参考史料・文献

 
参考史料
 津軽要塞を守備した函館重砲兵連隊の記録であり、明治30年の大隊新設から昭和の終戦までの記述がなされている。

 参考までに明治36年2月6日の項を引いてみると
 本日ヨリ一週間冬季試験射撃ヲ御殿山第
 二砲台ニ於テ施行セリ右ニ付キ左ノ人員
 ヲ出張セシム服装ハ軍装ニシテ防寒被服
 ヲ着用セシム
 指揮官中村中尉
 榎本中尉外特務曹長一、曹長一、軍曹伍
 長七
 上等兵六、看護手一、一・二等卒三十三
 右ノ外炊事勤務ノ為メ炊事係上等兵一、
 当番六ヲ伴フ
 註  縦書きをWEB用に横書きに直しました。
    (右は上、左は下の意味に読み替えてください)
 このような演習の他、職員の免職転職、戦役、分遣派遣、検閲、教育、内務、勤務、経理、衛生、兵器の受領、等が記載されており、要塞の具体的な使用状況や兵備等を知るための重要な手掛かりとなっている。 
 
 東京湾要塞司令部の記録で、上記の『函館重砲兵聯隊歴史』と同様に、終戦時の焼却を奇跡的に免れた貴重な史料。『東京湾要塞歴史 第一号』は明治27〜44年、『〃第二号』は明治45〜大正7年、『〃第三号』が大正8〜昭和19年の記録で、昭和20年の『要塞歴史原稿』も残されている。これらの貴重な史料が現存するのは、毛塚五郎氏のおかげである。
 毛塚氏は学徒動員で宇都宮部隊に入隊し、終戦直前に東京湾要塞司令部の参謀部へ配属。数日で終戦をむかえ、残務整理に当たるが、焼却命令を受け手にした『東京湾要塞歴史』の歴史的価値に気がつき、焼却を中止し隠匿、今日まで保存されることとなった。
 これらの史料を複写した『東京湾要塞司令部極秘史料』第1〜3巻が、現代史料出版より発行されている。(2004年)
 
 アジア歴史資料センターのWEBサイトで史料・資料の閲覧ができる。DjVuプラグインをインストールし、キーワード検索で例えば「函館要塞」、「東京湾要塞」等と入力するだけで簡単に多くの史料・資料を閲覧できる。
 
 近代デジタルライブラリーのWEBサイトで史料・資料の閲覧ができる。『要塞砲兵操典』、『要塞砲兵射撃教範草案』、『要塞砲兵観測教範草案』、『日露戦役写真帖』・・・等貴重な史料が閲覧できる。

 
参考文献
 元陸軍築城部(要塞の設計・建築・備砲工事等を掌る部隊)の本部部員であった著者が、「今のうちに整理、記述しておかなければ、明治、大正、昭和にわたる全国沿岸築城の歴史が失われる虞がある」として、要塞史を土木技術等の面からまとめ、さらに個々の要塞・砲台の解説を加えたものである。一部、風聞によっていたり、多少の誤りはあるが、内容としては信憑性が高く、要塞史を研究する者にとって必携の書と言われている。
>>>これから、探索される方のために、本書に記載された砲台所在地に誤りがあると思われるものを挙げます。
  (下記の参考文献や、今治市のT様からの助言、WEB上の記事等を参考にしました)
所在地が完全に違う(と思われる)もの 対馬要塞の大平砲台・上見坂堡塁・根緒堡塁・多功崎砲台・樫岳砲台
芸予要塞の小島砲台
所在地が少しずれている(と思われる)もの 鳴門要塞(由良要塞)の笹山砲台・行者岳砲台・柿が原堡塁砲台
豊予要塞の佐田岬砲台
他の砲台の所在地と取り違えている
(と思われる)もの
対馬要塞の四十八谷砲台(と大石浦砲台)
*探索の際には、『明治期国土防衛史』の付図や、地元郷土史家のレポート、各市町村史等を併用されることをおすすめいたします。
 
 樺太南端の西能登呂岬に築かれた宗谷要塞の砲台を守備していた第ニ中隊は、終戦後シベリアに抑留された(抑留中7名の方が死亡)。その第二中隊の生活やシベリア抑留について記載されている。著者は元宗谷要塞重砲兵連隊第二中隊付将校。
 
 戦友会である下重会によって刊行された。下関要塞・奄美大島要塞・豊予要塞での生活や守備状況等がまとめられている。(下関重砲兵連隊をもとに三つの要塞重砲兵連隊が編成されたため、三要塞について記述されている) 
 
 戦友会である山吹会によって刊行された。九州地区に関係のある対馬・下関・長崎・佐世保・壱岐・奄美大島・豊予・中城湾臨時・狩俣臨時・船浮臨時要塞について簡単にまとめている。
 
 郷土史家である著者が、聞き取り調査や測量等を通して、津軽要塞の全容を探ろうとしたレポートである。大変参考になる部分が多いのだが、内容や図面等に明らかな誤りもあるので、注意しながら読まなければならない。要塞史研究の先駆としては高く評価したい。
 
 戦友会である函重会によって刊行された。これは写真集なので、津軽要塞の歴史や守備状況等を知ることはできないが、兵営の全景、砲廠内における28cm榴弾砲を使った訓練の様子等の貴重な写真が掲載されている。
 
 対馬要塞の概要について、現地調査等をふまえてよくまとめられている。
>>>愛媛県今治市のT様より写しをいただきました。ありがとうございました。
 
 虎頭要塞(ソ連軍との戦闘で1945年8月26日に守備隊が全滅)から奇跡的に生還した著者が、要塞における戦闘が実際どのようなものであるのかを記述している。
 
 虎頭要塞(満州建国後の1934年より、現在の中国黒龍江省虎林市虎頭鎮の丘陵に、関東軍によって築かれた要塞)についての日中共同学術平和調査団による調査報告。
 
 「長者一九会」(内地転用のため千葉県岬町長者町にあった羅津要塞重砲兵連隊に、昭和19年12月に入隊した方々の戦友会)の結成10周年記念誌として発行されたもの。本土防衛のため九十九里浜正面に築城した臨時砲台や守備などについてまとめられている。
 
 太平洋戦争中の1944年10月1日にアメリカ合衆国陸軍省によって発行された『HANDBOOK ON JAPANESE MILITARY FORCES』を日本語訳したもの。日本陸軍の制度から編成・戦術・兵器・装備品等まで徹底的に分析されていたことがわかる。ここまで分析されていたら日本は負けて当然と言える程の内容。
>>>日本の沿岸要塞については、「元来、日本本土における固定要塞は沿岸防御施設である。火砲の定数、年代、または特徴に関する情報はほとんど入手されていないが、ある地域には16インチと同じくらい大口径の近代的な火砲が据え付けられている兆候がある。高射砲は防御計画に包含されている」と記述されており、要塞地帯法や軍機保護法の徹底によって要塞に関する機密がほとんど漏れることなく、要塞が戦闘抑止力として当時も有効に機能していたことが裏付けられる。
 
 今治市制80周年記念事業の一環として刊行された。芸予要塞の小島砲台の歴史について、日露戦争等の時代背景を交えてわかりやすくまとめられている。
>>>愛媛県今治市のT様より写しをいただきました。ありがとうございました。
 
 満州国のソ連側国境に、関東軍によって築城された虎頭要塞・東寧要塞・あい琿要塞・黒河要塞・孫呉勝山陣地についての日中共同調査報告。
 
 著者は昭和14年から陸軍築城部本部で国内の要塞築城に従事、昭和20年4月に札幌の第5方面軍司令部内に設けられた築城班に赴任した経歴を持つ(直接勇払平野の陣地築城にかかわったわけではない)。戦後にその知識・経験を活かして勇払平野の陣地を調査され、現在では失われてしまった多数のトーチカも撮影・実測されており、貴重な資料となっている。(苫小牧市に在住されていたので、私もお会いしたかったのですが、アポイントメントをとろうとしたところ、すでに亡くなられていました)
 勇払平野の陣地を調べる際には必見の書であるが、発行部数が極めて少なく、発行協力された苫小牧市博物館でも一般には非公開となっている。北海道立図書館で閲覧可能。
 
 防衛庁防衛研究所戦史部調査員である著者が、明治初期から日露戦争までの国土(戦前の旧植民地を除いた現在の日本領有地域)の防衛についてまとめたもので、明治期の要塞に関連する記述が多い。
 また、別冊の付図として、(現在の)2万5千分の1地形図上に、明治期の要塞施設の位置が記されているので、これから探索に出かける方には必見の書。
>>>気になった点
砲台名 『明治期国土防衛史』 P.580 実際
函館要塞の薬師山砲台 一部原形を残す ほぼ原形を残す
函館要塞の御殿山第一砲台 ほとんど原形を残さない 山頂駐車場地下に地下掩蔽部等が現存する
*せっかくの優良書籍なので、改訂版では修正していただけるとありがたいのですが・・・。
*内容も充実しているので、続編で大正〜昭和期も出版してほしいです。
 要塞全般について、学研らしくイラストや写真による解説を加え、わかりやすく詳しく説明されている。入門書として大変おすすめ。
 
 
今後読みたい史料
 国立国会図書館の古典籍室にマイクロフィルムがあるそうです。コマ数が膨大なので、一枚30円のA4プリントアウトでも全体で数万円はかかるみたいです。
    
  
今後読みたい文献
 

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