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大間崎砲台 |
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| ↓ 同型の30cmカノン砲2門入砲塔 |
『函重に関係のあった火砲写真集』4頁 |
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| 所在地:Googleマップ・goo地図・マピオンBB地図 |
現在、大間幼稚園・うみの子保育園・大間中学校・大間高校など教育関連施設が建ち並ぶ一帯からコダ崎にかけては、大間崎砲台の施設群が集中していた。この砲台施設の中核となる30cmカノン砲2門入砲塔跡は大間高校の東隣に位置するため容易に発見することができる。
青森県立郷土館の研究員松橋正士様からの情報によると、戦後進駐してきた米軍によって、砲塔の地下部分(動力機室や弾薬庫等)は破壊され、唯一残された巨大な地下通路も、1961(昭和36)年より約6年間、大間町のし尿廃棄場として利用され、人糞を溜め込んで入口が塞がれたようである。
一部が破壊されたとはいえ、砲塔跡をそのまま保存(又は放置)していれば、平和教育の教材や観光資源として再活用することもできたであろう。し尿廃棄場にされたとは非常に残念である。
・・・松橋様、情報をありがとうございました。 |
♦大間崎砲台の略年表♦
| 1919(大正 8)年5月 |
要塞整理要領の裁可。函館要塞の津軽要塞への改編が予定された。それまで函館湾のみの防衛であったが、津軽海峡の東西の両口に砲台を築いて、同海峡に敵艦が侵入するのを防ぎ、青函航路を守ろうとするものである。 |
| 1922(大正11)年2月6日 |
米・英・仏・伊・日の五カ国が締約するワシントン海軍軍縮条約が調印された。
この条約により日本は主力艦の保有量を対米英六割と決められ、八・八艦隊の戦艦「安芸」・「鹿島」・「摂津」・「土佐」、巡洋戦艦「鞍馬」・「生駒」・「伊吹」を廃艦として処分しなければならなくなった。
そのため、これらの軍艦に搭載した(搭載予定だった)大口径砲塔が多数不要となり、のちに、下記のとおり陸上用の砲塔砲台に改造して要塞に転用した。
旧砲塔搭載艦
又は搭載予定艦 |
右記の砲台に
転用した砲塔数 |
設置された「要塞名」砲台名 |
戦艦
(廃艦) |
安芸 |
25cmカノン砲2門入砲塔2基 |
「東京湾要塞」城ヶ島砲台 |
| 鹿島 |
30cmカノン砲2門入砲塔各1基 |
「東京湾要塞」千代ヶ崎砲台 |
| 「壱岐要塞」的山大島砲台 |
| 摂津 |
30cmカノン砲2門入砲塔各1基 |
「対馬要塞」竜ノ崎第1砲台、同2砲台 |
| 土佐 |
40cmカノン砲2門入砲塔1基 |
「鎮海湾要塞」張子嶝砲台 |
巡洋戦艦
(廃艦) |
鞍馬 |
20cmカノン砲2門入砲塔2基 |
「東京湾要塞」大房岬砲台 |
| 生駒 |
30cmカノン砲2門入砲塔1基 |
「東京湾要塞」洲崎第1砲台 |
| 伊吹 |
30cmカノン砲2門入砲塔各1基 |
「津軽要塞」大間崎砲台 |
| 「豊予要塞」鶴見崎(丹賀)砲台 |
巡洋戦艦 (空母へ改造) |
赤城 |
40cmカノン砲2門入砲塔各1基 |
「壱岐要塞」黒崎砲台 |
| 「対馬要塞」豊砲台 |
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| 1924(大正13)年7月3日 |
陸軍省告示第九号によって大間崎周辺が函館要塞地帯に加わった。 |
| 1924(大正13)年9月 |
大間崎砲台の起工。 |
| 1927(昭和 2)年4月1日 |
「函館要塞司令部」が「津軽要塞司令部」と改称。陸海軍告示第二号によって「函館要塞地帯」は「津軽要塞地帯」と改められた。 |
| 1928(昭和3)年1月9日 |
陸軍兵器本廠長より陸軍大臣へ45口径30cmカノン砲2門入砲塔の備砲完了の報告。 |
| 1929(昭和4)年9月14日 |
大間崎砲台の竣工。 |
| 戦後 |
砲塔跡は、1961(昭和36)年より約6年間、大間町のし尿廃棄場として利用された。現在は入口が塞がれ、大間高校横に残る。
兵舎は中学校(解体)と幼稚園(現存)に。
官舎は民家(現存)に。
重機関銃トーチカは現存。
折戸山に観測所の残骸が残る。 |
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| ↑ 大間崎砲台の施設配置図 |
| 大間町教育委員会からいただいた図をWEB用に加工しました。 |
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← 大間高校東隣に露出する
砲塔地下通路の出入口 |
| 上部に見えるタンク(その後撤去されたらしい)は大間町の貯水槽。 |
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| ↑ 砲塔地下通路の出入口 |
| 1961(昭和36)年より約6年間、むつ衛生センターが完成するまで、バキュームカーで運ばれた大間町内のし尿が、ここよりホースで流し込まれた。津軽海峡への敵艦通過を防いだ砲台も、戦後の軍事アレルギーの中で、哀れな姿となってしまった。 |
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←↑ 重機関銃用トーチカとその内部 |
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| ↑ 重機関銃用トーチカの背面出入口 |
| 偽装用に植えられた木が、トーチカ上部に根付いている。 |
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| ↑ 重機関銃用トーチカ |
| 北側の海岸方面より、砲塔に敵の歩兵が近づけば、ここから側射されるようになっていた。 |
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| ↑ 兵舎とその内部 |
| 町立大間幼稚園として現存。職員の方が案内してくださいました。 |
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| ↑ 大間崎砲台の倉庫(糧秣庫?) |
町立大間幼稚園の物置として現存。 |
| ↓ 倉庫の内部 |
職員の方が案内してくださいました。 |
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| ↑ こちらも兵舎があった跡か? |
↑ 官舎 |
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現在は民家となって現存。瓦屋根が特徴。 |
■更新履歴
2002年12月19日 公開 ⇒ 2005年8月14日 加筆修正 (青森県立郷土館の研究員松橋正士様からの情報追加など)
■外部リンク
・ウィキペディア(巡洋戦艦伊吹) |
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