三宮麻由子の箸休め
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麻由子のリトルエッセイズ

2006年1月〜 目次
エキセントリック初詣  1月7日
びっくりしたなモー、のお話  2月6日
感動の日本語  3月9日
四角い布は強い見方!? 1 手ぬぐい編  4月15日
四角い布は強い見方!? 2 風呂敷編  6月3日
北海道講演の旅報告 1 珍道中あれこれ  6月25日
北海道講演の旅報告 2 ウトナイ湖のノゴマ  7月7日
『福耳落語』こぼれ話  7月31日
悲しい種蒔き物語  9月2日
さんざんだった「目黒の秋刀魚」祭  9月25日
携帯機種変物語  10月23日
チベットの風がやってきた  12月5日
幼稚園でのクリスマスコンサート  12月31日


2009年1月〜
2008年1月〜12月
2007年1月〜12月
2006年1月〜12月
2005年1月〜12月
2004年1月〜12月
2003年7月〜12月
2003年1月〜6月
2002年


幼稚園でのクリスマスコンサート  12月31日

 トップページでもお知らせしましたように、23日には浦和母の会幼稚園で、二回のコンサートをしました。
 午前中は子供の部、午後は大人の部で、午後にはチェロ奏者の大滝ななさんと、ハープ奏者の成田しのぶさんが、友情出演してくださいました。
 コンサートでは、私のお話とクリスマスソング、そしてクラシックの音楽を少し演奏しました。中身の詳細は省きますが、おかげ様で楽しく爽やかな雰囲気で会を進めることができました。
 この日の一番の発見は、子供たちと向き合うときの姿勢でした。私は幼稚園のお子さんたちと接する機会がほとんどないので、最初はどんなふうに話せば良いのだろうとずいぶん思案しました。
 テレビなどを見ると、みんなとても物知りで、かつお口のほうも大変達者なようだし、私などが突然「コンニチハー」なんて言っても相手にしてもらえないのではないかしら。そして案の定、子供の部が始まって2分間くらいは、鳥の話しなど少ししても、「シッテルー」「ホーホケキョーだよ」とか叫ぶ子がいたりして、予想通りの展開になりそうに思われました。
 特に、ステージに上がる前に司会の先生が私を紹介しておられたとき、事前に私の名前を聞いていた子が「ああ、目の見えない人でしょう?」と得意そうに言った声に、なぜだかちょっぴり悲しくなりました。あんなに小さい子たちの間にも、すでに私は、どんな仕事をする人としてではなく、「目の見えない人」として映っているのだ。どんなに「みな同じ人間」などと書いてみたところで、社会の認識はやはり「健常者対障害者」というバリアによって縁取られているのだ。そんなふうに考えてしまい、一瞬思いに耽りそうになりました。
 そのとき、出番になりました。私は物思いを舞台裏にさっさとおいて、子供たちに正対したのでした。
 そんなこんなで、始めの何十秒かは複雑な思いの残存を感じていたのですが、ウグイスの鳴き方には三通りあり、それを「三音(みつね)」と呼ぶということなどをお話ししながら、口笛でその声を再現したとき、みんなの様子が突然変わりました。それまでざわめいていた会場が水を打ったようにシーンとなり、私の言葉とピアノに全員の視線と耳が集中してくる感じがググッと伝わってきたのです。まるで、視線と聴覚という粒子の風がまっすぐに吹いてくるかのようでした。
 その後は信じられないほど素直に、みんなが私の言葉に応え、見せるものに感動し、上手に歌ってくれました。わずかな時間の豹変ぶりは、それこそ人が変わったようとしか言い様がないほどのものでした。
 コンサートが終わったとき、私は一つのことに気が付きました。
「結局、私は子供向けには話していなかった。むしろ、大人向けに話すときよりも真剣に話していた」
 そのことは、後で幼稚園の先生が話してくださったことではっきりと分かりました。
「年少さんの子供たちが、あんなに長い時間ずっと座って聴いてたんです。信じられません。麻由子さんの力ですね」
 なるほど、それは良かった。でも正確にいうと、みんなが耳を傾けてくれたのは、私の力のためではなく、私が感動した鳥や音楽のもつ力が、私を通してみんなにうまく伝わったからなのです。そして、それを文字や講演、ときには音楽によって伝えるのが私の仕事なのです。その意味で、このコンサートは一応成功したようでした。
 でも、成功したことよりも、私は一つの確信が得られたことに、心から喜んでいます。それは、「感性に大人も子供もない」という確信でした。
 講演するにあたって、時折「今回の聴衆の方のレベルはこのくらいで」といったことを口にされる主催者がおられます。でも私は、普遍的なメッセージに限っては、言語レベルや表現方法を適切なものにさえすれば、どんな年齢の人にも、どんな境遇の人にも伝わるのではないかと思っています。もちろん、賛否はあるでしょうし、私の掴んでいるものがどこまで普遍的かについては、まだまだ探索の余地があるでしょう。しかし少なくとも、命についてのメッセージだけは、表面的な差はないと思うのです。
 そして今回のコンサートでも、私は幼稚園の子供だからお話のレベルを下げなければならないとは思いたくありませんでした。ですから、最初に子供たちと向き合って、その確信が一瞬揺らぎそうになったとき、かなりヒヤッとしたものでした。
 でも結局、最後にみんなの歌に合わせて「ヒイラギ飾ろう」の歌をななさんと一緒に弾きながら、私は考えていました。
 子供ですから、大人に比べて時間の経過が速いため、お話や音楽のタイムスパンを短くすることは必要でしょう。しかし、そのなかにエッセンスをギュッと凝縮して伝えれば、大人と何ら変わらないメッセージを伝えることができるのです。そして多くの方が感じておられることと思いますが、子供の感性は真っ白で鋭いのです。その分だけ、大人より多くを、深く吸収できるということなのです。
 年長さんぐらいになれば、クリスマスに聞いたお話はおぼえているでしょう。私の記憶では、クリスマス会で先生が「きょうはキリスト様のお誕生日です。みなさんが自分の誕生日を祝うように、キリスト様のお誕生日を祝ってあげましょう」と言っていたのをおぼえています。プレゼントはもらうけれど、本当は私じゃなく、キリスト様という誰かのための日なんだ、と不思議な感じがしたものです。それは、クリスチャンではなかったであろう先生が、単にクリスマスについてお話されただけのことでした。でも私には、自分以外の「知らないキリスト様」のためにこんなに多くの人がお祝いしているという、クリスマスの底力のようなものを感じる一言だったのです。
 私の話のどこが、誰に、どんなふうに伝わったかは分かりませんでした。けれど私自身に照らしても、幼稚園のクリスマスとはそれほど強烈な印象をもつものなのです。きっとみんなも、私が懸命に弾いたピアノや、精一杯話したお話のどれかを、おぼえていてくれることと信じています。
 講演のとき、聞いてくださる皆様を信頼すること・・・。それは、良い会を作るための大前提なのかもしれません。それを子供たちに確信させてもらったことは、私にとって2006年の大きなクリスマスプレゼントとなったのでした。
 皆様、今年も一年ありがとうございました。来年も、引き続き応援宜しくお願い申し上げます。
 2007年が、皆様お一人お一人にとりまして、素晴らしい年となりますように。

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チベットの風がやってきた  12月5日

 「サンタが町にやってきた」というクリスマスソングがありますが、この秋日本には、チベットの風がやってきました。ご存じの方もあることでしょう。チベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ十四世が来日されたのです。正式には、ダライ・ラマ法王様とお呼びするようです。
 そして幸せなことに 私は国際平和と宗教間対話を呼びかけておられる法王様が両国の国技館で行った一般向け講演に、参加する機会にめぐまれたのでした。
 国技館の入り口では、簡単な手荷物検査がありました。鞄を開けて列んでいると、係りの方が一人一人の荷物をそっと覗いて「けっこうです」と中に入れてくれます。でも入るところでちょっと止められて、別の方が金属探知器でさりげなくバッグをひとなで。私のバッグには携帯電話や金属製の点字筆記用具が入っていて、しかも点字を打つ点筆は「先の尖ったもの」ですから、危険シグナルが鳴ったらどうしようかとハラハラしました。でもどうやら無事に検査も通り、いよいよ国技館に入っていったのです。
 中はグッズを買い求める人でごった返していました。チーンというあの独特の鐘の音が流れ、書籍やCD、DVD、チベタンTシャツや手作りの布鞄などが、広い屋内にたくさん並んでいます。けれども、買い求める人たちはとても穏やかで、たとえばロックコンサートのときにファンが見せるような興奮はあまり感じられませんでした。むしろ、巡礼地で整然と自分のための記念を行う人々の雰囲気なのでした。私は、唱名のCDを二枚買おうとしましたが、売っているチベットの男性が「これ、一枚で、初めての人はとてもいいですよ、これでいいですよ」とお勧めを渡してくださったので、結局お言葉に従ってその一枚だけを買うことになりました。無駄遣いしないように気遣ってくれた彼の心根に、私は会場に入って早々、チベットの方たちの精神の一端を垣間みたような気がしました。
 開演前の15分、主催者であるチベットハウスの方が法王様に関する説明をしてくださったのですが、すっかり終わってもまだダライ・ラマ法王は到着しないというのです。
「ええ、実は、まだ法王様はホテルをお出になってないんだそうで」
 会場にどよめきが広がりかけたとき、まるで測ったように法王が登場されました。こうして、記念すべきダライ・ラマ十四世の一般向け講演が開幕したのです。
 濃いオレンジ色の法衣の上に黄色の長い服を纏った僧侶の姿で現れた法王を見た方のなかには、昔の映画「ビルマの竪琴」を思い起こした方もいたかもしれません。
 法王はまず、ステージの照明が眩しいということで、サンバイザーのようなものをかぶりました。そして「これは照明が眩しいときに愛用していまして」と木訥な英語で話しはじめられました。それから、袂から懐紙のような厚紙を出して、しきりに鼻をかまれます。マイク越しに苦しそうな音が・・・。お気の毒に、都会の空気にやられて風邪を召されたのでしょうか。
 私には分かりませんでしたが、おそらくはまずチベット語、次いで中国語、そして英語で、きょうの講演は英語でやりますという意味のことを言われました。それを通訳の女性が日本語で伝えます。法王が話されている間、ときおりノートをめくる音が聞こえ、通訳用にペンを走らせておられる様子が伝わってきます。通訳が始まると、法王は鼻をかまれます。ずいぶんお苦しいのでしょうか。
 けれども、そのメッセージは真摯で熱く、力に満ちていました。私は特定の政治姿勢はもちろん、特定の宗教に荷担する立場はとっていません。かといって宗教に反発してもいません。常に中立な立場から発言したいと考えています。それを踏まえて書きますが、法王のメッセージは、宗教論とは別に、万人に受け入れられる可能性をもった、極めて普遍的なものに思えました。質疑応答を一時間近くも延長し、約三時間にわたった講演会の内容を記憶を頼りに要約するのは大変ですが、それはだいたい次のようなものでした。
 いろいろな種類の宗教がありますが、いずれも世俗的な道徳についてはほぼ共通した教えをもっています。だから、まずはそれを接点にして対話したいと考えます。私たちの魂も、まずは世俗の倫理をきちんと護ることにより、時間をかけて救いへと歩んで行けるのです。それにはどうすれば良いか。まずは、人に迷惑をかけないこと、そしてできれば、人を助けることです。
 講演はもちろん素晴らしいものでしたが、質問、特に日本人のいくつか質問は非常に考えさせられるものでした。
「背後霊、守護霊についてどう解釈しますか」「法王様の光エネルギーをください」「私の病はどうすれば直りますか」
 対して、外国の方たちの質問はこうでした。「私がヘルプしている病気の人に幸せになってもらうには、どうやって接してあげたらいいですか」「世界の平和についてメッセージをください」
 注目したのは、日本人の多くが、自分が困っていることを、自分のために解決する方法を尋ねていること。外国の方たちは、人のためにしてあげられることや普遍的なメッセージを求めていること、つまり質問の中心が自分ではなく、自分が奉仕すべき相手もしくは世界であることでした。
 私だって、ときどき「ご先祖様が護ってくれたな」と思ったりもするし、背後霊を信じる方の気持ちを否定したりは致しません。精神レベルの高い方から力を分けてほしいという素朴な気持ちにも共感します。でもね、法王自身もおっしゃっているのです。
 私には奇跡を起こす力はありません。ただ一人の人間として、何かヒントになることを申し上げたいと思ってここにきました。仏教では、背後霊のことは考えません。救いは己の中にあります・・・
 私の解釈が当たっているかは分かりませんが、もしかしたら法王の言わんとされていたことは、こうではないでしょうか。奇跡は他人に起こしてもらうものではなく、私たち自身の心のありようと行動によって生み出されるものだ、だからまずは、自分で己の精神を平穏にし、倫理に徹しなさい・・・。
 法王は、どんな質問にも明るく応じ、「光エネルギーを」と言われると、合掌した両手を開いて会場に波動を送るようなジェスチャーをして見せてから、「"Bless you"(あなた方を祝福します)」と言われました。とってもお茶目に微笑みながら。これって、キリスト教の言葉ですよね。でも、チベット仏教の指導者である法王は、そうした宗教間の境を自らいともた易く超えて、対話の可能性を示してくださったように思えたのでした。
 しかし何よりも、「ナマステ」(こんにちは)とみんながチベットの言葉で挨拶し、法王がまるで草原で挨拶を交わすように、「ナマステ」とそれに朗らかに応えておられる姿がとても印象的でした。厳しい現実に直面し、さまざまな苦難を経験しておられるのに、いやそれだからこそ、法王はどこまでも素朴で、暖かい方でした。最後に、健康の秘訣を問われたときのお返事を要約します。
 よく眠りなさい。心をリラックスさせなさい。それには、平穏な気持ちでいなければなりませんよ。
 "sleep well, and relax!"

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携帯機種変物語  10月23日

 この九月、私は5台目の携帯電話を買いました。いよいよテレビ電話デビューと相成ったわけですが、実はまだテレビ電話では通話したことがないんです。
 ま、それはともかく、今回お話ししたいのは、いまのような使い方ができる携帯にたどり着くまでに、私たち"sceneless"がどんなふうに携帯と付き合ってきたかという物語です。この物語の性格上、実際の社名を出させていただきましたが、それはその会社の商品が不完全なものだという意味ではありません。あくまでも、過渡期に使ってきた機種として例に挙げ、私たちにとって何が必要だったかをお分かりいただく目的です。そのことを、まず付記しておきたいと思います。
 最初に私が使ったのはDDIポケット(当時)のPHSでした。電話の頭にちっちゃなアンテナが付いていて、そっと引っ張ると一人前にピユーンと伸びてきます。通話のときはそれを延ばして使うのですが、そのころは建物の中に入るとほとんどつながらない時代でした。それでも、電話並の音質で話せるうえに、何よりも"sceneless"にとって難関の一つである「公衆電話探し」という作業から解放されたことは、夢のように嬉しかったものでした。そのころは、いまほど公衆電話が少なくなってはいませんでしたが、いざ探すとなれば我らには難事業だったからです。
 その次は、ツーカーセルラーの携帯。これは割安のうえに、当時のPHSよりはるかにいろんな場所で通話できたので、重宝しました。その次に手に入れたのがAUのCDMA1型携帯電話。これは携帯としては破格の高音質で、しかもエリアは私の行動範囲には充分カバーされていました。この機種になったとき、初めて「メール」なる機能が搭載されていたようですが、もちろん我らが使えるような音声読み上げはまったくありませんから、ほとんど関係ないわー、という感じでした。
 もっといえば、音声読み上げがまったくないわけですから電話帳機能さえ使うことはできませんでした。要するに、「かける」「受ける」「リダイヤル」の三つしか、自由には使えなかったのです。いま思うと「使えない機能の分割り引いてチョウライ」と泣き言の一つも出そうなくらいに使えなかった、でも携帯がもてるというだけで大満足なのでした。
 この機種を使っている間に、NTT−DoCoMoから「ラクラクホン」と呼ばれるユニバーサルデザインの機種が初めて発売されました。それは、メニュー機能の一部と、受信メールの全文を音声で読み上げるもので、これでようやく、我ら"sceneless"にも「かける」「受ける」「リダイヤル」以外の機能を使う機会が到来したのです。
 でも、私はこの第一世代の機種は買いませんでした。そのころはまだ、メールの必要性をあまり感じていなかったからなのですが、そのほかに、せっかく読み上げるのなら全メニューを読んでくれる機種がほしかったのです。ユニバーサルといっても、我らが機能の一部しか使えないとしたら、それはハーフユニバーサルということになる、それならせめて、お蕎麦じゃないけど八割ユニバーサルになるまでは様子をみてみよう、と思ったのです。
 そして翌年、ついに私も「ラクラクホン」の第二世代機種を手に入れました。今度はメニューのほかに、作成中のメール文書も読み上げてくれるというので、これなら私にもメールが打てるかしらと思ったのです。
「たしかに、まだ不便だけど、使いこなしていけば便利なところもあるよ」
 点字図書館の用具部で"sceneless"用の道具を販売している友人が勧めてくれました。
 でも、この機種を使ってまたがっかりしてしまいました。iモードがまったく音声化されていなかったのです。購入したときにはその意味をあまり理解していませんでした。でもさらに翌年にムーバの「ラクラクホンIII」を買ったとき、iモードが使えないことでどれほど不便だったかを知ったのです。こんなに便利なものが普通に使えているなんて。これよりもはるかに多機能の携帯を簡単に買えるみなさんは、いったいどれほど便利な携帯を使っているのだろう。こうなると、もはやユニバーサルの華々しい歌い文句が、だんだん信じられなくなってきます。何だか、機能を小出しにして宥められているような、ものすごい子供扱いされているような気分になったのです。
 「ラクラクホンIII」は、2年間使いました。これは、iモードもすべて読み上げてくれるし、メニュー機能もすべてしゃべってくれるうえ、もちろんメールの文書も読み上げます。これでようやく、私たちは携帯電話のメニューをフルに使えるという、健常者のみなさんにとっては当たり前の機会にたどりついたのでした。最初の携帯電話誕生から、余裕で10年は経っていたことでしょう。それにしても、ユニバーサル機種が「一昔」の年月を経ないと出て来ない、しかも未完成の機種がたった一機種しかないというのは、やはり何ともさみしいお話ではありませんか。
 ところで、「ラクラクホンIII」で一番苦労したのは、メールの作成でした。作成画面の全文を読んでくれはするものの、文字変換もカーソルの位置もしゃべらず、読み上げるのは全文を通してのみ。なので、確認するために、毎回最初から最後までぜーんぶ聞き直さないといけません。さながら伝言ゲームのように、聴く分量がどんどん増えて、書き終わったころにはそらでおぼえているほど何回も聞き直さなければならないこともありました。これは、正直かなり疲れました。
 もう一つの苦労は、文字変換です。熟語を出して必要な文字を残すという工夫はみなさんもしておられると思いますが、私たちの場合、それがごく普通の単語でも求められるわけです。たとえば「もうお家に着きましたか」と書きたいのに「もう追う地に月真下か」などと変換していても、音声は普通に読み上げてしまうので間違いを発見することができないのです。これではまるで、暗い夜道で誰かに襲われたみたいです。だから正確に変換しようとすると、「お家」と書くのに「お」「家族」と書いてから「族」を消します。「着きましたか」は「着陸」と書いて「陸」を消してから「きましたか」と入れます。こんなふうですから、とにかく進まない。よく、携帯のメール入力は面倒という方がいますが、私たちが一つ一つの単語を書いたり消したりする苦労に比べたら、変換もカーソル位置も見えたうえでのことですから、ずいぶん贅沢に聞こえたものでした。
 でも、打ち込みそのものは点字を打つのにかなり近いので、さほど面倒には思いませんでした。ひらがなで入れると読みにくいという方が多かったので、私はこんな状況で書いていることを予めお断りしたうえで、あえて誤変換覚悟で漢字を使っていました。
 さてさて、そんなこんなでこの九月に手に入れたフォーマの「ラクラクホンIII」は、ようやくこの苦労から私たちを解き放ってくれたのです。音声化にはまだ未完成なところが残っていますが、ともかくやっとのことで、文字変換やカーソル位置、絵文字を読み上げてくれるようになったからです。ああ、この道のりの遠かったこと、アマゾンのジャングルのごとし。私が最初に携帯の音声化について触れたのは、何と三冊目の本「目を閉じて心開いて」でした。
 高齢者向けと言いながらも、マイノリティであり、しかもおそらくは採算も合わないであろう私たち"sceneless"を見捨てずに、開発を続けてくださるNTT−DoCoMoさんには、心から感謝です。
 けれど、もちろんまだ課題はあります。これ以上何を望むかと言われそうですが、お客はいつの時代もわがままなものです。私がお願いしたいのは、このような機能の機種をNTT以外の会社にも作っていただき、競争を展開していただきたいのです。そうでなければ、「あてがい縁」のユニバーサル機種が専売のように幅を利かせることになるからです。カメラの画素数、お財布携帯やモバイルスイカのような付加機能、あるいは選択方法などの操作性には、常に競争の余地があるでしょう。それぞれに切磋琢磨し、ユーザーが自由に選択できる状態になり、なおかつ納得して選ばれる商品が育ってこそ、本当のユニバーサルデザインが実現したといえるのではないでしょうか。
 最後に雑談をひとつ。この機種に変更して最初のメールを出したのは還暦間近のおじさまでした。そうしたら「FORMER(正解はFOMA)のお初メールありがとう」という、何だか野球みたいなお返事が返ってきたかと思うと、「追伸、いまのフォーマー(正解はフォーマ)のスペルが違ってましたごめん」という、訂正も間違った追い打ちメール。やっぱり野球から離れられなかったのね。(^o^)

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さんざんだった「目黒の秋刀魚」祭  9月25日

 江戸時代のお殿様、秋の野駆けで目黒においでになりました。馬の競争をしても将棋を指しても、お殿様はいつも一番速くて一番強い。何しろ家来がみんなで負けてあげては「殿のご上達、恐れ要りましてござりまする」などと持ち上げるのですから、向かうところ敵なしというわけ。
 さて、朝から遊んでおなかが減ったころ、近くの農家のおじさんが焼いている秋刀魚の香ばしい匂いがプーンとお殿様の鼻をくすぐります。家来が無理を言って譲ってもらった秋刀魚を食べたお殿様、後日の機会を逃さず御膳に秋刀魚を所望します。
 秋刀魚などという下々の魚をどうしてお殿様がご存じなのかしら、と家来たちは首を傾げながらも、銚子の海から取り寄せたピチピチの秋刀魚を用意します。が、殿のお喉に骨が刺さっては大変、油が強すぎておなかを壊しては大変と、秋刀魚を擦り卸して骨をすっかり抜き、お椀に仕立てて奉ったところ、殿様がっかりして「銚子ではいかん。秋刀魚は目黒にかぎる」
 これが落語で有名な「目黒の秋刀魚」のお話です。落語ファンの方もおられると思いますので書いておくと、私は古い方では先代の三遊亭金馬師匠、現代では春風亭正朝師匠の演じる「目黒」が大好きです。金馬師匠演じる豪快ながら可愛い殿様と、正朝師匠演じる困った家来たちが聞き所でしょう。
 その目黒の秋刀魚を味わうお祭りが、毎年九月に開かれています。今年は皆様にその様子をご報告しようと、残暑厳しい日曜の朝、目黒目指してGO!という寸法にしたのでした。
 ところがです。ご報告どころか、これが思いも寄らない散々な1日となってしまいました。でも悔しいから、それもご報告してしまいましょう。
 目黒を訪れた方ならご存じと思いますが、ここは野駆けの名所だっただけあって、山坂が多いところです。急な坂もありますが、権之助坂のように、ちょっと歩いただけでは気付かないようなだらだらした坂が延々続く場所も少なくありません。こういう坂は、最初は余裕でこなせるのですが、まるでボディーブローのようにジワジワと効いてきます。ようやっと登り終えたときには、足はガクガク、息はハアハアの体たらく。お腹で笑うならいいけれど、膝が笑うのはなかなか骨がおれるものです。
 そんな坂を上ったりちょっと降りたりして、私たちはまず、寄席の会場となっている「みやこ荘」に、開演40分前に到着したのでした。寄席囃子などがスピーカーで流れていていい感じ、と思った瞬間、驚きました。そこにはすでに長蛇の列ができていて、メガホンをもった前座さんたちが「すみませーん、二時から第二部もありますので、来られる方はそちらを狙ってくださーい」と叫んでいるではありませんか。
「まあ、入れなかったらラジオで聴けばいいもんね」
 寄席のもようがFMラジオで中継されるということで、私たちはラジオも持参していましたから、そんなのんびりした気分で日傘を差して開演を待っていました。開演となって列が会場の中に進むにつれ、私たちも入れるような気がして少し嬉しくなりました。
 でも、世の中そうは甘くない。私たちの一組前で入場が締め切られてしまったのでした。仕方なく、施設内の茶店でコーヒーとたこ焼きというとんでもない組み合わせのおやつをつまみながらラジオのスイッチを捻ってまたびっくり。持参したラジオではキャッチできない周波数だったのでした。やれやれ。
 それなら秋刀魚でも食べようと外に出て、またまたびっくり。無料で振る舞うためにしつらえられた長さ25メートルのコンクリートブロックの上では、宮城県の気仙沼から水揚げされた新鮮な秋刀魚たちがもうもうと煙を立てて焼かれているのですが、それをもらう人の列たるや・・・。何と目黒駅付近のこの地点から、高速道路を越えた向こうまで続いているというのです。その距離およそ数100メートル。いい匂いと煙が立ちこめ、その辺のビルの窓が秋刀魚の黒煙で曇ってぼやけています。
「ま、秋刀魚は買って食べることにして、もう少しその辺を見てみようか」
 歩き出したら、またすごい行列。何の列ですかと尋ねてみたら
「スダチのつかみ取り、二回で百円」
 そのために、これまた百メートルもの列ができていたのでした。このスダチは、秋刀魚の付け合わせとして徳島県が出品しているものだそうな。でもねえ、何もつかみ取りでそんなに列ばなくても・・・。他の国では、その日に食べる米のために、泣きながら列んでいる人たちもいるんですぞ。
 なかなか埒が開かないので、目黒不動尊まで足を延ばし、商売繁盛を祈らせてもらうことにしました。この日は近くの鳳神社でも秋祭りが催されていて、不動尊の参道では子供御輿に先導された大人の御神輿が、静かに揉んでいました。「そーれ」「ほー」と、かつぐ人はいろんなかけ声をかけており、わっしょい、わっしょいとかほいさ、ほいさといった「揃い」の声とはだいぶ趣が違います。お揃いの法被をきた幼稚園くらいの子供二人を囲んで、家族が笛に太鼓の演奏をしていたりして、秋刀魚も良いけどこちらの静かな秋祭も大変風情があって良いものでした。
 しかし、目黒不動尊は遠かった!! 行きは良い良いで、だらだら坂を下り、細い道をいくつか曲がれば着いたのですが、帰りにこのだらだら坂がこたえたの何のって。雅叙園でお昼をいただくために腰掛けたときには、暑さと喉の乾きで腰はへなへな、意識は朦朧、おまけにさほど遅い時間でもないのにおなかはぺこぺこの有り様でした。こうなると、本気でご飯をいただけるコンディションになるまでに、しばらく時間がかかります。駆け付け三杯で氷水を補給し、それが体に行き渡るまではメニューを検討する余裕もありません。店員さんは、いったいどこからの旅人なのかと思ったかもしれません。
 こうして、ようやく一心地付いて、クーラーの効いた駅へのシャトルバスに乗ったときには、砂漠から生還した探検家はさぞかしこんな気持ちなのではないかしらんと想いをめぐらすまでに回復していたのでありました。
 そんなさんざんな1日でしたが、雅叙園のお手洗いに入れたことだけは、ご報告したい出来事でした。何が感動したって、ご存じの方にはお恥ずかしいかぎりですが、ここは総工費一億円をかけた、総大理石に、漆を使った象眼細工のドア付きという、超デラックスお手洗いなのです。
 そうそう、お手洗いのことを上つ方では「湯放所(ゆまりどころ)」と言うのだそうな。上品なような、生々しいような。
 で、この雅叙園の「湯放所」は、廊下から入ると小流れにかけられた太鼓橋を渡って「その場所」へ向かう作りになっています。男女の待合い場は壁で仕切られているのですが、流れの蛇行点を利用して作った壁の切れ目に御簾がかけられています。男女はその御簾を隔ててチラチラと見合えるようになっていて、何だか昔の「中(吉原)」を思わせる不思議な雰囲気。もっとも、「中」に行ったことがないのですから、本当のところは古今亭志ん生師匠にでもうかがってみたいところ。
 洗面所も漆細工で、シンクの前に一つずつ背付きの椅子がおかれ、ゆっくり落ちついて身だしなみを整えることができるようになっています。 「お茶やご飯もいいですけど、とにかくお手洗いだけはぜひ入っていかれてくださいね」
 さすがは店員さんが自慢なさるだけのことはありました。
 それまでの道中が道中だっただけに、この途方もないお手洗いで命を取り戻したような気分に。いやはや、情けなや。
 現代の庶民の目黒散歩は、秋刀魚の殿様のようなわけにはやっぱりいかないのでありました。ジュッ。

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悲しい種蒔き物語  9月2日

 皆様、お待たせ致しました。麻由子日記、ようやくアップです。
 皆様の八月はいかがでしたか? 私は前回ご紹介した「福耳落語」の営業月刊で大わらわでした。
 その間に、炎暑のなか円朝祭の取材に行って、翌日から暑気当たりに見回れて一週間お粥で生き延びたり、そのおかげで楽しみにしていた鈴本祭のさん喬・権太郎表裏の会に行けずにがっかりしたり、左の目にモノモライの子供(そんなもん要らん、テヘラン!?)ができたり、左の耳がちょいと痛くなったりしておりました。
 さて、ようやくそれらのプチ不幸から解放され、いよいよ読書の秋、というわけで、去年の秋に私が夢中になっていた本のことをお話ししてみたいと思います。
 私たち"sceneless"の読書風景はといいますと、点字を読むか、専用のCDやテープに音訳されたものを聴いています。音訳のときは、たいていは普通の速度ではなく、2−3倍以上の早送りで聴きます。テープを倍速にして吹き込んだものを普通の速度で聴いていると、朗読者の声がまるでインコみたいにかわいくなって、真面目な哲学の本でも何となく微笑ましい感じがしてしまいます。
 最近では、朗読の音源をデイジーという特殊形式のデータに変換し、これまた専用の機械で聴くことも増えました。これだと、デジタル再生なので3倍近い速度にしても、録音状態が良ければほとんど声が変わらずに早聴きできるので、大変快適です。もちろん、落語はちゃんと普通の速度に落として聴いてますよ。「落語」というくらいだからちゃんと落とさなくちゃあね。
 閑話休題。昨年秋、私は落語を聴きまくる一方で、十二世紀イギリスの世界にドップリと浸かっていました。エリス・ピーターズの「修道士カドフェル」のシリーズにずぼっとハマったのです。丁度去年の今頃からふとしたきっかけで一冊目の「聖女の遺骨求む」を手にしたのが始まりで、クリスマスごろまでかけて、全国で点訳・音訳されている作品十数冊すべてを一気に読破しました。一冊が朗読で十時間前後なので、合わせて百時間以上をカドフェル様にささげた見当になります。
 何年か前にテレビでも放映されていたそうなのでご存じの方もおられると思いますが、この話は、英国の王座をめぐる激しい戦火のなか、川沿いの町にあるベネディクト派の修道院を中心に繰り広げられる暖かな物語です。基調にはいつも、若者たちの清らかな恋愛があり、その周りで聖と俗の世界が奇妙に入り交じって殺人事件や窃盗事件と絡んでいきます。
 カドフェルは、十字軍の海兵として数々の武勇伝を残しながらも、人生最後の年月を修道士として過ごすことを選んだという変わり種。ガチガチの古典派仲間からはちょっと煙たがられていますが、俗世の酸も甘いも知り尽くしたうえで深い信仰に恵まれているカドフェルへの人望は厚いようです。そして彼は、院内にハーブ園を作り、見習い修道士の教育を兼ねて数多の草の手入れをしながら、東洋で培った薬草の知識を生かして様々な薬を調合し、病者やけが人を献身的に助けるのです。さらに、お見舞いという口実でちょいちょい俗世に出ることを許されている彼は、突出した洞察力と大胆な行動力によって、まるで大岡裁きのような小気味良い方法で事件を解決していきます。
 ですから、たとえばウンベルト・エーコの「バラの名前」のような難解な作品と違い、カドフェルの物語は単純このうえなく、乗りから言えば日本の時代劇とまったく同じです。
 もう一つ、この物語の魅力は、その美しい自然描写と、薬草園の雰囲気を表現した文章の素晴らしさです。公害のない時代の美しく晴れた空、小鳥の歌、あるいは服をジットリと濡らすような霧雨。そしてそよ風に揺れながら芳香を放つ薬草が触れあう音の描写は、何度出てきてもうっとりとしてしまいます。読むにつれ、時間の経過とともに乾燥中のハーブの香りが移り変わったり、眠りを誘う秘薬の瓶の蓋が開いたときの神秘的な香りがただよってくるような気がして、まるで時空を超えて自然観察に出かけたような気持ちになるのです。
 昨年十月の末、私は八ヶ岳の清泉寮に遊びに行くことになったのですが、もちろん、夜はベッドの脇にCDをおいて、カドフェルの物語に聞き入っていました。そして次の日、買い物に出るとたくさんのハーブの種を買い込んだのでした。
 セージ、タイム、ミント・・・それに小さな草花も混ぜて。狭い我が家ではさすがにハーブ園を作るのは無理なので、せめて庭のプランターに薬草を寄せ植えしてお茶でも楽しめたらいいなあ。春にたくさんの新芽が一斉に顔を出すところを想像しながら、私は近くの園芸店よりずっと値の張る種の入った袋に、一つ一つ点字で種の種類を書き込み、種たちと一緒に春を待ったのでした。
 そしていよいよ、春がきました。山にきて、野にきて、里にきたころに、私も冬眠モードから目覚め、待ちに待った種蒔きをしたのです。そしてプランターの縁には、前日の夕食で食べたキヌサヤの芽の根っ子を植えたのでした。夏にはきっと、八ヶ岳の空気の欠片が味わえるようなミニ薬草プランターになってくれることでしょう。
 五月。プランターの近くに植えてあるアーモンドが花を付け、庭の隅っこではユリが蕾を持ちました。ところが、我が夢の薬草プランターで芽を出しているのは、あのキヌサヤの芽の残りばかり。八ヶ岳からやってきた種たちからは、まったく音沙汰がありません。
 六月。ユリが咲き終わり、紫陽花が満開になりました。プランターの縁で元気に育っていたキヌサヤが、とうとう筋いっぱいの実を付けました。それでも薬草の種はシーンと静かなまま。悔しいから筋いっぱい、豆ちょぼっとのキヌサヤを収穫して、八百屋さん出身の立派な豆に混ぜて湯で上げました。まあ、思ったよりは行けましたけれども。
 かくして、すでに九月にならんとするいま、哀れなプランターは薬草園ならぬ雑草園となり、アカマンマやムラサキツユクサが、何の薬効ももたずにザワザワと生い茂っているのであります。
 雑草なんて呼ぶナイ、とアカマンマにおこられそうですが、あー、私のハーブやーい。

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『福耳落語』こぼれ話  7月31日

 皆様、お待たせ致しました!! ついにずっと書きたかった落語の本『福耳落語』をお届けする運びとなりました。たくさんの取材とインタビューを踏まえ、私の考えも盛り込んだ力を込めた一冊です。
 そこで今回は、そのお知らせとともに本を作るまでに経験したこぼれ話を少しご紹介したいと思います。もちろん、本には書いていないことです。
 取材で寄席やいろんな場所にうかがったり、太神楽の様子や楽屋の太鼓を触らせていただいたことはもちろん楽しかったのでずが、それを除いて一番楽しかったことの一つに、噺家さんたちとメールを交換できたことがありました。年輩の方を含めてメールやパソコンを自在に使いこなしている噺家さんがとても多いことにも二度びっくり。「インターネット落語会」という言葉が普通に使われていることからも分かるように、落語はいまや、寄席やホールを飛び出し、サイバーワールドをも闊歩しているのです。
 最初にメル友になってくださったのは、取材第一号となった柳家さん喬師匠でした。携帯電話のアドレスを教えてくださったことから、私の質問の嵐が始まりました。驚いたのはメールが届く時間。質問にはいつも即日お返事をくださるのですが、その時間が午前三時半なんていう時間帯だったりするのです。噺家さんって、24時間体制なんですね。その多忙さにも驚きましたが、そんななかでも私の愚問に丁寧に答えてくださる師匠のお心遣いは、感謝の言葉も見つからないくらいありがたいものでした。
 お心遣いといえば、実は本に書けなかった自慢があります。それは師匠の「個人情報?」をちょこっと取材させていただいたときのお返事です。
 好きな噺家さんは「柳家小さん師匠」、お得意の料理は「焼き飯全般、それから力(りき)入れたラーメン、麺以外はすべて自分で作ります」、好きな本は「伊豆の踊り子、小さん全集」、それでは好きな作家は? 「藤沢修平、三宮麻由子」。師匠、本当に細やかで優しいお方でしょう? 文学に精通していてとても厳しい目をおもちの師匠ですから、その愛読書の中に私の本が一冊でも加えていただけているのだとしたら、慰めでも嬉しいかぎりです。
 最初は文字どおり「用件のみ」のメールでした。でも、そのうち二人とも興に乗ってきて、私が絵文字を入れ始めたら、師匠も絵文字を混ぜてくださるようになりました。そのうちに、内容は質問・回答メールなのに、なぜだか引用返信とか顔文字とか、どんどん複雑になっていき、あるときなどはハートマークが4種類ぐらい列んだりして。
 でも、「大入り叶う」の読み方をわざわざカナで「オオイリカノウ」と入れてくださったのを、私が「大入り可能」と勘違いして編集者と二人で何日も首を捻ってしまったなんてこともありました。何のことはない、うかがってしまえばいつもの「音声のなせる技」に引っかかっていただけだったのでした。やれやれ。
 師匠とのご縁は何となく不思議なもので、お会いしたりメールをいただく日が、必ず「何かの日」でした。最初に取材でお会いした日は師匠のお誕生日、質問のお返事を頂いた日のなかに、私の誕生日とクリスマスが入っていたし、雛祭りやエープリルフールにもメールをいただいたのでした。祖母が他界したときにはお悔やみのメールをくださいましたが、他界の日はキリスト教の復活祭でした。(私は外国のニュースを翻訳しているのでキリスト教の暦もチェックしているのです)。
 そしてだめ押し。この本の見本ができたのが7月14日、フランス革命記念日だったのでした。この日はNHKでインタビューを受けてから師匠の出ておられる池袋演芸場に向かい、できたてほやほやの見本をお渡ししたのでした。こうなれば、落語の本に革命を起こすっきゃない? 「アロン レ ザンファン ド パトリーユ」って、ラ・マルセイェーズを歌ってる場合じゃないですね。真面目にやります。
 次にメールを交換してくださるようになったのは、古今亭菊之丞師匠。「落語の天敵」の項を書くために電話でお話をうかがいたいのですがとお願いしたら、「いまいろんな会でしっちゃかめっちゃかになっておりまして、来月お会いしたいと思うのですが」と、まあ落語そのまんまみたいなお返事が帰ってきました。真面目な音声読み上げソフトが「しっちゃかめっちゃか」なんて読んでくれるもので、思わずクスリ。
 菊之丞師匠のメールは、いつも音声で聞くのが楽しみな落語調子です。打ち合わせしてお電話の時間を決めたのですが、その日にちょっとご用時ができたというので「すみませんが、実はよんどころない事情がございまして、お電話の時間を少し遅くしてはいただけませんでしょうか」、それからしばらくして「戻りましたらメール致しますので、いましばらくお待ちください」。そして今度は「ただいま戻って参りました」と、何とも折り目正しいお知らせが・・・。こんなふうに、あどけない少年のような真っ白なお気持ちが伝わってくるメールをたくさんくださいました。連絡だけのメールなのに、そんなわけでいまだに削除せず、大切にとってあります。
 この本ではまた、私の乏しいITの知識がずいぶん役に立ちました。ネット検索に助けられたことはもちろんですが、一番助かったのはICレコーダーをフル活用できたことでした。
 インタビューを録音し、それをパソコンに取り込み、CDにバックアップします。それを編集者とやりとりしたり、発言を確認するのに「開始から1時間10分くらいのところ」などと時間指定で簡単に知らせあったりと、たくさんの情報量を何とまあ便利に処理できたことでしょう。しかも、音はMP3のステレオ形式ですから、インタビューの音源としては充分な音質です。編集者が朗読してくださった資料の音声をメールでいただいて聴いたりすることもできて、やりとりの速いのなんの。落語とITが融合して本ができていく、これまた一つの感動なのでありました。
 さて、見本ができてボチボチ知人や関係筋の皆様にお渡ししていて、改めて興味深いことに気付きました。それは、かなり多くの方が、「小さいころに病気したとき落語を聞いていた」と話されたことでした。私のように病弱だったり、あるいは喘息の発作がひどかったのでラジオを聴く機会が多かったという方もいますが、そうでなくても、風邪で学校を休んだとか足の骨を折って入院していたとか、そういうときにラジオで落語を聞いていたというのです。そしてみなさん、そのときに楽しかったから、いまも落語は好きですと言われるのです。
 私もよく布団の中で落語を聴きましたが、ラジオより、母が買ってきてくれたテープが多かった気がします。いずれにせよ、当初は賛否両論あったらしいメディア経由の落語ですが、実は寄席やホールに行けない人たちの間に確実に浸透していた、いやむしろ必要とされていたのだと改めて気付かされたのでした。しかも、その多くが病気やけがで苦しんでいる人であったことにも。
 その意味でも、落語はやはり、「幸福の芸術」であるとますます確信しました。そして噺家さんたちには、ユーモア世界の競争が激しい現代だからこそ、ぜひこの路線を守っていっていただきたいと切に思う次第なのでした。
 最後に、桂文珍師匠の傑作コメントをご紹介します。
「とっても楽しく読めました。それにちゃんとしたことも、しっかり書いてはるし、とても良いですね。これからは、神戸の三宮駅を通ると、いつもあなたのこと思いだします、なあんてね」
 さあ、皆様もご一緒に、幸福の芸術を堪能する「福耳」を育ててみませんか?

アネックス
 敬愛するさん喬師匠が、直々に本書へのコメントをくださいました。この場を借りて御礼申し上げます。
 本書について、この日記にも本にも書いていない私の落語が、NHKホームページに掲載されています。こちらもぜひごらんください。ご注文もこちらから。 http://www.nhk-book.co.jp/books/index.html

さん喬師匠のコメント

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北海道講演の旅報告 2 ウトナイ湖のノゴマ  7月7日

 ウトナイ湖のサンクチュアリは、野鳥ファンにとっては憧れの聖域の一つです。湿地保護を目指すラムサール条約にも登録されているこの変わった場所には、勇払原野の湿原を形成する生態系が、生き生きと躍動しています。
 もう何年前になりますか、初めてウトナイ湖を訪れたときには鳥のことばかり考えていて、この不思議な場所のことはほとんど知らないままでした。そのときには、頭の真上、至近距離に急降下してきたオオジシギにえらい勢いで威嚇され、自分の体の何百分の一の鳥を本気で恐れたのでした。オオジシギは日本の固有種で激減しているそうですから、それもまたとても貴重な経験だったといえます。
 でも鳥に会いに行くときに一番大事なのは、鳥そのものにだけ目を奪われてしまわないことなのです。もっと言えば、その鳥たちが暮らしている環境や自然を見渡したときに初めて、自然や生き物たちから鳥に会うお許しを頂けると言っても良いでしょう。折しも私たちが訪れる丁度一週間ほど前に、ウトナイ湖を含む勇払原野を一体的に保全するための構想が日本野鳥の会から発表されたこともあり、今回はウトナイ湖のことも少しだけ学んで帰ってきました。
 ウトナイ湖は周囲約9キロの海跡湖で、平均水深は60センチくらい。湖というより、大きな大きな溜まり水といった印象です。海跡湖の特徴は、お盆型で比較的水深が浅いこと。なぜかというと、海跡湖はその昔海だった場所が、砂の堆積によって海と隔てられて湖になったところだからです。そのため、底はお盆のような形をしていて、いわばだだっ広くなるわけです。海跡湖にはほかに、サロマ湖、霞ヶ浦などがあります。
 ナルホドーと思って湖の種類を調べてみると、水質によって淡水湖、稀水湖、富栄養湖、貧栄養湖、酸栄養湖などと分ける方法が一つ。
 それからできた歴史によって、カルデラ湖(火山の窪みの湖で支笏湖、屈斜路湖など)、断層湖(死海、タンガニーカ湖、バイカル湖、琵琶湖、諏訪湖など)、氷河湖(五大湖など)、それにウトナイ湖のような海跡湖を含む潟湖(八郎潟など)、河堰湖、三日月湖のように分ける方法が一つ。まだまだありそうですが、この辺にしておきましょう。
 車を降りてウトナイ湖にある日本野鳥の会の建物に向かう道では、溢れるようにたくさんのアオジと、センダイムシクイが鳴き競っていました。アオジはホオジロの仲間なので、鳴き声もホオジロとよく似ていますが、声がやや低めで静かに鳴き、フレーズのなかに「ヒーチョチョチョ」と三連譜が入るのが特徴。センダイムシクイは「ショウチュウイッパイグイー」という粋な聞きなしで知られています。
 野鳥観察を始めてから十年以上が経過しましたが、実をいうとここ数年、私はいわゆる探鳥スポットと呼ばれるところに何度も行きながら、「探鳥した気がしない」とがっかりして帰ることが大変多くなりました。野鳥ファンにとって憧れの場所である長野県の戸隠でさえ、私が探鳥にハマったころには午前中の3時間ほどで70種類以上は楽に聴けた鳥の声が、5年前くらいから平均で40種、ひどいときには30種ぐらいしか聴けないことが増えてきたのです。
 それとほぼ同じ時期に、東京の我が家近くから木ノ実の好きなカワラヒワが姿を消し、ツバメたちが巣を作っていた壁や柱が次々と、土を寄せ付けない、つまり巣が作れない材質に変わり、ツバメの営巣地が奪われていきました。そしてついには、スズメが一声も鳴かない朝さえ増えてきたのです。
 私にとってスズメは、朝の到来を伝えてくれる鳥です。その印象は、ニワトリよりもカラスよりも強いものです。いろんな本に書いているように、それは私が光とさよならしてから、初めて朝が私のところにもちゃんと来ていることを教えてくれた鳥だからです。いまでも、私はカラス、ヒヨドリ、シジュウカラといろいろな鳥が先に鳴き始めても、スズメが鳴くまでは朝がちゃんと来ていないような気がしてしまいます。おそらくスズメは夜が明けてからやってくるので、その意味では朝らしい朝の始まりをはっきりと聞かせてくれる鳥なのでしょう。
 そのスズメが、もはや鳴かない朝があるのです。子供のころは、朝ともなれば賑やかなスズメの声で寝てなどいられないくらいだった同じ我が家の外で、いまや一声のチュンも聞こえない。探鳥に行っても鳥が少なく、鳥層も薄い。こうなると、がっかりするというよりは恐怖と戦慄をおぼえます。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の足音が、すぐそこに聞こえてさえいるようです。本当の春の足音なら嬉しいけれど、沈黙の春の足音は恐ろしいものです。
 そんななか、ウトナイでは久しぶりに、心髄にまで鳥の声が染み渡るような囀りの渦の中に飛び込む感覚が味わえました。さすがは北海道と、何だかとても安心した気持ちになったときです。
「実はね、もうシマアオジはここでも調査区域内でしか聴けないんです。つまり、一般の方たちにとってはウトナイでは絶滅したと言えるんです」
 レンジャーの原田さんの一言が浮かれた心にグサリと突き刺さりました。これほど手厚く護られ、一件豊かなままの自然が躍動しているこの場所でさえ、北の小鳥の中でも多くの人が憧れているシマアオジがそんなことになっているなんて。
「それにはね。勇払原野全体の問題が関係しているんです」
 植物の生態系は、湖や池から、湿原、草原、陽樹の森、暗樹の森というように、長い年月をかけて少しずつ変わりながら決まった段階を進んでいきます。湿原は普通、100年ほどかけて乾き、やがて草原になります。ところが、勇払原野ではそれが40年くらいの間に起きてしまったというのです。
「人間の都合で川をまっすぐにしたために、ものすごい勢いで乾燥が進みました。それであわてて、いままた蛇行させようとしています。まっすぐにするのに10億円、蛇行させるのに20億円、みたいなことになってて」
 せっかくなのでウトナイの水に触れて帰りたいと、水面に張り出した木道に行ってみましたが、波打ち際はすでに30センチ以上後退してしまっていて、木道からでは忘れ潮のような水たまりに触れることしかできませんでした。初夏の陽に暖められた文字どおりの日向水には、数十年後の乾きかけたウトナイ湖の姿が映し出されているかのように思えたものでした。
 それでも、原田さんたちはレンジャーとして、この自然の実態としっかり向き合いながら保護を続けているのです。そう思ったとき、木道のすぐ上の枝から、愛らしいながらも力に満ちた小鳥の歌声が降ってきました。
 ノゴマです。コマドリの仲間で、赤い毛色の美しい北の小鳥。シマアオジと列んで私が聞いてみたかった鳥でした。複雑な歌は、高く澄んだ持続的な声と、濁った金属的な点のような声からできていて、気骨ある声をがっちりと空気の中に通して歌っているといった印象でした。
「このノゴマが、ずっとこうやって聴ける自然であってほしいです」
 原田さんが帰り際にポツンと言われた言葉が、偶然コートのポケットに落ちた木ノ実と一緒に、私の心のポケット深くに落ちてきました。
 憧れのノゴマに会えた探鳥は、たしかに素晴らしかった。でも、どうして楽しく探鳥に行く旅に、「こんなに自然が破壊されている」という現実に恐れをなして帰ってこなければならないのでしょうか。
 アイヌ語で川が集まる場所という意味のウトナイ湖に、スプリング・エフェメラル(春の妖精=はかない命)がその名の通りに消えてしまうことなく、ハスカップ(茎の上に咲くという意味)が安心して生えてくれる自然が、永遠ならんことを祈らずにはいられないのでした。。

「ウトナイ湖のノゴマ」

「ウトナイ湖のセンダイムシクイ」


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北海道講演の旅報告 1 珍道中あれこれ  6月25日

 五月の終わりに、北海道室蘭の海星学院高校で講演してきました。その帰りに野鳥ファンの憧れのサンクチュアリであるウトナイ湖に立ち寄ることができました。そこで、今回と次回は講演旅行の様子とウトナイのいまをご報告してみたいと思います。
 今回の講演は、『ロングドリーム』でお世話になっている集英社の財団、一橋文芸教育振興会が毎年主宰している「高校講演会」のお仕事でした。これは、全国の高校で文化講演会を企画するという事業で、私はこれまでに、北海道から沖縄までいくつもの学校や教師の会で講演させていただきました。一緒に旅をしてくださったのは、私の担当編集者と財団の常務取締役の方、それから協賛者である北海道新聞(道新)と電通の担当者の方でした。
 まずは打ち合わせ。美味しいハーブティーなど囲んで、スケジュールや、講演する学校の情報を確認し合います。生徒さんの数や学校の歴史、理念、特徴的なカリキュラム、名物先生などなど。でも実は、道新の方が教えてくださった豊富な「北海道のお菓子情報」で一番盛り上がってしまいました。私も北海道大好き人間の一人で、行けば必ずチョコレートやバターを山ほど買い込んで帰ります。恥ずかしながら、またもやダンボール半分ほども仕込んでしまいました。そういうわけなので、今回もお小遣いを少しだけ多くもち、私はみなさんとおしゃべりしながら晴天の羽田を飛び立ったのでした。
 この日は移動日なので、空港から電車で2時間ほどかけて洞爺湖の宿泊場所に向かいます。急行列車で一駅乗り、南千歳駅で函館行きの「北斗」に乗り換える、はずでした。ところが、列車は車両故障で前の3両しか動いていず、しかも25分も遅れて到着するとのアナウンスが流れています。駅は騒然。急遽予定を変更し、車中で食べる予定だったお弁当を駅の待合い室でいただき、タクシーで移動することになりました。
 お弁当は、ご当地名物カニの棒寿司。なかなか買えないのだとか。簀子のなかにラップで包んだ棒寿司がドーンと一本入っているという、いかにも北海道らしいダイナミックなお寿司です。長さは25センチほど、太さは5センチほどもあるでしょうか。そこに、いましもカニの足から抜いてきたようなプリプリした実が、足の形そのままに棒状になって寿司飯に撒かれています。それも、何本も入っています。五目寿司ですから、野菜もバッチリ取れて完璧。
 デザートには、これまた名物の「トマトゼリー」をいただきました。トマトとオレンジを混ぜた優しい味のゼリーです。トマト好きな私にはこたえられない逸品でした。
 さて、いよいよ講演のお話です。実は、海星学院高校の生徒さんたちの優しい心ときめ細やかな感性に、私は深く心を動かされたのです。
 まず彼らは、集英社から寄贈された百冊の本を、とても綺麗に並べたのだそうです。上段には白の表紙のものを揃え、下段には色の薄いものから濃いものへと美しいグラデーションを作って、一冊一冊丁寧に列べてくれたのでした。もちろん、その中には私が書かせていただいた「ロングドリーム」も、同社の文庫に入れていただいた「鳥が教えてくれた空」も入っています。何だかとても誇らしく、ありがたい気持ちになったのでした。
 講演で、私はよく「声を出して笑ったり、反応してください」とお願いします。それは、私が"sceneless"で、みなさんの頷きや笑顔を見ることができないため、声や拍手で会場の空気を判断しながら話しているからです。でも、そう言ったからといってすぐに声が出てくることはまずありません。たいていは講演自体が盛り上がったころに自然に反応が現れてくるか、ときには最後までなかなか反応が伝わってこないこともあります。こういうとき、多くは先生が「わざわざ講演してくださる三宮先生に対して失礼がないように。とくに、目の見えない方に対して、むやみに笑ったりしてはいけません!!」などと、ありがたい?マナー指導をしてくださっているようです。
 海星の生徒さんたちは、私が"sceneless"について説明し、声を出してくださいとお願いした瞬間から、明るいお返事をどんどん返してくれはじめたのです。
「今朝はどんな鳥の声を聴きましたか?」
「スズメ」「カラス」「ホトトギスー」
 さすがは北海道。東京ではめったに聴けないホトトギスの名前が普通に口をついて出るとは。
 「この単語のスペルは」と説明すると、何人もの生徒さんが声を揃えてリピート。「この曲とこの曲、どっちを弾きましょうか?」と聞いたら「両方!」と、元気な声が揃ったりして。みなさん、本当によく笑い、たくさん拍手をくださり、私の鳥真似にも楽しく口笛で答えてくれました。
 日本では、学校で講演を聞くという企画は歴史が浅いせいか、子供たちはまだまだ、授業以外の形式のお話を聴くことに慣れていない気がします。そんななか、カトリック系である海星学院のように日常的にお祈りという形で精神を集中する訓練をしたり、あるいは仏教の学校も含めて講話を聴いている学校の生徒さんたちは、どんなに話が盛り上がっても、話題が移った瞬間にハッと静かにすることができるようです。
 このほか、朝の読書や読み聴かせなどをしている学校や子供会でも、お話の聴き方や反応の仕方はぜんぜん違うと思います。どう違うかというと、慣れていない生徒さんたちは、年齢を問わず極端に反応が鈍いか、もしくはザワザワと私語が絶えなくて集中できないかのどちらかに、はっきり分かれるようなのです。これに対してお話に慣れている生徒さんたちは、聴くときは静かに、反応するときは思いきり元気に、しかも"sceneless"の私にも必ず伝わるようによく考え、音や声を使って反応してくれるのです。
 もちろん、後でいただく感想文の中身もかなり違ってきます。「勉強になりました」「楽しかったです」「すばらしいと思います」などの、いわば評価的な感想文が多いところと、「ぼくも明日から耳を澄ましてみます」「私もきょうから読書ノートを作ります」「止めていたピアノを再開します」など、自発的にやりたいことを見つけている感想が多いところとに、これまたはっきり分かれるのです。さらには「三宮先生を見て、ぼくも目が見えなくなっても大丈夫なんだと思いました」という、希望?に溢れた感想もしばしばあります。こういう感想を見ると、お話が上手に聴ける生徒さんたちは生きることも上手なのだとつくづく思わされるのです。
 もっと深いところでは、お話に慣れている生徒さんは、自分の知っている世界や、興味のある事柄でない話にも関心を示し、感想文には「知らなかったことが分かって良かった」と書いてくれるのです。ときどき、「人生には立ち止まる勇気が必要です」と話したら「交差点で立ち止まるのは勇気が要ると思います」などという、予想外の感想が返ってきたりもするのですが。
 そんなこともあり、"sceneless"として講演している私を助けて、楽しい講演にしようと一所懸命声を出してくれた海星のお友達の優しい気持ちに、心から感謝して講演を終えたのでした。
 講演後にまた感動がありました。、サクラの香りが溢れる校内を、校門まで見送りにきてくださった校長先生たちが、私たちを乗せた車が学校の外へ出るまで、ずっと拍手していてくださったのです。手を振るだけでもなく、笑顔で挨拶するだけでもなく、私の耳に届く大きな音で、ずっと手を叩き続けてくださったのです。さよならのとき、私はいつも、いつまで手を振っていればいいのか迷いながら挨拶しています。そんな私の心をすっかり見通しておられるかのように、暖かいお心遣いでした。
 この先生方にして、あの生徒さんたちあり。人間にも自然にもまっすぐに向かっている大人と一緒にいる生徒さんたちは、真の意味で幸せなのだと思った1日でした。(続く)
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四角い布は強い見方!? 2 風呂敷編  6月3日

 私は数年前から、風呂敷を愛用するようになりました。旅に出たり買い物途中で良いものがあったりすると、ついフラフラと財布の紐が・・・。まあ、お札を出して小銭入れを買うときよりは納得が行くわけなんですが・・・。
 きっかけは、京都に拠点をおいて国際的にも活躍している民間グループ「風呂敷研究会」から、点字の冊子をいただいたことでした。
 このグループは、定期的に風呂敷の使い方を発表する会を開いたり、会員の間で使い方のアイディアを交換したりしているそうで、入会すると風呂敷に関する冊子が定期的に送られてくるようです。点字の冊子は、この研究会が私たち"sceneless"にも風呂敷の素晴らしさを伝えようと、希望者にプレゼントしてくださったのでした。
 冊子には、お弁当を包むときのような基本的な使い方が書いてあったのですが、いろいろ調べてみると、いま風呂敷はただの風呂敷ではなくなっているのです。ときにはショルダーバッグになり、ときには花瓶やティッシュのカバーとなり、和のおしゃれが現代の生活にしっかり根付いている貴重なジャンルとなっているのでした。
 そこで、私が良く使う包み方をいくつかご紹介してみましょう。
 瓶を包んでグレードアップ。大盤の風呂敷(60〜90CM)の対角線の真ん中に瓶をおきます。対角線上の角を二つ折りにして、瓶の口まで風呂敷を起こし、口の上に空間を残すようにして結びます。次に残った対角線上の二つの角をもって、瓶の腰の辺りを両側から巻いて交差させ、反対側まで回したらしっかりと結びましょう。長さが足りたら蝶結びや花結びがかわいいです。ペットボトルを持ち歩くときなどにはおしゃれに決まります。
 このやり方で、中身をパンなどにして、上を片結びせずに左右にバランスよく開くと、ウサギ包みになります。
 船包み。長細いものを、風呂敷の辺と平行な向きで真ん中におきます。左右それぞれの、向こう側と手前の角をそれぞれ結び、中身を固定してから、左右の辺の部分(結びましたので半分に折れていますね)を丁寧に広げ、船のような形に整えます。ティッシュ箱を包んむも良し。側面に穴を開けたペットボトルを寝かせて船包みにし、そこにお花など活けると、おしゃれなリサイクル活け花の出来上がりです。
 篭包み。対角線上の角をもち、中のものを固定するように片結びします。残りの二つの角を、できるだけ先端でしっかり片結びします。これで、柄ができて篭になります。
 コーヒーカップをおしゃれに包んでアピール。小さなサイズの風呂敷を用意し、カップを対角線の中心に寝かせておきます。対角線上の二つの角を柄に通して交差させ、しっかり引っ張ってから一番上で方結びをします。残りの二つの角を、先ほど二つの角を引っ張って交差させた柄の所で片結びし、交差点をよく固定してから布を開きます。開くときには、葉っぱなどの形になるように綺麗に開きましょう。これで、最初に二つの角を結んだ所が篭の柄になり、その下に当たるカップの柄の上には綺麗に開いた花形ができます。マグカップが布の篭に早変わりです。バンダナやハンカチでも充分です。
 このほか、肩にかけられるようにしたり、CDや着替えを包んでリュックに入れたりするときにも、風呂敷はとても便利です。結ぶ作業が最初はちょっぴり大変ですが、慣れてしまうと今度はどうやって綺麗に結ぼうかと、楽しみになってきます。ちょこっとした頭の体操という感じでしょうか。パズル感覚でいろいろやっていると、包むものの数だけ包み方が生まれてきます。
 何よりも、風呂敷の手触りが楽しい。ゴワッとした厚めの木綿のものは化粧台のカバーにしたり、柔らかな絹のものは細かいものを包んだり。その手触りが中身とピッタリマッチすると、風呂敷という一枚の布が形のある存在感をもってきます。絵本のページが起きあがって家になったとでも言いましょうか。
 ま、ときどき「むーすーんで ほーどーけない」なんてことも起きるのですが。
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四角い布は強い見方!? 1 手ぬぐい編  4月15日

 占い師の細木数子さんがテレビで、タオル(手ぬぐいだったかな?)とビニール袋を一枚鞄に入れておくと、いざというときに役立ちます、とアドバイスしておられるのを聞きました。地震や火災などの災害に備え、マスクにも防寒具にも包帯にもなる布と、何かのときに使えるビニール袋があれば、とにかく安全な場所に逃げ出すまでのつなぎになるということでした。
 みなさんもきっと、何か秘密のグッズを鞄に忍ばせておられるでしょう。私の鞄にもそんな小物がいくつか入っていますが、普通のものとしては防犯ベルとか小さなホイスルくらいでしょうか。ちょっと変わったものとしては、早稲田の穴八幡で受けた銀杏のお守り(これは身代わり守りのうえに財布に入れるとお金も貯まるそうなので手放せません)、それに縁結びとか交通安全とか、なぜだかいまだに学業成就とか、いろんな方が愛情込めてプレゼントしてくださったお守りが複数。そのうち鞄の中で神様たちが喧嘩をはじめやしないかと、心配しながら歩いております。
 そしていよいよ本題。タイトルにもある「四角い布」です。
 最初は、タオルハンカチ集めから始まりました。タオルハンカチは一枚一枚の表情が手で触っただけでとても良く分かって、私にもデザインを楽しむことができるのです。タオルでないハンカチにも触る楽しみはありますが、多くは布地が似ているので表情が楽しめるものは多くはありません。絞りや草木染のものでも、かなり個性的な感触でなければ、一度下ろしてしまうとどれがどれだか触覚ではとても判断できなくなってしまうのです。
 そこへいくと、タオルハンカチは実に楽しいのです。一枚二千円というような、百円ショップ大好きな私には清水の舞台から飛び降りた気分で買い求めたホットマンのタオルハンカチなんかは本当に素晴らしいです。使い心地は満点だし、何より手触りが宜しい。できればもっといろんな種類に挑戦してみたいところです。これはコレクターとしてがんばって買い求めたわけですが、実際には、それこそ百円ショップで売っているものでも、あるいは高速道路のサービスエリアで売っているものでも、はたまた○○会館とか○○ホテルなんかで売っているものでも、その表情の豊かさに変わりはありません。一枚一枚の織り方や刺繍の形、縁の縫い目、拭き心地など、どれを使っても飽きることがありません。たくさんお持ちの方は、ぜひ目を閉じて触り比べてみてください。
 ところが、その後、日本手ぬぐいにハマりました。きっかけは、いま執筆中の落語エッセイの本を担当してくださっているNHK出版の編集者の方と出かけたことでした。手洗いに行ったとき、得意のタオルハンカチを取り出すのが一瞬遅れた私にこの方が差し出してくださったのが、手ぬぐいだったのです。落語大好きなこの方、「最近はハンカチをもたなくなっちゃって、全部これなんですよ」と言うのです。いやあ、さすがに徹底してますなあ。
 で、私も家に帰ると早速「ハンカチの引き出し」と呼んでいる桐箪笥の一角に分け入りました。あったあった。手ぬぐい。どこで買ったのだったか、とにかくありました。「自然観察のとき首に巻くといいらしいから私もやってみようかなあ」と友達に相談したら「十五年後にして頂戴」とまったをかけられて眠らせてあった手ぬぐいです。首に巻かなければ使ってもいいよね、ということで、いそいそと出動させたのでありました。
 そんなわけで、いまはちょっとした用事にはタオルハンカチ、そしていざというとき、たとえば紙ナプキンのないお店で食事をするときや乗り物のなかでエアコンの風が寒いときの膝掛けなどには手ぬぐいが登場するようになりました。手ぬぐいの使い勝手の素晴らしさについてはもう言を待ちませんし、以前にも旅に欠かせないアイテム編で詳しく触れましたので今回はパスして、その畳み方に注目してみましょう。
 畳むと言ってもいろんな方法があり、またそれぞれに利点もあるのですが、いまは、短い辺を合わせるように二つに折ってから、合わせた面を内側にして三つ折りにし、さらにその長方形を三等分するように三つ折りに折るやり方が一番気に入っています。名前があるのかは分かりませんが、二、三、三と折っていくので、私は勝手に「二・三(兄サン、転じてアニサン)折り」と呼んでいます。
 この畳み方は、噺家の柳家さん喬師匠に教えて頂いたもので、高座ではこのやり方を良く使うようです。大好きな師匠に習ったから気に入っていることに加え、この折り方はとにかく広げ易いのです。畳むことだけ考えれば四つ折りでも良さそうに思えるのですが、これではどうにも裁きが悪いうえ、面積が大きくなるので仕舞にくい。ところが「アニサン折り」だと仕舞うのにもコンパクトで広げるのも簡単なうえ、手洗い程度の用なら広げずに使っても厚みがあるので充分水気を吸ってくれます。
 「ハンカチの引き出し」には、いまや国立演芸場の手ぬぐいだの秩父札所の巡礼手ぬぐいだの、かなり不思議な仲間たちが増えてきています。ただし、噺家さんほうに頂いたものは、「どうぞ使って」と言われてもどうしても使うことができません。それこそ、縁起の良いお守りみたいな気がするのです。みなさんのオーラのせいでしょうか。  噺家さんの手ぬぐいをお持ちの方もおられることでしょうが、縁起にあやかって頬被りなどなさいませぬよう。
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感動の日本語  3月9日

 TBSラジオの「全国子供電話相談室」という番組で、は虫類博士の千石正一先生とご一緒したことがあります。そのとき、いろんなことをお話ししましたが、そのなかにこんなことがありました
 先生が仕事でインドネシアのジャカルタを訪れたとき、何気なく市場を歩いておられたところ、どこかから「千石先生!」と何度も呼ばれたのだそうです。懐かしい日本語。先生はキョロキョロと辺りを見回しました。でもなぜか、日本人の姿は見あたりません。
「先生」
 もう一度呼ばれて振り向いたら、何と浅黒い肌に現地の服を纏った正真正銘のインドネシア男性が、姿勢良く立っています。先生、ちょっとびっくりして「?」という表情。すると先方は、流暢なご挨拶をなさったのだそうです。
「先生の番組、ワクワク動物ランド、ずっと拝見しておりました。わたくしはその後帰国致しましたが、先生のことは画面を通して良く存じ上げております」
 最近の若者よりも外国人の日本語のほうがよほど綺麗だ、なんてお話しを耳にすることがたまさかありますが、まさにこれは、その説を地で行くようなお話し。先生、いたくご感動召されたとのことでした。
 さて、それからしばらくして、私も感動の日本語に出会いました。それは、夕方の山手線内。話は、一人の台湾男性が私に席を譲ってくれたところから始まりました。
 丁重にお礼を申し上げて座らせて頂いたところ、その男性には女性の同行者がいることが分かりました。なるほど、そんなこともあるでしょう。ところが良く聞いてみると、何とその二人の立っている場所の向こうに、さらに女性4人くらいが立っていて、賑やかに話しているのです。
 ずいぶん大勢様で道中していらっしゃるのね、と思ったとたん、今度は中国本土からの女性軍団5人ほどが、隣のブロックから合流したのです。もう、その辺はワイワイ、ガヤガヤと大変な賑わいになりました。
 ところが何とはなしにその話に耳を傾けてびっくり。初対面らしき彼らは、何とまあ、日本語で挨拶を交わしているではありませんか。
「みなさんはどちらからいらっしゃいましたか? 私たちは上海に住んでいます。今回は出張でこちらに参りました」
「それはそれは。大変ごくろうさまでございます。私たちは、台湾から仕事で参りました」
「まあ、それはそれは。仕事はうまくお運びになりましたでしょうか?」
「はい、おかげ様で大変うまく参りました」
 なるほど。上海と台湾では言葉がまったく違うので、ここでは日本語が共通語ということなのでしょう。私は、何だか日本語講座のスキットを見ているような気持ちで、耳をダンボに致しましたです。
「去年は新潟の地震(中越地震)のとき、わたくしどもも炊き出しを三日致しました」
「それはそれは、大変お疲れさまでございましたねえ」
「これからのご予定はいかがなされますでしょうか?」
「明日もう一件仕事をしてから台湾に戻るんでございます」
「どうぞお気をつけて。宜しければ、”お名刺”など差し上げても宜しいでしょうか?」
「ええ、ぜひお願い申しあげます。わたくしどもの”お名刺”も差し上げて宜しいでしょうか?」
「はい、ぜひお願い致します。またどこかでご縁がありますかもしれませんですから」
「はい、お仕事のご縁あるかもしれませんですね」
 どんな”お名刺”なんだろう。思わず横から手を出してしまいそうになるのをぐっと堪えてさらに耳ダンボ。
「今度ゆっくりお話ししましょう」
「そのようにしましょう」
「台湾にもぜひお遊びにいらっしゃってくださいませ」
「ええ。上海にもぜひおいでになってくださいませ。ツァイチェン」
「シェーシェー」
 こうして、上海組がまず降りていき、次の駅で台湾組が降りていきました。
 何気ない会話でしたが、人と人が出会う場面に立ち会うというのは、なかなか珍しい経験ではないでしょうか。私は何とも爽やかで嬉しい気持ちになって、にっこり微笑んでしまいました。外国で、仕事にもつながりそうな嬉しい出会いが生まれ、楽しく会話が弾む一部始終を聞かせてもらえたことに、他人事とは思えない喜びが沸いてきたのです。そして、その会話のあまりの見事さに、彼らが電車を降りた後で、思い出せる限り会話を書き留めたのでした。
 それにしても、これだけきちんと使ってもらったら、日本語も本望というものでしょう。たとえスキットのようだとしても、美しい日本語はやはり美しいものなのだと、このときつくづく思いました。と同時に、こうして言葉を大切に話しているみなさんの美しい心に、深く敬意をおぼえたのでした。
 いま思い出しても、日本人として「大切に日本語を話してくださって、シェーシェー」とお礼を申し上げたくなってしまうのでございます。
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びっくりしたなモー、のお話  2月6日

「私、麻由先生みたいになったらどんな風に音が聞こえるのかと思って、先週、駅から目をつぶって家まで歩いて帰ってみたんです」
 佼成出版で『幸福の羽音』を執筆していたとき、担当の編集者がびっくりするようなことを言い出しました。おいおい、杖をもたずに晴眼者がいきなり"sceneless"になろうなんて、もし車にでもぶつかったらどうするの、と言っても時すでに遅し。
「大丈夫。主人に一緒に歩いてもらったんです。そうしたらね。車の音がものすごーく近く聞こえて、とーってもこわかったです。麻由先生はいつもこんな音を聞きながら歩いてらっしゃるんだあって、改めて感服しちゃいました」
 いや、まあ、そんな、感服されるほどのことはないんですがね。しかし、この方が私に寄り添ってくださる心の細やかさと感性の豊かさは、単に良い編集者にめぐまれたという仕事の領域を超えて、私の心を強く打ちました。いまでも、私たちは良き友人として色々な話をしています。

 それにしても、いまは良い時代になり、白杖片手に歩いていると、以前に比べてずいぶん多くの人が助けてくださるようになりました。ただ一方で、せっかくの親切と感謝がお互いに空回りしてしまうケースも増えていて、実はいま私が登録している"sceneless"のメーリングリストで「手助け・声かけの方法」について、ちょっと盛り上がっています。
 そこで今回は、私が日頃思っている白杖使用者への援助のこつと、皆様に知っておいて頂きたい"sceneless"歩行のポイントを簡単にまとめてみることにしました。

ポイント1 声かけは、早めに前方から
 あるとき私が階段を下りようとしていると、突然後ろからおじさんが「危ないですよ!」とべらぼうに大きな声を上げました。昔「コラおじさん」という悪戯番組があって、後ろから「コラア」と叫んで通行人を驚かせていました。あれ私、大好きなんですけど、"sceneless"にこれをやっちゃあいけません。
 私たちは基本的に、歩いているときには全身をアンテナにして、下手をすれば勉強中や仕事中以上に集中しています。特に階段やエスカレーターに乗る瞬間に、突然「危ないー」などと叫ばれたら、誰だってびっくりしますよね。私たちも同じように、いや普通の何倍もびっくりします。そしてたいていは、そのショックで振り向いたりドキッとしたりして、方向感覚を失い、あらぬ方向に繰り出したり階段から落っこちたりするのです。私はそそっかしいので、この「危ない」で何度落ちかけたことか。階段ならいいが、駅のホームや車道なら命がけです。
 まず知って頂きたいのは、"sceneless"が歩いているだけでは別に「危ない」わけではないということ。変な方に歩いたら危ないんです。意味もなく「危ない」と叫ぶことは、せっかくの親切が伝わらないばかりか、実際には存在しない危険があるのかという誤解を与え、かえって「危ない」のです。
 そこで、声かけをこんなふうに工夫して頂けると助かります。
ア。まず本人の横または斜め前に回ってください。
 けっして立ちはだかったりしてはいけません。ましてや前を突っ切ることはぜったいに止めましょう。白杖を蹴って壊してしまう可能性がありますし、当人がそこから一歩も動けなくなります。
イ。それから「お手伝いしましょうか」とか「どこどこまでおつれしましょうか」と、本人の意思を確認しましょう。
 ここで大切なのは、ノー・サンキューと言われたとき、やたらに傷つかないこと。みなさんだって、手助けを断ることあるでしょう? 特に、慣れた道で集中すべきポイントでは、かえって一人で歩くほうが安心できるときもあるのです。私たちは、困っていることも多いのですが、困ってないときもあるんです。このことを、普通に想像して頂けるとありがたいと思うのです。

ポイント2 杖には振れずに手を出して
 あるとき電車に乗ろうとしていたら、おばさんが「ちょっと、あなた、大丈夫? 危ないわよ、電車なんだから」と言いながら、私の右腕をむんずとつかみ、さらに白杖をガッチリもった状態で、体で私の背中をおしてくれたことがありました。
 電車なんだからって言われても、乗らなきゃ帰れない。このときは慌てました。
「や、止めてください」
 軟派されたわけでもないのに、思わず叫んでしまいました。ご親切には感謝感激なのですが、これは一番危ない援助の方法、というか、ぶっちゃけた言葉でいえば危険行為なのです。
 もうお分かりですよね。まずおばさんは、声かけのタイミングを間違えました。乗り降りや昇降の瞬間に声をかけるのは最も危険です。しかも、いきなり体に触れると、バランスを崩して大怪我をするかもしれません。第一、大人として失礼ですよね。
 こんなときには、早めの声かけをしてから、「白杖(または盲導犬のハーネス)を、”もっていないほうの”」手に、ご自分の腕を差し出して「つかまらせて」ください。身長によっては肩でも良いでしょう。とにかく、こちらに歩行の主導権を与えてほしいのです。けっして、目の役割を果たしている白杖には触らないこと。白杖やハーネスをもっている手はアクティブな状態にありますので、
「けっしてそちらの手をもって動きを制限しないこと」がポイントです。

ポイント3 さよならまでは会話を
 私たちは声や抑揚で、いま手を引いてくださっている人がどんな方か、どのくらいまで何をお願いできるか、どこでお別れしようかなど、いろんなことを判断しながら助けて頂いています。会話は、その判断の良いヒントになりますし、会話ができると素朴に安心なのです。
 でもね、よくこんな会話をする方がいて、ときどきしどろもどろしてしまったりして。
「歳はいくつ? お母さんはご健在? お仕事は? お住まいは? 職場はどちら? 生まれつき見えないの? 少しは見えるんでしょう?」
 大阪のおっちゃんだったら「ほっとけ、アホ」とか言っちゃうかもですね。関心をもって頂けるのは嬉しいのですが、大人としては話題を選びたいところ。
 特に大事なことは、障害者は「子供」ではないということです。援助して頂いてはいても、私たちは一人の人間ですから、ここはお互い、大人としてTPOに合った話題を、”きちんとした敬語で”提供し合うというたしなみを持ちたい気がします。
 ときどきお会いするOLさんは、会話の達人です。
「いま、美容院のティッシュを配っていますよ。一緒にもらってみます?」
「前のお店、パン屋さんからおにぎり屋さんになったみたい。メニューはね、ジャコ山椒とかありますよ」
 こんなふうに、私たちが一番ほしい「街で見える情報」がちょっぴり入っていて、お互いのプライバシーには立ち入らず、共に笑顔で話せる話題があれば一番ではないでしょうか。

ポイント4 きちんとさよなら
 これ、意外に難しいみたいですね。自動改札のように一瞬手が放れるとき、私の経験だと半分もしくは5人に2人くらいは、さよならもお礼も言えずに自由解散になってしまう気がします。
 慣れた道ならそれでも困らないのですが、本当はこれも避けたいパターンです。ときには、「あなた、階段は危ないからエレベーターにしなさい」と、知らないエレベーターに乗せるやいなや「それじゃね、気を付けて行きなさいヨッ」と意気揚々と去っていく方もあったりして。
 ヨッと箱に放り込んだらさようなら、って、放り込まれた方はほとんどパニック状態です。下りてみたら未知のビルの何階かで、結局さらに何人かの方の手を借りて、慣れた階段に戻ったなんてこともあるからです。
 問題が、援助してくださる方と分かれた後に起きるだけに、いささか後の祭の気味が・・・。
 さよならのポイントは、本人が確実に知っている場所かどうかを言葉で確かめること。本人が慣れていない場所で離れるときには責任をもって次の援助者にバトンタッチして頂けるとありがたいのです。

 何だか注文の多い料理店みたいになってしまいました。でも、こりずにどうか、愛の声かけをお願いできれば嬉しいです。声をかける前に、本当に相手が困っているかどうかを判断するために「見守る」落ちつきも好ましいでしょう。
 実は私も、いつも助けて頂くばかりではなく、たまには誰かのお役に立ちたいなあと思いながら歩いている一人です。
 それではみなさん、街でお会いしましょう。
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エキセントリック初詣  1月7日

 皆様、新年明けましておめでとうございます。昨年の応援、心より御礼申し上げます。本年が皆様にとりまして素晴らしい年となりますように。本年もズズズイーッと宜しくお願い申しあげます。

 さてさて、一月ですから景気良く初詣の話題から、と思って、行ってきました。〆て五ヵ寺社。行きすぎ? 実は、その中にとってもへえーんな初詣があったのです。今年がこんなにエキセントリックな年にならないよう祈るばかりです。では、まずはオーソドックスな初詣から。
 大晦の夜、風邪の抜け切れない私は何となくお布団の中で温々しておりました。紅白歌合戦で白組が勝ち、静寂モードの「行く年来る年」が始まったとたん、近くのお寺から高き低きの梵鐘がゴーン、カーン、氏神様のおられる小さな神社でドン、ドンドンドンと太鼓が鳴り出しました。それを聞いていたら、久しぶりに除夜の鐘がつきたくなり、ムックリ起き出して両親を誘ったのでした。
 最初に訪れた石神井の禅定院は、普段はなかなか入れない格式ある禅家の御寺。入り口近くには、ここに隠れキリシタンがいたことを示すと言われる「キリシタン灯篭」があります。変形十字と、マリア様を思わせる輪郭が掘られているのですが、パッと見ただけではなかなかそれとは分からないのが味噌。
 ここでは、何と来た人みんなが除夜の鐘をつけるようになっていました。鐘番のお坊様もおられず、おそらく時間で区切っているのでしょう。みんなが願いと祈りを込めて自由闊達につくことができます。私ももちろん、ゴーン。一人一打できる除夜の鐘とは贅沢な。でもね、みんなったら鐘の余韻が終わらないうちにジャンジャンつくものだから、鐘が息継ぎできずにちょっと苦しそうでした。あれはぜ〜ったいに百八つ以上ついているに違いない。あんまり衝かれて、皆が帰ったあと鐘が一人で踊っていたりして。ユラユラ。
 そこから少し離れた道成寺は、小学三年生のときに参加したスイミングクラブのキャンプで私の班の班長さんだったお姉さんのご実家です。そのご縁で、私たちは毎年ここにお参りしていました。班長さんが達磨さんを売ってくれたこともありました。
 あれから幾年。さすがに班長さんはおられませんでしたが、父上がご健在で、ごくろうさま、長らくでしたねと優しく声をかけてくださいました。バイクに乗って檀家の法事に突っ走るモダンなお坊さんも行けてますが、「みなさん、私語を謹んでください」と活を入れながら何十年も鐘をつき続けている父上には、オーラを感じます。
 除夜の鐘は煩悩を払うという仏道修行。私たち一般人は、お寺のご厚意によってそれに参加させて頂いています。ですから静かな心で合掌し、襟を正して鐘をつき、そして必ず御仏にお参りしなければ修行は完成しません。小さい子が全身でついた鐘が、コホ〜〜ンと優しい音を立てていました。
 ところで、私たちと一緒になった中学生の女の子二人は、お賽銭の場所が分からなくて適当に列んだら鐘つきの順番札をもらってしまったそうで、私たちに番を譲って「お賽銭の場所」に行こうとしていました。それを引き留めて、せっかくのご縁だからと一緒につくことにしたのです。
「お賽銭って、五円玉じゃないと駄目なんだっけ? 一つはあるけど」「あとは十円でもいいらしいよ。十五円だと充分ご縁があるって。私は五円玉ないから、一円玉五枚じゃ駄目かなあ」
 そ、そういう問題じゃあ・・・。この分では「あのー、私百円玉しかないんですけど、お賽銭は十五円にしたいんでおつりもらえますか?」なんて寺に掛け合っちゃうかもね。いやあ、初笑いさせて頂きました。
 三カ所目の井草八幡では、物々しい警備と刺すような寒気のなかお参りのために小一時間列びましたが、大好きな阿川佐和子さんとメールなど交換していたので心はポカポカ。
 そして三日、我が初詣はいよいよ最後の山場と相なります。目的は、鷽替(うそかえ)えのウソを買に上野の五條天満宮へ行くことでした。鷽替神事は普通決まった日に行われるのでなかなか行けません。ところがここは、神事のだけでなく三が日もウソが買えるのです。前に福岡の太宰府天満宮で買いましたが、小鳥好きとしては東京のウソにもあやかりたい。
 というわけで、鳩と雀で賑わう上野公園内の五條天神についてびっくり。JR上野駅から行くと、天神様に行く前に花園神社に入ってしまうのです。
 せっかくなのでお稲荷様にも商売繁盛を祈ることにして、まず茅の輪をくぐりました。災厄から身を守ってもらえるのだとか。正面からくぐり、左右から交互に回り込んで三回ずつくぐる「八の字くぐり」が正式。ううん、ちょっと目が回るう・・・。
 しかも目の前では、熱心な稲荷信者のおばさま十人ほどの団体が祈祷の真っ最中。まず揃って柏手。それも、パンパン、パンパンと速めに二回打ちます。そして先唱が「ナム花園稲荷大明神」と唱えると、みなさんがそれを数回繰り返します。それから先唱は「キリ・何とか・ソワカ」と不思議な経文を唱え、みなさんはそれを十回くらい唱えます。それからまた柏手を打ち、右手の人差し指と中指を立てて宙に三角のような十字のような印を結びながら、エイ、エイ、エイとかけ声をかけるのです。それを見ているだけで何やらに取り憑かれたような気がしてクラリ。それが終わると祈祷終了らしく、「ありがとうございました」と唱和します。その真剣さときたら、まさにお狐様を呼んでいるとしか思えません。なんだか一帯に妖気がただよってきて・・・あれえ、いよいよめまいが・・・。来てる来てる、ぜったい来てる。コーン(来ーん)なのに来てる、って何だそりゃ。
 くらくらしながらお稲荷様にお参りし、ようやくたどり着いたのが五條天神の受け付け。ここでウソを受ける(買う)のです。ご案内の通り、鷽替のウソはもちろん本物ではなく、木で彫った個性豊かな小像です。
 五條天神には、頭に金紙を貼ったのと銀紙を貼ったのの二種類のウソがいます。名前は忘れてしまいましたが、足のついた大きなお盆に紙の袋に入ったウソたちが並べてあり、そこからくじのように選びます。金紙のウソは特に御利益があるのだとか。私はどなたかに差し上げようといくつか買いましたが、どれも銀紙でした。差し上げた方、ごめんなさい。でも銀紙のウソちゃんもしっかり守ってくれるのですから、がっかりすることはありません。
 翌日、仕事始めで出社したので五カ寺社で初詣した話を二人の外国人同僚に語ってみました。イギリス人のおじさんは「へえ、面白いね。楽しむためにお参りするんだー」とジェントルマン・スマイル。んー、そう単純でもないんだけど・・・。
 一方アメリカ人の兄ちゃんは「巡礼じゃないのになんでそんなにたくさん行くのさ? だいたい、お祈りにお金が要るなんて、おれは嫌いだね」と、なぜだか真剣に憤慨しておりました。何でも、日本人の奥様と子供の宮参りに行って「お納め」を願われたことが尾を引いているのだとか。ではどんな正月だったの? と聞いてみたら
「ワイフの郷の釧路に行ってたさ。しばれたから家にこもってたさ。家の中は暖かくていいっしょ。東京の家はしばれるもんな」
 と、完璧な北海道人の口振りをバリバリのメリケン英語で話してくれました。
 それにしても、上野特有の湿気のなかでお狐様の妖気に当てられてしまったようで、何ともエキセントリックな幕開けでした。負けないゾオ。お互い良い年となりますように。
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