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千野真沙美アルバム |
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| 私がロシアヘ行きもう19年がたちました。母をはじめ、これまでいろんなすばらしい人々に出会い助けてもらったおかげで、長い間、バレエ以外楽しみの少ない国でバレエに全力を尽くして生きていけたと思っています。 |
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海賊より パデスクリャフ
セルゲイ・フィーリン ボリショイバレエ団と |
バレエ学校時代は、多くの先生方がとっても協力的でした。ペレストロイカのはじまったばかりの時であり、外国人が全くいませんでした。特に遠い国の日本からのお客様ということもあり、本当に大切にしてくれました。バレエの先生方にも教えていただいた事はたくさんありましたが、何より生活面で毎日助けてくれたのが、ロシア語の先生でした。残念な事に彼女はもう亡くなられてしまいましたが言葉のわからない私に毎日授業で1日の出来事を話す訓練をさせながら、少しでも不安のない様にとても気をつかってくれました。 |
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ゴルディエフ と |
一日中レッスンをしたかった私に他のクラスの授業もどんどんうけられる様にしていただき、2ヶ月で2kgも太った時には、寮生活の食事に問題があるからだといって、家からサラダを作って持ってきてくださった事も何度もありました。寮生活の共通冷蔵庫では物がなくなるので、先生専用の冷蔵庫を使わせていただいたり、ロシア人との問題で1人部屋に移させてもらったり寮の中で大臣のような存在でした。ところがバレエ団に入団してからの人生はバレエ学校とは違って涙の毎日でした。人生経験の少ない私はなにもかもが未知の世界でした。 |
そんなときにいつも前向きでアドバイスしながら、何でも助けてくださったのは、バレエ学校の校長の秘書をし、学校博物館の管理をしているゾーヤ先生。私にとって先生というよりもモスクワの私のママといっています。ママであり、友達であり、何でも話せる存在。彼女に出会っていなければ私はとうの昔にロシアから帰ってきていました。バレエ団では私の望み通りにはなりませんでした。ここまでたどり着くのに、本当に時間と努力そして我慢が必要でした。精神的にいつも助けてくれたのは彼女だけでした。
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コッペリア人形 ロシアバレエ団コッペリア公演 |
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コッペリアより スワニルダ
ユーリー・ブルラーカ と |
結婚してからの人生はまた少し変化。バレエでの悩みもそれほどの重い物にはならなくなり、家へ帰ると大好きなわたしの夫そして息子がいて、バレエの悩みなどすぐに忘れさせてくれました。私の夫アレクセイとの出会い。バレエとは全く関係のない夫は、バレエの難しさをわかってくれる人は少ないとはいえ、とても協力的でした。そのおかげで結婚してからも前と変わらずバレエを続けることができました。海外公演に出て行くことも多く小さな息子と夫を残し何ヶ月もいないことも多かったです。本当は夫はいやだったと思うのですが、「今だから踊らなくてはいけない」といつも言ってくれ我慢してくれました。私も家を離れる事は気が重かったです。 |
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コッペリアより スワニルダ
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| 夫の協力以外にもう1人この6年間忘れてはいけない存在の人とも出会いました。息子円句を見てくれているベビーシツタ←のエレーナさんです。円句を本当に愛してくれています。きれい好きな彼女は頼まなくても部屋中の掃除を毎日しっかりやってくれます。どんなに朝早くても断られた事は一度もありませんでした。夜は11時まではいつもいてくれました。この3年間の夏、円句を連れて自分の別荘へ行ってくれているのです。夏はいつも多忙である私にとってはゴミゴミしたモスクワで円句を楽しませる事はできません。 |

眠りの森の美女より プロローグ |

眠りの森の美女 プロローグより
やさしさの精 |

眠りの森の美女 プロローグより
元気な精 |
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別荘で2ヶ月いい空気を吸い、ヤギのミルクを飲ませてくれたエレーナさんに本当に感謝していまサ。別荘で出来た野菜、卵などは新鮮でナチュラルな物を時々食べさせてくれます。畑仕事をして育ち、モスクワの工場で一生働き続け、今では年金暮らし。いわゆるロシアの田舎の働き者のおばさん。彼女が私達家族との出会いは一生のものだったと言っています。バレエなど見た事のなかった彼女も60歳にしてバレエを見る楽しみが出来た様です。
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夫アレクセイとサンクト・ペテルブルクにて |

夫 アレクセイと息子 円句 |
息子円句もお友達の様におばさんが大好き。おかげで私は安心してあずける事が出来、バリバリ踊る事が出来ました。私はこのような人に囲まれて本当に幸せです。皆が私のために我慢してくれました。息子円句はママがいないことには赤ちゃんの時からなれていました。年が大きくなるにつれ寂しく感じるようにってきているのだと思います。最近、海外に自分でよく電話をかけてくるようになりました。この2,3年私はいつも家族の事ばかり気になり、家族3人が一緒にいられる時が何よりの幸せでした。
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コッペリアより スワニルダ
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| しかし自分の仕事のため、何をすることも出来ず息子が小学校へ入学する年になってしまいました。息子も半分日本人である意識が強くなりました。気候の悪いモスクワの生活が合わないのか病気がちであること、私も指導者としてもっと積極的に活動して行きたいという意欲がわいてきた事が一致し、夫と相談の上、モスクワをたちました。円句が毎日楽しそうに学校へ行き、その他ピアノ、水泳、お絵描きなどの習い事を始めました。充実した毎日を過ごし、まだエネルギーが有り余っており、バレエ団でも本当に迷惑をかけるほど騒いでいます。モスクワでは病気がちで幼稚園にほとんど行けず小さな一部屋アパートで一日中過ごしてしまうことが多く、円句にとって今は、夢の国にいるような気持ちだと思います。いたずらが多いですが、元気で明るく、のびのびと生きている円句を見ていると私は、本当にうれしいです。私は日本で生まれ育ったので、日本のすばらしさをあまり感じていませんでしたが今、現在子供をもち、ロシア生活から帰国し、つくづく日本はすばらしい所だと感じています。 |
  
ラ・シルフィード ベニスの謝肉祭 ナイーナの庭 |
| 私は今19年間ロシアで勉強してきた事を、日本の夢見る将来のバレリーナ達に、伝えたい気持ちで一杯です。また指導者として未熟であり、勉強中。日本の現状を見ると指導者として沢山の研究が必要である事を感じます。今、えぽっくでは時間をかけてそれなりの個人レベルでも上達できるように練習を始めました。少しでも上達が見えるととてもうれしいです。私をここまで育ててくれたロシア。人生のすばらしい出会いに恵まれたロシア。そんなロシアに私は感謝しています。ロシアの悪口を言えば、もちろんきりのない国。しかし、そんな国だけど私はそんなロシアが大好きです。 |

ドンキホーテ友人の踊り |
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14歳の頃  |
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これからの夢と言えば、やはり日本で指導者としてロシアに負けないバレリーナを育てていく事。息子円句に色々な事を経験させ、元気な健康な体を作ってやりたい。もちろん最後には夫アレクセイがこの日本でもモスクワ以上に活躍できる仕事に出会い、充実した人生を送ること。そして、3人で仲良く元気で暮らす事が私の夢であり、望みです。
出会いなどがあってこそ、それぞれのレベルで成功出来るものです。私はいまいち積極性に欠けていた事、ロシア人の中でのコンプレックスが大きかった事でずいぶん損をしてきたと思います。しかし、母を見ていると73歳にして今でもあの積極性「ダメでもともと!」の挑戦心はすごいし、これも本当に大切な事です。常に自分をしっかり見つめる事を忘れずに……常に自分に厳しく、毎日の積み重ねを……。
2005年6月21日
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2005年度講演会誌から転載
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盲目の少女 |
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