最北医学生の2005年 3月の日常

■2005/03/13 (日) 幻想だった「当たり前」に気づかされる

交通法規上は、信号のない横断歩道上、もしくは渡ろうとする歩行者がいる場合、車はその通行を妨げてはならないとされている。しかし実際は、パトカーと自動車教習所の車以外は、渡ろうとする人がいるだけで止まるということは少ないように思う。車がびゅんびゅん走る道路で、横断歩道を渡ろうとして車が途切れるのをしばらく待つのは、ごく当たり前の光景だ。

海外旅行に出かけ、その国の運転の荒さに驚いた。急発進、急加速、急ブレーキ、などなど、普通の車はもちろん、乗ったタクシーも同じ調子でビックリしてしまった。交差点でも減速しないで曲がるし、方向指示器の使用も少なめだし、車間距離はありえないほど近いし、車線変更も何と言うかすさまじい。

しかしながら、横断歩道を渡る点については違う価値観なのだ。日本であれば、車がぐいっとブレーキをかけて止まらなければならないタイミングで、歩行者が渡り始めることは危険だ。クラクションを鳴らされて運転手ににらまれるかもしれない。しかしかの国では、車の方がブレーキをかければ大丈夫であるタイミングは、歩行者が渡るタイミングなのだ。最初はわからず次々渡る人の流れの中で足を止めきょろきょろしていたが、気づいて一歩踏み出してみると、なるほど車は当然のように止まり、どうやらそれが日常であるらしかった。

おそらくは、最初に書いた交通法規の問題は、どちらの国でも同じなのだろうと思う。しかしそれが、現実にどのような認識として共有されているかというのが異なり、私が「常識」だと信じていたことは、あくまで日本のローカルな認識であったわけだ。事実、帰国して大阪の街中で同じタイミングで横断歩道に出てしまい、危うくひかれそうになった。またタクシーは丁寧な運転をするべきだ、という考え方も、世界標準であるかと言われれば、別にそうとは限らないようにも思える。

海外旅行をこれまで食わず嫌いしていたわけだが、行ってみて、そうした次元の「常識」の違い、日本独自の考えに多く気づくことができた。「海外に行くと視野とか考え方が広がるよ」と勧める文句をよく聞いていたが、それはこういうことだったのかと今さらながらに気づかされた旅行となった。

■2005/03/22 (火) かりんこオフ

テキストを旨としているサイトをしている私にとって、誰がためにかりんは鳴るは否が応でも憧れるサイトである。同じ北海道で医療系の学生をしていて、実は同じ年の同じ月生まれというかりんこさんに、しばらく前から会う機会を窺っていたのであるが、カリスマ作業療法士(予定)として就職した大阪で、今回うまく時間を合わせることができた。

不可抗力的に私が先に着いて待つことになったのだが、一向にストレスを感じることなく時を過ごしていた。この不思議な思いは何だろうかと思いを巡らせると、「重い」サイトでページが表示されるのを待つ心境に行き着いた。どうでもいいサイトであれば3秒だって待てないが、期待と、待てばいいコンテンツが表れるという信頼があれば、いくらでも待っていられる。

管理人近影とその他過去ログを漁って予習をしていったわけであるが、かりんこさんの実像は、もっと柔らかい印象で、しかし動きはむしろシャープだった。サイトにおいては、わざとに選んで固い言葉を使っているということであるが、あんなに漢字の多い言葉を口に出して喋ることはやっぱりなかった。体つきは大きくはないけれども、その見た目よりはずっとしっかりとした存在感が、そこにはあった。

入ったよくある居酒屋で、おいしい料理にビールが進んだ。今になって冷静に考えてみると、確かに雰囲気もいいお店ではあったのだが、さして高級な店であるわけではなく、にもかかわらずお酒も食べ物もおいしかったと迷わず言えるということは、そこで二人が楽しんだことの証しであるかもしれない。26歳、医療関係者、サイト持ちによる、差し飲みらしい内容で、話は弾んだ。

かりんこさんがネット上で紡ぐ文章はきれいである。自虐ネタもないし、何かを得意げになって非難することもない。患者さんが登場するが、仮に事実がそのまま書かれた内容だとして、本人が読んでも全く問題ないだろうと思われる。構って欲しいオーラもなければ、巷にあふれる愚痴でストレス発散ということもなく、安心して読むことができるのだ。

誰にもあてはまることであろうが、その本人までそんな聖人君子であるわけはないのだった。日頃は思っていてもサイトでは書かないようにしていることを、人目を気にせず話したことはとても楽しく、陳腐な言い方ではあるが、時が経つのがあっと言う間だった。ネットに載せるには不適当である話題から、そもそも誰かに言うことすら避けた方がいい気がするかもしれない話題に到り、ビールはジンへ、そして熱燗へと変わっていった。

そこで私が腹を割って話していたのは、普通の女性であるかりんこだった。その「普通の女性」というのは、ただの面白くない人であるという意味ではなく、サイトの文章そのままの方法で、ごく普通の内容に対して言及していく姿のことだ。店を出て、あぁ色んなことを話したものだ、と満足げであった私から、「こりゃオフレポ書きづらいな」という言葉が口をついて出るほどの「普段着」の会話をたっぷり楽しんだ。

改札の前で、しつこく握手をしながら再会を誓う姿は、おそらくただの酔っぱらいだったのだろう。お互いに、まだ話し足りないことと多く残されたアルコールの許容量を抱えたまま、笑顔で手を振り、二人は雑踏の一部になった。あなたはいい臨床家になれる、いつかとことん患者さんについて議論して、一緒にいい仕事をしたい、との思いが別れた後に自然に湧いてきた。しかしそれは、きっと非常に贅沢なことでもあるのだろうな、と思わせられた、素敵な大阪の夜だった。

■2005/03/30 (水) 偏差値35からの国試受験

私は成績が悪い。どのくらい悪いかというと、留年したのが最も典型的で、再試験と言われるものを経験した数は、そんじょそこらの人には負けない自信がある。医師国家試験の全国模擬試験の成績もいいはずがなく、同じ大学で自分より悪い人は、片手で数えてもいつも指の方が余るほどだった。

医師国家試験の合格率は、例年9割程度であり、下位の1割に入るかどうかが問題となる。人によっては、半分より上にいないと安心できないとか、上位これこれにいないとプライドが許さないとかあるようであるが、私にとって問題なのは、下位1割に入るか入らないか、それは今どうなのか、そして本番ではどうなのか、ということである。これは偏差値で言うと37くらいがポイントで、それ以下ならば下位の1割に入っていると考えるべきであり、つまりこのままでは危ないということである。

試験の前月の模擬試験を含めて、一度もこのラインを超えることはなかった。日頃から根拠を求めて行動することを旨としているが、客観的な根拠は全て不合格を示唆していた。夏とか秋の時点なら、まだこれから挽回が効くという声にも説得力があろうものだが、既に雪も積もり、来月に迫る試験と残り時間は、何一つポジティブな考えをもたらさなかった。それでもやるだけはやった。現時点での自己評価がどうあっても、今やることは変わらないはずだ。根拠のない自信もたくさん持ったし、根拠のない「大丈夫だって」との励ましには眉をひそめた。

どうであっても、受かってしまえばこっちのものだ。しかし合格は、あくまでスタートラインであってゴールではないから、浮かれ喜ぶよりは、静かに身を引き締めたい。でも、とりあえずはホッと胸をなでおろした、そんな雪の日。雪というのは、相撲の世界では「白星」につながるから縁起がいいらしいが、私にとってもそうなることを期待して。