最北医学生の2004年 3月の日常

■2004/03/01 (月) 与えない悩み相談

悩み相談をされたときに、それが深刻な内容になるほど答えに困って、思わず関係ありそうで関係ない話をしてしまうのだが、わりとうまく当てはまったりすることがある。それは、その「関係ない話」が適切な内容であったというわけではなく、そこに悩んでいる姿を投影する話があればそれでいいのか、と考えた。

私は占いを必要だと感じないのだが、一度だけ成人式会場で無料で占われたことがある。そこでのやりとりで感じたことは、例えば手相を見るとか色々やりながらの会話によって、引き出される言葉をうまくやりとりするところがメインなのではないかということだ。つまり、その言葉・表現に迷いがあればそのように、あと一押しが欲しいのならばそのように、それをうまく返せるかどうかが占い師の腕だろう、と。

占いが全く理論がないものだと否定するわけではない。それは最初の「関係ない話」と同様、何でもいいわけではなくて、それなりにきっかけとなったり、うまく話を引き出すために、重要な役割を果たしている。しかし占い師は、何かが見えているわけでなく、本人が見えているものをうまく気づかせる手伝いをしているのではないかと思った。聞かれて答えれば、日頃無意識に流されていることを見直す面もあるだろう。

相談されると、何かを与えようと躍起になって、その苦しみを取り除いてあげたいとか、傲慢なことはたくさん思う。もちろんそうした姿勢を示すことも重要で、悩みを共有したり、一緒に考えるという態度だけでも力になれる。しかし矢印の向きが「与える」とは反対の、うまく吐き出させたり心につかえていることを引き出すことも同じく重要で、そこに意識を持つことが、よりうまく相談に乗ることではないだろうかと思うのだった。

■2004/03/02 (火) ある音楽を聞こうとするかに人間関係が映る

「その曲を聞くとどうしても思い出されて」とかいう単なる感傷的な理由なのかもしれないが、ある曲を意図的に聞こうとしたり、聞かないようにするときがある。自分が好意を持った相手に勧められて聞くようになった音楽があり、その相手との関係がその音楽を聞く頻度に表れている、とふと気づく。その人との別れは、その音楽との別れも意味する。

逆の見方もできて、自分がどう音楽を聞いているかで、関係が推し量れることもある。例えば別れてすぐは、そんな音楽聞きたくもなくなって、しばらく経ってせっかく忘れていたのを偶然耳にして勝手にへこんだりする。そして「聞いてもいいかな」と思うようになる頃には、自分の中で克服できたということだろう。そうした一連のことを全く思わなくなるのがもう一つ上の段階だ。

例えば好意を持っているときも同様に関係を映す。やたらにそればかり聞きたがったり、CDとか買いあさったりしているのは、自分の気持ちが高ぶっている証拠である。順序としては、気持ちによって音楽での行動がある、なのだろうが、最初の気持ちが無意識下であれば、音楽での行動によって自分の思いに気づくこともある。内容が良くても悪くても、そんなふうに期せずして知ってしまうと苦笑する。

これを二段階に応用するが、ある人が嫌っていた音楽があって、そして自分が今その人と離れたいと思っている、という場面において、マイナスのマイナスであるからその音楽を聞こうとしている自分に気づいた。つまり、聞かないことはその相手と同調することを意味するために、普段よりも意図して「聞こうとする」ことで決別を図る。それはわざわざそうしなければ決別できないことも表していて、しかし同時に「そうしたい」という気持ちの表れでもあるわけだ。

毎日こんなに理屈をこねていて言うのも何なのだが、物事が言葉で表現されている段階というのは、随分完成に近い、しかし実態とは少なからず解離した存在だと思うのだ。一方人間が行動する基準というのは、欲とか願望とかもっと基本的でより強いもので、時にそれらと理性のねじれに悩む。その欲とか願望をとらえる手段の一つとして、どのCDをチェンジャーに入れるのかというのが、ひょっとしたら使えるかもしれない、と思ったのだった。

■2004/03/03 (水) 温泉の命名法

温泉の成立条件は2つあり、1.1kg中の溶存物質総量が1g以上、2.泉温が25℃以上、の「いずれかを」満たしていればよい。1を満たさず2を満たすものを「単純泉」と呼び、要するに温かい水である。逆に1を満たすが2を満たさないものは「冷鉱泉」と呼び、沸かさなければならないが、目安として市販の入浴剤以上の成分は入っているということだ。

1を満たす場合、命名法は少々化学の知識を必要とする。成分のうちの陽イオンのmval%が20以上のものを多い順に書き、次に陰イオンを同様に書く。mval%とは大雑把に言うと濃度の単位で、ある程度以上濃いものを書くということだ。陰イオンはCl-が塩化物、SO42-が硫酸などに置き換えるのは、中学や高校の知識であったりもする。例えば1種類ずつで「ナトリウム−塩化物泉」、成分が多彩ならば例えば「マグネシウム・ナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉」となる。

この方法は化学的には正確だが、そのあたりを専門としない人にはわかりづらいため、今でも『旧分類』と呼ばれる分類が用いられている。「ナトリウム−塩化物泉」は『食塩泉』、「マグネシウム・ナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉」だと一番多いイオンで考えると「硫酸マグネシウム」であり、『正苦味泉』と命名される。確かに『明礬泉』とか『石膏泉』の方が鄙びた温泉地にはよく似合う。

正確に全てを網羅しようとすると、一覧表と法律的なルールと格闘することとなるが、上に書いたものでとりあえず簡単な分類はできることになる。これらを文字で見たときに、お湯の様子を想像できるようになってきたら、あなたも温泉マニアの第一歩を踏み出していると言えるだろう。

■2004/03/04 (木) イイタイコトと仮想敵の、執筆という名の戦い

文章を書いているうちに、出てくる結論が自分の意図とずれていることがある。この意図・自分の主張を、受験国語の用語を借りて「イイタイコト」と呼ぶことにする。イイタイコトがあって文章を書き始めたのに、いざできた文を読んでみると、それが伝わらないどころか異なったように伝わってしまうときには、いったい何が問題なのだろうか。

論理の組み立てが誤っている可能性がある。正しい根拠に誤った論理をつけると、当然誤った結論が導かれる。自分のイイタイコトが誤っている可能性もある。1+1=3を正しい論理で説明していくことはできない。しかし、正しい論理で、正しい根拠であるにもかかわらず、思っていたのと異なる結論が出ることがあり、ここが面白いと思っている。

私の文章では、ちょっと話の展開に甘いところがあると、すぐに指摘のメールをいただく。すると私は、「こういう反論が出たらどうしよう」「こういう立場の人も読んでいるよな」などと常に意識しながら書くようになる。その実在する「仮想敵」に論破されるような文章は書かないために、しっかりとした根拠を求めて調べものをしたり、使う論理に誤りがないか再確認したり、文中の表現を変えるなどして内容を試行錯誤して調整していく。

その結果、当初書いてやるぞと思っていた内容とは、時には正反対の文章ができあがったりする。それはイイタイコトが書けなかった「失敗」ではなく、自分にとっては「発見」である。文章を書かなければわからなかった、そして「仮想敵」という読者の存在なくしては、決して到達しえなかったものだからだ。イイタイコトが実は「独りよがり」だったとわかることは喜ばしい。

この「仮想敵」は、自分の中に存在するが、自分ではないために自由な発想が可能である。意地悪にもなれるし、偏見なども持てたりする。無責任で構わないし、間違っていても落ち込まない。会議と違って発言数も時間も無制限だ。2/21に「一人ブレインストーミング」だと書いたのは、この「あーでもないこーでもない」という辺りを表現したのだ。Reikoさん「本当かしら」とリアクションいただいたので、ちょっと自分でも考え直してみたのだが、今日書いた「仮想敵」という表現だって、こうやって書こうとしなければ私の中では意識されない言葉だった。だからこうして文章を書くことは面白い。

おそらく「ブレインストーミング」の正確な意味とは違うのではないか、と思うし、しかし文章を書くことはもっと多くの側面を秘めているとも思うのだ。それはまたの機会に探してみることにする。

■2004/03/05 (金) 読み手を信頼して書く

私が書く文は決して短くないが、それでも短くしようと影では心がけている。その方法の一つとして、Aという意見が一般的だが、Bという意見もあると思う、これらから私はCだと考える、と書きたいときに、思い切って「Bだと思う」とだけ書くことがある。

テーゼがあり、アンチテーゼがあり、そこからジンテーゼが生まれる、という流れを考えたときに、3つ全てを網羅した文章を書くのは確かに親切だ。しかし、テーゼが読者の頭の中には既にあると想定して、アンチテーゼだけを記述して、そこから生まれるものは各々の頭の中に任せよう、とすると、書く量は格段に少なくなる。少なくなると読む負担は減り、書いたことはより効果的に伝わるはずだ。

A、B、Cの3つのうち、イイタイコトはCである。しかし色々考えた末に、Cを書かずにBだけを書くのはなかなか勇気が要ることだ。しかもそれは、Aを既に持っていると仮定しての行動であり、その後を処理する読む人の知性を信頼していなければとてもできたものではない。

その目論見がうまくいかないと、「Bだと思う」と書いたのに対して、「Aという意見が一般的である」とか「Bという意見は特殊である」というリアクションをいただくことになる。中でも「あなたはBだとイイタイのでしょう、でも・・」という内容だったりすると、何も言えなくなっちゃったりする。非常に言い訳がましいメールを返しながら、自分の文章の未熟さを肌で感じるのだった。

文字通り読み取るというのは、ある意味とても簡単だ。正確を期すなら保険の約款や契約書のように記述していけばいいが、それは日用には適さない。読み切れる分量で、自分の視点をきちんと含んで、イイタイコトが相手に伝わるように、と思いをめぐらせ、今日も言葉を組み立てる。

■2004/03/06 (土) 信じられるガイド本

旅に出るとき、何かを食べに行くときなど、ガイド本が活躍する。しかし、いいと思って出かけてみると、期待が裏切られることも経験する。「あてにならない」とか言ってはみるが、他に頼れるものもないので、結局ぶつぶつ言いながらそこに行ってしまう。かくしてそれらの本は売れ続け、それを使った人は満足したりがっかりしたりする。

話の構図として、掲載されるお店からお金をもらっていたりすると、まず悪いことは書けないし、いいように表現されることになるだろう。ここでまず、内容の信頼度はないと考えるのが安全だ。温泉の本の中には、「写真を送ってくれ」という電話がかかってきてできてしまうものもあるという。網羅的に、営業時間や料金などは役に立つかもしれないが、電話で温泉の何がわかるというのか。

いいところだけを選りすぐって載せようとすると、その「いい」とは何なのかというところで、問題が起きる。「いい」と言われなかった人からと、「いい」と書いてあったところを「いい」と思わなかった人からの、両方から苦情が来るだろう。「うちも載せろ」とか「悪く書くな」とかいう圧力を、金銭的にも、それ以外の形でも受けずに通すことができるのか、「全然よくなかったぞ」という反響は無視していられるのか。

結局は主観的なものにしかなりえないのだから、最近いくつか出始めた「○○が選ぶ」という名前入りのガイドが一番いいと思う。その人が自分の足で集めた情報を基本に作っていき、買う側はその人を信じられる範囲で利用する。「なんでうちがないんだ」と言う人がいても、そこがその人には合わなかったということだし、「全然よくなかったじゃないか」という人も、その人とは価値観が異なった、ということになる。

本来こうした本というのは、載せるものを選んだ人、評をつけている人が明らかで、その人を信じられるかどうかで使い方が変わるものだろう。それが不明なままで信じたものを「裏切られた」と言ってはいわば逆ギレだ。あくまで書いた人を信じられるかが先にあって、それを信じないのも一つの選択で、自分とは合わないと思ったものは使わない、自分と考えが合う人を求めて探していく、というのがガイド本のあるべき使い方ではないだろうか。

■2004/03/07 (日) 旅という贅沢

旅の計画を立てるのが好きだ。これは、「あーここもいいよねー、でもこっちもいいよねー」などという、ガイドブックの内容に憧れの眼差しを向けるような、よく見かける光景とはちょっと異なる。一種のパズルというか、多元連立方程式を解くのに近い感覚である。

それこそ時間とお金が許せば、見て回りたいところは全て回ればいい。だが現実は、限られた時間内で、できるだけ安く、あちこちに散らばった見たいところをどう回るかを考えることになる。もちろん全てを見ることはできないし、どちらかしか行けないという選択もしばしば生まれる。

移動手段にしてもそうだ。新幹線など費用をかければ時間が少なくて済む。レンタカーも小回りがきく移動が魅力だ。バスは安いが、便の数とバス停までのアクセスに注意だ。徒歩や鈍行列車は、その土地の息吹を感じるには最も優れた方法だ。問題はその息吹をどこで感じるかで、じっくり時間を過ごすのが自分の望まないところだとイマイチだし、逆にせっかくの場所を超特急で通過するのももったいない。

このように、「時間」「費用」をそこでの「過ごし方」と合わせて検討し、どの言い分を通してどこが折れるかというパズルを組み立てていく。そうして自分の希望だけから作った計画は、まさに芸術品だと自分だけは賞賛できる。観る、食べる、体験する、がバランスよく組み合わされて、地図上でもタイムテーブル的にも美しいと、やはり旅本番もいいものになる。

若い頃はスカイメイトで飛び回ったし、次には青春18きっぷで全国を駆けめぐった。レンタカーを時間いっぱい乗り回したり、新幹線の駅まで時計を見ながら30分歩いたりなど、多種多様な経験をしてきた。計画段階で悩むことも、突如発生するハプニングも、全部含めて旅であり、自分のために時間を使うという観点では、これ以上の贅沢はないと思っている。だから私は旅に出る。

■2004/03/08 (月) 電話が苦手だった頃

いつからか、電話をするのが苦でなくなった。小さい頃は、見知った人であっても、まして会ったこともない人などなおさらで、恐怖感すら覚えていた。途中でわけわからなくなって、泣き顔で親に受話器を渡すことすらあった。それはどうしてだったのだろうかと。

何を話していいのかわからない、というのがあっただろう。相手のリアクションがわからない、というのもよく言われるし、電話をしているのにお互い黙ってしまったときの気まずさといったらない。相手がすごく大人で手が届かないところにいるような気もしていた。そして、一度の失敗はトラウマとなり、幼い心はそれを恐怖と認定した。

話の切り出し方など、自分の意思を相手に伝えられるような気になってきたのは最近だ。相手の立場を適度にふまえつつ、「〜〜していただけないかと思いましてお電話したのですけれども」というフレーズがすらすらと出てくるようになったのは、やはり耳で覚えた真似事だろうか。塾講師のバイト先で、職員が生徒の親と電話で話をするのを耳にしていて、名乗り、用件を伝え、お願いし、苦情に対応し、説得し、という一連の手順を、あくまでお客様」に対する言葉遣いでやっているのは、とても勉強になった。

かつてはやりとりが不要だった連絡事項などが、今ではメールに置き換わったことも関係あるかもしれない。連絡網など返す言葉がそもそもない時などは、会話が成り立つはずがない。今メールでなく電話をかけることと言えば、その「やりとり」こそに意味があるのであって、そこでは、交渉とか誤解を解くとか、そのやりとりがうまくいくことが自分にとって大いに得になるとわかっている。そうなるとむしろ得意とする分野だ。

単純化すると、電話が恐かった頃というのは、電話自体が問題ごとで、それが「目的」に見えていたが、今では電話は、自分のために何かをする「手段」に見えている。この視野が一歩広がることは、どんな話題においても大事なことで、壁に当たったと感じたときには、ぜひとも思い出したい考え方だ。

■2004/03/09 (火) この一年を振り返って

目一杯プラスに考えると、この一年間は「他の人にはできない extra な時間」と言うことができる。医学部6年目、5年にして「この1年間実習に出なくてよろしい」という類い希な通知を受けた私が、去年の4月に取る道はいくつかあった。求められる通り勉強に明け暮れる、学校外の活動に精を出す、部活に打ち込む、などだが、私は病理の研究室の門を叩いた。このときは、大学に居場所が欲しいという動機が先行していて、あまり深い意図はなかった。

学問的に学ぶ、という面では期待を大きく裏切るものだった。体系的なものをじっくりできるとイメージしていたが、病理はもっと実戦的なものだった。教科書的な知識の蓄積というのはただの出発点にすぎなくて、それを持った上で年齢・性別・頻度・経過などその人を総合的に考えていく、そこはまさに医療の第一線だった。私の期待のような小さなものにとどまらず、裏切られて本当によかったと思う。

人の面でも、わけのわからん居候にみんな温かく接してくれた。具体的に何をしてくれたとか、こんな言葉をかけてくれたとかいうのももちろんあるのだが、人と出会って一番いいのは、その人の「生き様」が見られることだと思っている。医師という仕事に対して、また他のことに対する「姿勢」というのが、よく人生を表していて、そこに見るべきところがあるからこそ、いい関係だと言えるのだろう。そんないい関係にたくさん出会えた。

この1年の体験をバネにして、という言葉は、自分の人生が唯一無二のものであると思うのであまり好きではないのだが、これから確実に生かせるものをたくさん手に入れた。これをどう花開かせていくかは自分にかかっていて、何か形で恩返しをするよりは、その花を見てもらうことが一番なのではないかと思っている。

■2004/03/11 (木) 人にお金をかける

吉野家に関わる本など読んでいて、成功のポイントの一つに「人材養成」というのがあって、人を育てるためには金とか暇を惜しまない、という発想に感心していた。確かに短期的には損かもしれないが、100万円を貯金して取っておくより、100万円を留学でも習い事でもいいのだが、人を育てることに使う方が、ゆくゆくは100万円以上の価値を生み出すのではないかと考えた。そんな実習初日。

■2004/03/12 (金) 医者には技術か態度か

こういう極論は現実離れしていて、「両方必要じゃん」という当然の突っ込みが入るだろうことは承知の上であえて。守秘義務の関係上、病院での実習中に知り得た話を適当にぼやかせたり、頭の中で勝手に作ったりして書いていることをご了承下さい。

「(狭い意味での)医療技術に優れているが、患者の気持ちを思いやれない医者」と「患者の気持ちをよく思いやれるが、技術面ではやや劣る医者」という対比があったときに、どちらがいい医者なのだろうかと考えた。もちろん両方必要だし、「ない」と言っても全くゼロだという想定でもないが、思考実験としてこう挙げる。

一人の医者は、患者から必要な情報をてきぱきと聞き出し、検査などの結果をふまえて診断をつけ、「今までこんなことになったことはなかったから、夜だし不安になったので」と言う患者に対して、「検査の結果から心配ないですよ」とどのような検査でどう心配がないかを一つずつ説明していく。

もう一人の医者は、もちろん同様に検査するのだが、「今までこんなことに・・」と言えば「今までなかったら心配ですよね」と答え、「夜だし不安に・・」と言えば「夜だと不安になりますよね」とまずは気持ちを受け止める。もちろん最終的に「心配ないですよ」と伝えるが、患者さんが持っている不安に即した形で説明していく。

検査結果をどう分析するか、今ある情報からどのような判断をするか、という点の、医者の間の力の差というのは確かに存在して、腕がいい・悪い、診断が早い・遅い、正確だなどの技術的な優劣はある。しかしその差異が、すぐに命に関わるようなレベルでないのであれば、後者のように患者さんに即した対応を私はしたい、というところで、自分の医師像が問われているように感じた実習二日目。

■2004/03/14 (日) 人との出会い

初対面の人と話すと、色々新たな発見がある。自分になくて相手にある「知識」はもちろん、同じものに対する「見方」の違いも、自分に新たな視点を与える。そこには、その視点から見てわかることの他に、そういう視点が存在したのか、という発見もある。

日常のプライベートでの人間関係は、好きじゃなきゃ一緒にいないのが原則である。わざわざ嫌いな人と一緒にいることはない。これを長年続けると、自分のことをわかってくれる人と多く接することになって、すると自分と似ている人が周りに増えてくるのも自然なことだ。

そういう人に囲まれると、自分の存在は確かなものとなる。居心地もよく、否定されることも少ない。しかしそれは、いつのまにか自分に足りない部分を誰も指摘しない構図も作り出すのではないだろうか、と不意に初対面となった人と話をしていて感じた。

確かにその人は、自分に会う以前からこの世の中に存在し、その考えも会う前から存在していたはずである。問題は存在ではなく、それが自分と接点を持つかがポイントであり、その接点を持つかどうかが「出会い」であると思うのだ。

ないものを生かせないのは当然であるが、そこにあるのに縁がなくて生かせないのはもったいない。選り好みして、その縁を狭めて受け入れないよりも、できるだけ多くの人とつながりを持つことを心がけていきたい。それがその時良いと、悪いと感じても、自分の心の深さにいい影響を与えてくれるだろうから。

■2004/03/15 (月) 救急車に乗った

全国の自動車運転免許を持っている人へのお願いである。車を運転している以上、緊急自動車が近づいてきたことにいち早く気づく義務がある。私も確かにガンガンに音楽かけてたりするけど、ミラーに赤色灯が映ったら、すみやかに次の行動をとることが必要だ。真後ろにつかれてからあたふたしても困るしかない。

次に対処法だが、交通の教則であった「道の左側に止まる」は、必ずしも最善ではない。片側一車線なら、対向車線も含めて左側に寄って真ん中を走るのが理想形だが、何車線かある場合は、右車線は右に寄り、左車線は左に寄り、三車線あれば真ん中を空けるというのがいいと感じた。右端の車線から「道の左側に止まろう」とするのは、危険だし合目的でもない。

高速道路にも乗ったが、ETCなしでお金を払わず料金所を通過したのは当然初めてだ。ああまで信号無視もできるものではないし、46kmを17分で走り抜けたスピードにも憧れる。しかし、行きの救急車がそのくらいのスピードで走っていて、同乗していた先生方が居眠りしていたのは、まぁ慣れとはそういうものかと。

ドクターヘリというのもあって、噂ではなかなか苦労しているようだが、こうした特別の体制があって助かる命というのは、裏返して考えるとなかなか簡単にコメントできないようにも思えるのだ。車より熊が多いと揶揄される高速道路が北海道にあるが、それで助かる命も確かに存在し、高速道路の建設費用と命の比較になるのは、今の私の手には負えないテーマだ。

■2004/03/17 (水) 私が医者を志した理由

なんだか密かに流行っているので私も書いてみる。医者を志すかそれ以外を志すかが最も問われるのは、大学入試というタイミングである。浪人して大学に入る人もたくさんいるし、浪人して結局、医学部以外に入ることを選択する人もたくさんいる。今書くのは当時の記憶を思い起こしたものであり、今もこうした気持ちで突っ走っているわけではないことをお断りしておきたい。

高校に入り、なんとなく大学選びをし始めた。理系の勉強が好きだったこともあり、理系の大学に行くのだろうと信じていて、そしてその中で色々調べて迷っていた。学問を当時理解するのは困難で、幾分イメージできるものとしてそこに職業があった。

自分の力を社会に生かそうという意識があった。どちらかというと、それはいわば「社会への恩返し」であって、恩が何かはよくわからないままでありながら、みんなのために何かをするのは当然だと思っていた。その恩返しの手段としては、自分の適性を生かして、他の人が頑張ってもできないものに自分がなること、そして他の人もその人が得意なことをやれば、きっと世の中うまくいくと信じていた。

そこで選ばれた職業は、科学者とか技術者などの、技術を身につけ、それを実世界に生かすものだった。薬を作る系の薬剤師とか、応用物理とか、日々数式とか化学式が活躍しそうである。確かにその辺りの勉強なども得意だという意識があって、きっと自分も楽しいだろうと。

次の段階で、いわゆる理系の、理論でしっかり詰めていける内容を、理屈で割り切れない分野へ応用することがいいのではないかと考えるようになった。これは「社会科学」などと言われるもので、今考えると大学の文系学部の研究でよくやられているが、普段は数式など使わない分野に対して、数値と数式を使って分析するというところを志望するようになった。イメージとして「文系と理系の橋渡し」という感じだった。

そうこうしていたのだが、いくつかきっかけとなる出来事はあって、結局医学部を志望することになった。そこで一番大きな力になったのは、ある程度理論がある「医学」と、ある意味全く理論がない「現実」の橋渡しをする「医療」に対する興味だった。根拠は特にないのだが、医者という職業は他の橋渡しに比べて、その隔たりが大きいと思えた。そして大きい、困難だからこそ是非やりたい、と。

ここ1週間ほど実習に行ってきて、紙の上で学んだ知識を実践する機会に少しだけ恵まれたのだが、今でも医師におけるこの「ギャップ」は大きいと思っている。とことんやればキリがないとか、決まった答えがないなど、しかしその中でも確かに「いい方法」というのは存在するし、少しでもいい方向を探るのに自分の力を注ぐことができる。こうして今でも最初の気持ちと矛盾なくいられる自分は、ずいぶん幸せなのかもしれない。

■2004/03/18 (木) 選ぶ人生

この1週間は病院実習に行った。ほんのいくつかの病院しか目にしていないが、各々でずいぶん雰囲気が違うと感じた。いいところもあれば悪いところもあり、全てを兼ね備えたところはなかなかない。例えば内科が得意なら外科がやや劣ったり、研修医が色々経験できるけど手取り足取り教えてくれないとか、あちらを立てればこちらが立たず、という面があちこちで見られる。

もちろん、できるだけたくさんのものを手に入れようとして、努力はするつもりだ。しかし現実は、何かを選択することは、同時に別の何かを選択しないことであり、意識しようとしまいと「人生を選ぶ」ことは、何か他の「人生を選ばない」ことでもある。

例えば医学部に入った時点で、他の学部に入る選択を捨てたわけだし、ある科に専攻を決めたら他の科の専攻を捨てたのと同義だ。両方を手に入れるという欲張った選択もあるが、それは一つを専門的に深くやることを捨てている。

人生は有限で、その間にできることも有限だろう。その有限な自分に対して、やれることは無限に広がる。何をやるか、そしてそれをどうやるか、選択肢は無数にある。そこで自分は何を選ぶのか。

これまで、色々なことに興味を持って、何にでも手を出してきた。間違っていたとも思わないし、後悔もないが、これから何かをやろうとしたときには、あえてそれ以外を「やらない」ことも大事かもしれないと最近は思う。夢がないかもしれないが、本当に力を出し切ろうとすれば、ある程度力と時間を集中させることも必要だろう。一見マイナスの選択のようだが、それがさらに大きなプラスへつながるものと考えて、勇気を持って「選ばない人生」を選んでいきたい。

■2004/03/19 (金) 国試サポート0日目

普通は2回で卒業する国試委員だが、訳あって3回目もまたサポートに回っている。受験生全員の顔と名前を知っているのでやりやすい。全国の受験生の健闘を願ってやまない。本当に自分は仕事好きなのだと思って動いている。

いいことなのかどうか知らないが、ホテルの駐車場のおじさんと、某公的機関の受験票受け渡しの係のおじさんに、1年ぶりなのに顔を覚えられていたようで、嬉しいような、なんというか。

■2004/03/20 (土) 学年の運命を左右する

「営業」という役職は、自社製品を売るためにこびを売ってへこへこしているなど、あまりいいイメージがなかったのだが、その人の売り込み方次第で、例えば百万単位でお金が動くことなど考えると、実はとても重要であると気づいた。

国家試験における国試委員の役割にはその辺りも含まれて、営業は会社からはされる方であるが、学年の100人がどのような勉強をするかについて、絶大な権限を握ることになる。「みんなでこの模試を受けましょう、いいものですよ」と言われれば、任意申し込みであっても多くの学生はそれに時間とお金を割くことになり、その質いかんではいい影響も悪い影響も与えることができる。

それが全体から見てどのくらいの割合なのかはわからないが、運命を左右しうる立場にいることは確かだ。そこには、適切な判断力と、情報収集力と、社交性とか説明をして納得してもらう力とか、様々なものがあるに越したことはないだろう。一つの例を挙げると、有益な情報を流すことができるのかは大事なポイントだが、有害無益な情報を「流さない」とこができるかもまた、同様に大事なポイントである。

正直、3年目にしてようやくわかってきた。

■2004/03/21 (日) 結婚式と結婚というもの

いとこが結婚して、昼間は仕事で結婚式には出席できなかったので、日付が変わったホテルに押しかけた。新郎新婦とはもちろん話をしたが、新婦の両親、つまり私からみた叔父・叔母と、結婚について朝まで話をした。私と姉が、若い世代の代表だ。

結婚式は、いったい誰のためにやるのかわからない、という主張をした。もちろんそれがいいと自分で言う人はいいのだが、披露をすることに意義が見出せないと私は思う。どうせ会うなら話をしたいし、衣装替えとかで主役が引っ込んだり、誰だかわからない来賓の挨拶があったりして、当人たちが主役になっているようには思えないからだ。この点今回のいとこの結婚式は、衣装替えもなく、来賓もなく、なかなか良かったようだ。

結婚自体が、別々の家同士が新たな交流を持つことを意味している。そうすると、それを始めるべく、顔合わせや挨拶をするのは当然で、そうした目的で式を行うのは必要だと思う。しかしこれは、ウエディングドレスや教会とは何の関係もないはずで、少なくとも私は、それらと関係がなくてもいいと思っている。

親の意向と子どもの意向が一致しない時に、どうしていくのかも話をした。基本的には、子どもの結婚式がまるで親のものであるかのようになるのは、おかしいと思っている。かと言って、子どもの意向を完全に通して、親が描いていたような結婚像を無視することも現実的ではない。この点は、十分意見を聞きつつ、妥協点を探しつつ、しかし自分の言い分を通すという、大変手間のかかる作業が必要となる。考えただけで面倒くさいが、もしも結婚したいと思うならば、そのくらいの困難は乗り越えるようアドバイスされた。

そして結局、どうして結婚というものがあって、どうして結婚したいと思っていたのか、という、根幹に関わる部分を考えるに至った。ここについては、未だ答えが出ていない。

■2004/03/22 (月) 国家試験終了

今日で国家試験も終わり、無事にお世話も終了した。具体的な仕事の内容・意義・工夫などは後日まとめることとするが、人と人とのつながりをあちこちで感じたことを書く。

丑三つ時も過ぎた頃に、眠れなくて不安だという電話で起こされた。話を聞いて、不安を受け止め、大丈夫だと言ってしばらく話すうちに、やや落ち着いて、その後なんとか眠れたという。委員だからというだけではなく、その前の人間関係があった上でのご指名だったが、そうしたサポートは非常に価値があると感じた。今回の国試の最大のやり甲斐でもあった。

また別な人だが、難しい科目が終わった後などで、周りの他の大学の人は知らない人だし、同じ大学の奴らもいつもに比べて完全にイッチャッタ顔で、不安が溢れてきているときに、イッチャッテいない私の顔を見て安心してくれたそうだ。受験生でない私にすると、そこに立っているだけでいいのならば楽なものだが、受験生があそこまで丁寧なお礼をしてくれる裏には、具体的にした仕事以外に、そこにいることとか、応援していますよとか、いつでも支えになりますよ、などという、存在の面から役に立てたことがあったのではないかと思っている。

今書いたような、決して第三者にお金を払うことでは得ることができない、人間と人間の直接のつながりこそが、私を国試委員の仕事に駆り立てる原動力ではなかったかと、5年間同級生だったという、特に関係の深い学年の国試を終えて感じたのだった。多分人と人とのつながりというのは、理屈で言えるものばかりでなくって、信じることができるとか、頼りたくなるとか、なかなか数値化できないけれど心の多くを占めるものが、大事な要素でないかと思うのだった。

■2004/03/23 (火) ホテルマンに学ぶ態度

医学生は「OSCE」と呼ばれる試験の中の「医療面接」という科目で、患者さんとの話し方を勉強する。共感の方法、自己紹介の仕方、座る位置、視線の合わせ方などから、こういうときにはこういう台詞で話を引き出していく、などの、信頼関係を築きながら必要な情報を得る「テクニック」を教えられる。

もちろん個人差は大きく、何もしなくても話しやすい雰囲気を醸し出す人もいれば、「それは大変ですね」と頷きながら言ったとしても、どうにも嘘っぽい人もいる。学生が態度について学ぶのはこれが最後で、ある程度以上昔に医者になった人であれば、こうしたトレーニングを受けていないのが大半なのが現状だ。

ホテルの人と話をしていて思うのだが、私たちが学んだよりもはるかに高度なことをしっかり身につけていると感じる。こっちが喋っているときには決して口を挟まないし、どんなに無理難題を言っても「かしこまりました」「とんでもございません」などと笑顔で返されると、それをするのが難しいことを知っているだけに、さすがはプロだと感心する。なお、「とんでもないです」が正しい言い回しであることは知っている。

おそらくは、接客業と呼ばれる人は、入社してすぐからこうした教育・訓練を受けているのだろうと思う。それをせずに医者になれるという現実もおかしいのかもしれないが、気を抜くと、相手の話がまだ終わらないうちに「いや、それは・・」と口を挟んでいることが多い自分に気づいて、自戒の思いを強くするのだった。これからの時代は、医者も接客業並みの態度も兼ね備えなければならないと、密かに予想している。

■2004/03/25 (木) 「いい温泉」という価値観の違い

「あそこの温泉いいよね」という話をしていて、「ちょっとそれはどうだろう」と思うことは結構ある。価値観の相違といえばそれまでだが、「温泉」に求めるものが違えば、当然その評価は分かれてしかるべきだ。

評価のポイントとして、まずは「お湯」がある。お湯の種類と濃さ、それが循環なのかそのままなのか塩素が加えられているのか、ジャグジーでどんどんお湯を劣化させているのか、1週間に何回お湯を替えるのか。通ぶった内容なのかもしれないが、温泉が温泉たるにはお湯が最も重要だ、と私などは思う。

次にその「施設」である。ホテルか旅館か、その特定の施設がどうなのか。大きさはどうか設備はどうか、古いか新しいか、きれいかきたないか。ハードの面がもちろん大事なのだが、それよりもそこを管理する人の心遣いが端々に現れているかというソフトの面もまた、注目すべきであろうと考える。

もう少し視点を広げて「温泉街」という規模もある。温泉と温泉が連なって温泉街を形成し、そこを歩く雰囲気とか、湯めぐりができるようなシステムとか、狭い意味ではライバル関係である温泉の施設同士の協力なくしてはできないことも、実際来た人の満足としてはそれなりに大きな位置を占めうるだろう。

こうしたいくつもの視点を分けて考えることで、「お湯がよければ施設は立派じゃない一軒宿でいい」という気分なのか、「風情のある温泉街に立ち並ぶ、個性のあるこぎれいなホテルでゆっくりしたい」という気分なのか、各々に合わせた温泉を選ぶことができる。そのポリシーをしっかり持って、似たような考えの人と、一緒に行ったり情報を交換すると、双方満足できるのだろう。

■2004/03/27 (土) じっぽ先生を囲むオフ in 福岡

最初は気軽なノリだった。昨年12月のあねごとのオフの時に「他の日記作者さんにもお会いしてみたいわー、スミ教授とか、じっぽ先生とか(他の人もいたが紙幅の都合で割愛)」と言っていたあねごに対して、賛同した私が「じゃぁ会おうじゃないの、3月に。」と返す刀で言ったのが発端だった。「訪問者が本当に知りたい20の質問」の20番の答えを思い出し、「Nokoも呼べばいいじゃん」とあねごに提案し、彼女の卒業旅行の中で計画は進み、お忙しいじっぽ先生の都合もなんとかつけていただいて、無事に集まる運びとなった。

先にあねごとNokoと合流し、じっぽ先生が取って下さったホテルに驚いた。こちらがあたふたしている間に「4人分まとめて取りました」というメールをもらって、わかってはいたもののその気の回し方に驚いて、「今回は女性もいるから」という言葉というのは、こうした方向に向かうのか、という深さを学んだ。お洒落で素敵な、それでいて便利な場所にあるいいホテルだった。

じっぽ先生の仕事が終わるのを待つ3人は、そのまま「ラーメン→花見ツアー」へと繰り出した。かの有名なラーメン屋で行列し、(主に私が)いくつもの替え玉をぺろりと平らげ、満足して腹ごなしも兼ねて歩き始めた。桜は咲き始めから満開の中間で、「気の早い彼はもう咲いているんだ」「私だったら絶対早く咲くな。フライング」という声が聞こえたような気もする。擬人化というか、むしろあなた方が花ですか。

人見知りをするNokoのぎこちなさ加減を横目で見ながら他愛もない話をして、出店の屋台が連なる花見真っ盛りの公園にたどり着いた。宴会の場所取りのヒモを張る方法とか、不意に見晴らしがいいところとか飛行機とか、私だったらあの木の上に秘密基地とか、組長と子分の一人芝居とか、色々なことに感心しながら結構歩いた。ほどよい疲れと夜への備えを考えて、買い物の後ホテルに戻り、睡眠を取って先生の到着を待った。

さていよいよ到着、ということで、「女性陣を起こします」との私のメールに対して、「今からロビーで待ってるから」と言わずに「10分後にロビーで」という細かい気遣いに「やるなぁ、この人」との思いを強くした。「あー、初対面の人に会うのは緊張するなー、行きたくないなー」と思っていたかもしれないが、とりあえず来て下さったことは嬉しかった。

じっぽ先生と感動のご対面をして、こんなに大人の雰囲気だなんて、というのが、失礼ながら率直な印象だった。たかだか5才かそこらしか違わないのに、こういう感じにはなれないよねぇ、と、さっきまでカバンに恥ずかしいものをつけて喜んで街を歩いていた私は、あねごとともにその思いを強くしたのだった。会場に向かうまでは「リアルワールドなのにHNで呼び合うなんて」などと、こそばゆく思っていたようだが、オフ会というものにもだんだんとなじんでいく先生の姿があった。後ろからはテンションが上がってきた二人の声も聞こえていた。

オフ会らしく、オンラインでは言えないサイト管理の大変さ、読んでいる共通のテキスト、嬉しい訪問者、困った訪問者、サイトの歴史、恥ずかしい昔の自分のサイト、などなど、身近にそのような話ができる人がいなく、かつ似たような境遇にいる管理人たちが集まったからこそできる話に花が咲いた。じっぽ先生は、こちらが考えている以上に色んなことまで考えていて、自分と相手の二人称の関係だけでなく、その二人の関係を外から見る三人称的な視点までを、常に自在に考えている点が印象的だ。

本来は、じっぽ先生に気を遣わせないようにとこちらが気を遣うところのようにも思うのだが、正直途中から試合を放棄した。こちらから呼び出しておいてなんなのだが、常にこちらの上を行く気遣いを感じるたびに、もう大船に乗ったような、すっかりお任せしてしまうような、ゆったりした気分で過ごさせてもらおうと腹を決めた。こちらが楽しく過ごすことが、ここにいる人の楽しさにつながるだろうと考えて。

オフレポであるから、参加者について言及しなければなるまい。あねごは国試から解き放たれた、安堵に溢れる表情をしていた。芸人魂はそうそうなくなるものではないが、自然体でリラックスしているようだった。自分をびしばしと分析し、斬っていくところはまた新たな発見で、そうした攻撃力と、実はシャイで心配症な部分のどちらも併せ持つところが、人を集める目には見えない魅力となっているのではないだろうか。

Nokoはサイト以外のつながりが先にあって初対面ではないために、感じ方がいわゆるオフ会とはちょっと違うのだが、サイト上でのイメージとか、文章から想像するような人格というのはごく一部だというのは書いておくべきかもしれない。確かにあそこに書いてあることは本当で、自分の頭の中で考えていることそのものだということなのだが、実際は多少の引っ込み思案と、うち解けてしまえばどうしようもなくくだらない話もどんどんする、という両方の面を持っている。どちらかと言えば、じっぽ先生に似ている面もあるかもしれない。

さて、オフラインでの情報がまるでなかったじっぽ先生だが、基本は「優しいお医者さん」と「素敵な『青年以上おじさん未満』」のイメージを合わせてもらえば間違いないが、「あぁ、やっぱりこの人が書いているんだなぁ」とこちらが感じられるところも垣間見えた。オフ会に誘うと「いやぁ、僕はいいよ」と、とりあえずなりそうなところに始まり、「そんな自分なんか..」という謙虚な姿勢が(もしくは弱気な姿勢が)ちらほらと散見された。

それは単に、性格としてそうなっているのではなく、まず自分の思いや行動があって、次にそれを見る人を想像して、そしてそこでどう映っているのか、どう思われているのかを考えて、そこで何かぶつかっていれば自分が一歩下がろうという、相手の立場を考えてそれをうまくしたいと思っている、気配りの延長上にあるものだと感じられた。言葉でうまく書けないのが残念なのだが、常に一歩先まで及んでいる考えを、自分が心の中で進もうとする先に見つけるたびに、その懐の深さに大人の余裕を感じるのだった。

その力を、いつもは目の前にあるパソコンを通じて数あるサイトにぶつけている様子を見ていたが、それは実際に目の前にいる人にも同じように向けられて、言いたいことを、ふんわりと、しかし、しっかりと包み込むようにする、そんな人柄を感じることができた。是非ともまた頼りにしたい、そしてあそこではできなかった「男と男の話」をいつかこっそりしたいと思った、そんな貴重な出会いがあったオフ会だった。できることならあんな風に年をとりたいものだ。


★他の3人の視点からこのオフを見てみる。(年齢順)

「はじめてのおふかい」〜3大サイト管理人(+1)、博多に集結!
040327 博多でオフ会。
●特別企画●オフ会レポート・じっぽ先生召還大作戦!天神の夜は更けて…

■2004/03/30 (火) 仏作って魂入れずのシステム導入

他人の作ったプリントで授業をすることは難しい、というのが塾の世界の常識だ。プリントと講義中に喋ることとの両方が相互補完的にあって初めて成り立つので、片方をそのままにすれば、もう片方もそのまま真似する必要が生まれてきて、それは事実上不可能だからだ。

自分の中では全て形にしたと思っていても、やはり文字には表せない部分があって、そこが思想とか態度の面で本質的になることがあるような気がする。自分がやってうまくいったやり方を、後輩たちが引き継がないで「なんだよ」とふてくされることは正直あるのだが、そのままやってうまくいくなら、自分がやらなくてもよかったということにもつながってくる。

あるところでうまくいっているやり方を、見学などに行って盗もうとするのはよく思いつくのだが、盗みきれずにうまくいかない原因は、こういうところにあるのではないかと考えた。具体的には、うちの大学で取り入れた新しい医学教育のシステムが、本家とは対照的にうまくいっていないことの原因の一つに、システムは導入したがそこに魂を入れる「人」がいなかったことがあるのではないかと思うのだ。

形を学び、真似ることはある意味簡単で、一見似たことを実行するのは比較的容易だ。しかし問題は、本当に盗むべき思想とか、人の考えみたいなものを、どのくらい取り入れることができているのか。形を教えると同時に「人を育てる」要素も重視しなければならないと思ったのだった。手間も暇もかかるが、持続的な成功のためには必要不可欠であろう。