ、だれがわざわざ敵の一機を追いかけてゆくものかね?

 

 P-51がその全盛期を迎えるころには(じっさい良い飛行機だったけれども)、敵地上空での味方機も数多くなり、反対に敵の戦闘機は数が減って、その脅威は弱まっていった。P-38P-51よりも劣っている飛行機なのか?そうではなくて、違った飛行機であるということなのだ。

 

欧州戦線では、P-51で飛んだパイロットの方がP-38よりも戦果をあげている。それはどうやら正しいようだ。なぜか? 戦術にその理由の一つがある。爆撃機の編隊から離れ、敵機を追いつめて撃墜することによって、P-51は撃墜機数を増やすことができたのである。

 

ほかに、P-51に装備されたK-14照準器も理由の一つだ。この照準器でならば、弾丸を無駄にするような状況でも的確に命中させ、撃墜に結びつけることができる。

 

P-38よりもP-51のほうを好む人がずっと多いことは認める。P-51はたしかに良い飛行機なので、皆が好む理由も理解できる。 けれどもね、P-51よりもP-40が好きだったパイロット達が存在したのも事実だ。

 

325中隊で飛んでいた人たちと話したことがあるが、連中はそれまでのP-40P-47に換えることになったとき、おおいに残念がったそうだ。そしてさらに、P-47P-51に換えての最初の出撃で、本当にイヤになってしまったパイロットがいたということだ。 P-51なんて、サンダーボルトに比べたら、すごくひ弱に思えたのだという。

 

連中の何人かは、前に乗っていた飛行機にすっかり慣れてしまっていて問題なく運用していたが、ある日マスタングに乗り換えてみて、ラダーペダルに両足をのせたとき、その機体に慣れることが自分たちの務めであると自覚したそうだ。結局その機体が自分たちの飛ばす機体であり、それで出撃していったのだ。

 

チャード・ボングがP-38を愛機としたのも、ジョンソンがP-47に乗ったのも、最初はそうしたのだろう。こういった、本や数字のデータに隠された話があるものなのさ。