ルナパークの立ち上がり

所謂クラフト作家とくくられる吉川かおりの作品。
彼女の個展を見、作品が内在する空気感に魅せられました。
この作家を現代美術至上主義系のウォッチャーや作家からの不毛なアタックを回避しつつ、
Gallery覚で紹介するにはどうすればいいだろう。。。と考え、あるテーマにそって作家をピックした
グループ展で紹介すればいいや。と数ヶ月後思いつきました。
しかも、数多あるグループ展とは違い、人選も準備段階も丁寧につくっていくことを念頭に、
ひとつの大きなテーマを軸に見えない水脈がしっかり繫がっているような展覧会。
そのようなグループ展にしたいと考え、実際に顔を合わせてのミーティングや、各々の考えを交換したり、
コミュニケーションを重視し、結果それぞれがそれぞれの仕事をしつつもひとつにまとまった
グループ展にしたいと思いました。

時間をかけて丁寧な準備を重ねたグループ展。
それは本来あるべき姿ではないだろうか?とも思っておりましたのでいつ頃に、等大まかにも会期は決めず
人選を進めていくことにしました。
グループ展の大きな外郭はイメージ出来、細かなイメージに移行した時、
吉川かおりの作品が活きるテーマは何だろう。と考えました。
そこから遊園地が出てきてもっと深みを持たせられるであろうとルナパークが出てまいりました。

テーマが決ると次に作家のピックアップ。
とあるグループ展で作品を拝見した山浦恵梨子氏。
吉川を人選の軸に据えながら山浦を出品依頼候補にピック。
A案:やさしいトーンのままで人選していくか、B案:闇を含んだトーンに持っていくか、
ピックする作家によって2つの案が出てまいりました。当然私の好みはB案。
A案に決定すればそこに冨田淳、S、山本豊子は入ってきません。

B案:闇トーンに決定するということは、富田と、強烈に奇天烈な作品を出してくるS、
そして一見バラバラな作家陣の橋渡し役になるであろう山本豊子、
この3人の作家が一挙に決まるのでした。

上記5人の作家にGallery覚の企画展として出品依頼をし、
2006年1月22日第一回ルナパークミーティングを行いました。
(そのミーティング時に会期を2007年7月にと決定)

しかし!
移動遊園地・本家ルナの呪いか?
突然のビルオーナーチェンジに立ち退き勧告。
予定していた会期を一時無期延期してもらう。

明けて2007年2月、Gallery覚での初個展、根本寛子の仕事を見て新メンバーとして出品依頼を決める。

新たな会場、新たな会期を念頭に再度、先に決っていたメンバーと新たなメンバー候補根本に出品依頼。
延期後初のミーティング(第三回目)連絡をメンバーに取る。
と、Sさんが出品を辞退。
ルナの呪いは深まるばかりに追い討ちをかけてくる。

猛烈に強烈奇天烈な立体作品のSの出品辞退は大きい。この大きな穴をどうするか。
この時、似たような作家を新規投入し闇トーンの展覧会にすることは絶対したくありませんでした。
全く違うトーンの立体の作家を探す。
そうして何人もの作家作品を既に決っているメンバーの中にイメージし、2人の作家に決定しました。

純粋芸術を大声で主張する打ち出しの強い作品では今回のメンバー、テーマには全く合わない。
もっと繊細に揺らぎながら静かに自立した作品。
そんな作品をつくっている作家、森栄二をピックしたポイントはここでした。
毛内やすはるはGallery覚の展覧会で、彼の作品の真中に立った時に感じた
「自分が巨人になって大平原を見渡している」感覚が忘れられません。
彼をこのグループ展に投入すれば遠く広い光景を感じさせる展示空間になるのではないか。そう思いました。

第三回ミーティングの際に森が「ミーティングを重ねるというのは展覧会のテーマに添って
各々の作品を擦り合せる為ですか?」と質問をしました。
上記経緯をお読み下されば既にお判りのように、テーマにそって全体のトーンを見ながらの人選。
擦り合わせる為のミーティングではなく水脈を繋げるようなつもりのミーティングでいることを告げる。
無意識の水脈が繋がれば、深い見えない調和のもとに空間が構成されると信じ。
外部環境整備としてのミーティング。作家は各々の仕事をただただ深めればいいだけになっている(筈です)。と。


ルナパークの歴史

ルナパークは、今までの公園や遊戯施設にない『物語』を体験できる不思議な空間でした。
それは、スキップ・ダンディー(Skip Dundy)とフレデリック・トンプソン(Frederick Thompson)の
グループによって作りだされたものでした。
彼らは1901年のニューヨークで開かれた展示会で『月世界旅行』と呼ばれている
円形パノラマショーを発表し有名になります。

入場者は宇宙船ルナ号(luna*1)に乗り、未知の惑星月に向かいます。
宇宙船は雷が横切る空をぬけ、激しい雨をくぐりぬけ、無事月に到着します。
そこには先住民の小人達が一列にならび「私は愛する月の住人。」と何度も繰り返し、
入場者を迎えました。
到着ロビーには『月の人(the man in the moon*2)』のブロンズ像があり、
彼らの到着を記念して月の少女達もあらわれました。
そして入場者はできたてのチーズ*3を少女から受け取り、ゆっくりと長い廊下を進みながら
華やかにライトアップされた公園に続く入り口へと向かっていました。

その展示を非常に感動したジョージ・ティリコー(George Tilyou)は彼らの『月世界旅行』を
自分の公園に持ってきて欲しいと依頼します。
スキップ・ダンディーとフレデリック・トンプソンは1903年の冬まで改良を加えた施設の製作をし、
1903年5月16日の夜にニューヨークの郊外のコニーアイランドにオープンしました。
公園はスキップ・ダンディーの妹の名前*4からルナパークと名付けられました。

園内には宇宙船ルナ号が着陸した幻想的な月世界が再現され、ライトアップされた無数の塔、
東洋趣味、ルネッサンス様式など多種多様なアトラクションが立ち並んでいました。
その後も毎シーズンのようにアトラクションは増え続け、人々はルナパークの不思議な
『月世界旅行』を愉しむことができたのです。

しかし、楽しい時間は長く続きませんでした。
1907年2月にスキップ・ダンディーが突然死し、5年後にフレデリック・トンプソンは破産しました。
その後ルナパークは投資家などの手に渡り1944年まで経営がつづけられましたが、
火を使ったアトラクションからの出火が原因で閉園となりました。

*1 ローマ神話にでてくる月の女神。
*2 欧米では月は人の顔がみえると信じられていた。
*3 古くは未熟なチーズで月はできていると考えられていた。
*4 Luna Dundy









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