キャラバン隊美術部第二回展覧会 plan of Mitonoya
「陣をたため!出発だ! 愛と希望とカオスのもとへ!」報告書 お礼状にかえて

先日はお忙しい中、「ロゴお披露目展」改め「陣をたため!出発だ! 愛と希望とカオスのもとへ!」にお越し頂きまして誠にありがとうございました。言葉、意識、感情。外側から与えられた事象で起こる反応。キャラバン隊は単に展覧会を企画して開催する移動ギャラリーというだけではなく、こうしたらどうなる?との考えで実験、検証していく研究の場でもあります。その実験室で行われた展覧会、キャラバン隊・美術部「陣をたため!出発だ! 愛と希望とカオスのもとへ!」の研究報告をここに提出致します。お蔭様でたくさんの方にお出で頂きました。ありがとうございました。来廊された方々、みなさま長い時間をかけて作品を楽しんで頂いておりました。なかでも大ベテランのペインター鈴木省三さんが来廊されお帰りになられます際、ふと足を止められ「これを企画したのは貴方ですか?絵が本当に好きなのですね」「えぇ、(困ったことに)ほんっとーに好きなんです。」「展示されている絵を見れば分かります。単に美術を売買しているバイヤーとはあきらかに違う。土台のしっかりした作品ばかり選んでます。」という総身の震えるお言葉を頂きました。とはいえこのお言葉はひとえに出品下さった方々の真摯な制作あってこそと、出品メンバー皆様に感謝申し上げます。


会期 2009年4月6日‐4月11日
会場 銀座1丁目 なびす画廊

出品作家 
井川淳子、岩永忠すけ、遠藤一郎、O JUN、小野寺綾、
かなもりゆうこ、熊谷直人、しみづ賛、JIROX 、玉野早苗、
冨田淳、登山博文、中村一美、根本寛子、長谷川繁、
福田尚代、向井三郎

会期
展覧会を企画した時はよもや職を辞しているなどとは夢想だにしておりませんでしたが、ロゴお披露目展に対して何というタイミング!全く本当に狙っていたかのようなグットタイミング・グット企画の会期となりました。

会場
画廊といえば“銀座”という時代が続き、その次に貸し画廊だけではなく“アンチ銀座”の画廊という動きが美術家の卵たちのあいだで起こった。今はマーケットで大きな商いをするコマーシャルギャラリーが美術の世界の“正解”となり、“アンチ銀座”も一昔前のものになって久しい。
今回の会場は銀座の現代美術を紹介する貸し画廊の中では老舗との印象が強いなびす画廊。
その昔、銀座の画廊は“日本の美術”を牽引、もしくは代表で紹介している気概や自負があったように思います。なびす画廊のギャラリースペース導入前には日本や海外での美術の動向を伝える新聞記事の切り抜きが数種、常に貼り出されている。カジュアルでフランクが主流となりつつある今の時代に、
なびす画廊のディレクターMさんやMさんの薫陶を受けて育ったスタッフIさんは昭和初期の映画のようにきちんとした佇まいを崩さない。
エレガント。昔ながらの銀座の正調節。なびす画廊が長い年月をかけて築いてきたお客様からの信頼やつながりを、借り手である私達はそのまま甘受する。お金を払ったからそれに見合ったサービスを受けるのは当然という資本主義的見方にすっかり慣れてしまった私に、なびす画廊Mさんのお仕事振りは、そんな狭量な考え方では大切なものを取りこぼしてしまうということを思い出させて下さいました。
今後も人様が培い積み重ねてこられた大切な場所をお借りして活動していく身として、早い段階でここに気づけたのは大きな収穫でした。今後はその培われてこられた歴史に対しての心からの敬意と感謝を胸に使わせて「頂きます」との意識で場所場所に接していきたいと思います。
なびす画廊は古きよき気概と自負の元、フォーマルでありエレガントでありフェミニンな謙虚さが質のよい上品さと感じさせ、尚且つ“与える”事を当然と出来る豊かさ、大らかさ、人の持つ一番高い品、本当の上品を学べた画廊でした。
(フッフッフ。Mさんは身をよじって恐縮し、スタッフIさんは顔を真っ赤にして腕の付け根から冷たい汗をチタチタ流してらっしゃることでしょう。今頃小さなスタッフブースで二人並んで悶絶ね)

搬入・設営
トライアルの選定、その後の配置決めにどれだけの時間を要するか、そして作品点数の多さ。これらを考え、設置サポートに普通なら既にお願い出来ない作家キャリアの方々に依頼した。自分のスタイルを持って仕事を続け、更に多数の展覧会を見てきている美術に関してスレッカラシの両名が見守ってくれているという安心感。自分のセンサーを信じきり配置決めを進めることが出来たのは末永史尚、鈴木健二。この両名の「作家」がいてくれたからでした。場数を踏んだ彼らなら現場で作品以外の気を遣わなくても大丈夫と考えて。いざ設置となりましたらば、作品以外の気を遣わない以上の気配りと先を見越した仕事ぶり。大船でした。おかげさまでルナ・パークでも流れた「個々だけど一つ」の世界がまた現れました。
彼らには出品して頂いてはおりませんが、今回のキャラバン隊出品メンバーと同等の感覚でおります。本当に本当にありがとうございました。

トライアル制度
外的影響による作用反作用に対する尽きぬ興味。出品依頼だけのメンバーにての展覧会では、ほぼ作家に展覧会を丸投げしているような気がしてなりませんでした。不自然な形ではなく展覧会を揺さぶる事は出来ないか、という想いと平行して前回「ルナ・パーク」で大きく伸びた2人のペインターがこの中に入れることは出来ないかと自問。出来ないなぁ、と自答。では何故出来ないのか、何が問題なのかと考え、その“問題”を作家自身に渡してみることを思いついた。思いついたはいいが、この提案は「一体何様のつもりなのか?!作家をバカにしているのか?!」と、トライアル提案の作家のみならず、全ての作家からソッポを向かれかねない提案だと恐怖した。
また声かけをして実際に進み始めた際に日和ってしまわないよう自分自身の確認を何度となくせねばならなかった。
外的影響による作用反作用。それは直接影響だけではなく間接手法による影響もある。トライアルメンバーシップの表明と途中段階の通信にてシード(?)出品作家にも「死に物狂いでやってくる奴らがいる。」と、少なからずのプレッシャーを感じてもらえたのではないかと思っている。結果として誰一人落ちることなく、またどの作品がトライアルのものなのかわからない程、クオリティの高い作品ばかりとなった。

出品作家
長く美術の世界で第一線を保ち、横に並んでくる者の存在を許さない。覇者といった風情の中村一美。彼が何故、第一線で活躍し続けているのかの訳を垣間見たように感じた。今回の展覧会で誰よりもストレートにトライアルしてくるメンバーに反応したのが中村一美その人であったと感じている。経歴も年齢も若輩者のメンバーに対しても追いすがることを許さない。追いすがることを許さぬ姿を晒すことも辞さない。覇者が覇者であり続ける所以。作家として立ってゆく者の凄みを見せてもらえた。

搬入当日早朝4時、玉野早苗からメールがきた。「試作ですが、でないと何かダメなのです。そうさせてください」というメッセージとともに出品作品を土壇場で変えた。参考画像として自分の気持ちをつけた画像「珠〜周りにばっか影を強要するなバカ.jpg」「ビンゴ〜光源なんつってアホか引っ込んでろ.jpg」が送られてきた。その後、展示しました。とメールをすると自分の作品が展示されると思ってなかったらしく、一日経ってから評価方式は絶対評価なのか相対評価での判断なのか訊いてきた。まったく自分を信じてないというか無価値においているというか壁を作っては立ち止るというか、、、。
そんな玉野の作品が魅力的に映るのは何故か。目のつけどころやセンス、それも大いにあるであろう。しかし玉野の題材が常に玉野に立ち塞がる大きな壁(西洋絵画のなかの光と影)との格闘で、その格闘は大真面目であるが故、無様で滑稽で痛い。しかしその本気さが作品から伝わる。としか言いようが無い。これが単にコンセプトありきの作品であれば、あのように多くの観者の足は止めないし、共感は得られなかったであろう。
「作家と作品」のあり方についてよく考えさせられる出来事(作品)であった。

JIROX「ボクの作品には何のメッセージもない。ただ、しみづ賛さんとか、すごく限られた人だけにでも何かが響いてもらえて喜んでもらえる。それがボクの役目かもね。すごくすごーく狭っちい範囲での役だけどね。ボクはそれで本望なんだよ」付き合いとしては20数年になるが、作品の発表をお願いしたのはギャラリー覚のファイナルの展覧会だった。この作家の作品は芸術の大切なものだけで出来ている。

冨田淳は最終日、終日在廊できたにも関わらずいたたまれなくなって途中で退廊してしまった。冨田の目には自分以外のメンバーの成長、他作品との力量、それらの差を感じ、どうしても会場に居られなくなってしまったようだった。
冨田が過去参加してきたグループ展と何から何まで(作家としての覚悟、作品との向き合い等々)別格に高い作家達との展示。いたたまれなくなって退廊したと後日聞き、「そりゃそうだ。どれ程の作家達と肩を並べて展示出来たと思ってるんだ。」と猫笑いにほくそ笑んだ。
自分を守っていた殻が破れ、剥き身の冨田が出てしまい、のたうち苦しんでいるのだ。また成長する。嬉しい限りだ。

グループ展の恐ろしいところは展示をして他の作品と並んだ自分の作品が冷徹に判断出来てしまうところだろう。しかし、だからこそ一人の作業では見えにくいことが得られる。また他者との関わりによって自分を見つめ直すのは何も作品に限ったことではない。自分の作品の反応を聞くだけというのとは圧倒的に滋味が違ってくるように思う。
そういう意味では展示を見ることが出来なかった作家、特にまだまだたくさんの事を吸収して伸びていかねばならない若い作家、小野寺綾には会期のめぐり合わせ(アテネのグループ展でギリシャに飛んだ)とはいえ、十分に堪能してもらえなかった気がして申し訳がない。
面白かったのは小野寺綾と長谷川繁の作品との響き合い。が、長谷川の渡独時代20代のドローイングを思い出すと、目に見えている作品のその奥には動かしがたいベースとしてあるものが存在し、それが響き合わせるのかも、と考えるとシンプルに納得する。
小野寺との仕事はこれが初めてだ。実際の作品を見たのは本展以前では小野寺の卒制の作品しかない。ここからゆっくり小野寺との関係も始まるのだと思っている。

根本寛子は私からの「ここから先ひどい言葉を書くぞ。これで縁が切れるとしたらしようがない。バイバイ根本」と覚悟をして伝えた言葉をも、よく全身で受けとめ租借し、血肉にした。
根本の作品を見続けてきた人々のなかにはどれが根本の作品なのかわからないといった方もいた。出品しようと思っていた作品を「これだと展示は難しいと思う」と云われ、あらたな作品を描かねばならなかった頃、ルーブル展の監視員というバイトについた。何百年と残ってこられた名画に毎日毎日何時間も囲まれ、制作、美術に対する意識が変わった。
根本の作品が大きく変化したのはテクニックやコンセプトなどではない。「意識」だ。
蛇足ながら冨田と根本は出てき方は全く違うが成長することに対して非常に貪欲だ。冨田は消化するのにうんと時間がかかる。あまりに時間がかかるので冨田自身、自分は消化能力の劣った欠陥品と思い込んでしまっているふしがある位、時間がかかる。根本の貪欲さはストレートでたくましく、いつだって腹ペコなので何だってきれいに平らげてくれて凄まじい消化酵素でもって美しい血肉にしてくれる。もっと蛇足を云えば玉野!きみは牛だ牛!2、3個胃袋持っていて延々反芻してるだろう!おい!(笑)。

登山博文は「又」あらたに自らのタブーに斬り込んでいったように感じる。とにかく自分をストイックに追い込んでいかねば承知出来ない作家だ。手かせ足かせがあるという(実は安全だった)ところから一つ一つその「かせ」を外し、薄氷の上を歩み出している。そのかせの外し方は突拍子もないように見えるのだが、実にストレートで信実だ。ほんっとーーーっっに赤子のように素直太郎。まぁ今後も更にストイックな「研究」に入り込んでいくのだろう。到着地点が全く予見出来ない。

「中」(あたり)この作品は私を慈しみ深い眼差しで、じっと見守ってくれている女神のような存在だ。2007年T&S GALLERYでの岩永忠すけの個展を見た時、人というのは神さまがご自身を模して造られた「神の雛形」である。というお話が出鱈目なものではなく、本当にそうなのだと実感したことがある。本展覧会出品作家の中で人の霊性にダイレクトに響く作品をうみだす作家が何人か居る。岩永はその中の一人だ。

「美術」という後付であり学習であり名前の必要な範囲のあるもののことではなく、人が当たり前に持ち得て欲するところの「よきもの」。今のこの時代に圧倒的に隅に追いやられ、しかし絶対必要なもの。その「よきもの」の種を遠藤一郎は「遠藤一郎」という身体を使ってこの世に表出し蒔いている。また遠藤にとってこの世に存在するものは全てその「よきもの」になり得る(変換可能)と信じアクションをしている。その言動には一切のブレがない。見事としかいいようがない。その「よきもの」と「芸術」が近い場所にあるため美術の側から声がかかるのであろう。
「GO FOR FUTURE」と描かれた「あと2年くらい着たい」との“制作途中”の作業服の上着を出品。理論も技術もがっちりあるフォーマルな作家達の中で遠藤という存在・「よきものの種」はどのように見えるのだろう、と思っていた。美術の側の人たちも遠藤に「真」を感じるからこそ声をかけるのだ。

画像を加工したかと思うような新作「バベル」。古典絵画の風景画を思わせるディテールの面白さと深みの「アトラス」。
共にモチーフのセッティングから撮影、現像、プリントまで全てアナログな手法で行われている。井川淳子の作品を考えた際に出てきた言葉に「孤」というイメージがある。ふと、深みと「孤」はセットではないだろうか、、、と考えた。ただし深みとセットである「孤」には「拒絶」というノイズはない。ただ「孤」のみである。井川の作品からはその「孤」が持つ深みと緊張感が存在する。

2008年の巷房にての向井三郎の個展では縦2mの紙に木炭で描かれた作品を額装せず、むき出しの状態で展示していた。(「冬の庭、地中の蝉」)脆弱な存在を前にした時の人の中にある嗜虐性の刺激。その沸き起こる嗜虐性とコントロールについて考えていた時、図らずも別の観者の「こういうのを見ると消しゴムを一振り入れたくなるよね」との発言が耳に入ってきてギクリとした。本展では額装を成されての出品であった。コツコツと描かれた手の作業の積み重ねが作家の体温となってこちらに伝わってくる。それ以上も以下も物語りは必要としない。向井は描く(進む)ことが重要なのであろう。観者はその痕跡のみ重要だ。が、その「コツコツ」とした些か常軌を逸した作業を前に、ついついそちら(物語)に目を奪われてしまうのも、、、むべなるかなであろう。

2006年Gallery覚での『かなもりゆうこ展 Violet』の映像を再編集した作品を出品。無音の映像が続き、一回だけ(普通に歌ったものを反転させているため意味不明、メロディも不思議な)歌声が流れる。その流れるタイミングを15分のものと30分のものを用意してくれた。会場では30分に一度のほうを使用。
無表情に近いモデルの顔がゆっくりと微か(声を発する前の息の吸い込みのためのものであろう。生命レベルの運動のため、全く自然な動きだ。)にうなずく動きが繰り返される。モデルの感情の読み込めない表情と機械的に繰り返される動きで生きた人間の世界ではないように見えてくる。北方絵画を思わせるぬめっとした質感と相まって観ていると美しさよりじわりと恐い感覚が侵食してくる。

熊谷直人は3年間のドイツ留学から帰国しての出品。
植物をモチーフにして抽象的な作品を描くのは変わっていない。ただ以前はもう少し鮮やかな色味があった。本展の作品は白く煙った画面の奥にうっすらと色を感じるような作品になっていた。繊細というよりはじっくりと堅牢。そんな印象の作品で時間をかけて味わえる。留学時、外部に向かってもっと働きかけなければとの声にも淡々と作品の探求に没頭していたらしい。
そんな作家の姿が彷彿される地味ながら動かしがたい強さを持ち始めた作品だった。

デザイナー・鈴木健介のワークブック(ファイル)をギャラリー導入部のテーブルに置いた。何人もの人々が作家ファイルとともに鈴木のブックも見ていかれた。
「このデザイナーのタイポグラフだけの展覧会がみて見たい」「男の職人の仕事」「“デザイナー”の仕事というよりこの人の“気概”がファイルだけで伝わってくる」「今流行のおいしいところはキチンと押さえ、押さえつつもカッコいいだけのデザインに終わってない。寸止めが効いてる。知ってて止めてるね、このデザイナー。この寸止めの感覚がスゴイ」等々等々。私なんかよりもずっと鈴木さんの仕事のすごさを汲み取って下さっている。ありがとーありがとー。

Gallery覚の頃からしみづ賛の作品を紹介したいとずっと願っていた。「出来たら新作で出品しますが」体調次第では旧作での出品と云っていたしみづ賛は「自分でも思いのほか気に入った作品となった。」という新作での参加となった。
一見するとポップさが目に入ってくるが、私には岩永の作品が持つ人の根源的なところに作用させるもの(人によってはそれをアニミズムと位置づける)と同じものを感じ、響き合うよう意識して配置した。会期中、何度か来廊したJIROXはしみづの作品をじっと見ていたかと思うと「あれだね、しみづさんの作品は観る側の精神状態で痛々しくも見え、優しくも見える変な作品だねぇ」と、困っちゃうなぁ、もう。という顔をして笑っていた。

福田尚代も新作での参加となったが、出品依頼をした当初からずっと「旧作での出品」と云っていた。
会期が重なっている別の展覧会の作品制作でキャラバン隊用の作品が間に合わなかったら「すごくガッカリさせてしまうだろうから」と「口が裂けても新作をつくっているとは云えなかった。
でも間に合って本当によかったです。」と一番新しい作品を持ってきてくれた。葉書の文字の部分全てを細いミシン糸・生成りと薄い青色での刺繍(玉結び)の集積。たぶん「福田尚代様」と書かれていたであろう部分が一番ムックリと盛り上がって刺繍されている。一瞬、苔?と錯覚してしまう。苔、古〜い墓石に密生してるような感じの、、、。ん?
墓石?笑(←「墓石」は福田の大切なモチーフ群の一つ)

O JUNからは死んでも返しきれない恩を貰った。

わたくしことですが、福田とO JUN、過去この二人から貰ってきた深い愛と恩は返しようにも返しきれない程大きい。


キャラバン隊・美術部第二回展覧会 plan of Mitonoya 
「陣をたため!出発だ! 愛と希望とカオスのもとへ!」は愛と感謝に包まれた展覧会でした。 
おっと。
愛と感謝に包まれたとはいえスィートなんぞではありません。
それは緊張感と真剣勝負と諸刃の刃の展覧会。
そうそう同じことは出来なくてよ。  キラ〜ン☆


次回キャラバン隊・美術部の展覧会は2010年。
東京と京都の2会場での開催。JIROXとかなもりゆうこの
二人展を予定しております。

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ではまた御目文字叶いますことを祈りつつ。
キャラバン隊 / 御殿谷 教子拝