Chichiko Papalog 「気になる下落合」オルタネイト・テイク

 

刑部人邸/アトリエを拝見する。

 

  刑部人邸は、旧・下落合(現・中井2丁目含む)ばかりでなく、大正から昭和初期にかけて山手線の内外に形成された、「新山手」を代表する住宅建築のひとつだった。それは、目白文化村Click!のシリーズでも何度か触れたように、和洋を織りまぜた今日の日本住宅Click!に直結する嚆矢的な建築であること、建築ばかりでなく生活スタイルそのものも現代における日本人の暮らしのベースとなっていること・・・などに加え、刑部邸は本格的な建築デザイナーの仕事を経て建てられている点でも、きわめて秀逸かつ貴重な存在だったといえる。

  ひとくちに西洋館といっても、当時は大工や工務店が見よう見まねで和洋折衷の住宅をこしらえたり、欧米から輸入されたモデルハウスに和室を付加しただけだったりと、日本の建築デザイナーがイチから設計し、オリジナルな作品として仕上げていった住宅は、案外数が少ないのだ。

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  エントランスのまわりからして、とてもていねいかつ入念に造られていることがわかる。玄関上の、独特な破風の部分にうがたれた大小3つのアーチ型窓が、この建築全体のコンセプトを静かに主張しているかのようだ。窓の内側は、板敷きのやはりアーチ状の小さなスペースが設けられ、3つの窓から射しこむやわらかな光が美しい。この空間は時々刻々、朝昼夕とさまざまな光の色合いや表情を見せたことだろう。いかにも、画家の住まいらしいしゃれたデザインだ。

  藤森照信氏は、「家の記憶」の中で次のように書いている。

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  東京の郊外住宅地の中小の洋館の様子がだんだん明らかになってくる中で、刑部邸への評価を変えざるをえなくなった。現在、まだまだたくさん残っている山の手の中小の洋館もしくは一部洋館付住宅はほとんどがただ赤瓦を乗せ壁に色モルタルを塗り出窓を張りだした程度の簡単なもので、とてもちゃんとしたデザイナーの手が入っているとも思えないし、細部の造りもいいかげんに済ませている。

  ところが刑部邸はどうだろう。平屋建ての小さな建物なのにスパニッシュ様式で着飾っている。それも、細部までちゃんとデザインされたレベルの高いスパニッシュをちゃんと着こなしているのである。

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  玄関は、凝りに凝った造りだ。ドアの両脇には、破風の窓と同様に斜め格子デザインの細長い窓が設けられているが、玄関ドアのデザインのみは異なっている。破風屋根あるいはその下の窓のバリエーションデザインのような、独特な模様入り格子によってドアガラスが支えられている。玄関を入ると正面に、国会議事堂の階段室調度の意匠に通じる、美しいデザインの飾り台が設置されていた。写真Cの、すぐ右手にあたる位置だ。

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  応接室は、めずらしい質感の壁紙が目を惹く。この壁紙は建築当初からのもので、壁にかける油絵がもっとも映えるようにと、刑部人が自ら選んだものだそうだ。その壁面を飾っているのは、自作の風景画や街角を描いた作品の数々。家具類は戦後のものとのことだが、天井のランプなどは建築当初からのものがそのまま使われていた。

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  アトリエは、さすがに広い。写真Fは、玄関に通じるドアと、その傍らに設置された階段。この階段を上ると、アトリエ内の中2階のようなバルコニーへ立つことができた。北側の採光窓は、かなり巨大だ。下落合に残る画家たちのアトリエの中では、おそらく最大級のものだろう。その窓を透かして、1975(昭和50)『花開く』Click!で描かれた裏のバッケ()の一部が、鮮やかに見えている。中央下の窓だけ透明ガラスが嵌められており、まるで額に入れられた絵画を観るような効果を醸しだしている。屋根にも大きな窓がうがたれており、陽の光を反射して、北に面している室にもかかわらずアトリエ全体を非常に明るくしている。

  吉武東里は、昭和初期に刑部人邸のすぐ近く、同じ下落合の町内に住んでいて、ふたりは親しく交流していたそうだ。そのせいか、大熊喜邦と組んで吉武が設計デザインした国会議事堂の壁面には、刑部人の作品がいまでも数多く飾られている。

 

■写真@Aは、破風壁面の窓を外側と内側から見る。Bは、玄関のドアガラスにほどこされた独特なデザイン。Cは、玄関を入った左手。DEは、応接室の窓辺。壁にかけられているのは刑部人の作品群。Fは、玄関から通じるアトリエの入り口。Gは、アトリエの南東側から室内を眺めたところ。HIは巨大な採光窓と、その中心から望む北側のバッケ斜面。

 

 

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