三宮麻由子の箸休め
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麻由子のリトルエッセイズ

2007年1月〜 目次
出初式のビーム  1月24日
「探索君」登場 1 「探索君」に出会う  3月1日
絵本を触りに  4月11日
「探索君」登場 2 「探索君」との試練の道のり  4月23日
「探索君」登場 3 新しい世界へ  6月4日
王子様のお成り  7月9日
舌を噛まないようにお読みください  8月8日
古本祭探訪記  9月16日
空薫に挑戦  10月1日
力のある水  11月12日
冬こそ花を  12月9日


2009年1月〜
2008年1月〜12月
2007年1月〜12月
2006年1月〜12月
2005年1月〜12月
2004年1月〜12月
2003年7月〜12月
2003年1月〜6月
2002年


恵方巻?を食べました  2月11日

 ちょっと時期がずれてしまいましたが、昨年の生姜市に続き、今年は節分の季語にも目を光らせ、ついに恵方巻をゲットしました。関西が発祥と聞いていますが、関東の片隅で恵方巻という錦の御旗を掲げたお品を本気で手に入れたのは、これが初めてでした。

 ご存じのように、恵方とは、陰陽道によってその年の歳徳神が御座すと決められた方角で、2008年は南南東ということでした。この恵方に向かい、節分の夜に太巻き寿司を黙ってまるかじりすると、その年は福が訪れるとか、願いが叶うと言われているそうです。江戸末期から明治にかけて、大阪商人が商売繁盛を願って始めた風習だとか、昔の武将が「節分の夜の太巻きまるかじり」をやったらよいことがあったとか、由来はいろいろあるようです。ともあれ、関西が始まりのこの習慣、「まるかぶり」というのが本当のようです。それも、包丁で切ると「縁を切る」ことになるので、一人一本を、それも話をすると福が逃げるので「だまって」まるかぶりするのだそうです。

 さて、恵方の謂われも方角も突き止めたからには、あとは「物」を調達するしかない、ということで、たまたま前日の二月二日にデパートで買い物する用事ができたので、うわさに名高いデパ地下の有名な恵方巻を視察してやろうと、乏しいお小遣いを少しだけ財布に移して、いざ出陣したのでありました。

 ところが驚いたことに、張り切ってデパ地下に乗り込んでみると、「恵方巻」の看板がどこにも見あたりません。明日は待望の節分。「恵方巻って、セブンイレブンの広告で初めて知った」と豪語する関東者の友達が複数いるぐらいに、この風習はお店のみなさんと切っても切れない縁があるはず。それなのに、そのお店のメッカともいえるデパ地下に「恵方巻」のエの字も見あたらないとは、これまたいったいどうしたわけのものなんでしょうか。
「恵方巻は明日ですから、きょうはありませんよ」
 恐る恐る店員さんに聞いてみたら、何とも冷たい声のお返事でした。言外に「何さ、わざわざ恵方巻を買いにくるのにそんなことも知らないのかしら」という挿入句がありありと聞こえたような・・・。「すいませんね、教養がないもので」とこちらも言外でお返事してデパートを後にしかけたそのときです。
「福巻き〜、福巻き〜、美味しい福巻きいかがですか〜〜?」
「これ、要するに恵方巻なんじゃないの?」
 どうしても「恵方巻」じゃないといやだと、だだをこねている私に、付き合ってくれた母がすかさず宥め節。
「でも、恵方巻って書いてないもん」
「明日食べれば恵方巻になるわよ」
 もお〜、母はこういうのが得意なのだ。そりゃたしかに、福のある太巻きなんだから明日食べれば恵方巻になるでしょうけど、しかし、それでは意味がない。それでいいなら、何もお店だか通勤電車だか分からないほど混み混みのデパ地下を隅から隅までさまようことはないのです。やだやだ、代用品じゃやだあー。

 とはいえ、翌日の三日は大雪の予報。たとえ福巻きでもなんでも、いま買っておかないと明日本物の恵方巻を買いに出られる保証はありません。しかたなく、とりあえず「暫定合意」で手を打つことにして、私は「福巻き」なるものの購入に、思いっきり渋々承知したのでした。

 噺家の古今亭菊之丞師匠が何年か前に恵方巻を買い求められたとき、包みに方位図と可愛らしい方位磁石が付いていて、いつでもどこでも「本物の恵方巻」が行えるようになっていたのだそうです。私は寄席でその話を聞いて、恵方巻を買うときにはぜひともその「可愛らしい方位磁石」付きのがほしいと思っていました。福巻きじゃいやだとごねたのも、そのせいでした。でも、致し方なし。雪の予報に挫けて福巻きを買った私たちは、二人でも持ちきれない大荷物に埋もれるように家路に着いたのでした。

 さて、いよいよ「そのとき」がきて、私たちは恵方巻、いや、福巻きの包みを開けました。するとどうでしょう。
 たしかに「恵方巻」とは書かれていないけれど、包みにはしっかりと方位図が付いているではありませんか。しかも「恵方巻の由来」なる仰々しい説明もばっちり書いてありました。

 結局、二日の夜には「恵方巻」とはいえないので福巻きとか呼んで売っているけれど、これは正真正銘の恵方巻だったのです。磁石こそなかったけれど、方位図には「恵方、南南東と」と、でかでかと印が付いています。

「では、いただきましょう」
 ところが、ここでまたしても問題が・・・。南南東は、私の席からはほとんど真後ろに当たるのです。ということは、座ったまま首を180度捻ってまるかぶりするか、もしくは屋台風に立ち食いでいくか。
 考えた末、私は重たい太巻きを両手で抱え、座ったままエイヤッ!と首を捻り、不精な恵方巻かじりに入りました。武将が食べたんだから、不精してもいいではありませんか。というのは、ちと無理ですな。
 それにしても、太巻きとは聞いていましたが、実際に食べてみると、その大きいの何の。輪切りにしてある太巻きだって、こんなに太くはないでしょう。ご飯を少な目に入れて作るのがこつだとかテレビで言っていましたが、少なく作ってもこれだけあれば、軽く一膳半は行っていることでしょう。それを「だまってまるかぶり」するのです。苦しいったって、もう、その夜には寿司の妖怪におっかけられる夢をみそうなほどでした。

 家族全員、無言でハアハアいいながら太巻きと格闘しました。なんだか重苦しい雰囲気さえただよっています。誰も喋らない食事は、福が訪れるどころか何かよからぬことでも起こったときのようです。

 それでも、どうにか食べ終わり、これで福が訪れる、やれやれとため息をついたのですが、後でさらに調べたら、この恵方巻というのは、食べながらちゃんと願い事を念じないと駄目なのだそうです。そんな余裕、なかった!!願い事なら五万とあったのに。数十円のお賽銭で叶えてもらうには申し訳ないと思って「次回」に周り回った願い事が、在庫の山になっていたのに。

 まあ、それでも「福がきますように」という気持ちで、がんばって「だまってまるかぶり」したのだから、それに全部織り込んだということで、歳徳神様、宜しくお願いします。
 モグモグ、ゴックン。ああ、今度は熱いお茶がこわい。
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生姜の取り持つ縁かいな  1月28日

 皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 さて、今年の初リトルエッセイは、風流に俳句のお話です。

 昨年の九月、私は芝大神宮の「だらだら祭り」に行こうと思い立ちました。これは「生姜市」と呼ばれるお祭りで、二年に一度、九月の半ば、十日間あまりにわたって行われます。お祭りにしては長いので、だらだら祭と言われているのです。
 これが俳句の季語になっているのです。今回行かないと再来年まで行けない。だからぜったい!と強い決意を固めたのでした。それが不思議な運命?の始まりでした。

 私が行けたのは、最終日の前の日。でも生姜市というからには、行けば少しはお店が出ているのかと思ったら大間違い。お店どころか生姜の陰も見当たりません。そこで、とりあえずお参りして社務所にうかがってみたら、なんと、そこにヒッソリと生姜が売られていたのでした。大きな絵馬を掲げ、香り高く束になって、八百円也。
影祭とて一軒の生姜市 今井千鶴子
 それを買って、高浜虚子以下三大の俳人による句碑など見学し、さらに狂言の自己紹介ではないけれど「この辺り」を一回り見学しようと石段を降りていくと、大変高貴な翁がホースで水を巻いておられます。ご挨拶をすると、その方は水を止めて驚くべきことをおっしゃいました。
「あなたは俳句をなさるのですか」
 一瞬、人相でも見られたかと思いましたが、碑のところで立ち止まっていたのでもしやと思われたのだそうです。翁は、大神宮の勝田勇宮司でした。溢れるように俳句が次々と出てきます。さすがに教養の深い方だとお話に聞き入っていると、さらに驚くべきことが・。
「星野高士先生が、ここで毎月句会をしておられますよ。よかったらいらっしゃいませんか?」

 星野高士先生といえば、高浜虚子の直径の子孫で、俳句界では押しも押されぬ重鎮でいらっしゃいます。そんな方の句会に私などがチョロチョロうかがえるものなのか。しかし、宮司のお導きにより高士先生の句会「薫風会」に出席できることになったのでした。

 ここの句会は実にユニークです。多くの句会では、まずそれぞれが持ち寄ったりその場で作った句を短冊に書き、短冊をごちゃ混ぜにして数に分けて正記用紙に書き取り、自分の好きな句を選句します。
 選句ができたら、係の人または主宰が、集めた選句用紙を読み上げ、自分の俳句が読まれたら名乗りを上げます。ところが高士先生の句会では、選句を読み上げる前にそれぞれが選んだ「特選」を順番に読み上げ、選んだ理由を述べます。このときはまだ名乗らず、先生がこの句を取らなかった(選ばなかった)人を指して「いただかなかった」理由を述べさせます。ここで作者は、密かに厳しい評価に甘んじるわけです。
 そしてようやく、選句が読まれ、名乗ります。もちろん「無選」ということもあります。この読み上げが一番ドキドキするのですが、驚くのは、先生が大変なポーカーフェースで、実に巧みにこの高度なゲームをこなされるのです。
 「この句はどうも普通だねえ」などといいながら、蓋を開けてみれば特選に選んでおられたり、とても褒めておきながら並選にも入らなかったり。名乗らないで評を言い合うので当然ご自分の句に対しても「いただかない理由」が述べられるわけですが、このときも先生はお茶目に「そうだねえ、これはよくないねえ」などと言ってのけられるのです。最初のころはそれを信じて他の人の句だと思い込んだりもしましたが、だんだん分かってきました。この句会では、ある種の心理ゲームもプレーされているのでした。

 まだ日の浅い私ですが、先生の特選に入れていただいた句がありますので書いてみます。
大綿を潜りて北の人となる
 これは、リトルエッセイにも書いた昨秋の函館旅行の句です。「綿虫」が宿題になっていたとき、冬間近の北海道を旅できたことはまさにラッキー。大学受験のお礼参りに高幡不動に行ったら、前段が多すぎて閉館時間に間に合わずお堂が閉まっていたあの日以来、神社のほうとはあまりご縁がなかったのですが、ひょんなことから大神宮様が再び愛の手?を差し伸べてくださったようです。

 このときのご縁を詠んだ句「生姜市不思議な出会いありにけり」は、私が同人にしていただいている大木さつき先生の結社「浮巣」の作品集で、巻頭に掲げていただいてしまいました。
 そうそう、買った生姜はざく切りにして、甘酢に漬けました。新生姜ならではの味です。だいぶ気が早いですが、まだの方はこの秋お試しください。  もうひとつ、そうそう。この生姜市では、可愛い提灯のほか、女性が衣装箪笥に入れておくと衣装が増えるという「千木箱」を買いました。千木箱は、昔の衣装箱の形をした小さな木箱が重なったようなものです。三段の円筒形の箱が蓋を挟んで重なり、上下が藁で縛ってあります。箱の側面には、手描きで小花の絵があり、中に縁起のよい大豆が入っています。振るとカラカラと可愛い音がするのでした。

 そんなわけで、今年も私の宿題は増える一方ですが、いただいたご縁は大切にしたいと思います。そして皆様とも、よいご縁がありますように。
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冬こそ花を  12月9日

 いやはや、今年もいろんなことがありました。皆様にとって、今年の思い出はどんなことでしたでしょうか。
 私もいろいろありました。英国のアンドリュー王子様とお話ししたことは、素晴らしい思い出です。しかし最大の出来事は、何といっても「探索君」に出会ったことでした。彼との歩行は、私の歩行感をすっかり変えてしまいました。いまや歩くことは、緊張を強いられる苦行から楽しいゲームに変わりました。知らない道をこわがらずに歩ける日がくるなんて、考えたこともありませんでした。
 ところで、私は毎年、お正月にやったことが一年のシンボルのようになるという不思議な経験を何度かしています。そして今年のお正月、リトルエッセイのタイトルを思い出してください。そうです。「出初め式のビーム」でした。探索君のビームと出会ったことと不思議な縁を感じてしまいました。

 さてさて、今年最後のリトルエッセイは、お花のおはなしです。おっと、洒落のつもりじゃなかったんですが。
 私にとってお花といえば、私を生花の世界に誘ってくれた、当ホームページのデザイナーのhisaeさんがすぐに思い浮かびます。会社の同僚だったhisaeさんは、勤続十年を期に会社を辞め、ホームページデザイナーとして活躍しはじめました。とともに、生花の世界でも次々とプロジェクトをこなし、いまや草月流の第一線に欠かせない一流アーチストです。今年は自らお花のデリバリーも始められ、各界から注目されています。私は、このようないまをときめく方にホームページを作っていただいている幸せを感じながら、かれこれ十数年もおつき合いさせていただいているのです。

 そこで、そんな素敵なhisaeさんに、今年のクリスマスをアレンジするお花の活け方を教えていただきました。

 hisaeさんがよく楽しんでおられるのは、こんなアレンジメントだそうです。まずさんごみずきを4本用意します。そのうち3本を東京タワーのように立ててワイヤーでとめ、あまった一本を小さくきって、東京タワーが安定するようにかすがいの要領で3本の足にとめていきます。つまり、剣山を三つ用意して三本の枝を固定し、上を細いワイヤーで止めるわけですね。そして、さんごみずきの小枝にクリスマスのオーナメントやリボンを飾ると、あらら、クリスマスツリーの出来上がり。さんごみずきの赤い色がクリスマスらしさを演出してくれるうえ、サンゴミズキは購入も比較的簡単なので、ご家庭でもみんなで楽しく活けられる一品です。

 素敵ですね。それに楽しそうです。そこで私も考えてみました。水盤にこの方法で活けておいて、周りにポインセチアの小鉢をいくつかあしらったり、聖家族や天使の置物を沿えてみても、雰囲気が出るかもしれませんね。あるいは、三本の枝にそれぞれ違った小さな花器を用意して、タワーの中心部に小さな置物をおくのも可愛らしいでしょうか。

 あんまり素敵なので、hisaeさんへの日頃の感謝を込めて、今回はhisaeさんのネットショップをご紹介させてください。ちょっとだけ公私混同ですが、クリスマスに免じてお許しを。
楽天市場店がこちら。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/wa-no-hana/
または
http://www.wa-no-hana.com/

ここからご注文いただけるそうです。

 品質は、友人として私が太鼓判を押しますので、皆様、近くはクリスマスやお正月から、ご家庭、ご友人のイベントまで、何かの折にはどうぞhisaeさんのお花デリバリーをご愛顧ください。良き友に代わりまして、お願い奉ります。チョーン(いまのは拍子木の音)。

 今年も、公私ともに本当にありがとうございました。来年も、引き続きお引き立てのほど、宜しくお願い申しあげます。
 来年は、新年早々新刊が刊行されます。そして、力を込めて長文の連載をどんどん書いていく予定です。トップページをお見のがしなく!!もちろん、リトルエッセイも頑張りますのでご期待ください。
 皆様にとりまして、来年が素晴らしい年となりますように。
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力のある水  11月12日

 お相撲さんたちが取り組みの前に勝ち力士からもらうのが「力水」ですが、今回私が触れてきたのは、「力のある水」でした。
 十一月の初め、親友の剛さん、裕理さんご夫妻と北海道の函館に旅行してきました。親友ご夫妻と書きましたが、最初は奥様のほうと仲良しで、彼女が結婚したら彼も仲良しになってくれたため、結果的に二人とも無二の親友となってくれたわけなのでした。思ったことをお互いに正直に話し合えて、調子のよい時も悪いときもお互いに思いやれる関係。それは一重に、二人がとても綺麗で広い心の持ち主だからです。そして、彼らと話すたびに、私は決まって、こういう友達を授かったことに感謝し、人の縁(えにし)の不思議を思わずにはいられません。
 さて、函館旅行は、ある日昼食を食べに出かけたとき、三人とも函館にはまだ行っておらず、しかも行ってみたいと思っていたということが分かって、即座に実行に移されたのでした。まず、裕理さんがとても良さそうなツアーを探してくれました。そして、ご主人の剛さんと私が仕事を休めたので、夢の函館旅行が実現したのです。
 午前10時40分に羽田空港を飛び立った飛行機は、晴天の中を飛んでいたのに大変な揺れでした。こんな揺れは、中学生のとき、初めての海外旅行でヨーロッパに向かう途中、トランジットで立ち寄った香港に着陸したとき以来でした。ジャンボ機の後部に乗ったせいかと思いましたが、機内サービスが途中で終了してしまったところをみると、乗った場所に関係なく揺れていたのでしょう。機体が左右にグイグイと振れ、前方で何やらミシミシときしむ音が。真面目に、あそこから機体がまっぷたつに折れるのではないかと思うほどでした。でもそんなことを考える余裕もなく、今度は機体が大きく下降します。機首は下がっていないので異常事態でないことは察せられましたが、一瞬ながら機体が左に傾きました。風に煽られているのでしょう。

「これって、こわいよねえ」
 裕理さんが確かめるように言いながら、私の右手を両手で包んでくれました。
「うん、こわいと思う」
 なんとなく、このくらいの揺れは当たり前なのかしらと二人で思っていたもので、こわがっていいのかなあ、とお互いに気持ちを確かめ合ってしまいました。で、やっぱりこわいレベルの揺れだと分かると、私たちは揺れが落ちつくまで手をつないでいました。裕理さんは、自分もこわいのに私を思いやって手をとり続けてくれる、そんな優しい方です。
「揺れましても、飛行に障害はございませんのでご安心ください」
 もし異常があっても、やっぱりこうアナウンスするのだろうか、などと思いつつも、やはり乗務員さんがこう言ってくれれば気持ちだけは少し楽になります。もう、何を言ってもどうしようもないのですし、アナウンスの声も揺れていて、実は安心どころかかえってこわいんじゃないかとさえ思えたりもしましたが、とにかく飛行機は飛び続けました。そして、機体はこれまた左右に振れながら着陸し、ポンぽンと弾んでからようやく本気で大地に降りる気になったようで、タイヤが地上を転がり出しました。やれやれ。

 函館空港に降りてみて、なるほどと納得しました。外は摂氏9度。地球温暖化で甘やかされた東京の空気からいきなり北の大地の海風に曝された私には、それでも肌を射すような風に思えました。海の香りがします。その香りは、真っ直ぐな風が一吹きするごとに濃くなったり薄らいだりします。この風では、揺れるのも無理はありません。それにしても、満席のジャンボ機を木の葉のように翻弄する気流とは、大した力持ちですね。

 最初の日、私たちは紅葉の元町とベイエリアの倉庫街を散策し、日暮れとともに最終の見学地、トラピスチヌ女子修道院に向かいました。世界史の授業で「フランスのシトー派修道会、”祈り働け”」と習って必死で暗記した、あのシトー派の修道院です。感この修道会では、ブラザーもシスターも言葉を話しません。特有の手話で意思疎通をするのだそうです。おしゃべりな私には想像もできません。それに"sceneless"にはまず無理でしょう。入会してから光とさよならした会員はどうしているのでしょうか。

 余計なお世話はさておき、実はここで、私は大きな感動を受けました。それは、行かれた方はご存じと思いますが、門を入ってすぐのところにあるマリア像に「探索君」で触れられたことです。「探索君」については、ここ数カ月のリトルエッセイをご参照ください。
 マリア様は、私の背よりも腕一本分ぐらい高い台座の上におられました。うんと背伸びして手を伸ばしても、ようやく足の指先に触れられるぐらいで、その雰囲気を味わうことはとてもできませんでした。そこで、ふと思いついて「探索君」を取り出し、1メートルモードで電源を入れてみました。震えています。まるでマリア様が振動を使って話しかけてくれているようです。「探索君」をゆっくり右から左へと動かしてみると、前面に平らなものがあることが分かりました。
「いま探っているのはケープの裾のところだよ」
 剛さんが教えてくれます。彼はとても静かで口数の少ない方ですが、その言葉はとても的確で、いつも私が知りたいことをばっちり伝えてくれるのです。
 閉門が間近で、写真を撮りたい人たちが次々とやってきてしまい、マリア様とゆっくりお話することはできませんでしたが、「探索君」はもはや、障害物探知機の息を超えて、私とマリア様の通訳までしてくれる優れ物に成長しているようです。あれは育つんですねえ。知りませんでした!!冗談はさておき、こういう御像や墓碑、句碑など、手は届かないけれど杖で探るには申し訳ないようなものは、これまで触れて味わうことを諦めてきましたが、これからは「探索君」を通して、その夢が叶うということが分かりました。マリア様のお告げでしょうか。

 次の感動は、翌日訪れた大沼公園でした。剛さんが、往復約二時間の行程を、安全に運転してつれていってくれたのです。遊覧船で大沼の広さを味わった後、私たちは遊歩道を歩いて沼の水に触れられる場所を探しました。裕理さんには、急峻ではないけれど足下の複雑な遊歩道で私を安全に誘導することで、ずいぶん神経を使わせてしまったようです。けれど、彼女は果敢に誘導を続け、ドングリや楓の落ち葉を拾って触らせてくれ、名前の分からない木があると通りすがりの人に尋ねてまで、いろいろ教えてくれました。

 そのうちに、私たちは深い敷き落ち葉を慎重に踏んで遊歩道を少し逸れ、ついに大沼の水辺に下りることができました。
 大沼というくらいですから、水は沼らしく少し温かく、水底は湿地らしい泥なのかと思ったら、これが大違い。水はあくまで清く冷たく、底はサッパリとした砂泥でした。少し掘ってみると粒子の粗い泥が現れ、さらに冷たい水が溢れてきます。全山紅葉した駒ヶ岳を間近に臨む大沼の水は、富士山麓の柿田川湧水で触れた水よりもさらに冷たいような気がしました。
 そして、その水には何とも言えない力が感じられました。ツルツルと滑らかなのですが、しっかりした質感があります。触れている指先から北の大地のエネルギーがどんどん体内に入ってくるような感じがするのです。そしてそれと同時に、体の邪気がどんどん出ていきます。放電と充電を同時にするとはなんと不思議な、魅力的な感覚でしょう。指を入れているのもつらいほど冷たい水でしたが、なぜか痛くはありません。私はまるで温泉に浸かるように、水から離れられなくなってしまいました。九州の霧島で樹齢700年の杉の木によりかかったときも樹の中に吸い込まれそうでしたが、大沼では久々に、それに近い自然との一体感を感じました。

 辺りには、かつ散る紅葉の甘く乾いた香りが満ちています。遠くでハシブトガラやゴジュウカラが愛らしく鳴き交わし、近くではホオジロが静かな地鳴きでささやき合っています。足下は意外にしっかりしていて、湿原特有のズブズブした感じがありません。すぐ近くを通る遊覧船やモーターボートの波を指に受けながら、私は水の力をできる限りたくさんいただいて、ようやく水面から手を離しました。
「ずっと触っていたいんでしょう」
 二人が笑っています。そう、本当に、この暖かな木漏れ日の下でこの力に満ちた水のエネルギーをずっともらい続けることができたなら・・・。おっと、なんだか危ない雰囲気に・・・。
 旅行を終えてなによりも嬉しかったのは、剛さんも裕理さんも、この旅行がとても楽しかったと言ってくれたことです。一緒に行くとはいえ、実際には私を助けてくれなければならないのですから、それに疲れてはいないかと心配していました。でも二人とも、慣れないフィールドに半日もいたにもかかわらず、楽しい思い出をもって帰ってくれたようでした。

 剛さん、裕理さん、本当にありがとう。こうして、またいつか、あの水に触れに行きたいと思ったのでした。
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空薫に挑戦  10月1日

 空薫(そらだき)とは、どこからともなくお香が薫るように秘密の場所?で焚くという意味と、肝のや神にお香を焚きしめることの二つを意味します。ここでの空薫は、焚きしめのほうでございます。>
 空薫といえば、源氏物語の若紫が、空薫に使う伏籠に飼っていた雀が逃げたといって悲しんだ話しがありますね。

 雀の子を、犬君が逃がしつる、伏籠の中にこめたりつるものを・・・。

 飼ってる若紫はいいけれど、飼われた雀はお香の残り香で眩暈を起こしていたのではと余所毎ながら心配に・・・。逃げたのは自由ほしさだけでなく、お香酔いに絶えられなかったからなのかもしれません。ヨタヨタ、バタバタと逃げていった平安の雀、おかわいそうに。

 平安貴族や大名たちのお香は、それぞれの家毎に違っていて、心得のある人なら、その家の人に近付いただけで「これはこれは、何家の方ぞなもし」と分かったのだそうです。つい最近読んだ「塙保己一推理帳」という本では、武士の夫の宿敵に暴行を受けた盲目の妻が、夫に当てて「さみだれ」という謎の言葉を書き残して自害する話がありました。種明かしはやぼですが、この「さみだれ」とはお香の組み合わせの名前で、結局ここから犯人が特定され、夫は妻の敵を討ってから彼女の後を追うのでした。

 お香を焚きしめた着物を着た人が通った後の残り香を、追い風というそうです。強い香りの香水が溢れている昨今ですが、私は就寝時にときどきエッセンシャルオイルを使うか、外出のときでも極薄い薔薇のオードトワレを着ける以外に、香りのものを着けることはほとんどありません。ただ、部屋ではお香を焚いたりポプリを吊したりして、いろんな香りを楽しんでおります。お香との付き合いや組み香の詳細については、集英社の『ロング・ドリーム』に詳しく書きましたので、そちらもお楽しみください。

 私が一年のうちで一番お香を焚きたくなるのが、丁度今頃、つまり中秋から晩冬にかけて、まさに「つとめて」の季節なのです。ところで「つとめて」とは、またも野暮な説明ですが早朝のことであります。

 さて、つらつら書いてしまいましたが、そんなわけで、今年の秋はずっとやってみたかった「空薫」に挑戦してみました。でも、お高いお道具をお揃えしてやるのではなく、いつ、どこででもできる「麻由子流簡単空薫」を実践することにしたのでした。

 普通、空薫には伏籠(フクロウではなくフセゴと読みます)という専用の籠が要ります。香炉をこの籠の中に入れて籠を伏せ、その上に焚きしめたい着物を被せてお香を焚くわけです。
 でも麻由子流の場合、要るものは香炉とお香と、それに小さな竹籠だけです。なぜ小さな伏籠にするかというと、私は着物でなく、ハンカチ、扇子、手拭などに空薫することにしたからです。扇子など小さなものを逆さにした籠の天井(つまり底の部分)に乗せ、上から広げた手拭やハンカチを被せ、下までスッポリと覆います。これを香を焚いた香炉の上にそっと被せて、あとはいつものようにお香の香りを楽しみます。

 焚きしめるお香には、できるだけ穏やかな香りのものを選ぶことにしました。フランスの薔薇香や中国のミックス香、日本のものでも香水香という名前のお香ももっていますが、身に着けるものにはあまり強い香りは好ましくありません。周りの人に褒められる?前に、本人が先に目を回してしまうでしょう。そこで、ちょっと贅沢に伽羅の渦巻き香を焚きしめることにしました。香炉で焚くお香には、スティックタイプ(お線香型)、コーンタイプ(円錐形)、渦巻き型(ミニ蚊取り線香型)の三つがあります。このほかに、練り香や体に着ける塗り香、炭団に埋めて焚く香木などもありますが、服に焚きしめるには香炉で焚くものを使います。
 さて、出来映えやいかに。

 焚き終わり、伏籠から布を取り除けると、残り香がフワッと立ち上りました。お香の香りはすでに部屋いっぱいに広がっていますが、布の下から現れた残り香は、それよりもやや薄いような、フワッとした面持ちでした。

 ところがです。いざ焚きしめたものの香りを聴いてみると、煙いのです。なんだか、お灸を据えた後のシャツみたい。そういえば、お寺で「すり鉢灸」という祈祷をするそうです。これに行った方によると、頭の上に逆さに釣られたすり鉢を乗せて勤行が終わるまでの約五分間、すり鉢の底に乗せたお灸が燃えている下に、美容院でパーマをかけるときのように入っていると、服が真っ黒になり、煙のにおいでいっぱいになるそうです。すり鉢はいくつもあり、そこでそれぞれにお灸を燃やすために、寺にその煙が充満するかららしいのです。もしかして、空薫をするときには煙避けに紙を挟むとか、何かの工夫が要ったのでしょうか。

 がっかりしてその日を終え、さて翌日。前夜の手拭をもう一度開いて、びっくり。なんと、煙の匂いはすっかり抜けて、ゆかしい平安の?伽羅の香りが江戸前の日本手拭からほのかにただよってくるではありませんか。一晩の間に、香りとはこんなに変わってしまうものなのでしょうか。人も香りも時を経ると丸くなるのかしら?香水は、着けた瞬間からファーストノート、ミドルノート、ラストノートの3段階を経て消えていきますが、お香はこの、煙が抜けた状態がミドルノートなのでしょうか。とすれば、さらに翌日には、もうラストノートとなって香りが無くなってしまうのでしょうか。焚きしめはけっこう大変だったのに、これを毎日のようにやらないといけないとなると、平安貴族の真似っこは相当に骨が折れそうです。

 さらにところが、それから一週間。焚きしめた手拭をかわるがわるバッグに入れて、手を拭いたり汗を拭いたりしてみました。でも、香りはちゃんと残っていました。それどころか、日を追う毎に柔らかく、暖かな香りに変わっていくのです。
 恐るべし、平安からのお香の残り香。
 そんなわけで、この秋私は、手洗いしたハンカチや手拭が何枚か貯まると、扇子と一緒にお香を焚きしめております。根気良く続けたら源氏の君が現れるかも。だって、白馬ならぬ高級自動車に乗ったイギリスの王子様は、本当に現れたのですもの。って、そんなにうまくはいかないか・・・。
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古本祭探訪記  9月16日

 去る九月六日、折しも台風九号が関東を直撃しようと向かってくる最中、私は埼玉県の所沢にあるくすのきホールで行われた「古本祭」に行ってきました。もちろん、一人で行っても本は選べないので、母に付き合ってもらったわけですが、思いの外発見があったので、リトルエッセイズに書いてみることにしました。

 台風が来る前に買い物を済ませたかったので、私たちは少し早めに家を出て、十時四十分ごろホールに着きました。デパートも電気量販店もたいていは十時開店なので、古本祭も十時ごろからやっているのかと思ったら、開始は十一時でした。ウインドウ越しに各書店が出展した本を収めた書棚がフロア一杯に延々と続いている様子が見えるのに、中には入れません。私が小さかったころは開店十分前にもなればすでに開いているお店も少なくなかったのですが、この頃はぴったり開店時間にならないと開かないところばかりなので、しばらく近くのお店など冷やかしてからホールに戻りました。

 エレベーターで八階に着くと、いきなり辺り一面本、本、本です。ドームのような広いスペースに夥しい書棚が列び、そこに本がひしめき合っています。垂直の棚の前に箱型の棚が列び、その中に本が納まっているのですが、そこに入りきれないものは本のまた上に平積みされていたりします。普通平積みはそのための棚があるのですが、ここでは平積みのものが新刊であるわけはないので、とにかく棚に入らないものが累々と積まれているのでした。

 最初に気が付いたのは、匂いが違うことでした。新品だけがおいてある書店では店内にインクと新しい紙の匂いがしていますが、くすのきホールの古本群のなかでは、学校の図書室のような匂いがしたのです。人手を潜った本の匂いというのか、ある種の油の匂いが紙の匂いに混ざっていて、書店よりも柔らかく人間っぽさが隠った匂いでした。

 書店でランダムに本を買いたいとき、私はまず新刊をチェックし、それからほしいジャンルの書棚に行きます。チェックとは、片っ端からタイトルを読んでもらうことです。たくさんあるときには、目に留まったものを発音してもらいます。どのタイトルが読まれるかは付き合ってもらう人の趣味に委ねられますので、必ずしも私の個人的な興味とは一致しないこともありますが、それもまた楽しみなものです。そうやっているうちに面白そうなタイトルが聞こえたら帯の推薦文などを、さらに興味が沸いたら、立ち読みの要領で少しだけ中を読んでもらって、買うかどうかを決めます。

 もう一つ、私が本を買うときに考えなければならないことがあります。それは、その本の朗読をどなたにお願いするかです。年輩のボランティアさんでしたら少し昔の漢字が入っている古めの本や、俳句などをお願いすることにします。若い友達には、ライトノベルや楽しい本、ハウツー物などを選びます。朗読は見かけによらず重労働なので、友達には楽しみも兼ねて読んでもらえるものをお願いしたいと思っているのです。

 さて、書店に場所を戻しましょう。そういうわけなので、私は本を選ぶとき、はたしてこの本は朗読可能かということを考えます。中身をパラパラ読んでもらいながら、本の厚みをそっと手で確かめて、うん、このくらいなら○○さんにお願いすれば三ヶ月くらいで読んでいただけるかしら、とか、これはちょっと厚すぎて朗読してもらっても私が聞き切れないかしら、などといろいろ頭を使います。特に悩むのは小辞典風の物。辞典は何冊あってもいいのですが、朗読は不可能だし、これに限っては全部を音訳することはむしろ労力の無駄になることもよくあります。

 ですから、辞典は誰かに調べてもらうために手元におこう、というように、目的をはっきり決めてからでないと買えません。物を書く人なら、辞典類も衝動買いするくらいでないといけないのですが、ここは"sceneless"のちょっと痛いところです。ただしその代わり、読める本はできるだけ精読するようにして、辞典で得られない「ちょい知識」をがんばって貯金しようと試みるわけです。ときどき「三宮さんは読書家ですね」と褒めてくださる方がいますが、それはかなり下駄を履かせていただいていると言えましょう。古本市で何十冊も本を買うことは、お金と時間と助け人が得られればできます。でも実際、最大の問題はそれを読むことなのですから。

 古本市の楽しみは、いまとは違った昔の本に触れられることです。金箔入りの「漱石全集」や紐綴じの「万葉集」などは、コレクションをしない私は買わずにおきますが、贅沢な装丁の本をヨイショッと手にとって開いてみる感覚はたまりません。昔の本は二重、三重に箱に入っていて、表紙には上品な蝋紙が丁寧に被せられています。本と箱のサイズはまるでからくり細工のようにぴったりに作ってあり、容易には引き出せません。エイヤッとかけ声とともにようやっと取り出してみたら、また箱入りだったりして。ただ本の中身をちょっと見せてもらおうとしているだけなのに、なんだか宝蔵に忍び込んで狙ったお宝になかなかたどり着けずに悪戦苦闘している泥棒みたいな気分になってきます。

 今回一番驚いたのは、寄席、落語に関する本の多くが原価より高かったことです。なかには、原価二百五十円、販売価格は三万円なんていうのもありました。正岡要(いるる)氏執筆の「寄席歳時記」はマッチ箱サイズ、だいたい名刺より一回り小さいくらいのコンパクトな本で、十二ヶ月の暦とともに噺の説明や豆知識などが書かれていました。当時はおそらく寄席で気軽に販売されていたのでしょうが、いまやクリアケースに大切に収められ、一万円で売られていました。噺家さんの著書も、絶版の物が多いだけに大変なプレミアムが付いているようでした。それだけ噺の世界が大切にされていることなのだと思うと、なんだか嬉しくなりました。今度さん喬師匠にメールして差し上げようかしら・・・。

 気が付いたらお昼をとっくに回っていました。平日の昼間、しかも台風もよいなのに、辺りにはすでにたくさんの人がいて、静かにページを繰っています。その音が粛々と書棚の間から聞こえています。その屋根に、台風九号の豪雨が沛然と降り注ぎます。波打つように小やみになり、またどっと降り出します。そのときには、立ち読みで朗読する母の声もかき消されんばかりの轟音になるのでした。

 ドームのなかの書棚を粗方見終わったときには、すでに午後二時半近くになっていました。それでも、とりあえず気の済むまで買い物をし、重たい本の山を抱えて帰路に着きました。早くしないと台風殿が上陸してしまいます。間一髪で家に着いたら、またゴオーッと雨の波がやってきたのでした。

堆(うずたか)き書の山と居て秋灯火 麻由子


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舌を噛まないようにお読みください  8月8日

 俳句や自然観察をやっていると、実に様々な動植物の名前に出会います。鳥の名前をとっても、雀や烏だけではなく、アビ、オオハム、アカエリカイツブリ、コクマルガラスなどなど、面白い名前がたくさんあります。私が一番好きなのは、ホンケワタガモ。漢字は「本毛綿鴨」と書きます。鴨特有のホワホワの羽、それが「本当に毛綿」というのですから、どんなにかホワホワしていることでしょう。この鴨はグリーンランドに棲む鳥で、厳しい自然の中で成熟した羽毛が進化し、羽毛の王様と言われる羽をもっているのです。羽布団になってしまうのはちょっと可愛そう。とにかく、一度触ってみたいものです。

 私は日本の野鳥の名前はかなり知っていると思うのですが、それでも知らない鳥の名前は次々に出てきます。それが植物や昆虫になると、それこそもう、果てしない未知の世界。しかもその名前ときたら、メモリ容量の小さな私の頭ではすぐにいっぱいになってしまうような、大変な名前が目白押しなのです。

 すごいなあと思った最初の名前は、植物のヒメムカシヨモギでした。都内の田園地帯を吟行していたとき、初めて触れた小さな草花です。植物が得意な俳句の先生と歩いていたことは幸運でした。

 植物の名には、漢方薬の効能に基づく名前も多く、たとえばドクダミは十薬と言われます。これは効能が十もあるという意味。地獄の窯の蓋というのはキランソウの別名。利尿効果などによって病気を治してくれるので、人を死から救い、地獄の窯に蓋をしてくれるのだそうです。初夏の湿地に咲く座禅草は、オーラを讃えた仏様が座っておられる姿に似ているのでこう呼ばれます。花を囲むオーラの部分は仏炎苞という特別な名前で呼ばれ、ミズバショウにもあります。里芋科の花の特徴のようです。

 面白いのは、虫にはほかの動物に見立てた名前が多いこと。ナラの木の葉をクルクルと器用に巻いて葉巻状の揺籃を作って、そのなかに卵を産むのは、オトシブミの一種で大きくいうとゾウムシの仲間のドロハマキチョッキリ。これは像さんですね。テングアワフキは天狗のような顔つきだからそう呼ばれるのでしょう。ほかにも、ラクダムシなんていう虫もいるのだそうです。

 難しい名前の王様は、何といっても虫たちでしょう。ヘラクレスとかクロスジアゲハなんていう生やさしいものではありません。クロジョウカイボン、ビロードツリアブ、テングアワフキ、アカスジキンカメムシ。どうです?かなり行けてるでしょう。

 まだまだこんなもんじゃありません。サトキマダラヒカゲ、カイヤドリウミグモ、ヒメマルカツオブシムシ、カマキリタマゴカツオブシムシ、ジャガイモヒゲナガアブラムシ、ウシズラエゴヒゲナガゾウムシ。これではほとんどジュゲムです。

 でも感心するのは、これらの名前は、一度聞けばどんな姿の虫なのか、あるいはどこに棲んでいるのか、どんな暮らしをしているのかがすぐに分かることです。鳥の名でも、たとえばキビタキは黄色いヒタキ(火を焚くときの火打ち石のような声でなく鳥)とか、コムクドリ(小型のムクドリ)のように、姿のよく分かる名前がたくさんあります。が、虫たちの名前は、姿や恰好だけでなく、暮らしが織り込まれているものが多いのが面白いのです。

 たとえば、よく知られているアメンボウは、捕まえると飴のような匂いを発するのでこう呼ばれています。ハンミョウという虫は、歩いている人の数歩前を、まるで案内人のようにピョンピョン先へ飛ぶので、ミチオシエと呼ばれています。

 虫のなかには私たちにとって有害なものもあり、どうしても殺さなくてはいけない仲間も多くあります。しかし本来、生き物同士は命をかけた戦いのとき以外は敵対するものではないのです。あのいまわしいゴキブリでさえも、元はといえば食器(御器)をかじる、つまりかぶりつくので「ゴキカブリ」と呼ばれていました。「御器」とはやんごとなき方々のお使いになる言葉とも聞いたことがあります。それが、明治以後に辞書を編もうとしたとき、担当者がこの名前を誤って「ゴキブリ」と書いてしまったために、ゴキカブリはゴキブリになったというわけ。誤記から生まれたゴキブリ。本人にすれば洒落にもならないことでしょう。

 さてさて、最後はとても美しい名前で締めたいと思います。
 「竜宮の乙姫の元結いの切り外し」(リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ)。読みにくいですが、これは一つの単語です。植物の和名としては一番長いことで知られるこの名前の植物、ご存じでしょうか。
 正解は、アマモです。ヒルムシロ科の海産多年草、つまり海草で、別名にはほかに、ウミヤナギ、アジモ、大葉藻、藻塩草など、いくつもあります。甘藻とも書くそうで、ある人がかじってみたら本当に甘かったという記述がインターネットにありました。私はまだお目にかかったことがないのですが、この名前から想像すると、ずいぶんヒラヒラとたおやかな海草なのでしょう。毬藻と列んで、これもぜひ一度触ってみたいものです。

 乙姫といえば、中学一年生のとき、私は柄にもなく学校の文化祭でやった英語劇"Urashima Taro"で、乙姫様の役をもらいました。なぜだかいつも、「ヘンゼルとグレーテル」の魔女だの、「藁しべ長者」で蜂を飛ばす男の子だの、女の子としては一番やりたくない役回りに甘んじていた私には、乙姫様は大変な出世でした。で、張り切って演じたところ、本番で見事にセリフをすっ飛ばしたのでした。ところが、論旨に影響がなかったために本人も含めてだあれも気が付きませんでした。セーフ!! ポニーテールに冠は被りましたが、元結いの切り外しなんて付けておりませんでした。どっとはらい。

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王子様のお成り  7月9日

 ご案内の通り、私はエッセイの執筆とともに、外国の通信社の日本支局でニュースを翻訳する仕事もしています。今回は珍しく、その会社でのお話なのです。
 ハンカチ王子にはにかみ王子、都電も王寺ということで、日本では空前の王子様ブームとなっております。その最中、私は会社で、何と本物の王子様にお目にかかる機会にめぐまれてしまったのであります。じゃあハンカチ王子が偽物なのかい? と言われるとちと困りますが、つまりその、本当に王家のご子息という意味での王子様にご拝謁を賜ったのでありました。
 5月31日、エリザベス英女王のご子息でチャールズ皇太子の弟君に当たるアンドリュー王子(デューク・オブ・ヨーク)が、実業家の一団を率いて来日された機会を利用して我が社を見学においでになりました。折しも、私は前回までシリーズでお伝えしていた「探索君」とともに、毎日昼休みに会社の周りをうろうろしては、プレゼンテーションのための鳥の声を録音したり、その発表についてアメリカ人の編集長と打ち合わせをしていたころでした。
 いろいろ話しているうちに、プリンス・アンドリューに私の翻訳の仕事風景をごらんいただき、音声パソコンでの翻訳作業をご説明申し上げてはどうかということになりました。そのために、プレゼンは一週間延期され、私は編集部の中で選ばれた何人かの記者さんたちとともに、我が社代表!?として謁見の運びとなったのであります。
 これは、会社にとっても大イベント。私も微力ながら編集部のアピールの一翼が担えて光栄でした。でもそのほかに、私をごらんいただくことで"sceneless"への関心を深めていただけたらという気持ちも抱きました。日本でも翻訳を仕事としている"sceneless"は何人かおられますが、通信社でニュースの翻訳をしているのはおそらく私だけ、しかも我が社でも世界で私だけ、ということは、もし他の通信社に同じような方がいなければ、私はかなり珍しいケースといえます。王子にもそのことをお話ししてみたいと思ったのです。英国では、全盲のデービッド・ブランケット氏が閣僚を務めるなど、"sceneless"受け入れの先進国です。だから私のつたない説明にも、王子はきっと関心をもってくださると信じることができました。
 さて、ここまではすんなりと話が進んだのですが、驚いたことに、お迎えまでの数日間は上を下への大騒ぎになりました。
 まず私は、前日に編集長室に来るようにと言われました。そこで、ご挨拶の仕方やお呼びするときの話し方についてきちんと教えていただこうと思い、質問を用意しておきました。ご承知のように、イギリス王室の方に対しては、むやみに"you"などと話しかけてはいけません。"your magesty, your highness, your royal hiness"というように、王室の地位の高さを讃える形で及びするのです。しかし、私のような野育ちの人間にはそんな言い慣れない言葉が簡単に出てくるわけがありません。ですから、事前に細かく教えておいていただこうと思ったのでした。
「大丈夫。普段の通りにすればいいよ。どきどきする理由は何もない。ぼくなんかはアメリカ人だから、そういうの慣れてないし、ヘイ・ユー、なんて言わなければOKだよ。王子だって実業家として仕事をしておられるのだから、ユーモアもお分かりだと思うよ」
「でも・・・」
「大丈夫。ぼくがローマ支局にいたとき、上のほうのジャーナリストがきて、一緒にローマ法王に謁見したんだ。そのとき、指輪にキスした人もいたし、しなかった人もいたよ」
「教皇様なら、私もお会いして、祝福していただきました」
「え? そうなのかい? それじゃあ王子様でもぜんぜん問題ないじゃないか。何でもないことさ」
 いかにもアメリカ人らしい気さくな編集長です。そして、私から握手を求めても問題ないとまで励ましていただきました。
 しばらくして、編集長から編集部全員に、メールが届きました。
「アンドリュー王子が来社されます。みなさんは、我が社のプロフェッショナルな一面をきちんとお見せするよう、普段の通り仕事に励んでください。しかし、王子が何か質問された場合には、まず立ち上がり、"Thank you for coming, your royal highness"とご挨拶してから、お答えしてください。呼称は"The Duke of York"ですが、呼びかけのときは"your royal highness"。ではじめて、二回目からは二人称でお話ししてかまいません。みなさん、粗相のないようにお迎えしましょう」
 私がいろいろ尋ねたもので、編集長もちょっと緊張されたのかも? そしてその日の夕方までには、会社の廊下や休憩室の絨毯がすっかり新しくなり、自動販売機が一瞬のうちに消えてしまいました。いやはや、思った以上に大変なことなのですね。
 それにしても、"your royal highness"って、みなさん、三回唱えてみてください。その言いにくいことといったら! 仕方がないから、私は前夜、お風呂の中で舌を噛みそうになりながら一所懸命"your royal highness"、"your royal highness"、"your royal highness"と練習し、ついでに起き抜けの回らない口でもだめ押しに"your royal highness"とやってから出社したのでした。
 さて、事前に編集長から知らされていた王子様のご予定と、後からかき集めた目撃情報を照合すると、王子様のご来社は、だいたいこんな運びであったようです。
 まず、王子はユニオン・ジャックの旗を掲げた「大きな車」に乗って我が社のビルの地下駐車場にお着きになりました。「大きな車」というのは、目撃した同僚が車に詳しくなかったため、車種が分からなかったのです。たぶん、すごーくいい車なんでしょうね。当たり前でした。
 それから王子は、会社の応接室でテレビチームが特別に製作した我が社の活動やニュース報道についてのビデオをごらんになり、記者さんたちとしばしご歓談の後、いよいよ編集部におはいりになりました。渉外関係の部署でいくつか質問をされた後、ついに私の席へ。ここまでで、予定の時間を20分も過ぎていました。
 おかげで、私は昼までの翻訳を終えてから王子のお成りまでの20分ほど、座席に固まってじいーーーーっとお待ちしていたため、小鼻の辺りが硬直して顔だけエコノミークラス症候群になったような気分で、黒いスーツの一団をお迎えしたのでました。
「さあ、王子がいらっしゃいましたよ」
 少し前に私の服装チェックにきた編集長が、打って変わった緊張の面もちで私に声をかけました。
 立ち上がると、王子は黙って私の右手を取り、力を込めて握られました。その手はとても大きく、私の右手の指先まですっぽり包んでも、まだ数センチ余っているようでした。長身の王子ですから、お手も大きいのかもしれませんが、それよりも私には、この筋肉隆々の手はきっと、乗馬やアーチェリーのように手を使うスポーツ、もしくはトレーニングで相当に鍛えておられるのではないかと思いました。真偽のほどはまったく分かりませんが、王子様という語感からは想像もできないような鍛錬を経たお手だったという印象でした。
 ところで、私は握手すると、相手の方の身長や体型はもちろん、普段どんな手の使い方をしているかがある程度想像できます。たとえば、前に友達四人が順不同で私と握手して、私が誰の手かを当てるという、かなりしようのない遊びをやったことがありました。そのとき私は、水仕事で鍛えたお母さんの手と、大変な読書料を誇る大企業の役員さんの手を間違えました。そのとき私には、お母さんの手より男性の役員さんの手のほうががっちりしているだろうという先入観があったのです。でも実際には、手を鍛えているのはお母さんのほうで、役員さんは手よりも足や頭を鍛えていたため、私の先入観がはずれたというわけでした。けれども、みんなの感想は「間違え方が合ってるよね」という、奇妙ながらも納得できるものでした。つまり、推測の仕方は間違えたけれど、それに基づく手の状態の判断は合っていたということらしいのです。まあそれはともかく、私はそんな感触判断を駆使して、王子のご様子を感じようとがんばってみたわけなのでした。
 王子は美しいクイーンズ・イングリッシュでお話になりましたが、声は以外に気さくで、ちょっとハスキーな低音が入っていました。私が音声パソコン「かたまる君」について、固まるという彼の特性は内緒にしながら「いまは大変技術が発展致しまして、私にもこのように希望の仕事をいただける時代になりました。調べ者にはインターネットやメールも駆使できますし、翻訳も健常者の皆様と同じようにできるのでございます」と、しゃべりなれない敬語の英語でご説明すると、その言葉が終わるのももどかしく「でもさ、でもさ、どの部分を翻訳するとか、しないとかっていうことは、自分で判断するわけだね? それは大変なことではないか」とか「こんな(不思議なパソコンの)声をちゃんと聞き取れるの? それは誰よりもすごいことだね」などと、矢継ぎ早にお言葉をかけてくださいます。
 その間、王子は私のデスクの左端に腰をかけ、画面をのぞき込んだり私の顔を見つめたり、あちこちに視線を走らせておられるようでした。こちらを向かれると真上のほうから斜めに見おろされる感じになり、下々の私としてはなんだか左の旋毛がムズムズしてきました。
 面会が終わると、王子は「サンキュー。グッドラック!」と言いながら、私の左肩をポンと叩いて、足音も立てずに去っていかれたのでした。
 あああああああ、疲れたーーーー。
「王子様、私もみたよ。でも誰かがお茶をこぼしたから私、バケツと雑巾をもって走っていたところだったから、急いで隠れちゃった。あとね、ビルのエレベーターを全部止めたの。王子様だけのために、一台だけ動かしたのよ。大変な騒ぎだったよー」
 あとで総務部の同僚がくれたメールです。ほんと、大騒ぎでした。でも、翌日に編集長がくれた「みなさんには孫子に話せる経験でしたね。対応ありがとう」というメールには、素直に頷ける貴重な1日となりました。
 ところで、その日の夕方には、王子の来社終了を待っていたかのような大夕立が降りました。日本のヒートアイランド豪雨は、王子のお目にどんなふうに映ったのかしら、と思いながらの帰路なのでした。できることなら、ご一緒に写真など撮ってみたかったなあ・・・。

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「探索君」登場 3 新しい世界へ  6月4日

 超音波歩行補助具「探索君」は、前方に何もないときには静かにしていて、何かが現れると歯切れのよい振動で知らせてくれる頼もしいパートナーです。震えは、遠い時にはトトトトトとゆっくり始まり、近付くにつれてドドド、ドルルル、ルルルルル、デーデーデーデー、デデデデデ、というふうに次々と変わりながら速くなり、5センチ手前までその変化が続きます。ほぼタッチするというところで、震えはぴたりと止まります。慣れてくると、この震えを距離に置き換えて物との距離感を掴んだり、震えの手触りでそれが電柱か壁か、自転車のような隙間のあるものかを感じ取れるのです。
 「探索君」登場から二ヶ月。本当に使いこなすにはサンカゲツ以上必要と言われていますが、すでに彼は私にとってなくてはならないパートナーになっています。白杖歩行に何の不便もないと思っていたけれど、「探索君」と歩いてみて、4メートル先が分かることがどんなに便利か、どんなに楽しいかが実感できたのです。
 最初に買ったとき、彼の探知スイッチは4段階に分かれていました。1m、1.2m、2m、4mです。ところが、ちょっとした質問があって製造元にお電話したところ、社長さんが「来月にはバージョンアップするので、よかったら有料ですがやりましょうか」と提案してくださいました。もちろん、早速お願いして、新「探索君」のチップを入れていただき、「探索君」は7段階の距離を感じ分けるようになりました。30Cm、50Cm、1m、1.2m、1.4m、2m、4mです。1m以下の探知は、たとえば目の前のエレベーターのドアや自動ドア、トイレの個室のドアなどが開いているかどうかがよりはっきり分かるために加えられたのだそうです。
 「探索君」と白杖の三人連れになって一番変わったことは、電車やバスで空席が見つけられる確率が格段に上がったこと、それから複雑な空間を物にぶつからずに抜けられるようになったこと、そして何より、信号や角で一歩を踏み出すとき、前に何も障害物がないのを確信できるようになったことでしょう。障害物の存在が分かるのも素晴らしいことですが、目の前に障害物がないことが確信できるのもまた、"sceneless"にとっては同じように素晴らしいサポートです。
 電車に乗るときには、私は「探索君」を50cmモードにして列の後ろからそろそろと進みます。乗ったら混雑の具合によって50cmのままか1mに切り替え、音波発信口を席に向けてゆっくり歩きます。1mのときには、人が座っている席ではデデデと震え、空席に来るとざーッと持続的な震えになります。50cmモードで空席の前にくると、震えが止まります。つまり、人がいれば障害物との距離が近く、空席なら椅子の背中までの距離なのでやや遠くなるために、震えが変わるわけです。
 でも、世の中そううまくばかりはいきません。空席だと思って近付いたらすごーく狭い隙間が空いているだけだったり、人はいないけど荷物がおいてあったために空席の震えになっていたり、誰かが広げている新聞に遮られて空席と同じ「平らなもの」の震えの手触りになってしまい、これまた間違えておじさんの膝にお座りしそうになったり。隙間と空席を間違えたときには、膝に座られそうになった人が見かねて立ってくれてしまったり。これはかなり恥ずかしい、居たたまれません。そりゃあもう、平謝りです。
 感動したのは、昼休みに、なかなか楽しめなかった「散歩」が楽しめるようになったこと。平日は会社務めをしている私にとって、昼休みはエッセイを仕込む絶好のチャンス。さすがに執筆はできませんが、一人のときは構成を考えたりちょいと外に出て世間の様子をうかがったりと、これでなかなか忙しいのです。
 先日は、会社で「それぞれの才能を共有するランチ」というプログラムがあり、探鳥についてプレゼンテーションをすることになったので、ICレコーダーをもって昼休みのオフィス街で鳴いている鳥たちの声を録音しに出かけました。駐車場の入り口を過ぎて公園に入り、噴水を囲む煉瓦の迷路のような隙間を抜け、会社の入っているビルと反対側の道へと抜けました。この間、「探索君」を2mモードにして歩きましたが、何と車はもちろん、漫ろ歩く人々にも複雑な煉瓦にも、一度もぶつかることなく行程をこなせたのです。白杖だけでは、同じ目的を果たすことはできても、ビルの隙間を行き来する20分の散策で一度もぶつからないなどということは、少なくとも私の歩行能力では不可能でした。
 五月の末には、山梨県の西沢渓谷というところで、「探索君」が大活躍しました。
 そこは、軽く舗装された緩やかな山道を笛吹川沿いに進むところでした。同行した友人に「顔の高さに枝があるよ」とか「足下大穴」などと教えてもらいながら、手を引かれることなく悠々と一時間以上も散策ができたのです。森林の薫りに酔いしれながら、オオルリやキビタキの朗らかな声に耳を傾ける余裕さえありました。白杖だけでは、足下や頭上の危険に集中するあまり、たとえ同じ行程を一人で歩けたとしても味わいは少なかったことでしょう。何よりも、手を引く人も私も、二人で歩けばお互いに束縛されることが多くて、長時間の山歩きは人よりも早く疲れてしまいます。それが、このくらいの道であれば一人で歩くことも選択肢に入れられるとなれば、随分と楽になるのではないかと思った1日でした。山道を、こんなに自由に、安心して歩いたことは、本当に希なのでした。
 「探索君」のすごいところは、一度彼と歩いた道は、かなりの確率で次ぎは杖だけでも安心して歩けるということです。西沢渓谷でも、帰りは白杖だけでも同じ余裕で歩けていました。都会では、大の苦手の自動ドアでさえ、「探索君」と何回か通ってそのドアのリズムを掴めば、あとは杖だけで通ってもさほど恐くないのです。開くタイミング、開いている時間の長さ、真ん中の位置などが一度分かれば、あとはドアの開く音だけを聞き分ければよくなるからです。
 いやはや、これからが楽しみです。
 最後に「探索君」と盲導犬の違いに触れておきましょう。大きく二つあると思います。一つは、盲導犬は危険を判断してくれますが「探索君」はしてくれないこと。もうひとつは、盲導犬はつれてでかければほぼ必ず使って歩きますが、「探索君」はつれていっても使わない場合があるということでしょう。
 杖では探れないところを探知してくれるという意味で、両者には共通点があります。でも、犬との絆や微妙な呼吸での危険判断、落とし物を見つけてくれることなど、盲導犬は「探索君」にできないことをたくさんしてくれます。それも、楽しんでやってくれるのです。盲導犬と「探索君」を両方もっていれば、それこそ鬼に金棒、虎に翼なのです。
 一方で、盲導犬と暮らすのは難しいけど、杖だけでは不安という方には、「探索君」はもってこいだと思います。世話が要らない、ご飯はコイン電池一個で、ポケットに入るというのは大きな利点です。白杖に「探索君」、「転ばぬ先の探索君。プラス"sceneless"の第六感があれば、もう恐い物なし、と言いたいが、恐いもの半分ぐらいにはなるでしょうか。まあ、少しぐらい恐いものもないと人間のぼせ上がってしまいますから。
 というわけで、「探索君」との日々は、無事動きはじめたのでありました。どっとはらい。
「探索君」

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「探索君」登場 2 「探索君」との試練の道のり  4月23日

 超音波歩行補助機「探索君」が私の手元にやってきてから早1カ月。最初の予感通り、彼はいまや、私の道行きにはなくてはならない、大切なパートナーとなっています。どんなふうに素晴らしいかは次回に詳しくお伝えすることにしましょう。いえいえ、引っ張っているわけではありません。なぜって、実はこうなるまでに、思いの外苦しい道のりがあったからなのです。

 お試し期間に基本的な使い方をほぼマスターできたと感じた私は、早速新品の「探索君」を手に入れ、包みから取り出すと意気揚々と最初の電池を装着しました。販売店がおまけの電池をたくさん付けてくれたのも、嬉しいサービスでした。新品のパートナーは、まだ誰にも触られていない新しい機械特有の初々しい手触りです。何だか手に取るのがもったいないくらい。
 そんなことを思いながら、早速掌のサイズに合わせて固定バンドの長さを調節し、4メートルのモードにスイッチを入れました。
 震えてます、震えてます。何かが目の前にあることを知らせながら、彼は新品の体をプルプル振るわせて、順調にシグナルを送ってくれています。
 よしよし、何グッドグッド、って盲導犬を褒めてるんじゃないんだけど、しかし、ん? 震えてくれるのはいいのだけれど、どこに何があるんだろう。この道は真っ直ぐで割合に広い所。車が停まっていることもほとんどないし、私の感覚でも何かあるようには思えません。何かあるときには、2メートルくらい近付けば少しずつ気配が分かるようになり、何かあると確信したころに、実物に白杖で触れたりして確認ができます。でも、「探索君」がこんなに震えているにもかかわらず、その気配がありません。そして、歩いても歩いても、何にもぶつかりません。それなのに、彼は忠実に震え続けているのです。震えるといっても、携帯電話のバイブレーションのような激しいものではなく、でこぼこ道でミニカーを走らせているような優しい感触の震えです。感知したものの密度や距離によって、たくさんの震えのパターンがあり、それを体得していくと使いこなせるというわけです。しかし、それにしてもちょっと震えすぎでは?
「前には何もないけどねえ。電池が新しいから感度がいいんじゃないの?」
 後ろからテスト歩行に付き合ってくれている母が言いました。たしかにそうかもしれません。お試し期間のときは、電池が入った状態で機械が届いたので、あるいはかなり消耗した状態で使っていたかもしれません。
 そこで、新品の「探索君」を少し上向きに装着してみました。すると、震えが見事にストップしたのです。試しに水平に戻すと、また震えます。上向きにするとピタリと静かになります。
「道路を感知しているのかもよ」
 母の推測は当たっているようでした。彼の音波は、上下30度、左右15度まで広がる団扇のように発射されているので、発射口から水平な位置にあるものだけでなく、上下左右にあるものも感知できるのです。だから、私の背が小さいために(個人情報ですが身長153センチぐらい)、下方に発射される音波が道路まで届いてしまい、それを振動で伝えているらしいのです。ふん、短足で悪かったわね。あたしゃ、もすこし、背がほしい!!
 でも、装着場所を変えれば彼の角度が変わってしまい、肝心の障害物をうまくキャッチしてくれないのではないかしら。それでは意味がありません。でも、こんなに年がら年中震えていては、障害物そのものの存在が分からないので、これまた意味がありません。
 それからは、毎日いろんな角度で彼を装着しては、広い道、狭い道とルートを変えながら歩いてみました。けれど、元々地面と水平に掌に装着するようにできている機械ですから、それを無理に上向きにセットしてみても、歩いているうちにすぐに水平に戻り、震えが始まってしまいます。すたすた歩けるどころか、角に付くたびに角度を直してばかりで、白杖だけで歩いているほうがよほどさっさと進むといった有り様になってしまいました。しかも、私は手が小さいので、バンドを一番短くしても、彼自身の重みでどんどんずり落ちてしまい、放っておくとするりと手から抜けてしまったりもするのでした。そうこうするうちに、壁際を歩いているときに壁を感知しないようにちょっとだけ外側に彼を向けた瞬間、思いきり電柱にぶつかってしまうアクシデントがおきました。外に向けすぎて、肝心の電柱をキャッチできなかったのです。
 決心してこんなに高いものを買ったのに、どうしましょう。やっぱり私とは相性が悪いのかしら・・・。
「腕時計みたいに手首に付けてみたら?」
 母も一所懸命アイディアを出してくれます。それで試しにやってみますと、たしかに地面を感知することはなくなり、障害物も上手に感じてくれて、事態はだいぶ改善しました。でも、これでは細かい操作ができません。この機械は、掌の中にもつようにできているので、メートルのモード切り替えは左手の指で行うことになっています。だから手首に付けてしまうと、左手の指は届かないので操作はできません。そこで杖をもっている右手で操作するのですが、やはりその都度立ち止まらなければなりません。結局、これでも歩く能率はぜんぜん上がらないのでした。
「もおー、やっぱり早まって買わなきゃよかった」
 私はちょっぴりいらいらしてきました。
「そんなこと言わずに、もう少しやってみたら?」
 たしかに、諦めるのはもったいない。何しろ、うまく作動しているときには、4メートル先の電柱が分かってよけられるし、1メートルモードで駅のホームを歩けば、黄色い点字ブロックの上に立っている人にぶつからずに済み、しかも少し手前から声をかけて避けていただくことさえできるのです。そうすると、みなさん気持ちよく道を空けてくださいます。人混みでなければ電車などのドアが開いていることを確かめたり、改札やエスカレーターの入り口にも確信をもって近付くことができます。そんな場面では、彼はすでに手放せなくなっていました。外国のユーザーからも「手放せない」という感想が寄せられており、その気持ちが少し分かってしまうくらいには使いこなしてきたところです。ここは何としても使いこなしたい。それで、私は更なる実験に入りました。
 手首に付けてはスイッチに指が届かない。さりとて掌に付けると道路を感じてしまう。それなら、その中間の当たりに付けたらどうなるでしょうか。
 そこで、私はバンドの長さを調整して、「探索君」の上の縁がちょうど手首と掌の境目に当たるようにして、親指もバンドに入れて装着してみました。
 するとどうでしょう。私の悩みが一挙にぜーんぶ解決してしまったのです。感知は安定し、ずれて角度が変わることもなくなりました。そして操作も左手で自由自在。コートの袖口が音波の発射口に掛からないように、少し短くまくってあげることだけ心がければ、彼は期待通り、いやそれ以上の力を発揮して、私の歩行をサポートしてくれるようになったのです。(続く)

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絵本を触りに  4月11日

 『そっと耳を澄ませば』の文庫化を記念して、集英社の担当編集者であるIさんと二人で、三省堂本店さんに「視察」に行ってきました。
 二階の新刊コーナー。私の本はあるかしら・・・?
 ありました、ありました〜! 「水滸伝」などという大変恐れ多い本の隣に、ちんまりと、それでもしっかり平積みしていただいてありました。そしてその上には、高々と掲げられたBop。新刊や特集コーナーの本の上に、棒に刺さって掲げてある小さな看板みたいなカード、あれです。今回は、阿川佐和子さんが前に雑誌で述べてくださったコメントを引用させていただき、推薦文を書いてくださった井上ひさしさんの直筆の原稿が載っているのです。本体はもちろん嬉しいですが、このように暖かいお力添えをくださる皆様のお心遣いがありがたくて、私はツルツルした小さな文庫の表紙に触れながら、涙腺がギューンと熱くなるのをおぼえたのでありました。
 さてさて、「視察」が終わったら、今度はちょっとお遊びということで、絵本のコーナーに行きました。Iさんが何やら面白そうな絵本を探してみましょうと誘ってくださったのです。
「最新技術で、絵が触れる絵本があるらしいんです」
 触る絵本? 何だか懐かしい響きでした。ときどきエッセイにも書いていますが、私の母は「触る絵本」を初めて作った世代でした。最初は、私のために作ってくれていたのが、だんだん友達のお母さんたちと一緒に、みんなでさわれる絵本を作るようになったのです。
 触る絵本と一口に言っても、紙を布で包んだ「布のページ」の上に色美しい絵を切り抜いた布をアップリケのように貼り付けたものから、ボール紙に様々な材質で立体的に物の形を作って貼り付けるもの、あるいは最近では発泡インクのようなもので丁寧に描いたものまでいろいろあります。母がやっていたのは、このうちの立体さわれる絵本ともいえるもので、とにかくできるだけ本物に近い材質、もしくは似たような手触りの材料で絵になるものの形を正確に模写したものをボール紙に貼り付け、紐で綴じたものでした。
 たとえば、「玉子を食べて元気になろう」と書いてあれば、本当に玉子の殻を細かく割ったものが貼り付けてありました。「池におっこちました」というところでは、ビニールを水面の手触りに見立ててピンと張って枠にはめてあったし、「トマトが」というところでは、何と本物のトマトの種を干したものが点在しておりました。ツルンとした口当たりと違って、干したトマトの種はザラザラのゴワゴワです。一度お試しください。
 しかし、そんな立体絵本ですから、もとより本の体裁は度外視して作られています。言い換えれば、紐一本で頼りなくつながった図画工作の作品帳みたいなもので、開いたり綴じたりするのには子供心にずいぶん気を遣ったものです。でも、綿でできたフワフワの雲や、切り抜いたボアでできたコロコロのわんちゃんの手触りは、いまも母の愛情の印として私の手の中に残っています。
 さて、三省堂さんには、いったいどんなさわる絵本があるのでしょう。私たちは、胸躍らせて最上階の「仕掛け絵本」のコーナーにまっしぐらに向かったのでした。
 そこにあったのは?
 飛び出す絵本でした。いまはそう呼ばないのかもしれませんが、ページを開くとたくさんの折り紙作品のようなものがボワーッと飛び出す、あれです。
「はい、これ何でしょう。とっても有名な物語ですよ」
 Iさんとクイズごっこが始まりました。
 手に触れたのは、三角屋根のお家から何やらながーいものが出ていて、その先に、紙を縦長に折ったものが4・5枚合わさって、長細い風車のようなものが伸びています。私はその風車を箒の先かと思って「箒に乗った魔女?」と言ってみました。
「ううん、魔法なんだけど、ちょっと違いましたねえ」
 魔法なんだけど・・・そんな物語あったかなあ。浅知恵を駆使して考えてみましたが、咄嗟には思い浮かびません。あっさり降参したら、答えは「オズの魔法使い」でした。ドロシーが竜巻に乗って飛び立つ場面だったのです。つまり、あの細長い風車は、竜巻だったのでした。
 言われてみればなるほどと思いました。竜巻の勢いをプロペラの原理をもつ風車の形で表現したのでしょう。大きな長い風車型の紙細工がページを開くと同時にズバと立ち上がってきたら、さぞかし迫力があることでしょう。でも、私には無理でした。どうがんばっても、あの形から風は想像できませんでした。見ると触るとは、本当に大違いなのです。
 竜巻を憶えた私は、次のページに今度こそ竜巻らしいものを見つけました。垂直に立ち上がった紙を芯にして、下から上へだんだん直径が小さくなるように、円い紙が順番に付いています。作りからいうと、隙間を空けて重なっている円い紙を長い紙で串刺しにしたような、大、中、小の穴空きコインを隙間を空けて紐に通して立てたような感じ。円い感じがいかにも竜巻らしく、しかも直径も変わっていますから動きもばっちり表現できているように思えました。
「残念でしたー。これは、木です」
「木〜!?」
 コノーキナンノキ キニナルキー・・・
 何だか脱力して頭の中で妙な声に乗ったあの歌が流れ出しました。木でしたかー・・・。まあ、落ちついて考えてみれば、竜巻は逆円錐ですから、円い紙で現すとしても直径は上に向かうにつれて大きくなるはずでした。ううん、やっぱり厳しいなあ・・・。
 それにしても、現代の仕掛け絵本の複雑なこと。開いたページのなかに、さらにミニ絵本がいくつも仕込んであって、それを開くとさらに中から動物たちが飛び出してきたり、ページをよく探ってみると隠しポケットがあって、そこには「エメラルド色の眼鏡」という、緑のセロファンを張った紙の眼鏡が仕舞ってあったり。開いて飛び出すのは絵ばかりではありません。糸でつられた紙の魚が動いているように踊り出てきたり、「不思議の国のアリス」のトランプの女王のところでは開くページの音とともに、本当にトランプを切っているようなバサバサという音とともに数え切れないほどのトランプが現れるのです。これはもう、絵本というよりは折り紙の芸術の領域でした。
 何よりも感動したのは、その絵本が、あの懐かしいさわる絵本のように、ページとページの間に隙間があったことです。目の見える友達の本は、どれもぴったりとページがくっついていて、いかにも凛々しい感じがしたものでした。点字の本やさわる絵本は、ページとページの間に空気が入るほど隙間があって、どことなく閉まりのない印象がありました。作ってくれた母たちには申し訳ないけれど、その隙間だけは残念なものに思えていたのです。でも、現代の仕掛け絵本は、その隙間をどうどうともっています。あの隙間は、閉まりのないものどころか、本当は夢の空間だったのですね。そしてさらに感動したのは、高さ50センチもあろうかとしいう立派な紙の建造物が、ページをめくると一瞬にしてぴたりと元の平面に納まってしまうことでした。本当に、どうやってこんな芸当ができるのか、いつかぜひその製作現場を見せていただきたいものです。
「お値段は、3900円」
 わあー、すごーい。辞典並ですな。入園祝いにどうぞ。
 それにしても、子供たちはこのようによくできた絵本を見て、どんな気持ちなのでしょう。大人でも楽しいのですから、楽しいことは間違いないと思います。でも、たとえばあまりに巧みなテレビ映像が想像の余地を奪ってしまうと言われるのと同じように、あまりに見事な仕掛け絵本は、子供の注意を仕掛けそのものにばかり向けて、じっと絵を見て味わったり物思いに耽るという落ちつきを奪ってはしまわないのでしょうか。
 私もこうした絵本はずいぶん買ってもらいましたが、さわる絵本にせよ折り紙芸術のような仕掛け絵本にせよ、私にはすべて、その作り自体が楽しかったものでした。つまり、仕掛けを楽しむことと、絵を心の糧として楽しむことは、本質的に違うのではないかと思ったのです。私は絵本を見た記憶はありますが、残念ながら光とさよならしたのが早すぎて、その絵に見とれたり、絵から何かを想像するというところまでは行かずに終わってしまいました。だから絵本とはどういうものかは憶えていますが、それを味わう気持ちの記憶はありません。
 けれども、音楽を聞いたり彫刻を触ったりするのと同じ感覚が絵の鑑賞のなかにあるとするなら、良い絵本に必要なのは、複雑な仕掛けよりも心を揺さぶる良い絵なのではないかしらん、と思ってしまうのでした。
「でも、これじゃないんですよ。ちょっと訊いてみましょう」
 Iさんが不意に我に還ってきびすを返されました。
 いろいろ尋ねてようやく見つけたのは、点字が併記された「機関車トーマス」の絵本でした。このシリーズは何冊かあって、見える子も見えない子も、また見えない親も、ともに楽しむことのできる本として注目されています。
 図画のルールが分からない"sceneless"の子供たちにもよく分かるように、エンボス式の印刷で大きさも密度もさまざまな点々や縞模様が作ってあり、トーマスやテレンスや、みんなの顔、ナンバープレート、車体が楽しく盛り上がっています。車体の模様の違いも大変はっきり分かり、いやはや、本当に「よくできてるわー」というのが正直な感想でした。
 ところで、この絵本の裏表紙に面白いものを見つけました。本当はこれを最初に見てから読まないといけなかったのですが、私は一番最後に書いてあったのでうっかり見逃してしまったようです。それは、「色のパターン」というものでした。
 パターンは、たとえば等間隔の点々で埋めてあれば青、斜めの縞模様が緑、横線がある場所は茶色という感じでした。これはなかなか気が付かない工夫です。こうすれば、色の感覚が薄い、もしくは色そのものを見たことのない子供たちでも、手触りに色を当てはめることによって「青のトーマス」「茶色のトビー」と、見える友達と同じように色で話すことができます。とかく色の存在を忘れがちな"sceneless"ですが、衣類のコーディネート一つにしても色を無視することはできないので、手触りに当てはめてでも色を意識することはとても大切です。それをこの絵本は見事に実現してくれているわけです。
 そこで私は、慌てて最初のページに戻り、一つ一つの手触りに「パターン」を当てはめて車体の色や模様を想像してみました。
 ところが、駄目でした。青や緑の車体を想像することはできましたが、大人の私には、そこに必ず他の模様があるはずだとの先入観があって、その模様が気になって機関車のトーマスやトラクターのテレンスが走る姿が、どうしてもはっきりと思い浮かびません。やはり知らないうちに邪念がいっぱいになっているのですね。幼子の心を保つことは、容易ではないようです。
 ぼやきついでにもう一言。私が一番考えさせられたことは、この点字併記の絵本が、絵本コーナーではなく「点字」のコーナーにひっそりとおかれていたことでした。トーマスは、絵本です。点字教材ではありません。読むのは子供たちであり、点字を勉強しているボランティアさんではないはずです。なのに、なぜこんなに楽しい本が「福祉」の世界に閉じこめられているのでしょう。ユニバーサルという言葉を何万回叫んだところで、こういう発想のバリアが大人の心から消え去らないかぎり、私たちの社会は永遠に弱者や異質な人々をどこかに閉じこめるメンタリティを、卒業できないかもしれません。
 せっかく普通の本屋さんで点字の絵本が買えるようになったのですから、ぜひぜひこれは、普通に「仕掛け絵本」のコーナーにもおいていただきたいものです。だって、これぞまさに、ユニバーサルな仕掛け絵本なのですから。
 しかし、何だかんだ言いながら、Iさんがプレゼントしてくださったトーマスの本、毎日楽しく触らせていただいています。
 見せたとたんに母が「あら、機関車やえもん?」と言ったのには、かなりずっこけましたけれど。
「三省堂本店にて」

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「探索君」登場 1 「探索君」に出会う  3月1日

 二月の半ば、私に新しいパートナーができました。といっても、バレンタインデーの効能で白馬の王子様が現れたわけではなく、もちろん本当はそのほうがいいんですが、それはともかく、このパートナーを、私は親しみを込めて「探索君」と呼ぶことにしました。
 この子、いったい何をしてくれるのかというと、4メートル先にある障害物を、ブルブル震えて教えてくれるのです。からくりは、海豚の超音波探査と同じ。百円ライターを三つ重ねたぐらいの四角いプラスチックの箱の前面から弱い超音波を発信し、それが物に当たって返ってくる時間を分析して物との距離を割り出し、それに応じていろんなパターンで振動します。振動は探索君のなかにある磁石によって作られ、そのパターンは40種類以上あるそうです。細かくはとても識別できませんが、その多彩な震えによって、電柱のような細いものや、平らな壁、人、鞄、車、自転車など、かなりのものが「そこにある」と分かるようです。ただ、それが「何か」を識別できるものではないので、相当な熟練が必要です。昔は、この種の機械を使うには専門の指導が要ったそうですが、いまはセルフトレーニングで何カ月か使えば慣れて行く、というのが経験者のみなさんのお話でした。
 こういうものが使えるようになるたびに、私は現代に生まれたことに深く感謝してしまいます。いやなことも大変なこともあるけれど、ハイテクの恩恵によって私たちの力が存分に発揮できたり、歩く時の安心感が高まったりすることは、現代ならではの幸せと言えるでしょう。けれども、実はこの「探索君」のご先祖は、すでに二十世紀後半から目覚ましい進化を続けていました。彼を手に入れるまでに、図らずも私もその進化を見守ることになったのです。
 遡ることいまから10年以上前のこと。それもよくおぼえていないくらい前のこと、私はある会社から「超音波歩行補助具」というすごい名前の道具を買いました。超音波を出してそれが戻ってくる時間で障害物との距離を割り出し、それに応じて振動するというからくりは、探索君とまったく同じ、というよりは、探索君の原型とも言えるものでした。カメラのような発信部分から、細いコードによって百円ライターぐらいの振動部分が伸びています。このカメラ風発信装置をウエストポーチのようにベルトで腰に装着し、おへその上辺りに装置が来るようにします。そこから細いコードでつながっている振動部分を左手で握り、右手で白杖を操って歩くのです。
 こういった道具は当時でもすでに何種類かあって、もっと前、私がアメリカに留学していたころから、あちらではもうかなり優れた製品が実用化されていたのです。言葉は乱暴ですが、あちらではお金さえ奮発すれば買えるようになっていました。この初期の機械である「ソニック・ガイド」とやらに初めて出会ったのも、アメリカでした。州立盲学校の歩行訓練の先生が、せっかくだからぜひ試してごらんといって、トライさせてくれたのです。
 その機械は、音波の戻りを振動でなく、音で知らせていました。眼鏡の真ん中に網になった発信部分があって、丁度眉間からビームを発射するように音波が出て、それが障害物にぶつかって返って来たところをキャッチし、それを音で知らせるのです。音は、眼鏡から両耳にコードで伸びたイヤホンでききます。つまり、これを着けるときは眼鏡とイヤホンを着けて、さらに白杖をもって歩くことになります。音はシュンシュンシュンシュンという、柔らかく不思議な音でした。超音波のピーッというイメージとはぜんぜん違う音です。これが聞こえなければ前方はクリア。小さく間をおいて聞こえれば遠くに何かがあり、歩くにつれてだんだん近くなると音が大きく、忙しなくなります。ある距離まで近づくと、おでこやこめかみの感覚でも壁や建物があることが分かってきます。そうなれば、もう杖で実物を確かめることができるわけです。お値段は、ずばり70万。今の70万ではありませんから、換算したらまあ1.5倍の値段ではあったでしょうね。
 さて、使い心地はというと? ええ、素晴らしかったです。そりゃあもう、何しろ何メートルも先にものがあることが分かるんですから、お値段以外は文句のつけようがありません。ただし、いかんせん、眼鏡とイヤホンを着けるのはやや骨が折れます。その眼鏡も、サングラスと比較したら3倍は重たかったと思います。少なくとも、長距離歩行には向かないだろうなあというのが正直な印象でした。でも、本当にほしかった。もって帰りたかったです。電圧が日本と違うとか、修理のためには海を越えて外国に送らないといけないなどの問題がなかったら、間違いなく親の臑をかじっていたでしょう。
 でも、はやる私を先生が優しく諌めました。
「麻由子、買うことはいつでもできるじゃないか。君は充分歩行能力があるんだから、いくら便利でもこんなに高いものに飛びついてはいけないよ。トライすることは価値がある。だけど、これが本当に君にとって必要かどうかをよく考えることは、もっと大事だね」
 なるほどー。ということで、とりあえず私は、この魅力的な機械をひとまず諦めて帰国したのでありました。
 それでも、あの感覚は忘れられませんでした。たとえ機械を通しての限られた距離であっても、機械のフィルターに限定された狭い視野であっても、風景をもたない"sceneless"の私が健康への負担なしに「擬似的に見える」感覚を享受できるのです。盲導犬も魅力的ですが、機械であれば動物とともに居ることからくる様々な問題は起こらないし、犬の苦手な方とも安心して出かけることができます。だから、この機械についての情報には、絶えず注意を払っていました。
 そんなわけで、あの腰装着型ブルブル歩行補助機が、国内で、しかも数万円で買えると分かったとき、私は迷わず貯金をはたきました。おそらく第一世代の機械特有の未完成な面があるだろうとは想像しましたが、それでもその額を投資することをもったいないとは思いませんでした。そして、左手にブルブル、右手に白杖という「三人連れ」の歩行が始まったのです。
 こちらの使い心地は? もちろん、素晴らしかったですとも。なにしろ、眼鏡ではなくベルトなので顔周りはすっきり。ベルト装着なので目立たないし、振動で障害物との距離を知らせてくれるので耳にも負担がかかりません。
 でも残念ながら、この機械との歩行は長続きしませんでした。その主な理由は、機械自体がまだ未完成だったことだと思いますが、もう一つ理由がありました。両手が完全に塞がってしまうということです。振動部分を左手でしっかり握らないといけないので、咄嗟の時に手が使えません。駅などで自動改札を通るにも、振動部分をその都度ポケットに入れてから切符を出し、改札を抜けてから再度体制を整えなければなりません。白杖をもったままこういう作業をするのは、かなり大変です。
 感知にも改良の余地があるように思いました。おなかの部分から音波を発信するため、白杖を体の正面で使おうとすると、音波が腕に当たってしまうのです。つまり自分の腕が「障害物」として認識されてしまうわけです。自分で自分を感知してもしようがありません。そんなこんなで、このブルブル第一号は、数カ月の活躍を経てクローゼットにお蔵入りとなったのでした。
 以後しばらく、「超音波歩行補助機」の話題はあまり聞かれませんでした。ところが数年前ぐらいから、再びこの機械がときどき"sceneless"の間で話題にされるようになりはじめたのです。しかも国産で複数のものがあり、値段も十万円を切っているうえ、二種類については一週間のお試しリースサービスが受けられると聞けば、素通りはできません。私は早速、そのリースに申し込んだのでした。
 最初にリースしてもらったのは、価格が安い方の種類でした。価格のほかに、充電式なので電池を持ち歩く手間がないことも魅力的でした。でも、この種類もやはり、左手で握らないといけなかったのです。それで、手持ちのバンダナで掌に固定して使ってみました。しかし、やはり素人の浅知恵で工夫してもうまくはいきません。うまく固定できないと機械の角度がくるい、関知もうまくいかなくなります。ということで、私はこの機械には向いていないことが分かりました。そして、やはりこの種の機械はまだ早いのかなあ、と諦めてしまいました。ただし、これは私との相性が合わなかっただけで、愛用者はたくさんいます。この機種の振動は明確で良いという声も多いということを、付け加えておきましょう。
 そんなある日、ふとしたきっかけで、もう一つの種類をとても便利に使っているという人の話を聞くことができたのです。この方にとって、この機械はもはや体の一部で、手放せないというのです。しかも、この方は白杖だけで何十年も歩いているベテランの"sceneless"でした。そんな先輩がそれほど便利に使っておられる機械なら、もしかしたら私にも使えるかもしれない、と文字通り道が開けるような希望が湧いてきました。そうしてついに、現「探索君」のリースを受けたのです。
 (続く)


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出初式のビーム  1月24日

 2007年、明けましておめでとうございます。本年も、どうぞ宜しくお願い申しあげます。
 さてさて、本年最初のリトルエッセイは、お目出たく出初め式のお話です。
 なかには、木遣りやはしご車などが登場して華々しく行われる出初め式もあるようですが、私が見たのは、高尾山麓を流れる浅川という小さな川の畔でひっそりと行われた、地元消防署の出初め式でした。
 よく晴れた午後、数台の消防車が橋の上に列び、機械で汲み上げた川の水を川に向かって放水しようと構えています。
「エンジン開始」
 隊長さんがメガホンで指示を出します。すると、ブルルン、ボロルン、とエンジンが次々にかかり、ディーゼルエンジンの排気ガスを思わせる濃いガスの臭いが立ちこめてきました。私たちは川沿いの歩道から見物していたのですが、どうやらそこは風下だったようです。ガスに噎せそうになっていると、「そこ、水がかりますよ」と係りの人が知らせにきてくれました。「いいよ、水ならちょっとぐらいかかったほうが楽しいもん」などと言いながらちょっとだけ後じさりして見ていると、
「放水開始」
 と声がかかりました。今度は消防車が一斉にサイレンを鳴らしながら、放水が始まりました。シュウーッ、シイーッ・・・。思ったより細い音です。小学生のとき、社会科見学で消防署に行き、ホースや運転席を触らせてもらい、私はホースの太さに仰天しました。両掌を広げても余る円周でした。こんな太いホースいっぱいに、ものすごい勢いで水が出てくるのです。どんな恐ろしい水流になるのでしょう。うっかり浴びたら大変なことになりそうに思えました。でも、川辺で聞いた放水はすこぶる、穏やかで、消防車が初手水でもしているみたい・・・おっと、失礼しました。
 何秒かすると、大量の霧雨のような水が降り注いできました。霧雨ですから、じっとりと濡れます。こりゃたまらん。私たち見物人は慌ててその場所から逃げだし、ちょっと離れたところから見物のしきり直しとなりました。
 というわけで、そのときの写真がトップページのものです(現在は本ページに移してあります)。ところでこれ、「出初め式」というキャプションがなかったとしたら、どんな場面に見えるでしょうか。背景がぼやけているので、たしかにこれだけ見せられて「出初め式」だと分かる人は少ないかもしれません。この写真は携帯電話のカメラで撮影したもので、いま私の携帯の待ち受けもこの画面になっています。そこでこれを何人かの友人に見せたところ、まあ何とさまざまな見方があることでしょう。
「噴水?」「霧?」
 このくらいは予想していましたが、
「これ、何かビームが出ているよ。やばいんじゃない?」
 というのが傑作でした。ビームに見えるのは、放水によって出た虹です。出初め式の音を録音しようと構えていたICレコーダーから虹が立っているような具合に写ったものだから、ビームに見えてしまったのでしょう。
 放水は三回ありました。そして虹はその度に、いろいろな弧になって現れました。みんなは、はしゃぐというよりは、出初めの厳かさと虹の美しさに打たれたように、じっと黙って川面を見つめているようでした。虹も美しかったでしょうけれど、見ている人々の感動の沈黙も、同じくらい美しい物でした。本当に、「虹」が夏の季語でなければ俳句にしたかったところです。目の前の放水と、川面を大きく跨いでかかる正月の虹。それは、命がけで火消しに務めてくださる消防士の出初めとともに、その姿に励まされて新玉の年の決意を胸に抱く私たちを包み込んでくれる、地上の虹なのでした。木遣りもはしご車もないけれど、それだけにとても近くで、手にとるようにリアルな出初め式だったのです。

 と、ずいぶんすらすら書いてしまいましたが、実をいうと私は、「川面にかかる虹」の図が、あまりリアルに想像できませんでした。というのは、私が見た虹は、空にかかった虹だったからです。私が"sceneless"となったのは四歳のころ、ですから空にかかった虹を見たのは三歳児の目だったことになります。そのときには、虹の端っこは見えず、途中の一部分が暖かそうな色で輝いていました。七色のうちどの色かは、いまでは憶えていません。ただ、それはとても明るい色で、陽光の温もりのような手触りに姿を変えて記憶に残りました。おそらく、赤の前後の色だったのでしょうが、つまりこの見方だと、七色の美しさは見えていなかったか、もしくは記憶できなかったわけです。だからそれは虹というより、空に現れた大きな色という感じでした。
 そういうわけで、私は全貌を見せて川にかかった虹の形がよく分かりませんでした。そういえば、子供のころ、よく夏に水を撒くと、一緒に遊んでいた近所の友達が「虹が出たー」と嬉しそうにはしゃいでいましたが、あれはどんな虹だったのでしょうか。小さな、でも美しく完結した地上の虹?その弧はどのくらいの大きさだったのでしょう。子供たちの目にはどのくらいに見えたのでしょう。彼らの目に映った虹は、大人の目に映るよりもはるかに美しく映っていたかもしれません。
 そんな中途半端な記憶ですが、私はうっすらと残っている虹の記憶を、これからも大事に心の中に留めておきたいと思っています。そしてそれを頼りに、ときどき私の目の前に現れているらしい地上の虹を想像したり、あるいは雨上がりのように回復途上の心のなかに、たとえ断片でもいいから虹のような美しい輝きが生まれるような文章を目指したいと思っています。
 今年が皆様にとって、幸多き年となりますように。
八王子市内、浅川にて

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