三宮麻由子の箸休め
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麻由子のリトルエッセイズ

2005年1月〜12月 目次
初めての子犬 1 わん子の気持ちが分からんワン  1月12日
初めての子犬 2 フワフワ・コロコロ  2月1日
泡であわてた石鹸物語  2月21日
松山報告 1 スコップにストップ  3月22日
松山報告 2 ジャーン!! 発表しまあす  4月12日
私の三種の神器 1 楽々機械編  5月9日
私の三種の神器 2 リラックス・瞑想編  6月2日
私の三種の神器 3 旅空編  6月28日
世界の中心で季語を叫ぶ  7月20日
都会のオアシス  8月27日
お風呂場コオロギ  9月27日
私の出会った小さな奇跡 上 キリスト教編  10月31日
私の出会った奇跡 2 仏教編  12月2日


2009年1月〜
2008年1月〜12月
2007年1月〜12月
2006年1月〜12月
2005年1月〜12月
2004年1月〜12月
2003年7月〜12月
2003年1月〜6月
2002年


私の出会った奇跡 2 仏教編  12月2日

 みなさんは奇跡をどう思われますか? 多くの日本人は、奇跡を偶然と考えているようです。私もそれには概ね賛成ですが、前回にも書いたように、このごろ、本当にそうなのかなあ、という気持ちが少しずつ生まれてきています。
 前回の小さな奇跡はキリスト教に纏わるものでしたが、今回は弘法大師様が、突然不思議な出会いをプレゼントしてくださったお話です。それは、落語家の柳家さん喬師匠にお会いできたことでした。
 師匠とは、NHK出版の本を書くための取材を通してお会いしました。この本は来年刊行予定で、いま一所懸命原稿を書いているところです。師匠は、編集者とともに突然独演会に現れた私を快く迎えてくださったうえ、直々に大変なお時間を割いて落語の所作を教えたり、様々な所を案内してくださいました。そればかりか、私には未知の領域の落語界への窓口として細々骨を折ってくださったり、取材の後に私が機関銃のように発射する質問を、大海原のようなしなやかさとハヤブサのような迅速さで受け止めてくださっているのです。
 繊細ながら淡白とお見受けする師匠は、ご自分についてけっして多くは語られません。そんななかで、私の心を雷のように打ったお話しがありました。それは、師匠が四国遍路を思い立たれたときのことです。そしてこの話をうかがったことで、私は奇跡はやはり起きるのかも、と思いはじめたのです。
 最愛の兄上を亡くされた空ろな時期、師匠は出し抜けに四国に行こうと決心しました。宿泊先も参詣先も分からないけれど、師匠はとにかく飛行機に飛び乗ってしまいました。
  「何かがほしかったんだと思いますよ。でもそんな理屈はどうでもよかった。お遍路に四国へ行くことしか考えなかったんです」
   こうして、師匠は憑かれたように四国の空港に降り立ったものの、さて、どうしよう。そこで、まず書店に入り、遍路についての本を手にとったのでした。
「歩いて回る四国遍路? ・・・」
 師匠は迷わずその本を買い求め、そのまま遍路の道をたどり始めました。こうして終日、師匠は夢中で歩いて田圃の真ん中のお寺に到着しました。
 ところが、そこで日が傾きかけ、師匠は帰りの飛行機に乗らなければいけないことにはたと気付きました。困ったなあ・・・、するとそこに忽然とタクシーが現れたのです。
「車なら間に合いますよ。空港に行きがてらもう少し廻りましょう」
 運転手さんに言われるまま、師匠は参詣を続けたのだそうです。
 不思議な出会いはまだありました。別の場所で見知らぬ巡礼者とタクシーに相乗りしたとき、代金を支払おうとしたら、「そのお金を困っている方のために使ってください」と言われ、その言葉を胸に師匠は帰郷したそうです。そしてその年のクリスマス、道で困っていた障害のある方に手を貸し、 サンタさんの長靴に入ったお菓子をプレゼントなさったということでした。
「偶然なんでしょうけれど、ぼくにとっては弘法様のお導きのように思えてしまいました」
 それから何年もかけて、師匠は四国八十八カ所をすべて廻り、巡礼を完成させました。その間には、こんな不思議な出会いを数多く経験されたということです。
「ぼくは信心はしてないけれど、あれは兄と弘法様のお導きだったような気がしましたね」
 師匠はもう一度「お導き」という言葉を噛み締めてから、淡々と話を結ばれました。
 奇跡を信じるかと人はよく問います。けれど師匠のお話しを聞いて、私は奇跡そのものを信じるかどうかよりも、むしろ一見偶然と思える出来事を奇跡や導きと受け止められる心があるかどうかのほうがカギではないのか、と思いました。物理的には偶然にすぎないはずの出来事が、ある人の心に運命の大きな力として働きかける。奇跡とはそういうものではないのかと。だから奇跡は、それを奇跡だと信じられる人にだけ起きるのでしょう。
 師匠は最初、兄上との別れを何とか克服しようとなさったのでしょう。けれどその気持ちは、いつかもっとずっと高貴で普遍的な心へと進化していったのではないでしょうか。そしてそのことを、師匠はいみじくも「お導き」という言葉を通して素直に受け入れ、運命の神秘として認識されたのです。私はそのことに強く打たれました。そしてその発見は、絶望の中に灯った一筋の光を見逃さなかった師匠ご自身の力の賜でもあったでしょう。
 生涯には何度か、心の奥深くに永遠の灯火が灯される瞬間がある気がします。それに気づける人は、その瞬間から心にもう一つの生命を授かるのでしょう。私はそれを小鳥たちから教わりました。そして師匠は、兄上のラストレッスンとしてそれを感得されたのだと思います。
 2005年、私は純粋な魂や奇跡について思いをめぐらす機会を何度か得ました。それはけっして、いわゆる霊体験とか神秘体験に属するものではありません。すべては小さな出会いや不思議な巡り合わせでした。ですから、それらは全部偶然です。でも私には、それを偶然としてドライに片付けることができませんでした。何百人に一人いるかどうかという綺麗な心をもった友人たちとのつき合い、師匠との出会い、音楽を通して深まった友情、それらのすべてが私に何かを語っているような気がしたのです。
 こうした方々はみな、私の大切な「ソールメイト」(魂の友人)です。その感覚は、恋愛のようなものでも友情でも身内意識でもない、魂の通い合いです。宗教も信心も関係ありません。だから、たとえば師匠にとっては、あのタクシーの中の巡礼者もソールメイトの一人だったかもしれません。
 私についていえば、師匠とは落語以外の接点はなく、前回書いたさやかさんとはほとんど音楽だけのおつき合いです。さらに以前、青森県の白神山地でお会いした元またぎの吉川さんにいたっては、もしかしたら二度とお会いする機会はないかもしれません。けれども、どなたも大切なソールメイトです。ソールメイトにとって、言葉の多さや出会った回数は問題ではないのです。なぜなら、ソールメイトは時空を超えて、同じ祈りを心にもっているからです。
 思い込みが強すぎることはとても危険です。でもときには、私たち自身に必要なメッセージを事物から読みとる力を養うことも、また必要なのかもしれません。ソールメイトとは、そのメッセージを伝えてくれる大切な存在なのです。

 今年も皆様の暖かい応援のおかげで、無事に終えることができました。本当にありがとうございます。これからもたくさん勉強して、皆様に「良いメッセージ」をお届けできるようがんばります。来年も相変わりませず、どうぞ宜しくお願い申しあげます。
 2006年が素晴らしい年となりますように。良いクリスマスと新年をお迎えくださいませ。
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私の出会った小さな奇跡 上 キリスト教編  10月31日

 いつの間にか、日本にもハロウィンなる行事が定着してきたようで、私としてはクリスマスの次ぐらいに妙な感じがしています。クリスマスについては「日本はキリシタン国家じゃないのに」という昔からの素朴な疑問があるわけですが、ハロウィンにいたっては、そもそもケルト人の収穫祭なわけで、元々はキリスト教とも関係がないのです。まあ、それを言えば、クリスマスだって冬至とキリストの降誕を一緒にして祝っちゃおうっていうことですから同じようなものなんですけれどね。
 話題になったついでに、ハロウィン("Halloween, Hallowe'en")は、元々"all hallow's even"が縮まった言葉なのだとか。ケルト歴の一年が終わる十月三十一日に、死者の霊が家族のところに戻ってきたり、悪霊が収穫を待つ作物に悪さをするので、ご先祖をお祭りしながら悪霊も退散してもらおうということで始まりました。それが、カトリックの「諸聖人の日」である十一月一日と一緒になって、西洋のお盆となったのです。日本ではお盆にナスとキュウリで馬を作ってご先祖をお迎えするように、西洋ではカボチャをくり貫いたなかに蝋燭を燃やしたりして「お迎え火」を焚くわけですね。
 筆が、いやキーボードが滑らかになってきたのでさらについでに書いてしまうと、このハロウィンの夜、アメリカで子供たちが"Trick or treat"(お菓子をくれなきゃいたずらするよ)と言いながらご近所を回る風習はいまや有名ですね。私も留学していたとき、子供たちに引っ張られて、いい年してやりました。土地によって言い方も違うのでしょうが、あのフレーズのフルバージョンは、"Trick or treat, we want something good to eat"(お菓子をくれなきゃいたずらするよ、美味しいものを頂戴な)でした。これ、ちゃんとポエムの脚韻を踏んでいるんですよ。もうお気づきですよね。
 さて、翌日の諸聖人にちなんでは、こんなお話しを一つ。聖人はカトリック教会が神様から見て優秀だと判断した人を特別に祭った方々で、有名なところでは、チョコレートでお馴染みの聖バレンタインや、小鳥に説教したと言われるアッシジの聖フランシスコがいます。じっとかしこまって説教を聞いた鳥の群が、説教が終わると十字架の形を作って飛んでいったといいますから大したもの。このほかに、失くし物を見つけてくれるパドバの聖アントワーヌ(この方も魚に説教したとかしなかったとか)、喉に魚の骨が刺さった子供を助けたので喉の病気から守ってくれる聖ブラジオ(前ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が死の床で喉を痛められたときには世界の信者さんがこの方に祈ったそうです)など、たくさんの聖人がいるようです。
 さて、前置きが長くなりましたが、実はその聖人をめぐって、つい先日ちょっと素敵なことがあったので、ご報告することにしました。でも、さらに実は、今年私は偶然の不思議に何度か出くわしてもいるのです。そこで今回と次回の二回にわたり、今年私が出会った嬉しい偶然にスポットを当ててみたいと思います。
 10月23日、私はレッスンを受けているピアノの先生の門下で行われた演奏会で、2曲の演目を弾きました。『きっとあなたを励ます勇気の練習帳』にも書いたように、私は武蔵野音楽大学の霧生雅江先生にレッスンを受けていて、先生と門下の皆様のご厚意で、つたない演奏にもかかわらず音大卒業生の演奏会に混ぜて頂いています。
 演目は、ショパンのソナタ、ロ短調と、連弾でチャイコフスキーの「クルミ割り人形」の中からいくつか弾きました。ちなみに昨年は、フォーレのワルツ第一番、一昨年はリストの「波の上を渡るパウラの聖フランチェスコ」とまあ、そんな感じです。何年か前には、先生とラベルの「ラ・バルス」を連弾させて頂いたりもして、私にとっては年間最大の行事の一つとなっています。
 何しろ聞き手が全員専門の演奏家なのですから、発表会と言っても生半可なものではありません。みなさんがその勢いで弾くなかで、音大とは縁のなかった私がとにかく何かやろうってんですから、それはもう、富士山にでも登るような騒ぎなのです。しかも、たいていは私の誕生月の十一月にこの会があるので、霧生門下に入ってからは誕生月が「大変月」になっているのでした。それが今年だけは、10月になったのです。
 連弾は、オペラの伴奏などを中心に演奏活動をしている松浦さやかさんが誘ってくださって実現しました。我が家から歩いて数分のところに住むさやかさんは、可愛らしい物腰のなかに、どっしりと肝の据わったところのある女性です。その音楽も実にゆったりと流れ、ドウドウとしています。そのさやかさんが、「麻由子さん、クルミ割り人形やりましょうよ」と誘ってくださったのでした。
 もう少しお話しすると、実はさやかさんは、私の霧生門下入りと深く関係があるのです。それまで二十年以上師事していた先生が引退されたことから(この先生はロベール・カサドシュの愛弟子でした)、路頭に迷っていたとき、さやかさんのおばあさまとお母さまが、『鳥が教えてくれた空』を読んだのをきっかけに、迷える子羊(ほど可愛くはありませんが)と化していた私を霧生先生にご紹介くださったのでした。
 突然大きな羊を預けられた霧生先生はえらかった。「それでは見てあげましょう」とおっしゃってくださいました。ということで、私は天にも昇るような気持ちで先生のレッスンに飛び込んだのでありました。
 連弾の練習を進めるうちに、さやかさんが「私ね、”波の上を渡るパウラの聖フランチェスコ”を弾くことになっちゃったの、もう大変」と話し始めたのです。その曲は、先ほども書いたように一昨年私が弾いた曲でした。さやかさんがどんな風に弾くのか楽しみになりました。
 そしてそんな折りも折り、私は今月末に出す本のなかで、この曲について少し書くことにしたのです。そして第一校正のゲラを出したその日が、霧生門下の会となりました。
「私ね、あのフランチェスコの曲のこと、本に書いたの。でもいくつか確認できないことがあってね」
「へえ、そうなんだあ。私もちょっと勉強したんだよ」
 驚いたことに、そう言ってさやかさんが何気なく読んでくれた資料には、私が最後までどうしても調べきれなかった事柄が、あっけないほど整然と、詳細に書かれていたのでした。それらは年号や場所といった小さな情報でしたが、私の原稿にしっかりした裏付けを与えてくれました。
 その原稿は、この十一月末に大和出版から刊行される新刊に書いてありますので、皆様お楽しみに。と、ちょっと宣伝モードになってしまいましたが、それはともかく、私は驚かずにはいられませんでした。さやかさんがあの曲を弾いて、それを勉強して、しかもいつもは十一月にある門下会が今年だけ十月になり、そのおかげでゲラ出稿のその日に、一番困っていたポイントの情報が与えられたのです。偶然には違いないにしても、これはもしや・・・。
 かくしてゲラは無事整い、現在最終の準備へと向かっています。私はさやかさんに心からお礼を申したのでした。とともに、はるか東洋の地で一所懸命コンピューターに名前を打ち込んで四苦八苦しているしがない物書きを見かねて、「日本は守護圏外なんだけどなあ」などと言わずに助けの手を差し伸べてくださったフランチェスコ様に、柄にもなくお礼のお祈りをしてみたのでした。
 次回は仏教編。素敵なお話し、しかも「???」の登場です。ご期待ください。
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お風呂場コオロギ  9月27日


 小学生のとき、国語の教科書に「太郎コオロギ」というような名前の短編が載っていました。正確なタイトルを忘れてしまいましたが、おぼえておられる方、教えて頂けると助かります。
 そのお話というのは、昔の木造校舎で学んでいた子供の物語で、しのちゃんという女の子が消しゴムを落としたか何かで、なくしてしまいます。それを太郎という悪戯っ子が机の下に潜って拾うとか拾わないとかゴソゴソやっている話で、最後に机の下からコオロギの声が聞こえてきて、あれは太郎がコオロギになったんだ、とか何とかみんなで言っていたような。今西助行さんの作品だったと記憶しているのですが、これも定かではありません。何しろ小さいころのことでしたから。
 コオロギにも、仲間だけど本当はちょっと違うベンジョコオロギ(本名はカマドウマ)といった変わり種から、ミツカドコオロギ、ツヅレサセコオロギ、オカメコオロギ、大きなエンマコオロギなどたくさんいます。エンマは最近都内ではあまり聞かないなあ、と思っていたら、何と地下鉄日比谷線恵比寿駅に降りる階段脇にある穴の中から、地下道中に響くエンマコオロギが鳴いているのに出会ってびっくり。荻窪駅でスズムシが飼われていたので、恵比寿でも負けずにエンマコオロギを飼ってしまったのかと一瞬本気で考えました。いい声でしたねえ。
 地下道コオロギがいわゆる「お風呂カラオケ効果」的なことを期待してあの場所を選んでいたかは謎ですが、実は今年、我が家のお風呂場にもコオロギが縄張りをしつらえたのです。コオロギやカンタンは「お鳴き台」という鳴き場所を必要とするらしいのですが、うちの風呂場にはそんな高級なものはありません。最初は洗い場の左前の隅っこで、細々とやっておりました。種類は、エンマコオロギではなくて、た・ぶ・ん・オカメコオロギです。
 嬉しいような困ったような。シャワーなど浴びに入るときは大変です。「ごめんねえ、おじゃましまあす」なんて、なんだか余所の豪邸でも訪問するような気の使い様。うっかり水でもかけてしまい、御コオロギ様にもしものことがあったらえらい騒ぎです。何しろ無用の殺生は罪が重いそうですから。ナアムウ。
 コオロギさんたちは、振動で人や天敵の接近を感知するらしく、私がすごーくそっと踏み込んでもすぐにシンと鳴き止んでしまいます。お湯を入れ始めたら、まずほとんどは、すべてが終わってしばらくするまで鳴きはじめません。温度が上がることも影響するのでしょうか。
 ところがあるとき、私はふと思いついて、浴室にそっと入ってからコオロギのいる隅に向かって、彼と同じリズムで口笛を吹いてみたのです。お返事はなし。そこで今度は彼に近い声を出そうと、できるだけ高い音で鳴いてみました。江戸家小猫さんのように息を吸いながらビブラートをかけるなんてことは逆立ちしてもできないので(逆立ちもできないしー)、普通に高い口笛でヒッヒッヒッとコオロギのリズムを真似してみました。野外で昼間にやると、セッカか下手なジョウビタキと間違えられそうですが、そんなことはなくて、こう見えても一応、下手なコオロギなんです。
 すると驚いたことに、彼はリ、リリ、リリリ、リリリリとどんどん声を増やし、強くしながら、ジリジリと隅っこを離れてタイルの上をこちらに向かって動き出したのです。もちろんはじめは信じられませんでした。虫が用もないのに(いや本人はあるんでしょうけれども)人間の方に、しかも鳴きながら向かってくるなんて。私の下手さ加減がよほど気に入ったものやら、それともよほど怪しかったものやら。
 でも、高音の口笛で呼び続けると、少し間をおきながらも彼はどんどんこちらにやってきます。なんだか怖いくらい。そして、私の足先から10センチくらいのところでピタリと止まり、鳴くわ鳴くわ、それこそ一晩でも行けそうな勢いで鳴き始めたのです。
 でも、残念ながら私もお風呂に入らせてもらわないと、本当に夜が明けてしまいます。そこでまたまた謝りながらお湯を入れ、コオロギは沈黙の世界に戻りました。
 さらにところが、お湯が沸いたのでそっと浴室に戻り、湯船の縁に腰掛けてあの口笛をやってみたら、なんと、今度は鳴き場所が変わっているのです。備長炭のおいてある辺り、私たちはここを「谷」と呼んでいて、まあそれはどうでもいいのですが、その谷で立派にお鳴きになっていたのでした。
 さて、そのコオロギの羽がそろそろ破れて声が悲しい摩擦の音になったなと思った翌日のこと。何とまあ、その破れかぶれの彼に変わって、今度は実にピンピンした声の新入りが、あの隅っこで鳴きを入れております。
 いらっしゃい、いらっしゃい。もうこうなったらみんなおいで。それにしても、あそこがそんなに人気のスポットだったとは。ただ一つ、疑問があるのです。
 彼らがどこから入ったにしても、あそこで鳴いていて、フィアンセは無事見つかるのでしょうか。うん、きっと見つかっているのでしょう。さもなければ、「あすこんちの風呂場は鳴きはいい感じで響くんだけど、あの娘(こ)やこの娘(こ)が入ってきてくれないから駄目だよ」といううわさが、広がるに違いありませんから。
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都会のオアシス  8月27日

 都会のオアシスと聞いて、みなさんはどんなものを思い浮かべられるでしょうか。ビルの谷間に作られた花壇や噴水、あるいはお屋敷の庭かもしれません。あれ? むかーしのワープロ、なんていう声も聞こえたような。懐かしいですねえ。いずれにせよ、何となく人工的な雰囲気の残る「自然もどき」のような印象を受ける人が少なくないのではないでしょうか。
 でも都会は、そんなに捨てたものでもないことにこのごろ気が付いてきたのです。きょうはそんな場所をいくつかご紹介してみましょう。
 有名なところでは、世田谷の等々力渓谷。自動車のビュンビュン通る道路の側に、突然満々と水の湧く土手が現れます。ゴウゴウと水が轟く音は耳も割れんばかり、とはさすがに言えず、自動車の音に負けそうなせせらぎのような音が少し頼りなげに聞こえている感じ。でもそこには、毎日何度もポリタンクをもって水を汲みに来る人々がいまも絶えないそうです。
 私がここを訪れたのは20世紀の終わりごろでしたので、いまは状況が変わっているところもあるかもしれません。ただ当時出会った水汲み人に尋ねてみると、コーヒーでもお茶でも、ここの水で湧かすと甘くて香りがよく立つのだと話しておられました。
 次は国立の谷保界隈。ここにはまだ田圃や畑が残っていて、実際に作付けが行われています。甲州街道から少し入っただけなのに、タンポポやクローバーはモチロン、ニワゼキショウ、ホウキグサ 、ヒメムカシヨモギ、野生のヒイラギ、キツネノカミソリなど、貴重な植物が目白押しに生えています。その目白押しの木にメジロが目白押し、なんていうこともあったりして。いやほんとに、秋には柿の実に一つずつメジロがしがみついて、チイチイと嬉しげに鳴きながら美味しそうに汁を吸っているのです。
 最後は練馬区大泉にある井頭(イガシラ)公園。ここは、吉祥寺の井の頭と井荻の善福寺と並ぶ武蔵野の水源の一つで、何と白子川という川の水源なのだそうです。東京23区内に川の源流があったことにも驚きましたが、それが今も渾々と湧いて川を造っていることには、またまた驚きました。
 そこで早速訪ねてみると、川の中にも底から水が湧いているところがいくつもあり、その上を鯉が通過しながら体をゆっくりひっくり返しています。まるで綺麗な水で身を清めているかのようです。
 そしてさらに驚いたことに、近くの湿地には湧き水を湛えた池ができていて、それをめぐる木道から自由に水に触れることができるのでした。ただし、「飲めません。中に入らないでください」との厳しい注意書きつきですが。それから、動物も御法度のようでした。
 池に手を入れると、不定期にポコッと泡が出てきて、掌の中で冷たい水の玉が丸く膨らみます。いつどこに出て来るかは分からないので、気分はまるでモグラ叩き(叩けませんが)。泡に当たると何だか妙に嬉しい。これも水の不思議というものでしょう。
 慣れてくると、湧き水は「冷たい点」になって私の手を導いてくれました。一見変化のない水底ですが、そっと手を動かしていくと、湧いている地点だけ急に冷たく清らかになるのです。さほど深くはない池ながら、底まで見える透明な水が絶えず溢れていて、木道の下にまでヒンヤリした水面を広げています。土手では子供たちが野球に興じ、側の川辺では愛犬をつれた人々がゆったりと散歩をしています。
 砂漠のオアシスのなかには、町が作られるところもあるようです。本当のオアシスというのは、ただのお休み所にとどまらず、日々息づいて生物たちとともに活動しているものなのかもしれません。もっとも、砂漠ではそのオアシスが突然消えてしまうこともよくあるそうですが。
 私たちもささやかながら、都会から本物のオアシスが突然消えることのないように、心を配っていたいと思ったのでした。
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世界の中心で季語を叫ぶ  7月20日

 世界の中心は地球の中のマグマの中だから叫べないんじゃないかなあ、と素朴な疑問はさておき、最近は外国語の俳句が盛んで季語もだいぶ世界的になってきました。そこで今回は、英語で季語を味わってみようと思います。
 と大上段に構えてはみたものの、やはり日本の季節をベースにした季語ですから、単純に英訳してしまうとかえって興醒めしたりします。まずはそんな例から。たとえば梅雨。"a long spell of rainy season"、って、これ梅雨というより雨期ですよね。だから梅雨入りは"the beginning of rainy season"、梅雨明けはもちろん、"the end of rainy season"。見事に味気ないですね。
 同じ雨でみると、雷雨は"a thunderstorm"。何の味わいもありません。
 しかし、これを夕立とすると、"a summer afternoon shower"、夕立に遭うというのは「夏の午後のシャワーに捕まった」と表現します。通り雨は"a passing shower"。このくらいになると、なかなか風情が出てきますね。ただの雨"rain"より、勢いよく水が落ちてくる雨のシャワーと言われたほうが、感覚が呼び覚まされるような感じがします。いつだったか、シャワーを「糸状水吹き出し装置」と訳した人がいました。それもすごい訳ですが、本来シャワーは「装置」のことではなく通り雨のように短時間でザッと降って止む雨を言います。
 さて、季語です。これから来る残暑はどうでしょうか。
 辞典で残暑を調べると、"the lingering summer heat, the heat of late summer"などとあります。つまり夏から引きずっている暑さ、または晩夏の暑さということで、季感としては初秋より晩夏のようです。これも、そのまんまだけれど思いのほか詩的な気がしました。
 調子が出たところで、秋を先取りして虫の音に行ってみましょう。と辞書を開いてげんなり。トンボは"dragonfly"(竜蝿)、コオロギは"cricket"(ガチャガチャ虫)、カンタンに至っては陰も形もない始末でした。
 やれやれ。そういえば、高校のときアメリカのユタ州に留学したとき、「あちらの人は虫の音を雑音として聞く」と教えられたので、試しに前年家で飼っていたスズムシの声を録音したテープを聞かせてみました。
 ところがです。両親はともかく、子供なら先入観がないから少しは理解してもらえるかと思いきや、11歳のホストシスターが、「これ何の音? え? 虫、虫、虫????」と聞くだに気持ち悪そうにムズムズした声を出したのです。ついでなので、セミ、キリギリス、カンタン、クツワムシとやってみました。結果は「期待通り」、というより「期待以上」といえるほど、みんなして気持ち悪がってくれました。
 やっぱりなあ。英語で季語は無理かあ。
 そんなことを思い出しながら脱力して辞書を閉じようとしたとき、見つけました。スズムシ"Japanese bell cricket, singing cricket"。なかなかうまいではありませんか。でももしかして、これって日本人ががんばって訳したのかしら。それに、ベルと鈴はまったく別物でもあるし。
 音が駄目なら色はどうでしょう? 紅葉"coloured maple leaf"(色づいたカエデの葉)。風流というより観察的な単語です。でも「山装う」"coloured-leaf-dressed mountains"などと言い換えれば、それなりに行けるかもしれません。
 なるほど、とここで私ははたと気付きました。直訳するから無理が行くのです。直訳した後、それに季節の趣をトッピングして「翻訳」すればいいのです。
 満月は"full moon"、これを名月と言い換えて"bright moon"。でも名月は中秋のころだから、さらに月と実りの秋という二つの季感を合わせて"the bright harvest moon"。こんなんでいかがなもんでしょう。
 名月にお芋など供えて祝う「芋名月」は"sweet potato-celebrating harvest moon"。こうすれば、栗名月はポテトをマロンにすればOK。もう書かなくてもお分かりですよね。
 ところで、日本の季語は、世界の中心ならぬ日本古典文学の中心だった京都の季節を元にしているのだそうです。だから江戸やみちの奥ではそんな季語を理解するのが難しかった。つまり、何も英語まで行かなくても昔の日本人だって季語には悩んでいたというわけでした。
 けれども、季節は世界中どこにでも訪れ、俳句はどこででも作れます。だから、季語を叫べばどこもかしこもが俳句世界の中心になれるのです。季語は世界共通の「人間語」なのです。
 さあ、それではご一緒に、「キーーーーゴーーーーーー」。はずした?

十五夜や赤道近き船上に 麻由子、シンガポールにて
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私の三種の神器 3 旅空編  6月28日

 みなさんの旅に欠かせないアイテムは、どんなものですしょうか。シリーズ最後の今回は、私が旅にもっていくものの特集にしてみました。
 まず鞄に入れるのは、A4サイズの白紙を四つに折ったもの。これはメモ用紙にもなるし、野外で何か食べるときや、ちょっと汚れたベンチに座るときなど、何かにつけて便利です。一筆箋を持ち歩く方もあるし、B4のような大きなものでもよいのですが、あまり大きいとメモに使うときにやりにくいし、私の場合には点字の筆記用具のサイズが限られているので、A4が一番重宝するのです。懐紙にも敷物にもメモにも使えるというわけです。
 で、どうして四つに折るかというと、一つは点字機がちょうどこのサイズに合っているからなのですが、何よりも四つに折ると4ページ分の俄か仕立てノートが作れるからです。表と裏の計算がちょいとややこしいのですが、折り山を上にしてうまく書いておいて後で上をカッターナイフで切れば、綴じなくても見開きのページができていきます。それをいつもの雑記帳に貼ればそのままページが増やせるし、別に集めておいてまとめて綴じてもよいでしょう。前の旅やほかのことが書いてあるノート一冊を持ち歩くのは大変というとき、この白紙はとても役立ってくれるのです。ノートを懐紙に使うのも何ですし。ともかく、四半分は何事につけ誠に都合の良い大きさなのでございます。
 次のアイテムは布3種。特に挙げたいのが日本手ぬぐいです。
 日本手ぬぐいは万能で軽いし、けがをしても包帯に使えるのでもっていくようにしています。フィールドでは首にかけていると便利だからお勧めだよ、と句会の友達に言われたのでその気になって実行宣言をしたら、生け花の友達に、「それはあと15年ぐらい経ってからにしてちょうだい」とストップがかかったので、いまのところは待機しております。
 あるとき、極寒の池畔で探鳥していたら、知らないうちに体がシンシンと冷え、本当に芯まで冷え切ってしまいました。そのとき、ふと思いついて日本手ぬぐいを取り出し、下着の下に腹巻状、というか、正直に腹巻! にしてみました。すると、なんと寒さは見る見る引き、木綿のシャツをもう一枚着たかのようにポカポカと暖かくなってきたのです。
 考えたら、手ぬぐいは木綿ですから、本当に木綿の腹巻をしたようなものだったんですね。腹巻万歳。銀行で「原 真紀様ー」と呼ばれて恥ずかしがっている女性に出くわしたこともありますが、腹巻を侮るなかれ。寒いときには何でもありなのです。
 ところで番外編ですが、布といえばスカーフも便利。寒いときにはもちろん、風呂敷に使えるのです。三角にして底辺の両端を縛り、残る二つの角を上で縛るとショルダーバッグに速変わり。細かく折って縛れば化粧ポーチにもなるし、袋にして手すりに縛ればペットボトルのホルダーにもなります。
 ということは、やはりレースのスカーフでないほうがよいですね。もちろん、スワトーなんかはもっていきません。っていうか、もってません!!
 旅の鞄に欠かせないアイテム、最後は紙石鹸です。中学一年生のとき、友達に誕生日のプレゼントでもらってから、あの優しい感触と使いやすさにすっかり魅了され続けています。
 紙石鹸のよいところは、好きな量だけ使えて、しかも残りはカラッと乾いているので道中も他の鞄の住民に迷惑をかけないことです。何より軽いのが最高なのです。一枚を半分に分けて使えば、一度の手洗いに充分なので、少量でも思いのほか長持ちします。動物園や昆虫観察会では、濡れティッシュでも間に合わないことがありますから、手洗いの共にぜひとも必要です。
 こつは、使う前に適量を切りとってから洗うこと。そうでないと濡れた手で紙石鹸の皆さんを全員湿らせてしまったり、一度に何枚も取り出して、結局ヌルヌルの山ができたりして。「鞄を洗おうってんじゃあるめえし」と石鹸が泡(あわ)てておりました。
 とまあ、そんなわけで、旅には小物が一番。使う私も小者ですから、ちょうどいい。いえいえ、大者の皆様にも、きっとちょうどよいことでしょう。
 三種の神器シリーズ、何かヒントになりましたでしょうか。今度は、妙な物シリーズや、ぜったい要らない物のシリーズなども手がけてみるべく、さらに精進を続ける所存であります。
 そういえば、どんな彼氏がほしいかと聞かれて「誕生日に柘植櫛をくれるような人」と言ったら「渋すぎやー」と呆れられてしまいました。「しかも、櫛はクとシで縁起が悪いからやりとりはしないものなんやで」、「じゃ、それをくれたら苦心を共にしてもらえるってことじゃない」とやり返したら、「同じ櫛なら美味しい串にしておきや」と逆襲が来ました。うん、たしかに串のほうがいいのかも。お後が宜しいようで。
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私の三種の神器 2 リラックス・瞑想編  6月2日

 集英社から発行されている『ロング・ドリーム』には、私のお香失敗談が恥を忍んで書かれています。まったく、楽しいはずのお香なのに、楽しむまでのハードルのなんと高かったことでしょう。
 そんな中、私は毎年欠かせない精油を何種類か見つけました。メジャーなものですが、ラベンダー、ユーカリ、ペパーミント、そしてときどきゼラニウム。
 特にラベンダーは、体が疲れているのに神経が高ぶって眠れない夜には、睡眠薬並の効果があります。もちろんこれは私の場合で、個人差はあると思いますのでみなさんもご自分にあった安眠法を見つけて頂きたいと思います。
 私のやり方は、枕にタオルをかぶせて眠り、その端っこにラベンダーの精油を一滴落とします。左を向いて眠りたいときは左上、右を向きたければ右の上の角当たりに落とすのが良いようです。こうすると、香りに飽きたときに寝返りを打つと気分が変わります。
 ホテルなど、タオルが使いにくいときには、ティッシュに落としてベッドの端におく方法も好きです。ただし私は、寝ている間にこのティッシュをベッドと壁の隙間に落としてしまって拾えなくなり、ホテルマン様に心の中で懺悔して出発したことが何度かあります。ごめんなさい。
 ユーカリとミントは、花粉症と仕事中の集中に効果的。ゼラニウムは満月前後に枕に落とすと疲れがとれる気がします(ちょっと怪しい?)。でもこれも私の経験なので、本当は違っているのかも。
 リラックス・アイテムNO2は、びんちょう炭です。お風呂に入れるとお湯がシュワワーッと泡だって浄化され、温泉のようによく暖まります。しかも湯上がりの水切れ、じゃなかった、お湯切れがとても爽やか。これを使いだしてから、私は気分転換したいとき以外は入浴剤をほとんど使わなくなりました。
 しかし何よりも、びんちょう炭は、部屋におくのが良いと私は思っています。音がするわけでもないし、そこだけ空気がすべすべになるなんてこともありません。ただ、炭がそこに存在するだけで、なぜだか空間がとても清らかになり、お風呂のお湯の塩素と同じように、大気中の邪気が清められる感じがするのです。
 おきたい場所は、枕元と机の上。なるべく側において体も清めてもらうのが良さそうです。ただし、パソコンの近くにおくときには、くれぐれも炭の粉が機械に入り込まないように注意しましょう。私は一度、PCのハードディスクを埃でショートさせ、焦がしたことがあります。ハードディスクは見事にクラッシュ。リラックスどころか、えらい目に遭ってしまいました。
 リラックス・アイテム、三番目は様々な像です。ゾウさんではなく、お地蔵さんや仏像、埴輪の復元物などです。どの像にも、作った人の信仰や、込められた心が感じられて、触れるだけでとても神聖な気持ちになれるのです。
 もちろん、偶像として崇拝するのではなく、そのオーラを頂くというのでしょうか。
 オーラはそれぞれの像で微妙に違いますが、私が好きなのは聖母マリアとお地蔵さんの像です。
 聖母信仰は、ケルトの土着信仰とキリスト教が微妙に接するなかで、中世ヨーロッパ時代に盛んになりました。マリア様というのはカトリックの言い方。神であるキリストの母として聖人の中の聖人におかれています。プロテスタントでは、特別な女性ではあっても、あくまで人間としているので、「マリア」と名前で呼んでいます。ちなみに、アメリカでは人口の8割が、マリアの処女懐胎をしっかり信じているとの統計があります。
 難しいことは分かりませんが、これほど長きにわたって世界の人々から母と慕われたマリア様のお像には、意図せずとも優しく明るい母のオーラが宿っているように思えます。しかもマリアは、ただすべてに従順だったわけではなく、小説などでは、母として息子イエスの盾となったこともあるし、悲しむ人に自分から駆け寄って慰めようとする活発な女性としても描かれています。要するに、私はマリア様のお像から、元気の元を頂いているのでしょう。
 お地蔵さんは、道行く人を黙って見守り、日本の土に根ざした人々の心を司ってくれています。可愛らしいお地蔵さんの頭をなでて、穴の開いた硬貨をお捧げするとき、不思議な暖かさをおぼえます。有神論、無神論を問わず、一体一体心を込めて彫られたお地蔵さんは、道行く多くの人の心をまっすぐに戻しているのではないでしょうか。
 それにしても、私の部屋にはこのほかに、仏像や模造の埴輪、木彫りの鳥からインドの神様まで、さまざまな像が鎮座しておられます。その像の足下には、達磨さんや打ち出の小槌、烏団扇に張り子のニワトリと、これまた不思議な仲間がお供え?してあります。あまり効いていませんが、縁結びのお守りまで一応揃えてみたりして。
 「あんまりいろいろおいておくと神様が喧嘩するらしいよ」と友達から教育的指導が入る始末。そういえば、震度3以上の地震があると、まずドミノ倒しになったお像様たちの復旧作業から初めているような。
 しかし、神様が喧嘩するとは、さすがに八百万の神様のB4の発想です。とはいえ、考えてみたら、世界では「一人だけ」と言われる神様を信じる人たちも喧嘩していることがありますね。してみると、このご託宣も強ちうそではないのかも。
 神様も、神様を信じる人も、喧嘩しないで仲良くやりましょう、とこれは、我が狭き部屋のお像様たちの言葉、ということにしておきましょう。

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私の三種の神器 1 楽々機械編  5月9日

 ときどき友人などに、「麻由子日記のテーマとしてリクエストある?」と尋ねてみると、「麻由ちゃんの日常が知りたい」という声が帰ってくることがあります。私の日常といっても、他の人と著しく違うわけでもないし、すごくゴージャスなわけでもないし、さて何を書いたものかなあ、と考えてみました。
 それで今回から3回にわたり、もしかしたらこれは使えるかも、と思うような日常の三種の神器を取り上げてみようと思います。「仁義」ではありませんので悪しからず。
 第一回目は、私の毎日を楽しく便利に彩ってくれている小さな機械たち。
 まず一つめはICレコーダー。録音と再生だけしかできなかった最初のころの機種から毎年のように買うことになってしまい、いまでは「川の字」たす1=4台も並んでいます。モノラル用とステレオ用がそれぞれ2台。古いものは中身を消去してどなたかに差し上げてしまおうか、と考えたこともありましたが、シンプルな古い機種も、それはそれで便利です。
 シンプルなものには、アドレスや電話番号をどんどん入れています。一度しかお電話しないような方でも、ここに入れておけば紙と違って無くしたりゴチャゴチャになったりしないので便利。ただし数が増えてきて、探すのにちょっと苦労しています。
 2番目のモノラル用は、読書メモの録音です。私は読書ノートに印象的だったフレーズを手書きで写すのが好きです。でも資料として長い文章をとっておきたいときには、これでは間に合いません。点字の打ち過ぎで腱鞘炎になりそうです。そこで、長い箇所だけはICレコーダーに朗読して吹き込んでおいて、それを後からCDに落とすのです。実は、この作業はパソコンでもできるのですが、IC用のソフトが音声パソコンでは扱えないことがあるので、もう一つの新兵器を使っています。それには後ほど触れましょう。とにかく、コピーのできない点字図書を読む私にとって、読書メモが手軽に作れるのはICの特技ですね。こつはモノラルでいいから録音の音質がよいものを選ぶこと。そうでないと蓄音機に朗読したみたいになってしまいます。ま、それも情緒があって悪くはないですが。
 ステレオ録音用のものは、講演の壇上に持ち込んで自分の話を記録したり、旅先で鳥や自然の音を取ることが多いのですが、実は便利な使い方がもう一つあります。それは、旅先で目についた看板や簡単な案内書を録音しておくことです。幸い、私はどの道誰かに読んで頂かなければなりませんので、そのときにさりげなくスイッチを入れておくのです。朗読なら録音しても「いやあん、止めてー」なんて言う方はあまりいないし、これなら赦して頂けるでしょう。もちろん、盗聴なんてしませんのでご安心を。
 2番目のお宝機械は携帯電話。これはしゃべる携帯です。ちなみにしゃべるのは私でなく、電話の方です。私の場合は、通話やメール、調べ物のほかに、読書に活躍してくれます。昨今はやりの携帯小説はもちろん、出版社のサイトで立ち読みができることが何よりの魅力です。
 最近はパソコンのサイトでも立ち読みが人気らしいですが、携帯なら一度画面を保存しておけば、後で時間ができたときに、どこにいても見る(私の場合はテープ感覚で聴くわけですが)ことができて、まるで書店の新刊コーナーだけを持ち歩いているみたいです。もしヤドカリだったらぜったいに本屋さんを背負って歩きたい私には、思わぬ楽しみになっています。何しろ書店に行っても立ち読みという夢は一生叶わないのですから、たとえバーチャルでも携帯で新刊が読めることは、ドラエモン二世の試作品をもらったぐらいの効果はあるのでした。ただし、「麻由子」と書くと「マユウシ」と読んでくれる辺り、なかなかカワユイですが。
 最後は我ら"sceneless"用に作られたCD再生・録音機。これは世界的な標準ファイル形式であるデイジーという私たちの読書専用のファイルをCDで聴くための機械です。でも音楽CDも聴けるし、一部のMP3ファイルも楽しめます。1台10万近くする高価なアイテムですが、これ一台とジャック一本あれば、ICレコーダーの音源をカセットテープにダビングする感覚でCDに落とすことができるのです。
 もちろん、パソコンとつなげばさらに自由な編集ができますが、それをしなくてもかなりの用途に応用できるのがこの機械のすごいところ。いまや資料整理には欠かせない一品となりました。
 ところで、いま気が付きましたが、この三種の神器のうち二種は、「盲人用」という枕詞が付かない普通の機械です。ICレコーダーにも音声ガイドが搭載されたり、ややお高めではありますが、家電量販店で普通に買える携帯電話が私たちにも使えるほどよくしゃべってくれる、そんな時代になったんですね。いい時代になりました、となんだかおばあちゃんみたいなため息をついてしまいます。
 このように誰でも使える商品を「ユニバーサル・デザイン(UD)」とか呼んでいるわけですが、昔はカセットテープも炊飯器も画面なしで操作できたので、ある意味すべてUDだったのです。いまは画面がないと機能が使えないのでUDとわざわざ言って作らないといけないのかもしれません。
 でも、一つお願いできるとしたら、私はシンプルの名の下に機能を落とすといったUDが蔓延しないことを祈ります。UDは使いやすいものであるべきだから、たしかに余分な機能は要らないかもしれません。でもそれは、便利な機能まで削ってもいいという意味ではないと思うのです。
 いまはシンプルなUD商品が全盛ですが、いつかフルに使いこなしたいUD利用者にとっても便利な、多機能のUD製品がたくさん出てくるよう願っています。そして何よりも、製品も機能もみんなが「選べる」ようになることが一番です。UDだからといって、一種類だけしかない高価なもの、あるいは使いたい機能がないものを買わなくてはならないというではなく、たくさんのUD物から好きな種類を楽しく選び、競争の原理もちゃんと働く。これでようやく、本当のUD時代の到来と言えるのではないかと思うからです。
 「機械は人を駄目にするから駄目」という声も聞こえてきそうですが、使い方によっては情報をくれたり整理させてくれたりして、かえって精神を豊かにしてくれることもあるのですね。機械も捨てたもんじゃない。おっと、そこのロボット君の鼻がニョキッと高くなったような(君はピノキオかいな)。
 次回はガラリと雰囲気を変えて、リラックスモードで参ります。ご期待ください。

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松山報告 2 ジャーン!! 発表しまあす  4月12日

 え、ええー!!?? 作曲? 演奏?
 平和の集いでは、最初に書いたように、各組みが温泉とか私たちの暮らしなど、テーマに合わせて話をします。私たちの組は「平和の言葉」でしたので、私も好きな言葉をいくつか準備してはおきました。ピアノも弾いてほしいとのことでしたので、ある曲を予定してもおりました。し、しかしです。作曲なんてそんな・・・。私は呆然と新井さんにつれられ、食堂の片隅のピアノに向かったのでした。
 募集された言葉は大きな凧に書かれて市長室に飾ってあるそうです。そのなかで憶えているところでは、「あれまあ、こりゃまあ・マッチャマア(松山の意味)」とか、市長が中村さんということで、「おおい、中村君、元気でやってるかい」とか(これは市長が「落としました」と笑っておられましたが)。もちろん、真面目なものがほとんどです。
 さて、新井さんがモチーフに選んだのは、最優秀になった言葉、「恋し、母親になったこの町で、おばあちゃんになりたい」でした。これを膨らませて素敵な即興詩を作られていたのでした。曲の大半は私がメロディーを考え、それにコードをつけてピアノで伴奏するのです。
 呆然としていても事が進まないので、とりあえず、エイ・ハ長調の3拍子を提案してみました。すると新井さんは、「うん、ぼくも3拍子がいいと思っていたんだ」とすぐに賛成してくださいました。不思議なことに、打ち合わせはそれだけだったのに、パラパラと弾いたコードに新井さんが歌い始めると、二人の息がピッタリと合ったのです。新井さんの旋律と私のコードが、面白いように10小節近くもサラサラと進んでいきます。
 胸が高鳴ってきました。何度かお話ししたことはありましたが、こんなに深いところで心を通じ合わせたことなどもちろんありません。それなのに、音楽は私たちを乗せてドンドンと言葉に彩りを添えていくのでした。ジャズのセッションでは、こういうことが何十分も続くのですから、演奏者はさぞやときめくことでしょう。クラシック育ちで楽譜から音楽を起こすことには慣れていましたが、こんな不思議な経験は初めてです。そして、もしかしたらこれは演奏者ならではの感動かもしれないと思ったのでした。
 こうして、春浅い南国の空気のなかで、午後の本番が終わりました。折しも旬を迎えていたデコポンの味のようにしっとりと優しいみなさんの心に包まれ、あわやの演奏はどうにか成功。そして、演奏家にしか分からない細やかな心配りで緊張をほぐしてくださった森ミドリさんと、もちろん最高のプロデュースで私を導いてくださった新井さんのおかげで、私のペンデビューは千人の会場のみなさんの涙と拍手によって祝福して頂くことができたのでした。
 会が成功したことはもちろん嬉しかった。でもこの日記で私は、こんな風に平和を考える会を、平和のうちに行えることがどんなに大切かを、読者のみなさんにも感じて頂きたいと思うのです。セッションで、私は次の言葉を朗読しました。ここにその一部をご紹介します。

私をあなたの平和のために用いてください。憎しみのあるところに愛を、憎しみのあるところに愛を、分裂のあるところに一致を、もたらすことができますように。(アシジの聖フランシスコの平和の祈りより)

 雛祭りも「耳の日」も大事だけれど、それをすべて支えるのは平和です。その平和を実現するためにも、お互いに目覚めた心でいたいものです。
(了)
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松山報告 1 スコップにストップ  3月22日

 活動報告にも書きましたが、去る3月3日、私は愛媛県の松山で開かれた日本ペンクラブの「平和の集い」で、新井満さんとのバトルトークに参加してきました。ご存じの方も多いと思いますが、平和の日の集いは、世界平和を願うペンクラブの一大年中行事で、全国各地で毎年3月3日に催されます。詳しくは、当ページのリンクをたどってペンのページへおいでください。
 さて、バトルトークといっても、もちろんステージで大喧嘩をやるわけではなく、平和について熱く語り合うのです。私たちのほかには、嵐山光三郎さんと立松和平さん(テーマは温泉)、阿刀田高さんと浅田次郎さん(同物語について)、そして新井満さんと私(平和の言葉)、最後に井上ひさしさんと落合恵子さん(私たちの暮らし)と、私を除いては大変な豪華キャストでのイベントでした。司会は、作曲家の森ミドリさんと、作家の松本侑子さん。これまた豪華な取り合わせでした。
 メンバーやスタッフは、全員前日の2日から現地に入ります。そしてまず、ペンの集いが行われた記念に、その土地にふさわしい木の記念植樹をします。まあ本当は、ご存知とは思いますが、すでに植木屋さんがしっかり植えてくれているところに、私たちがスコップで少しずつ土をかけてあげるだけなんですが。そのスコップには、ちゃんと平和の集いの旗があしらってあって、新品でした。
 どうしようかなあ、と戸惑っていたら、立松さんが後ろから両手を支え、「一緒にやりましょう」と言いながら、ご自分の分と私の分の土をかけてくださいました。「フラッシュが光らなかったのでもう一度」と撮影班から声がかかり、3回目、4回目にとりかかったら、「ほかの人もやるので」と、スコップにストップがかかりました。
 記念植樹後の撮影のとき、私は最前列になったため、白杖を畳んでしゃがもうと思い、周りに人がいないのを確認してから杖の上部半分を引き抜いて折り曲げました。
 そのときです。折り曲げた杖の先(場所的には天辺)が何かに当たりました。確認したつもりが、実は人がいたのです。それも、あろうことか、私が中学時代から尊敬して止まず、ご著書を200冊ほども拝読している井上ひさしさんの頭に、コツンと当たってしまったのでした。
 「あっ、ごめんなさい、すみません、失礼致しました、申し訳ありません」などなど、ほかに何を言ったかは忘れましたが、こんなにお詫びの言葉があったのかと思うほどいろんな言葉が飛び出して、とにかく平謝りです。しかし咄嗟というのは恐ろしいもので、思わず「大丈夫でしたか」と聞きながら、さらにあろうことか、ぶつかった辺りをなでてしまいました。察するに、こめかみの辺りではなかったかと思います。丸い形の眼鏡と、そしてフサフサした髪の毛がありました。し、しまった、子供じゃないんだから、なでたりしちゃあ、・・・。しかしもう遅い。
「いえいえ、ぜんぜん痛くなんかありませんよ。なでられたみたいなもんですから」
 井上さんがおっしゃいました。いや、本当になでてしまったんですが、何とかおけがだけはさせずに済んだことが分かって、やれやれ。おけがはなかったが、お毛はとても素晴らしく生えておられるようでした。ごめんなさい。
 いきなりこんな大失敗をやらかして、私はもう、植樹の穴に入ってしまいたい心境でした。
 夜は、市長さんや地域の名士が勢揃いしての盛大なレセプションが開かれます。今回は、伊予漫才のみなさんが、よく通る声でめでたい歌をたくさん歌ってくださいました。漫才といっても、今風のお笑いではなく、三味線と太鼓を伴奏に、歌でめでたい言葉を掛け合いのようにつなぎ合い、その間に合いの手が入るといった感じです。中学生のかけ声が一際輝いていました。ちなみに私は、朱のワンピースにゴブラン折りのブレザーを来て、スワロフスキー玉のイヤリングとネックレスという装いで出席しました。
 レセプションが終わってみんなが三々五々部屋に引き上げかけたとき、新井満さんが私を呼び止めました。
「松山の”言葉の力委員会”が募集した古里への言葉からぼくが詩を書いたんです。一緒に作曲して明日歌いましょう」
(続く)

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泡であわてた石鹸物語  2月21日

 石鹸なんて興味ない、と思った男性のみなさんも、どうぞ試しにお読みくださいませ。
 あるとき友達が、「あのね、すっごくいい石鹸があるの。一緒に買わない?」と、割引狙いのまとめ買いグループへの参加を持ちかけてきました。「うん、いいよ。で、いくらなの?」と聞いてびっくり。
「一つ10500円。でも大きいから」
 何と、その石鹸はフランス生れの高級なナチュラル石鹸で、ココナツバターだったかカカオバターだったか、とにかく何かのバターでできているのだそうです。大きさは、それこそマーガリン二箱分ぐらい。両手にずっしり来る重さです。使うときには、ピアノ線で切り分けるのだとか。まあ、驚いた。でも割引でもなければそんなにお高いものは私の手に負えません。それで勢いに任せて、思い切って大枚をはたいてしまったのでした。
 たしかに、その石鹸は素晴らしかった。お肌には優しいし洗い心地は滑らか。大きいのでしばらくは使えそうです。何といってもあわ立ちが素敵でした。細やかな泡がタオルいっぱいに満ちて、全身が天国を訪ねたみたいです。頭も顔も体も洗えるので、シャンプーは入りません。アレルギーにもバッチリ対応できるわけです。
 けれども、そのパラダイスは長くは続きませんでした。石鹸の減りが途轍もなく速いのです。タオルに当てる度に、まるで鉋で削っているかのような勢いでやせ細っていくではありませんか。濡れた手で触ろうものなら、シュワッと消えいりそうに柔らかくなってしまう。まるで暖めた蝋燭です。。
 そういえば、友達が中国の古い映画を見てきて、「濡れた手で石鹸を触ると減ってしまうから手を拭いて扱いなさい、ってお母さんが子供を叱っているの。物がない時代って、そういうことが真剣な問題になるんだって思ったよ」と熱く語っていたのを思い出しました。私も見習って、乾いた手で石鹸を扱いたい。でもここはお風呂。それは無理というものです。しかも、カラリと乾いたフランスの気候と違って、日本の梅雨時のお風呂場などは、石鹸にとっては水中に放り込まれたようなものでしょう。気のせいか、おいておくだけでも湿気で減っていくようにさえ思えるのでした
 そのうちに、あろうことか、私はやせ細った最後の塊を掴み損なって、ホカホカに沸いた湯船にドンブリと落っことしてしまったのです。お風呂にハマって、さあ大変。潜水付きの石鹸救助大作戦を実施するはめになりました。こうして、10500円のパラダイスは、二月もしないうちに、文字どおり泡と消えていったのでありました。
 さて、パラダイス石鹸には見捨てられましたが、このことがきっかけで私は様々な石鹸を試すのが好きになりました。旅先では、数千円が石鹸に化けることも少なくありません。おかげでタンスの引き出しがまるまる一つ、石鹸に占領されてしまいました。
 それではせっかくなので、手前味噌ながら印象に残った使い心地を書いてみましょう。()の中は私が石鹸を購入した場所です。

春、夏にお勧めの石鹸
 フリージア石鹸(八丈島)・・・香りがよく、パシッと目が覚めます。乾燥肌にはシットリしてよいでしょう。柔らかくなり易いのでご注意を。
 炭石鹸(九州)・・・泡立始めるのがやや遅いので最初は不安ですが、エンジンがかかると大変気持ちよく汚れが落ちていきます。香りがないのが特徴。ちなみに、石鹸は黒色ですが、洗っても体は黒くなりませんのでご安心を。
 白檀石鹸(インド)・・・インド人と日本人の方に頂いた石鹸。頂いた場所は残念ながら日本です。白檀の芳醇な香りとモッチリした洗い心地で、気分はすぐにアーユルベーダです。石鹸に"Bangalore"(バンガロール)と彫ってあるのも素敵です。おいて在るだけでもアロマ満喫。もし入手できたら夏にお勧めです。
 ラベンダー石鹸(北海道)・・・メジャーな石鹸だけあって、サラリと爽やかな洗い心地です。残り香が翌朝まで楽しめるのが嬉しいです。
 ハッカ石鹸(北海道)・・・ミントではありません。夏のシャワーにピッタリ。スッと鋭いハッカ感がありますが、けっしてきつくはありません。

秋、冬にお勧めの石鹸
 紅花油石鹸(京都)・・・さっぱりと落ちる中に、バターのようなきめ細やかなシットリ感が残る不思議な石鹸。石鹸なのにクリームを使ったような潤いがあります。
 豆腐・苦汁(ニガリ)石鹸(和歌山)・・・スルリとした洗い心地に男性的な泡切れがたまらない。体の邪気がお湯と一緒にスッパリ剥がされたように爽快です。
 ヒノキ泥炭石鹸(全国)・・・温泉でよく売っていて、注意して見ると種類が豊富です。ヒノキの香りが安らぎを与えてくれるのはもちろん、シャンプー前の汚れ落としにも最適です。適度な油分があるので、これを使うと私はリンスが要らなくなりました。
 お茶石鹸(静岡)・・・ペットボトル飲料を作った残りのお茶殻を使ったものもあるとか。おとなしい石鹸です。泡立ちが優しく、しっかりと洗い落としてくれます。カテキンでお肌もさっぱり、すべすべです。。
 蜂蜜石鹸(フランス)・・・日本のものも、もちろんあります。真冬にお勧めのモッチリ石鹸。体まであまーくなりそうです。
 ざっとこれで10種類。米糠、ヘチマ、アロエといった定番も含めてまだまだたくさんありますが、切りがないので今回はこの辺で止めておきましょう。
 それにしても、こんなに買ってもまだまだ開拓していない石鹸が行く先々で現れるとは、もしかして日本は世界有数の石鹸王国なのかも。何しろ江戸のお風呂は世界的にもかなり進んでいた、って言うじゃナアイ?。
 ところで、前回ご紹介したワンチャンたちを育てていたMさんのお宅で、両手で持っても握れないくらい大きな、お饅頭のような石鹸を貸して頂きました。ハーブの香りを楽しんでいるうちに、一回ですべてが綺麗になりました。これならペロペロされても大丈夫。いったい何の石鹸だったのかしら。まだ未解明、ザンネーン!!
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初めての子犬 2 フワフワ・コロコロ  2月1日

 美しい家具の並ぶMさんの邸宅の暖かな部屋にいたのは、将来介助犬や盲導犬になる大事なワンちゃんたちでした。多和田さんが「取り上げじいさん」をなさったそうで、もう少しこの立派なお宅ですくすく育つのだとか。
 お部屋に入ると、組み合わせ式のフロアマットの上をチキチキと走ってきて、まず親犬たちが出迎えてくれました。足を踏まれたり力いっぱい振っているしっぽで叩かれたり、それはもう、大変な歓迎ぶり。こういうのなら、踏んだり蹴ったりも幸せというものです。
 いよいよ、お部屋の一角に金網で仕切られたパピーたちの聖域に招かれました。小さな何かがたくさん動き回っています。ふんずけないようにそっと正座したら、ウサギくらいの大きさのミニチュアワンちゃんたちが次々と膝の上にのっかってきました。
 総勢8匹。全員、白無地のピカピカなゴールデン・レトリーバー。毛は短くてフワフワです。でもアメリカで飼っていたチワワよりも柔らかな毛並みで、ツヤツヤと輝いているのが、文字どおり手にとるように分かります。まるで毛並みからオーラが立ち昇るように、彼らは本当にピカピカでした。
「これからこの毛がまだまだ伸びるんですよ」
 回転寿司ではないけれど、じっと待っていると8匹の犬がクルクルとサークルの中を回って、次々にやってきてくれます。それぞれに体つきも毛触り? も違って、慣れてくるとすぐに識別できるようになってきました。赤ちゃん犬たちがクンクン、フンフンと鳴くのは、「ワン」と言えないからだと聞いて、納得しました。ウグイスだって、最初はホーホケキョとは鳴けずに、ケチョ、ホケチョなんていうつたない歌から始まるのです。犬の「ワン」一声も、なかなか大変なのですね。
 両手でもてるくらいの小さなフワフワの体の後ろに、人差し指くらいの細いしっぽが立派に生えています。そっと触ってみると、なんとその小さなしっぽがヒコヒコ揺れているではありませんか。さっき親犬たちがやってくれたしっぽ振りを、こんなに小さいうちからみんなしっかり実践しているのにはびっくり。人間のほうはしっぽを巻かずに舌を巻きました。
 ところが、ここでもまた、私としては「困難」にぶつかりました。抱っこができないのです。
 ご存じのように、犬を抱っこするには、お尻を片手で抱えてお座りの恰好で抱き上げ、足を胸元でまとめるようにしてもう一方の手でしっかり支えます。これでワンちゃんとにらめっこしながら、お互い安心して仲良しができるはずでした。
 ところが、私がおっかなびっくり手を出すせいか、抱っこしようと手の上でお座りさせたとたん、小さなフワフワがスルリと向きを変え、コロリと床に転げ落ちてしまうのです。何度やっても、ワンちゃんをしっかり抱き上げることができません。あろうことか、膝元で抱えようとした時点で、スルリと横に寝返りをうち、クルリと仰向けにひっくり返ってまで逃げていく子もいます。そればかりか、ひっくり返って逃げる途中でまたもや転げ、さんざんもがいてようやっと起きあがり、回転寿司の流れに戻るべく第二逃避行を演じる子もいる始末です。何もそんなにまでして逃げなくても・・・。
「どうしてなのー?」
 ワンちゃんたちは答えてくれませんでした。やっぱり、私には犬と付き合うのは難しいのかしら・・・。
 しばらくすると、おっぱいの時間になりました。お母さん犬がサークルの一角に呼び込まれ、ダウン(伏せ)をさせられました。ちょっと気乗りしない様子でしたが、子供たちが次々とくっついてくるので、仕方なく授乳体制をとりました。
 ゴロリと横になったママ犬は、まるで大きなソファのように優しくてヌクヌクです。そこに小さなフワフワたちが全身でしがみつき、おもちゃのような足でおっぱいを押してミルクが出るのを待ちます。その真剣なこと。クンともキャンとも言わず、みんなひたすらママの胸を押し続けています。押されているママは、どんな思いなのでしょう。
 1分くらい押していたでしょうか。ついにミルクが出てきました。おっぱいというのは、吸い付けば出てくるものかと思っていたのに、小さな足であんなに刺激しなければ出てこないとは驚きました。人間のミルクのような甘い匂いが立ちこめてきます。
 気が付くと、ママのソファにくっついた犬たちが、フック、フックと激しく息をつきはじめました。ミルクを飲んでいるのです。8匹の犬が、ママの広い胸一面で、フック、フックと勢いよく飲んでいます。頭を触ろうが足をなでようが、そんなことにはかまっていられません。みんな先ほどにも増して真剣に、ひたすら自分の命を育てているのでした。本当に、みんな一口飲むごとに微妙に膨らんでいくのでした。
 ミルクの後、私たちはミンチにした生肉の球を手にもって、子犬たちに食べさせました。すごい力で球を吸うように食べていきます。肉がなくなったとき、手に歯が当たるかしら、と一瞬緊張したのですが、なんとみんな、暖かな舌でそっとこそぎとって食べているのでした。
 そういえば、いつだったか、牛に草を食べさせたときも、私の手を食べないように実に上手に舌で草を受け取っていました。小鳥が小さな木ノ実をついばむ姿も愛らしいですが、哺乳動物たちがこうして餌を食べる姿も、また嬉しい風景です。
 ペットを飼っている方には普通の光景でしょう。また子犬を知っている方には、何にも珍しいことはないかもしれません。
 でも、私はこの日、初めて身近に子犬が育つ現場を見たのでした。結局最後まで抱っこ一つ満足にできなかったけれど、子犬たちがこうして育ち、どんどん訓練を受けて立派な使役犬になる日を想像せずにはいられません。そしてもちろん、キャリアチェンジしてセラピー犬やデモ犬になったとしても、みんなの命はいまと変わらず輝き続けるのだな、と思ったものです。
 盲導犬を使うことに踏み切れるかどうか、私にはいまもよく分かりません。でもそのこととは別に、ペットと違う未来を授かり、「育つ責任」をすでに自覚しているような賢いワンちゃんたちの姿に、何ともいえない不思議な希望が湧いた1日でした。
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初めての子犬 1 わん子の気持ちが分からんワン  1月12日

 新年明けましておめでとうございます。昨年も、多方面から心にしみる励ましや嬉しい応援、そして素晴らしいお仕事を頂き、本当にありがとうございました。
 今年も相変わりませず、隅から隅までずずずいーっと、お引き立てのほど、宜しくおねがいもーしあげたーてーまーつーりーまーすうーー。

 ということで、鶏年だから鳥の話、と思ったのですが、それはちょっとおいといて、今回はワンちゃんのお話にしました。
 昨年も押し詰まった十二月三十日、私は素敵な経験をする機会に恵まれました。盲導犬クイールを育てたことで知られる訓練士、多和田悟さんのお誘いで、生まれて間もない赤ちゃんワンちゃんたちに会いに行くことができたのです。犬とのつき合いが皆無ではないけれど、鳥ほど身近ではなかった私にとって、「初めての子犬」はとても強く印象に残りました。
 小さいとき、近所に雑種の中型犬が飼われていました。やんちゃ坊主たちに誘われて、私もよくこのワンちゃんにちょっかいを出していました。彼は黙って私たちの相手をしていましたが、あまり度がすぎると、「こらー」とばかりにチャカチャカと足音も高く追いかけてきます。みんなはその犬から逃げる遊びをしていました。
 ところが不思議なことに、いま考えるとそんな遊びをしていればきっと誰かがかみつかれたり飛びついて倒されたりしてもおかしくないのに、そんなことは一度も起きませんでした。しかも、一緒に逃げている中では一番足が遅く、一番捕まえやすかったはずの私にも、彼は一度も悪さをしませんでした。ほかの子には吠えても、私を脅かすことはなかったのです。たまにいい子いい子したこともありましたが、そのときにも飛びつくでもなく威嚇するでもなく、実に淡々としています。飼い主のおばさんが厳しい仕付をしている風でもないのに、最近ときどき見かける甘やかされワンちゃんとは随分趣が違っていました。きっと優しいワンちゃんだったのでしょう。
 でも、犬はかみつくものだよ、と色々な人に注意されていたので、私はそんな優しいワンちゃんにもあまり親しくは近付けませんでした。やっぱり怖かったのでしょう。子供の相手になってくれたうえに、一番弱い私の立場までちゃんと分かっていた素敵な隣人、じゃなかった、隣犬だったのに。
 アメリカに住んでいたときには、ホストファミリーがチワワを飼っていましたが、これも直接世話をしなかったので、あまり深い仲にはなれませんでした。学校から帰ってくると、スカートにしがみついてきて、触ると短い毛がフワフワしているなあ、くらいな感じでした。いま思うと、なんとももったいないことをしたものです。何しろこの犬も、吠えない、噛まない、飛びつかないの三拍子がしっかり揃った可愛いやつだったのですから。
 あるとき試しに日本語で「お座り、お手、伏せ」とコマンドをかけてみたら、小さな耳をピッと立てて聞いている様子をしてから、プイと横を向いてツツッと駆けていってしまいました。みんな爆笑。やっぱりアメリカの犬は英語でないと駄目なんですね。
 ってことは、アラビアの犬はアラビア語で暮らしているわけですね。みんなと一緒にメッカに向かって、アッラー・アクバルだワン、なんてお祈りしていたりして。
 私は犬との遊び方がよく分からなくて、ときどき膝元にやってきた犬の頭をなでなでするついでに、耳をちょいと半分に折りかけてみたりしていました。もちろん、そーっとです。すると、少しは我慢して付き合ってくれるのですが、半分になるかなというところで、イヤイヤイヤ、と激しく頭を振って私の手を振り切ります。小さな耳がパタパタと頭に当たって丸い小風をたてるのが可愛くて、私はたまにそんなことをしてしまいました。
 しっぽをそっと握ると、彼女は体を丸めて私の手にそっとそっと歯を当てて、グルルッと怒った声を出しました。でもけっして噛んだりはしません。「いけません」と私を叱っているだけで、ちっとも怖くないのです。私が手を放すと、何事もなかったかのようにまた仰向けになってなでなでをねだります。思い出すと、この子もとってもいいやつでした。
 でも告白すると、私は未だに、どうも犬とうまく話せないところがあります。一度は盲導犬を飼う決断をする一歩手前まで行ったことがありましたが、なんとその矢先に、千葉県の牧場に遊びにいったら、春先でスーパーハイになったマルチーズに足首を甘噛みされて軽く傷を負ってしまいました。それで盲導犬への希望が、すっかりしぼんでしまったのでした。
 唾液がべったり着き、ちょっぴり血も出て、足には犬歯の跡がクッキリ残る傷ができました。傷はさほど深くもなくて、後で人に噛みつく? なんて症状にもならなかったところをみると、大したことではありませんでした。でも甘噛みの経験がなかった私には、そのときの痛みと衝撃で、ようやく決心しかけていた盲導犬への希望を、あえなく失ったのでした。何よりも悲しかったのは、その犬の飼い主さんが、「事故」を見て飛んできて、私にではなく犬に、「あら、ちょっと噛んじゃったのね、よしよし」と話しかけてその子を抱っこして立ち去ろうとしたことでした。側で私がズボンをまくり上げて傷を見てもらっていることに気付いても、一言も言葉をかけてはくれませんでした。おばさんが謝りにきてくれたのは、それから15分ほどして、救護室から私が出てきた後でした。
 ま、おばさんも驚いたでしょうが、噛まれた私はもっと驚きましたよ。飼い主のみなさん、甘噛みはやっぱりいかんとです、ってなぜか急に博多弁になっとっとですが、とにかく注意してほしかとです。
 さて、そんなある日、私はひょんなことから多和田さんとお会いする機会を頂き、その勢いで赤ちゃんワンちゃんたちにもお会いする機会まで頂いてしまったわけなのでした。

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