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| (上) 監的所(観測掩壕) |
| この監的所(観測掩壕)は1934(昭和9)年に築かれたものと推測。監的所とは演習時に監的掛が射弾や効力を観測する施設である。 |
美瑛演習場 |
1907(明治40)年2月14日に「陸軍演習場規則」が公布され、同年美瑛に演習場が設置された。演習場の範囲は、現在のJR美瑛駅〜美馬牛駅を結ぶラインから南東側の丘陵地帯(三愛・水沢・福富・新星・美馬牛)一帯で、駐屯地(演習場廠舎)は美瑛小学校(西町)一帯であった。
現在、美瑛町は「丘のまち」のキャッチフレーズのとおり、丘陵が織り成す美しい風景を観光の目玉としており、北海道を代表する風景として、大勢の方が、写真家前田真三氏気取りでカメラを持って集まっているが、この地形は陸軍の演習場としても適地であったようだ。
美瑛演習場については、美瑛町による本格的な調査・研究はなされていないようであり、『美瑛町史』でも「主として歩、砲兵の戦闘射撃を目的とするもの」と簡単に紹介されるにとどまっているが、この演習場には、通常の演習用途だけでなく、毒ガス弾の試験にも使用されていた、という知っておかなければならない歴史がある。
まず、『欧受大日記』(陸軍省)によると、1918(大正7)年10月に三八野砲を用いた毒ガス弾の試験射撃が美瑛演習場にて実施されたようであり、「試験実施要領」を一部抜粋引用すると
一、試験目的
射弾数ニ対スル毒瓦斯密度ノ基準ヲ得ントスルニ在リ
二、試験実施場所
試験実施後ノ危険予防ノタメ人馬ノ交通皆無ナル
場所ヲ選定シ北海道美瑛演習場ニ於テ実施ス
三、試験期日
本年度教育上第七師団留守隊ノ[?]演習場使用後
トシ概ネ十月二十五日ヨリ約一週間(予備日数ヲ加フ)トス
四、試験部隊
試験実施ノタメニハ野砲兵第七連隊留守隊ヨリ砲車隊
一中隊(四門編成ニテ弾薬小隊ヲ要セス)ヲ特派シ試験担
当者タル委員ハ之ヲ派遣ス
五、試験実施ノタメノ使用材料
試験所用弾薬 三八式野砲用瓦斯弾々薬筒 八〇〇
===以下省略=== |
また、『密大日記』(陸軍省)によると、1926(大正15)年8月には化学兵器実験(ホスゲン弾効力試験)が美瑛演習場にて実施されたようであり、海軍関係者も視察に訪れている。同年10月にもホスゲン弾集中射撃効力試験が実施されている。
その他、列挙すると、
1928(昭和3)年1月、ホスゲン・イペリット寒地試験
1929(昭和4)年1月、ホスゲン・イペリット寒地試験
1934(昭和9)年2月、青酸寒地試験
等が美瑛演習場にて実施されている。
※補足
ホスゲン・・・窒息剤。呼吸器系に作用して喉や気管支を刺激し、呼吸困難や肺水腫を起こして死に至らしめる。
イペリット・・・びらん剤。皮膚浸透性を有しており防毒マスクだけでは防ぐことはできない。 皮膚に付着すると数時間後に赤い斑点を生じ痛みを伴ってただれる。目や呼吸器の粘膜を冒し水疱、潰瘍を生じる。
青酸ガス・・・血液剤。体内に吸収された後、血液成分、全身の組織に作用して呼吸器障害を起こし、睡眠を伴い死に至らしめる。 |
終戦後、この演習場跡地は開拓農地として、復員軍人や満州等からの引揚者、戦災者らが入植しているが、石よりも砲弾の破片が多く出てくる状態だったそうであり、近年でも砲弾等が発見されている。
ただし、『昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査」フォローアップ調査報告書』(環境省、2003)では、美瑛演習場での毒ガス弾試験を含む「旧軍毒ガス等の野外実験」については、「保有および廃棄・遺棄に関する情報と比較して、使用された毒ガス弾等は少量であり、毒ガス弾等はほぼ全量使用された可能性が高い。そのため、現時点では潜在的な健康影響の可能性が低いと考えられる」と記述されており、必要以上に過敏に反応なさらないでいただきたいが、万が一、砲弾等を発見した場合は決して手を触れずに警察署に通報してください。
(旧日本軍の毒ガス弾等に関するお知らせ 「毒ガス弾」を発見したら・・・を参照することをおすすめします)
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(左) 観光客に人気の撮影スポット |
| ドラマのロケ地となったり、数多くの観光ガイド類に写真が掲載されるなどしているので、知らず知らずのうちに目にしているこの景色であるが、赤い屋根の家の右上に見える木々の場所が監的所であることは、ほとんど知られていない。 |
監的所の所在地(マピオンBB地図)
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| (上) 農道より見た監的所 |
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| (上) 監的所の出入口 |
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(左)(上) 監的所の内部 |
| 細窓の下にある出っ張りは、弾着観測時のひじ置きと思われる。 |
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| (下) 監的所の細窓からの眺望 |
| この視界内に標的(弾着点)が設定された。 |
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参考までに、監的掛の業務について『砲兵射撃教範』(昭和6年発行版)より一部抜粋引用する。
第七節 監的掛及射場掛ノ勤務
第三百六十三 射撃ヲ行フニハ監的掛及射場掛ヲ編成スルモノトス
監的掛及射場掛ハ統監ニ隷属シ各一名ノ将校(射場掛長ニ在リテハ已ム
ヲ得サレハ特務曹長)ヲ以テ其長トシ之ニ所要ノ人員ヲ附属ス
第三百六十四 監的掛ハ目標ノ設置、射弾ノ観測、効力調査資料ノ収集及
目標附近ノ警戒等ニ任スルモノトス
監的掛長ハ予メ統監ヨリ勤務上所要ノ事項ニ関シ指示ヲ受ケ其任務ニ服シ
原表ヲ調製シテ射撃後速ニ統監ニ提出スルモノトス
射弾ハ通常一発毎ニ監的掛ノ観測ノ基準ニ関スル弾着点若ハ破裂点ノ遠近
偏差(米)若ハ左右偏差(密位)為シ得レハ束藁ト目標トノ関係並効力ヲ観測
スルヲ要ス然レトモ同時ニ発射セル数弾ニ関シテハ已ムヲ得サレハ其平均
弾着点若ハ平均破裂点、遠近弾数並最遠、最近射弾ノ位置ヲ観測スルモノ
トス此際大ナル偏差ヲ生シタル射弾ハ之ヲ区別シ置クコト必要ナリ
射弾観測ヲ容易且確実ナラシムル為ニハ予メ目標ノ前後ニ若干ノ標識ヲ施
スヲ可トス時トシテ偏差交会法射撃ニ於ケル観測法ヲ併セ行フヲ可トスル
コトアリ
弾痕ヲ調査スル場合ニ於テハ予メ目標ノ前後ニ砲目線ヲ標示シ遠近及左右
ノ偏差ヲ測定スルニ便ナル如ク準備シ置クコト肝要ナリ
原表ニハ前諸項ノ外目標配置、射撃前後ニ於ケル目標ノ状態、目標附近ノ
地形、監的ト射向及目標トノ関係位置ヲ記入スルモノトス又大隊以上ノ射
撃ニ在リテハ成ルヘク射弾ヲ観測セル時刻ヲ記入スルヲ要ス
射撃間榴弾、破甲榴弾、発煙弾等ノ内高級爆薬ヲ炸薬トスル弾丸ノ不発弾
アルトキハ監的掛長ハ射撃終了後其位置ヲ探索シテ之ヲ標識シ統監ニ報告
スルモノトス
第三百六十五 射場掛ハ統監ト監的掛トノ連絡、射弾ノ方向及破裂高ノ観
測、射撃速度ノ測定、統計資料ノ収集等ニ任シ且射撃成果表ヲ調製スルモ
ノトス又所要ニ応シ気象測定ニ関スル業務ヲ担任スルコトアリ
射弾ハ監的掛ニ準シ方向ノ偏差及破裂高ヲ観測スルモノトス
射場掛長ハ予メ統監ヨリ勤務上所要ノ事項ニ関シ指示ヲ受ケ其任務ニ服シ
射撃成果表ノ基礎トナルヘキ事項ヲ原表ニ記載シ射撃終了後直ニ統監ニ提
出スルヲ要ス
第三百六十六 大隊射撃ニ在リテハ中隊ノ外大隊本部ニ射場掛(大隊射場
掛)ヲ設クルモノトス
大隊射場掛ハ第三百六十五ニ準シ其勤務ニ服ス
大隊射場掛長ハ統監ノ命ヲ受ケ全射場掛ノ勤務ヲ統轄シ且大隊射撃成果表
ヲ調製ス
連隊射撃ニ在リテハ前諸項ニ準シ連隊射場掛ヲ設クルモノトス
第三百六十七 射場掛ト監的掛トノ連絡ハ野戦砲兵及攻城重砲兵射撃ニ在
リテハ通常電話ニ依リ尚視号通信等ヲ併用シ要塞重砲兵射撃ニ在リテハ主
トシテ視号通信ヲ用フルモノトス
第三百六十八 監的掛長ハ射撃ヲ施行スルモ支障ナキヲ現ス為監的所(監
的船)ニ示号標(附図第六)ヲ掲クルモノトス
二箇以上ノ監的所ヲ使用スルトキハ放列ニ近キ監的所ニ於テハ之ヨリ遠キ
監的所ニ示号標ヲ樹テタルヲ認メタル後之ヲ樹ツルモノトス
射場掛長ハ射撃開始ニ先タチ監的所(監的船)ニ示号標ノ掲ケアルヲ確認シ
タル後之ヲ統監ニ報告シ其命令ニ依リ監的所(監的船)ヨリ通視シ得ル位置
ニ示号標ヲ樹テ射撃ヲ終ルヤ統監ノ命令ニ依リ之ヲ倒スモノトス又射撃間
監的所(監的船)ノ示号標ノ倒レアルヲ認ムルカ或ハ射場掛自ラ危険ナルコ
トヲ認ムルトキハ直ニ統監ニ報告スルト共ニ示号標ヲ倒スモノトス |
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(上) 演習場廠舎の門柱 出展:『美瑛町史』(1957)90頁 |
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| (左) 現存する門柱 |
| 美瑛小学校のグラウンド脇に残っている。平成9年に美瑛町の文化財に指定された。 |
| 門柱の所在地(マピオンBB地図) |
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(左) 演習場廠舎の配置図 (門柱の説明看板より) |
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| (上) 馬房(厩舎)もしくは兵舎だった建物 |
| 上の配置図で縦長に描かれている建物。戦後、住宅用に改修されたわりには、よく面影を残している。 |
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| (上) 旧兵舎 |
| 上の配置図で横長に描かれている建物。こちらは改修が繰り返され、パッチワークのようである。他にも数棟現存している。 |
次ページへつづく
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