東京地裁で全面勝訴!
松沢委員長の懲戒解雇は無効!
反リストラ産経労
東京地裁(民事19部=山口幸雄裁判長)は、5月31日、反リストラ産経労の松沢弘委員長が産経新聞グループの日本工業新聞社(日工)を相手取って起こした懲戒解雇の無効・社員としての地位確認を求める裁判で「本件解雇には重大な手続違反があり、被告が解雇権を濫用したもので無効である」と判示、同委員長の訴えを全面的に認める完全勝訴判決を言い渡した。
産経側の解雇権濫用を断罪!
判決は主文で(1)原告が被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する(2)被告は、原告に対し@金1195万7700円及びこれに対する96年5月19日から支払済みまで年6分の割合による金員A96年5月1日から本判決確定まで毎月25日限り月額46万8300円及びこれに対する各支払日の翌日から支払済みまで年6分の割合による金員B96年6月から本判決確定まで毎年6月15日、同12月5日の各期日限り、各金102万円及びこれに対する各支払日の翌日から支払済みまで年6分の割合による金員、を各支払え(3)訴訟費用は被告の負担とする(4)この判決は(2)に限り仮に執行することができるーとし、松沢委員長の請求を全て認める画期的な内容だった。
判決は、松沢委員長の懲戒解雇処分を決めた「賞罰委員会」に、「事案の直接の関係者」で、出席資格のない管理担当常務と、直属の局長が、それぞれ議長、訴追者として加わり、処分内容の決定にも関与したことをとらえて、「手続きに重大な違反がある」と断罪した。
「反リストラ産経労は労組法適格組合」と認定!
また、反リストラ産経労について「労組法上の適格性を有する」と明示、論説委員だった松沢委員長の労組法上の組合員資格も認めている。これにより、産経新聞グループ史上初めて結成された「まっとうな労組」である反リストラ産経労の法適格性が認められ、産経側の団交拒否を打ち破る法的な根拠が得られたことになる。スト権、団交権もない労働協約で縛られた産経労組の支配下で苦しんできた産経新聞グループの労働者にとって抵抗の拠点が構築されたことを意味する。
産経側は控訴、強制執行停止申立で兵糧攻め継続
松沢委員長、および弁護士、法律事務所の幹部たちは、勝訴判決が出された当日の5月31日の午後、執行官とともに、東京・大手町の東京サンケイビルを訪れ、産経新聞社の9階で、未払い賃金等の強制執行を実施した。サンケイビル1階では、午前10時の判決公判を傍聴した、多くの支援の仲間たちが待機していた。この日、強制執行できた金額は、債権のうちのごく一部にとどまったが、産経側は、完全敗訴の現実を見せ付けられて悄然としていた。それでも、産経側は多数のガードマンや幹部を並べ立てて執行官らを威嚇、無法ぶりを自ら暴露する結果となっていた。この後、産経側は、判決を不満として東京高裁に控訴、同時に巨額の供託金を積んで未払い賃金等の強制執行停止の申立も行った。病身の老母と実兄を抱えて、アルバイトで一家の生活を支えてきた松沢委員長に対して、これからも兵糧攻めを続けるとの非人間的な意思表示にほかならない。
産経は松沢委員長を直ちに職場にもどせ!
松沢委員長は「不当解雇から8年近くもの歳月が経過しており、新聞記者としての活動と生活の場を奪われてきた。会社側は直ちに職場に復帰させ、団交にも応ずるべきだ」としている。反リストラ産経労は、支援の仲間の輪を一段とひろげて、産経新聞社と、その親会社のフジテレビに対して、判決に沿った争議の全面解決を要求してゆく方針だ。
以下は02年5月31日に司法記者クラブで記者会見したときの、発表資料です。
東京地裁で勝利判決!
反リストラ産経労・松沢委員長の懲戒解雇は無効!
02年5月31日 反リストラ産経労
東京地裁(民事19部=山口幸雄裁判長、吉崎佳弥裁判官、伊藤由紀子裁判官)は、31日、反リストラ産経労(労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会)の松沢弘委員長(まつざわひろし、55歳 元・日本工業新聞社論説委員)が産経新聞グループの日本工業新聞社(以下日工、社長=山下幸秀・元産経新聞社常務、東京都千代田区大手町1の7の2)を相手取って起こした懲戒解雇の無効・社員としての地位確認を求める裁判で、松沢委員長の訴えを認める勝訴判決を言い渡した。
松沢委員長は「不当解雇から8年近くもの歳月が経過しており、この間、新聞記者としての活動と生活の場を奪われていた。会社側は、控訴せずに、直ちに私を職場に復帰させ、反リストラ産経労の存在を認めて団交にも応ずるべきだ」としている。
判決では、松沢委員長に対する懲戒解雇処分は解雇権濫用などに当たり無効だとしたうえで、会社側に賃金等の支払いを命じている。ただ、会社側は東京都地方労働委員会(都労委)や、東京地裁での和解勧告を一切拒否してきたことから、松沢委員長の職場復帰までには、なお曲折が予想される。
松沢委員長は、日工論説委員在任中の94年1月10日、産経新聞社や日本工業新聞社などのリストラに反対する合同労組「反リストラ産経労」の結成に参加、委員長に就任した。当初、反リストラ産経労には、産経新聞社、日本工業新聞社の記者らを中心に他のマスコミ各社の記者ら約10人が加わっていた。
その直後の同年2月1日、支局員が1人しかおらず、通勤に往復約5時間もかかる日工・千葉支局に、わざわざ専任支局長ポストを新設する形で不当配転され、同年9月22日に理由も示されずに懲戒解雇された。同委員長は、反リストラ産経労を通じて94年2月4日に、東京都地方労働委員会(以下都労委)に、不当配転の撤回と団交の開催などを求めて不当労働行為の救済を申し立てていた。
しかし、会社側は、反リストラ産経労の存在を認めず、団交要求をすべて拒否したあげく、都労委が緊急提示した和解案をも無視して、同委員長の証言が始まる直前に、懲戒解雇処分を強行した。
都労委での審査中に、救済を申し立てた当事者が解雇されたのは、ほとんど前例がない。また、産経新聞グループで、組合活動弾圧としての懲戒解雇は、61年のいわゆる「産経残酷物語」以来33年ぶりのこととされていた。
都労委提訴から8年余、本訴から6年が経過
松沢委員長は、94年9月26日、反リストラ産経労を通じて、都労委に対し解雇取り消しの追加申し立てを行うとともに、95年5月19日、配転先の千葉支局がある千葉地裁に地位保全の仮処分を申し立てた。
仮処分では、会社側が異議をとなえたため、東京地裁に場を移した。その後、松沢委員長は裁判官の指導に従って、本訴に切り替えることとし、96年3月22日いったん申し立てを取り下げ、96年5月8日、東京地裁に改めて懲戒解雇の無効・社員としての地位確認・賃金等の支払いを求める訴訟を起こした。
松沢委員長は本訴の中で、本件懲戒解雇について
@松沢委員長の産経労組時代の組合活動や、反リストラ産経労の結成とそこでの活動を嫌悪し、松沢委員長を職場から排除しようとした不当労働行為であり、労組法7条1号(組合結成などを理由とする解雇)と3号(組合結成・運営に対する支配介入)に違反する
A会社側は、松沢委員長の組合員資格を否認する狙いで、不必要な「管理的業務」を捏造して押し付けようとし、問題解決を図るために反リストラ産経労や松沢委員長が要求した団交をすべて拒否した
B松沢委員長は、異動命令を拒否することなく千葉支局に赴任して勤務を続けており、業務命令書や警告書を受け取った事実もなく、従って業務命令を拒否したこともないので、懲戒事由そのものが存在しない
C解雇通告書には解雇理由が一言も記されていなかったうえ、事前に松沢委員長に対して弁明の機会が全く与えられなかったなど、適正な手続きがとられなかったーなどの理由を明示し、「不当労働行為と解雇権の濫用にあたるので懲戒解雇処分は無効だ」と主張していた。
会社側は、これに対して「松沢委員長は業務を拒否した」と反論、さらに「反リストラ産経労は労組法上の組合でないばかりか、憲法上の組合としても認められない」と強弁していたが、懲戒解雇事由に当たる業務拒否なるものも特定できず、憲法28条及び、労組法で定められた労組の権利についても無理解ぶりをさらけだしていた。
東京地裁は、松沢委員長、会社側の双方に対して和解を勧告、2回にわたって和解交渉が行われた。しかし、会社側が和解を一切拒否したため、交渉は打ちきりとなり、02年3月25日に結審した。
都労委では、45回にも及ぶ審問(証人調べ)が終了し、都労委側の意向で「あっせん」に移行し、和解交渉が進められている。しかし、現在に至るまで会社側は、和解を拒否し続けてきている。
注=『2(1)ないし(3)』とは、『2の(1)から(3)』までの意味です
補注1 産経新聞社と日工の関係
産経新聞グループは、産経新聞社が、日工と、大阪新聞社の2社を完全な支配系列下に置く形で形成されていた。このうち夕刊紙の大阪新聞社は、販売不振のため、02年3月末で休刊となった。日工は本社の所在地はもとより、新聞製作、印刷、販売店網、内線電話網など新聞業務に関するハード、ソフトの一切が、産経新聞社と共通の体制となっており、労組も産経労組に一本化されている。松沢委員長が不当配転されていた日工千葉支局も、産経新聞千葉総局と同じ部屋の中にある。日工は就業規則までもが、産経新聞社と全く同一のものとなっており、文字通り、産経新聞社の一部門にすぎないのが実情だ。日工には人事部さえなく、人事や給与などは、産経新聞社の総務局人事部が担当している。日工の東京本社は、東京サンケイビルの9、10、14階に産経新聞社と同居している。松沢委員長も、日工と産経新聞社の取材・出稿体制が共通化されていた78年から86年まで産経新聞社の統合経済取材本部記者などを兼務していた。日工の取締役7人のうち、4人が産経新聞社の現職役員やOBで占められている。山下幸秀社長は産経新聞社の元常務である。
補注2 「超御用」の産経労組と「産経残酷物語」
産経新聞社、日工、大阪新聞社の3社の全従業員が強制的に加入させられている、単一組合の産経労組は、3社との間で、@スト権を放棄・組合委員長は産経新聞社の取締役会に出席し、経営の執行機関である局長会の正式な構成員にもなるA昇給・賞与は会社側が全額考課査定するーという、労使癒着を絵に描いたような、全く同一の労働協約を結んで、世にも希な「超御用組合」ぶりを発揮している。ユニオンショップ制による除名=解雇という脅しの下に組合員を縛り付けて、一切の批判を封じ込めたうえで、何度にもわたって繰り返されてきた「産経残酷物語」に全面的に協力してきた。
「産経残酷物語」とは、60年にスト権を放棄する「平和協定」が締結された後、61年にはこれに反対した組合員らを大量に配転し、配転を拒否した組合員4人が懲戒解雇され、協定締結後2年間で900人の従業員が退職に追い込まれた事件だ。これに続いて、76年には、「刷新3カ年計画」で、1800人の人員削減と大幅賃下げが打ち出された。計画の実施中、産経労組委員長は経営者そのものである産経新聞社監査役に就任した。この計画で800人の従業員が職場を追われた。94年にも、産経労組は日工を手始めとするリストラ合理化を全面的に受け入れた。さらに、95年7月には、労働協約に「選択退職制」を盛り込み、産経新聞グループ全体を対象として、50歳以上の組合員の首切りを可能にする道を開いた。
補注3 反リストラ産経労の結成と松沢委員長への弾圧
松沢委員長は、71年に日本工業新聞社に記者として入社、同年産経労組に加盟して以来、執行部の超御用路線に疑問を抱き、大会代議員、職場委員、選挙管理委員などをつとめながら良心的な反対派として活動してきた。しかし、会社側は、松沢委員長の活動を嫌悪して、91年5月、論説委員会付編集委員というポストを新設して編集局から追放。92年2月には、論説委員にタナ上げする形で産経労組からも追放した。松沢委員長は、産経新聞グループ全体のリストラ攻撃と闘うには、産経労組の超御用組合路線と決別したうえで、企業のワクを越えた組織が必要と判断、94年1月10日、産経新聞グループの仲間を中心に他のマスコミ労働者の参加も得て、マスコミ労働運動で初の合同労組の形で反リストラ産経労を結成した。しかし、会社側は、組合結成後1カ月もたたない2月1日、組合結成に報復して、松沢委員長を本社の仲間から引き離す狙いで、支局員が1人しかいない千葉支局に不当配転した。千葉支局には、それまで専任の支局長さえいなかった。新組合は、2月4日、不当配転の撤回と団交の開催を要求して、都労委に不当労働行為の救済を申し立てた。これに対して会社側は、新組合の存在さえ認めようとしないで、20回以上に及んだ団交要求を全て拒否した。さらに、松沢委員長の組合員資格に疑いを抱かせて、都労委の審査を有利に運ぶ狙いで、ことさらな「管理的業務」なるものを捏造し、松沢委員長に押しつけようとしてきた。松沢委員長は、それを拒否することなく、その都度、「団交で話し合い、合意すればキチンと対処する」と対応したが、会社側は一切応じようとしなかった。そのあげくに会社側は突然、「9月19日に賞罰委員会にかける」と通告。会社側は「委員長は誰なのか、規則はどうなっているのか」などの松沢委員長の質問に応えることなく、弁明の機会さえ与えずに、委員会を僅か十数分で一方的に打ち切り、その日のうちに、懲戒解雇を決めてしまった。審査の真っ最中に不当労働行為の救済を申し立てた当事者のクビが切られてしまうという異常事態に驚いた都労委が、「松沢委員長の解雇は絶対に避ける」として、急遽、和解案を提示したが、会社側は、これさえも無視した。
補注4 拡がる組合支援の輪
産経新聞グループの組合弾圧に抗議して、94年12月には、新井直之・東京女子大教授、桂敬一・東大教授、佐藤毅・一橋大教授ら著名なジャーナリズム学者14人を発起人とし、本多勝一、佐高信、家永三郎氏ら知識人37人を賛同者とする共同声明が発表され、「産経残酷物語の再現を許してはならない」と訴えた。東京管理職ユニオンなどが結成したミドルネット(管理職・専門職・中高年労働者・全国ネットワーク)も、松沢委員長の不当解雇撤回を求める活動を行っている。「東京総行動」、「けんり総行動」でも、各争議団などが連帯して産経新聞社や、その親会社で、産経新聞の実質赤字経営を支えているフジテレビに対しても抗議行動を展開している。
補注5 松沢弘委員長の略歴
1946年11月、横浜市生まれ。71年早稲田大学第一文学部仏文科卒、同年日本工業新聞社入社。経済記者として、大蔵省、通産省、日銀のほか、化学、繊維・紙パルプ、エネルギー、 鉄鋼、電機業界などを担当。78年から86年まで産経新聞社記者を兼務。部次長(デスク)、編集委員、論説委員(金融・財政担当)なども歴任。
今回の勝訴判決の記事は、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、東京新聞の02年5月31日付け夕刊に掲載されました