最北医学生の2002年 8月の日常

■2002/08/02 (金) 5年目講師

さすがに塾講師を4年もやると、ある程度のレベルに関してはそれなりの授業ができる。話し方や説明の仕方なども、もう身についてしまっているらしく、内容が全く学業じゃなくても態度に出るらしい。中学校の英語であれば、ほとんどの分野については計画なしで授業ができる。むしろあまりたくさん教える気がない方がいい、とも書いた。

にしても、今日の授業は最悪だった。近年稀に見る酷さだった。まず、テキストがなくて、これは自分でなくしたのか、それとも手違いでもらっていないのか、これによって慌ただしい下調べとなった。次に、下らないミスプリが多かった。この場合のミスプリとは、自分が黒板に文字を書くときの書き間違いのことを指す。makeをmakと書いたり、くだらなすぎてあんまり書きたくない。最悪だったのは「北を上にしたときの左の方角は西だねー」とか言っておきながら、黒板には思いっきり「east」と書いていたこと。「ちょっと間違った」レベルじゃないので、結構へこんだ。

また、生徒ができるのもあることはあるのだが、2コマ分の内容を1コマちょっとの時間で「誤って」終わらせてしまった。時間が足りなくて困ることはよくあるが、全くの勘違いで敢えて急いでやってしまいなんとも間が持たなくなってしまった。慌てて残りをとってつけたようにゆっくりしっかり解説したり。いきなり何か補充を配るというのも準備の関係もあり、なかなか大変だったがセンター試験の過去問でお茶を濁した。

お茶を濁せたりできるのは自分の実力だが、この期に及んで時間配分を素で間違うなんて、あるものなのだなぁ、と思った。やはり初心は忘れるべきではない。

■2002/08/04 (日) 逃避行動

人はつらいことから逃げ出そうとする。先送りできることは先送りしがちだ。今楽しければそれでいい、という意見もある。明日本州へ向けて出発し、13時には家にいてはいけないのだが、まだ何の準備もしていない。やるべきことを書き出してみたら、うすうす感づいてはいたのだが、どうもたくさんありすぎるようだ。はたして明日ちゃんといけるのか。思えばいつも旅への出発前はこんな気がする。

大概が準備を後回しにして、いよいよやばくなってから直前に行う。それによって致命的な忘れ物などをした記憶は特にないが、朝4時出発なのに3時までかかったことなど結構ある。寝るに寝れない。そんな状況だと、青春18きっぷを使ってめちゃくちゃ安上がりな旅行を計画しているくせに、出発する駅までタクシーを飛ばしていったりする。そもそも寝不足はいつものことで、トラベラーズハイ(造語)のためになんとか乗り切っていることも多い。多くは最終日など疲れてぐったりしてさっさと寝てしまう。そもそも酒に強いのに、これ以上ないぐらい酔っぱらってつぶれるのも、そういう疲れの蓄積である。

朝三暮四という言葉がある。一応人間であれば、後から4つもらえればいいとわかる、というのが話の趣旨だろうが、実際そんなに人間できていない。楽なことがあればそっちの道を選ぶし、楽なことをしている人を見ると羨ましく思う。準備など色々しなければならないことは山積しているが、日記を書こうと思い立てば日記を書き続ける。全てのつけが自分に回ってくるのもわかっているけど、やってしまう。

なんて書いてないでやり始めようか。

■2002/08/05 (月) 大会前日

結局、コンタクトを作ったり、髪を切ったり、なんだりかんだりして、やたらと慌ただしく出発した。多分、おそらく致命的な忘れ物はないと思われる。考え方の一つに、体一つで行けば後は金さえ払えば現地調達できる、というのがある。ユニフォームですら、公式な大会じゃないため、テープを貼って番号を作って試合に出ていた、という話もあるくらいだ。一応医学部しか出られない大会なので、学生証で自分が医学部であることを証明するのが必要だ。体と学生証に関しては、確かに手元にある。

宿舎での各人の過ごし方は様々だ。他の部屋に行って騒ぐ者、寝付きを良くすると称して酒を飲む者、金がないと言っては牛丼のチェーン店に行く者、ここぞとばかりに買い物など満喫系の者、食には金を惜しまない者、部屋にこもって本など読む者、知らない街をぷらぷら散歩する者、などがいる。私は金を惜しまずたらふく食って、その代償行動に街をふらつくことが多い。大体2日目以降にはその宿舎周辺で迷うことはない。知らない街で知らない空気を吸うのは楽しい。この部分は旅気分だ。

らしからぬ、こんな掲示板(←2chの東医体スレッド:さるさるからの移転時にデッドリンク)が存在する。誰が立てたか知らないが。今回の大会は東日本、つまり関東周辺と北日本を合わせたものであり、それらの間の情報交換が目的の一つになっている。人によって、同じバスケットに対する評価も様々で、色々と面白いこともわかったりする。しかし、試合で勝ったチームが強いのであって、特にこの大会は、医学部にとってメインの大会であることもあって、普段出ない力が出ることがある。勢いや運も大切だ。その意味私は今回が5回目だが、どんなに力の差があっても、勝負の行方はわからないと思っている。

では、ビビンバがおいしかったのでちょっと食いすぎの腹をこなしに、夜の街に繰り出します。ひたすら歩くという意味なので誤解のなきよう。

■2002/08/06 (火) 東日本医科学生体育大会バスケットボール部門

関係者に見られているとちょっとまずい発言かもしれないが、医学部のバスケットのレベルはそう高くないと感じた。確かに今年これまで対戦してきた相手で負けた相手が、北海道の大学の大会で優勝、北海道の社会人の大会で優勝、などなど、医学部という制約はどこにもなく、そして明らかに強い。昨日も書いたその掲示板によると医学部関東2位の相手に、余裕もなかったものの、危なげもなく勝利した。

関東ぐらい大学が距離的に密集していれば、普通の大学と医歯薬系の大学とが、カリキュラムの違いなどから違った大会に分かれることも簡単だろう。そうした方がお互いにいいと思われる。しかし北海道においては、医学科は3校、歯学などを合わせてもどうにもならない。したがって、ある程度以上のレベルを目指すのであれば、医学部などの枠にとらわれないで普通の大学と対戦していく必要が出てくる。実際うちのチームはそういう道を選び、実践してきた。結果、今年度の勝率はあまり高くなく、結構気分は良くなかったのだが、トーナメントは1チーム以外全て負けることと、相手のレベルが高いことで、なんとか自信を持ってきたが、今日は自分たちの実力を再認識することとなった。

そもそも練習や練習試合などは、本番よりも楽では仕方ない。もしも医学部の大会での勝利を目的とするならば、医学部以外のレベルの高いところとやっておくのがよいだろう。というのを実践した。その点女子は、人数が少ないのもあるが、練習よりもいつよりも疲れていた。練習よりもきつい試合をやって、負けて悔しいとか言うのであれば、もっと練習するべきだ。

この大会の最大の敵は、自分たち自身である。負けたら自滅だろうと思っている。また、変な「ノリ」があり、日頃起こりえないことが起こる。運も実力のうちだ。ケガをするのも、いい審判に当たるのも、何もかもが実力だ。勝ったものが強いのだ。

なんてなことを5回目の大会にして思っている。

■2002/08/07 (水) 「ファールはするな」というアドバイス

塾で講習を受けに来た生徒に対して「どうだい2学期からは普段も通わないかい?」と話をすることは経営的には最大のテーマだ。しかしそこで「こんな成績だとやばいぞ、塾に来ないと」と言うことは良くないことだとされる。やばいのは自分でわかっているからこそ塾に来ているわけで、恐怖をあおり不安にさせて、しかし得るものはたいしてない。自覚されている欠点の再指摘は意味がない。

バスケットでは、40分で5回ファールをすると退場である。開始5分で2つ目をしていればペースは速い。しかしそれは自分で十分気づけることである。そこで「ファールするな」とか言うことは全く何にもならない。むしろ再発防止のためのアドバイスを、周りからはするべきだ。誰だって反則したくてやってるわけではないのだ。

しかもそのファールの原因が、他の人へのカバーが原因であった時は特に、ファールをした人ではなくてカバーが必要な状況を作り出した人の方を改善するべきだ。にもかかわらず、出てきた結果だけを見て表面上反則をした、ミスをした人だけをとがめる傾向がある。これでは言われた方がへこむ以外、何も得られるものはない。

思えば、うわべに気をつけて本質を見ないのは、風邪をひいたときにもあると言われる。風邪で熱が出ているときに、確かにつらさを減らすために熱冷ましを使うことはある。しかし風邪ウイルスは熱に弱いため、熱は下げない方が早く治る。体が防御反応を起こしているのだ。しかし「風邪の治療」と言うと、熱冷ましを飲むことが第一選択であり、いかにもそれが治療の第一歩であるかのように考えられているが、実際はケースバイケースだ。見た目に現れることと、本質的にどうかということを合わせて考えて、熱を下げるべきかどうなのかを判断する。

バスケットを始めて12年目になった私には、単に熱冷ましを飲むだけのアドバイスが不満であった。そんな大会2日目。

■2002/08/09 (金) 戦う相手

するすると勝ち上がり、東日本でベスト4になった。準決勝と決勝が残っている。くじ運が良かったのか第4シードだったからか、例年に比べて楽に勝ち上がってきた気がする。しかしここまで来ると戦う相手はむしろ自分たちである。自分たちの力をどれだけ発揮できるのか、もしくは力以上を発揮できるのかにかかっている。これは勉強の分野での試験でも言えると思うが、10%には満たないがある程度の部分については時の運があると思う。何が起こるかわからない。だから試合をするのだ。

今日は試合に出たが、一度もコート上でボールに触ることはなかった。たいていは、ボールを持って、シュートを決めることが、素人目にも評価される。しかし実際は、2点取ることと、2点取らせないことは同価値である。(30−40)だった試合が、10分後に(50−60)であっても(31−41)であってもどっちでもいい。

したがって、非常に評価されづらいのであるが、私がついたマークマンのシュートを3本止めたことは、自分が3本シュートを決めたことと同じ価値を持つこととなる。本当は、シュートすらうたせないくらいいいディフェンスをするのが最高だ。ただこれは、見た目「0本の」シュートを止めているようにも見えるので、素人目には評価されない。しかし勝利に対する貢献は同じだ。むしろオフェンス側のストレスがたまるかもしれない点で、シュートをうたせて落ちるよりも、全くうたせない方が優れている。

ぱっと見ではわからない部分を頑張るのは、結局の所自分の中の問題である。当然前述のようなディフェンスはつらい。オフェンスは華があるのである程度楽だ。自分がそのつらいことをどれだけ頑張れるのかが5人分集まって、チームができ、そしてチームの勝利へとつながるのだ。私の役目は自分が頑張ることと、頑張っているチームメイトを評価することだ。敵と戦うのはそれから。

■2002/08/21 (水) 旅行中につき

現在北海道中を旅行しています。パソコンも持参ですが、つなぐ時間とつなぐタイミングと何よりPHSはもちろんケータイにも電波がないような田舎にいることも多く、しばらく お休みしています。

土日には復活できるかどうか、という感じです。

■2002/08/23 (金) 報告

日記的空白の間に起こった出来事をfollowしていく。8/10にはバスケが決勝で、結局東日本で優勝することができた。詳細は後日に。8/11そのまま一睡もしないまま米子に飛び、医ゼミに参加。講演など聞くもののいまいち。同窓会に来たような印象がある。今回で5回目となるので、1年ぶりに会ったのにも関わらず「どうも久し振り」程度の挨拶になってしまうのだ。そんな場が好きだ。その後13日までそこで過ごし、それから18きっぷで移動して深夜舞鶴からのフェリーに乗る。28時間後、すなわち15日の早朝に小樽に着く。家に帰り、雑務をやっつけ仕事でして、再び旅に。

オンネトーの近くにある雌阿寒温泉の景福に泊まる。温泉最高。16日、開陽台とトドワラ・ナラワラに行く。立ち枯れなのに天気が良くて変な感じ。落石岬に行くも霧で視界不良。その後釧路にあるとほ宿である休み坂に宿泊。夜の炉端焼きがおいしかった。刺身や炭火焼きなど、釧路ならではだ。17日、釧路湿原を回る。JRでも行ける展望台、車でなら行ける展望台、マニアしか知らない展望台のそれぞれに行った。湿原の中なのに「岬」という地名がつくくらい、でもそれが最も適切な呼び方であろうと思われる場所に行った。これは良かった。その後愛冠岬へ。夜はすさまじい飲み屋を紹介してもらい、摩周湖の水で酔っぱらう。あれは予想外だった。再び休み坂泊。18日、帯広の六花亭、池田のワイン城、ステーキ、トムラウシ温泉を経由。それからしばし休息。

うまいものを食べて温泉に行き寝るという日々。書くべき事はそんなにないが、活動レベルとしてはonの日々。22日に積丹を回る。歩き風景を見る。ウニ丼を食べる。寿司を食べる。温泉に入る。23日には有珠山の噴火してできた遊歩道を見て回る。そこらのホラーよりもよほど恐ろしい。昨日まで人が住んでいたところが、自然の力によってこうまでされるものかと、思いを新たにした。

後日、いつ電話しても連絡が取れなかった、との苦情多数。確かに生半可なところにはいなかったこの日記空白期間だった。私はもう5年なので、最後の夏休みだという意識も強く、ちょっと頑張ってみた夏休みだった。

■2002/08/26 (月) 東医体優勝

8/6のタイトルの大会を略して東医体(とういたい)と呼ぶ。医学部の学生にとってメインの大会だ。たいていのチームにとって、この大会に山場が来る。しかし私のチームはもっと上を目指してきた。

8/10の準決勝と決勝は、結局接戦にはならずに勝利した。時の運もあるが、ある意味それだけの力をこちらがつけたとも言えると思う。調子が良くないプレーヤーもいたが、それを埋め合わせるだけの働きを他のプレーヤーがしていた。後日ビデオを見た先輩に「実は途中でメンバーが3人4人替わっているんですよ」と言ったら驚かれるくらい、層の厚さもあった。10分のうち5分全力で出ればいいのだ。相手はそこまでは替われないのに。その辺でも全員でつかんだ勝利という感じがした。

残り3分くらい15点差がついていた。よほどこっちが浮き足立たなければ勝てるとわかったが、しかしそこで感動して泣くわけにもいかない。試合が終わったときにも別に逆転とかしたわけじゃないのでなんだか泣くタイミングを逸してしまった。と最も苦労してきたキャプテンは言っていたし私もそうだった。しかしもう一つには、実力的に勝つべくして勝ったというのもあっただろう。勝つか負けるかわからない、またはたいてい負けるでしょ、という相手に勝ったときほど、感情が高まらないのは当然だ。

私が入学した頃のバスケ部は、北海道の大学のリーグで4部中4部だった。東医体では勝ったり負けたりの繰り返しだった。思えば長い道のりだったが、一つには私のような上の学年の経験も、今回の優勝に生きているのだと思う。しかし同時に、何かをやろうと心に決めて、そして行動に移し、努力を積み重ねていく。この場合で言うと、コーチを頼み、医学部だけでない大会にも積極的に参加して、そしてここ何年か頑張ってきた、という事実に注目すれば、必然的な結果とも言えるし、6年という時間があれば、こういうこと(東日本制覇)でも達成可能なんだとも思った。やればできるという意味でいい経験だった。

実は大学始まって以来、創部初の快挙でもあった。部員が喜ぶのはもちろん、OBの喜びもまた一塩であった。きちんと祝賀会を開いてくれるとか、むしろOBも一緒になって喜びたいのではないかとも思えてきたりする。そんなつながりはいいものだ。

■2002/08/31 (土) あちこちから求められる

嬉しい悲鳴、というのはこういうことを指すのかもしれないが、あちこちから来てくれと頼まれている。

1つは大学の研究の手伝いのバイトである。当初は先生の指示通りにパソコン上で処理をするのであったがそのうちに私が「先生こんな統計結果になったんですけど」と言って、研究の方向を決めている一歩手前くらいの働きをしている。論文の締め切りも間近で、もう来れるだけ来て欲しいと言われている。

2つ目に、これは昨日今日始まった話ではないが、塾講師のバイトである。もし仮に私がフリーターだとして週7日暇を持て余しているとして、月収10万から15万になることは容易だ。講習期間中であれば、月収で30万になっても不思議ではない。もちろんそれなりの実績と信頼があってのことだが、極論食べていくだけならこれでいい。でもそうはしない。

3つ目に、一応第一線を退いた部活だ。試験までには確かに時間があるし、後輩たちもコーチも私の存在を認める旨の発言をしている。気を遣って言ってくれている可能性もないわけではないが、確かに自分のバスケットの経験は、なんらかの形でチームの力になれると思っている。たとえ試合に出場しなくても、アップをしなくても、なんであってもその場にいて、ベンチに座っていることはしてもいいのかもしれない。現在検討中。

4つ目に、公私問わず、私と話をしたいと言ってくれる人がいることだ。私もできるだけそうした時間を設けたいと思っている。話をすることは全ての人間関係、そして社会の基本であろう。確かにじっくりとお話がしたい気分だ。でも、全国に散っている友達の所を順に回りたいとも思う。一人24時間くらいで次々と、そんなことができたらいいのに(反実仮想)

思えば家族ともしばらく話をしていない気がする。会ってないこともないし、時間単位でちょこちょこ話もしているが、会ってかつ何もしないで過ごす時間がない。人と人が会って、そしてその空間と時間を共有して何もしない、というのは最高の贅沢だ。

両親に贈る夢がある。居心地のいい和風旅館(温泉つき)の2泊の宿泊券である。2日目にどこに行くともなく何をするともなく、飯の心配をすることもなく、1日時間を過ごすのである。あこがれの老後の風景だ。