要塞地帯の名残

 (上2点) 函館要塞(のち津軽要塞)の水尺
 地元では「矢不来のボーズ」と呼ばれ、謎の物体扱いされているが、正体は射撃の際に必要となる海面の高さを知るための水尺である。釣り人と比較してその大きさを想像してください。後方は要塞の築城された函館山。

 會田金吾著の『函館山要塞の終焉U』(五稜出版社、1987)の中で、郷土史家の著者が、渡部真塩氏(明治34年生まれ)から聞き取り調査した内容が大変参考になるので引用いたします。

 「大正10年(1921)、重砲大隊に入営、観測を専門にやり分隊長を務めた。 〜中略〜 前に言った観測とは、干満の差を測り平均水位を算出して射角を決めることで、矢不来と根崎に観測する標識塔(我々は坊主と言っていた)があり、塔にインチ目盛りが刻まれており、矢不来には今もあるが、根崎の方は誰かが抜き取ったのか無い。」
 この水尺の所在地(マピオン地図)
 
 (上4点) 船魂神社境内に奉納されている(放置されている?)要塞砲の砲弾
 
(左上) 船魂神社前に残る要塞地帯標柱

(右上) 函館護国神社前に残る要塞地帯標柱

(左) 函館護国神社前に残る要塞地帯標柱を拡大
 「津軽要塞第一地帯標」と刻まれている。

 1927(昭和2)年に「函館要塞」から「津軽要塞」に改称されたため、「函館」の文字の部分を平らに削ってから「津軽」の文字を刻んだようである。(2文字分がかなりへこんでいる)

 本州に残る標柱に比べると、函館の標柱は傷みが激しいため
目をこらさないと読み取れない。
函館の観光スポット(元町付近)に残る要塞地帯標柱の位置
 函館山周辺にはかなりの数の標柱が残っているが、観光客でも簡単に見つけられる3箇所をマピオン地図で紹介。
 
函館山ロープウェイ山麓駅付近
 
函館護国神社付近
 
船魂神社前
 (上2点) 陸軍省用地(要塞)と海軍省用地の境界を示す標柱
 函館山の観音山という尾根の麓には海軍の施設もあったため、このような標柱がたてられた。
 終戦まで民間人は立ち入り禁止であったから軍人向けの標柱である。
 (上) 函館が要塞地帯に設定される前の地図(左)と設定後の地図(右)
 「軍機保護法」や「要塞地帯法」の影響を受け、当時要塞だった函館山は白抜きにされている。
 

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