三宮麻由子の箸休め
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麻由子のリトルエッセイズ

2010年1月〜 目次テストページ

チョコレート・ア・ラ・カルト  2013年2月2日
ドライフルーツの魅力  2012年3月2日
イギリスの鳥の本  2011年5月2日
何気ないのに美味しいもの  2011年3月15日
古典ピアノの園にて  2011年2月18日
ガラス窓の前で  2010年12月26日
つや姫様の御成り〜〜!!  2010年10月25日
「身体空間」の話  2010年10月9日
林檎並木の由来  2010年8月25日
ツイッターのこと  2010年7月16日
初めてのテープカット  2010年5月30日
夢にまで見た光景  2010年5月2日
スイーツを少々  2010年3月22日
色の手触り!?  2010年2月12日
赤外線の力  2010年1月24日
2013年1月〜12月

2012年1月〜12月

2010年1月〜12月
2009年1月〜12月
2008年1月〜12月
2007年1月〜12月
2006年1月〜12月
2005年1月〜12月
2004年1月〜12月
2003年7月〜12月
2003年1月〜6月
2002年


チョコレート・ア・ラ・カルト  2013年2月2日

 ずいぶん久しぶりのリトルエッセイとなってしまいました。今回は、ツイッターのフォロワーさんからリクエストをいただき、チョコレートの話題を少々。
 砂糖を溶かさずに素朴な歯ごたえを残す伝統的なチョコレートの製法で知られるイタリア・シチリア島のモディカ。そのメインストリートに並ぶチョコレート専門店の一つに、40年前まで使われていたという古いカカオ粉砕機がおいてあるそうです。そのマシンを扱っていた八十歳の元職人の方が、テレビインタビューに答えてこう言っていました。
「チョコレートは、わしにとってはガソリンみたいなものさ」
 大好きなわりに、カロリーだの脂肪分だのと脅されてちょっぴり及び腰になりながら食べているチョコレートですが、こんなふうにあっさり言ってもらえると、ガソリンなら食べてもいいかしらと勇気が湧いてきます。
 さて、多くの方がおそらくそうであるように、チョコレートは私にとってもデスクワークに欠かせない「置き菓子」の代表格です。特にオフィスで翻訳の仕事をしているときには、長時間席を立てずに集中を続けていて、突然力尽きることがあります。そんなとき、チョコレートはまさに救世主となって私の頭を目覚めさせ、集中力を呼び戻してくれるのです。もちろん、自宅で執筆しているときも、チョコレートは常備しています。ただし、家では好きなときに休んだり気晴らしができるので、必需品になるのはやはり、時間が自由でないオフィスということになります。

 頭脳労働ならやはり甘いチョコ、と思いきや、私のデスクチョコはどちらかというとビターチョコが多いといえます。もちろん、キャラメルやナッツの入った本格派のチョコも大切なオプションですが、食べた直後、ほぼ瞬間的に脳に作用してくれる感覚が分かるという「救世主」は、なんといってもカカオの純度が高いビターチョコ。
 ただし、75%ぐらいになるとさすがに苦味が強いので、これはお酒でいえば強めのブランデーとか、ウォッカとまではいきませんが、どちらかというと気付け薬に近いかもしれません。私の場合、リラックスできて、かつ集中力の元となるのは、カカオ含有率が50%以上の、ややビターぐらいのものが良いようです。

 ところで、カカオ75%以上のチョコが手に入ると、私はこれをストレートの紅茶とともにいただきます。チョコを少量だけ口に含み、そのまま熱い紅茶をそっと含みます。すると、紅茶の渋味とチョコの苦味がスウッと溶け合って、上質のワインのような芳醇な苦味が生まれます。この「魔法の味の液体」が、チョコの粘土に導かれて口中に膨らみ、紅茶の熱で舌を温めて口を満たしてくれるのです。
 この味わい方をする場合、紅茶はフレーバーのないものが良いと私は思っています。もしフレーバーがあるとしても、あまり強くないもので、強いアールグレーなどフローラルなものは合わないかもしれません。フルーツかキャラメルのような、チョコレートと相性の良いフレーバーが控えめに入っているものなら、苦味が香りを引き立ててくれる気がします。キームンのようなオリエンタルテーストの紅茶も、ちょっと気分を変えたいときにはこの味わい方にマッチするかもしれません。

 私はこの味わい方をするとき、濃いアッサムティーか、アフリカもしくはスリランカの紅茶を使います。これらの紅茶は、香りが適度にありますが、チョコレートと仲良くできる程度に控えめで、渋味も程よい気がします。ダージリンのように微妙な香りを楽しむ紅茶は、チョコと合わせるにはちょっともったいないかもしれません。

 そんなことを言っていたら、実際に紅茶に溶かして飲むチョコレートの塊が売っていることを知りました。主にはベルギーのものが多く、値段としては一つ200−400円くらい。日本のショコラティエが作っておられるものもあるようです。これには、元からブルーベリーやバニラなどのフレーバーが入っているものがあり、その場合、紅茶はストレートを選びます。プレーンのチョコレートのときには、紅茶を選ぶ楽しみがあります。目先の変ったプレゼントとして試したら、大変喜ばれたので文字通り味をしめているところ。

 甘くてほろ苦い「脳のガソリン」を共にしながら、さてさて、そろそろ原稿執筆といきますか。
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ドライフルーツの魅力  2012年3月2日

ドライフルーツの魅力

 ドライフルーツ大好きという方は、特に女性では少なくないでしょう。私の職場では、年配のイギリス人男性が机の上に数種類のドライフルーツの瓶を欠かさないことで話題になったりしています。
 もともとドライフルーツは好きでしたが、これほどハマるとは思っていませんでした。何にハマったかというと、その美味しさはもちろんですが、フルーツの種類や味付けなど、その奥行きの深さに魅了されているのです。

 私にこの「目覚め」を与えてくれたのは、シンガポール生活が長く、アジアの食品を自在に使いこなす友人でした。帰国したいまも、出張でアジア地域にいくと、美しく甘美なドライフルーツをいろいろ買ってきてくれます。もちろん、日本でも味で産地を選ぶなど食通ぶりを発揮しつつトロピカルフルーツを満喫していて、どこどこの国のマンゴーは小さいけど甘いとか、どこどこのは少し味が薄いなど、選び方のポイントを教えてくれるのです。

 この友人からいただいたドライフルーツのなかでも、現在につながる衝撃を与えてくれたのが、フィリピン名産の豆科の植物タマリンドと、ジャックフルーツでした。
 タマリンドは、熱帯アフリカ・インド原産の豆科の常緑樹で、実は清涼飲料や下剤に使うのだとか。ただ私がいただいたのは、丸い実がそのまま乾燥され、一粒ずつ丁寧に袋に入っていました。ちょうどウズラの卵くらいの大きさでしょうか。口に含むとマッタリと濃厚な繊維質を感じます。そして、甘すぎない甘さが甘美に広がるのです。熱帯フルーツは、アセロラやパイナップルのように爽快な酸味に満ちたものもありますが、タマリンドやマンゴーのように、まさしく甘美という言葉がぴったりなフルーツがたくさんありますね。タマリンドは、その小ぶりな姿から一見甘美とは思えないのですが、一度食べたらすっかりとりこになってしまいました。
 ジャックフルーツは、いまや日本でもドライフルーツ好きの定番となっていますね。インド・マライ半島原産の桑科の小高木。和名はハラミツ。なんだか甘い響き。マンゴーやタマリンドとは少し違った甘さと、ちょっとハードボイルドな香りが特徴的です。この香りが苦手という方もあるかもしれません。私も最初はちょっとドキッとしました。でも、だんだんと慣れて、甘さとこの香りのドッキングを楽しめるようになったのです。ドリアンとは違いますが、やはりちょっぴり車の排気ガスのような香りといいますか、でも倒れるようなものではありません。

 ところが、この友人も、実はまだ手がついていないドライフルーツがあるのだそうです。中国土産にもらった星ブドウと干し杏。なぜならば、全部種が入っているからでした。杏はともかく、星の数ほど干しブドウ!といいたいほどたくさんあるレーズンのなかに、全部種が入っていたら・・・たしかに手が出ないかも。中国の人は、このブドウたちをどうやって裁いているのでしょう。

 日本で作られたドライフルーツは、日本人の口によく合っていて、熱帯のドライフルーツにはどうも手が出ないという向きにもお勧めです。
 私の一押しはバナナチップ。これは、思いのほか柔らかくて、口に入れるとサクサクポロッととろけます。味付けの仕方にもよりますが、生のバナナほど甘くなく、まるで別物。朝ごはんのプチデザートやおやつには最適でしょう。
 健康志向の方には、中国の干し梅をお勧めします。少し漢方薬のにおいがしみ込んでいて、日本の干し梅と同じ感覚で、ゆっくり楽しんでも良し、カリカリかじっても良し。一粒食べたら、「健康良好身体完全生産完了」などと、怪しい漢文が頭に浮かぶかも。

 ドライフルーツは、歯ごたえがあるのでたくさん食べすぎる危険は少ないかもしれませんが、カロリーは生と同じに高いので、注意は要るでしょう。それさえ上手にクリアできれば、素晴らしいヘルシーおやつですから、どんどん活用したいと思います。
 我が拠点から歩いて3分のところに輸入食品店があります。新たな誘惑スポット! 棚も充実しているので、試しがいがありそうです。
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イギリスの鳥の本  2011年5月2日

 イギリスが世界的な愛鳥国であることは、すでに日本野鳥の会の創始者である中西悟堂先生が、50年前に指摘しておられるくらい周知のことです。ロンドンの公園では、スズメたちが人のすぐ傍まで来る光景が普通に見られるそうですし、歴史的にも、愛鳥家たちの本がたくさん書かれています。
 たとえば、1977年に講談社から翻訳版が出版された「鳥たちをめぐる冒険」(W.H.ハドスン)は、田舎の別荘に滞在したときに出会った、水辺を含む野山の鳥たちを克明に観察し、暖かい愛情をもって綴られた記録です。私の印象では、これは中西先生の「定本野鳥記」に近いタッチで、鳥を身近に感じながら暮らす楽しさ、鳥に興味のない人に抱く残念な気持ちなど、著者の気持ちが等身大に綴られた朴訥とした作品でした。鳥たちの描写もさることながら、私は、この本がいわゆる激しい自然偏愛の姿勢で書かれていないところに、かえって強い説得力を感じました。もちろん、激しく自然保護を訴える情熱は必要なのですが、作品として読む場合、鳥たちの生活や人とのかかわりをそっと描写することで、読者が自然に環境について、地球の仲間について思いを馳せるようになる手法は、とても学ぶところがありました。

 もう一冊は、クレア・キップスという人の書いた「ある小さなスズメの記録」(梨木香歩訳)という本です。第二次大戦中のロンドン郊外で、元ピアニストで英国軍にも勤務したキップス夫人が、スズメの雛を拾います。瀕死の状態から何とか快復させたものの、その雛は翼と足に障害を負っていることが分かってきます。本当は、飛べるようになり次第、自然に返すつもりだったけれど、これではとても自然界では生きられない。ということで、作者はそのスズメにクラレンスと名前を付け、彼と一緒に暮らすことに決めます。
 ところが、そこから先がすごいことになるのです。作者を母と信頼したスズメの子は、少しずつ飛ぶ術をおぼえ、家の中ならかなり自由に飛んで歩くようになります。訪れる野鳥たちから「恐怖」という感情を学び、いつしかネコなどの天敵に、正しくおびえるようになります。さらに、作者のピアノに合わせて「歌」を歌ったり、「芸」までおぼえて軍の人気者となります。爆撃の下を潜り抜けたこともありました。スズメを守るため、夫人は恐怖をものともせず塹壕で夜を明かし、無事にスズメをつれて帰宅したことを心から喜びます。
 クラレンスにもっと歌をおぼえさせようと、カナリアを飼ってみますが、そのさえずりの勢いに、クレランスは黙り込んでしまいます。実は、私もカナリアを数羽飼ったとき、声の小さいほうのカナリアがすっかり静かになってしまった経験があり、カナリアの勢いのすごさを実感したことがります。本来、さえずりをもたないスズメなら、なおさら黙ってしまうでしょう。と、頷きながら微笑んで読みました。

 最後は、"The Natural History of Selborne"という本です。私はこれを、鳥の声とともに録音された英語の朗読版で聞きました。1760年代、作者は当時の気候や鳥の生態を日記のようにつづり、書簡形式で残します。いまからすでに300年も前の本に「4〜5世紀前には」などと書いてあって、なんとも不思議な感じのする本でした。
 この本で私が感心したのは、作品の内容よりも、朗読とともに使われている鳥の声の効果音でした。
 ツグミ、フクロウ、ウズラなど、日本にもいるけれども種類が微妙に違う鳥の声が、とてもよく分かるように散りばめられているのです。ときには、風の音や馬の蹄の音など、当時の様子を彷彿とさせる「静かな効果音」も巧みに使ってあります。私は、英語で読まれる鳥の日本語名が分からなくても、その声からだいたい何の種類かを当てることができたので、その都度辞書を引かなくても済みました。さしずめ、活字読者のみなさんが絵を見て鳥の様子を楽しむような感覚でしょうか。
 効果音なので、もちろんBGMのようにも使ってありますが、「聞かせどころ」といえるポイントが要所毎にあって、そこではきちんと、さえずり、地鳴き、警戒声など、図鑑のように正確に音が織り込まれます。
 面白かったのは、フクロウがBフラットやFシャープで鳴いているという話のところで、本当にその音階でフクロウが鳴くところでした。キップスも、ピアニストらしく、スズメのクラレンスが長三度の音階で歌っていると書いていますが、なるほど、この効果音を聞くと、イギリスの鳥は、たしかに音階に近い音をはっきりと、繰り返して歌うことが多いのかもしれません。だから、音階の聞き取りが自然に出てくるのでしょう。私が聞いた「音階っぽい」イギリスの鳥は、チフチャフです。その通り、チフチャフ、チフチャフ、チフチャフチャフ、と鳴いていて、聞いているうちに吹き出してしまいます。
 日本の鳥にも音階をもつ種類はいますが、いわゆる平均律の12音階にはまる音域のものとなると、そんなにたくさんはいない気がします。たとえば、コノハヅクの「ブッポウソウ」とか、ウソの「フィッフォーフォー」とか、ヤマガラの「ヒヒホーヒヒホー」などでしょうか。しかしこれとても、正確な音階と思えるケースは稀です。ましてやスズメについては、決まった音域で歌っていると思うことはあっても、音階となると、ほとんどそんな印象はないように思います。これもまた、外国の鳥を聞く楽しみですね。

 五月のバードウィークから始まり、日本も小鳥の季節になり、秋まで楽しめます。いまの日本は、皆がさまざまな思いを抱えて日々を過ごしていると思いますが、それらの思いを整理したり、気持ちを転換する意味でも、私はもう一度、神様の箸休めである小鳥たちの声に耳を澄ませたいと思います。
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何気ないのに美味しいもの  2011年3月15日

 2月は、私にとってちょっと厳しい月となりました。気温差が激しくて体調をくずしたのに加え、昨年がんばって新しい環境に慣れようとした疲れが出たのか、楽しいこともたくさんあったのに、気持ちがいまひとつ元気ではありませんでした。
 でもそんなとき、ふたつの「美味しいもの」が助けになってくれました。

 一つ目は、富山県魚津市から届いた林檎。数年前、新川ホールという素晴らしいホールで、トークコンサートと、ジャーナリスト小林和男さんとの対談ステージを企画してくださった若林工房の若林忠嗣さんよりいただいたものでした。若林工房からは、イリーナ・メジューエワというロシアのピアニストのCDが多数発売されており、そのCDのなかから、二年連続でレコードアカデミー賞を受賞したものがあります。もちろん、多くはこの新川ホールで録音されたものです。
 林檎に話を戻しましょう。若林さんによると、魚津市は林檎の産地としては青森などに比べて南にあるため、林檎を樹上で熟させる時間が長く取れるのだそうです。そのため、実は甘く美味しくなるのだとか。収穫から少し時間が経っていますがという「但し書き」付きながら、すぐさま林檎たちが届きました。
 なるほど、ナイフを入れてみれば、中身は甘みと酸味が絶妙にマッチした林檎でした。酸味より、ほんの少しだけ甘みが勝っていて、しかもその甘みが強すぎないため、大変自然なのです。ジュースも豊富で、収穫直後はさぞかし美味しい林檎ジュースがたくさん作られたのではないでしょうか。
 現在、地元の方たちが無添加の林檎ドレッシングの考案に力を注いでおられるとのこと。これも、市場に出回れば楽しみな一品になることでしょう。
 私自身は、林檎酢を愛用しているので林檎味は大好き。それに、ドレッシングは何かにかけるだけでなく、炒め物の味付けなどにもよく使うので、実は冷蔵庫に入りきらないくらい集まってしまっています。同じ素材に違うドレッシングをかけただけで、こんなにも表情が変わるのかと、毎日のように感心しているのです。そんなこともあり、林檎のドレッシングはかなり楽しみです。早く商品化されるとよいと思います。

 よく、林檎は整腸効果があると言われますが、体調をくずしていた私にとっては、この甘みと汁気がリラックス効果ももたらしてくれました。食欲がなく、毎晩納豆や豆腐が続いたときも、若林さんの林檎で、胃の負担も軽く栄養を採ることができました。ようやく元気になったころ、林檎も食べ終わり、新しい月とともにイチゴたちの出番となっております。

 もう一つの助っ人は、「白湯でした。ハクトウではありません、「サユ」です。念のため。
 私は、オフィスで仕事をしているときはほとんど毎日、水筒にいろいろな紅茶を作って飲んでいます。家で原稿を書くときは水筒は作りませんが、人心地付けたいときはたいてい紅茶を入れます。
 ところが、2月は胃の調子をくずしたため、二週間ほど紅茶やコーヒーを控えなければなりませんでした。そのとき、白湯を飲んでいたのですが、なんと、白湯はただの「湯冷まし」や「お湯」ではないということを初めて知ったのです。

 アーユルベーダに詳しい方はすでに実践なさっているようですが、「正しい白湯の作り方」というのがあるのですね。鍋や薬缶に水をタップリ入れ、蓋をせずに沸かし、沸騰してからさらに15〜20分グツグツと煮立てるのだそうです。ポイントは、空気にできるだけよく触れさせること。すると、良い気を含んだ白湯ができ、これを飲むと体の毒素が洗い流され、消化されなかったアーマというものが体外に排出されるのだそうです。それにより、体の陰陽のバランスが取れるのだとか。アーマとかバランスとか、そういうことはよく分かりませんが、たしかに塩素も抜けそうだし、美味しいかも、と思って早速やってみました。ちなみに、沸かしている間に換気扇を回し、空気の流れをよくすると、さらに良い気が注入されるのだそうです。これだけ湯気を出すのですから、どちらにせよ換気扇は回したほうがよさそうです。

 そうして沸かしたお湯は、水筒などに取っておき、冷めないようにしながらゆっくり時間をかけて飲むのだそうです。これで、体が内部から温まるからです。ただし、飲む限度があり、マグカップ5杯以上飲むと、毒素だけでなく栄養素も洗い流されてしまうので、ほどほどに飲むのがベストとか。
 私が一日に意識して飲む量は、仕事中に300ミリリットルの水筒一本と、三食をいただくときにそれぞれマグカップ1杯の飲み物。とすると、全部で1〜1.5リットルの間ぐらいというところでしょうか。
 ただし、最低二食、ときには三食の飲み物は、前にもこのエッセイで書いた蜂蜜レモン水です。これを白湯に変えずに計算すると、単純にレモン水以外の飲み物を白湯に代えた場合、仕事中の水筒+Αということで、一日にざっと300ミリリットルと少しの白湯を飲むことになります。飲める量、飲んで良い量としても、これならOKでしょう。

 作ってみて驚きました。塩素が抜けたなんてもんじゃありません。甘いうえ、水が凝縮されたような濃厚な風味が出たのです。水は浄水器を通しただけの水道水。いままでにも蓋なしで沸騰させて飲んだことはいくらもありますし、そのほうが甘いということも感じていました。でも、アーユルベーダ式「正しい白湯」の甘みは、もっともっとマッタリしていて、水とは思えない味。しかも「香り」があるのです。インドで編み出された方法だけに、お釈迦様が生まれたときに降った「アムリタ」という天の飲み物、とはいかないでしょうが、とにかく大変な変貌ぶりなのでした。
 乾燥した時期には、少しの湯気は加湿器の代わりにもなりますし、石油ストーブが使えるなら、沸騰するまでストーブで沸かしておいて、後の「沸かし」をコンロで行えばエネルギーの節約にもなるでしょう。
 もちろん、飲めば美味しいし、体もたしかに芯から温まります。あまり熱いものはいけないそうなので、少し性能の落ちるぐらいの水筒に入れておいて、チョイチョイ飲んでいくとちょうどよい感じでした。それから、素焼きの湯のみで飲むと、お湯の甘さがと香りが引き立って、より美味しく飲めるらしいことも発見しました。

 こうして、私の胃も元気になり、キムチやカレーにもやっと手が出るようになりました。ちなみに、白湯は、ダイエットにも良いのだそうな。
 平日は無理かもしれませんが、ゆっくり休める日には、お湯でも沸かしてのんびり過ごしてみるのもいいな、と思ったことでした。
 何気ない日常の飲食のなかに、こんなに美味しいものがあること。まさに、天地の恵みですね。
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古典ピアノの園にて  2011年2月18日

 ピアニストの友人に誘われて、東京信濃町にある民族音楽博物館を訪ねました。ここには、古典ピアノと呼ばれる古いピアノの仲間のほか、アンティークオルゴールや世界の民族楽器が多数展示されていて、驚いたことに学芸員さんによる案内を含めて無料で見学できるのです。そこで経験した、貴重なピアノ演奏についてお話しようと思います。

 年代順に、まずはイタリアのチェンバロ。鍵盤で演奏するのですが、手ごたえは鍵盤というより爪で弦を弾いている感触。浅くてひっかかるようなタッチで、しっかりと音を出すのがとても難しい楽器でした。力を入れて鍵盤を押せば弦を弾く部分が弦に引っかかってしまって動きが鈍るし、反対に力が足りないと音そのものが出ないのです。チェンバロの作曲で知られるドメニコ・スカルラッティなどがこんな楽器であの輝くソナタを奏でていたのかと思うと、とても不思議な気がしました。

 次は、バッハより少し前の鍵盤楽器。チェンバロといえますが、少しずつ反応が速くなり、なんとなくピアノに近づいている感じがします。それでも、まだタッチが浅くてピアノのようにスナップや手のひらの筋肉で弾こうとするとやはり引っかかってしまいます。

 ベートーベンがよく訪れていた貴婦人の家においてあったピアノも弾かせていただきました。動きはずいぶん速くなりましたが、まだまだ強弱が出てきません。ベートーベンが、あのようにひとつの旋律を何度も繰り返したり、しっかりと音を出す旋律を作っていたのは、楽器の動きと音の制約も大きく作用していたのだとよく分かりました。

 モーツァルトが愛用したアントン・ワルターという人の作品では、モーツァルトがなぜ「偉大」と言われているかが感覚として分かりました。このピアノは、いわゆるフォルテピアノの仲間で、音はだいぶクリアになり、チェンバロよりはピアノに近くなってきてはいますが、鍵盤の数もまだ現在の88鍵より少なく、タッチも浅くて硬い感じがします。指を速く動かすと、まだまだ鍵盤が下にくっついてしまうように感じます。音も少し暗めで、ベーゼンドルファーやベヒシュタインといったドイツ・オーストリアのピアノの音色を思い浮かべていただければ近いと思います。ということは、その楽器で旋律を弾いても、現在の、たとえばシュタインウエーといった、明るい音色のピアノで弾いたような輝きはなかなか出せそうもない気がしました。
 ところが、モーツァルトはそんな楽器で、あれほど音域が広く、輝くような明るい和音を次々と生み出したのです。それは、進化した現代のピアノで弾いてもまだまだ弾き切れないほどの深みと可能性をもって、いまも息づいています。そんな音楽をあの楽器から生み出したモーツァルトは、やはり天才だったのだと実感しました。

 フランスにも有名なピアノがあります。今回弾かせていただいたのは、エラールとプレイエルでした。プレイエルは、以前杉並区の大田黒記念館で弾かせていただき、私が小さいころから長年親しんだフランス式の弾き方で弾くと実に軽やかで躍動的な音が出たのに感激したことがあります。
 今回弾かせていただいたピアノは、ともにやや鍵盤が重く、深みのある音でした。パリで作曲をしたショパンは、こういったピアノを弾いていたのです。
 そこで、プレイエルのピアノで「バラード」の一番を弾いてみました。フィギュアスケートの浅田真央選手が使っていたことでも知られる曲です。
 現代のピアノで弾くと、バラードは朗々と歌う感じになり、弾けば弾くほど甘く、切ない音色になっていきます。ところが、ショパンが弾いていた音は、それよりもずっと淡白で、クリアな音だったようです。現代のピアノで甘く歌い上げるバラードというよりは、やや固めのクリアな音でしっかりと叫ぶような、といえばよいでしょうか。それこそ、パリの石畳にパツパツと落ちる雨だれのように、はっきりとした歯切れの良い音でした。ショパンは「ピアノの詩人」と言われるように、甘く情熱的な旋律が思い浮かびますが、このクリアな音を一度聞いてみると、ショパンが歌った旋律に、現代人の知るものとは違う音色があったことがよく分かりました。私自身が「バラード」の弾き方を変えることはないかもしれませんが、少なくとも、あのクリアな音を頭におき、石畳に響く心の旋律をイメージすることはできるでしょう。

 アップライトピアノにも、当時の職人さんたちの素晴らしい技術と遊び心が満載されていました。真四角のテーブルを開けるとピアノになっているものや、貴族の注文で足がネコ足になっているもの。ペダルが四本もついていて、その一本を踏むとドラムと鐘の音が響くものもありました。これは、トルコペダルと呼ばれ、当時はやったトルコ行進曲を弾くときに使ったのだそうです。こうなると、ピアノは鍵盤楽器というよりは、オーケストラともエレクトーンともいえるような、無限の可能性をもった楽器だったのですね。

 ソーマーという自動演奏ピアノでは、19世紀当時のピアニストの演奏がそのまま、紙ロールを使った仕組みで再現されていました。リストの「ラ・カンパネラ」を聞きましたが、これがまた、楽譜とはぜんぜん違ったアドリブあり、バリエーションありで、弾いている人の実に楽しそうな様子が伝わってくるかのようです。サロンのざわめきや、得意そうに超絶技巧をやって見せるピアニストへの拍手喝采までもが、聞こえてくるようでした。

 いま、クラシック音楽は世界最高峰の音楽となっています。それを学ぶとき、私たちは大変まじめに、一所懸命になります。もちろん、それは必要なことですが、作られた当時、ピアノは楽しく遊べる楽器であり、ベートーベンもモーツァルトも、当時の人々が気軽に聞ける音楽として作品を作っていたのです。音楽の父バッハでさえ、教会で歌うために作品を作っていたのであって、後の世にありがたがって演奏されるために作ってはいなかったでしょう。カンタータなどは特に、楽しく素敵に歌える身近な作品だったのではないでしょうか。それで思い出しましたが、私のピアノの先生が、学生時代にドイツでレッスンを受けられたとき、大真面目にバッハを弾いたら「君ね、バッハは子供がたくさんいたんだよ」と先生が微笑んだのだそうです。家族的な暖かい人の作品なのだから、もっと肩の力を抜いて、という意味だったのかもしれません。

 この博物館を訪れて、私は、レッスンで必死になって練習しているクラシックの曲を、少し手元に引き寄せることができたように思います。私も楽しく、生き生きと弾いていけたらと、あらためて思った一日でした。
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ガラス窓の前で  2010年12月26日

 2010年は、私にとってさまざまな変化の年でした。初めてワークショップ形式の講演に挑戦したり、ツイッターをはじめたり、毎月のようにトークコンサートをしたりと、執筆以外の場で多くの経験をさせていただきました。

 両親の家に加え、活動の拠点としてマンションを購入して自炊生活に入ったことも、最大の出来事のひとつです。2009年春から、不動産を買うための手続きや契約、引越しの準備やインテリアの買い物と、奔走してきました。新しいピアノも揃え、今年四月三日、復活祭の前日に部屋が引き渡しとなりました。初夏の陽射しのなかで引越しをし、てんやわんやしながら料理や家事を始め、そんななかでも、会社の仕事や原稿をこなしながらピアノをさらい、本番に臨んでいました。最初は張り切っていましたが、五月の暑さで軽い熱中症になったのをきっかけに、猛暑も手伝って、秋には体がボロボロに疲れてしまいました。でも、いままで得られなかった心境の変化や面白い発見をたくさん与えられ、トータルでは楽しい一年だったといえるでしょう。

 さて、年末の大掃除のとき、大きなガラス窓を磨きながら考えたことを書いてみます。
 ご承知の通り、ガラスというのは、磨いても磨いても曇ってしまいます。磨くそばから曇りができて、いったいいつになったら綺麗になるのかと、気が遠くなりそうです。シーンレスには曇りそのものは見えませんので、磨いたときの感触で綺麗になっているかを確かめていきます。
 特に、外側のガラスが綺麗になっていく様は、感動的だと思います。最初は、埃や泥が付いていて、ザラザラした層を拭いている感触です。今年は十二月に入っても黄砂が飛来したりして、窓は拭いても拭いても汚れてしまいましたね。年末になって、ようやくよく晴れたので、早速ベランダに出て、黄砂を落としにかかりました。

 二回ほど拭くと、ガラスの表面が滑らかになり、抵抗がなくなってきます。右手の濡れ雑巾で拭いた後を左手の乾いた布で乾拭きしていくと、ガラス本来の光沢が表れてきて、目の前が明るくなった感じがします。
 さらに拭いていくと、キュッキュッと小気味のよい音がしはじめ、ガラスの細やかな板目の手触りが感じられてきます。ここまでくれば、ガラスはピカピカになり、さっぱりと清められているわけです。もう、指で触って指紋を付けては可愛そうという状態。そんなガラスを通して部屋の奥まで届く陽射しは、ピカピカのガラスによって裏ごしされているかのように滑らかです。

 ベランダに持ち出した小さな梯子を上り下りしながら、うんと背伸びして窓の上や枠を拭き、しゃがんで下の方を拭いていると、普段陽光を招き入れてくれている窓の大きさと、平らなガラスというものの美しさに魅了されます。冬日のなか、近くでハクセキレイが尾を振りながらチチン、チチンと鳴いて飛んでいるのが聞こえます。少し下方でスズメが数羽、なんだかんだとおしゃべりしてチュンチュンやっています。遠くでヒヨドリがピーチョコチョコと浮かれ歌を歌っています。
 散歩中のチワワが三本締めのリズムで、ワワワン、ワワワン、ワワワン、ワンと鳴いていたり、近くのファーストフード店を訪れる高校生たちがキャッキャと笑いさざめいたりと、年の瀬の街の音が立ち上ってきます。汗びっしょりになりながら伸びたり縮んだりしてガラスを拭いていると、そんな音が音楽のように聞こえてきて、私自身の一年間を振り返らせました。今年に限っては、いま磨いている窓と、この家と出会ったときからこの日までのさまざまな出来事がひとつひとつありありと思い出されました。
 なかでも印象深かったのは、不安が出るたびに、不動産屋さんが心を込めて勇気付けてくださったことです。障害のある私に売らなくても、この家をほしい人はたくさんいたでしょう。でも、スタッフみんなが、私の決断が揺らがないように後押しし、私のニーズに一番合った間取りや階数を考え、宅配ボックスやエントランスの植え込みの葉っぱの位置に至るまで、私が安心して暮らせるように最善を尽くしてくださったのです。それは、ただの「売らんかな」精神ではやり切れない、心のこもったサービスでした。
 オプションのインテリア担当者の方も、カーテンの色から完成前の間取り図の説明まで、おそらくほかの方よりはるかに多くの時間と労力をかけて対応し、私の部屋にピッタリのものを次々と見つけてきてくれました。
 両親のサポートは、もちろん最大の助けでした。モデルルーム見学から各種交渉や契約書の確認、サイン、手続き、家具やインテリア屋さんめぐりや家電ショップめぐりまで、この一年半、老体に鞭打って(笑)本当によくしてくれました。もちろん、新拠点稼動後も、いままでに増して細かなサポートをしてくれていて、それがあるからこそ、私はこのペースで仕事を続けながらなんとかここまでやってこられたのです。
 この家を訪ねてくださる方々も、優しい気遣いを存分に示してくださいます。「何か買っていくものはない?」とわざわざ訊いてくれる人もいれば、掃除に便利そうなものや料理の助けになりそうなグッズをどっさり買い込んできてくれる人もいます。郵便物が読めなくて困っていると、遊びにきたついでに読み上げてくれる友達がいるかと思うと、もってきてくれたケーキの箱やお菓子の箱などを一まとめにして、一緒にごみ捨て場までもっていってから帰っていく友達もいます。私の日々は、そういう方々の助けの積み重ねによって、よたよたと進んでいるのです。
 シメジご飯を作ってよそったら、混ぜ方が足りず茸がひとつも入っていなかったり、冷凍した作りおきの弁当をもって出たつもりが、開けてみたら生ハムのストックだったり、違う階の家のドアにカギを突っ込んでガチャガチャと開けようとしたりと、毎日本当に、よたよたなのです。なかでも難しいのが調味料、ドレッシングと思ってかけたら麺汁だったり、胡椒をパラパラとかけようとしたら、ドドッと大サービスしてしまったり。調味料の壜の形って、どうしてこんなに同じなのでしょう。ユニバーサルデザインについても考えさせられることがたくさんありました。
 現代風の大きなパノラマウィンドウは、磨いてみると大変な面積で、いったい、こんなに大きなガラスをどうやって作るのかと驚いてしまいます。そんなガラス窓をえっちらおっちら拭きながら、私はこれらのことをひとつずつ噛み締め、一人一人に感謝のテレパシーを送っていたのです。
 私自身はというと、余裕がなく、いつも追われてばかりいました。体調を崩して予定を変更していただくなど、ご心配をかけた方もたくさんいます。そんなさなかですから、適切でないことを言ったり、知らないうちにいけないことをしてしまっていたかもしれません。
 ガラスを拭きながら、私は自らの至らない姿にも思いを馳せ、たくさんの「ごめんなさい」や「ありがとう」が湧き上がってきました。そして拭き終わったとき、心が目の前のガラスのように清められたような気がしました。

 作家、辰濃和男さんは、四国巡礼に出たとき、手を洗うという行為に深い意味を感じたと書いておられます。手を清めることは、心の整理をつけたり、心の澱を浄化する作用があるらしいのです。同じように、ガラスを磨く作業にも、心を磨いて一度本来の姿を表させ、私たちが生来授かっている「良いもの」を再び光りのなかに取り出すような要素をもっているのかもしれません。

 心が逼迫したら、ガラス磨きをしてみようかな、と本気で思ってしまったのでありました。
 2010年、みなさま本当にありがとうございました。そして、2011年のご多幸をお祈りしつつ、謹んでさらなるご厚情を賜りますよう、お願い申し上げます。
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つや姫様の御成り〜〜!!  2010年10月25日

 九月に山形新聞レディースセミナーで講演させていただいたご縁で、今月発売されたばかりのお米「つや姫」をプレゼントしていただきました。私の敬愛する故井上ひさしさんゆかりの山形で、井上さんが深く思いを寄せておられた米の新種が、十年あまりをかけて生み出され、ついに世に出たのです。しかも、その美味しさは、大げさでなく、生まれて初めての味でした。
「新しいお米が発売されるんです。つや姫っていいましてね、つやがあるんです」
 つや姫だからつや? なるほど? 講演のアテンドをしてくださった新聞社の方々が、初めて耳にする米の名前を教えてくださいました。明治期の貴重な建物を復元した文翔館の入り口で、つやつやと実った稲を触らせてくださりながらのことです。
「ほら、これ、つや姫の稲です」
 ほほおー、と触ってびっくり。本当につやつやなのです。つや姫だから。籾殻もつやつやで、しかも大粒。どちらかというと、糯米に近いようなずっしりとした質感がありました。でも、糯米ではないので、普通のお米の軽やかさも併せ持ち、これまた初体験の手触りでした。

 お米の名前といえば、コシヒカリ、ササニシキ、ひとめぼれ、どまんなかなどいろいろありますが、つや姫は名前がまたいいですね。一度聞いたら忘れない。しかも、なんだか「つや姫様、よしよし」とかわいがってあげたくなるような、愛らしいイメージが浮かびます。稲に触れて、そのイメージはなおさら強くなりました。ずっしりしているけれど、つやつやでピカピカのお姫様。2500戸の農家に限定されて、品質をしっかり護られて産声を上げたお姫様。いったいどんな味なのでしょう。

 講演から一週間後、いよいよ発売となったつや姫が届きました。梱包を空けると米の袋が。その袋の外からも、中のお米の粒が大きめなことが、すぐに分かりました。点字でいうと、お米が普通サイズだとしたら、つや姫は国際点字で使われるラージサイズといったところでしょうか。
 米びつに移そうと袋を開けると、フワーッと濃いお米の香りが立ち上ります。新米ならではの香りでもあり、おそらくつや姫ならではの香りでもあるのでしょう。
 いつもお米の封を切ると、私はまず、袋のなかにそっと指を入れ、指先がお米のなかに埋まる感触を楽しみます。お米の状態を確かめるため、そしてお米に「いただきます」と挨拶するためです。お米を触ると、それを作ってくれた農家の人に触れているような気がして、大切にいただきますという気持ちになるのです。
 つや姫は、米びつに移すときの音も違いました。粒がしっかりしているので、まるで小さな宝石をばら撒くように、キリリリリと鳴りながらサラサラと米びつに落ちていきます。お米の粒そのものは柔らかいので、よい響きのなかに微妙な音の揺れがあって、生きた実の音だとつくづく思いました。米びつが、新しい中身を歓迎して歌っているかのようです。お米はまさに、宝石ですね。
 米をとぐとき、私は水を入れる前に、もう一度、米の山のなかに指を入れます。やはり米の状態を確かめるためですが、あらためて空気に触れて役目を果たすのを待っている米が、少しだけ空気を蓄えて一粒ずつ凛と立っている手触りを楽しむのです。

 水加減をして、丁寧に炊飯器のスイッチを入れて炊き上がったつや姫。お釜の蓋を開けてまたびっくり。その香りの芳醇で甘いことといったら。まさしく宝石。食べてまたまたびっくり。モッチリとして甘く、舌の上で一粒一粒が、本当に点字を読むようにはっきりと分かるのです。噛み応えはありますが優しい柔らかさで、そこがほかのお米と違うところでした。
 「冷めても美味しいつや姫」がキャッチフレーズだそうで、たしかに、おにぎりにしてしばらくおいても、味がまったく変わりませんでした。むしろ、冷えることによって粘りが強まり、暖かいときを思わせるしっかりした口当たりになっていました。「おかずが要らない」というのが、私の印象です。
 働く女性は毎日ご飯を炊くのが難しいことも多いので、私は少しまとめ炊きして、一杯分ずつラップに包んで冷凍します。つや姫様を冷凍したりしたら、ご家来から無礼打ちにされそうでしたが、冷めても美味しいつや姫様の実力を信じて冷凍してみました。もちろん、味はほとんど変わりませんでした。レンジで加熱するときにラップに包んだままで暖めたほうが、水分が逃げなくてより美味しいと思いましたが、茶碗に盛ったまま加熱してもまったく問題のない美味しさです。いやはや、すごい、さすがはつや姫様。

 ところで数日後、ある新聞で阿川佐和子さんが、なんとつや姫のことを紙上広告でエッセイに書かれておられるのを見つけたではありませんか。「おかずが要らない」と、これまたなんと、私とまったく同じ感想を書かれていたのです。そう、美味しいお米は、それだけでご馳走なのですもの。「私も、おかずが要らないと思いました」と申し上げたら、佐和子様より「美味しいよね、つや姫」とのお返事。やっぱり、姫は只者ではないのです。

 もっともっとたくさんの農家に作っていただいて、私たちが元気に働ける力の付く、この美味しい姫様のご尊顔を、もっともっと拝謁できるようになればと思います。日本は、もう飽食の時代ではないと私には思えます。こんなに美味しいお米がある国なのに、野菜もほかの食材もたくさん輸入しなければ間に合わず、よい食材はお惣菜屋さんやレストランに回ってしまい、本当に料理したい庶民にはなかなか手が出なくなっていたりして。
 だから井上さんが言っておられたように、これからは、もっとお米を作れて、きちんと売れる制度を考えることも必要になってくるような気がします。このテーマは奥が深すぎてとてもここでは論じ切れませんが、一日に必ず一度か二度、多い日には三食全部お米をいただいている私としては、つや姫様がどんどん活躍なされて、世直しの力にもなってくれたらと、夢を膨らませてしまいます。
 いまは新米の季節。一年でお米が一番ピカピカで、美味しい季節です。ほかのものに奮発しようと思っていたお小遣いをお米に奮発して、体に「よいもの」をがっちり補給するのもいいなと思いました。つや姫様、お勧めです。
 ちなみに、お隣の秋田県では、ゆめおぼこという新しいお米が生まれたのだとか。これはぜひ食べてみたいところです。。
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「身体空間」の話  2010年10月9日

 9月29日の日本建築学会を挟んで、身体と空間、あるいは「身体感覚で何かを見る」ということについて、不思議なシンクロニシティを経験しました。もちろん、それぞれのこと自体は偶然の一致なのですが、そういったことにアンテナが張られていたために、面白い情報としてキャッチできたのでしょう。今回は、そんな不思議な一致のお話です。
 「身体空間」という言葉は、このシンポジウムに私を招いてくださった建築家、矢萩喜十郎氏が使っておられました。全身の感覚で空間を感じるということだそうです。それによって、空間全体のデザインを考えるヒントになるのでしょう。
 矢萩氏は、私が「鳥が教えてくれた空」や「そっと耳を澄ませば」で述べている空間認識の感覚に深い関心をもってくださいました。まず、車に乗っているとき、右に曲がると体が傾くような感じがするのに、自転車で壁などの周囲の情報を感じながら曲がるときには傾かないという箇所。そして、野鳥の声などから立体的に、音や香りから空間を捉えるという感覚に興味が沸いたとのことでした。

 シンポジウムでは、そんな感覚で空間を感じる、特に、視覚以外の感覚で手に触れられない空間をどう把握できるかということに焦点が合わせられました。パネリストは、ダンスパフォーマーの方や美術館のキュレーター(学芸員)の方、そして私でしたが、矢萩氏の発案で、主に私の空間認識の話からディスカッションを広げていくことになりました。
 留学体験からハイデガー哲学まで、話はどんどん広がったのですが、そのなかで私の印象に残ったテーマがありました。それは、「曲線の(あるいは円形の)空間」のことでした。

 曲線の空間とは、具体的にはたとえば、駅前のロータリーや円形のコンコース、私の職場もフロアが円形なので、壁が曲線になっているところがあります。「点字毎日」に書いてみなさんから笑われてしまいましたが、職場が移転して間もないころ、この壁で私は大きなたんこぶをこしらえました。ロータリーは二重、三重になっているところも多く、作りを理解するまでに一苦労なのです。

 曲線空間では、目的地に着くまでに体が微妙な角度で何度も方向転換するので、いつのまにか自分がどこを歩いているのか分からなくなってしまうのです。点字ブロックのあるロータリーでも、何度も45度のターンを繰り返していると、いまどちらの方向に向かって歩いているのかが、だんだん分からなくなってきます。昔話などでよく、雪山で道に迷い、進んでいたつもりが同じ場所に戻ってきてしまったという話がありますが、これはつまり、位置定位のヒントになる目印がないために、体の角度の取り方が分からなくなり、あらぬ方向に進んでしまうためです。曲線空間では、シーンレスにもこれと似たことが起きるのではないかと思います。雪山と違って、音や感覚などの定位のヒントはたくさんあるのですが、45度という曖昧な方向転換を何度もやっているうちに、そのヒントが正しく認識できなくなってしまうのでしょう。そのため、私は曲線が苦手であり、多くのシーンレスにとっても同じだと思うというようなことを、シンポジウムで話したのです。

 すると、隣に座っていた美術キュレーターの水沢さんが、それは自分も同じですとおっしゃったではありませんか。唖然!水沢さんは子供時代、斬新な試みとして造られた「建物が円形の小学校」に通ったのだそうです。ところが、教室は間違えるし、あちこち歩いていると自分がどこにいるのか分からなくなってしまうので、学校の建物が嫌いだったというのです。「あの学校に行っていなければ、ぼくはもう少し頭がよくなっていたと思うんですけど」と、冗談を言っておられました。

 会場は笑いに包まれましたが、私は一種の衝撃と安心感に包まれました。曲線が苦手なのは、私たちだけではなかったのです。最近のデザイン空間には曲線が多く使われていますが、そういう空間では決まって、人の動線がぐちゃぐちゃで歩きにくい気がします。もしかするとそれは、曲線空間そのものが人の方向感覚をくるわせてしまうからなのかもしれません。だとしたら、私たちシーンレスが困るからなるべく曲線空間は使わないでくださいとか、曲線空間のなかでも直線で移動できるように誘導の方法を考えてくださいと理解を求めるよりも、そもそも曲線空間自体が(開放感はあるけれど)歩行に優しくないのだから設計をさらに一工夫するという発想を模索するほうが、有効なのかもしれません。

 そんなことを考えながら迎えた次の日、またしても衝撃的な一致に出会いました。
 九月のワークショップにきてくださった女性の方とひょんなきっかけで食事をすることになり、ワークショップのなかで行なった音のクイズのときに、私が話した効果音のことに話題が及びました。文藝春秋から出していただいた「音をたずねて」に書いた、テレビ番組「相棒」の効果音のことです。
 この本で私は、「相棒」のなかで、ダンディーな英国通である警部、杉下右京が優雅に紅茶を注ぐ音が、どう聞いても熱いものを注いでいる音には聞こえないという疑問を、「相棒」の効果音を担当する大野さんにお話したのでした。たしかに、あれは右京に扮する水谷豊さんが火傷をなさらないように、冷たい液体を使っているとのことです。大野さんは「そんなところまで聞かれているのですか」と、私の質問に驚いておられました。ちなみに、中身は麦茶や水だそうです。
 ところが、この日の食事で、女性はこう話されたのです。
「あの話を聞いて、私、心のなかで鐘がなりました。だって、右京さんが紅茶を注ぐとき、熱いものを扱うにしては動作が速くて、不思議に思っていたんです。シャーロック・ホームズの映画を見たことがありますが、ホームズはとてもゆっくりと注ぐんです。だから時間がゆったりと流れる感じがします。イギリス人は紅茶をぬるま湯で飲むことはないので、映画でも本当に熱湯で入れていたのかもしれませんね。麦茶とは思いませんでしたけど」
 今度は、私の心の中で鐘がなりました。音だけでなく、動作もやっぱり、ぬるま湯仕様になっていたのですね。もちろん、ドラマのなかですから、そんな細かいことまで追求する必要はないのでしょうし、それが悪いということではありません。ただ、私が耳で聞き取ったことが、目からも同じ結果としてキャッチされていた。それが嬉しかったのです。つまり、私もこの女性も、右京さんの紅茶が熱湯ではなかったということを、ある種、体感的に感じていたのです。まさに、身体空間に通じる感覚ではないでしょうか。
 少し話は飛びますが、「点字毎日」や「日盲連、声の広場」でシーンレスの読者に直接メッセージを発信するようになって、私は、これからはバリアフリーではなく、ユニバーサルの考え方にますますシフトしていく必要があると強く感じるようになりました。いままでは、バリアをひとつずつ解決しながら、障害者と健常者が共存する道を探るケースが多かったかもしれません。でもこれからは、身体空間のように、むしろ共有できる接点を探し、問題が起きればそこを基点に解決していくという、ある意味で逆のアプローチが有効になってきたのかもしれません。

 家電がしゃべり、パソコンがしゃべり、書籍が電子化され、機械が通訳をしてくれる時代。どこかの国の関税障壁などは別にして、人々の間ではあらゆる種類のバリアがどんどん低くなっています。
 そして、身体で空間を感じ、心のセンサーで物事を見つめると、円い空間にせよぬるま湯の紅茶にせよ、身体で感じていると、行き着く結論が同じということがしばしばなのかもしれません。これは、戦争から福祉まで、あらゆる「共存」のテーマにとって、大きなヒントなのではないでしょうか。
 ちょっとお堅い語り口になってしまいましたが、シンクロニシティの感動を、少しでもお伝えできればと思った次第です。
 最後に、シンポジウムのなかで、「シーンレスの状態で歩くということは、生死に関わる危険がいつ起きてもおかしくないという状況のなかで、常に全身を緊張させて歩くということなのだと思います」と繰り返し会場に語りかけ、身体空間という感覚を超えて私たちの状況に深い理解と暖かい思いやりを示してくださった矢萩先生のお心遣いに、深く感じ入り、感謝したことを付け加えたいと思います。
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林檎並木の由来  2010年8月25日

 七月末に訪れた長野県飯田市の講演で、お世話をしてくださった小学校の先生から素敵なお話を聞いたのでご紹介します。
 私たちの泊まったホテルから少し車で走ったところに、林檎並木がある、と先生は話し始めました。そこは、昭和21年に「飯田の大火」と呼ばれる大火事が起きた場所なのだそうです。火事から数年を経て、飯田東中学校の先生と生徒さんたちが、「街に生きる希望の種を播きたい」と、林檎の植樹を始めたのが、代々続いていまも立派な並木となっているということでした。

 そこで私たちは、打ち合わせが終わると、早速その林檎並木に向かいました。商店街を抜けていくと、美しい赤レンガの道の左右に、まだ青い林檎をたわわに実らせた大きな木が見事な並木道を作っています。
 一本一本に大切に水をかけていた先生らしき男性に声をかけると、快く林檎の実を触らせてくださいました。一本ずつ、木の側の立て札には昨年成った実の数と、植えた学年とクラスの名前が記されています。「一年三組、887個」などなど。一本の木から取れる実は、木の年齢や種類にもよりますが、だいたい300〜800個ぐらいのようです。種類は、サンフジ、陽光、信濃ゴールドなどさまざま。
 少し歩いていると、大きなお菓子屋さんのご主人が玄関先の花壇の手入れをしておられたので、話をうかがってみました。
 飯田の大火は、てんぷらの火が原因で起きたのだと、ご主人は話してくださいました。高校野球に出場した地元の学校の応援をしていたら、誰かが叫んだ。振り向いたときには、辺り一面すでに火の海だったそうです。
 そして火事の後、そこらは瓦礫の山となりました。折りしも米軍占領下にあったこの地域で、どうやって復興を進めるかが問題となったのですが、結局米軍の鶴の一声で、道に瓦礫を埋めて広い道路を作ることになったといいます。庶民は敷地の一部をただ同然で差し出したのですが、そのとき、みんなは「将来この道を良くするためだから」と、潔く満場一致で米軍への協力を決めたのでした。
 こうして道ができ、次に瓦礫を掘り出し、林檎の木を植えるために新しい土を入れて1年寝かせた後、3年目にようやく植樹が始まったのでした。
「米軍がああしなければ、この地域の復興はまとまらなかった。強引だったけど、あれでよかったんです」
 将来を見据えて決断を下したご主人は、米軍を敵視することなくこう言い切りました。

 東中学のみなさんは、すでに何代も植樹を続け、寿命を迎えた木々もしっかり次の代に引き継がれているのだそうです。そして、生徒や先生、街の有志の方々が、暑い日も寒い日も、毎日丹精込めて水遣りや摘果、肥料遣りなどをしているのだそうです。摘果とは、良い実が確実に成るように、小さいうちに多すぎる実を切り落とすこと。これは専門的な知識と技術が要るので、植木屋さんが担当するのだとか。
「この林檎並木は、街のみんなで護っているから、盗む人がいないんです」
 ご主人は何気なくおっしゃっていましたが、これだけ広い範囲にある美味しい実を盗む人がいないとは、この世知辛い世の中、なんと素晴らしいことでしょう。
「収穫した実ですか? それはね、福祉施設や木の世話をしているボランティアさんと、それにもちろん、生徒さんたちで分けるんです」
 販売にも十分絶えうる品質のように思えますが、利益を得ないで植樹と収穫を続けているうえ、世話もみなさん、無償ということですね。盗む人がいない所以は、このような純粋な動機と運営方法にあるのかもしれません。

 まだうっすらとしか香りを放っていない林檎の実は、しかし、がっちりと重く、枝を枝垂れさせていました。わいわい言いながら植樹したり、収穫している平成の中学生の声が、林檎の実の中から聞こえてくるかのようでした。太平洋戦争も米軍の占領も、大火そのものも知らない平成の子供たちが、当時の若人と同じように一所懸命木を植えてくれているのです。そして、そこを訪れた私が、やはり戦争も米軍の占領も知らないけれど、その実に触れ、当時からいままで脈々と受け継がれている人々の思いに触れたのです。その縁の不思議に、心が揺さぶられるような気がしました。

 講演の後、私はもうひとつ、興味深い場所を訪れる機会にめぐまれました。それは、霊犬早太郎の祀られている光善寺というお寺でした。
 実は、私は早太郎のことを、小さいころに昔話で聞いていました。村の娘を毎年人身御供にしていたヒヒを、ある僧侶によって連れて来られた早太郎が見事に退治し、自分も傷ついて息絶え絶えで光善寺に戻り、和尚さんに報告するように一声高く吼えてからばったり倒れたのでした。
 その話のことは、もちろんすっかり忘れていたのですが、先生から早太郎の名前を聞いたとたん、突然、魔物のヒヒが唱えていた呪文をはっきりと思い出したのです。
「信州信濃の光善寺、早太郎には知らせるな」

 駒ケ岳の麓にある光善寺は、一面苔むした静かな御寺でした。中には光苔もあり、フワフワの苔が岩を優しく包んでいます。本道の賽銭箱の傍に、早太郎君の等身大の木像がお座りしていました。同行した母によると、ハスキー犬のような雰囲気があるとのこと。お守りと、たくさんの早太郎グッズを売っていたお坊さんにうかがってみると
「昔は山犬と言っていました。山犬は、狼も指していましたので、どんな犬かは想像してみる楽しみにしてください」
 とのこと。狼の血も混ざっていた山犬だとしたら、ハスキーっぽいという母の印象もあながち間違ってはいないかもしれません。
 わんちゃんのお墓は、小高く組まれた石枠の上に丁寧に作ってありました。「早太郎君、がんばったんだね」と私がうるうるしていると、母が「でも、こんなに大事にしてもらって、幸せなわんちゃんね」と言いました。精悍で優しいわんちゃんの息遣いが、ふと傍に来たような気がしました。
 お参りして本道に戻ろうとしたとき、母が足元に百円を見つけました。そこで私たちは、それを拾って早太郎君のお墓にお返ししてから、参道の階段を下りたのでした。
 途中、サルの親子に遭遇。すると、お土産屋さんのおばさんが「こら!」と追い払っています。
「人間になついてしまって、観光客の方に悪さをするといけないから、人間は恐いものだって教えているんです」
 わんちゃんのお寺でサルに遭うとは。しかも退治したのがヒヒ。これは、犬猿の関係というやつでしょうか。

 お後がよろしいようで。
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ツイッターのこと  2010年7月16日

 トップページでもご紹介しましたが、五月の末からツイッター(簡易ブログ)を始めました。
 実は前からやってみたかったのですが、時間に追われる生活のなかで続けられるか不安だったことと、こういった不特定多数の方と直接メッセージを交わす可能性のある媒体の経験がなくて、それも心配だったというわけで、半年ほどウジウジしておりました。
 ところが、私を優しく励ましてくださっているある大手出版社の社長さんが、ツイッターをやってみたらけっこう面白いと教えてくださり、この方がなさっているなら私も!! と、あっという間に決心がついてしまったのでした。「決心がついたツイッター」って、ハイ。親父ギャグファンの皆さんも仲良くしてください。ただし、肝心の社長さんのほうは、お忙しいことと、公の立場ということで、なかなかツイートはできないようですが。

 さて、ツイッターになじみのない方にちょっとだけ情報。ツイートとは、小鳥がさえずるように、思ったことをチョコッとネット上でつぶやくことです。ツイートするからツイッター。メールのように個人宛ではなく、かといってホームページのように広い世界に石を投げるような茫漠感もなく、またチャットのようにリアルタイムで一所懸命やりとりをするという逼迫感もなく、実に自由で、ゆるーい媒体です。ホームページにもメールにもチャットにもそれぞれ違ったメリットがあるのですが、ツイッターにはさらにまた違ったメリットがあったのです。
 これが、ハマりました。ネット好きでない私には意外でしたが、なんというか、私の場合は友達のほかに、読者の方や同じシーンレスのみなさんと不思議なご縁でつながる嬉しさが生まれたのです。
 まず嬉しかったのは、社長さんがツイッターについて教えてくださったときに同席していた編集者の方々が、みんなで真っ先にフォローしてくださったことです。その後、同じ出版社で前に担当してくださった方や、雑誌でお世話になった方も次々とフォローしてくださいました。なんて暖かく見守っていただけていることか。まずそこでウルウル。

 続いて、シーンレスの音楽家のみなさんが次々とフォローし、ツイッター初心者の私に丁寧にメッセージをくださいました。若い方には「憧れの先輩」なんて書いていただいたりして。世界的なバイオリニストの先生まで、暖かいメッセージをくださいました。そのほかにも、盲導犬ユーザーやコンピューターのエキスパートの方など、たくさんのシーンレスのみなさんがツイッターの使い方を教えてくださったり、励ましてくださるようになりました。私の文章がシーンレスのみなさんにこんなに受け入れていただけていたとは、嬉しくて嬉しくて、感謝でいっぱいになりました。

 さらに今度は、障害学会という学会のメンバーの方もフォローしてくださいました。この方とは、会員のエッセイの審査を依頼していただいたことからお付き合いが生まれました。仕事はメールでやりとりするので、言語が難しい方と、墨字が書けない私との間でも、障害はまったく感じられません。これはITがくれた大きな感動のひとつです。そうそう、目と耳の両方に障害のある方とも、メールなら普通にお話できます。これもすごいことです。こうして、この方を通じて今度は車椅子使用者のみなさんもフォローしてくださり、障害間で自然に仕切りがなくなっているのを感じてこれも喜びとなりました。

 最近あった嬉しいことは、フリーカメラマンの方が「福耳落語、拝読しました」とメッセージをくださったことです。この方はこの本について、噺家さんではない人の書いた本のなかで一番面白かったという、涙の出るようなツイートもしてくださっていました。落語通と思われる方にお褒めに預かって、これぞ著者冥利に尽きるという気持ちでした。

 「空が香る」も、注文しましたというツイートがたくさん入りました。

 ツイートには、 140字という字数制限があります。なので長いツイートはできず、逆にこれが継続できる理由なのでしょう。俳句で省略を鍛えられ、翻訳でピンポイントの表現を鍛えられている私にとって、140字はなかなか豊かなスペースです。たまに超過して、あわてて削除して入れなおしたりもしていますが、たいていは書きたいことはすっぽりはまります。

 さらに面白いことに、たとえばコーヒーについて書いたら、コーヒーの通販をやっている中東の方(たぶんおじさんかな?)がフォローしてくださったり、枇杷のことを書いたら「枇杷について語る」というホームページをお持ちの方がフォローしてくださったり。軽井沢のことを書いたら、軽井沢のパスタ店の方がキーワードでフォローしてくださったりもしました。
 本や私のパーソナリティだけでなく、話題からもフォローやツイートが入るというのが、ツイッターの面白さなのかもしれません。ちょっとこわい面もありますが、お互いに個人情報なしでつぶやき合えるので、メールやホームページのような密着感がない分、安心というか、恐怖は薄いような気もします。甘いかもしれませんが。

 携帯電話でツイッターの画面を開くと、ツイート(さえずり)という言葉通り、ヒヨコマークが出てきます。そして「いまどうしてる?」という質問の下に、ツイートするテキスト入力ボックスがあります。音声で「いまどうしてる?」と読まれると、ついついツイート、ということに。

 まだ私のつぶやきを見ておられないみなさん、どうぞフォローしてみてください。失敗や面白ネタなど、いろいろつぶやいています。それから、ホームページに加え、リアルタイムで私の活動や本のこと、講演のお知らせなどもアップしていきますので、どうぞお見逃しなく!!
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初めてのテープカット  2010年5月30日

 トップページで告知しておりますように、五月二十三日にオープンした青森県八戸市の洗心美術館で、私の書が展示されています。今回は、その洗心美術館のオープンに際して、テープカットにお招きいただいた話をご報告したいと思います。式典の模様は、五月二十四日のデーリー東北紙に掲載されています。
 新幹線で東京から三時間。八戸にはまだ、東京に降り始めた雨は届いていませんでした。でも、風は冷たく、鳥たちもまだ、囀りモードになってはいないようでした。洗心美術館は、八戸駅からタクシーでワンメーターくらいのところにあります。

 ところで、テープカットを見たことのある方にとって、この場面は「おなじみ」の光景だと思いますが、考えてみると、私にはまったくの初体験でした。映像でテープカットの様子を見た記憶がなく、また実際にそんな晴れやかな場面に居合わせた経験もなかったからです。テープと言われて思い出すのは、小学三年生のとき、秋の運動会で50メートル走で一番になって、ゴールのテープを切ったことぐらい。でもあのときは、ゴールですから、私が走り込んだら行く手を塞いでいた細いテープがシューッとなくなっただけで、本人にはあまりぴんと来ませんでした。それよりも、止まった瞬間に先生が、ボール紙に金紙を貼って作った「金メダル」を首にかけてくれたことのほうが、嬉しかったものでした。そんなわけで、あらためてテープカットをと言われても、何をすればよいのか、あまり分からずに面白がって引き受けてしまいました。
「リボンでできた花形の飾りの乗ったテープを、挟みで切るのよ。だから、飾りをもたないように手を添えるのよ」
「そうなんだ。で、挟みはもっていかなくていいの?」
 まさか。あれは、特別な挟みなので、自分でその辺にある挟みを持ち出したりしないのですね。こんな私が、恐れ多くも美術館のオープニングセレモニーで「俳画巨匠展代表」などという名目で、式典の舞台に立たせていただくとは、どう考えても申し訳ないようなお話なのでした。

 さて、それでも何とか迎えた当日。冷風のなか、私に書に挑戦する機会を与えてくださった九十二歳の彫刻家、関頑亭先生はじめ、来賓のみなさんが揃い、式典が始まりました。館長の小阪明氏が三十余年の歳月をかけて実現した美術館の開館。地域の子供たちに本物の美術に触れてほしいという志の元、頑亭先生はじめ錚々たる方々の作品が展示されました。八戸市長や議員の方の祝辞が終わり、いよいよテープカットです。
 係りの方に手を引かれてテープの前に立つと、薄い手袋を手渡されました。これは困りました。私にとって、手の感覚を塞ぐ手袋は目の見えるみなさんでいうところの目隠しにも匹敵するものです。慣れた行動だけしていればよいときならともかく、こんな初めての場面で目隠しをされたら、いったいどうすればよいのでしょう。テープを探し、飾りの左に手を添え、正確な位置に挟みを当てて一回でカットすることが、はたしてできるでしょうか。しかも、寒さで手もかじかんでいます。私が失敗したら式典は台無しになってしまうかもしれません。さらに困ったことに、鋏は薄くて大きく、持ちなれない形をしているようです。要の辺りには、これまた大きなリボンが付いていて、うまく角度が決まらないとリボンを挟んでしまいそうな気もします。大丈夫かな?? 急に心臓がドキドキと激しく鳴りはじめました。

 恐る恐る手を出すと、とりあえず、左手で花を探り当てることができました。ところが、その花から何本も太いリボンが垂れているではありませんか。その手触りは、手袋越しだとカットすべきテープ本体とほとんど区別がつきません。この何本ものリボンのうち、いったいどれがテープの「本線」なのでしょう。両手で触って確かめたいのですが、みんなが見ている前であまり手を動かすわけにもいかず、私は一か八か、右側に伸びている一番しっかりした手触りのものに鋏の刃を合わせ、そっと右のほうに持ち上げてみました。リボンなら、その時点で鋏から落ちるはずです。でも、そうはなりませんでした。おそらく、これが「本線」なのでしょう。ええい、あとは運を天に任せるっきゃなぃ。腹をくくったところに、司会の女性の声が聞こえてきました。
「それでは、テープカットを行います。花の左側に手を沿えて、右手に鋏をもってください。私が声をかけたらカットをお願いいたします。はい、それではカットをどうぞ」
 どうかな? と思いながらも、私は右手の鋏を閉じました。
ジョッキン
 たしかな手ごたえ。そして、長いテープが左手にもった飾りからスルリと下方に垂れてきました。よかった! どうやら、間違えずに「本線」をカットできたようです。リボンが箱に集められていきます。私は、うまくカットできた記念に自分の花をいただいて席に戻りました。それにしても、あの金ぴかの鋏は、レンタルなのでしょうか。あのあと、どこに行くのか、鋏の行方もちょっと気になったりして。
 こうして、余計なことを考えながらも式典は無事終わり、私は心置きなく、祝賀会や頑亭先生を囲む晩餐会を楽しく過ごすことができたのでした。

 翌朝、ホテルの部屋に配られたデーリー東北紙に、このときの写真が載っていると聞かされて大あわて。そういえば、カットしているとき、あちこちでカメラのシャッターが切られる音がしていたような。でも私には、その音に合わせて輝く笑顔を作る余裕なんて、これっぽっちもありませんでした。きっと、リボンと鋏に神経を集中させて、どんなにかしかめっ面をしていたことでしょう。あーあ。せっかくの美貌が、とは間違ってもいいませんが、せめて和やかな顔で写りたかったなあ・・・。
「大丈夫。顔は遠くて表情はぜんぜん分からないから」
 と母。なんだか慰めのような、投げやりのような。

 そんなこんなで、ずいぶんと気を揉んだテープカットではありましたが、私にとっては、生涯経験できるとは思っていなかった素敵なひと時でした。頑亭先生や小阪館長、それに関係者のみなさんの思いが形となる瞬間を、あのジョッキンという感覚で私たちが刻ませていただいたのです。その深い感慨が、帰りの新幹線のなかでフラッシュバックしてきて、私は自分が招いていただいた舞台の深い意味を、あらためて噛み締めたのでした。

 それにしても、あのジョッキンという感覚は、素敵でした。今度はぜひ、クスだまを割ってみたいと思います。クスだまを割らせてくれる方を募集いたします。

 みなさん、八戸においでの際は、ぜひぜひ洗心美術館にお立ち寄りくださいませ。
 頑亭先生、小阪館長、本当におめでとうございます!!
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夢にまで見た光景  2010年5月2日

 ある雑誌で、昨今は家電や街の自販機、カーナビなど、機械たちがしゃべるようになり、不思議な感じがするという内容の記事を読みました。たしかに、その気持ちは分かります。しかも、その「しゃべり」も、以前は機械の声が無表情に決まりきった言葉を繰り返していましたが、最近は生の人の声を録音して使ったり、人工の音声が「ネットの歌姫」としてもてはやされるなど、機械の声もどんどん自然なものになっていっているようです。声を出すものの人口は、いまや人の人口をはるかに超えているのかもしれませんね。

 さてそんななか、私も家電たちのしゃべり上手に触れて驚愕したので、今回はそのご報告をしてみましょう。
 機械のしゃべりには、指示、情報、そして遊び心の3つの内容があるように思います。実は、街中で見かける機械の多くは、指示と遊び心に重きがおかれている気がします。
 たとえば、自販機が時間や季節に応じて「おはようございます」とか「あったかいお飲み物はいかがですか?」などと話しかけるのは遊び心。カーナビが「航空宇宙技術研究所、右方向です」などと、私なら舌を噛みそうな長い名前をいとも簡単に読み上げて方向を教えてくれるのは指示ですね。さらに、お金の引き落としや預け入れをするATMなどが「画面に従って数字を入力してください」と言ったり、券売機が「経由駅に触れてください」などというのも指示です。

 ところが、情報となると、鉄道のエスカレーターが「○○方面行き、上りエスカレーターです」などと言ったり、エレベーターが階数を言うくらいのもので、注意して聞いてみると真の意味で情報を提供しているおしゃべり機械は実に少ないのです。むしろ、圧倒的に指示が多いのです。そして残念なことに、私たちシーンレスには、この「指示」はほとんど役に立たないのです。言い代えると、機械がどんなにおしゃべりでも無言に等しいくらいに助けにならないのです。
 たとえば「画面に従って操作してください」という言葉には、私に分かる情報は何も含まれていません。そこまで話せるなら「料金は○○円です」とか「○○行き」などと情報をしゃべってくれたほうがどんなにありがたいことでしょう。

 以前は、家電も同じように指示が多いおしゃべりしかしてくれないものがほとんどでした。「ランプが点灯したらスタートボタンを押してください」「メニューから選んで決定を押してください。」これでは、ランプが点灯しているかどうかが分からず、選ぶべきメニューがどれか分からない私には、お手上げです。料理の方法を手順に応じて音声で教えてくれる便利なゲームソフトも、メニュー画面が音声になっていないために、まったく使うことができないという、悲しい現実があるのです。

 けれども、先日、量販店でいくつかの家電をチェックしてみて、驚きました。いまは、大型家電のなかに私たちが実際に、しかも重宝に使えるおしゃべりができる機械が生まれているのです。さらに、それを「ユニバーサルデザイン(UD)」だなどと歌わず、まるで普通の装備の一環ででもあるかのように、自然にその機能が搭載されているのです。
 まず感動したのは、ビルトイン方式のIHクッキングヒーター。これは、使い方に若干のこつが要るようではありますが、タイマー、温度、火力など、現在選ばれている情報をかなりの部分、音声で教えてくれます。同じシーンレスの友達は、これを使ったことで揚げ物を作るのが大変でなくなったと喜んでいました。
 さらに、この機種には、マニュアルに「点字シール」が標準装備されていたのです! つまり、シーンレスが使うことを想定して開発してくださったものなのです。でも、素晴しいことに、それを「UD商品」と声高に吹聴せず、何事もなかったかのようにシールが入っているのです。希望すれば、音声化されたマニュアルのCDもあるのだとか。ここまで書いたので実名を出させていただいてしまいますが、三菱さん、偉い!!

 次に驚いたのは、洗濯機でした。いままでにも、ボタンを押すとピッピッ、最終のメニューでピーなどとビープ音が変わるものはたくさんありました。それに、洗濯機は、コースを選ぶことさえできれば、特に画面を見なくても操作できるので、音声なしの機種ではたいてい、一度目の見える人にコースの順番を教えてもらい、それをおぼえるか書き取るかして、ボタンを押す数を数えることでコースを選んでいました。予約や時間設定は音声なしでは難しいので、私の場合は諦めて使いませんでした。
 ただし、最近は多くの機種でボタンに点字表示が付いているので、それだけでもずいぶん助かっています。点字が読めないシーンレスでも、形をおぼえれば十分識別できるからです。余談ですが、同じ恩恵は炊飯器にも多くみられました。できれば、電子レンジのボタンにも、せめて点字があったらとても助かりますね。ちなみに、私の会社は、私が使えるようにと、休憩室の共同電子レンジのボタン全部に点字を貼ってくれました!

 さて、洗濯機に戻りましょう。あったのです。しゃべる洗濯機。店員さんに、そんな機種はありますかと尋ねてみたら、「去年まであったんですけど、なくなっちゃいましたねえ」と悲しい返事が返ってきました。やはり、UD商品はコストがかさむので難しいのでしょう。
 諦めてふと手を載せた洗濯機のボタン。点字を読む左手の人差し指の下に、なんと点字で「オンセイ」と書いてあるではありませんか。思わずもう一度指を動かして確かめました。オンセイ。やっぱりそう書いてあります。
「あの、ここに音声って書いてあるんですけど、これ、もしかして・・・」
 恐る恐る言うと、店員さんが飛んできて「あっ、ありますね、ありますよ、これ」と大喜び。私よりはしゃぎながらマニュアルを開き「音声ガイド、読み上げるのはですねえ、コースとディレクション、作業が終ったとき、何か不具合が起きたとき・・・」と読み聞かせてくれました。

 コースが自由に選べる。その機能も分かる。洗濯の終わりも分かる。しかも、不具合が起きたときに教えてくれるのは本当にありがたいことです。かなりお高い機種ではありましたが、私は「音声には代えられない」と思い、その洗濯機を買う決意をしたのでした。私も嬉しかったですが、お店の人も、私が喜ぶのを見たことと、勧めたよりも高級機種が売れたことで、とても嬉しそうでした(笑)。

 いろんな本のなかでも書いてきましたが、私は、真のユニバーサルデザインとは、こういうことではないかと思うのです。多少高いことは、企業にできるだけがんばって安くしてほしいとはいえ、ある程度仕方ないかもしれません。でも、それよりも大切なことは、声高に歌わず、競争のある商品の中に自然にUDの発想が組み込まれていくことではないでしょうか。IHヒーターにしてもこの洗濯機にしても、何も言わずに音声が搭載されていて、しかもその内容は「指示」ではなく、私たちが本当にほしい「情報なのです。
 ようやくここまできた。それが、この日家電売り場を訪れた私の正直な印象でした。こういった機能がもっと安価な普及機種にもあり、それらの機械が普通に、複数売られていたら完璧です。本当に必要な情報をしゃべってくれて、自然に売っているUD商品。ずっと夢見ていた光景でした。この光景が、もっともっといろんな機械に広がり、街中に広がっていってくれたらと、願って止まない次第です。
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スイーツを少々  2010年3月22日

 今年は杉花粉の飛散量が少ないと言われていますね。たしかにそんな気はしますが、やっぱり飛んでいるものは飛んでいるわけで、マスクが手放せない昨今です。そんなムズムズな私ですが、負けずにリトルエッセイをお届けしましょう。

 今回はアマーイ話題。みなさんは、アニメ番組の「夢色パティシエール」をご存知でしょうか。私の住む東京では日曜日の朝七時から、日本テレビで放送しています。
 おばあちゃんに作ってもらったスイーツを食べて幸せな気持ちになれた主人公の少女”あまのいちご”が、自分もスイーツで人を幸せにしたいと希望に燃え、パティシエール(洋菓子職人)になるため、全寮制の製菓学校の中学部に入学します。そこには、スイーツの妖精たちが住んでいて、生徒たちとパートナーを作ってスイーツライフを織り成していきます。妖精たちのふるさとはスイーツの国で、これまた別の世界があるのですが、彼らはそこからこの学校に「視察」にきているらしいのです。 ちょっと「ハリー・ポッター」を思わせる雰囲気がなきにしもあらずですが、設定がまったく違うので、説明から感じるほどの類似感はないと思います。

 青春ドラマからお菓子をめぐるさまざまな出来事まで、三十分の番組はあっという間に終わってしまいます。そして最後に”、パティシエールの渡辺さん”という女性が、テンパリングやロールケーキの作り方など、実地にワンポイント講座のようなことをしてくれるのです。
 子供向けのアニメと言ってしまうには、あまりに本格的で、とてもよく作られたストーリーなので、私は大好きです。仕事にかまけてスイーツ作りはしばらくご無沙汰でしたが、これを見ていてまたケーキでも焼いてみたい気分になっています。
 ちなみにご存知の通り、パティシエールはフランス語で「女性の菓子職人」のこと。男性ではパティシエとなります。

 そんな折から、私にも気になるスイーツが現れました。ワッフルです。
 手元の資料で調べたところなので正確ではないかもしれませんが、何でもワッフルは、ゴーフルと同じ語源で、紀元前後のギリシャ時代から食べられていたのだとか。ワッフルは英語で、ゴーフルはフランス語という説明もありました。祭の屋台でクレープのような感覚で楽しまれていたそうです。それがヨーロッパでいろんなバージョンとなって発達し、明治時代にご維新の日本にもやってきたというわけです。

 ワッフルには、日本でも最近定着してきたベルギー・ワッフルのほかに、アメリカン・ワッフル、ウィーン式ワッフルもあるそうです。ベルギー・ワッフルにも、生地の柔らかさや口当たりによってブリュッセル式、リエージュ式などあるようです。そのほか、ベーキングパウダーや重曹で膨らませたアメリカン・ワッフル、北欧や香港のワッフルもあるそうです。中に挟むものも、クリームやジャムだけでなく、チーズや野菜など、軽食風のものもあるようです。
 さて、日本のワッフルは、アメリカン・ワッフルがベースという説があるようですが、ジャパニーズ・ワッフルとも言われているようです。これは、楕円形のフワフワしたワッフル生地を二つ折りにして中にクリームなどを挟む「柏餅風」と、楕円形の生地を二枚重ねて「サンドイッチ風」にしたものの両方を指しているらしいのですが、正確な分類はいまひとつよく分かりませんでした。
 ワッフルのことがちょっと分かったところで、私もワッフルを求めて小さな旅に出てみました。といっても、職場や家の近くの専門店で何種類か買い求めただけなのですが。コンビニやスーパーでおやつに売っていてもおいしいものがたくさんあります。もちろん、その辺もばっちりチェック。ですからお値段は、一個百円前後から二百円以上とさまざまでした。

 でも結論は、どれもおいしい。そりゃそうですよね。フワフワのも、モチモチのも、それぞれに味わいがあって、さすがギリシャ時代からのロングセラーのお菓子だけあって、東洋の私たちにも嬉しいひと時を作ってくれました。お値段によって、たしかにクリームや生地の味は違いましたが、考えてみればこれは基本的には庶民のお菓子ですから、もともとそんなに高級である必要はないのです。だから、手軽に買えるものでも美味しさに大きな差はないというのが私の印象でした。なあんだ、と思われた方、ごめんなさい。

 フランス革命前夜、王妃マリー・アントワネットが「庶民には食べるパンがありません」と進言した家臣に「パンがなければお菓子を食べたら?」と言ったという逸話はよく知られています。そのように、お菓子は贅沢品でもありましたが、一方で、広場でワイワイ遊んでいる子供たちのおやつとして庶民に楽しまれるものでもあったのです。その意味では、パティシエールを目指す”いちごちゃん”が夢見るように、スイーツは高級かどうかにかかわらず、人を幸せにできるのでしょう。そして、スイーツが自由に食べられて、女の子が材料の心配をせず、普通にスイーツ職人を目指すことができるというのは、砂糖が専売だった時代から見たらそれこそ夢色の時代といえるのでしょうね。
 そう考えると、急にいまの時代のよさを感じてしまったりして。みなさんのハマりスイーツは、どんなものでしょうか。
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色の手触り!?  2010年2月12日

 ある理由から、このところいろんなインテリアに触れる機会にめぐまれているのですが、先日、カーテンが大量に展示されているインテリアフェアに行って不思議な体験をしました。それは、もしかしたら、色にも手触りがあるのかもしれないと思わせる奇妙な感覚で、こうしてエッセイにしようとしても、どこまでうまく表現できるか分かりません。でも、記憶が鮮明なうちに少しでも文字にしておこうと、がんばってみることにしました。

よく、私が洋服をどうやって選んでいるのかと尋ねられることがあります。まずは着心地や材質など、服の質やブランドで選ぶのはみなさんと同じです。店員さんや家族、友人など一緒にいる人の意見を聞くのも同じです。もちろん、自分では色柄が分からないので、意見を聞くときにみなさんより細かく教えてもらいます。
 ひとつ違うとすれば、私は服を手触りでイメージすることです。服ですからもちろん、みなさんも手触りを大切にしておられると思います。ただ触れる前に色柄が視覚から入ってくるので、イメージの順序はおそらく反対になるのではないでしょうか。というか、私が目の見えるみなさんと反対なのですね。視覚からのイメージをもったうえで手触りを大切にするという順番ではなく、色柄はともかく、まず手触りでその服が華やかなのかシックなのかを感じ、その印象に教えてもらった色柄を重ねて視覚的なイメージを作り上げるわけです。

 カーテンを見るときも、同じ方法を使いました。何千枚とあるカーテンの列に分け入りながら、布地はもとより、織り方、厚み、刺繍、材質、織り柄、堅さ、表面の手触り(フワフワ、ゴワゴワ、ポッテリ、ツルツルなど)、広げたときの質感などを指で比べていくのです。
 それにしても、同じように見えるカーテンでも、一枚一枚がこんなに個性豊かとは、頭では分かっていながらもあらためて驚きました。似たものはたくさんありましたが、どれひとつとして、同じではなかったのです。同じ手触りでも厚みが違うとか、光沢が違うとか、何かが違っているのです。そこに色が入り、模様が入るのですから、カーテンの個性は無限大でしょう。

 そのうちに、不思議な感覚に気が付いたのです。いろいろ触りながら、私はいつしか、服のときと同じように、カーテンにも明るいイメージや落ち着いたイメージを感じはじめていました。それは、厚みや刺繍、材質によって決まるイメージだと思うのですが、奇妙だったのは、私が明るいと思ったカーテンは、かなりの確率で色柄も明るいものだったのです。
 もちろん、見えているわけではないので「はずれ」もあります。でも触れたイメージを作ってから「これはどんな色ですか」と訊いてみると、明るい色のカーテンに施された刺繍は、花だったり美しい幾何学模様だったりして、触れても明るく華やかな表情をしているようでした。反対に、地味な色のカーテンは、地も厚めでテキスチャー(手触り)もザラザラに近く、触った瞬間に落ち着いた気分になりました。その色を尋ねると、茶色や濃いブルーなど、寝室に合いそうな色合いの答えが返ってきました。
 レースのカーテンでも、チューリップやユリの花が散りばめられたものはパノラマウインドウにピッタリの華やかさと軽やかさを湛えており、寝室向きのものはレースでも質量があり、手触りは多くがシットリしていました。

 さらに驚いたのは、カーテンに触れた瞬間、そのカーテンがたとえば私に合うかどうかが、なかば直感的に伝わってきました。これは理屈ではないので「本当か???」と言われそうだし、私自身も鵜呑みにしているわけではありません。ただ、触れたものと私の体との相性が、体質的に合っているかどうかが分かるのでしょう。それは私の感覚というよりは、体が本能的に出しているメッセージなのかもしれません。

 それで思い出しましたが、ある方が「オーリング」というテストを教えてくれたことがありました。何かを手に握り(握れない大きなものなら触れて)親指と人差し指で輪を作り、それを誰かに「せえの」で引き離してもらうのです。握った物が体質に合っていると、不思議なことに引っ張られても指に力が入って解けません。合っていないと、どんなにがんばっても呆気なく離れてしまいます。これで、食べ物や材質が体に合っているかを簡単にテストできるのだそうです。
 考えてみると、服を手触りで選んでいるときも、このオーリングテストのように、自分に似合うかどうかは本能的に分かることがよくあります。着たいと思う服でも「似合わないな」と思うと、やはり似合わないのです。カーテンにも同じ本能が作用したのかもしれません。

 腕を組んだ人の服に触れたとき、直感的に明るい色だと思って尋ねてみると、当たっていたという経験もよくあります。私の場合はまぐれも多いと思いますが、実はこの経験は、割合多くのシーンレスがもっているようなのです。
 私が聞いた話だけでも、先天性のシーンレスの人のなかには、誰かが部屋に入ってきただけで服の色の明るさが分かる方がいるといいます。歌手の長谷川清さんもその一人らしく、永六補さんが長谷川さんに「ずいぶん明るい色の服をきてますね」と言われて驚いたと話してくださったことがあります。「当てずっぽうに言ってみたらたまたま当たっただけじゃない?」と疑問視する方もおられるでしょう。そうでないという保証は誰にもできません。でも、そうした出来事が、複数の人に、複数回起きているのを私は何度も聞いているし、信頼できる人からそういう友達がいるという話も聞いているので、やたらに疑うことはしたくないと思います。

 特に、服やカーテンで凡人の私でさえあのような不思議な感覚を味わった後では、視覚経験をもたないシーンレスの方がある種の波長感知能力をもっていたとしても、おかしくはないように思うのです。たとえば携帯電話で話していても何でもない人と、私も含めてある時間以上使うと頭痛を感じる人がいるのと同じで、ものの波長を感じるアンテナが少し強いのではないかと思えるのです。逆にいえば、それだけのことで、超能力やスピリチュアルなことではないのです。

 話が広がりましたが、この「似合うかを感じる本能」は、家具や照明器具を見たときにもありました。手触りで美術的な美しさを実感するのは難しい面がある気がしますが、少なくとも「かわいい」「華やか」「シック」「おしゃれ」など、直感的な観賞は触覚からも可能だからです。私には、絵画の美しさは想像しかできませんが、彫刻や織物の美しさは分かります。おそらく、それと同じ本能が「似合うかどうか」を判断しているのではないかと思うのです。

 ちょっと不思議なお話で戸惑っておられる方もおられるでしょう。もちろん、信じる必要も、疑う必要もありません。あくまで、私が素朴に感じたある一齣のお話としてお読みくださいますよう。
 でも、もしも機会があったらぜひ、目を閉じて手触りからイメージを膨らませる遊びを楽しんでいただければ嬉しいです。イメージが「当たる」かどうかはともかく、けっこう楽しいことでしょう。
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赤外線の力  2010年1月24日

 遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。そして寒中お見舞い申し上げます。
 暖冬に甘やかされた体にとって、今年の冬はけっこうまじめに「寒さ」をやっているような気がします。冬将軍というぐらいで、冬にあまり生暖かいと年間を通じた季節感がくるってしまいますね。もちろん、急な大寒波や大雪は困りますが。
 季節といえば、トップページにも乗せましたが、今月発売された新刊「空が香る」は、季節を真正面から見つめ、感じたエッセイ集です。ちょうど、いまごろの季節から始まる仕掛けになっています。皆様、どうぞご一読ください。

 さて宣伝はともかく、本題の赤外線です。
 私は寒がりなので、赤外線ヒーターや赤外線入りの衣類などはかなり前から愛用していました。でも、この冬、久々に新しいヒーターや最新のハイテク衣類を買って、技術革新のすごさにひたすら感服してしまったのでした。今回は、そんなあったかーいお話で温まってくださいませ。

 まず、秋葉原の大手電気店に行ったときのこと。年末近い秋葉では、アニメのフィギュア60%オフなどという、素敵なキャンペーンの放送など流れていましたが、電気店のなかはいたって落ち着いた雰囲気。ここで私は照明器具のリサーチをする予定だったのですが、実際に買ったのは赤外線搭載のかわいらしいファンヒーターでした。
 イタリア生まれのこのヒーターの大きさはミニコンポのスピーカー1つ分くらい。タイマーもリモコンもないシンプルな造りで、あるのは風速と消費電力の調整スイッチと首振り切り替えのボタンだけ。ただし、機械の底面が全部床に着いていないと稼動しないという安全装置はばっちり付いています。フローリングにおくと若干ファンの音が大きいけれど、ひざの下においてパソコンを打つにはちょうどよい感じでした。

 クリスマスの日に届けてもらい、早速試運転。最初は、少し暖かい風が出てくるなというぐらいの感じで、本当に寒いときにはやっぱり小さいから暖めには限界があるかも、と思いました。ところがです。5分ほど経つ間に、私の周りがポカポカと温まっていることに気が付いたのです。
 エアコンと違って、気温が上がるのではないのです。何だか分からないけれど、ポカポカしているのです。そしてそのうちに、じんわり汗が出てきたではありませんか。温風が出ているのでもちろん多少は暖かくなっていますが、部屋全体の気温はやっぱりさほど上がっていません。やや、不思議!
 しばらくして、所用で部屋を出て、戻ってきてまたびっくり。気温はさほど上がっていない、部屋のなかはポッカポカなのです。
「これは赤外線ですから、体を直接温めます。だから傍にいて温まる機械なんです。部屋全体が温まるには時間がかかりますが、体はすぐに温まる仕組みです」
 と、お店の人はおっしゃっていました。そのときにはあまり深く考えませんでしたが、あれはこういうことを言っていたのかと、急に合点がいきました。小さなヒーターは、がんばってファンを回しています。でも、もう体が温まったので消すことができました。気温はもちろん下がりましたが、体が芯から温まっているので、ずいぶん長い時間、寒くはならなかったのです。

 続いて、ある大手衣料メーカーで爆発的に売れている保温シャツを買いました。水着のように薄いのに、いつの間にか体中がホカホカしているのです。
 でも、無理に暖めるのではなく体の熱を利用しているので、とても自然に温かいのです。薄いので、一枚余分に着ていてもまったく気になりません。これを着た人は、口を揃えて絶賛していました。

 それにしても、自然な温かさを再現するために技術革新が生きるというのは、まさに科学を生かす醍醐味ではないでしょうか。こういうことになら、科学をどんどん生かしてほしい気がします。
 今年も、お互いに暖かな気持ちで一年を過ごせますように。
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