昭和18年初春から行われたオーストラリアのダーウィンに対する、チモール島からの日本海軍のキャンペーンでは、ゼロ戦と中攻部隊が健闘しています。

 

753空(一式陸攻)と202空(ゼロ)のコンビ+陸軍の百式重が参加し、相手は欧州戦線で鳴らしたクライブ・コールドウェル中佐率いる1FW457sq&457sqRAAFプラス54sqRAF)のスピット5型で、アゴフィルターつきのやつです。

 

同年3月から9月までの半年間、戦闘損失はゼロが3機に対して、スピット38機(双方ともすべての未帰還機の累計)です。これは双方の自軍損害レポートによるもので、いわゆる「誇大戦果」ではありません。

 

日本側の出撃回数は半年間で大小合わせて20回足らずですが、そのうち200キロメートル内陸部、USAAFB-24部隊がいたフェントン飛行場へは6回攻撃をかけています。いずれも高度は7000メートル以上。相手のスピットを考えての行動であり、特に他の戦線に比べて陸攻の被害も少なく、豪側からは「爆撃機の防御砲火も比較的堅固であった」のようなコメントもあります。

 

追記2006/02/06 一式陸攻は高高度性能に優れていて、ダグラスP-70A-20ハボックにレーダーを搭載して夜間戦闘機としたもの)などは上昇性能で及ばなかったといいます。

 

戦訓による陸攻の自動消火装置も有効に作動した、と記録に述べられています。

 

(資料出所:「第8章 ダーウィン上空の零戦」、秦郁彦著「過信の結末(下巻)」から、中公文庫#532

 

当時の海軍部では、連合軍の進攻はニューギニアからジャワに向かうと観測していたとのことで、前年に引き続き、オーストラリア本土攻撃が実施されました。

 

内陸のフェントンへは、あのオーストラリアの乾燥した平原上空をしばらく飛ぶわけで、ちょっとした壮観だったと思います。