「調和」について語ろうと思う。古くはピュタゴラスが発見した、
ピュタゴラス的音階論からケプラーを経て、現代に至る「調和」
の理想について。中世の人々が<ムシカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)>
<ハルモニア・ムンディ(宇宙の調和)>と呼んだ耳に聞こえない
宇宙の音楽について。
 そして、耳に聞こえる実際の音楽である<ムジカ・インストゥルメンタリス
(楽器の音楽)>と人間の体に宿る<ムジカ・ウマナ(人間の音楽)>
について。

ピュタゴラスはこの世界は「調和(ハルモニア)」という、
寸分の狂いもない法則、規則によって支配されていると
考えていた。そして、すべての善きもの、優れているものは、
すべて調和であるとした。

現代の我々は、寸分の狂いもない法則性というものは無く、すべての事は
微妙に揺らいでいる事を知っている。
しかし、揺らいでいる我々をつつむ調和というものもある。
それが、刻々と修正を重ねていかなければならない物であるとしても。

バッハの「ブランデンブルグ協奏曲・全曲」を聞く時、私は「調和」を
心で感じる事が出来る。
一番のメヌエットで踊る人々を想像する時に。
六番のヴィオラ・ダ・ガンバを弾くレオポルト公を思う時に。
二番でトランペットが主役であるような顔をしていながら、
さりげなく他の楽器のサポートに回っていく時に。
ヴァイオリンに始まって、オーボエ、ブロックフルーテ、最後にトランペットが
それぞれ単独に主題を演奏し、それぞれの個性を打ち出しつつも
全体としてひとつの音楽になっている至福の瞬間に。
あたかも、運命の輪が回るがごとく、Your turn,Your turnと
くるくる回る主題を聞いていると、物には順番があり
いつかは自分の番が回ってくると思う事が出来る。
そしてそこに、一人づつが個性を発揮しつつも、
ひとつの調和を作っているという、人間関係の理想をかいま見る。
たとえ、それがあまりに幸せな理想であって
現実には起こらない事であるとしても。

ピュタゴラスは言う。我々の魂はもともと調和そのものであるのにも
かかわらず、現実にはいろいろな不調和で悩み苦しんでいる。
なぜなのか?
それは、調和であるはずの、自分自身を忘れているからである。
忘れていた物を思い出すためには、調和に触れれば良いとも言う。
調和にあふれた美しい音楽、ハルモニア・インストルメンタリスを聞けば
それに干渉されるように自分の調和を思い出す事ができるはずであると。

だから、私は調和について書く。
忘れている自分自身を思い出すためにも。

1999年3月12日19時
Rensen kaiouji