最北医学生の2005年 2月の日常

■2005/02/05 (土) バリアフリーではなくユニバーサルデザイン

今住んでいる家は、88歳になる足の不自由な祖母と同居するために設計された。祖母が生活するために障害となりそうなところは、いわゆる「バリアフリー」になっている。段差がない、手すりがある、浴槽に入りやすい、車椅子でも入れるトイレ、靴を履くために座る椅子、玄関のスロープなどである。残念ながら、祖母は家に住むことなく亡くなってしまい、それらの設備は空振りに終わったかに見えた。

それではそれらの「バリアフリー」は無駄になったのか、というとそうでもなかった。父は手術をして結局15キロやせたが、ちょっとふらつきそうな時に、そこにちょうど手すりがあるのだ。父ばかりではない。私は膝が良くないのだが、玄関の靴を履く椅子は、私にまさにうってつけで、膝を曲げてしゃがみ込まずに出かけることができる。

バリアフリーの住宅を造るというと、何か特別な「障碍」を想定して、その障碍を持つ人のために「特別な」設備を作ろうとしがちである。例えば車椅子が段差を乗り越えるためにリフトを設置、などであるが、ではそのリフトは、同じ段差を越えようとする半身麻痺で杖を使う人には使えるのだろうか、目が不自由な人にはどうだろうか、と考えていくと、そもそも最初から段差がなければいいじゃないか、となるのが自然だ。

最初から「全ての人のため」に設計されたものを「ユニバーサルデザイン」と呼ぶ。もちろん真に「全ての人」となるのは難しいが、上の例では、段差をなくすことがよりユニバーサルだと言えるだろう。そうした意味で、この家は「バリアフリー」と言うより「ユニバーサルデザイン」だったのか、と、父がごく自然につかまった手すりを見て感じたのだった。

年齢的には、30年後には親の年になり、同じような体の問題を抱えていても不思議ではないわけだが、そうなってから慌てて対策を立てるのではなく、最初から用意しておく方が優しいと思う。それは単に年月と加齢によるものばかりでなく、父のように半年前には想定もしなかったことで必要になるかもしれないし、それこそ事故に遭うかもしれないし、私の膝は60歳から違う祖母と同じ対策が必要とされていた。

つい、そうした対策が必要である人を「向こう側の人」と捉えてしまうが、自分のことであるように考えておく方がいいだろう。いつ自分に関わってくるかわからないし、意外とその境はすぐそこにあると思うのだ。「特別な対応」だと思わずに接することは、将来的に自分が「特別な対応」をされないことも意味することになる。手を煩わせるという余計な気遣いを、自分がそうなった時に持ちたいのだろうか。

この家は100年は持つ、と建築会社の社長は言っていた。話半分に50年だとしても、私はもうすぐ80の声を聞こうかという計算だ。自分に優しい家で良かった。

■2005/02/15 (火) 団体競技の面白さ

バスケットは5人で行うスポーツで、1試合の得点が60点から80点くらいで勝負が決まることが多いのだが、1人で20点取ればチームトップになることが一般的だ。ところがたまに、チームの中で一人だけ異様にうまい選手がいて、40点とか50点とか取ってしまうことがある。他の選手はそれほどでもない時には、そのうまい選手にボールを集めてしまい、合計点数で相手を上回れば勝てる、という作戦を採ってくるのだ。

このようなチームと対戦するにはいくつか作戦があるが、一見理に適っていそうなものとして、こっちのチームの一番強い奴をそのうまい選手にぶつけて、真っ向勝負で戦いを挑む方法がある。しかしこれは、そこで消耗し合うことが、こちらにとってもダメージとなる危険を含み、反則がかさんだり、結局そんなに止められなかったりするとまずい。一番強い奴をぶつけて止められないと、味方が受けるショックも大きい。

最も効率的な作戦は、うまい選手を放置して、それ以外の選手にきつくあたることである。その選手が超人的なパフォーマンスで50点入れたとしても、こっちは普通にやれば60点入れられるのだ。うまい選手以外を0点に抑えれば難なく勝てる。そして、他の選手に強くあたってミスを誘うと、うまい選手はストレスがたまる。自分がやればああはならないのに、さっさとボールを回せばこんなことにならないのに、何をやってるんだ、と思ってしまう。

実はそこが一番の思う壺なのである。チーム内の関係がそんなではうまい連携が取れるはずがない。自分自身のパフォーマンスも落ちてくる。いいだけ他人に言っておいて自分が失敗してはいけない、と勝手に作ったプレッシャーや、実際失敗した時に周りが責める、もしくは周りに責められると自分を責める気持ちなど、どんどんドツボにはまっていく。もちろん周りも、また怒らせたらまずいとか、どんどんやることが萎縮していってしまう。

宮里藍、北田瑠衣ペアがW杯女子ゴルフ団体で優勝したというニュースを聞いて、これはなかなか難しい部分があっただろうな、と思ったのだ。実力としては、宮里選手の方が上であろうから、常に「足を引っ張る」「足を引っ張られる」という思いがあったと予想するからだ。ましてゴルフは、普段は自分だけとの勝負であり、そうした仲間との関わりが「不慣れ」であろう。

その不慣れを克服する様を想像すると、この優勝はいつもとは違ったものになったのではないだろうか、と予想しながら見ていた。そこを克服することがスポーツで面白いところだと考えるし、自分が悪くなくても負けるような団体競技をあえて勧めるとしたら、そこに醍醐味があるからだ。単純な足し算ではなく、結果は大きくも小さくも変わりうる。そして、それをただの足し算よりも大きくするために、いったい何ができるのか。そこが団体スポーツの面白さだし、スポーツに限らず、集団で何かをやる時にはどこにも当てはまるのではないかと思う。

■2005/02/22 (火) 医師国家試験受験生に捧ぐ

私が来年も受験しないという保証は全くないのだが、国家試験を受ける人へのメモをしておく。試験時間は公表されていないが、8:30が集合時刻であっても、9:00くらいまでは参考書を見ることができるし、実際に試験が始まるのは9:20で、例年そうだ。少しくらい遅れそうになっても、過度に慌てる必要はない。毎回同じ注意事項、特に不正行為に関して読み上げられるが、読む方も同じことを何度も読むのはうんざりしている。「これも決まりですから」ってあきらめ顔で言っていた。

<追記>同じ会場の違う部屋で受験した人の話によると、9:00まで参考書が見れないところもあったらしい。監督者の裁量範囲内なのか。

試験の順序、つまりAから始まらない恐れは常にある。今年は1日目にDEFが来たようだが、ほんの3年前には初日に「Gが来た」と受験生は騒いでいた。つまり、何から来てもいいように、そして慌てないように準備をしておくことが大切だ。必修が来ようと、公衆衛生が来ようと、一般でも臨床でも何でもいいようにしておけばいい。

禁忌が原因で不合格になる人は、例年全国で1〜3人程度だと言われている。対策をしなくていいという意味ではないが、当日に「踏んだかも」と動揺するのは得策ではない。5000分の1くらいの確率で当たるかもしれないものは、当たってしまってから事故に遭ったようなものだと思う方がいいだろう。禁忌と禁忌肢は違うし、絶対禁忌も相対禁忌もある。期間中に「1つ踏んだ。あと1つ踏んだら・・」と思い込んで引きずることの方が良くないことが多いと考える。

国家試験の合格率は、90%で固定という考え方と、7500人で固定という考え方と、それ以外の考え方がある。相対評価か絶対評価か、という点では、問題の難易度に左右されない相対評価の方がむしろ公平だ、とよく考えるとなったらしい。そういう議事録をどこかで見かけた。7500人というのは、研修医1人あたり月30万の予算の関係で、それを超えることはできないし大きく下回ることもない、というお役人的発想だ。

さて、9割が合格する試験において、合否を分けるのはどういう問題だろうか。9割以上の人ができるような「易しい問題」を自分ができなかったとしたら、それは非常に大きなマイナスポイントとなるだろう。半分ずつに答えが「割れた」ような問題は、間違い続ければ確かにマイナスになるが、実際その数は全体の何割も占めるほどは多くないはずだ。答えが全然バラバラであれば、例えば正解した2割に入れなくても、残りの8割が落ちるはずがないわけで、いわゆる「差がつかない」ということだ。

以上より、合否を分けるのは「割れ問」でも「難問」でもなく、「易しい問題」を人知れずひそかに間違った数であることがわかるだろう。従って、休み時間に「あの問題は全然わからなかった」「難しかった」「何にした?」などと言い合い、自分が周りと違う答えだったとしても、話題に上るような記憶に残る問題というのは、「易しい問題」であるはずがないので安心していい。

伝聞を重ねて回ってくる怪しい情報についてだが、全く当たらないこともないし、ズバリ出ちゃったりすることも確かにある。それを集めるのに労力を割くのは本末転倒だと思うが、少し見て、ピンポイントで頭に入れることも悪くはないだろう。ピンポイントというのは「小児の発熱をきたす疾患」だったら範囲が広すぎるが、「小児の苺舌を呈する疾患」だったらチェックしておくのもいいだろうということだ。まぁ、いずれにしてもそこで勝負は決まらないと思うのだが、実際に出たら得をした気分になる。

予備校の直前講座だが、前日まで知らなかったがそれで救われたという問題は確かに何問かある。どこの予備校がいいかについては、テキストコピーと実際に受けた2つの予備校で評価すると、どちらもそれなりに当たっている部分があって、必ずしも重複しているわけではない。実際に受けるか、またはざっと読んで、次の日に出ればラッキー、と思うくらいでいいと思う。もちろん、前日に言ってたやつだと喜び勇んで飛びついたものが、実は引っかけ選択肢であることもありうるわけで、6年間勉強してきたものが前日の資料1つで「ひっくり返る」のか、ということを少し考えれば、どう扱うべきかはわかると思う。

あとは平常心で、最後まで気を抜かずにやっていく、精神的な体力も必要であろう。やっぱり2時間を超えると集中力も一度は切れるし、初日と3日目の気持ちも同じではなかった。もし一度精神的に落ちてしまってもまた戻れるような、そんな強さが求められているのかもしれない。その点では、受験生以外の友人の助けを借りることもいいことだな、と思うのだった。