Chichiko Papalog 「気になる目白文化村」オルタネイト・テイク

石橋湛山邸あたり

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石橋湛山という人は、戦後に首相になった人物というよりも、戦前に東洋経済新報社において、一貫して日本の軍国主義と帝国主義に反対しつづけた人物・・・としての印象が強い。それは、1956(昭和31)に第55代首相となったが、病気のため内閣があまりに短命に終わっているせいだからなのかもしれない。それほど、彼の戦前における言論は、大新聞がそろって翼賛化していく中では異色の存在だった。

著作を読むと、やがては独立することが必然の国々を植民地化することの無意味さを説き、次の世界大戦を予想しつつ軍部の専横を糾弾し、このままいけば日本はいずれ独立を達成するであろう周辺諸国から深い恨みをかうばかりだ・・・として、植民地をすべて棄てろと述べている。(『大日本主義の幻想』) しまいには、侵略される怖れがないなら警察だけで、軍隊などいらないとまで言い切った。当然、憲兵隊や警察からは目をつけられ、常時尾行されていたようだ。

まさか戦後に、警察のポリスボックスが、目白文化村の自宅前に常時設置されることになろうとは、当時の石橋湛山は夢想だにしなかったに違いない。石橋湛山が、なぜ第二文化村に住んだのかはわからないが、静かで散策をするにはいい環境なのと、青春時代をすごした早稲田や高田馬場が近かったせいもあるのかもしれない。

石橋邸は空襲にもかろうじて焼け残り、いまでも当時のすばらしい建築のたたずまいを見せている。

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やや左へカーブしながらも、第一文化村のセンター通りとつながっていた、第二文化村を縦断するセンター通り。(方向@)

現在では、下落合教会のある通りを突き抜けて、すぐに十三間通り(新目白通り)へと出られる。このあたりは空襲にも焼け残り、70年代ぐらいまでは古い屋敷が、そのままのかたちで点在していた。

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センター通りをまっすぐ進むと、やがて右手にこんもりとした屋敷森が姿を現す。(方向A)

ここが、第二文化村の初期に建てられたままの姿をとどめる石橋湛山邸だ。のべ床面積100坪をゆうに超える、木造2階建ての大きなお屋敷だ。左下の風情は、どことなくイギリス風の建築デザインが感じられる。(方向B)(方向C)

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間取りは、1階が和室と洋室が半々、2階のほとんどが和室の造りになっている。玄関を入ると広間となり、左には吹き抜けの階段が設置されている。屋敷の反対側には、東南へ向いた広いテラスがある。

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石橋邸の東隣りにある、某大手企業の社長邸。第二文化村では、最大の敷地を有する住宅となっている。(方向D)

空襲による火災は、この広大な屋敷から北東へ向けて拡がっており、第二文化村の南西部は焼けていない。現在は、四囲が3m近くの塀で囲まれている。文化村の開放的な家々の造りとは、対照的な雰囲気のお宅だ。

 

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