(上) 地下砲側庫の内部

金谷砲台


金谷砲台の略年表
1923(大正12)年9月1日 関東大震災。東京湾要塞各施設に多大な被害。
1923(大正12)年11月 参謀本部が東京湾要塞応急施設要領をまとめ、金谷砲台の築城が決定した。
1923(大正12)年12月 金谷砲台の起工。
1924(大正13)年3月 金谷砲台の竣工。
1924(大正13)年5月 参謀本部が東京湾要塞復旧建設要領をまとめ、金谷砲台に15cmカノン砲4門を据え付けることが決定した。
1924(大正13)年9月 第三海堡から撤去した15cmカノン砲4門を備砲。
1938(昭和13)年9月 15cmカノン砲2門を函館重砲兵連隊に、同2門を横須賀重砲兵連隊に移動。代わりに10cmカノン砲2門を備砲。
1941(昭和16)年9月27日 横須賀重砲兵連隊に動員下令。東京湾要塞重砲兵連隊が編成された。
第2大隊第4中隊が金谷砲台の守備についた。
1943(昭和18)年4月 10cmカノン砲2門(第三海堡→走水新砲台→洲崎陣地→金谷砲台)を追加備砲。
1941(昭和16)年11月 東京湾要塞に準戦備下令。
1941(昭和16)年12月8日 太平洋戦争。
1945(昭和20)年 28cm榴弾砲4門(千代ヶ崎砲台→金谷砲台)を追加備砲。
戦後 砲台跡にレジャーランドがつくられたが数年で閉鎖。現在は廃墟が藪地と化している。
 (上) 昭和49年度撮影の空中写真 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
 写真の下のほうから右上にのびる直線は、レジャーランド時代のリフト。リフトの頂上部分の隣にカノン砲座と地下砲側庫が現存しているが、レジャーランドの閉鎖後は藪地と化している。
 (上2点) 金谷砲台を麓から見上げると大砲(偽物)が目印となっている。
 (上) 砲台から見た浜金谷北港公共埠頭  (上) 大砲(偽物)についていたプレート
 60cm榴弾砲って・・・、あまりにもバカバカしいのでがっかり。
 将来、史跡として整備する際には、このおもちゃを撤去して
 史実に基づいたレプリカを置いてほしい。
 (上3点) 地下砲側庫の出入口と通路
 (上5点)(下) 地下砲側庫の内部
 内部はレジャーランド閉鎖後に放火にあったのか?
 真っ黒にすすけて不気味である。
 (上) 地下砲側庫の出入口の一つ
 (上) 地下砲側庫の砲座側出入口  (上) 砲座
 写真の右側フェンス内が砲座跡。
 中央の入口から左に入ると地下砲側庫。
 要塞時代は、大砲の上に藤棚の偽装を施したらしい。
 砲座の胸墻・横墻コンクリートは、レジャーランド時代に水色に塗られ赤い魚の絵が描かれてしまった。将来、史跡として整備する際には、この塗装をはがしてほしい。 
 (上2点) 砲座横に残るレジャーランド時代のリフト
 

Home > 東京湾要塞 > 金谷砲台