中国的こころ特集>全国統一への道



秦は戦国時代になって強盛となり、六国を侵略してB.C.221に全国を統一し、はじめて広大な領土を持つ全国政権を打ち立てました。 ここでは、その秦国の統一までの足取りを地図によってまとめていこうと思います。
西暦
秦公
事項
B.C.391
恵公
韓を討ち、宜陽を抜き、六邑を取る
B.C.390蜀を討ち、南鄭を取る
B.C.389
出公
魏を討ち、陰晋を侵す
B.C.387
献公
魏に攻められ、武下で破られる
B.C.371趙と高安で戦って破られる
B.C.367魏・趙と石門山で戦い、これを破る
B.C.365魏・趙と泗・少梁で戦い、これを破る
B.C.363
孝公
東に陝城を囲み、西に戎王を斬る
B.C.358韓を討ち、これを西山で破る
B.C.356魏と元里で戦い、これを破る
B.C.354魏都安邑を降す
B.C.340魏を討ち、公子を捕える
魏を討ち、岸門に戦う
B.C.335
恵文君
韓を討ち、宜陽を取る
B.C.332魏が秦に陰晋を入れる
B.C.331魏を討つ
B.C.330魏を雕陰で破る
魏が河西の地を秦に入れる
B.C.329魏を討ち、汾陰・皮氏を取る
B.C.328魏が秦に上郡の15県を入れる
魏を討ち、蒲陽を取る
趙と戦い、藺・離石を取る
B.C.327戎国の義渠を県にする
魏に焦と曲沃を返還する
B.C.325陝を攻略し、これを魏に与える
B.C.319韓を討ち、鄢で破る
B.C.318楚・燕・三晋を撃退する
B.C.316蜀を滅ぼす
趙を討ち、西都と中陽を取る
B.C.315韓を討ち、石章を取る
義渠を討ち、25城を取る
B.C.314魏の焦を攻め降し、韓の岸門を破る
B.C.312丹水で楚と戦い、漢中を取る
B.C.310
武王
義渠・丹・犂を討つ
B.C.308韓を討ち、宜陽で戦う
B.C.307宜陽を抜いて武遂に城を築く
B.C.306
昭襄王
韓に武遂を返還する
B.C.304楚に上庸を与える
B.C.303魏を討ち、蒲阪・晋陽・封陵を取る
韓を討ち、武遂を取る
B.C.302魏に蒲阪を還す
B.C.301蜀を平定する
B.C.299楚を討ち、新市を取る
韓を討ち、穣を取る
楚を討ち、方城でこれを破る
B.C.296諸侯に函谷関で破られる
B.C.295魏に河外と封陵を与える
B.C.294韓を討ち、武始を取る
魏を討ち、新城・襄城を取る
B.C.293伊闕の戦い
B.C.292魏を討ち、垣を取るが、また返還する
楚を討ち、宛を取る
B.C.291魏を討ち軹とケを取る
韓を討ち、垣を抜く
B.C.289魏を討ち、垣・河雍・決橋ほか61邑を取る
B.C.287趙を討ち、梗陽を取る
魏を討ち、新垣・曲陽を取る
B.C.286魏は安邑を秦に献上する
韓を討ち、夏山でこれを破る
B.C.283魏の安城を取り、大梁まで行く
B.C.282趙を討ち、2城を抜く
B.C.281趙を討ち、石城を取る
B.C.280楚を討ち、上庸・漢北を得る
趙を討ち、代と光狼城を取る
楚を討ち、黔中を落とす
B.C.279楚を討ち、鄢とケを取る
B.C.278楚を討ち、郢を陥とす
B.C.277楚を討ち、巫郡と江南を取り、黔中郡を置く
B.C.276魏は温を秦に与えて和睦する
楚に江南を返還する
B.C.275魏を討ち、4城を抜く
秦に3県を献じて和を請う
B.C.274魏を討ち、巻・蔡陽・長社を取る
魏を討ち、華陽で破る
魏より南陽を献じられる
B.C.271斉を討ち、剛・寿を取る
B.C.269趙を討ち、閼与を攻めるが、落ちなかった
魏を討ち、懐を抜く
B.C.266魏を討ち、邢丘を取る
B.C.264韓を討ち、陘を抜いて9城を落とす
趙を討ち3城を抜く
B.C.263韓を討って太行山で戦い、南陽を取る
B.C.262韓を討ち、10城を取る
B.C.260長平の戦い
B.C.259韓より垣雍を献じられる
趙を討ち、皮牢を取る
太原を平定し、上党の地を保有する
B.C.258趙を討ち、邯鄲を攻める(〜B.C.256)
B.C.257趙に攻められ、信梁を抜かれる
B.C.256趙を討ち、寧新中を抜く
韓を討ち、陽城・負黍を取る
B.C.254魏を討ち、呉城を取る
B.C.250
荘襄王
東周を滅ぼし、その国を秦の領有とする
韓は成皋・滎陽を献じる
B.C.248魏を討ち、高都・波を取る
趙の楡次・新城・狼孟を攻め、37城を取る
上党を討ち、太原郡を置く
B.C.247諸侯に函谷関に迫られる
B.C.246
秦王政
(始皇帝)
晋陽が叛乱する
B.C.245韓を討ち、13城を抜く
B.C.244魏を討ち、巻を攻める
B.C.242魏を討ち、畼・有詭を落とす
B.C.241魏を討ち、酸棗・燕・虚・長平・雍丘・山陽城を平定して、20城を取り、東郡を置く
B.C.240諸侯に攻められ、寿陵を失う
魏を討ち、朝歌を取る
B.C.239魏を討ち、汲をとる
B.C.237魏を討ち、垣・蒲陽・衍を取る
B.C.236趙を討ち、鄴と橑陽を取る
B.C.233趙を討ち、平陽を攻めが肥下で撃退される
B.C.232鄴に進軍する
太原に行き、狼孟を取る
B.C.231韓の南陽の地を受る
魏は土地を秦に献じ、秦はそこに麗邑を置く
B.C.230韓を討ち、韓を滅ぼす
B.C.229趙を討ち、井陘を降し、邯鄲を囲む
代を討つ
B.C.228趙を討ち、邯鄲を陥落させ、趙を滅ぼす
B.C.227燕を討ち、易水で破る
B.C.226燕を討ち、薊を陥とす
B.C.225魏を討ち、魏を滅ぼす
B.C.224蘄の戦い
B.C.223楚を討ち、楚を滅ぼす
B.C.222燕を討ち、燕を滅ぼす
B.C.221斉を討ち、斉を滅ぼす。天下を統一する
まず秦の成り立ちから。
秦は西周時代、非子が周孝王に秦に封じられたことに始まります。非子は馬の飼育を任じられたとされているので、 たぶん秦は西方遊牧民族出身でしょう。ときには異民族にまぎれて、ときには中原に現れるといった民族でした。そのため正式に諸侯に認められるのが遅くなりました。 B.C.770のときです。
その後の秦はなかなか勢力を拡大できませんでした。その理由として内訌が多かったことと、東方に大国の晋があったためと考えられます。 春秋の覇者とされる繆公の時に、秦は強盛となり西戎の覇となりました。しかしその後も秦は内訌により勢力を縮小させてしまったのです。
恵公時代
さて、戦国時代に入った恵公時代の領土はどうだったのでしょうか。叛乱した南鄭を再び収め、韓の拠点宜陽を取りました。秦は春秋時代までに東方は函谷関・ 殽山まで領有していたようです。
孝公時代
孝公の時代に入ると、秦は商鞅の改革により、強盛になっていきます。孝公は魏・韓を討ち、 徐々に領土を東方に広げました。魏都安邑を落すなど、河西での秦の優位が確定しています。
恵文君時代
恵文君の時代になると、秦の軍事戦略はさらに拡大して、趙・楚にも侵略していきます。魏とは敵対と同盟を繰り返して、河西の地を交換し合っています。 河西での優位は戎への討伐にも現れており、戎の領土にも県を配置しています。
恵文君の時代で、最も重要な出来事は、蜀の占領です。蜀を押さえたことにより、秦は他の諸侯を圧倒することとなります。
韓には連戦連勝で、韓のほぼ半分の領土を占領したと思われます。南北に流れる黄河を隔てて侵略し、趙の諸県も下しています。恵文君は王を称しますが、 その権勢を考えると王たるに十分であったと思います。
武王時代
武王の時代にも、韓の宜陽を討っています。宜陽はかなり前から攻撃しており、なかなか秦の領土にならなかったものと思われます。 宜陽は韓の大城で、韓攻略の重要拠点であったのです。
昭襄王時代
昭襄王の時代は、楚との戦いがメインで、戦国時代の二強対決となりました。昭襄王は自分1代でこの楚を打ち負かして、 戦国時代ナンバーワンの強国にのし上がりました。
対楚戦を睨んで、上流の蜀を占領し、楚の国都郢を陥落させています。領土は南は黔中、東は沔水流域を押さえました。楚は東半分の領土を失い、郢を去って寿春に遷都します。
趙とも本格的な戦争を繰り広げ、長平の戦いで趙の主戦力を全滅させ、もはや秦に対抗できる国はなくなりました。秦は趙の邯鄲を囲っています。
魏に対しては領土の交換をしながら、徐々に東行して大梁まで進軍しています。
一時期、孟嘗君率いる連合軍に攻められますが、それも一時的なことで大局には影響がありませんでした。
荘襄王時代
荘襄王の時代には、秦は明確な領土統治方針を掲げます。秦は占領した土地に郡県制を展開したのです。
また700余年続いた周王朝を滅ぼしたのも、この時代でした。
韓の拠点滎陽を占領し、北方では太原郡を設置します。ほぼ韓は滅亡したのと同様の状態です。
始皇帝の時代になると、天下統一に向けて一気に加速します。瀕死の韓をまず滅ぼし、趙の領土残り半分を占領して邯鄲を囲みます。 秦はついに落せなかった邯鄲を落として趙を滅ぼします。
さらに兵を進めて燕を討ち、これを遼東に放逐します。趙を滅ぼした余勢で燕を壊滅させたのです。
さらに国都大梁だけ所有していた魏を滅ぼし、三晋はすべて滅びました。ここで秦は中原を押さえることになりました。
南方の大国楚も蘄で大破して滅ぼします。楚は公族を立ててゲリラ戦を広げますが、ついに滅ぼされました。
そして遼東に逃れていた燕を滅ぼし、最後に山東の斉を滅ぼして、天下を統一したのです。
統一王朝図 秦王政時代