(上) 井戸昇降隠顕式照明所の内部

大房岬(たいぶさみさき)砲台


大房岬砲台の略年表
1922(大正11)年2月6日 米・英・仏・伊・日の五カ国が締約するワシントン海軍軍縮条約が調印された。
 この条約により日本は主力艦の保有量を対米英六割と決められ、八・八艦隊の戦艦「安芸」・「鹿島」・「摂津」・「土佐」、巡洋戦艦「鞍馬」・「生駒」・「伊吹」を廃艦として処分しなければならなくなった。
 そのため、これらの軍艦に搭載した(搭載予定だった)大口径砲塔が多数不要となり、のちに、下記のとおり陸上用の砲塔砲台に改造して要塞に転用した。
旧砲塔搭載艦
又は搭載予定艦
右記の砲台に
転用した砲塔数
設置された「要塞名」砲台名
戦艦
(廃艦)
安芸 25cmカノン2門入砲塔2基 「東京湾要塞」城ヶ島砲台
鹿島 30cmカノン2門入砲塔各1基 「東京湾要塞」千代ヶ崎砲台
「壱岐要塞」的山大島砲台
摂津 30cmカノン2門入砲塔各1基 「対馬要塞」竜ノ崎第1砲台、同2砲台
土佐 40cmカノン2門入砲塔1基 「鎮海湾要塞」張子嶝砲台
巡洋戦艦
(廃艦)
鞍馬 20cmカノン2門入砲塔2基 「東京湾要塞」大房岬砲台
生駒 30cmカノン2門入砲塔1基 「東京湾要塞」洲崎第1砲台
伊吹 30cmカノン2門入砲塔各1基 「津軽要塞」大間崎砲台
「豊予要塞」鶴見崎(丹賀)砲台
巡洋戦艦
(空母へ改造)
赤城 40cmカノン2門入砲塔各1基 「壱岐要塞」黒崎砲台
「対馬要塞」豊砲台
1928(昭和3)年 1月 大房岬砲台の起工。
1932(昭和7)年10月 大房岬砲台の竣工。
1941(昭和16)年9月27日 横須賀重砲兵連隊に動員下令。東京湾要塞重砲兵連隊が編成された。
第2大隊第5中隊が大房岬砲台の守備についた。
1941(昭和16)年11月 東京湾要塞に準戦備下令。
1941(昭和16)年12月8日 太平洋戦争。
(左)(下) 井戸昇降隠顕式照明所の出入口
 浄法寺朝美著の『日本築城史』によると
 
 「電灯(探照灯)は,平時は後方の地下式鉄筋コンクリート掩灯所に格納され,照明所と掩灯所の間には軌条を敷設し,探照灯は台車に載せて運搬する。

 とのことである。
 (上) 井戸昇降隠顕式照明所の内部
 その巨大さに驚かされる。通路の奥に見えるのが掩灯所。
 (上3点) 井戸昇降隠顕式照明所の内部から地上へのぼる梯子跡と地上の出入口
 (上) 地上から見た電灯井  (上) 照明所の突き当たりの部屋
 (上2点) 地下掩灯所(探照灯の格納庫)の出入口と正面
(上3点)(左) 地下砲側庫(1)の両出入口と内部
 浄法寺朝美著の『日本築城史』によると
 
 「一般の砲塔砲台と異なり,砲室の下に砲側庫を設けず,砲側庫は別に砲台後方60メートルの箇所に,地下鉄筋コンクリート造を構築した。したがって砲塔は,砲座コンクリートを打設して,転輪を取り付け,これに直接砲室を載せたものであり,手動式である。
 「地下砲側庫通路は夜間無灯火での弾丸運搬を考え,斜坂式とし,在来のような階段式としなかった。

 とのことである。
(上3点)(左) 地下砲側庫(2)の両出入口と内部
(上)(左) 地下発電所
 銃眼のような窓?が特徴的。
 
 これが銃眼なのか、違う目的があってこの構造なのかをご存知の方は教えてください。
 (上2点) 要塞時代の施設跡が公園管理者の倉庫として利用されている。
(左) 地下掩蔽部
 水浸しだったので入れませんでした。
 

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