Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

第一文化村北辺の道

北辺

消防署

山手通りに面した消防署の右手にある道が、目白第一文化村の北辺にあたる道だ。消防署は、元・箱根土地の本社屋があった真上に建っている。消防署は、改正道路(山手通り)の工事開始とともに戦前からあり、建物も最新の鉄筋コンクリート造りだった。

1945(昭和21)413日の空襲では、署員たちが消火活動をしてはいるが、火勢がひどいために途中で消火をあきらめている。第一文化村北辺の道に沿った家屋で、いちばん奥から2軒目の屋敷と、このいちばん手前の消防署のみが焼け残った。(方向@)

北辺道

北辺の道を進むと、左に折れる最初の道が、「文化村入口」の坂だ。目白文化村が開発された当時は、この坂から新宿駅や伊勢丹までがよく見わたせたという。

この道の右手全体には、明治末に建てられた府営住宅の家屋が建ち並んでいた。だから、当時の人たちがこの道を散歩すると、右手はよく見馴れた日本風の住宅街なのに、左手を見るととても日本とは思えないような、“異様な”風景が拡がっていたことになる。劇作家・岸田国士らが、そのときのショックを作品(戯曲『紙風船』)の中に描いている。(方向A)

 

北辺道2

まっすぐな第一文化村の道を進んでいくと、右手の目白通りへと通じる道、つまり府営住宅の中の道が、すべて斜めの三角形なのに気づく。文化村の開発時、堤康次郎はすでに山手通りの計画を知っていたものか、第一文化村の街路は、ほとんどが山手通りと平行に、整然と造られているのがわかる。(方向B)

中川邸

政治家で自裁した、元農相のN邸。以前は、出版社社長の大きなH邸があったところ。ここの屋敷は、弁天池の北側に面して建てられていた。空襲時には焼けているので、建物自体は新しい。ちょうど、この屋敷の斜向かいあたりの府営住宅側には、小説家の沖野岩三郎が住んでいた。

この先をさらに進むと、第一文化村の北側にあった小規模な商店街へと抜けられる。(方向C)

H氏邸

第一文化村にあったH邸。その奇抜なデザインから、当時は「犬小屋」などと呼ばれてしまった。上記のH邸とは別の家。

この屋敷もそうだが、外見は洋風でも、中身は和室の畳部屋と洋室の板間とが混在する、いまの住宅の造りにきわめて近い和洋折衷の間取りで構成されていた。このH邸の2階からは、晴れた日に富士山がよく見えたと伝えられている。

 

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