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| (上) 昭和23年撮影の白神岬砲台跡 |
「青森空襲を記録する会」の中村和彦様より、昭和23年の空中写真を閲覧したところ砲台跡がよく写っていた旨の情報をいただき、早速入手いたしました。次の中村様よりいただいた図面と照らし合わせると、配置がよくわかります。
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白神岬砲台
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| (上) 津軽要塞白神地区防御営造物配置要図 |
「青森空襲を記録する会」の中村和彦様よりいただいたものです。中村様によりますと、防衛研究所蔵「軍事施設調書 要塞」(請求番号:本土-築城要塞-54)の史料とのことです。貴重な情報をありがとうございました。
(※赤色の文字はWEB用に加筆したものです)
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白神岬砲台の略年表
| 1927(昭和 2)年4月1日 |
「函館要塞司令部」が「津軽要塞司令部」と改称。陸海軍告示第二号によって「函館要塞地帯」は「津軽要塞地帯」と改められた。 |
| 1935(昭和10)年5月 |
白神岬砲台の起工。 |
| 1935(昭和10)年12月 |
陸海軍省告示第七号によって、白神岬と竜飛崎を結ぶ津軽海峡西口周辺が津軽要塞地帯に加わった。 |
| 1936(昭和11)年8月10日 |
45式15cmカノン砲(改造固定式)4門の備砲完了。 |
| 1936(昭和11)年10月31日 |
白神岬砲台の竣工。 |
| 1938(昭和13)年12月30日 |
津軽要塞通信網(竜飛崎砲台〜白神岬砲台間)増築工事の竣工。 |
| 1939(昭和14)年2月 |
冬季防衛演習の実施。 |
| 1940(昭和15)年9月3日 |
築城部本部より津軽要塞司令官に白神岬砲台兵舎を引継。 |
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| (上) 4門設置された45式15cmカノン砲 |
| 写真は『函重に関係のあった火砲写真集』10頁より |
| (右) 「冬季戦備演習指導要領」(津軽要塞司令部)より |
陸軍省「陸機密大日記」昭和14年(防衛研究所蔵)
出典:アジア歴史資料センター |
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1939(昭和14)年2月に実施された白神岬砲台の冬季防衛演習については、詳細な史料が残っており、その様子を知ることができる。ソ連軍による津軽海峡方面への侵攻を想定して実施されたようである。
演習の結果から抜粋すると
「白神砲台ニハ地区司令部用観測所及低地観測所ヲ平時ヨリ施設シ置クヲ要ス」
「今回ノ演習ニ於テモ砲兵長用タル左翼観測所ヲ地区司令部用トシテ使用ス随而砲台長ハ右翼観測所ヲ使用ス然ルニ右翼観測所ハ露天ニシテ吹雪ノ為使用不可能ナリシヲ持テ上部ニ天幕ヲ張リ使用シタルモ強風ノ為天幕ヲ煽ラレ又甚シク狭隘ニシテ仮令完全ナル屋根ヲ設備スルモ砲台長用トシテハ使用ニ堪ヘズ故ニ平時ヨリ施設スルニアラザレバ任務ノ達成至難ナリ」
「当白神ノ如ク濃霧多ク且ツ降雪時ノ戦闘ヲ準備スベキ砲台殊ニ高地ニ濃霧アリテ低地晴ルルガ如キ特殊ノ気象状態ヲ呈スル場所ニアリテハ補助観測所ヲ低地ニ施設シ置クヲ必要トス」
ということで、津軽海峡西口の白神岬砲台及び竜飛崎砲台を統括する地区司令部が白神岬砲台に置かれること、昭和14年2月時点で右翼観測所は露天だったことが興味深い。
また、「既設建物ニシテ利用可能ナル監守衛舎、番人舎、工員宿泊所、弾丸庫、砲具庫、薬莢庫等苟モ戦備ニ当リ利用可能ナル建物ハ悉ク之ヲ利用スルモ尚戦備人員ノ四分ノ三(四分ノ一ハ常時砲側又ハ観測所附近ニ待機セシム)ハ休養ヲ必要トシ之ヲ収容スル為ニハ」、「白神地区兵舎(炊事場等ヲ含ム)一二〇坪」、「ヲ新設シ置クヲ要ス」
ということで、兵舎が不足していたことがわかる(昭和15年に増設された)。
「冬期戦闘力保全ノ為特ニ近代的対潜水艦射撃ヲ実施スルタメニハ常ニ砲手ヲ砲側ニ配置スルヲ原則トスルモ露天ニテハ寒冷吹雪ノ為身体ノ自由ヲ失ヒ戦力ノ保持困難ナルヲ以テ砲座ニ近接シテ採暖設備ヲ有スル掩蔽部ヲ設備シ警戒兵ヲ除クハ之ニ待機セシメ状況ニ応ジ急速ニ進出シ適時適切ナル射撃ヲ実施シ得シムル如クスルコト必要ナリ」、ゆえに平時より「各砲座毎ニ待機掩蔽部(十人用)」が必要であるとされている。
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| (上) 砲台跡は現在、海上自衛隊松前警備所白神支所の敷地内のため立入禁止 |
1993〜1994年頃の話である。戦時中白神岬砲台にいた親戚のSさんに、砲台の所在地を教えてもらい早速訪れてみると、海自警備所のゲートがあらわれた。函館の陸自駐屯地のようなオープンな雰囲気がここには無い。遠くから監視カメラがこちらを睨み、ゲートには「注意 許可を受けないでこの施設に立ち入ることを禁止する 昭和46年1月1日 防衛庁」の文字が・・・
恐る恐るゲート左の電話機で連絡をとり、考古を目的とした砲台跡の見学をお願いした。すると受話器の向こうの隊員より、函館市大町にある函館基地隊で許可を得るように指示された。
函館基地隊を訪れると、申請用の書類を渡された。後日、見学目的や私の個人情報を記入し、当時担当の大学教授に保証人をお願いし提出した。
しかし残念ながら数週間後、「国防上最重要施設の一つのため、過去に民間人の立ち入りを許可したことがなく、見学不可」といった内容の返事が・・・
貴重な昭和の城跡が一般に公開されるのはいつのことになるのでしょうか。
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