最北医学生の2003年1月の日常

■2003/01/01 (水) いつもと変わらぬ正月

12/31から1/2は、受験生のための講座を担当する。この中で、12/31と1/1に違いを見出すのは難しい。普通に飲んだくれて、気づいたら年を越していた。「あけましておめでとう」もよく聞く言葉だが、何かめでたいと思っているわけでもないし、そもそも新年がめでたい理由はわからない。「新年」おめでとうがあって、例えば「2月」おめでとうがない理由は説明できない。「1月5日」おめでとうはないと思うが、なぜないかは説明できない。

特に肩に力を入れて何かをする必要はないと思う。誕生日にしたって、生まれてからちょうどX年経ったときと、X年と1日経ったときがそう違うはずがない。個人的に我が家の雑煮は好きだが、なますは嫌いだ。好きな物なら食べればいい。正月だから帰省する、というのもよくわからないし、わざわざ混むときにどうにか移動するのはやっぱりわからない。

友人が、年が明けて最初に食べたものがトントロだと言っていた。私ものっけからラーメンなど食べていたが、新年最初の授業をして、飯食って、ばあちゃんの具合をみて、そして寝た。店が閉まっていること以外はさして変わらぬ生活だ。

■2003/01/02 (木) 無記名式アンケート

塾では各講座毎にアンケートを取る。わかりやすかったか、ためになったか、けじめある指導態度だったか、などなど。そして自由記述欄もあり、各科目別の講師に対して自由なコメントが書かれる。だいたいが肯定的な意見であるが、たまにある批判的な意見に関しては、謙虚に受け止めて今後につなげようと(少なくとも私は)考えている。

しかしこれは「記名式」のアンケートである。「記名式」である場合、その後の人間関係(生徒と講師の関係)の悪化を恐れて、生徒が本音を書かないことが懸念される。良いことを書いても悪いことは書かない。一見良いように見えて、長い目で見ると改善されないことは生徒の不利益となる。これをなんとかすべく、思いつきだが「無記名式」アンケートも取ってみた。

「無記名式」で本音、というか、様々な意見が出ることは、あの巨大掲示板群の例を挙げるまでもなく明らかであろう。実際やってみると、無記名式のアンケートには参加しないという人がいたり、先生への私信を書く者、クイズを出す者、講師につけたあだ名を連呼する者など様々であった。しかしそんな中でも、私に対して「なんかやだ」と記名式ではありえないコメントを書いた生徒がいた。それが得られただけでも、無記名でやった意義があったと思う。

■2003/01/04 (土) クラス会

こぢんまり8人で、高校時代のクラス会をした。卒業して6年目になるが、まだ学生の人、就職した人など色々だった。先生を囲んで、昔話をしたり、裏話をしたり、今だから言える他の先生への批判なども含めて、なかなか楽しかった。先生は卒業1年後に定年となり、晴耕雨読の年金生活を送っているらしいが、やはりこのような集まりは楽しそうであった。前日に言ったにもかかわらず24時間後に8人は集まれるあたりもなかなかだ。

高校時代にはほとんど話をしなかったような人とも話をした。昔話をするわけではなく、今のそれぞれについての話をする。今のお互いの接点と言えば、同じ日本に生きていることぐらいしかない。高校までの知識が共通と言えばそうだが、それくらいでは今の自分をリアルに話すことはできないだろう。にもかかわらず話が盛り上がるのはなぜだろうか。

一つには、色々な仕事であっても根本で共通する部分が大きいのではないか、ということだ。社会人のハンドボールのチームでトレーナーをしているやつと話をしたが、結局テーピングの知識、ケガの知識というのはもちろん知っていなければならないものだが、それを選手にどう伝えるかの方法の方が大きな問題だ、と言っていた。これはそのまま医師患者関係にも当てはまる。塾での講師生徒関係にだって当てはまる。どの職業でも結局は人間と人間のつながりが大切だという点では同じであろう。

もう一つには、言葉では表現しづらい信頼関係ができているのであろう。高校の3年間、クラス替えもなく、しかし特に話をするわけでもなくても、同じ教室で時を過ごし苦楽を共にしたことは、何とも言えない連帯感と仲間意識を持つのではないかと思う。間に5年空けて突然電話をしても普通に話ができるような、そんな関係が素敵だと感じた。そんなクラス会だった。

■2003/01/05 (日) chat会議

chat会議をした。東京で行われた話し合いの報告やらこちらの意見を聞いてくれるとやらで、こちらは最北からなかなかでていけないので、ありがたい試みだった。確かにパソコン環境さえ整えば、北海道から沖縄まで、もっと言えば世界中どこからでもその話し合いに参加することが可能となる。

chatやメッセンジャーに参加するには条件がある。参加した方がメリットがある、と言った方が正確だが、自分の思考のスピードとタイピングのスピードのバランスがとれていることである。思考が速いとストレスがたまるし、タイピングが速い人はあまりいない。また、やる相手とのバランスも必要である。話題や内容の共通性とそれに対するレスポンスの速さなど、バランスがとれていないと、一方的にまくし立てられているような気分になり、うまくない。複数人数であれば、速い人に対して複数の人が複数の話題を提供し続ければそれでもうまくいく。

最大のメリットは、通信費の節約だろう。つなぎ放題にしている環境であれば、何時間コミュニケーションしてもコストはかからない。他のメリットとしては記録が残ることである。後から復習することができるのは確実なコミュニケーションの効率を上げる。また、喋りながら話を聞くことはできないが、読むのは一瞬でできて、同じ時間でお互いが違うことを打ち込んでいられる。

しかし、最後には結局電話がかかってきた。今回は特に、向こうではパソコンを介さない話し合いが同時進行していたので、そこの話を耳で聞いて頭で文字に起こしてパソコンに打ち込んでいくのはさすがに面倒だ。そして会うことにもやはりかなわないと思うが、コミュニケーションの効率を大きく上げるツールであることは間違いないと思う。

■2003/01/06 (月) ポリシー

私にはポリシーがあり、本人識別の目的で使ってもいいくらいのものを紹介する。もしもここに書くものと異なることを本物がしていたとしたら、それは本物でない可能性が非常に高い。嵌められたと推測していただいても構わない。

1つ目に、飲酒運転はしない。飲酒運転は100%確信犯である。飲んでもその辺の人より運転できる自信もあるが、そういうことでなく、判断力を落としてから車に乗るのは、法律云々以前に許されざる行為だと考えている。

2つ目に、タバコは吸わない。消防士の寝タバコ、警官の泥棒と同じくらい、医者のタバコは意味がわからない。幼少時に気管支喘息や肺炎だったことも関係しているかもしれない。かつて彼女がタバコを吸ったという理由で殴ったことがあるが、全く後悔していない。もっと強く殴ってやってもよかったと今でも思っている。ここまで感情的になれる話題も珍しい。

3つ目に、髪は染めない。黒髪が好きだとかそういう話ではなく、ありのままから変える気がしない。気づけば親戚中で、両親と私と姉の4人だけが髪を染めていなかったりする。仕事をしていく上で、染めないことが不利益をもたらすとなればさすがに考えるが、そうでなければ変える気は全くない。

私の友人を名乗りつつ、この3つのうち1つでも誤って認識している人がいたら、それはあまり親しくない友人であるか、実は友人ではない可能性が高い。

■2003/01/07 (火) 自分というものを考えてみる

自分のこれまでの人生に後悔がないか、と問われるとNoとは言えない。小学校の時にはもっと傲慢に振る舞わなければいじめられることもなかっただろうし、中学校の時にはもっと友人と話せる自分を作っていればもっと楽で有意義なな中学生活だったろうし、高校の時には色んな事をやってはきたものの、浪人するほど夢中になるべき事だったのか、実はもっと大きな経験ができたのではないかとも思う。浪人してからも本当に死力を尽くした一年だったかは自信がないし、大学に入ってからではさらに「あの時こうしていたら」と思うことはたくさんある。

それらのことが現在の自分に影響を与えているかと問えば、それはYesである。進む大学が決まったことと今留年したことが最も典型的である。後悔しようと思えばいくらでもできる。もっとより良い過ごし方はあったはずだ。しかし私は後悔していない。

後悔することは過去の自分を否定することにつながるからかもしれない。過去の自分があって現在の自分があり、私は現在の私も好きだし、それゆえ過去の私も好きだ。少なくとも現在の私を作ってきたものは大好きだ。今からどうにもならない過去を悔やむより、今あるものでどのように振る舞っていくのが最も自分の幸せになるか、それを考え日々生活していくのが楽しい。

自分に自信があるからそういうことが言えるのだ、という考えもあるかもしれない。確かにそれにも一理あるが、自信というのは自分の中から生まれてくるものだと考える。他人から認められていと思う前に、まずは自分で自分を認めてみたい。逆説的だが、自分は自殺できる存在だということがこの考えの基にある。自分という体を自殺しない道に導くからには、自分を認めるところが第一なのだ。

■2003/01/08 (水) 家庭の事情

ちょっと今、家庭内で問題ごとがあり、身辺ゴタゴタしている。別に親が離婚するとか、虐待されているとか、これ以上学費は出さないとか、そういう話ではないので、直接的にはご安心を。私の家と、親戚の家との間の話なのだ。関係ないと言えばないのだが。

全くこの件に関しては、無駄なエネルギーを使っていると感じている。私がそうだし、関係している人皆がそうだろう。先ほどまで、めったに連絡取らない姉にメールを書いていたら、18000バイトで2時間以上もかかってしまった。仮に会って話をするともっと効率が悪いところもあるのだろう。

家庭が、何も問題がなく100%頼れる存在であることが、特に子供の精神安定に大きく関係している、という意見に私は大いに賛成だ。私の場合はもはや子供でないため、人格形成とかには影響を与えないだろうが、それにしても力をそちらに取られている。何があっても無条件に自分の存在を認めてくれた、これまでの自分の家庭に感謝である。

内助の功とかいう言葉はあまり好きではないのだが、確かに外で力を発揮するために、内である家庭がしっかりしている必要があると考える。別に専業主婦が家にいる必要はないと思う。そうではなくて、その家庭という場においては、自分という存在が認められるのか、否定されないのか、という点が重要で、一点足場がしっかりしたところがあるからこそ、そこから高く飛躍していけるのだ。

■2003/01/09 (木) 英語の小咄

クリスマスはX’masではなく、Xmasとするべきだという話はちょっと有名だ。何も省略していないのに「’」は使わないのだ。省略と言えば、英語の月名を三文字に略したときに、5月だけは元々3文字なので「May」であり「May.」ではない。「Mr.」「Mrs.」はいいが、「Miss.」は良くないのも同じ理由だ。以前まで自分の名前をローマ字表記する際に「Koizumi.Jun-ichiro.」のように「.」付きで書いていた。これは省略するときに書くべきものであるから、「K.Jun-ichiro」または「Koizumi J.」と書くべきである。

しかし「A Happy New Year」は実は和製英語で「Happy New Year」が正しいのだと知って驚いた。何の気なしに、どの年(year)か明らかなんだから、AじゃなくてTheじゃないかなー、と思って、某掲示板のその方面の人が集うスレで聞いてみた。よく考えれば、Theもつけるのはおかしいし、「Happy Birthday」から類推すれば、AもTheも要らないということがわかった気もする。思いこみに気をつけようと思った出来事だった。

■2003/01/10 (金) ポリシー

カンニングするくらいなら留年した方がましだ、というのが私のポリシーだ。これは理屈とか判断じゃなくて、信念とかポリシーといった類のものだ。何か譲れないものがあってもいいだろう。

■2003/01/11 (土) 私がくよくよ悩まない理由

「検査をするときに、その結果によってその後の治療が変わらないのであれば、その検査は行わない方がいい」という一種の格言がある。とりあえず検査、という現状がおそらくあり、それを戒めるためにできた言葉なのであろう。確かに至極合理的であるし、そもそも治療方針が複数あって、それのいずれを選択するかを決定するために検査を行うのである。

それを人生に応用していることに気づいた。悩んでも仕方ないことをくよくよ悩まない、ということは、先月の私など典型例だったが、確かに悩むことが結果を変えないのであれば悩まない方がいい。本当に悩むのは、悩んだ結果でその後にとる行動が大きく変わる場合だ。

悩むこと以外にも、日頃していることの中には省くべきものがあるかもしれない。行動に移せば少なからず他人に影響を与える可能性が出てくるが、今やっていることが本当に将来の自分を左右することになっているのか、検討してみる必要があるかもしれない。習慣などは特にそうだ。やらない習慣をやるようにするのは大変だが、現にやっている習慣をやめるのはさらに大変だ。その「やめる」を手助けする思考法の一つが、冒頭の格言であるのだろう。

■2003/01/12 (日) 低活動期

やらなければならないことがたくさんあるが、後回しにしている。エンジンがかかる前に特有な症状だと分析している。手をつければそれこそアッと言う間に終わるのだ。面倒なことを避けることを逃避というが、逃避すると意識せずにその問題から離れるのが最強だ。ちょっと最近義務から離れぎみである。これをやろうと認識できれば、それを解決するべく動き始められるのだが。

■2003/01/13 (月) 学年のカラー

諸般の事情により、異なる2つの学年の内情を知ることになったわけだが、いわゆる学年のカラーというか雰囲気は異なると感じている。高校までのように毎日顔を出す担任がいるわけでなし、学級委員長のような人がいるわけでなし、いたとしても大学生にもなるとその人に従うかどうかは別問題である。まして人数は100人が基本であるのでなおさら1つの方向になるような気はしないのだが、集団としての特性が生まれてくる。

その違いを形成するものが何かを考えてみる。100人の集団は、やはり一人一人の集まりであり、積み重ねであり、1対1の人間関係が1002(順列組み合わせの組み合わせ)だから4950通りの組み合わせの人間関係の総和が、集団としての人間関係となる。具体的には言いづらいのだが、common senseと言うか、「よい」とされるものがその集団によって異なることが予想される。同じことを同じ人がやったときに、それに対する評価というのは完全に線形的に個人の和ではなくて、つまり1+1=2ではなく、3にも0にもマイナスにもなりうるのではないかと考える。

先日書いた家族内でのもめ事も同じ構図で、同じものに対してのそれぞれの家での常識の捉え方に違いがあると考えると釈然とする。政治や宗教の話題、文化の差についてもそうなのかもしれない。言われてみれば、小学校で転校を経験したときにも同じことを感じた気がする。大人なのだから、その違いを意識して埋めていき、尊重しあっていかなければならない。それに順応してそこでの生活に染まることも、社会生活を営む上で必要な能力であろう。

■2003/01/14 (火) テスト前

必ずや挫折すると思うが、今日から日記の行数の上限を一行にしたいと思う。

■2003/01/15 (水) ガクガクブルブル

エンジンかからないかと思ったほど今朝は寒かった。午前10時も夕方帰宅時も−16℃。

■2003/01/16 (木) 一行宣言さっそく挫折  かわいい娘?性格のいい娘?

かわいい娘がいいか、性格のいい娘がいいか、という古典的な議論があるが、それを二者択一であるかのように扱うのは不適切だ。同じ直線上に並ぶ相反する尺度であれば二者択一でいいが、そんなのは、かわいくて性格もいいのがいいに決まっている。

これは食事で「安い」のと「旨い」のはどっちがいい?と聞いているようなものだ。「安くてまずい」と「高くて旨い」の対立はわかりやすい構図だが、安いの反意語は高いで、旨いの反意語はまずいである。「安くて旨い」を望むのは当然で、強いて二者択一にするなら「高くてまずい」との対比に、もしくは「安くてまずい」「高くて旨い」を合わせた四択にしなければならないだろう。背の高さと体重の重さを同じ尺度で比べられないのと同じ構図なのに、引っかかりがちな思考法である。

「安くてまずい」と「高くて旨い」の対立のように、人生は、こういう異なる要素のどちらを優先させるのか、という葛藤の集合に他ならない。そうすると人によって価値観は多様で、個性がそこに表れてくる。そう考えると、最初の古典的な議論は、単に「価値観」すなわち「好み」を聞いているにすぎないことになる。それは好みであるからあくまで「定性的」なものであって、大小とかプラスマイナスで言えるような「定量的」なものではないはずだ。それをふまえていれば、最初の二者択一は成り立つ質問になるだろう。

この文章を書いてみて、別におかしくなかったことを発見してしまった。おかしいなぁ。

■2003/01/17 (金) センター試験

高3の生徒には「頑張るより気楽にやれ」とTake it easy!を紹介したが、私の試験勉強にはむしろ緊迫感が不足しているように思う、と自戒。

■2003/01/18 (土) 安堵

私は塾でセンター英語対策をしてきたが、かなり予定通りの問題が出て安心している。生徒の成績はともかく。

■2003/01/19 (日) 研究の成果

センター英語のアクセント問題に関して、出題されたすべての単語が対策の範囲内であった。これを医学に生かさねば。

■2003/01/20 (月) 寒さの定義

私の住む街は寒い。coldを-10℃、colderを-15℃、coldestを-20℃と定義し、-5℃はnot so cold、0℃をwarmとすると実用的だ。今日はcolder。

■2003/01/21 (火) インフルエンザ

巷ではインフルエンザが流行のようだが、なかなか私には感染しない。テストを乗り切れるのなら、インフルエンザだろうがレジオネラだろうが小型球形ウイルスだろうがなんでもかかってこい。

■2003/01/22 (水) ブラフ(はったり脅し)だな

「今回の問題は、講義をまじめに聞いていた人だけが解けます。他人のノートや資料を見た人には解けません」とかぬけぬけと言う教官が複数いる。学年の100人とも理解力が同じはずはなし、ノートだって100人100様だろう。しかも数ヶ月も前にやったことを覚えているはずもなし、実際にはノートを見て思い出すわけだ。他人のよくまとまったノートを見ることと、怪しげなところがある自分のノートを見ることでは、どちらがより難しい試験に対応できるのか。

問題の本質は、目標が明示されていなく、怪しげなヤマを頼りに勉強しているところにある。何より問題なのは、私には受けようのなかったコマについて、今さら言われても困るのだ。そんなに素晴らしい講義をしているわけでもなし、きちんと医学教育学を勉強してから言ってもらいたい。

■2003/01/23 (木) 寝坊した

行かなくても大きな問題ではないが行った方がいい、というのに遅刻をした。自分がいなくても何とかなるものを判断しているのか、重要なものに関してはこのようなことをしたことがない。

■2003/01/24 (金) 権利の過剰主張

デッドリンクになるかもしれないので、敢えて貼らせてもらいたいニュースが2つある。

 日本公衆衛生協会(石丸隆治会長)は、来月1日に東京・銀座で開催予定だった「2003生活習慣病予防週間シンポジウム」の中止を決めた。シンポは作曲家の三枝成彰氏が講演する予定だったが、禁煙運動の市民団体が「以前から禁煙運動に反対している人物で、ふさわしくない」と再検討を申し入れていた。協会側は中止の理由を「このまま開催しても、効果は上がらないと判断した」と説明している。
 ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケットになったメンバー4人がロンドンの横断歩道を渡る場面を撮影した有名な写真が、禁煙運動団体の圧力で変造されたと英紙サンが21日報じた。ポール・マッカートニーの右手に挟まっているたばこをコンピューター処理してなくし、米ポスター会社が売り始めた。

1月6日の日記に私は喫煙に反対する「ポリシー」を書いたが、この2つについてはやりすぎである。たばこを吸う人は、たばこを吸わない人への影響を考えるべきだ、という視点をはるかに越えて、言論の自由や表現の自由などについてまで影響を及ぼしている。正田邸解体問題についても思うのだが、その運動自体が目的になっているのではないかと端から見ている人に思わせるような運動は、少なくとも私は支持しない。

■2003/01/25 (土) 暖房費

24年あまり北海道に住んできたにもかかわらず水道を凍らせたくらい寒い家だったが、階下に人が越してきてすっかり別世界となった。木造の2階と言うこともあり、10℃以上上昇したのではなかろうか。暖房いらないかも..

■2003/01/26 (日) たばこの経済

たばこが原因であると考えられる疾患のための医療費が年間5兆8千億円かかっているという試算がある。一方たばこ税は年間2兆円であり、たばこ産業とたばこ農家の利益を合わせて1700億円である。

嗜好品であるから、たばこを好む人が病気になるのは勝手だ、という意見に、このような根拠で反対する。嗜好品であるからゆえ、個人の判断でやめたりできることだからこそ、喫煙者のための医療費(5兆8千億円)を非喫煙者が負担する構図になっている現在の健康保険の制度の下では、むしろ不公平だと考えるからだ。喫煙との関連が明らかである疾患の治療にあたっては、喫煙者の場合保険診療を行わない、つまり全額自費負担にするというのなら、まだ許せる部分がある。

■2003/01/27 (月) 行きたい

魅力的。行きたいが3週間お預け

■2003/01/28 (火) 今日はwarm

昨日おいしいドリアを食べたお店にコートを忘れていた。わざわざ電話までかけてくださった。私が調理技術に感心する数少ない店だ。

ついでなので店の紹介などしてみる。こちらの1番上で、現在は3条18丁目から8条17丁目に引っ越している。サラダバイキングあり、コーヒーありで700円のランチ・フェアメニューは価値あり。

■2003/01/29 (水) これでよいのか?

最近の童話には変更が加えられているらしい。ニュースより

「さるかに合戦」では本来、猿に青柿をぶつけられたカニが死ぬが、改変後は大けがに。「かちかち山」でも、泥船のタヌキが沈まずに助かるものがある。「さるかに」を出しているくもん出版では、「乳幼児向けの本なので、残酷な場面や、理解の難しい『死』の概念は入れていない」と話す。

しかし実際にはカニもタヌキも死ぬし、もちろん人も死ぬ。

■2003/01/30 (木) 経験の差

試験に一発で通ることにしばらくごぶさたなため、自信をもってできたと言える科目は少ない。「前回落ちたときよりできた」という感触は、合格ラインを超えたことを保証しないからだ。

■2003/01/31 (金) 今日のいちゃもん

NHK大河「武蔵」とキムタク主演の「GOOD LUCK!!」(TBS系)。日曜夜に放送され、視聴率が計50%を突破する人気の2大ドラマに出演し

%の合計って何だよ・・。「明日の雨の降る確率は、正午までが40%、正午からは60%、計100%でしょう」とか成り立つわけか。