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■2003/07/01 (火) 玄人が素人を見る 素人が玄人に見られる
病院には、どうしてこんなになるまで放っておいたの、という患者さんが来ることがあるという。ちょっと医学の知識があればそれは癌だろうとわかるとか、別に病名はわからなくてもそれはやばいだろうなど。一方逆の状況も存在し、それは心配しすぎだろうとか、誰から聞いたんだとか、怪しい食品売ってる会社に騙されてるんだろうとか、○の○ん○の言ってることの方が信用できるのかよ、などなど。ちょっと医者に来ればわかることなのに、素人判断をして誤っているのを見ると、もうちょっとなんとかできるだろう、と思う。
今日、車を直しにわざわざディーラーまで行ってきた。一応車に対する興味はあるので、自分なりに原因を考えたり、素人なりに詳しい人に聞いたり、ちょっと調べたりして、「あー修理することになったらブルーだなー」と思っていた。その結果、パワステの電気系統か油関係かがおかしいと思っていたことは、単にタイヤの空気圧不足だったことがわかった。わざわざネットでディーラーの地図まで調べて行ったのに、空気を入れてもらって帰ってきた。もうちょっとなんとかできただろう、と思う。
■2003/07/02 (水) 損という種を蒔き、人脈という芽が出る数年後
自分で言うのもなんだが、その辺の人よりは人脈が広いと思っている。全国に広がるネットワークはおそらくそうあるものではないし、前に立ちたがりな性分から学内で私を知る人も多い。このサイトを通じて知り合った人もいるし、カウンターが1日100まで回ることなどを考えると、ある意味たいした有名人だ。バイト先でも、私を必要としてくれている人がいる。便利に使われているだけだろうと思いつつも、気分は悪くない。
NHKから取材の申込みがあった。正確に言うと私を取材するのではなく、私は取材のお世話をしたわけなのだが、そのきっかけとなるつながりは、私が1、2年の時に蒔いたものが縁で始まったものだった。そういう視点で見ていくと、バイトにせよ他のどの場面にせよ、私が「当時」やっていたことを評価してくれる人がいて、それが元でそこには「人脈」ができて、「後に」何かあると私に声をかけてくれる。
今居心地のいい生活をしているのは、昔自分が周りにしていたことの裏返しなのだろうと思うことが最近続いた。短期的に見たときに、損得で言うと損だろうと思うことをやったことは確かにあった。それがゆくゆく自分に返ってくることだと意識はせずにやっていたが、あちこちに張り巡らされたつながりが、年月を経て自分に戻ってきていることを感じて、ちょっと嬉しくなっている。
■2003/07/03 (木) 公然の秘密はやはり秘密である
最近、みんなが知っていることを公表した私が批判されることが続いた。「みんなが知っていることを公表」という日本語が既におかしいが、知らせるか知らせないかということよりも、そのことに言及すること自体が問題なのかもしれない。表向きは秘密とされているが、実際は広く知れ渡ってしまっていることを「公然の秘密」というが、そうしたものなのかもしれない。
もちろん社会的なタブーを口にするのはよくないし、それを聞いて不愉快に思う人がいてもよくないし、声高に宣伝するのが悪いことがあることは知っている。しかしみんなが知っていて、私が言ったからといって現実がどうなるものでもないことならば、あなたにとやかく言われる筋合いはないよ、と言いたくなって腹が立っていた。
「表向きは秘密」がポイントかもしれない。こっちが「秘密」にしていることに対してどうしてあんたはおおっぴらにしてしまうんだ、という思いが裏にあるのかもしれない。そうした「メンツを立てる」ということは実は重要で、どんなに私の言っていることが、正しくても、スジが通っていたとしても、そうした思いを尊重し、認めてあげることを、人間関係を円滑に進める上で大きな位置を占めるのだと、最近気づいてきた。だから、もう少しゆとりを持って受け止めようと思う。
高校の部活のメンバーと会った。ほとんど卒業以来だから6年・7年ぶりになる。もちろん見た目などが色々変わったところもあるが、中身は基本的にあまり変わらず、ごくごく自然に溶け込むことができた。
さて一方、今知り合ったばかりの人と6年連絡を取らなかったら、その関係はなくなってしまうだろう。つきあっていたり結婚している相手と6年連絡を取らなかったら失踪・離縁だ。同じ6年なのに、連絡を取らなくてもそこにあり続ける関係になんだか不思議なものを覚えたが、それはあれだけの練習に一緒に耐えてきたという連帯感から生まれるのかもしれない。
私の場合、今でもつながっているのは高校時代の友人が多いが、多感で自分が完成していく過程を共有していった時期の知り合いは、今になっても心強い。あの頃の3年を知っている人の方が、現在までの3年を一緒にいる人よりも、根本的な部分では頼ることができる。表面的には最近一緒にいる人にはかなわないが、「お前ってこういう奴だろ」という洞察に関しては、あの頃の恥ずかしい自分を知る人にはかなわない。
事情があって、高速道路を高速で走った。速度を書くと問題なので遠回しに書くと、100kmの道のりを40分で走った。夜なので大丈夫だろうとふんでいたが、結構ドキドキだった。新聞に名前が出ると格好悪い。翌日の昼間もまた、やはり高速道路を高速で走ることとなった。
この区間は、固定型速度自動取締装置、いわゆるオービスは1カ所だが、覆面パトカーが暗躍しているとの噂だった。おおざっぱな車種と色の情報を元に、それなりに気をつけつつ走っていた。
覆面パトカーに遭遇する場面は2通りに分けられ、自分より速い速度で走っているパトカーに追いつかれる場合と、自分より遅い速度で走っているパトカーを追い抜く場合である。したがって、前者についてはバックミラーをよく注意する必要があり、後者については抜く車をよくよく見破らなければならない。抜いた瞬間その車につかまるのはかなりブルーだ。
150km/h以上のスピードで抜かしていった車があり、それについていけばまぁ後者に関しては大丈夫だろうということもあったが、さすがにそれはやめておいた。ふと後ろを見ると、追いついてくる車があったので、先に行かせようと思いスピードを少し落とした。出しているスピードに比べて車線変更とウインカーが忠実だったのでちょっと怪しく思ったのもある。
追いつかれてみると覆面で、制限速度を少々超えていた私の車に並んで「注意」をして、さらに先を急いでいった。そして少し行くと、先ほどの抜かしていった車をつかまえているのに遭遇した。
「いやーついて行かなくてよかった」と思い、さすがに他に覆面はいないだろうと思い、快調に走っていた。すると後方より怪しい車がぐんぐん近づいてきて「またか!?」と思ったが、ただ普通に飛ばしているおじさんだった。それをやり過ごしてのほほんと走っていたら、少し行ったところでその車がパトカーにつかまっていた。パトカーを抜かすはずはないので、途中から高速に乗ってきたパトカーに追いつかれたのだろう。
このように、ついていこうか一瞬考えた車が2台ともつかまっているのを目の当たりにした。これを運とみるか実力とみるかは意見が分かれるかもしれないが、つかまるようなことをしないことの他に、つかまらないための対策が存在するのも事実である。
スポーツのコーチも、塾の講師も、医学部の教官も、どれも人にものを教えるという共通点を持つが、その良し悪しについての評価は難しい。教わっている方に評価させるのは普通だが、教わっている方はそのものの全体像がわからないから教わっているのであって、したがって全体に対して自分がどのくらい身についたかがわからないまま、一見した「わかりやすさ」を評価することになりがちである。
勉強で言うと「試験」、スポーツには「大会」があり、それの結果が評価される、と考えることができる。しかしこれは厳密に検討するのは難しく、例えばコーチありで優勝した時にコーチの存在を評価しようとすると、同じ場面でコーチなしで優勝できなかったことを示さなければならない。しかし、例えば高校受験は一生に1回がほとんどだし、そのような「対照群」との比較は現実問題不可能だ。
教えるということは、真面目にやろうとすればするほど手間も金もかかる。そのわりに、方法論がしっかりと確立されていると言うよりは、個性と経験に基づいている部分が多い。ぶっちゃけて言うと、教えるのが好きな奴にやらせておこうという面もある。少なくとも医学教育に関しては、普遍的なものをまとめることに携わるのは私の夢だが、単なる好きな奴で終わるのが関の山かもしれない。
■2003/07/08 (火) 損して得取れ、情けは人のためならずという実習日記1
実習生というのは、ある意味無敵な存在である。まず責任がない、知識がないことを責められない、○○を見たいなどのたいていの希望はかなう、お客様でもあるので上の先生から色々教えてもらえる。ただ、後半の「わがまま」部分については、病院によって個性が出て、忙しいとかなんとか言って親身じゃない病院も存在する。それを見極めるために実習に行った。実習生に冷たい病院は、研修医に対してもやはり冷たいだろうから。
私の方にも落ち度があり、手違いで手続きができていなかった。したがって、研修プログラムもよく組まれておらず、事務方からすれば、研修委員長である先生に一任となった。一日手術室にいて、その後先生が設定した休み時間にも動きたがる私。結局そのまま当直に突入し、救急車を一晩で7台むかえる。ポケベルを持って診察室のベッドで仮眠、鳴って10秒で救急外来までダッシュ、医者みたいな生活だった。
そんな中、プログラムの隙間、空いたところで色々なところに出没し、次から次へと先生をつかまえ見せてもらった。1、2年目の研修医にもついたし、その人たちが指導を受ける姿も見たが、私に対しても、非常に親切に扱ってくれた。こういうことは見返りが短期的にはないだけに、いい雰囲気だと思った。
また、「2年の研修が終わったらどんどん外に出てくれ、そのまま残るのもいいが1カ所しか見ないというのはよくないことだ」という院長の方針もあり、非常に風通しがいい。これも、いいだけ手間暇かけて2年間育てた研修医を手放すのは、そこだけ見ると「損」かもしれないが、そこでの2年のことを「よかったよ」と方々で言われる方がゆくゆくは「得」になるのかもしれない。実際私も、そこで1年研修を受けた先輩の話を噂で聞いて行った。こういうときに「情けは人のためならず」という言葉を使うのかもしれない。
私は医者ではなく医学生ではあるが、医者にとって困る病気の一つが、異常がないのに異常があると訴えることである。病気があって、症状の原因がわかっていて、それに対して治療をするのはわりにたやすい。たやすい、というのは、治療法が簡単だという意味ではなく、その治療法をすればいいという意味で簡単だということだ。
救急外来に来た患者さんにもそのような人がいた。私も医学部に籍を置いて6年目であるから、症状から疑われる病気というのはだいたいわかる。それを調べる他の検査もわかるし、それの異常も明らかなものならわかる。しかし一通り検査をするものの、異常は見あたらず、本人の訴えだけが問題になることがある。
ひょっとしたら難病や珍しい病気なのかもしれない。また、これが単なる詐病であるなどと断ずるつもりはない。おそらくそのような訴えこそが治療するべきものなのであって、その点私のようなプレ医者だったり、駆け出しのいわゆる「研修医」にとって、どのように対処すればいいのかわからないものの代表例だ。
若い医者の方が一生懸命働くし、おじいちゃん先生は頭も固くて、という意見もあるだろうが、身体的な治療が必要ないけれども治療を必要とする患者に対して、それを取り除き安心させて帰ってもらう技というのを、今回の実習では垣間見た。そうした意味で、今回の実習はあちこちのつまみ食いであったが、つまみ食いをした甲斐があったと思っている。
■2003/07/10 (木) privateをどこまで大事にするか
どんな人にも1日は24時間であるから、模式化すると(仕事)+(private)+(睡眠)=24となる。したがって、仕事を増やせば増やすほどprivateが減少する(もしくは睡眠が減少する)。職業選択にあたって、どの程度自分のprivateを重視するか、というのは地味に大きな問題だ。
例えば9時5時の職場を選べばprivateに割ける時間はふんだんにあることになる。例えば外科医をやろうと思ったら、手術だけで12時間かかればもう9時5時は不可能だ。実際の外科医は手術自体よりも術後管理が大変なのであって、手術はしたが急変し、先生は日曜日なので今日はいません、ということにはならないだろう。
こう考えていった時に、自分がどの程度のところを望むのか、どの程度の人生を選択するのか、真剣に悩むことになる。今回実習に行った中で見た先生方は、どうやら昼でも夜でも病院にいるようなイメージだった。仕事としてはそれは非常に魅力的で、そういう医者にあこがれる。
それが仕事として自分が思う最善であったとしても、それが自分の人生にとっての最善であるかどうか、そのことは非常に難しいし、と言うより、そんなのは答えがないものだと思う。そうであっても「一番よかろう」と思うものを選択し続けて、これから生きていくのだろう。
■2003/07/11 (金) 報道を見るのは時間の無駄、と思う理由
当直などに明け暮れている間に、一人の子どもが殺され、犯人と思われる子どもが特定されたという。そういった報道は、私にとって時間の無駄なので見ないことにしているが、行きつけのサイトでの二次的な情報では「加害者にも人権が」とかなんとか言っているらしい。「加害者の親を市中引き回しにする」との発言にも非難があるようだが、一番人権を奪われたのは殺された子どもだ。
「子は市中引き回しの上打ち首獄門、両親には遠島を申しつける」とまで言ってくれた方がよかったのにと思う。現在の刑法では、14歳未満は罰することができないし、市中・・遠島・・という刑罰もない。したがって、これを聞いたときにたとえ話だとわからない人がどうかしている。普通に考えると、単に「親の責任を問うべきだ」という話のたとえ話だと思う。
子どもが罰されないのがどうしてなのか、法律の専門家に聞かなければわからないところだが、子どもは親が保護監督する責任があるとしたら、親の責任は問われてしかるべきであろう。親の責任を子どもがかぶるのとは大きく異なるのだ。教育に原因があるとしたら、教育関係者の責任を問うのもいいだろう。「勉強ができて本も読む子なのに・・」という意見については、「勉強ができて本を読むからそうなった」と言われて反論できるかを聞いてみたい。
そもそも、何が原因であるかを誰もわかっていない現段階で、責任を問うことができるのは、子どもを育てること、また子どもがしたことに対して責任を負うべき人に対してだけだと考える。
こちらのサイトやこちらのサイトやこちらのサイトを参考にして、打ち首獄門の周辺をまとめます。
・江戸時代の死刑の種類
1.斬罪は、盗賊や政治犯などの罪の重い犯罪者を斬首。
2.死罪は、斬首後試し切りに使われる。
3.火罪は、放火犯を火あぶりに。
4.獄門は、斬首後首を牢屋の前に3日間さらす。
5.磔(はりつけ)は、十字架に貼り付け、槍でメッタ刺し。
6.鋸挽(のこぎりびき)は、主殺しをした人を生き埋めにして、希望者は鋸をひいてよい、というもの。
したがって、「打ち首獄門」というのは言葉が不適切で、獄門は必ず打ち首を前提としているらしい。さて、市中引き回しもそうなのだが、各々には「見せしめ」的な要素が非常に強い。近代社会にはそぐわない、残酷で非人道的なものであるのはわかるのだが、その「見せしめ」的な要素が現代社会のどこにあるのか、怪しげなマスコミ報道ばかりに「社会的な制裁」を頼っているような気がする。「第4の権力機関」に対するチェック機関がないと、権力機関は権力機関として認められないのが、「三権分立」という考え方である。
■2003/07/13 (日) 死にも劣る生 死に方は生き方
尊厳死という考え方がある。不治かつ末期の人が生命維持装置を使わず、痛みの除去と緩和処置のみを受けながら、人間としての尊厳を保ちつつ、自然に寿命を迎えて死ぬこと、とこちらのページにはある。生命維持装置で「生かされる」ことに反発して生まれた概念だと思われる。
「どのように死ぬか」という問いは、生から死へ変わる死ぬ瞬間をどうするかと言うよりは、死ぬまでの時間をどのように過ごすのかと言う方が適切であろう。つまり「どのように死ぬか」というのは「どのように生きるか」と考えた方がいい。どのように生きるかを考えることは、実は人生の中で普通に行われており、例えば学校や職業を決めるということであり、私が今直面している例で言うと、何科の医者になるかということである。
自殺は究極の死の選択だが、そこまでいかなくても、タバコだの酒だの高コレステロールだのを食いまくって、さっさと病気になって死ぬというのも一つの選択かもしれない。もっとも医者としては迷惑な話だし、健康保険としては大迷惑な話ではあるのだが。さて、他人に迷惑をかけない限りは、どのように生きるかを選択するのは自由だとすると、イラン双子姉妹に手術中止を説得したの考え方も難しい。
「死にも劣る生」という言葉を使っているようだが、それくらいなら死んだ方がましだ、と言う人を止めることはできるのか。もちろんそれを説得したりする努力も必要だろうが、本人たちがそう思って選択する「生き方」すなわち「死に方」を、止めることができる人などいるのだろうか。私は最もそうした問題に直面する職業を選択したが、正直未だ自分の中で答えが持てずにいる。
■2003/07/17 (木) 医者と他職種の距離感 相手を認められるか
看護婦が医者の指示でしか動けないことはおかしい、という意見がある。アメリカでは看護職の方が医師よりも高い位置にあるとかいう考えもある。もちろん、医療に携わる職種が、患者を中心にお互いに協力し合っていくことが重要で、どっちが上か下かを話すことが不毛なのもわかっている。
しかしながら、やっぱり医者との違いはあるなぁ、と思ったことがあった。緊急を要する出来事が起きて、医者はそれぞれが動いているのだが、看護婦の中には、動いている少しの人と、ただその部屋にはいるものの何もできずにおろおろする多くの人がいる。また、とっさのことで動けるかどうか以外にも、「先生、患者さんが痛そうなのでこの薬(ぼんやりする薬)を入れましょう」「いや、その薬には鎮痛作用はないから」というやりとりもあった。確かに患者さんを観察して何をするかを提案するのは医者より優れているのだろうが、その提案が実効を持たなければ意味がない。
一方私の目から見て、医者よりすごいなぁ、と思うのは、「技師さん」と呼ばれる人たちである。現在の医療は、メスと針と糸だけでできるものではなく、多くの機械・器械を必要とする。それら一つ一つの扱い方をマスターするのはなかなか大変で、それを専門にやってくれる人がいるのは心強い。また、そのキカイに関わる分野に関しては、医学を6年学んだ人よりもよっぽど多くの知識を身につけることになる。この点、すごく頼りになると何度も感じた。
何より大切なのは、彼我の力を正しく評価して、どちらがどちらの意見を聞くのが効率がいいのか、またその上でも、相手が間違っているとなったときにはきちんとクレームを言えるのかどうかを、きちんと判断できることなのではないかと思う。相手の力をきちんと評価するのも、それはきちんとした「力」である。
■2003/07/18 (金) Against Medical Advice
入院させるというのは、それなりに重症であることを示す。そのまま放置すると生命に関わったり、症状が悪化したりすることが予想される。そうした説明を十分した上で、納得して入院してもらうことが理想的には必要だ。
しかし実際には、とりあえず入院させなくては、という医師側の思いと、そんな不自由なことはしたくないと直感的に感じる患者側との間で、十分な納得は得られないまま入院生活が始まる。これはこれで仕方のないことだと思うのだが、実際の入院生活は、日常生活と異なるばかりか、様々な制限によってストレスが多くかかることが普通である。
もちろん、病気の危険性について十分な説明を受けた上で、そうした治療を受けないぞ、という選択枝は存在する。病気と闘って人生を送るのも一つあるし、お酒も飲んでタバコも吸ってさっさと死ぬのも一つの選択である。
中には、医療スタッフに反抗することが目的となる時期の患者さんも存在するし、自己決定権が叫ばれる昨今では、本人の意向を尊重しなければならないので、患者に診療拒否を宣言されると、医療側はそれをそのまま受け容れる。医者側からの感覚を勝ち負けに例えると、勝敗に関係しないもの、もしくは不戦扱いにする感覚があるように思う。
しかしそのあきらめの境地は、本当の医療ではおかしいことではないかと考えた。患者の自己決定権を尊重すると言っても、それが果たして医療を受けることに対する説得がきちんとできていたのか、メリットとリスクを考えたときに勧められる治療であれば、それを患者が選択するように説得するところまでが、医療がするべき仕事だと思う。自己決定権を頭に入れつつ、それをexcuseにしてしまってはいけないのだと気をつけたい。
病院でいうと院長など、「長」と呼ばれる人は何を求められるのだろうか。もちろん、その職に固有の仕事ができなければならない。例えばそれは、お金の計算であったり、事務的な仕事であったり、対外的な交渉であったりする。そうした仕事はどのようなものかを書き出すことができて、それをこなすのはある意味簡単だろうが、それだけでは十分ではないと考える。
一つは「人望」である。どんなにすばらしいことを言っても、下の人がそのことを素直に聞く耳を持ってくれなければ意味がない。次に「思想」である。今あるものにだけ対処していくのではなく、将来像や理想の姿を信念として持っていなければ、活動には発展性がなく、むしろ縮小する。
もう一つは、特に責任感に表れる「態度」である。自分が何かをするときに周りに与える影響、万一何かあったときに自分がどのように責任をとるのかの姿勢など、そうした「背中で示す」態度に深慮が感じられる人だと信頼できる。この「態度」に「思想」を加えたところに、「人望」ができて、その人も周りの人もいい仕事ができることになるのだ。
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