(上) 開発が進む腰越堡塁跡
 観音崎公園は、多数の砲台跡が残る公園であるが(一般の城跡に倣って「東京湾要塞史跡公園」とでも改称したほうが良いと思うが・・・)、この腰越堡塁と近くの大浦堡塁は残念ながら開発によって破壊が進んでいる。

腰越堡塁


腰越堡塁の略年表
1894(明治27)年7月 日清戦争。戦時中、清軍の上陸に備え、観音崎砲台群の背面防御に臨時堡塁を設置。
(前年より観音崎B点堡塁の設計あり)
1895(明治28)年5月1日 観音崎B点堡塁として本格的に起工。
1896(明治29)年3月31日 観音崎B点堡塁の竣工。
1897(明治30)年9月7日 観音崎B点堡塁を腰越堡塁と改称。
1902(明治35)年3月31日 9cmカノン砲2門据付完了。
1914(大正2)年4月24日 陸機密第45号により各要塞司令官及対馬警備隊司令官へ廃止すべき堡塁・砲台の達あり。
東京湾要塞では、腰越堡塁の他、富津元洲、大浦、観音崎第一、小原台、米ヶ浜、波島、箱崎高・低、笹山、夏島の各砲台、泊町框舎の廃止が予定された。
1925(大正14)年7月 除籍。
戦後 観音崎公園「海の子とりで」として遊具が設置された。
 (上3点) 遊具を設置する工事中の写真
 掩蔽部の上部だけが確認できることから、堡塁内部は埋め立て整地が行なわれたようである。貴重な史跡なので、ぜひ掘り起こしてほしい。また、遊具も別の場所に移設したほうが良いと思うが・・・。
 

Home > 東京湾要塞 > 腰越堡塁