% 〜Parsentage〜
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『花火大会に行けなかったお詫びにね』
 そう景太朗が言って、藤吉家主催花火大会が開かれることになった、ひぐらしの鳴く夏の夕方。


「コメットさん、ちょっと上がってきてくれるかしら」
 花火大会の準備を手伝っていたコメットは、沙也加の声に振り返った。コメットは縁側から手招きする沙也加の元に駆け寄ってくる。
「はい、なんですか?」
「ちょっとね。女の子だけの準備かな」
 コメットは不思議そうに首を傾げる。そのコメットの後に付いてきて、廊下に身を乗り出していた寧々が手を挙げた。
「ねねちゃんも、ねねちゃんもおんなのこ!」
「はいはい、じゃあ寧々もいらっしゃい」
「やったー!」
 寧々はもどかしそうに靴を脱いで、縁側から上がり込む。
 コメットはやりかけの手伝いが気になっているのか、景太朗や剛のいるウッドデッキを振り返る。沙也加はその様子に気づき、大丈夫よ、とコメットの背中に声をかけた。
「まだ暗くなるまで時間があるし、それに、ケースケくんも来てくれるって言ってたから」
 ぴくり。
 一つの単語にコメットの身体が反応するのを沙也加は見逃さなかった。胸元を見下ろして、気づかれないよう小さなため息をつく。
 口元がむずむずしたが、沙也加は気づかぬ素振りで続けた。
「ほら上がってちょうだい。寧々もいるんじゃ時間かかりそうだわ」
「─―はーい!」
 コメットはあわててサンダルを脱いだ。 まるで説明の付かない気持ちから逃げ出すように。
 沙也加は小さく笑いながら、脱ぎ捨てられた二つの靴を揃えた。


 居間の隣、普段使わない鏡台のある部屋。そこには紺の空に広がる大輪のあさがお。
「ママ、ねねちゃんのは? ねねちゃんのは?」
「待ってね、すぐ出すわ。―─どうかしら、コメットさん」
 和箪笥の奥から寧々の浴衣を出しながら、沙也加は目を輝かせているコメットに声をかけた。
「はい、とっても素敵です。ゆかた、って言うんですよね」
「そう。お祭りやお正月なんかの特別な時だけ着るのよ。せっかく花火大会だし、どうかしらって思って」
 沙也加は浴衣を手に取り、いとおしそうに眺める。
「懐かしいな……これね、私が昔着てたものなの」
「沙也加ママが?」
 コメットに尋ねられ、沙也加はちょっと照れたように微笑む。
「そうなの。これ着てね、パパと初めてデートしたのよ。そこの海の花火大会で」
「ええ?」
 コメットと寧々の声がハミングする。
「うふふ。さ、コメットさん、鏡の前に立って頂戴」
 ふたりの反応に気を良くしながら、コメットの手を引いた。
(覚えてるかしら、パパ)
 沙也加はコメットと寧々の質問攻撃をかわしながら思いを馳せる。
 その横顔は、いつかの少女の面影にもどっていた。





                   ***




 この町のヨットクラブに所属していた沙也加の父親は、休みの度にこの町に来てはヨットに乗っていた。
 ある夏の日、沙也加はその父親に連れられて、初めてこの町にやってきた。
 そこで、景太朗と出会った。
 町から長い橋で繋がった小さな島の、青い海に面したデッキテラス。近隣の大学のヨットクラブに所属する景太朗は、顔見知りの父親に声をかけられると大きく手を振った。
「藤吉くん、この間話しただろう。うちの娘だよ」
「沙也加さん、ですよね。はじめまして。藤吉景太朗です」
 そう言って日焼けした人懐っこい笑顔を向け「ヨットは初めて?」「すごく気持ちいいから。とりこになるよ」とヨットの魅力を矢継ぎ早に語り始めた。
(なあに、この人)
 ずっと女子校育ちで免疫がなかった沙也加は、初対面なのに軽々しく話しかけてくる景太朗にあまりいい印象を抱かなかった。
 父親を交えて一緒にヨットに乗るようになり、しばらく過ぎた頃。
 景太朗から夏の花火大会に行かないか、と誘われた。
 父親はその日仕事で一緒には行けない。まだ景太朗に心を許していなかった沙也加は断ろうと口を開いたが「あとでヨットにも乗ろう」という決め台詞に陥落した。
 景太朗の前では意地を張って言わなかったが、沙也加はそのころすっかりヨットの魅力にとりつかれていたのだ。
 話を聞いた母親は我が事のようにはしゃぎ、新しく浴衣までしつらえた。父親も満面の笑みを浮かべていた。
 そんな風に騒がれると、何とも思わない相手なのに意識してしまう。花火大会前日はいやに緊張してあまり眠れなかった。


 夕方近く、電車が着くたびに人が溢れ返る駅の改札口。
 約束通り待っていると、夕暮れを背に駆けてくる景太朗の姿が見えた。瞬間、胸の奥がちいさくくぼんだ気がしたが、すぐに元に戻った。
 その後ろからやって来る大勢の人達。
「これ、同じヨットクラブの奴ら。みんな一緒の方が楽しいと思ってね」
 景太朗なりの気遣いだったのだろう、メンバーの中には景太朗と同級生らしき女の子もいた。この数日で起こった沙也加の心境の変化を知らない景太朗は、それが逆効果だったことに気づく由もない。
 さっきまでの高揚感はたちどころ消え、沙也加はむっつりと押し黙ったまま海岸へ向かう人並みの中を歩いた。
「似合うね、その浴衣」
「そう」
 言われるのを期待していた筈なのに、おべっかのように感じられてさらに不愉快になった。景太朗があれこれ話を振っても、気のない返事を返すだけ。
 訳の分からない景太朗は心配そうに沙也加を気遣うばかりだった。
 イライラする。けど、何が原因なのかわからない。だから腹立たしい。
 出口の見えない悪循環にはまった沙也加は、赤い鼻緒を親の敵のごとく睨みながら歩き続けた。
 しばらくして顔を上げると、隣に景太朗の姿はなかった。
 それどころか、ヨットクラブの人達も見当たらない。前も横も知らない顔ばかりだ。どうやら知らないうちにはぐれてしまったらしい。
(─―いいわよ、それなら)
 普通なら必道を戻って探すところだが、半ばやけくそ気味になっていた沙也加はこれ幸いと一人勝手に歩き出した。


 芋の子を洗うとはこんな時に使うのだろう。
 沙也加は海岸線の道路で唖然とした。海岸中を埋め尽くす人、人、人。
 ドラマのロケや観光で有名なこの海の花火大会は人出も半端ではない。
 沙也加の胸に不安がよぎった。人の流れについて歩いてきてしまったから、駅まで戻る道もわからない。慣れない草履に足も痛む。
 仕方なく海岸から離れしばらく歩くと、人気の少ない小さな公園へ出た。坂をずっと上った高台にあるせいか、夕方から昇り始めた月が近くに感じられる。
 細い月は下の騒ぎなんて素知らぬ顔をしてつんと光っている。
 木陰に邪魔されて花火は見えないけど、今日ばかりは誰も注目していないだろう月が独り占めできた。
 その時、海の方で歓声が上がった。細い音が長く響いたかと思うと、大きな音とともに月が赤い色に染まった。
 月は次々色を変える。大きな花火が、月を仲間に入れてくれたようだった。ひとり冷たそうだった月も、色とりどりに染め上げられて嬉しそうに見える。
 沙也加は急に後悔の念に襲われた。
(なにしてるんだろ、私)
 あの人はなにも悪くない。私が勝手に思いこんで機嫌を悪くしただけなのに、素っ気ない態度をとって困らせて、心配させて。せっかく誘ってくれたのに。
 今だっていなくなった私を探し回ってるかもしれない。
(どうしよう)
 どうしてこんなことになってしまったんだろう。 後悔と不安、悲しさが入り交じって、目の奥がつんと痛んだ。
「─―沙也加さん?」
 目にした光景が信じられなかった。
 呼ばれる声に振り向くと、公園の入り口には膝に手をついた景太朗の姿があった。
 額に汗を浮かべ、肩で息をしながらも、景太朗は駆け寄ってくる。
「よかったあ……ごめん、はぐれちゃって。心配したでしょう 」
 向けられるのは、いつもと変わらない笑顔。
 その姿を呆然と見上げる。
「……どうして」
「え?」
「どうして、捜し出せたの?」
 どこまでも続く大勢の人の波。コースから外れた小さな公園。それでも、この人は自分を見つけ出した。まだ数回しか会ったことのない自分を。
 景太朗は唐突な問いかけに面食らった顔をしていたが、やがて困ったように頭をかいて答えた。
「……どうしてかな、どうしても見つけたいって思ったからかな」
 横顔が、夜空にはじける色に染まった。
「あ、ラムネ、買ってきたんだ。飲まないかい」
 喋らないのを疲れたと思ったのか、景太朗は手に持ったラムネ瓶を差し出す。隣に腰を下ろして封を切り、蓋のビー玉を押すと、一気に泡がはじけた。泡は白い飛沫と甘い香りをあたりに散らす。
「ご、ごめん、走ってきたから炭酸が……」
 慌てうろたえる景太朗の姿に笑みがこぼれ、やがて滲んだ。
「ごめんなさい」
 そんな思いを、してまで。
「ごめんなさい―─」

 本当に、ごめんなさい。

 え、あ、と景太朗は突然の事にとまどっていたが、やがて小さな子をあやすように、ゆっくりしたリズムで沙也加の背中をたたきはじめた。
 大きな手のひらは、やさしくて、あたたかかった。
 心地よい感覚に包まれながら、遠く響く花火の音をふたり並んで聞いていた。





                   ***




 藤吉家主催・花火大会は盛大に始まった。
 昼間から準備しておいた打ち上げ花火に一斉に火が放たれると、夜空には色とりどりの花が咲き誇った。 あとは剛や寧々、招いた子供たちが思い思いの花火を楽しむ。
 切り分けておいたスイカを運んでくると、縁側では景太朗が庭の様子を楽しそうに眺めていた。
「なにひとりで笑ってるの、パパ?」
 呼びかけに振り向いた景太朗は、無言でウッドデッキの方を指す。
 そこには、何か言いたげに、でも聞こえないくらいの距離を開けている少年と少女の姿。
「コメットさん、あいまいみーちゃんがゆかた見たいって!」
「ケースケにいちゃん、ロケット花火つけて!」
 ちらりと目線を合わせては慌てて離し、二人は各々のご指名相手の元へと走る。どうやら、まだぎくしゃくした雰囲気は直っていないらしい。
 景太朗は受け取ったスイカを片手ににやにや笑いを浮かべる。
「あーあ、だめじゃないか、剛と寧々は。おじゃま虫なんだから」
「ふふ、やきもきしちゃうわね」
 春から我が家にホームステイしている一風変わった少女と、数年前から景太朗に海のことを教わっている、生一本な少年。
 この二人が互いを意識し合っているのには気づいていた。しかし、当の本人たちがわかっていないのか、素直になれないのか、状況は遅々として進まない。ついこの間は深刻そうな喧嘩もして気をもんだが、なんとか軌道修正できたようだ。
 来たときから明らかにコメットを意識しているケースケ、いつもの会話をしたいコメット。お互い小さなひよこたちに邪魔されて、ことごとくタイミングを逃している。
「若い頃って、ああかもしれないわね。気恥ずかしくて、素直になれなくて」
「本当はどこかでわかってるのに、な」
 あのころの自分が重なって、沙也加は目を細めた。
「―─そうだったよな」
「え?」
「ママ、コメットさんが着てる浴衣。あれってあのときのだろ」
 前を向いたまま景太朗が懐かしそうに呟く。
「……覚えてた?」
「当たり前さ。記念すべき初デートだからね」
 そう言った笑顔は、出会った頃と同じだ。
 思えば、景太朗は基本的なところは何も変わらない。変わったのは自分の方だ。景太朗からたくさんのことを受け取った、自分の方だ。
 だから、ほら、今ならこんなに素直に言える。
「うれしかったわ、あのとき。あんなにたくさんの人の中から私を見つけてくれて。あれから私、パパのこと好きになったのよ」
 突然の告白に目を丸くした景太朗は、あ、いやあ、と照れくさそうに横顔を染めて、ぽそりと呟いた。
「……僕は、一目惚れだったんだよ」


 ケースケが火をつけたロケット花火が尾を引いて打ち上がる。
 ふり仰ぐと、そこにはこぼれ落ちそうな夏の星空。


 こんなに広い、星の数ほどいる人達の中で出会う。
 それだけでも奇跡なのに、こんなふうに互いを思い合えるなんて、どれほどの確率だろうか。
 身体を傾けて、そっと景太朗の肩にもたれかかる。
「いつか、あの子たちにもわかるときが来るかしら」
「来るさ。きっとね」
 ひょっとしたら、そう遠くない未来に。
 あのころの私たちのように。
「あー、パパとママ、ラブラブだー!」
「らぶらぶだー!」
 目の前にはいつの間にか剛と寧々たちが並んで立っていた。「らーぶらぶ、らーぶらぶー」と節を付けて、両親の仲むつまじい様子を囃し立てる。
「こらあ、そうやって仲良しをじゃますると、こうだぞー!」
 勢いをつけて立ち上がった景太朗は剛と寧々を両脇に抱え込み、ぐるぐる回し始めた。近頃は重くなったからとやめていた飛行機ごっこに、二人の口からきゃあきゃあと歓声が沸き上がる。
 視線を移すと、ウッドデッキの上では、ようやく解放された二人が並んで夜空を見上げていた。




 時は巡る。だからこそ、あとに続く彼らのために、祈らずにはいられない。

 どうか、彼らにも訪れますように。
 見えない力に導かれて出会った奇跡に感謝する、その日が、いつか。













・・・・・・・

N様からのリクエスト、景太朗パパと沙也加ママのなれそめ話です。
理想の夫婦像と呼び声も高い藤吉夫妻、ほぼオリジナル設定となりましたが、こんな昔の恋はいかがかと。
関係ない二人が出張ってるのはまあ気にせずに。


[03.04.09]