太田晴康
話しことばと書きことば 〜要約の意味〜



 話しことばと書きことばの特徴そして相違が、文字情報の伝達に際して、歪み(バイアス)を生じさせることがあります。たとえば、吉沢さんと太田さんという二人の男性が話しあっていると仮定します。吉沢さんが太田さんに向かって、次のように言いました。

 「太田さんの奥さんは几帳面な方ですね」(例文A)

 例文Aは、言い方とその場の状況によって3つの意味を持ちます。「太田さん」ということばが強調された場合は、例文Bのように吉沢さんの奥さんと比べると、太田さんの奥さんのほうが几帳面ということになるでしょう。

 「太田さんの奥さんは几帳面な方ですね。(それにひきかえ、うちのかみさんときたら……)」(例文B)

 一方、「奥さん」が強調されれば、例文Cのように太田さんの奥さんの几帳面さに比べて、太田さんは几帳面とはいえないという意味になります。

 「太田さんの奥さんは几帳面な方ですね。(それにひきかえ、太田さんのいい加減さときたら……)」(例文C)

 あるいは、「几帳面」ということばをあえてゆっくり発音したり、「ね」という間投詞が強調された場合は、例文Dのような意味を持ちます。

 「太田さんの奥さんは几帳面な方ですね。(あれじゃ、太田さん、大変だなあ、気の休まるときがないよ)」(例文D)

 では次の例はどうでしょうか。今度は田中さんと白井さんという二人の女性が話し合っている場面を想定します。

 田中「几帳面?」
 白井「几帳面。几帳面?」
 田中「いい加減。うん」

 この書きことばは二つの解釈が可能です。まずAパターンです。上記のことばに心の中のことばを加えてみましょう。

 田中「(ねえ、あなたって)几帳面?」
 白井「(当たり前よ)几帳面。(そういうあなたは)几帳面?」
 田中「(私はけっこう)いい加減(なタイプだなあ)。うん(そう思うなあ)」(Aパターン)

 では、Bパターンのような思いが加わった場合はどうでしょう。

 田中「(ねえ、あなたって)几帳面?」
 白井「(そうねえ)几帳面(ねえ……)。(どっちかというと)几帳面?(かなあ?)」
 田中「(何言ってるのよ、あなたって人は)いい加減(よ)。うん(絶対にね)」(Bパターン)

 AパターンもBパターンも、書きことばとしては全く同じ文字面ですが、前者では「田中さんは白井さんよりも自分のほうがいい加減と思っている」し、後者では「田中さんは白井さんをいい加減と思っている」ことになります。
 このように話しことばを書きことばで表現した場合、その文字面だけでは伝わらないことがしばしばあります。若い女性が自分について、モノローグ(独白)のようにつぶやく話しことばは、ことばの語尾が疑問文のように上がりますが、必ずしも質問しているわけではありません。たとえば、次の例です。

 「私って、おやじ系? うん」

 上記のことばに心の「ト書き」を加えると次のような感じでしょうか。

 「私って、(最近、結構疲れっぽいし、温泉好きだし、仕事終わって熱燗で一杯飲むとほっとするしさあ、まるで)おやじ系? うん」(と、自分を納得させるようにつぶやく)

 こうした例から分かることは、文字による情報伝達にはメディア変換ゆえの制約があるという事実です。そこから要約筆記の課題も浮き彫りとなります。話しことばを書きことばとして伝えるにあたってバイアス問題をどう解決すべきかという課題を要約筆記者は抱えているともいえます。
 つまり、話しことばとは、伝えるべき事実だけではなく、話し手の態度や話し手の価値判断をも含むメディア(媒介物)であるということ、態度や価値判断の現れ方は文字にとどまらず、非言語的な表現に負う場合が多いということです。したがって、文字伝達という方法だけを唯一の情報保障とした場合、そこには常に多少の物足りなさが残ると想像されます。
 さらに次のようなことも明らかになります。話し手の態度や話し手の価値判断は得てして、言いよどみや「えー」「あのー」といった、どちらかといえば整然とした語句よりも曖昧な音声現象に現れます。
 そうであれば、話しことばには無駄が含まれるといった言い方や、あの人の話には無駄が多いといった言い方は、次のようにも言い換えることができます。
 話しことばは、本人が伝達しようとする内容(事実)のみならず、話し手の態度を含むさまざまな周辺情報を含み、そうした周辺情報は時に、伝達しようとする内容を伝達しにくくさせたり、本人の意図を裏切る場合があり、そのことから、無駄なことばが多いと第三者に批判されることがある。
 この場合の無駄とは、言いよどみであったり言い換えであったり、繰り返しであったり、あるいは、単語とはいえないような音声を指すことが多いのですが、それらもまた、話し手の態度や価値判断の現れであり、話し手の人格やパーソナリティを判断する際の重要な情報ということをまず要約筆記者は知る必要があります。
 その上で、上記の例のように、話しことばをそのまま書きことばにした場合、伝わらない、あるいは伝わりにくい場合があるということを意識し、伝達方法を工夫すべきでしょう。仮に、スピードワープロなど速記方式により、全ての話しことばを文字化したとしても、(すでに例に示したように)そのことは完璧な情報保障を意味するわけではありません。また要約筆記におけることばの省略は、筆記速度なり入力速度の限界という条件が前提となっている点にも目をむけるべきと思われます。
 そこで、要約にあたっては、間投詞や感嘆詞、副詞など特定の品詞を省いても良いといった考え方ではなく、それらの意味と機能を確認した上で、それらが使われる文脈によって取捨を判断すべきと思われます。次の会話は「とっても」という副詞が強調され、話し手の心情と態度を伝えた例です。Bさんのことばを聞いたAさんの心の声を加えてみましょう。副詞が使われなかった場合と比較してみます。

 Aさん「お見合いの相手、どうだった?」
 Bさん「良い人だったわ」
 Aさん「あらそう。(また断ったの? 理想が高すぎるのよ)」
 (副詞が使われなかった例)

 Aさん「お見合いの相手、どうだった?」
 Bさん「とっても良い人だったわ」
 Aさん「あらそう。(良かったじゃない。婚約はいつ?)」
 (副詞が使われた例)

 (なお、副詞である「とっても」の強調の仕方と会話を交わすお互いの関係によっては、逆の意味、例えば「全然、良い人じゃなかったわ」に意味が変容する場合もあります)

 もしも要約筆記の担い手の立場で、要約にあたっては話の「無駄」を省く必要があるといってしまえば、それは傲慢というものでしょう。語学通訳者が、「あなたの話しことばには無駄が多い。通訳するにあたって無駄は省きます」と言うようなものです。無駄かどうかを判断するのは、無駄(かも知れない話しことば)を含む情報を受け取る側であるべきです。
 発話者の立場にたてば、発したことばは無駄ではありません。ことばとしての冗長さも含めて、その人となりを示す重要な情報だからです。(もちろん、「私の話はどうも無駄が多い」と頭をかくことはあるでしょう。それはあとから振り返って反省するのであって、話しているときに、当の本人が無駄を省いて話すことはできませんし、無駄が多いからといって話をしないということもありません。)
 要するに、話しことばを要約する者は謙虚さを持つべきでしょう。そうした姿勢なしに、人の発することばを、「要約」という名称の切り絵を作るようにはさみで切り刻んでいくならば、ことばの持つ微妙な陰影や、複雑でしかも豊饒なことばによるやりとり、そして一見曖昧なことばを通じた、しかし味のある人間関係を傷つけることにもなりかねません。
 ことばは混沌とした世界を整理する役割を持つこと、とりわけ要約した途端に(たとえ意図しなくとも)ある切り取った世界観(人物観やものの見方)を形作ることを忘れてはならないと思います。

(初出:『翼』No.136、2003年、日本手話通訳士協会。左記に補筆)