八丁平通信総目次へ(07/06/13更新) B-2、電子版八丁平通信、41号99・2月発行 B-3、全国の八丁平(八丁平とは?) みねとこブログ八丁平と京都 北山の情報もあります。)
  八丁平の歴史
 活動の経過
 
第3回八丁平展(1992)企画書  

京都北山 八丁平を守る会(準備版)

お知らせ

07/03/26よりHP再作製に着手しております。
06/13更新。八丁平通信は本誌は50号まで発行しておりますが、諸事情あって
休刊状態です。再発行準備中。現在八丁平通信のバックナンバーが1〜10号、40、41号
が読めます。

オグロ坂峠(八丁峠)94・3

八丁平を守る会は、京都府勤労者山岳連盟、地学団体研究会京都支部と協力して、八丁平通信の会を運営しています。八丁平通信の会では、会誌八丁平通信を発行して八丁平と保護運動の記録としています。
現在八丁平通信は50号まで発行しております。

通信総目次(及び若干のバックナンバー)をupしてあります。


京都北山八丁平について

 
左、湿原中央部。右、峰床山と八丁平(現在この位置から展望がききません)写真91年
なお湿原内へは現在全面立ち入り禁止になっています。

八丁平 (グーグル地図)は京都北山(といっても鞍馬や大原から峠を越えた奥山です)にある小さな高層湿原です。
標高は約800m,面積は約5ha程で周りはクリ、ミズナラなどの広葉樹とスギ、ヒノキなど針葉樹の天然の混交林です。


湿原集水域は京都市の市有林ですが、かって市はここに林道を通し南北の町とつなぐ計画をし、1969年起工されました。実に20年余にわたり断続的に工事が行われ特に南側は湿原域まで数百mに達しました。


経緯を知らない人がみれば、まず此処まで道ができてしまえば八丁平もだめだろうと思った事でしょう。 

しかし1992年11月4日、京都市長は林道計画の変更(迂回路をとる)を発表し八丁平湿原への林道建設はついに中止されることになりました。この日までに私たちの運動も14年程が経過していました。

私たちというのは現在通信の会として連絡をとりあっている地団研、労山の他、岳連、 同大2部wv等の団体や多くの有志、弁護士会なども含めてのことです。 翌日11月5日このニュースは新聞各紙で報じられました。


特に京都新聞の朝刊一面トップの扱いには私たちも感動したものでした。因みにその日の全国紙のトップ記事はアメリカ合衆国大統領にビル・クリントン選出というもので恐らく地方紙の多くも同じだったのではないでしょうか。


八丁平保護運動と京都の環境保護運動

八丁平湿原域への市営林道敷設計画に端を発した、保護運動は、林道の目的の一つとする、過疎対策へ市民の
眼をむけさせることになり、京都市議会でも主に経済局を相手に議論が続けられました。

この機運を利用し、機先を制した形で、計画局、建設局サイドで密かに計画されていた左京区大原大見町の
埋め立て計画が浮上してきました。これが大見公園計画です。

この計画は埋め立て後の諸施設建設という画餅の虚飾のをまとっていますが、実質的に地下鉄残土を含む
諸廃棄物の埋め立てが実態でした。転売された土地の利権もからんでいたと言われています。

大見、八丁平はともに旧若狭街道に位置し、琵琶湖安曇川水系の源流域です。この地域を廃棄物で埋めようと
するこの計画は、あまりにも杜撰、かつ拙速、強引であったため、下流滋賀を巻き込む大きな反対運動となり
頓挫しています。今では、八丁平の運動と同じく、そのような計画があったことさえ、知られていません。

しかし、市は今でもここを貫通する道路建設に固執しています。

八丁平の林道建設、大見の埋め立て計画にたいする市民、住民の運動は広く市民の環境保護の重要性を喚起し
これらの運動は、そのごの京都水と緑を守る連絡会などの諸方面の環境保護活動へ直接、間接に展開
継承されていきました。 COP3京都会議もこのような中で開催されたのです。

八丁平保護と学生運動

八丁平への林道建設に最初に異議を唱えたのは八丁平内に市から土地を借地し、山小屋を建設していた
同志社大学2部クラブ連合所属(当時)のワンダーフォーゲル部でした。(1972年)

そのご1979年の工事再開後に注目されるのは、一学生のクラブとして、市議会に、この問題への慎重
かつ充分な審議を請願して(請願書)、採択可決されていることです。
おそらく希有な先例であると思います。

一方で、クラブが管理し同志社大学が所有する山小屋もまた八丁平の環境に負荷を与えるとして、
八丁平調査団から撤去を勧告され、市からも借地を許可されず、域外撤去再建となりました。

この調査団と市が半ば嫌がらせ的につきつけた課題に正面から応えたことが、八丁平の保護の質の
レベルを決定したと言ってもいいでしょう。

八丁平保護運動と民主主義

八丁平の運動は市民団体の行政への要望書という形で直接声を届ける一方、議会への請願も繰り返し
行ってきました。さらに広く市民の意見をきく公聴会の開催を求めてきました。

 

京都北山八丁平地図リンクと概念図 

   (図中の穴見は大見の間違い)