三宮麻由子の箸休め
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麻由子のリトルエッセイズ

2003年1月〜6月 目次
ハカラメ通信VOL3 〜深まるなぞ、どれが本物!?〜 6月13日
善光寺さんが元気なわけ 5月20日
さよなら、ヒヨドリ 2003年4月23日
いきなりですが、ナマコのこと 2003年4月9日
ずっこけ!! 衝撃の一瞬 会社編 2003年3月25日
青いカナリア 2003年3月10日
Voice of Children No2 2003年2月15日
Voice of Children  2003年1月25日
ハカラメ通信VOL2〜ピンチ、そして復活〜 2003年1月4日

2009年1月〜
2008年1月〜12月
2007年1月〜12月
2006年1月〜12月
2005年1月〜12月
2004年1月〜12月
2003年7月〜12月
2003年1月〜6月
2002年

ハカラメ通信VOL3 〜深まるなぞ、どれが本物!?〜 6月13日

 極寒の2月、ついにハカラメはシワシワになりはじめました。でもまだ生きている。
 そこで最後の手段と思い、小さなお家を買ってあげたのでした。本当に、お家の形をした超ミニ温室で、屋根についたフックで日溜まりにかけておけるのです。これでダメならもう諦めよう・・・。
 と思ったのですが、ここからが大変でした。3月の声を聞いたころ、ハカラメたちに異変が起きたのです。  まず、ハカラメ自身が大変な勢いで葉を出し始めました。随分密度の濃い物ができあがってきましたが、これでは葉から葉です。本当に、葉から芽になるのでしょうか。胸は期待と不安に膨らんできました。
 さて丁度そのころ、同じ時に母が買ったハカラメの葉の縁の裏に、何やら蕁麻疹のようなブツブツが生まれ、それがあちこちの葉っぱに広がってきたのです。病気? でも葉っぱは至って元気に増えています。 「キモイ」というのがぴったりの言葉でした。そうこうするうちに、ブツブツはますます広がり、一つ一つの粒も大きく育っていきました。
 そして数日後、その裏のブツブツは、すべてミニハカラメの葉であることが判明したのです。直径3センチほどしかない1枚の葉の縁いっぱいに、ハカラメJr.が生まれたわけです。  これこそまさに、葉から芽。キモイ、キモイの一言。しかもそれは、ゴマ3粒ほどの大きさになると、手を触れた瞬間にポロリと葉から落ちるのです。まるで土に磁石が入っていて、ハカラメを吸い寄せているようでした。こうやって、ミニハカラメたちは次々と自立し、新しい人生に突入していくのでしょう。 素晴らしい。しかし何と恐ろしい繁殖力!!!
 でも、話はそれだけで終わらなかったのです。実はハカラメと一緒に、私たちは小さな多肉植物をいくつか買っていました。「胡蝶の舞」などと名前の付いた円い葉の物や、名札は付けていなかったけれど、細長い三角形の肉厚な葉を四方に出して伸びていく、ちょっぴりサボテン風の物などです。
 ところが、そのおまけの植物たちが、丁度同じころ、ハカラメとまったく同じようなブツブツを出して増殖しはじめたではありませんか。みんなして分裂した子供たちをボロボロと土にばらまいています。しかも黙って。これって、たぶんクローンですよね。クローンというより、正真正銘の分身かもしれません。ますますもってキモイ!!
 結局、これらの果肉植物群は、ある意味全部が「葉から芽」だったのです。それなら、いったいどれが本物のハカラメなの!? そして、もしもこやつらがすべてうまいこと根付いてしまったら、我が家はどうなるんでしょう。ハカラメに庇を貸して、母屋を乗っ取られちゃうかも・・・・。
 とはいえ、嬉しいこともありました。そのハカラメ群の一つが、トンボの尻尾のように細く華奢な花を付けたのです。インターネットには、「七色に変わる」と書かれ、一時はマニアの皆様の間で話題になっていたようです。その花は、地植えにしてから7年目に咲くといったうわさもありました。でも我らのハカラメ殿は、我が家に入来後わずか半年足らずで、 それも片手に収まってしまうような小さな鉢の中でお咲きあそばされました。あまりにも小さくて七色に変わっていたかどうかは定かではありませんが、陽光を受けて輝くハカラメの花は、たしかにとても怪しくか細いものだったのです。
 それにしても、彼らはこれからどうなっていくのでしょう。面妖なのになぜか魅力のある多肉植物。
 皆様、せめて私たちのささやかな母屋がハカラメジャングルに埋もれないよう祈ってやってくださいませ。
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善光寺さんが元気なわけ 5月20日

 9日に長野赤十字病院で行われた「赤十字週間」の記念講演で当地にうかがいました。折しも善光寺さんご開帳真っ盛りで、私も仕事の後一瞬だけ見せて頂いてきました。そこできょうは、ちょっと渋く善光寺参りのご報告です。
 何よりもびっくりしたのは、長野新幹線に乗ろうと上野駅に行ったら、周り中がご開帳モードになっていて、日本史の教科書に出てくる伊勢参りを髣髴とさせる熱気が溢れていることでした。もちろん電車は満席。「え、みんなお参りなの!?」と、私の隣でボソッとつぶやいたおばさまがいます。  でもその彼女も、ちゃんと両手にお数珠を下げて、お参り前からお線香の香りを漂わせているのでした。
 などとえらそうに書いておいて言うのも何ですが、かく言う私にも、実は講演先の担当者の方が、せっかくだからと善光寺さんのパンフレットを送ってくださっていました。いったい何をしに行くのやら、と我ながら苦笑しつつ、その実とても楽しみにしていたのです。
 さて、無事に長野入りし、まじめにお仕事を終えた後、私たちはタクシーで善光寺さんの門前に着きました。もう夕方5時を過ぎているのに、随分明るく日が照っていて、スズメやツバメの声が飛び交っていきます。「庵主さんのお数珠が受けられる」と言われて早速沿道に並びましたが、私にはにわかにはその言葉の意味が分かりませんでした。
 そのうちに、交通整理が始まり、みんなしゃがんで手を合わせるよう指示されましたので、私もそのように致しました。隣のおばあさまが私の白杖を手すり代わりにしてつかまり、踏ん張りなさるというハプニングもありましたが、そんな中、「お数珠」の儀式が始まりました。
 ようやく「お数珠を受ける」という言葉の意味が分かってきました。簡単に言うと、館主の尼僧様が本堂からお下がりになるときに、手にもった数珠で沿道の人の頭をなでてくださるというものでした。「お数珠を受ける」と言われたので、私は小さな数珠を売って頂けるのかと思ったのですが、要するに庵主様の祝福が受けられるという意味だったようです。  仏様、不信心な私をお許しくださいませ。
 お数珠が来ました。「ナムアミダブツ」と小さな声で自分の胸に歌うように唱えている庵主様が目の前をお通りになり、その瞬間、頭に少し重みのあるお数珠の先と、たぶんかなり太いと思われる房が触りました。しっぽでなでてもらったみたいで、不思議に幸せでした。
 一方本堂前では、翌日に行う法要の舞の練習が始まりました。檀家のお稚児さんたちが、緋毛氈の上で裸足で踊り、般若心経に合わせて作曲された音楽が笙の音色と共に歌われます。そこで私は、曲の合間に笙に触らせて頂きました。
 驚いたのは、吹いた息があの竹の隙間から暖かい風となって丸く広がってくる感触でした。笙はハーモニカと同じで、吹いても吸っても音がなるのだそうです。リコーダーを吹くときもこんな感触があるのですが、暖かい息が丸く広がるのは、やはり笙ならではかもしれません。
 ご開帳の本尊様につながっているという回向柱に触りました。いつもは一時間半並んでもまだ触れないそうですが、この日は夕刻だったため、もっと背が高ければ抱きつくことだってできそうなくらい、すぐに触れました。みんなの手の跡とお日様の光で、回向柱はふんわりと温もっています。それに触れた手を顔に近付けてみると、  私の指はこの柱のヒノキの移り香をたくさん頂いて、芳しく匂っているのでした。
 それにしても、科学全盛の現代に至っても、昔と変わらず地元どころか全国から信仰を集める善光寺さんは、どうしてこんなに元気なのでしょうか。
 私にも深いことは分かりません。ただ思ったのは、ここに来る人みながとても喜んでいたということ、そしてその喜びを一人でも多くの人に分けて下さろうと、長野のみなさんが一人一人の言葉で人々を招いておられるということでした。説教をするのでも、教えを説くのでもない、ただひたすら「善光寺さんへいらっしゃい」と招いて下さるのです。
 もしかしたら、信心の極意はこんなところにあるのかもしれませんね。私もいつか、幸せの瞬間に誰かを招いてみたい、とつくづく思ったことでした。
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さよなら、ヒヨドリ 2003年4月23日 

 咲き始めた桜に雨が降り、たくさんの風が吹いた次の日、母がヒヨドリを拾って帰ってきました。雛でも負傷鳥でもなく、すでに魂は昇天しているもの、つまりヒヨの亡骸でした。
「一分間探鳥コースの途中で、ケヤキの木の下に落ちていたの。めったに地面に下りない鳥だから、なかなか触るチャンスもないと思って、もって帰ってきてみたの」
 私はぎょっとしました。一分間探鳥コースというのは、私たち家族がそう名付けた小さな道で、そこから二回ほど曲がって駐輪場を迂回すると最寄り駅に着くのです。ケヤキの木や小さな竹薮がある緑地保護区で、冬にはヒヨドリやムクドリ、アオジ、ウグイス、ときにはコゲラまでやってきて、電柱の三角帽子でドラミングなどしたりもするのです。
 その森の隅っこに、ヒヨドリは静かに落ちていたそうです。
 ビニール袋の外からこわごわ触ってみました。でも毛並みも綺麗で病気の兆候はありません。外傷もなく、一件どうして落ちたか分からないくらいに綺麗なままでした。
「目を開けなさいといったら、ヒイーって鳴きだしそうなくらい」
 母が言いました。袋越しに、羽毛と産毛のフワフワした感じが伝わってきました。まだ暖かいような気がします。もちろん、それは毛のせいです。
 鳥は片手をいっぱいに開いたほどもある長い尾をまっすぐなびかせて、袋の中に横たわっていました。体の長さほどもある尾があまりにピンとしていて、不思議でした。そしてフワフワした体は、その小ささからは信じられないほどズッシリと重いのです。いつもバサバサ音を立てて飛んでいるのにも、これで頷けました。
「どうしたの? 何があったの?」
 ときどき、私は動物や木に聞いてしまうことがあります。私には彼らの言葉が分からないので、その答えが分かることはほとんどありません。このヒヨも、おそらくはカラスや猫に襲われて、びっくりしたショックで落ちてしまったのでしょうが、そのなぞを説いてくれるものはいないのでした。
 昔、ソウシチョウという鳥を飼っていたとき、若い一羽が猫に襲われて昇天しました。捕まえた瞬間に私達に見つかったので、猫は小鳥を傷つける前に手から放して随徳寺を決め込みました。思えばそのときも、小鳥は無傷なのにすでに事切れていました。
 怖かったかもしれないけれど、痛いと思う前に意識が飛んでしまえば、苦しみを味わうことはありません。弱い小鳥に、神様はすぐに昇天する力を与えておられるのだろうか、と半ば本気で思ったものです。そしてこのヒヨに出会ったとき、私はその気持ちがますます強まる気がしたのでした。
 さよなら、ヒヨドリ。でもきっと、天国では楽しく飛び回っていてくれるよね!!
 いま、ヒヨドリを埋めた庭の片隅には、タンポポが咲き始めています。
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いきなりですが、ナマコのこと 2003年4月9日

なまこは黙って、ぼくなまこだよって言ってるみたい。なまこの形で。

 これは、まどみちおさんの詩です。まどさんの詩って、一度読んだだけだとパッと入ってこないときがあるのですが、何度か読むと、「ううん、そうかもねえ」と深々うなずいてしまうんですよね。
 この詩に感動したのには、実はちょっとしたわけがありました。それは、私、(変なやつだと思ったあなた、最後まで読むまで決断をお待ちくだされ)、なまこも可愛いじゃない、と思ったことがあるのでした。
 それは、青森県の五所川原というところの市場で、ナマコを触らせて頂いたときでした。昨年から何度か放送されていた白神紀行のロケのときでした。番組では残念ながらカットされておりますが、五所川原の市場は、なかなか楽しかったのです。 プードルちゃんが八百屋さんに抱っこされてママがお買いものを終わるのを待っていたりして。
 で、ナマコですが、その市場の中で、ホヤなどを売っている場所に、バケツに入っておりました。
 ホヤといえば、この売場のおじさんに「おじさんも、ホヤはお好きなんですか?」と聞いてみたら、
「うんにゃ、おらきれえだ」
 青森県人だからってみんながホヤを好きなわけでもないのね、と少し安心しました。余談ですが、私の場合、最初はとても食べられませんでしたが、1週間の滞在のうちにかなり慣れ、今では新鮮なものであれば一切れぐらいはOKになりました。早く「大好き」と言える日がきますように。
 さて、そのおじさんが「触ってみっか」と言ってナマコを渡してくれました。もちろん、ちゃんと私に「意志確認」をしたうえですから、私も覚悟して原始の軟体動物を押しいただいたのでございます。
 ナマコは、私の片手でゆっくり握れるくらいの大きさでした。「樹脂で作ったタイルみたい」というのが正直な印象でした。それから、「気持ち悪くないじゃない」と思いました。
 ナマコがコリコリしていることは、酢の物を食べたことがあるので知っていましたが、何となく私は、生のナマコはグニュグニュしているように思っていたのです。でも生ナマコも酢の物と同じように硬かった。しかも気持ちの悪い手足も髭もない。別にどうということはないじゃありませんか。
 それから、ナマコの手触りに慣れたので、少し動かしてみました。すると気が付いたのです。ナマコが、息をしていることに。フーワン、フーワンと、まるでうっとりと眠っているかのように、私の手の中で小さく冷たいコリコリの彼?が、リズム正しく呼吸しています。
「わあ、ちゃんと生きてる! かわいい!」
 思わず正直に口にしてしまいました。
「かわいいってか」
 おじさん、びっくり。
 でも、ナマコだって私たちと同じように、一所懸命生きていました。これから食べられちゃうのに、その最後のバケツの中で、広い海にいたときと同じに息をし、水を吸っていたのです。きっとホヤだってそうでしょう。こういうのを見てしまうと、本当に食事は「頂く」ものなんだなあ、と改めて思います。
 でも、あのコメントがテレビに出てしまわなくてよかった。出されていたら思いっきり誤解を招いていたかもしれませんね。ゴカイではなく。
 最後に、これまた最近みつけた俳句を一つ。
憂きことをクラゲに話すナマコかな
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ずっこけ!! 衝撃の一瞬 会社編 2003年3月25日

 「ワンコインバス」と聞いて、母が「可愛いわねえ」となごんでいました。
 ふうん、"wanko in bus"、ワンチャンが乗ったバスが走るようになったのかしら、と思っていたら、何とそれは、「ワン・コイン・バス」つまり100円で乗れるバスのことでした。 たしかに、ワンコ・イン・バスでは文法的に間違ってますよね。でも、そんなバスがあったら、すぐにでも乗りに行きたいところです。
 母のことを書いてしまってごめんなさい、という感じですが、こういうずっこけって、もちろん私の方がずっと上で、毎日がずっこけといってもいいくらい。そんな話でよければ、佃煮にするほど余っているのです。
 いつだったか、会社(私は平日は通信社で翻訳をやってます)でおみやげをもらいました。おしゃれなセロファン紙に包まれた、大きな飴玉くらいの丸いお菓子です。チョコレートに違いありません。 何しろ、アーモンドのコーティングでもあるのか、クリスタルのような凹凸が袋の外から感じられるのです。しかも、京都のおみやげときています。いったいどんなお上品なチョコレートが入っているのでしょうか。融かしてしまってはいけないと思い、私はこの小さなお菓子を、 熱風の出るパソコンから離れた机の奥において、胸をときめかせながら昼休みを待ちました。
 さて、楽しみにしていた昼休み、私は休憩室でお弁当を食べ終えて、いそいそとブルックボンド紅茶を入れました。一緒に食べていた友だちは、時間が来たので先に持ち場に戻りましたので、私は一つしかないこの京都みやげを、こっそりと鞄から取り出しました。 紅茶をすすって、シャリシャリとセロファン紙の封を切ったとたん。
「ん?」
 なんだかいやな予感。
 一口で小さな球を頬張ったら、や・やっぱり!!中身は塩煎餅でした。紅茶が妙に苦かったものです・・・。
 もう一つ忘れられないのは、自動販売機の一件です
 私にとって、自販機は便利どころかとても厄介な代物です。商品名を丸暗記するわけにもいかず、さりとて全く分からないままにボタンを押すのも怖い。辺りに誰かいれば助けを呼べなくもないのですが、この「助けを求める」ということ事態、見えない者にとっては難題なのです。
 さて自販機のお話しですが、そんなわけで、私は一度すべての商品を人に読んでもらい、好きなもののボタンの場所だけおぼえておくことにしています。
 上から2列目の左から3番目が、果汁100%のオレンジジュース、といった具合です。
 ところで、そんな私を気の毒に思った一人の同僚が、わざわざ点字を勉強して、会社の休憩室にある自販機の全ボタンに商品名を書いた点字のネームテープを貼ってくれました。もちろん、ちゃんと許可をとってのことです。それからというもの、喜んだ私は色々な飲み物を楽しんでおりました。
 ところが次の日、お掃除の方が「変なシール」と言って、これを全部はがしてくれてしまったのでした。友達は、めげずに再度シールセットを作ってくれて、お掃除の方にも会社を通して「はがさないでください」と通達を出すよう手配までしてくれました。幸せ。
 さらにところがある日、アイスココアのボタンを押して出てきた飲み物を含んだら、
「ウギャっ」
 こぶ茶でした。
 昨今の自販機の小品入れ替わりはめまぐるしく、もはや点字シールを貼っている暇もない有り様です。「オレンジジュース」などと叫んでお金を入れたら、冷たい缶ジュースが出てきてくれるような時代は来ないものでしょうか。
 もっとも、最近は商品名が複雑で、「○○専用の何とか」とか「××入り何とか飲料」とか、大ざっぱな私の性格ではとてもおぼえ切れない名前になっていますので、たとえ技術が発達してそんな日がきたとしても、この夢も夢で終わってしまうかも・・・。(^_^)
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青いカナリア 2003年3月10日

 年輩の方にはちょっと懐かしいお話しかもしれません。
 第二次大戦直後くらいに、アメリカのジャズ歌手ダイナ・ショアが歌っていた「ブルー・キャナリー」が、雪村いずみさんの歌で日本でも歌われるようになりました。そのタイトルは、英語の通り「青いカナリア」。
 この歌を初めて聞いたのは、高校3年生くらいのころだったでしょうか。NHKのラジオで「日本語になった懐かしの洋楽」というような特集番組をやっているのを聞いたのでした。雪村さんの甘い声とゆったりとしたビート。それに間奏のところでは、ハイドンの「おもちゃの交響曲」に出てくるような可愛らしい鳥笛で、カナリアが鳴きます。
私には、どうもメジロに聞こえて仕方がないのですが、ローラーカナリアなどはこれに近い声なのかもしれません。鳥にさほど興味をもっていなかったころでしたが、この歌はなぜかとても強く私の心に残っていました。
 さてそのカナリアちゃんの歌ですが、実はこのごろになって、私のテーマソングとして復活しはじめました。講演会のおまけで、これを麻由子風にアレンジしたものをピアノで弾いたらみなさんがとても喜んで下さったので、以来ときどき登場しているのです。
 でも、この曲の歌詞や原曲を勉強しているうちに、ちょっと気になることがでてきました。
 それは、この歌のタイトルです。たしかに、英語では「ブルー・キャナリー」ですから、日本語で「青いカナリア」で文字どおり間違いではないのですが、歌詞をみると、この「青い」というのがどうもよく分からなくなってしまうのです。
というのも、歌詞では "She feels so blue" つまり「悲しい(=ブルーな)気持ち」とはっきり言っているからです。
 さらによく分からないのは、日本語の歌詞にも、ちゃんと「さみしいカナリア」という一節が入っていて、この「ブルーなカナリア」の意味はしっかり解釈されているのです。
 それなのに、いったいどうしてタイトルに「青いカナリア」というストレートな言葉が当てられたのでしょうか。たしかにインパクトはあります。しかしそれだけなのでしょうか。
 もしかしたら、本当に青い色をしたカナリアがいるのではないでしょうか。でも私が知っているのは、だいたい黄色か赤、たまに白いのもいましたが、オオルリのような真っ青のカナリアがいるという話は、一度も聞いたことがありません。
 そんな折り、このページにも度々登場して頂いている筑波山の鳥の博士、中村秀哉先生が、イタリアのペットショップ経営者が開いているカナリアのサイトを教えてくださいました。ここには、餌の混ぜ方からペアの作り方まで、詳しい飼育方法が書いてあり、 たくさんの愛らしいカナリアの写真も乗っています。
 そこに、いたのです。原種に近いカナリアの体の一部が、ちょっとだけ青いのでした。写真はなかったけれど、「オパール」という名前のカナリアもいるようでした。これがどんな色なのか、ぜひ追跡ウォッチしていきたいところです。
 つまり、「ブルーな」カナリアは、「ブルーのカナリア」でもあるかもしれない、そういう可能性もあったのでした。
 結局、「青いカナリア」の翻訳がどこから来たのかは、未だになぞです。ただ本当に青いカナリアがいるのなら、ぜひその歌を聞いてみたいと思います。そして、もしこれを翻訳したときにモデルになったのがその青いカナリアだとしたら、ぜひ名前を知りたいものです。
 そういえば、ツルゲーネフの「猟人日記」にも、ロシア貴族の家でカナリアが鳴いている場面が出てきます。カナリアは、世界で愛されているだけに、奥が深い鳥ですね。
 皆様、ここでお願いです。もしこの「青いカナリア」問題について、何かヒントになるような情報やアイディアなどありましたら、当ページまでぜひご一報くださいませ。お待ちいたしております。
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Voice of Children No2 2003年2月15日

 巣も雛もやられたツバメが来年も自分の家に来てくれるだろうか。南国に住む少年の質問は真剣でした。
「それは、親ツバメの性格にもよると思います。人間と同じように、傷つきやすい鳥も強い鳥もいますから。でもね、ツバメ自身は来ると私は思います。ただ、君の家に来るかどうか、これはツバメ本人も、そのときになってみないと分からないかもしれませんね。いま君にできることは、いつもと変わらない気持ちで、壁に台をつけたり窓の回りを綺麗にして、ツバメがいつでも来られるように準備してあげることではないでしょうか。その気持ちを伝えることはとても大事です。それによって、ツバメは希望を取り戻して君の家に来てくれるかもしれません。どうか君の愛情を、ツバメに分かるように伝えてあげてくださいね」
「はい。分かりました」
 彼の声は元気な張りをもっていました。先ほどとは大違いです。よかった。新米先生も一安心なのでした。
 でも先生は、家に帰ると心配になってきました。少年はひとまず納得してくれたようだけれど、私の答えは本当にあれでよかったのかしら。
 困った先生は、本物の鳥の先生にメールを書いてしまいました。筑波山で鳥の研究をしておられる、正真正銘の鳥の博士です。
「こんなお返事をしてしまいましたが、本当によかったのでしょうか。もっとよい答え方があったのでしょうか・・・」
「いいえ、それでよかったと思いますよ。ツバメは割と来てくれますから。それに希望もちゃんともってもらえるお返事でしたよ」
 慰めだったとしても、私は心からほっとしました。本当なら、この先生こそが「鳥の先生」なのです。でも私は、おぼつかないながらも子供たちと鳥の架け橋の役目を仰せつかりました。本物の先生にときどき助けて頂きながら、私なりの翼をいっぱいに広げて頑張ってみることにしたのでした。
 渡り鳥を下から見上げてお腹の色だけで見分けてみたい子、インコの雌雄を見分けてみんなに教えてあげたいという子、種類ごとにさえずりが違うことを不思議に思う子・・・。電話の向こうには、たくさんの不思議と心の宝物をもった子供たちが待ちかまえています。そんな子供たちの真剣な眼差しを、私はいつも受話器の向こうから感じながら頭をフル回転させて答えを探します。ときには知識の引き出しを全開し、ときには私自身の心の声を言葉にしながら、子供たちと語り合うのです。
 大学のとき、私は英語とフランス語の教職員免許をとりましたが、結局教職につかなかったばかりか、子供たちに触れあう機会さえほとんどありませんでした。会社での仕事に慣れることに奔走していたころは、もう彼らに何かを伝えるチャンスには恵まれないだろうとさえ思っていました。
 けれど、「鳥が教えてくれた空」で初めて本を世に出し、「そっと耳を澄ませば」で本当の意味で物を書く仕事の一歩を踏み出した私は、こんな風に、思わぬところでかつての夢が実現していることに改めて驚きを感じています。人生、絶対に捨てたもんじゃないということなのでしょう。
 西欧では、バレンタインの日を境に小鳥たちが愛の季節を迎えると言われているそうです。日本でも、立春を過ぎてにわかに小鳥たちの声が高く美しくなってきました。彼らの声を聞くにつけ、私は自分の新しい世界観ばかりか数々の出会いへの扉を開いてくれた小鳥たちに、心からありがとうと叫ばずにはいられないのです。(了)
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Voice of Children  2003年1月25日

 もうご存じの方もおられるかもしれませんが、私はこのところ、TBSラジオの「全国子供電話相談室」に、「鳥と話せる鳥の先生」という、何とも恐れ多い肩書きで出演させて頂いております。そこで思うこと、本当に子供たちは、ハリー・ポッターも真っ青というくらい、素晴らしい発想と美しい心の宝庫をもっているのです。
 ところで、偉そうに?お答え申し上げている当の三宮先生も、実は小さいころに二度ほどここに電話してみたことがありました。小学校3年生くらいでしたか。いまは毎週日曜日の朝に放送されていますが、私が電話したころは、たしか平日に、毎日夕方ころやっていました。子供にしてみると、丁度学校から帰ってきたくらいの時間なので、家に帰るとまるで友だちに会うみたいな感覚でラジオのスイッチに手を伸ばすのです。いまでいえば、帰宅して人心地ついたらまずパソコンでみんなからのメールをチェックするようなものでしょうか。
 さてそこで、私の質問はというと
「ハサミムシとカブトムシと、どっちが強いんですか?」
それから
「夢はどうしてみるんですか?」
 最初の質問は、見事にオーディションを勝ち抜いて、全国ネットの電波に乗りました。ちょっとの間、ハサミムシとカブトムシを同じ虫かごに入れておいたら、小さなハサミムシがカブトムシの大きな体を滅多刺しにしてしまったので、こんな質問が生まれたのです。あの壮絶な戦いの残骸は、忘れられない惨劇でした。でも、答えは憶えていないんです。
 ただ一つ、お姉さんが「もしもしいー」と優しい声で何回も話しかけてくれたのに、私には自分に声がかかっていることが分からずに、しばらくお返事ができなかったことでした。お姉さんが健気に「もしもしいー、もしもしいー」と言っているのを聞いて、ようやく「私???」と気がついたのです。
「へえー、そうだったんですか。自分の番だって分からないんだ。だからときどき、返事しない子がいるんですねえ」
 スタッフの方が、妙に感心しておられました。
 番組に乗る質問も面白いけれど、「アフターケア」と呼ばれる放送後の電話応対も、この番組の楽しみの一つです。ここにもまた、放送中に負けないくらいたくさんのドラマがあります。電話の向こうにいる子供たちの息づかいや家族の声は、初めて話しているとは思えないほど近しく、リアルな心の風となって、私の耳に届くのです。
「ぼくの家に毎年きていたツバメの巣が、カラスに壊されてしまいました。親ツバメはどこかに行ってしまったんだけど、来年あのツバメは戻って来ますか?」
 瞬間、絶句しそうになりました。「来る」と言えば期待をもたせることになってしまいます。しかも、もしも来なかったら私がうそつきになってしまう。大人なら、「まあ、来ないと覚悟したほうが無難でしょう」なんてごまかしたりもできるかもしれませんが、そんなわけにもいきません。たとえばの話だったとしても、「来ない」などという言葉を口にしようものなら、優しい気持ちで心配している子供をますます傷つけてしまいかねないのです。私は、受話器をもったままはたと考え込んでしまいました。
(続く)
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ハカラメ通信VOL2〜ピンチ、そして復活〜 2003年1月4日

めでたい、めでたい、芽が出たい。ということで、新年はやはり、芽のお話を申し上げることにいたしましょう。
実は、このハカラメ通信を読んだ方から、こんなメールが届きました。中味をまとめると、「てっきり”ハラカメ”だと思いこんでいて、カメがひっくり返っておなかを出しているような様子を勝手に想像していたんだけど、 よく読んだらハカラメでした」というもの。カメがひっくり返ったような植物って、いったいどんなものでしょう。 そういえば、上方落語家のどなたかが、「ぼうふらが水害に遭ったような格好」と師匠から教えられて「どんなんや」と難儀した、と話しておられました。 ハラカメも、これに匹敵する強力さが感じられました。
さて、我等がハカラメちゃんたちですが、師走の声を聞いたころ、一度ピンチに直面しておりました。二つの鉢に分けてお育て申し上げていたところ、 一つに水を遣りすぎてしまったのです。というのも、その一つはハロウィーンに買い求めたカボチャの形の陶器で、大きさは片手に入ってしまうくらい小さい物でした。 ほんの少しのつもりで水を上げても、たちまちあふれんばかりになって、ハカラメが水面に浮き上がってしまうのでした。しかも、このコップには土を入れず、 水栽培用の砂利を敷き詰めておりました。ハカラメは根を張ることもできず、水をかけられる度にアップアップしていたわけで、いま思うと随分な仕打ちをしていたものです。私はこれをオフィスの机におき、 仕事の友としていたのでした。
隣席の同僚も、それとなくこの小さな「新入社員」を見守っていてくれて、「ちょっと乾いてきたみたいですよ」とか、「水がたれていたのでふいておきました」などと、かいがいしく栽培を手伝ってくれました。 ハカラメはもちろん、私たちの愛情に応えるかのように、日々葉を増やし、カボチャのコップいっぱいに表面張力するように芽を増やしていったのでありました。
ところがです。丁度師走の声が聞かれるころ、ある日を境にその葉が次々と姿を消しはじめたかと思うと、あれよあれよと言う間に、元気な葉っぱがたった一つになってしまったのです。他の葉っぱはどうなったかと見ると、 端っこのほうに藻のように丸まってあられもない姿を呈しているではありませんか。 「水の遣りすぎですかねえ」と同僚が心配そうにコップを目の高さに持ち上げて、中をのぞきこんでいます。あまりにかわいがり過ぎたものか、それとも日光のほとんどないオフィスの環境に耐えられなかったものか、 あんなに生命力豊かだったハカラメが、いまやコップの地域絶滅危惧種と化している。これは大変、と私はあわてて、そこいら辺にあった紙でコップを円筒形に包装すると、「急患」を大事につれて家に帰りました。 そして、おもちゃのバケツに土を入れたにわか仕立ての鉢に移植したのでした。
寝ずの看病、とは大げさですが、昼間は外に、夜は部屋にと、家のハカラメと共に声をかけ指でなでて復活を懇願しておりました。
するとどうでしょう。何と2週間ほどしたころ、絶滅が心配されたハカラメのバケツには、もう五つほどもハカラメの分身が生え、土の間からはにかむように双葉を出していたのです。さすがは生命力の塊。見事な復活劇となりました。
こうして我がハカラメちゃんたちは、年が改まった現在、久しぶりに寒い日本の冬を、芽のまま一所懸命耐え抜いております。読者の一人から、「ハカラメが早くジャングルになりますように」という暖かい励ましを頂いて、 私もそれに励まされて日々精進しているのですが、残念ながら、いまのところはまだジャングルのように増える兆しは見られません。もう少し陽が伸びたころ、この芽が二段、三段と大きくなって、ジャングルへの道を歩んでくれるよう祈っている次第です。
それにしても、彼等が芽を出す力には本当に圧倒されます。あやかりたい、あやかりたい。
ところで、元日に初詣に行ったところ、またしても芽を買ってしまったのです。そんなに芽ばっかり買ってどうするんだい、と言われてしまいそうですね。これは「開運花」という中国の多年草だそうで、小さなビニールの袋に円錐形の芽を入れて売っておりました。 手触りでいうと、細いもやしにアスパラの芽を付け足したというか、なんとも不思議な形です。芽の中には、まだ姿は見えませんが、丸くて硬い花芽が入っています。咲いたらご報告したいと思います。
開運といえば、このほかにワイルドストロベリーというハーブも植えました。実までこぎつけると幸せになれるとか。横着者の私に、はたしてこの草木たちと力を合わせて幸福をゲットすることができるでしょうか。
ともあれ、こうして無事に年が明け、皆様にご挨拶できることはとっても幸福なことだと思います。
皆様、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。皆様にとりましても、幸福な一年であるよう、心よりお祈り申し上げております。
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