三宮麻由子の箸休め
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麻由子のリトルエッセイズ

2003年7月〜12月 目次
目を回した球根 その2 〜それでも球根は回っている編〜 12月25日
目を回した球根 その1 〜球根、買っちゃった編〜 12月6日
タイム・キーピング物語 後編 11月19日
タイム・キーピング物語 前編 10月24日
絶滅危惧?語 10月1日
ハカラメ通信 VOL4 恐るべし、葉っぱの力 9月9日
おもしろ生物図鑑、鳥の名編 8月18日
困った問題 7月16日
青虫ころころ 7月1日


2009年1月〜
2008年1月〜12月
2007年1月〜12月
2006年1月〜12月
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2004年1月〜12月
2003年7月〜12月
2003年1月〜6月
2002年


目を回した球根 その2 〜それでも球根は回っている編〜 12月26日

 だいたい、球根というのは、ちょっとぐらいは芽を出したり根のようなものを出しかけたりしていて、上下の区別は割合簡単にできるものです。シクラメンも、当然すぐ分かるものと思っていました。それがこの有り様。無謀な計画は、やはり無謀だったようです。
 とりあえず、上かな、と思う方を上にして土に植え込みました。しかし二ヶ月後、なんと土の上になんだか髭みたいなものがズルズルと出てきたではありませんか。
「し、しまった。根っこが出てる」
 あわてて土を掘り返し、逆さまに植え直しました。球根の方もさぞかし慌てふためいたことでしょうが、幸い無事でした。
 ところがところが、数週間後、またしても土の上に、今度は少し太い髭のようなものが出てきたのです。上も髭? 下も髭? いったいどっちが根なのか茎なのか、今度という今度は頭を抱え込みました。
「これ、どっちが上だと思う?」
 思いあまって、私は再び球根を掘り返し、泥を散らしながら母のところに見せにいきました。母も考え込んでから、結局太いほうが芽ではないかということになり、また植え直しました。芽の方は息苦しいし、土の上に右往左往と根を出してしまった側は、さぞかし寒かったことでしょう。根から冷え性になっていないとよいのですが。
 しかし、数週間後、またしてもよく分からない髭が、太い髭の間から出てきました。仕方なく、三度球根を掘り返し、また逆さにして植えました。不思議なことに、ここまで日にちが経っているのに、球根の髭は一本も土を絡めていません。だから何度植え替えても、植物は無傷でした。
 もっとも、何日かごとに上だの下だのと回されて、球根の方も忙しくて土を絡める気にならなかったのかもしれません。これがほんとの、上を下への大騒ぎ。それにしても、結局どっちが上なのか、何度やっても分かりませんでした。そこで私は、賭に出ることにしました。
「太い方が上。決めた。これで咲かなかったらごめん!!」
 秋がきて、冬がきました。そしてシクラメンは、突然表情を浮かべたのです。小さな小さな何かが、太い髭の間から出てきて、ついに一輪の花が、まるで内緒ごとのようにフッと開いたのでした。まるで、泥だらけの子供から、見事な淑女へと変身を果たしたかのようでした。
「さ、咲いたぁぁ」
 「咲いた、咲いた、チューリップの花が」というあの歌は、こんな心境で作られたのかもしれません。シクラメンは、思いっきりひっそりと咲いていました。咲いたというよりは、気が付いたら咲いていたのです。
 でもその大きさは、お店で見る花の3分の1あったでしょうか。小さな小さな花でした。
「これで合ってたんだあ、ホッ
 いや、本当は、やっぱり間違っていたのかも。私の知らないところで、彼女はそっと体を回し、正確な向きで芽を出したのかもしれないのです。「せっかく何度もやり直してもらって悪いんだけど、それでも球根は回るのよ。だって、この向きでは!」などと、ガリレオ先生みたいなセリフをつぶやきながら、連続大車輪。
 え? ところでハカラメはどうなったかって? (^_^)

 皆様、このホームページがハカラメとともに芽を出してから、1年が過ぎました。おかげさまで、様々なハプニングに見舞われながらも今年が無事?終わり、心を新たにして新しい時を迎えられる運びとなりました。
 皆様の暖かい声や嬉しいメッセージ、それにびっくりするような質問に支えられ、私はこれからもたくさんのよいメッセージを発信して参りたいと思います。一人でも多くの方が、私のメッセージによって幸せな気持ちになってくださること、地球がいつまでも青く美しい生命の星であってくれること、そして人類が平和に仲良く暮らせることを、いつも祈っています。
 今年も、本当にありがとうございました。
 皆様にとりまして、来年が素晴らしい年となりますように!!
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目を回した球根 その1 〜球根、買っちゃった編〜 12月6日

 植物が好きになったのは、小鳥を飼わないことにしたから、と言ってもよいかもしれません。最後の小鳥が天国に帰ったとき、私はもう、駕篭で小鳥は飼うまい、と決心したのでした。
 でも、それからの毎日が寂しかったこと。それはもう、味気ないとか変化がないなんていう生優しいものではないのです。家に帰っても、庭もベランダもしんと静まり返っています。静かというよりは、恐ろしいくらいに深閑としているのです。その空間を埋めて、何とか生命感を取り戻そうと、半ばすがるように買い求めたのが一本のレモンの木でした。このレモンとの話しは、「勇気の練習帳」に詳しく書いたので、ここでは違う花とのお話しを書こうと思います。
 冬から春になると球根物を植えたくなるのは、おそらく私だけではないでしょう。ヒヤシンスの水栽培で知られるように、球根は、育てる課程でしっかり花芽をもつように作っておいてくれますから、私のような不精者のおっちょこちょいが植えても、たいていはうまく咲いてくれます。アマリリスなんて、「咲きゃあいいんでしょ、ほら咲いてあげたわよ、ボッ!!」と言わんばかりに、ほとんどふてぶてしいほどの勢いで花を咲かせます。
 チューリップはときどき失敗もありますが、だいたいは十分な距離をとってあげれば、寄せ植えでも9割方咲いてくれます。ユリもしかり。チューリップとユリは、うまくいけば秋に球根を掘り上げなくても、何年かは花をつけてくれます。年々小さくはなりますけれど。もっとも、チューリップもユリもユリ科ですから、性格が似ているのでしょう。それなら、同じユリ科のアスパラも育てて食べてみたい、と思ったら、畑でもなければそうは問屋が下ろさない、と家族にあっさり却下されてしまいました。
 うまくいかなかったのが、アジサイとスグリ。おそらく日光が足りなかったのでしょう。どちらもユキノシタ科です。これはほとんど独断に近い感覚ですが、私はどうも、ユキノシタ科の植物はどこかよそよそしい感じがして、ちょっとためらいをおぼえます。もちろんユキノシタも同じで、何とも言えない距離感があるのです。だからかどうか、アジサイはすぐに枯れてしまいましたし、スグリも最善を尽くしたのに、実をつけることなく1年で枯れました。
 本当は、小さな樹木を育てるのが好きらしい、と分かったのは最近ですが、ベランダガーデニングでは小さくても樹木を植えられる大鉢を、そういくつもおけるものではありません。だから勢い、多年草の鉢が増えてきます。これは樹木ほどではないが、毎年いろんな表情で発芽するので、なかなか面白いのです。
 そんなこんなで、ある年シクラメンを買いました。正直、香りがないのであまり買おうと思わなかった花です。ただ、この時期あまりにも花が少ないので、ついフラフラと・・・。ポインセチアも魅力的ですが、手で触っただけでは、どれが花なのかよく分かりません。勢い私は、永年あの葉っぱ全部が赤い花なのだと思いこんでいる有り様でした。真ん中についている小さな花に気付いたのは、最近のことなのでした(苦笑)。
 ところが私は、よせばいいのにこのシクラメンを、球根で買ってしまったのです。「咲いているのを買っちゃうと、あとはしぼむだけだから」というのが理由でしたが、考えてみれば、初心者としてはかなり無謀でした。私の理屈では、初心者として一つの花を始めるときは、まず咲いているのが散るところから初めて、慣れたころに翌年の花の準備に入るのが一番成功率が高いように思っていたからです。その掟を自分で破って、いきなり球根に挑戦してしまったのですから、無謀というわけでした。
 球根の包みを開けてびっくり。ジャガイモともタマネギともつかない大玉が、泥だらけになって両手の中にずっしり落っこちてきました。
「ど、どっちが上なんだ???」
(続く) Page top

タイム・キーピング物語 後編 11月19日

 「心のともしび」のスタッフの一人が、私に小さなプラスチックの箱のようなものをもたせてくれました。片手で握れるくらいの直方体の箱です。その端っこから、長くて太いケーブルが生え、彼の方へと伸びています。
「これ、ちょっと作ってみたんです。スイッチを入れるとね」
 すると、手の中の箱が元気に振動しはじめたではありませんか。そう、あの携帯電話のバイブレーションと同じ振動です。
「こ、これは・・・!!」
「部品買ってきて組みたてただけで、すこぶる簡単なもんなんです。でもこれなら、音もしないし画面にも映らないし、三宮さんも話に集中できるんじゃないかなって」
 これは、ドクター・某もびっくりするような発想ではありますまいか。
 携帯電話の振動には、私も注目していました。時間になったら誰かに電話をかけてもらう。そうすれば、10秒以内の誤差でどうにか終われるのではないかしら。
 でも、話をしながらそれほどの誤差を計算して終わらせることは難しい、やはり1秒以内の誤差で時間を知らなければなりません。だからこのアイディアはさっさと諦めていたのです。
 しかし、まさか振動部分を一人立ちさせてしまうとは!!
 何回か試行錯誤した後、私は、震える箱を糊の少ないガムテープで靴の踵の当たりに固定し、時間の半分が経過したときと、最後の1分になったときの2回、信号を送ってもらうことにしました。これなら音もしないし、機械が肌に触れないので震えてもびっくりしないのでした。この箱と私の腹時計を合わせれば鬼に金棒、用心棒。ついに10秒以内の誤差で、「それでは皆様、ごきげんよう」とバッチリ終わりを決められるようになったのでした。
 ところが、2回目のロケでアクシデントが起こりました。梅雨が明けたのか明けないのかはっきりしない時節、湿気と冷房の間を行き来しながらロケは始まりました。
 ピアノを弾き、野外で俳句の話をし、と3本の収録が無事終了しました。そしてようやく最後の一本のV(ビデオテープ)が回り始めました。もうすっかり慣れて、私もかなり自然体で話せるようになっていました。
 ところがです。そろそろ半分経過しただろうと思っても、ブルブル信号がやってきません。とりあえず長めに話し、まとめに入っても、半分の信号はやってきません。どうしたことでしょう。もう話しは尽きる寸前です。
 これは何か起きたな・・・。しかし、こうなると時間の見当が皆目つかなくなってきます。腹時計もすっかりお手上げ、いやお腹上げ状態で、まったく機能してくれません。仕方なく、私はあと3分ほど伸ばしてから思いきって終わってみようと決心し、別のテーマについて即興で話し始めました。
 即興を、英語では"off hands"(手放し)といいますが、このときの私はまさしく、手放し、野放し、しかたなしの境地でした。後は出たとこ勝負のすっとこどっこい。
 そのときです。スタッフの一人が意を決して私の右足くるぶしの辺りを、指でツンッとつついてくれました。ブルブル機械は、夏の湿気に機嫌を損ね、接触不良を起こしてしまったのでした。
 最後のロケのとき、私はブルブル様のご機嫌が悪化した場合に備え、小さな鈴を鞄に忍ばせました。鈴の中身も鈴になっているちょっと高級?な作りのもので、手で押さえても音が濁りません。
「もしも信号が来なくて時間になっても引っ張っている雰囲気だったら、この鈴を鳴らして強制終了をかけてください」
「じゃ、言葉の合間に鳴らさないとダメですね」
 ディレクターさんも真剣に受けて、終日鈴を大事にもって歩いておられました。おかげでその日は、彼女のおられる場所がすぐに分りました。
 一度だけ信号が来ず、一瞬緊張が走りましたが、何かのはずみで電池が外れていたことが分かり全員ずっこけ。結局、鈴の出番はなくて済みました。
 夕方、森を思わせるステンドグラスに包まれたチャペルに少しだけ闇が訪れるころ、12本のロケが終わりました。ピアノを弾いたり野外で話したり、何カ所で収録したかも忘れてしまうほど、色々なことをしたロケでした。
 でもそのなかで、このタイムキーピングのお話しが、スタッフの暖かさとともに私の心にとても強く残りました。これはぜったい、「誰でも重宝、ブルブル君」なんて名前を付けて、実用化して頂きたい。何しろこれなら、角度が合わなくて紙が見えないとか、"sceneless"(視覚障害者)だから時間が知らせられないなんてことはないからです。これこそまさに、ユニバーサルデザインと言えるものではないかと思いました。
 ただし、極度のくすぐったがり屋さんには「敏感モード」が必要かもね。それと、ジメジメ天気にもご用心、かな!
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タイム・キーピング物語 前編 10月24日

 18日の土曜日に、一年間のシリーズとして毎月放送されている「心のともしび」の収録がすべて終わりました。
 テーマは、「勇気と希望と行動と」。1日に12分の番組を4本ずつ収録する方法で、三回のロケが行われました。インタビューや講演なら相手がいるし、ドキュメンタリーや生中継ならテーマがあるので、 12分という時間はとても短いものです。しかしこの番組は、相手もいない状態で、一つのテーマについてひたすら一人でしゃべる12分間ですから、大変長いのです。NHKの教育テレビで放送されている「視点論点」も、 マキシマムは9分30秒でしたから、その1.3倍ほどもあるこの番組を12回しゃべり通すというのは、これでかなりのエネルギーが要るのでした。
 ジョークを言っても誰も笑ってくれないし、一人受けするのもさみしいし、唯一バックが変わってくれたので、それで毎回気分を改めて話すことができました。神父様やディレクターさん、そして場所を提供してくださった S大学の皆様に感謝です。
 しかし、そんなことより前に、一つの大きな問題が持ち上がりました。タイムキープです。
 ご存じのように、普通テレビ番組で終わりの時間を知らせるためには、スタッフが手や目で合図したり、出演者の希望に応じて残り時間を知らせる紙をヒラリと見せたりします。 「残り1分で知らせてください」と言えば、「あと1分」と書かれた紙が、視野の隅っこをチラと舞うわけです。
 けれども、私にはその紙が見えない。いままでに時間でNGを出したことは一度もないほど、私には不思議な腹時計があるのですが、いくら感がよくても秒単位まで合わせて終了するのは無理でしょう。 さてどうしたものか。私の知らない間に、スタッフの皆様が頭を痛めはじめていたのでした。
 タイムキープの問題は、いままでにもありました。そしてそのたびに、番組毎にいろんな決め事ができました。
 「視点論点」のときは、呼び出し放送用のチャイムの最低音を、残り1分前にポーンと鳴らしてくださいました。効果音室から借りてきた、大事な古物です。だから、あの放送の後ろでは、よーーく聞いていると、 小さなお寺の鐘みたいな音が幽かに響いているのです。
 インタビューやバラエティーのときは、相手のパーソナリティの方が上手にリードしてくださるので心配はありませんが、テレビのときは机の下で膝を指でツンとつついて頂くことにしています。 ラジオなら見られる心配がないので、手に軽く触れて頂くことになっています。でも、例の腹時計のおかげで、この緊急サインを受けたことはまだありません。
 しかし、たった一人で画面いっぱいに映される「ともしび」では、音を出すのもはばかられるし、膝をつつけば手が見えてしまうし、どうしようもないのでした。
 足に紐をつけておいて、時間になったら軽く引っ張って頂こうかと思ったら、「そんなのいけません。犬じゃないんですから」とディレクターのKさんが私のプライドを大切にした暖かい言葉をくださいました。 これは本当に嬉しかった。尊厳を大切にするって、こういうことなんですね。
 棒で足をつつくというのも、同じ理由で却下されました。それに、やはり体に直接刺激を加えると表情も変わるかもしれないし、私としてもあまり好ましくはない気がしました。
 ま、どうにかなるさ、といつもの軽い乗りで考えて最初のロケに臨んだとき、私は息を飲みました。そして次に、嬉しくて涙が出そうになったのでした。
(続く)
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絶滅危惧?語 10月1日

 --- 仮面ライダーとウルトラマンが握手を交わして地球の平和を守る決意を新たにしていたことが、先日のテレビ報道で明らかになった。両ヒーローは93年、ライダーの敵であるショッカー中近東支部から日本に派遣された改造人間「毒サソリ男」による「東京ズタズタ作戦」と、ウルトラマンの敵である怪獣の一つ「ガトラス」が同時に国内に進入したことを受け、直ちに行動を開始。途中、サソリ男とガトラスが予想外の合体を遂げたり、 ライダーが突然巨大化して、ウルトラマンとの握手に備えるかのような体制になるなど「奇跡的な」展開もあったものの、ライダーとウルトラマンの絶妙な協力により敵を退治。東京は大火災に見回れたものの、両者の握手が実現し、地球の平和は今後も守られることが決定されたという。(麻由子通信)---

 ということで、そんな話が作られていたなんてびっくり。あの某テレビ放送をごらんになった方は、ピンときたのではないでしょうか。ま、「(握手する前に)火を消してくださいよー」と叫んでいる出演者の声のほうが、私にはリアルでしたけれど。
 で、本題はライダーでもウルトラマンでもありません。この中で私の注意を引いたのは、ライダーの言葉でした。
「出たな、ショッカー。行くぞ。ライダー・キーック!!!」
 「出たな」って、お化けじゃないんだから(まあこの場合はお化けみたいなもんでしょうが)、と私などはつい茶々を入れてしまいますが、私が「ご幼少」のみぎりには、「出たな」と言えば、「出たな、妖怪変化。出たな、ゴキブリ。出たな予想問題」というようなもので、敵が出現したようなときには、「来たな」と言うのが自然な感じに思えたものです。でも、「来たな」って、最近あまり聞かなくなったように思いませんか?
 そんな風に考えると、最近本当に言わなくなったなあ、という言葉、いっぱいあるのですが、その中でも、ある一つのものの消滅がとても深く関わっている一連の言葉の絶滅に、私は気が付いたのです。前置きが長くなりましたが、きょうはその、「絶滅危惧種」の言葉たちに登場してもらうことにします。

 この貴重な言葉たちの筆頭は、「薮から棒」ではないかと思います。草だらけの薮からいきなり棒がニュッと出てくる。ワッ、びっくりした、前触れもなく、というのがこれの意味です。
 次は「薮入り」。昔の子供たちが、奉公先の商家やお屋敷から、一年に一回だけ家に戻れることです。土日も休日もない当時、一年にたった1日か2日のお里帰り。それも、年上の子供たちが優先で、新米の子たちは掃除や洗濯を済ませてからやっと帰るお許しがもらえたのだそうです。だから薮入りは、とても嬉しい言葉だったことでしょう。
 今度は「真相は薮の中」。言わずもがな、「お宮入り」とも言えましょうか。
 まだまだあります。「薮蛇」(要らない騒ぎを起こすこと)、「薮漕ぎ」(薮に分け入ること)、「薮カラシ」、おっと、これは蔓植物の名前で、まだ健在でした。そうそう、ウグイスも、「ヤブウグイス」と呼ばれることもあります。英名では"Bush Warbler"ですから、まさにそのまんま。
 それから、お医者様に「薮」が付くこともありますよね。実はその昔、「タケノコ医者」という方々もおられたようで、つまりは「薮」にもならない先生方だったとか。もっとも、言わないといっても、私の音声ソフトの一つは、「やぶ」と書いて変換すると、「ヤブイシャノヤブ」と得意そうに読んでくれますが。

 さて、もうお気づきでしょう。これらの言葉、みんな「薮」がついていて、現代の日常会話ではほとんど人々の口に上らないといってもよいくらいです。生粋の江戸っ子とかご年輩の方ならともかく、私とメル友してくれているみんなが、「昨日のメールは超薮から棒じゃん」なんて書いてきた試しは一度もありません。
 こんなに体系的に絶滅危惧の道を歩む言葉があるのは、なんでだろーー。
 やはり、こう考えるしかないと思います。薮がなくなっているのです。薮が絶滅し、私たちの視野からどんどん消えていっているから、薮の付く元気な言葉も薮と一緒に絶滅しようとしている。言葉のワシントン条約がほしい心境です。
 言葉は時代とともに移ろう、なんてよく言いますね。でも私は、言葉は自然とともにも移ろうような気がします。「野中の一軒家」、「驚き桃ノ木山椒ノ木」、「ありがとうさん(アリが父さん)、みみずがかあさん(ミミズが母さん)」、ちょっと今様に「なすがまま(ナスがママ)なら、きゅうりがぱぱ(キュウリがパパ)・・・。
 でもこういう言葉を使うことは、自然観察に行くのと同じく、自然や動物を身近に感じ続ける大切な方法ではないかと思うのです。「どこのどいつに聞いたのさ?」と言われるような絶滅危惧語、私はジャンジャン使ってみたいです。
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ハカラメ通信 VOL4 恐るべし、葉っぱの力 9月9日

 まだやるの? と言われてしまいそうですね。私も毎回、今回で終わろう、今度こそ止めようと思って書くのですが、どうもこのハカラメというやつらは種に事欠かないのです。
 それに、このホームページを愛読して下さっている方から、「ハカラメ通信、これからも楽しみにしております」という嬉しいメールを頂いてしまったりしたものですから、余計に勢いづいているのでした。
 で、今回は何が起きたかというと、こんな冷夏だったにもかかわらず、ハカラメが夏を感じていよいよ本領を発揮してきたのです。
 夏にかけて子供を落としては生やしながら掌ほどに成長したハカラメは、まるで鬼のよう。その鬼のように大きくなったハカラメたちはますます大きくなり、縁から落ちた子供たちも大きくなり、鉢はとうとうハカラメのイモ洗いという事態となったのです。
「こんなキボチワルイもん、さっさと地植えにして自然淘汰させちゃおっかなー」
 俳句の一節ではないけれど、「捨てっちまおか」という心境になってきたのです。こんなに増えて大きくなったハカラメに、これ以上狭いベランダを空け渡すわけにはいきません。ピーマンも植えたいしレモンも伸ばしてあげたいし、秋植えの球根物も育てたいし、ハカラメばかり依怙贔屓することはできません。
「何ーー?」
 私の心の声を、ハカラメの葉の縁に耳たぶのように生えた子ハカラメたちが聞きつけて、一斉に葉っぱの上から私をにらみつけました。
「は、はい、すみません、ごめんなさい、申し訳ございません」
 ということで、仕方なくハカラメの皆様を、一回り大きな鉢にお引っ越しさせ申したのでした。皆様ご機嫌麗しいと見え、あれから順調に子供を生やし、落とし、育てていらっしゃいます。これで、夜中にハカラメのお化けに襲われる心配もなさそうだ、とまずはほっと胸をなで下ろしておりました。
 ところがある日、母が恐ろしいことを言ったのです。
「あのね、前から教えようと思っていたんだけどね。ベランダの端っこの、レモンの鉢の裏側のところ、ちょっと見てごらんなさい」
 そこは、ベランダの鉢に撒いた水が集まって流れ落ちるところで、そこから雨樋に落ちた水が下へと流れていくのです。その流れ落ち口にあたる板の端っこを見に行きなさいというのです。
 レモンのとげに刺されながら鉢の裏に手を回したとき。あっ!!!! 一瞬血の気が引いた。
 ベランダの板から、無数のハカラメが、手すりの下の部分に沿って綺麗な列を作って生え揃っているではありませんか。初めて我が家にやってきたときのような、可愛らしい丸い2枚ペアの葉っぱたちが、まるで全員で諸手を挙げて叫んでいるかのように、同じくらいの背丈に生えまくっています。
「こ、これ・・・。どうやって生えているわけ?」 「流れ出た土につかまって。ほんの何ミリかの厚さの土に根を張って」
 あな、恐ろしや。あな、可愛らしや。って、いったいどっちなんだよ、と自分でわけが分からない。しかも、実は雨樋のあたりにもいくつか生えていたのを、父が掃除していた事実も判明。ああ、やっぱり我が家は、ハカラメ(本名セイロンベンケイソウ)のジャングルに埋もれてしまうのかしら・・・。
「ま、冬になれば一辺に消えちゃうでしょうから、いまは放ってあるんだけどね」
 お化けどころか、本物に襲われた気分です。。母の言葉は果たして救いの予言になるのでしょうか。くわばらくわばら。
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おもしろ生物図鑑、鳥の名編 8月18日

 大学生のとき、ウンベルト・エーコ作の「バラの名前」という本を読みました。中世ヨーロッパの修道院で目の見えない老修道士が大変なことをやらかす話で、いやはやその神秘的な行動力といったら。 修道院特有の描写にもかなりページを割いていて、昔物好きな私にはこたえられない一作でした。
 ついでに、この本はテープ朗読で聞いたのですが、その朗読が超ウルトラうまかったんです。女性の朗読者ですが男性並の低音で淡々と読む。雰囲気満点で、これぞ朗読の鏡、よっ、日本一、大統領、と大向こうから声をかけたくなるような一品でした。
 で、エーコ先生の向こうを張るなんておこがましいことは申しませんが、平成日本の地味なエッセイストといたしましては、バラではなく鳥の名前についてつらつら書いてみたいと思います。
 文芸評論家の高橋千剣破さんとお話ししていたとき、鳥の名前のことが話題になりました。千剣破さんは東京新聞に「作家と野鳥」という連載をなさったり、鳥に関する本を含め多くの本を出されておられる野鳥ファンでいらっしゃいます。  お話しの中で、千剣破さんは世界の鳥の名前についてこんなことをおっしゃいました。
「カラスとカッコウはかなり多くの原語で鳴き声を元に名前を付けていますね。英語はクロウにククー、フランス語はコルボーとやっぱりククー、・・・。これしか付けようがないんだろうなあ」
 おまけですが、英語で鳴き声が元になった鳥の名前にもう一つ、チフチャフがあります。本当に、チフチャフチフチャフチフチャフチャフと鳴いているからびっくりです。
 今回はややこしいので英語周辺の言葉に限ってお話ししますが、私の知る限り、英語やフランス語の鳥の名前は、目で見た感じや、鳴き声が関係していても具体的な行動に着目したものが多い気がします。カラスやカッコウは、むしろ例外とさえ思えるくらいです。
 たとえばシジュウカラはグレート・ティット(大きなカラ)、スズメのフランス語はモワノー(修道服みたいな色の鳥)、ウグイスの英語はブッシュ・ウォーブラー(薮でさえずる鳥)。サヨナキドリ(ナイチンゲール)は古い英語で夜鳴く鳥の意味です。
 それでは、日本語の鳥の名前はどうでしょう。
 鳴き声を元にした鳥の名前を書きます。
シジュウカラ、カラス、ウグイス、スズメ、ツバメ、モズ、ホトトギス 、カッコウ 、ジュウイチ、ツツドリ、アオバト、ヒタキ類(キビタキ、ジョウビタキ、ノビタキなど)、サンコウチョウ、声のブッポウソウ(コノハヅク)、カリ、コマドリ、キジ(キギス)、ヒヨドリ、ヒヨコ、ツグミ・・・
 今度は視覚的な名前の鳥です。
オナガ、キクイタダキ(またはマツムシリ)、コガラ、ミソサザイ、マミジロ、アカハラ、オオルリ、コルリ、メボソムシクイ、オオヨシキリ、コヨシキリ、アカショウビン、アオゲラ、アカゲラ、オオアカゲラ、コゲラ、ホオアカ、ホオジロ、メジロ、ベニヒワ・・・
 目に見えている鳥と鳴き声で愛でられている鳥と、ほぼ同じくらい思いつきました。金田一晴彦さんが書かれているように、日本は野鳥の国です。だからこんなにたくさんの名前がすぐに浮かぶのでしょう。ちなみに高橋さんは、「和歌には鳥がいっぱい出てくるよ。・・・かもとか・・・けりとか」と冗談を言われて日本文学と鳥の研究をすることになさったのだそうです。
 それにしても、ウグイスは古い日本語でウグイスの鳴き声だったというのには驚きました。「ウー・グイシュ」と一人でつぶやいてみたけど、やっぱりウグイスはホーホケキョと聞こえてしまう。これがほんとの「すり込み」かもね。
 きっと、日本の森はとても深くて、姿の見えない鳥がたくさんいたのでしょう。そして人間たちは、その鳥たちに姿を見なくてもよく分かるような名前を付けました。声を元にして。
 というのは、私の完全なる思いつき。江戸屋小猫さんが、あるラジオ番組で私とご一緒くださったのですが、そのときに「ウグイスは日本語のまま世界に普及させたい名前です」と力を込めて言われていました。そうです。日本の鳥の名前は本当に美しいものが多いのです。
 そして、異名もすごーくたくさんあるのです。いつか、これを集めて大きな模造紙に書き、街に張り出してみたーーーい。
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困った問題 7月16日

 きょうは、私の大好きなテレビのお話しです。といっても、小さいころには、テレビといえばカラーと白黒、あれ? ちょっと違いますかしら? とにかくその程度のもので、やれ衛星だ、やれデジタルだなんて、横文字は氾濫しておりませんでした。昨今では、音声も副音声などが入ったり、 音声と同じことを文字で流したりと、放送の中身も多彩になってきました。
 そのなかで、特に私を困らせているもの、それは、「文字放送」です。  会話を追って流れるテロップや、アニメの爆発印なんかはまだいいんです。 私を本当に困らせているのは、実は「バリアフリー」とか「ユニバーサル」という美しい言葉を目的として始まった、情報補強型の文字放送なのです。というよりも、情報補強として文字を流してしまうために、 音声はいわゆる効果をねらったものになり、文字で追っている情報が音声では聞けなくなっているということに、とても困っているのでした。
 情報補強型って何? という声が聞こえてきそうですね。手短に言えば、それはたとえば、ニュースの放送中に流れる問い合わせ先やホームページアドレス、番組中に流れる応募先などです。むかしはこれを、ちゃんと言葉で言ってくれていましたので、録音の準備をしておけばしっかりと 番組にも応募にも参加できたものでした。それが昨今では、そうした情報のかなりの部分が文字で補われてしまい、言葉の変わりに素敵な音楽や楽しい効果音なんかが入ってくるのでした。
 ちょっと、目をつぶってCMなど聞いてみてください。会話がほとんどなかったり、いろいろな言葉があっても結局なんの宣伝だかさっぱり分からないコマーシャルが、どのくらいあるものか数えてみてくださいませ。買うか買わないかは分からないけれど、私だって今何のコマーシャルが流れているか ぐらいは知りたいんですけど・・・。そこへいくと、あの不思議な「キノコ」のCMの素晴らしかったこと!! こういうのばっかりなら、私はCMウォッチャーになってしまうくらいCMが好きなのに、惜しいことです。
 もちろん、文字放送は世紀の名案だと思います。文字で生活している方、たとえば耳のご不自由なみなさんや、耳の少し遠い年輩の方には、文字放送はとても有効でしょう。しかし、そこから音声情報がなくなってしまえば、私のような"sceneless"(視障者)は、完全においてけ堀になってしまうのです。 発信源は増えたけど、昔は黙っていても楽しめたテレビが、どんどん見える人たちの方へ遠ざかっていく。つまり、これでは一部のバリアに対応しただけで、ユニバーサルな発信とはちょっと言いたくない雰囲気に思えてしまうのでした。
 中でも特に困るのは、番組の予告です。大好きなシリーズが再開されると分かるのに、それが何曜日の何時から始まるのか、これを言ってくれない予告編の多さに、最近とても驚いています。これも試しに、目を閉じて聞いてみてくださいませ。
 アニメ大好き、CM大好きな私としては、文字放送の全部とは言いません、エッセンスだけでも音に落としてほしい。これって、贅沢なお願いでしょうか。そうそう、ちなみに、文字放送のスピードの速さに息切れしながら、私のために字幕を朗読してくれる母の身にもなってやって頂きたいところです。
 文句を言うってことではないんです。でもね、ちょっと視点を変えてみようよって言いたいこと、世の中にけっこうありますよね。字幕の問題は、実は我ら"sceneless"の間でときどきホットな話題になるテーマでもあるのです。そんなことで、きょうは珍しく真面目に、困った問題のことなど書いてみました。
 みなさんの困った問題はどんなことでしょうか。よかったら、当HPまでメールくださいね。
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青虫ころころ 7月1日

 ハカラメから始まって、ヒヨドリ、ナマコと、知らないうちに妙なものが麻由子日記上に出そろってきてしまいましたね。何の意図もないのですが、困ったものです。
 で、今度は青虫のお話しです。それも、ちょっとせつないお話しです。どうか先入観を取り去ってお読みくださいませ。
 「勇気の練習帳」の本の冒頭に登場するレモンの木には、いつもたくさんのアゲハの幼虫が生まれます。もちろん親の蝶が来て、人にばれそうもない葉っぱを実に上手に選んで、 本当に驚くほど適当な隙間をおいて卵を産み、そこから無事孵化した赤ちゃんたちがすくすくとお育ちになっているわけです。
 ついでですが、レモンの木の花が咲くと、蜂たちもやってきます。丸っこい体型の蜂で、羽音はアブに近いくらい柔らかく、私などがすぐ根本で水をやっていても全く動じません。 彼らは彼らで仕事をし、さっさと帰っていくのです。ですから、飛ぶ虫恐怖症の私も、彼らのことはちっとも怖くありません。毎年ぴったり五月一日から三日の間に咲く花のBGMとして、 彼らの羽音を聞いていることさえできるのでした。
 アゲハの幼虫、と私は書きましたが、虫に詳しい友人の通称虫編(ムシヘン)さんが、クロアゲハか何かではないかと教えてくれました。何アゲハにしても、昆虫はさっぱりなので、とにかくアゲハ、っていうことにしておきます。
 生まれたばかりの幼虫は、蛹(サナギ)になる前の段階になるまで黒い色をしていて、サナギ直前に青く変色します。まるで鳥の糞のような感じと言います。芙蓉に来る青虫なら、シジュウカラがスイッチュ、スイッチユと喜びながらどんどん食べに来てくれるのですが、鳥の糞型の幼虫君たちには見向きもしません。だから勢い、彼らはやりたい放題。黙っているとレモンが見ぐるみはがれてしまいそうなのです。
 さて、彼らはだいたい、茶柱ぐらいの大きさのころに、初めて母の目に留まるようです。それよりも大きくなると、ときどき葉っぱを巡回する私の指にも留まりますが、その確率は目で見つけるよりもずっと小さいようです。それに、柔らかい虫の細い体に触ったとたん、びっくりして指の角度を変えてしまうので、ほとんどの場合触った虫には二度と会えません。虫だって真剣に生きているのですから、本当は放っておいてあげたい。でもレモンは鉢植えで、葉っぱの資源は限られているのでそうもいきません。従って、私に変わって母が幼虫たちを土に返してくれているのでした。
 しかしそんななか、母の目と私の指をかいくぐって、見事青い終わり齢にまでこぎ着けたやつがいました。実は、これを私たちはまったく違う虫だと思い、「黒虫じゃなく、別の青虫が育ったんだ」と喜んでいたのです。
 その虫が、ブヨッとした体を、いかにも気持ち良さそうに枝に横たえてお休みしています。おそるおそる触ったら、ブニョーンと胴体がへこみました。息をしたものか逃げようと体を伸ばしたものか、でも虫は逃げてはいきませんでした。
「のろまちゃんなのね。逃げられないわよ」
 あまりに気持ち良さそうなので、私はこの青虫ドンに特赦を与え、大切な枝を切り取って空き瓶にお入れ申し上げたのでした。
 虫編さんは、飼育のポイントなど詳しい説明のメールをくれました。そのなかで気になった言葉、それは「青くなってから鳥にやられるんです。これが要注意・・・」
 次の日、飼育瓶にした瓶を見にいくと、母が空気の入れ換えのため、かぶせておいたネットをはずしておきました。
 そのためか、青虫の姿はどこにもありません。すっかり消えているのです。そしてあろうことか、数時間後、彼のために切り取った枝の数段下の木の股に、またもや気持ち良さそうに休憩しているではありませんか!! こんなに大きな前蛹がそうたくさんいるとは思えないし、やはりこれは、虫が枝に戻ったとしか考えられないということになりました。もっとも、虫編さんによれば、戻ろうと意識して戻ったのではなく、美味しい匂いを訪ねて旅をしていたら、たまたま同じ木に戻ったということらしいのです。
 しかし、自由を欲する虫には、もうかまわないことにしました。特赦を与えたのですから、こうなったら観念して好きな場所で蛹になってもらおうじゃありませんか。さあ、いつでもどこでも蛹になっておくれ。
 でも、みなさん。また居なくなってしまったのです。あれからもう再会の希望は断たれています。目下、雨戸や手すりの陰を捜索中です。蛹やあい、と。
 最後まで虫編さんによれば、蛹が羽化する前夜には、体が茶色に変わるのだそうです。せめてそれまでに、あの青虫様の蛹を見つけておきたいものです。鳥に食べられていないことを祈りながら。
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