
2006年1月〜 目次
エキセントリック初詣 1月7日
びっくりしたなモー、のお話 2月6日
感動の日本語 3月9日
四角い布は強い見方!? 1 手ぬぐい編 4月15日
四角い布は強い見方!? 2 風呂敷編 6月3日
北海道講演の旅報告 1 珍道中あれこれ 6月25日
北海道講演の旅報告 2 ウトナイ湖のノゴマ 7月7日
『福耳落語』こぼれ話 7月31日
悲しい種蒔き物語 9月2日
さんざんだった「目黒の秋刀魚」祭 9月25日
携帯機種変物語 10月23日
チベットの風がやってきた 12月5日
幼稚園でのクリスマスコンサート 12月31日
2009年1月〜
2008年1月〜12月
2007年1月〜12月
2006年1月〜12月
2005年1月〜12月
2004年1月〜12月
2003年7月〜12月
2003年1月〜6月
2002年
幼稚園でのクリスマスコンサート 12月31日
トップページでもお知らせしましたように、23日には浦和母の会幼稚園で、二回のコンサートをしました。
午前中は子供の部、午後は大人の部で、午後にはチェロ奏者の大滝ななさんと、ハープ奏者の成田しのぶさんが、友情出演してくださいました。
コンサートでは、私のお話とクリスマスソング、そしてクラシックの音楽を少し演奏しました。中身の詳細は省きますが、おかげ様で楽しく爽やかな雰囲気で会を進めることができました。
この日の一番の発見は、子供たちと向き合うときの姿勢でした。私は幼稚園のお子さんたちと接する機会がほとんどないので、最初はどんなふうに話せば良いのだろうとずいぶん思案しました。
テレビなどを見ると、みんなとても物知りで、かつお口のほうも大変達者なようだし、私などが突然「コンニチハー」なんて言っても相手にしてもらえないのではないかしら。そして案の定、子供の部が始まって2分間くらいは、鳥の話しなど少ししても、「シッテルー」「ホーホケキョーだよ」とか叫ぶ子がいたりして、予想通りの展開になりそうに思われました。
特に、ステージに上がる前に司会の先生が私を紹介しておられたとき、事前に私の名前を聞いていた子が「ああ、目の見えない人でしょう?」と得意そうに言った声に、なぜだかちょっぴり悲しくなりました。あんなに小さい子たちの間にも、すでに私は、どんな仕事をする人としてではなく、「目の見えない人」として映っているのだ。どんなに「みな同じ人間」などと書いてみたところで、社会の認識はやはり「健常者対障害者」というバリアによって縁取られているのだ。そんなふうに考えてしまい、一瞬思いに耽りそうになりました。
そのとき、出番になりました。私は物思いを舞台裏にさっさとおいて、子供たちに正対したのでした。
そんなこんなで、始めの何十秒かは複雑な思いの残存を感じていたのですが、ウグイスの鳴き方には三通りあり、それを「三音(みつね)」と呼ぶということなどをお話ししながら、口笛でその声を再現したとき、みんなの様子が突然変わりました。それまでざわめいていた会場が水を打ったようにシーンとなり、私の言葉とピアノに全員の視線と耳が集中してくる感じがググッと伝わってきたのです。まるで、視線と聴覚という粒子の風がまっすぐに吹いてくるかのようでした。
その後は信じられないほど素直に、みんなが私の言葉に応え、見せるものに感動し、上手に歌ってくれました。わずかな時間の豹変ぶりは、それこそ人が変わったようとしか言い様がないほどのものでした。
コンサートが終わったとき、私は一つのことに気が付きました。
「結局、私は子供向けには話していなかった。むしろ、大人向けに話すときよりも真剣に話していた」
そのことは、後で幼稚園の先生が話してくださったことではっきりと分かりました。
「年少さんの子供たちが、あんなに長い時間ずっと座って聴いてたんです。信じられません。麻由子さんの力ですね」
なるほど、それは良かった。でも正確にいうと、みんなが耳を傾けてくれたのは、私の力のためではなく、私が感動した鳥や音楽のもつ力が、私を通してみんなにうまく伝わったからなのです。そして、それを文字や講演、ときには音楽によって伝えるのが私の仕事なのです。その意味で、このコンサートは一応成功したようでした。
でも、成功したことよりも、私は一つの確信が得られたことに、心から喜んでいます。それは、「感性に大人も子供もない」という確信でした。
講演するにあたって、時折「今回の聴衆の方のレベルはこのくらいで」といったことを口にされる主催者がおられます。でも私は、普遍的なメッセージに限っては、言語レベルや表現方法を適切なものにさえすれば、どんな年齢の人にも、どんな境遇の人にも伝わるのではないかと思っています。もちろん、賛否はあるでしょうし、私の掴んでいるものがどこまで普遍的かについては、まだまだ探索の余地があるでしょう。しかし少なくとも、命についてのメッセージだけは、表面的な差はないと思うのです。
そして今回のコンサートでも、私は幼稚園の子供だからお話のレベルを下げなければならないとは思いたくありませんでした。ですから、最初に子供たちと向き合って、その確信が一瞬揺らぎそうになったとき、かなりヒヤッとしたものでした。
でも結局、最後にみんなの歌に合わせて「ヒイラギ飾ろう」の歌をななさんと一緒に弾きながら、私は考えていました。
子供ですから、大人に比べて時間の経過が速いため、お話や音楽のタイムスパンを短くすることは必要でしょう。しかし、そのなかにエッセンスをギュッと凝縮して伝えれば、大人と何ら変わらないメッセージを伝えることができるのです。そして多くの方が感じておられることと思いますが、子供の感性は真っ白で鋭いのです。その分だけ、大人より多くを、深く吸収できるということなのです。
年長さんぐらいになれば、クリスマスに聞いたお話はおぼえているでしょう。私の記憶では、クリスマス会で先生が「きょうはキリスト様のお誕生日です。みなさんが自分の誕生日を祝うように、キリスト様のお誕生日を祝ってあげましょう」と言っていたのをおぼえています。プレゼントはもらうけれど、本当は私じゃなく、キリスト様という誰かのための日なんだ、と不思議な感じがしたものです。それは、クリスチャンではなかったであろう先生が、単にクリスマスについてお話されただけのことでした。でも私には、自分以外の「知らないキリスト様」のためにこんなに多くの人がお祝いしているという、クリスマスの底力のようなものを感じる一言だったのです。
私の話のどこが、誰に、どんなふうに伝わったかは分かりませんでした。けれど私自身に照らしても、幼稚園のクリスマスとはそれほど強烈な印象をもつものなのです。きっとみんなも、私が懸命に弾いたピアノや、精一杯話したお話のどれかを、おぼえていてくれることと信じています。
講演のとき、聞いてくださる皆様を信頼すること・・・。それは、良い会を作るための大前提なのかもしれません。それを子供たちに確信させてもらったことは、私にとって2006年の大きなクリスマスプレゼントとなったのでした。
皆様、今年も一年ありがとうございました。来年も、引き続き応援宜しくお願い申し上げます。
2007年が、皆様お一人お一人にとりまして、素晴らしい年となりますように。
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チベットの風がやってきた 12月5日
「サンタが町にやってきた」というクリスマスソングがありますが、この秋日本には、チベットの風がやってきました。ご存じの方もあることでしょう。チベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ十四世が来日されたのです。正式には、ダライ・ラマ法王様とお呼びするようです。
そして幸せなことに 私は国際平和と宗教間対話を呼びかけておられる法王様が両国の国技館で行った一般向け講演に、参加する機会にめぐまれたのでした。
国技館の入り口では、簡単な手荷物検査がありました。鞄を開けて列んでいると、係りの方が一人一人の荷物をそっと覗いて「けっこうです」と中に入れてくれます。でも入るところでちょっと止められて、別の方が金属探知器でさりげなくバッグをひとなで。私のバッグには携帯電話や金属製の点字筆記用具が入っていて、しかも点字を打つ点筆は「先の尖ったもの」ですから、危険シグナルが鳴ったらどうしようかとハラハラしました。でもどうやら無事に検査も通り、いよいよ国技館に入っていったのです。
中はグッズを買い求める人でごった返していました。チーンというあの独特の鐘の音が流れ、書籍やCD、DVD、チベタンTシャツや手作りの布鞄などが、広い屋内にたくさん並んでいます。けれども、買い求める人たちはとても穏やかで、たとえばロックコンサートのときにファンが見せるような興奮はあまり感じられませんでした。むしろ、巡礼地で整然と自分のための記念を行う人々の雰囲気なのでした。私は、唱名のCDを二枚買おうとしましたが、売っているチベットの男性が「これ、一枚で、初めての人はとてもいいですよ、これでいいですよ」とお勧めを渡してくださったので、結局お言葉に従ってその一枚だけを買うことになりました。無駄遣いしないように気遣ってくれた彼の心根に、私は会場に入って早々、チベットの方たちの精神の一端を垣間みたような気がしました。
開演前の15分、主催者であるチベットハウスの方が法王様に関する説明をしてくださったのですが、すっかり終わってもまだダライ・ラマ法王は到着しないというのです。
「ええ、実は、まだ法王様はホテルをお出になってないんだそうで」
会場にどよめきが広がりかけたとき、まるで測ったように法王が登場されました。こうして、記念すべきダライ・ラマ十四世の一般向け講演が開幕したのです。
濃いオレンジ色の法衣の上に黄色の長い服を纏った僧侶の姿で現れた法王を見た方のなかには、昔の映画「ビルマの竪琴」を思い起こした方もいたかもしれません。
法王はまず、ステージの照明が眩しいということで、サンバイザーのようなものをかぶりました。そして「これは照明が眩しいときに愛用していまして」と木訥な英語で話しはじめられました。それから、袂から懐紙のような厚紙を出して、しきりに鼻をかまれます。マイク越しに苦しそうな音が・・・。お気の毒に、都会の空気にやられて風邪を召されたのでしょうか。
私には分かりませんでしたが、おそらくはまずチベット語、次いで中国語、そして英語で、きょうの講演は英語でやりますという意味のことを言われました。それを通訳の女性が日本語で伝えます。法王が話されている間、ときおりノートをめくる音が聞こえ、通訳用にペンを走らせておられる様子が伝わってきます。通訳が始まると、法王は鼻をかまれます。ずいぶんお苦しいのでしょうか。
けれども、そのメッセージは真摯で熱く、力に満ちていました。私は特定の政治姿勢はもちろん、特定の宗教に荷担する立場はとっていません。かといって宗教に反発してもいません。常に中立な立場から発言したいと考えています。それを踏まえて書きますが、法王のメッセージは、宗教論とは別に、万人に受け入れられる可能性をもった、極めて普遍的なものに思えました。質疑応答を一時間近くも延長し、約三時間にわたった講演会の内容を記憶を頼りに要約するのは大変ですが、それはだいたい次のようなものでした。
いろいろな種類の宗教がありますが、いずれも世俗的な道徳についてはほぼ共通した教えをもっています。だから、まずはそれを接点にして対話したいと考えます。私たちの魂も、まずは世俗の倫理をきちんと護ることにより、時間をかけて救いへと歩んで行けるのです。それにはどうすれば良いか。まずは、人に迷惑をかけないこと、そしてできれば、人を助けることです。
講演はもちろん素晴らしいものでしたが、質問、特に日本人のいくつか質問は非常に考えさせられるものでした。
「背後霊、守護霊についてどう解釈しますか」「法王様の光エネルギーをください」「私の病はどうすれば直りますか」
対して、外国の方たちの質問はこうでした。「私がヘルプしている病気の人に幸せになってもらうには、どうやって接してあげたらいいですか」「世界の平和についてメッセージをください」
注目したのは、日本人の多くが、自分が困っていることを、自分のために解決する方法を尋ねていること。外国の方たちは、人のためにしてあげられることや普遍的なメッセージを求めていること、つまり質問の中心が自分ではなく、自分が奉仕すべき相手もしくは世界であることでした。
私だって、ときどき「ご先祖様が護ってくれたな」と思ったりもするし、背後霊を信じる方の気持ちを否定したりは致しません。精神レベルの高い方から力を分けてほしいという素朴な気持ちにも共感します。でもね、法王自身もおっしゃっているのです。
私には奇跡を起こす力はありません。ただ一人の人間として、何かヒントになることを申し上げたいと思ってここにきました。仏教では、背後霊のことは考えません。救いは己の中にあります・・・
私の解釈が当たっているかは分かりませんが、もしかしたら法王の言わんとされていたことは、こうではないでしょうか。奇跡は他人に起こしてもらうものではなく、私たち自身の心のありようと行動によって生み出されるものだ、だからまずは、自分で己の精神を平穏にし、倫理に徹しなさい・・・。
法王は、どんな質問にも明るく応じ、「光エネルギーを」と言われると、合掌した両手を開いて会場に波動を送るようなジェスチャーをして見せてから、「"Bless you"(あなた方を祝福します)」と言われました。とってもお茶目に微笑みながら。これって、キリスト教の言葉ですよね。でも、チベット仏教の指導者である法王は、そうした宗教間の境を自らいともた易く超えて、対話の可能性を示してくださったように思えたのでした。
しかし何よりも、「ナマステ」(こんにちは)とみんながチベットの言葉で挨拶し、法王がまるで草原で挨拶を交わすように、「ナマステ」とそれに朗らかに応えておられる姿がとても印象的でした。厳しい現実に直面し、さまざまな苦難を経験しておられるのに、いやそれだからこそ、法王はどこまでも素朴で、暖かい方でした。最後に、健康の秘訣を問われたときのお返事を要約します。
よく眠りなさい。心をリラックスさせなさい。それには、平穏な気持ちでいなければなりませんよ。
"sleep well, and relax!"
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携帯機種変物語 10月23日
この九月、私は5台目の携帯電話を買いました。いよいよテレビ電話デビューと相成ったわけですが、実はまだテレビ電話では通話したことがないんです。
ま、それはともかく、今回お話ししたいのは、いまのような使い方ができる携帯にたどり着くまでに、私たち"sceneless"がどんなふうに携帯と付き合ってきたかという物語です。この物語の性格上、実際の社名を出させていただきましたが、それはその会社の商品が不完全なものだという意味ではありません。あくまでも、過渡期に使ってきた機種として例に挙げ、私たちにとって何が必要だったかをお分かりいただく目的です。そのことを、まず付記しておきたいと思います。
最初に私が使ったのはDDIポケット(当時)のPHSでした。電話の頭にちっちゃなアンテナが付いていて、そっと引っ張ると一人前にピユーンと伸びてきます。通話のときはそれを延ばして使うのですが、そのころは建物の中に入るとほとんどつながらない時代でした。それでも、電話並の音質で話せるうえに、何よりも"sceneless"にとって難関の一つである「公衆電話探し」という作業から解放されたことは、夢のように嬉しかったものでした。そのころは、いまほど公衆電話が少なくなってはいませんでしたが、いざ探すとなれば我らには難事業だったからです。
その次は、ツーカーセルラーの携帯。これは割安のうえに、当時のPHSよりはるかにいろんな場所で通話できたので、重宝しました。その次に手に入れたのがAUのCDMA1型携帯電話。これは携帯としては破格の高音質で、しかもエリアは私の行動範囲には充分カバーされていました。この機種になったとき、初めて「メール」なる機能が搭載されていたようですが、もちろん我らが使えるような音声読み上げはまったくありませんから、ほとんど関係ないわー、という感じでした。
もっといえば、音声読み上げがまったくないわけですから電話帳機能さえ使うことはできませんでした。要するに、「かける」「受ける」「リダイヤル」の三つしか、自由には使えなかったのです。いま思うと「使えない機能の分割り引いてチョウライ」と泣き言の一つも出そうなくらいに使えなかった、でも携帯がもてるというだけで大満足なのでした。
この機種を使っている間に、NTT−DoCoMoから「ラクラクホン」と呼ばれるユニバーサルデザインの機種が初めて発売されました。それは、メニュー機能の一部と、受信メールの全文を音声で読み上げるもので、これでようやく、我ら"sceneless"にも「かける」「受ける」「リダイヤル」以外の機能を使う機会が到来したのです。
でも、私はこの第一世代の機種は買いませんでした。そのころはまだ、メールの必要性をあまり感じていなかったからなのですが、そのほかに、せっかく読み上げるのなら全メニューを読んでくれる機種がほしかったのです。ユニバーサルといっても、我らが機能の一部しか使えないとしたら、それはハーフユニバーサルということになる、それならせめて、お蕎麦じゃないけど八割ユニバーサルになるまでは様子をみてみよう、と思ったのです。
そして翌年、ついに私も「ラクラクホン」の第二世代機種を手に入れました。今度はメニューのほかに、作成中のメール文書も読み上げてくれるというので、これなら私にもメールが打てるかしらと思ったのです。
「たしかに、まだ不便だけど、使いこなしていけば便利なところもあるよ」
点字図書館の用具部で"sceneless"用の道具を販売している友人が勧めてくれました。
でも、この機種を使ってまたがっかりしてしまいました。iモードがまったく音声化されていなかったのです。購入したときにはその意味をあまり理解していませんでした。でもさらに翌年にムーバの「ラクラクホンIII」を買ったとき、iモードが使えないことでどれほど不便だったかを知ったのです。こんなに便利なものが普通に使えているなんて。これよりもはるかに多機能の携帯を簡単に買えるみなさんは、いったいどれほど便利な携帯を使っているのだろう。こうなると、もはやユニバーサルの華々しい歌い文句が、だんだん信じられなくなってきます。何だか、機能を小出しにして宥められているような、ものすごい子供扱いされているような気分になったのです。
「ラクラクホンIII」は、2年間使いました。これは、iモードもすべて読み上げてくれるし、メニュー機能もすべてしゃべってくれるうえ、もちろんメールの文書も読み上げます。これでようやく、私たちは携帯電話のメニューをフルに使えるという、健常者のみなさんにとっては当たり前の機会にたどりついたのでした。最初の携帯電話誕生から、余裕で10年は経っていたことでしょう。それにしても、ユニバーサル機種が「一昔」の年月を経ないと出て来ない、しかも未完成の機種がたった一機種しかないというのは、やはり何ともさみしいお話ではありませんか。
ところで、「ラクラクホンIII」で一番苦労したのは、メールの作成でした。作成画面の全文を読んでくれはするものの、文字変換もカーソルの位置もしゃべらず、読み上げるのは全文を通してのみ。なので、確認するために、毎回最初から最後までぜーんぶ聞き直さないといけません。さながら伝言ゲームのように、聴く分量がどんどん増えて、書き終わったころにはそらでおぼえているほど何回も聞き直さなければならないこともありました。これは、正直かなり疲れました。
もう一つの苦労は、文字変換です。熟語を出して必要な文字を残すという工夫はみなさんもしておられると思いますが、私たちの場合、それがごく普通の単語でも求められるわけです。たとえば「もうお家に着きましたか」と書きたいのに「もう追う地に月真下か」などと変換していても、音声は普通に読み上げてしまうので間違いを発見することができないのです。これではまるで、暗い夜道で誰かに襲われたみたいです。だから正確に変換しようとすると、「お家」と書くのに「お」「家族」と書いてから「族」を消します。「着きましたか」は「着陸」と書いて「陸」を消してから「きましたか」と入れます。こんなふうですから、とにかく進まない。よく、携帯のメール入力は面倒という方がいますが、私たちが一つ一つの単語を書いたり消したりする苦労に比べたら、変換もカーソル位置も見えたうえでのことですから、ずいぶん贅沢に聞こえたものでした。
でも、打ち込みそのものは点字を打つのにかなり近いので、さほど面倒には思いませんでした。ひらがなで入れると読みにくいという方が多かったので、私はこんな状況で書いていることを予めお断りしたうえで、あえて誤変換覚悟で漢字を使っていました。
さてさて、そんなこんなでこの九月に手に入れたフォーマの「ラクラクホンIII」は、ようやくこの苦労から私たちを解き放ってくれたのです。音声化にはまだ未完成なところが残っていますが、ともかくやっとのことで、文字変換やカーソル位置、絵文字を読み上げてくれるようになったからです。ああ、この道のりの遠かったこと、アマゾンのジャングルのごとし。私が最初に携帯の音声化について触れたのは、何と三冊目の本「目を閉じて心開いて」でした。
高齢者向けと言いながらも、マイノリティであり、しかもおそらくは採算も合わないであろう私たち"sceneless"を見捨てずに、開発を続けてくださるNTT−DoCoMoさんには、心から感謝です。
けれど、もちろんまだ課題はあります。これ以上何を望むかと言われそうですが、お客はいつの時代もわがままなものです。私がお願いしたいのは、このような機能の機種をNTT以外の会社にも作っていただき、競争を展開していただきたいのです。そうでなければ、「あてがい縁」のユニバーサル機種が専売のように幅を利かせることになるからです。カメラの画素数、お財布携帯やモバイルスイカのような付加機能、あるいは選択方法などの操作性には、常に競争の余地があるでしょう。それぞれに切磋琢磨し、ユーザーが自由に選択できる状態になり、なおかつ納得して選ばれる商品が育ってこそ、本当のユニバーサルデザインが実現したといえるのではないでしょうか。
最後に雑談をひとつ。この機種に変更して最初のメールを出したのは還暦間近のおじさまでした。そうしたら「FORMER(正解はFOMA)のお初メールありがとう」という、何だか野球みたいなお返事が返ってきたかと思うと、「追伸、いまのフォーマー(正解はフォーマ)のスペルが違ってましたごめん」という、訂正も間違った追い打ちメール。やっぱり野球から離れられなかったのね。(^o^)
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さんざんだった「目黒の秋刀魚」祭 9月25日
江戸時代のお殿様、秋の野駆けで目黒においでになりました。馬の競争をしても将棋を指しても、お殿様はいつも一番速くて一番強い。何しろ家来がみんなで負けてあげては「殿のご上達、恐れ要りましてござりまする」などと持ち上げるのですから、向かうところ敵なしというわけ。
さて、朝から遊んでおなかが減ったころ、近くの農家のおじさんが焼いている秋刀魚の香ばしい匂いがプーンとお殿様の鼻をくすぐります。家来が無理を言って譲ってもらった秋刀魚を食べたお殿様、後日の機会を逃さず御膳に秋刀魚を所望します。
秋刀魚などという下々の魚をどうしてお殿様がご存じなのかしら、と家来たちは首を傾げながらも、銚子の海から取り寄せたピチピチの秋刀魚を用意します。が、殿のお喉に骨が刺さっては大変、油が強すぎておなかを壊しては大変と、秋刀魚を擦り卸して骨をすっかり抜き、お椀に仕立てて奉ったところ、殿様がっかりして「銚子ではいかん。秋刀魚は目黒にかぎる」
これが落語で有名な「目黒の秋刀魚」のお話です。落語ファンの方もおられると思いますので書いておくと、私は古い方では先代の三遊亭金馬師匠、現代では春風亭正朝師匠の演じる「目黒」が大好きです。金馬師匠演じる豪快ながら可愛い殿様と、正朝師匠演じる困った家来たちが聞き所でしょう。
その目黒の秋刀魚を味わうお祭りが、毎年九月に開かれています。今年は皆様にその様子をご報告しようと、残暑厳しい日曜の朝、目黒目指してGO!という寸法にしたのでした。
ところがです。ご報告どころか、これが思いも寄らない散々な1日となってしまいました。でも悔しいから、それもご報告してしまいましょう。
目黒を訪れた方ならご存じと思いますが、ここは野駆けの名所だっただけあって、山坂が多いところです。急な坂もありますが、権之助坂のように、ちょっと歩いただけでは気付かないようなだらだらした坂が延々続く場所も少なくありません。こういう坂は、最初は余裕でこなせるのですが、まるでボディーブローのようにジワジワと効いてきます。ようやっと登り終えたときには、足はガクガク、息はハアハアの体たらく。お腹で笑うならいいけれど、膝が笑うのはなかなか骨がおれるものです。
そんな坂を上ったりちょっと降りたりして、私たちはまず、寄席の会場となっている「みやこ荘」に、開演40分前に到着したのでした。寄席囃子などがスピーカーで流れていていい感じ、と思った瞬間、驚きました。そこにはすでに長蛇の列ができていて、メガホンをもった前座さんたちが「すみませーん、二時から第二部もありますので、来られる方はそちらを狙ってくださーい」と叫んでいるではありませんか。
「まあ、入れなかったらラジオで聴けばいいもんね」
寄席のもようがFMラジオで中継されるということで、私たちはラジオも持参していましたから、そんなのんびりした気分で日傘を差して開演を待っていました。開演となって列が会場の中に進むにつれ、私たちも入れるような気がして少し嬉しくなりました。
でも、世の中そうは甘くない。私たちの一組前で入場が締め切られてしまったのでした。仕方なく、施設内の茶店でコーヒーとたこ焼きというとんでもない組み合わせのおやつをつまみながらラジオのスイッチを捻ってまたびっくり。持参したラジオではキャッチできない周波数だったのでした。やれやれ。
それなら秋刀魚でも食べようと外に出て、またまたびっくり。無料で振る舞うためにしつらえられた長さ25メートルのコンクリートブロックの上では、宮城県の気仙沼から水揚げされた新鮮な秋刀魚たちがもうもうと煙を立てて焼かれているのですが、それをもらう人の列たるや・・・。何と目黒駅付近のこの地点から、高速道路を越えた向こうまで続いているというのです。その距離およそ数100メートル。いい匂いと煙が立ちこめ、その辺のビルの窓が秋刀魚の黒煙で曇ってぼやけています。
「ま、秋刀魚は買って食べることにして、もう少しその辺を見てみようか」
歩き出したら、またすごい行列。何の列ですかと尋ねてみたら
「スダチのつかみ取り、二回で百円」
そのために、これまた百メートルもの列ができていたのでした。このスダチは、秋刀魚の付け合わせとして徳島県が出品しているものだそうな。でもねえ、何もつかみ取りでそんなに列ばなくても・・・。他の国では、その日に食べる米のために、泣きながら列んでいる人たちもいるんですぞ。
なかなか埒が開かないので、目黒不動尊まで足を延ばし、商売繁盛を祈らせてもらうことにしました。この日は近くの鳳神社でも秋祭りが催されていて、不動尊の参道では子供御輿に先導された大人の御神輿が、静かに揉んでいました。「そーれ」「ほー」と、かつぐ人はいろんなかけ声をかけており、わっしょい、わっしょいとかほいさ、ほいさといった「揃い」の声とはだいぶ趣が違います。お揃いの法被をきた幼稚園くらいの子供二人を囲んで、家族が笛に太鼓の演奏をしていたりして、秋刀魚も良いけどこちらの静かな秋祭も大変風情があって良いものでした。
しかし、目黒不動尊は遠かった!! 行きは良い良いで、だらだら坂を下り、細い道をいくつか曲がれば着いたのですが、帰りにこのだらだら坂がこたえたの何のって。雅叙園でお昼をいただくために腰掛けたときには、暑さと喉の乾きで腰はへなへな、意識は朦朧、おまけにさほど遅い時間でもないのにおなかはぺこぺこの有り様でした。こうなると、本気でご飯をいただけるコンディションになるまでに、しばらく時間がかかります。駆け付け三杯で氷水を補給し、それが体に行き渡るまではメニューを検討する余裕もありません。店員さんは、いったいどこからの旅人なのかと思ったかもしれません。
こうして、ようやく一心地付いて、クーラーの効いた駅へのシャトルバスに乗ったときには、砂漠から生還した探検家はさぞかしこんな気持ちなのではないかしらんと想いをめぐらすまでに回復していたのでありました。
そんなさんざんな1日でしたが、雅叙園のお手洗いに入れたことだけは、ご報告したい出来事でした。何が感動したって、ご存じの方にはお恥ずかしいかぎりですが、ここは総工費一億円をかけた、総大理石に、漆を使った象眼細工のドア付きという、超デラックスお手洗いなのです。
そうそう、お手洗いのことを上つ方では「湯放所(ゆまりどころ)」と言うのだそうな。上品なような、生々しいような。
で、この雅叙園の「湯放所」は、廊下から入ると小流れにかけられた太鼓橋を渡って「その場所」へ向かう作りになっています。男女の待合い場は壁で仕切られているのですが、流れの蛇行点を利用して作った壁の切れ目に御簾がかけられています。男女はその御簾を隔ててチラチラと見合えるようになっていて、何だか昔の「中(吉原)」を思わせる不思議な雰囲気。もっとも、「中」に行ったことがないのですから、本当のところは古今亭志ん生師匠にでもうかがってみたいところ。
洗面所も漆細工で、シンクの前に一つずつ背付きの椅子がおかれ、ゆっくり落ちついて身だしなみを整えることができるようになっています。
「お茶やご飯もいいですけど、とにかくお手洗いだけはぜひ入っていかれてくださいね」
さすがは店員さんが自慢なさるだけのことはありました。
それまでの道中が道中だっただけに、この途方もないお手洗いで命を取り戻したような気分に。いやはや、情けなや。
現代の庶民の目黒散歩は、秋刀魚の殿様のようなわけにはやっぱりいかないのでありました。ジュッ。
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悲しい種蒔き物語 9月2日
皆様、お待たせ致しました。麻由子日記、ようやくアップです。
皆様の八月はいかがでしたか? 私は前回ご紹介した「福耳落語」の営業月刊で大わらわでした。
その間に、炎暑のなか円朝祭の取材に行って、翌日から暑気当たりに見回れて一週間お粥で生き延びたり、そのおかげで楽しみにしていた鈴本祭のさん喬・権太郎表裏の会に行けずにがっかりしたり、左の目にモノモライの子供(そんなもん要らん、テヘラン!?)ができたり、左の耳がちょいと痛くなったりしておりました。
さて、ようやくそれらのプチ不幸から解放され、いよいよ読書の秋、というわけで、去年の秋に私が夢中になっていた本のことをお話ししてみたいと思います。
私たち"sceneless"の読書風景はといいますと、点字を読むか、専用のCDやテープに音訳されたものを聴いています。音訳のときは、たいていは普通の速度ではなく、2−3倍以上の早送りで聴きます。テープを倍速にして吹き込んだものを普通の速度で聴いていると、朗読者の声がまるでインコみたいにかわいくなって、真面目な哲学の本でも何となく微笑ましい感じがしてしまいます。
最近では、朗読の音源をデイジーという特殊形式のデータに変換し、これまた専用の機械で聴くことも増えました。これだと、デジタル再生なので3倍近い速度にしても、録音状態が良ければほとんど声が変わらずに早聴きできるので、大変快適です。もちろん、落語はちゃんと普通の速度に落として聴いてますよ。「落語」というくらいだからちゃんと落とさなくちゃあね。
閑話休題。昨年秋、私は落語を聴きまくる一方で、十二世紀イギリスの世界にドップリと浸かっていました。エリス・ピーターズの「修道士カドフェル」のシリーズにずぼっとハマったのです。丁度去年の今頃からふとしたきっかけで一冊目の「聖女の遺骨求む」を手にしたのが始まりで、クリスマスごろまでかけて、全国で点訳・音訳されている作品十数冊すべてを一気に読破しました。一冊が朗読で十時間前後なので、合わせて百時間以上をカドフェル様にささげた見当になります。
何年か前にテレビでも放映されていたそうなのでご存じの方もおられると思いますが、この話は、英国の王座をめぐる激しい戦火のなか、川沿いの町にあるベネディクト派の修道院を中心に繰り広げられる暖かな物語です。基調にはいつも、若者たちの清らかな恋愛があり、その周りで聖と俗の世界が奇妙に入り交じって殺人事件や窃盗事件と絡んでいきます。
カドフェルは、十字軍の海兵として数々の武勇伝を残しながらも、人生最後の年月を修道士として過ごすことを選んだという変わり種。ガチガチの古典派仲間からはちょっと煙たがられていますが、俗世の酸も甘いも知り尽くしたうえで深い信仰に恵まれているカドフェルへの人望は厚いようです。そして彼は、院内にハーブ園を作り、見習い修道士の教育を兼ねて数多の草の手入れをしながら、東洋で培った薬草の知識を生かして様々な薬を調合し、病者やけが人を献身的に助けるのです。さらに、お見舞いという口実でちょいちょい俗世に出ることを許されている彼は、突出した洞察力と大胆な行動力によって、まるで大岡裁きのような小気味良い方法で事件を解決していきます。
ですから、たとえばウンベルト・エーコの「バラの名前」のような難解な作品と違い、カドフェルの物語は単純このうえなく、乗りから言えば日本の時代劇とまったく同じです。
もう一つ、この物語の魅力は、その美しい自然描写と、薬草園の雰囲気を表現した文章の素晴らしさです。公害のない時代の美しく晴れた空、小鳥の歌、あるいは服をジットリと濡らすような霧雨。そしてそよ風に揺れながら芳香を放つ薬草が触れあう音の描写は、何度出てきてもうっとりとしてしまいます。読むにつれ、時間の経過とともに乾燥中のハーブの香りが移り変わったり、眠りを誘う秘薬の瓶の蓋が開いたときの神秘的な香りがただよってくるような気がして、まるで時空を超えて自然観察に出かけたような気持ちになるのです。
昨年十月の末、私は八ヶ岳の清泉寮に遊びに行くことになったのですが、もちろん、夜はベッドの脇にCDをおいて、カドフェルの物語に聞き入っていました。そして次の日、買い物に出るとたくさんのハーブの種を買い込んだのでした。
セージ、タイム、ミント・・・それに小さな草花も混ぜて。狭い我が家ではさすがにハーブ園を作るのは無理なので、せめて庭のプランターに薬草を寄せ植えしてお茶でも楽しめたらいいなあ。春にたくさんの新芽が一斉に顔を出すところを想像しながら、私は近くの園芸店よりずっと値の張る種の入った袋に、一つ一つ点字で種の種類を書き込み、種たちと一緒に春を待ったのでした。
そしていよいよ、春がきました。山にきて、野にきて、里にきたころに、私も冬眠モードから目覚め、待ちに待った種蒔きをしたのです。そしてプランターの縁には、前日の夕食で食べたキヌサヤの芽の根っ子を植えたのでした。夏にはきっと、八ヶ岳の空気の欠片が味わえるようなミニ薬草プランターになってくれることでしょう。
五月。プランターの近くに植えてあるアーモンドが花を付け、庭の隅っこではユリが蕾を持ちました。ところが、我が夢の薬草プランターで芽を出しているのは、あのキヌサヤの芽の残りばかり。八ヶ岳からやってきた種たちからは、まったく音沙汰がありません。
六月。ユリが咲き終わり、紫陽花が満開になりました。プランターの縁で元気に育っていたキヌサヤが、とうとう筋いっぱいの実を付けました。それでも薬草の種はシーンと静かなまま。悔しいから筋いっぱい、豆ちょぼっとのキヌサヤを収穫して、八百屋さん出身の立派な豆に混ぜて湯で上げました。まあ、思ったよりは行けましたけれども。
かくして、すでに九月にならんとするいま、哀れなプランターは薬草園ならぬ雑草園となり、アカマンマやムラサキツユクサが、何の薬効ももたずにザワザワと生い茂っているのであります。
雑草なんて呼ぶナイ、とアカマンマにおこられそうですが、あー、私のハーブやーい。
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『福耳落語』こぼれ話 7月31日
皆様、お待たせ致しました!! ついにずっと書きたかった落語の本『福耳落語』をお届けする運びとなりました。たくさんの取材とインタビューを踏まえ、私の考えも盛り込んだ力を込めた一冊です。
そこで今回は、そのお知らせとともに本を作るまでに経験したこぼれ話を少しご紹介したいと思います。もちろん、本には書いていないことです。
取材で寄席やいろんな場所にうかがったり、太神楽の様子や楽屋の太鼓を触らせていただいたことはもちろん楽しかったのでずが、それを除いて一番楽しかったことの一つに、噺家さんたちとメールを交換できたことがありました。年輩の方を含めてメールやパソコンを自在に使いこなしている噺家さんがとても多いことにも二度びっくり。「インターネット落語会」という言葉が普通に使われていることからも分かるように、落語はいまや、寄席やホールを飛び出し、サイバーワールドをも闊歩しているのです。
最初にメル友になってくださったのは、取材第一号となった柳家さん喬師匠でした。携帯電話のアドレスを教えてくださったことから、私の質問の嵐が始まりました。驚いたのはメールが届く時間。質問にはいつも即日お返事をくださるのですが、その時間が午前三時半なんていう時間帯だったりするのです。噺家さんって、24時間体制なんですね。その多忙さにも驚きましたが、そんななかでも私の愚問に丁寧に答えてくださる師匠のお心遣いは、感謝の言葉も見つからないくらいありがたいものでした。
お心遣いといえば、実は本に書けなかった自慢があります。それは師匠の「個人情報?」をちょこっと取材させていただいたときのお返事です。
好きな噺家さんは「柳家小さん師匠」、お得意の料理は「焼き飯全般、それから力(りき)入れたラーメン、麺以外はすべて自分で作ります」、好きな本は「伊豆の踊り子、小さん全集」、それでは好きな作家は? 「藤沢修平、三宮麻由子」。師匠、本当に細やかで優しいお方でしょう? 文学に精通していてとても厳しい目をおもちの師匠ですから、その愛読書の中に私の本が一冊でも加えていただけているのだとしたら、慰めでも嬉しいかぎりです。
最初は文字どおり「用件のみ」のメールでした。でも、そのうち二人とも興に乗ってきて、私が絵文字を入れ始めたら、師匠も絵文字を混ぜてくださるようになりました。そのうちに、内容は質問・回答メールなのに、なぜだか引用返信とか顔文字とか、どんどん複雑になっていき、あるときなどはハートマークが4種類ぐらい列んだりして。
でも、「大入り叶う」の読み方をわざわざカナで「オオイリカノウ」と入れてくださったのを、私が「大入り可能」と勘違いして編集者と二人で何日も首を捻ってしまったなんてこともありました。何のことはない、うかがってしまえばいつもの「音声のなせる技」に引っかかっていただけだったのでした。やれやれ。
師匠とのご縁は何となく不思議なもので、お会いしたりメールをいただく日が、必ず「何かの日」でした。最初に取材でお会いした日は師匠のお誕生日、質問のお返事を頂いた日のなかに、私の誕生日とクリスマスが入っていたし、雛祭りやエープリルフールにもメールをいただいたのでした。祖母が他界したときにはお悔やみのメールをくださいましたが、他界の日はキリスト教の復活祭でした。(私は外国のニュースを翻訳しているのでキリスト教の暦もチェックしているのです)。
そしてだめ押し。この本の見本ができたのが7月14日、フランス革命記念日だったのでした。この日はNHKでインタビューを受けてから師匠の出ておられる池袋演芸場に向かい、できたてほやほやの見本をお渡ししたのでした。こうなれば、落語の本に革命を起こすっきゃない? 「アロン レ ザンファン ド パトリーユ」って、ラ・マルセイェーズを歌ってる場合じゃないですね。真面目にやります。
次にメールを交換してくださるようになったのは、古今亭菊之丞師匠。「落語の天敵」の項を書くために電話でお話をうかがいたいのですがとお願いしたら、「いまいろんな会でしっちゃかめっちゃかになっておりまして、来月お会いしたいと思うのですが」と、まあ落語そのまんまみたいなお返事が帰ってきました。真面目な音声読み上げソフトが「しっちゃかめっちゃか」なんて読んでくれるもので、思わずクスリ。
菊之丞師匠のメールは、いつも音声で聞くのが楽しみな落語調子です。打ち合わせしてお電話の時間を決めたのですが、その日にちょっとご用時ができたというので「すみませんが、実はよんどころない事情がございまして、お電話の時間を少し遅くしてはいただけませんでしょうか」、それからしばらくして「戻りましたらメール致しますので、いましばらくお待ちください」。そして今度は「ただいま戻って参りました」と、何とも折り目正しいお知らせが・・・。こんなふうに、あどけない少年のような真っ白なお気持ちが伝わってくるメールをたくさんくださいました。連絡だけのメールなのに、そんなわけでいまだに削除せず、大切にとってあります。
この本ではまた、私の乏しいITの知識がずいぶん役に立ちました。ネット検索に助けられたことはもちろんですが、一番助かったのはICレコーダーをフル活用できたことでした。
インタビューを録音し、それをパソコンに取り込み、CDにバックアップします。それを編集者とやりとりしたり、発言を確認するのに「開始から1時間10分くらいのところ」などと時間指定で簡単に知らせあったりと、たくさんの情報量を何とまあ便利に処理できたことでしょう。しかも、音はMP3のステレオ形式ですから、インタビューの音源としては充分な音質です。編集者が朗読してくださった資料の音声をメールでいただいて聴いたりすることもできて、やりとりの速いのなんの。落語とITが融合して本ができていく、これまた一つの感動なのでありました。
さて、見本ができてボチボチ知人や関係筋の皆様にお渡ししていて、改めて興味深いことに気付きました。それは、かなり多くの方が、「小さいころに病気したとき落語を聞いていた」と話されたことでした。私のように病弱だったり、あるいは喘息の発作がひどかったのでラジオを聴く機会が多かったという方もいますが、そうでなくても、風邪で学校を休んだとか足の骨を折って入院していたとか、そういうときにラジオで落語を聞いていたというのです。そしてみなさん、そのときに楽しかったから、いまも落語は好きですと言われるのです。
私もよく布団の中で落語を聴きましたが、ラジオより、母が買ってきてくれたテープが多かった気がします。いずれにせよ、当初は賛否両論あったらしいメディア経由の落語ですが、実は寄席やホールに行けない人たちの間に確実に浸透していた、いやむしろ必要とされていたのだと改めて気付かされたのでした。しかも、その多くが病気やけがで苦しんでいる人であったことにも。
その意味でも、落語はやはり、「幸福の芸術」であるとますます確信しました。そして噺家さんたちには、ユーモア世界の競争が激しい現代だからこそ、ぜひこの路線を守っていっていただきたいと切に思う次第なのでした。
最後に、桂文珍師匠の傑作コメントをご紹介します。
「とっても楽しく読めました。それにちゃんとしたことも、しっかり書いてはるし、とても良いですね。これからは、神戸の三宮駅を通ると、いつもあなたのこと思いだします、なあんてね」
さあ、皆様もご一緒に、幸福の芸術を堪能する「福耳」を育ててみませんか?
アネックス
敬愛するさん喬師匠が、直々に本書へのコメントをくださいました。この場を借りて御礼申し上げます。
本書について、この日記にも本にも書いていない私の落語が、NHKホームページに掲載されています。こちらもぜひごらんください。ご注文もこちらから。
http://www.nhk-book.co.jp/books/index.html
さん喬師匠のコメント
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